2022年9月30日金曜日

ドライブ・マイ・カー(2021)

「ドライブ・マイ・カー」(2021)をやっと見る。監督は濱口竜介。脚本は同監督と大江崇允。主演は西島秀俊。配給はビターズ・エンド。PG12。

村上春樹の同名小説である「ドライブ・マイ・カー」とその登場キャラを踏襲して新に作られたドラマらしいのだが未読でよくわからない。
あらすじ読んで、絶対つまらなそうって思ってた。しかも3時間w なのにまさかの世界的高評価。なのでしかたなくチェック。

いきなり高層マンションで裸の夫婦がテレビドラマの構想について会話してるシーン。何の話してんだってシーン。
家福悠介(西島秀俊)は俳優で舞台演出家。妻(霧島れいか)も脚本家。
家福の舞台「ゴドーを待ちながら」が終わって楽屋でメイクを落としてると妻から若手俳優高槻(岡田将生)を紹介される。「感動しました」

家福は妻が吹き込んでくれたテープを聴きながら車「サーブ900ターボ」で台詞を復唱しながら成田に向かう。だが乗る予定のウラジオストク便は欠航。そのまま家に戻ると妻は浮気中。激しい情事。クラシックレコードをかけながら大音量で艶声。
家福は見て見ないふりしてそっと出て行く。ホテルに部屋をとり、ウラジオストクにいるかのように妻とパソコンで画面通話。普通を装う。

だが家福は交通事故。検査すると家福が緑内障であることが判明。医者「毎日かかさず点眼薬で進行を遅らせるしかない。」
この夫婦は娘がいたのだが夭逝。以後ずっと子どもはつくらず二人暮らし。やたらクチュクチュ音をさせてまた情事。お盛ん中年夫婦。

「話しをしたい」と言われた日の夜、妻の「ワーニャ伯父さん」台詞テープを聴きながら帰宅すると妻がくも膜で倒れ急死してる…。

家福演出のチェーホフ「ワーニャ伯父さん」は役者それぞれの自国語で演じるスタイル。舞台上で家福は妻を思い出し泣き出す。
家福は国際的な演劇イベントのために広島へ。演劇祭事務局から専属ドライバー渡利みさき(三浦透子)をつけられる。「いや、自分で運転士ながら台詞覚えるし」
断ろうとするのだが事務局側にはそうする事情があって断れない。(事務局は家福の緑内障の件は知らないのか)

で、みさき運転のサーブで事務局が用意した家と劇場の往復の日々。妻朗読「ワーニャ伯父さん」の台詞テープが流れる瀬戸大橋。ドライバーみさきは無口。

多国語演技オーディションでは相手の台詞の意味がわからない。台本の現在地が不明。俳優たちは困惑。(さぐりさぐり演技がむしろ日常会話としてリアル。そこが狙いか?)
あの高槻が応募してくる。高槻は希望しないワーニャ役で合格。さらに手話者韓国人俳優も。

家福演出が台詞に感情を入れないゆっくり話法。一体なんの意図が?「私たちはロボットではない」説明しない演出家に俳優たちも困惑。
プロ舞台俳優たちの台本読みってこんなに緊張感あるのか。演出家よりベテランの俳優を相手にするとか難しそうだ。
舞台俳優がこんな仕事だとすると自分にはぜんぜん無理。

家福は高槻に誘われバーで会話。家福は妻の浮気相手が高槻だと疑ってる。俳優と演出家ってこんな話をするのか。もっと楽しいバカ話をしろ。
この映画、登場人物たちの会話がまったく弾んでない。ずっと緊張。見ていてすごく疲れてきた。

無口プロドライバーに徹していたみさきがこれまでの人生を語り始める。「北海道で水商売のDV母を駅に送迎するために運転が上達した。」

途中でもう退屈さに耐えきれなくなり、半分ほどで中断。残りは後日見ることにした。
高槻と中華女優が本読みに遅刻するシーンから視聴を再開したのだが、もう見るのが耐えがたい。
延々と続く意図不明な台本読みシーン、たまに身の上話。チェーホフ、妻が創ったドラマの続きに煙に巻かれる。つきあいきれない。いい年した大人がセッ○スとか自慰とかうるせえ!

高槻の起こした事件で舞台は中止に追い込まれそうになる。事務局のふたりが無表情で感情ゼロ台詞。
混乱の家福は2日間の猶予期間を与えられる。みさきの北海道の故郷の村まで遥か遠い遠いドライブを思い付きみさきに提案。

ドライバーの身にもなれ!と思ってたら、このドライバーが仕事に異常なプライド。運転も交代しないし1日ぐらい寝なくても平気だと主張。
青函トンネルは車で通行できないのでカーフェリー。それ、往復2日間で大丈夫か?家福だけ飛行機で戻れば大丈夫か。それにしてもガソリン代、高速代、船代を気にしない金持ちの思い付き道楽。

こういうの誰得なんだ?どの層が喜んで見るんだ?拷問のような3時間。文章読み上げソフトのような映画。よほど意識高い人しか見てはいけない。

2022年9月29日木曜日

カフカ「変身」(1915)

フランツ・カフカ(Franz Kafka 1883-1924)「変身 Die Verwandlung」(1915)を読む。高橋義孝訳の昭和27年新潮文庫(平成9年83刷)版で読む。
これ、高校1年ぐらいの時に読んでみたことがあったけど、10Pほど読んでいたたまれなくなって止めたことがある。時空を超え、今になってようやく全て読んだ。といっても文庫でわずか97ページ。長編とは言えない。

フランツ・カフカはよくチェコスロバキア出身と書かれていたりするのだが、1883年生まれなので、オーストリア=ハンガリー帝国のボヘミア地方プラハ出身というのが正しい。チェコスロバキアが誕生したのは第一次大戦後。
父ヘルマンはチェコ系ユダヤ人、母ユーリエはドイツ系ユダヤ人。カフカの作品はドイツ語で書かれている。

フランツは小学生からギムナジウムでドイツ語で教育を受けたドイツ語を話すユダヤ人。プラハ大学で法学を学んで法学博士というエリートなのだが就職に苦労。保険会社で仕事をしながら小説を書く。41歳で咽頭結核(?)で死去。

「ある朝、グレーゴル・ザムザは何か気がかりな夢から目をさますと、自分が寝床の中で一匹の巨大な虫に変わっているのを発見した。」という、日本人も誰もが知ってる有名な書き出しで始まる。

後は、哀れにも虫に変身してしまった青年主観の独白。
これ、やっぱり今読んでも嫌な気分。「虫」が一体何を表しているのか?そういう高尚なものは研究者に任せておきたい。ただ、家族を自宅で介護している人や本人はこの小説を読むことはいたたまれないだろうと思う。

平易な文体で誰でもイメージしやすいのだが、主人公が変身した「虫」イメージは人それぞれだろうと思う。かなりリアルに想像してしまうとやばい。

これ、グレーゴルくんの主観だと思ってたけど、なぜか途中からザムザ家の人々を、空中に浮かぶカメラで主観的に撮っているかのように変化していく。グレーゴルくんによる家族(父、母、妹、家政婦、上司、客)たちへの鋭い観察がだんだん少なくなって客観的になっていく。なぜなら主人公が死んでしまうから。

グレーゴルが死ぬと家族は何やら新たな希望を抱いて一家三人で出かけて行く。ま、家に巨大な虫の死骸があったところで、ちょっとは騒ぎになるかもしれないけど犯罪ではない。虫に変身して死んでしまった兄の記憶は残るけど、その家族は案外べつの場所で楽しく暮らしていくんだろうな…という終わり方。なんでこうなった?!

100年経っても新しい小説ではある。頭痛がすると目の裏で歯車がギリギリ回っていた芥川、バビナール中毒だった太宰なんかを読んでいる日本人青年にはきっとカフカも響くだろうと思われる。

2022年9月28日水曜日

眉村卓「なぞの転校生」(1967)

眉村卓「なぞの転校生」を読む。2013年講談社文庫版で読む。2004年青い鳥文庫を底本とするもの。自分、眉村卓(1934-2019)を初めて読む。

1965年から66年にかけて月刊学習誌「中学三年コース」に連載された後に1967年に単行本化された眉村卓の初めてのジュブナイルSF。1975年11月~12月にNHKでテレビドラマとして放送。
今回自分が読んだ講談社文庫版はおそらく、2014年1月期に岩井俊二ドラマ版が放送(テレビ東京)されるタイミングに合わせて出版されたもの。188ページなので中編と言っていいかもしれない。中学生向けなので1ページの活字の密度が低い。これは子どもも手に取りやすい。

主人公岩田広一くんは大阪に暮らす中学生。中学2年から3年にかけての時期。
同じ団地の同じ階のお隣さんに東京から引っ越してきた山沢典夫には初めて顔を合わせたときから反感。エレベーターでちょっとの間停電しただけでレーザー光線で扉を焼き切ろうとする危ない奴。

いけすかない山沢はハンサムで勉強もスポーツも万能。学年トップクラスの岩田を山沢はアッサリ追い抜く。仲良しの同級生香川みどりも山沢のことが気になる様子。ますます気に入らない。
山沢がわりと常識がない。同級生たちと協調性がない。口論しても噛み合わない。

だが、やがて他のクラスにも山沢のような端正で美しい顔をした優秀な転校生がいることを知る。実は大阪中にいる?
この生徒たちが他の生徒と衝突する。不良たちから絡まれるのだが、正義感のある岩田君は間に立つ。

山村のことを聞きつけた新聞テレビが団地に取材にやってきてちょっとした事件。やがて、二人は相互理解。岩田くんは山沢が異次元世界から避難してきた流浪民であることを知る…。

学校の教室と団地だけで進行する、かなりこじんまりしたSF。いまこれを読むとかなり素朴。正直それほど面白さを見出せなかった。
当時の子どもたちは夢中でページをめくったのかもしれないが、現代の中高生にはかなり物足りない内容ではないか?
それにこの50年の間に中高生も変ったし、社会も常識も変った。今これを読むとヘンテコ感もする。

昔は新聞テレビマスコミが今よりもかなり職業倫理感が低い。マスゴミは昔から人間性低い。競争が激しいからといって何したっていいわけじゃないぞ。

この50年の間、日本は多少の難民は受け入れたけど決して移民は受け入れなかった。人間はほんの些細な違いでも衝突する。よほど余裕とおおらかさがないと、異文化人との交流は無理だろう。

2022年9月27日火曜日

伊藤万理華「サマーフィルムにのって」(2021)

「サマーフィルムにのって」(2021)を見る。監督は松本壮史、主演は元乃木坂46の伊藤万理華。パイプラインの制作で配給はファントムフィルム。
この映画もコロナで製作が中断した。2020年11月の東京国際映画祭でプレミア上映。単館上映作としてはヒット作。製作になぜか今野義雄の名前がある。ソニーミュージックも噛んでる。

乃木坂メンて卒業してしまうともうオタたちから話題に上ることも少なくなる。自分、伊藤万理華のことをもうそれほど覚えてない。乃木坂在籍時代が思い出せない。けど、たぶん一番演技が上手だった気がする。

時代劇映画大好きJKが未来からやって来た少年を主人公に時代劇映画を撮るという青春映画。なんだそれ。ロケ地がこれもやっぱり足利西高。

田舎高校映画部の面々が自作映画を部室で鑑賞上映。最初のカットからヒロインのハダシ(伊藤万理華)部員の顔がやっぱり面白くなってしまっている。リュック少女。自分には伊藤が谷敬に見えるときがある。

隠れ家秘密基地は橋の下の廃バス。見てる映画が座頭市。「勝新が尊い!」
そんな貴重なポスターとか廃バスの中に置いておいて大丈夫か。
ヒロインは映画部の主流派(おそろいピンクTを着たリア充)から距離を置いている。こいつらの作る恋愛映画をボロクソにこき下ろす。「好き♥って言いすぎ」
川原でやってることが座頭市ごっこ。そんなJKいるか?

ヒロインは同じ高校の男子を薄目で観察してる。いつも仲良し女子トリオでつるんでる。会話が時代劇スターばかり。ある意味、もうひとつの映像研。

あれ?いきなり風景がフリーズ。なにこれ。そこに突然少年(金子大地)。
そいつ凛太郎と映画館で再会。なにこのダサ男。ヒロインが蔑むような目なのだが、これが値踏みしてるときの眼差し?自分が思い描いていた映画主人公にピッタリ!
少年はなぜか逃げ出す。「あ、ハダシ監督!」知ってるの?
少年は川に飛び込んで逃げるも少女も飛び降りる。「ワタシの映画に出て!」「出ませんよ」どうやらこの少年も時代劇映画オタ?時代劇を論じ合う。

SF小説読んでるメガネ少女(天文部)がビート板(河合優実)。「イケメン苦手なんだよね。アンタのことだけど」部室に少年が縛られているのに誰もそこに突っ込まない。
なぜかハダシ、ビート板、凛太郎の3人で引っ越しバイトしてる。映画を作る資金のためらしい。凛太郎の言うことがいちいち違和感。
ハダシの友人2が剣道部少女ブルーハワイ(祷キララ)。剣術と殺陣を担当。

ヒロイントリオは強引に他人を引きずり込んで映画製作。あのリア充映画部のスウィーツ映画とは別の映画を撮る!ひと夏の映画づくり青春。今はスマホで映画も撮れちゃう。それをパソコンで編集。すごい時代になったものだ。
凛太郎はこの学校の生徒じゃないのに高校にずっといる。

映画スタッフメンと仲が良くなるにつれ、つい自分が未来人であることがバレてしまい白状。ハダシ監督は未来では大巨匠?!凛太郎はハダシ監督のファンだがデビュー作「武士の青春」だけ見れてない。残ってない。その上映記録がこの年の文化祭。それを見に来たのに映画に出ちゃった。
あと、未来にはもう映画というものがなくなってる?!

映画ロケも大詰め。海辺での撮影合宿になるとハダシは凛太郎に冷たくなる。避けるようになる。
しかもなんとリア充映画部もキラキラスウィーツ映画を同じ場所で撮ってるw そのオチを2回持って来るところとかセンス良い。
ハダシ監督は海(産み)の苦しみ。そして三角関係。

運命の文化祭上映。完成した作品は上映後廃棄しなければ未来が変わってしまう?!
時代劇大好きヒロインの時代劇映画に賭ける青春という設定が新しい。未来からやって来た少年が時代劇ファンで、後に大監督になるヒロインのファンってまったく新しい。

なによりも伊藤万理華がコメディエンヌとして演技がとても良い。映画スタッフ仲間たちのキャラも良い。みんないいやつ。リア充ライバルの花鈴(甲田まひる)すらもいいやつ。
2021年の青春映画の傑作と読んで差し支えない。高校生って本来はこれぐらい素朴。見終えたあと自分は笑顔になってた。

見ていてまったく飽きなかったし、正しい青春映画だと感じた。令和なのに2000年代中頃、もしくは昭和を感じた。「虹の女神」「桐島、部活やめるってよ」「映像研には手を出すな!」とこの映画の4本立てで映画青春映画祭を開催したい。

2022年9月26日月曜日

1917 命をかけた伝令(2019)

「1917 命をかけた伝令」(2019)を見る。ずっと見ようと思ってたけどやっと見た。日本でも2020年2月に公開。ドリームワークスの制作。監督脚本はサム・メンデス
第一次世界大戦、2人のイギリス兵の1日を全編ワンカットに見えるように密着して追い掛けた没入感のある作り。映画館で見た視聴者はずっと戦場にいるように錯覚。

自分、最近までイギリス、フランスでは大戦と言ったら第一次大戦のほうだと知らなかった。第二次大戦よりも死んだ兵士の数が圧倒的に多い。開戦当初は徴兵制がなかったために、多くの名門名家の息子たちが戦場で命を散らした。塹壕の中での悲惨な死。

1917年4月6日、西部戦線のドイツ軍はアルベリッヒ作戦によりヒンデンブルク線まで戦略的退却中。
木の根元で寝ていた2人の兵士トム(ディーン=チャールズ・チャップマン)とウィル(ジョージ・マッケイ)が軍曹に起こされる。塹壕の中を会話しながら歩く。100年前の英国人ぽい英語。
エリンモア将軍(コリン・ファース)から直々の命令。通信不能の第2大隊に作戦中止の情報を伝えよ。この事実を知らせないと兵1600名の命が危険。その中にはトムの兄ジョセフ(リチャード・マッデン)もいる。でも、行けって言われてもどうやって?ふたりだけで?

兄が心配で焦るトムとビビるウィルは塹壕の中をぐんぐん進んでいく。伝令って何か目印のようなものないの?自軍兵士と反対方向へ急いでると脱走兵と間違われないのか?最初は塹壕の中でぼーっとしてる兵士たちが邪魔。負傷者や死人を踏むと怒られる。

どこに敵がいるかわからない戦場を姿勢を低くして歩く。馬の死体。鉄条網。カラスがついばむ仲間の腐乱死体。砲弾の跡のくぼみの水たまりにも死体。泥水に身をひそめるとか嫌だなあ。
ずっと緊張状態のまま歩く。大陸のねずみは英国のよりデカい。
敵は爆弾トラップも残していってる。ウィルが爆発に巻き込まれたのだが無事。だが地下室が崩落しそう。まるでお化け屋敷みたいな映画。

ずっとふたりだけ。他に人間がいない風景が続く。ときどき偵察飛行のぶーんという音。戦場にある家は敵が潜んでるかもしれないのでメタメタに破壊される。家の持ち主はたまったもんじゃない。

途中で撃墜された敵機がこちらに突っ込んできて炎上。ドイツ兵を救おうとするのだが、トムがドイツ兵に刺される。ちくしょう。助けなきゃよかった。トムはウィルに抱かれて失血死。ここから先はウィル独り旅。

かと思ったら友軍に合流。トラックに乗せてもらうのだが、橋が落ちてて進めない。ここからまた独りで進む。
敗残兵が廃墟の中からバンバン撃ってくる。急いで命令を伝えに行かないといけないのに敵と1対1で撃ち合い。撃たれて眠ってしまう。いつのまにか鉄兜も失ってる。どんどん装備を失うし最終的に銃も失う。炎上してる街が幻想的地獄。

伝令が伝わるころにはその命令はもう無効では?こんな無茶な命令をした将軍がいちばん無能。
主人公がボロボロになっても必死。はたして伝令はマッケンジー大佐(ベネディクト・カンバーバッチ)に伝わるのか?!
本来なら主人公はもう何度も死んでいる。虚しい結末を予感してたけど、主人公の献身努力は一応無駄にならなかった。

欧州はこんな地獄の戦争を何度もやってきてやっと平和になったと思ったのに、プーチン・ロシアがまた同じような地上戦やって平和をぶちこわした。こいつとその一味だけは必ず地上から除かなくてはならない。

2022年9月25日日曜日

ロート「ラデツキー行進曲」(1932)

ヨーゼフ・ロート「ラデツキー行進曲 RADETZKYMARSCH」(1932)を平田達治訳岩波文庫(2014)上下巻で読む。
ここのところ立て続けにドイツ史、イタリア史、ポーランド史、チェコ史に関する本を読み続けてきてオーストリア=ハンガリーについてもなんとなくわかってきた状態の今読もうと思った。

ヨーゼフ・ロート(Joseph Roth 1894-1939)はオーストリアハンガリー帝国東ガリツィア(現ウクライナ)生まれのユダヤ系オーストリア人ジャーナリスト。

ソルフェリーノの戦いで皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の窮地を救ったことでスロヴェニアのトロッタ少尉は貴族に列せられ、以後はヨーゼフ・トロッタ・フォン・ジポーリエ男爵を名乗る。その息子フランツと孫カール・ヨーゼフ三代の消長、そしてハプスブルク帝国の黄昏と没落を描いた畢生の大作。
複合多民族国家オーストリアハンガリー帝国は第一次大戦で解体。最盛期に比べると国土も国力もだいぶ小さくなってしまった。帝国を愛したロートによる祖国への哀愁に満ちた葬送曲。

訳が新しいからなのか、とても平易でサクサク読めるのだが、クセも個性もない。登場人物たちの関係性と上下関係がまるでわからない。
何年か?国際情勢は?ロートはぜんぜんそのへんを書き込んでいない。当時の読者はそれでよかったのかもしれないが、現在日本の読者はずっとよくわからないまま。巻末解説だとロートは1880年から1914年までと語ったらしい。

オーストリアにおける他民族のこともよくわからないのだが、ユダヤ人軍医をめぐって侮辱(身内から呼ばれる場合はレーベンとつけるのだが異教徒からだと侮辱にあたる)の件で決闘事件も起こる。軍内部で決闘とか認めたら組織が立ち行かなくならないか?
あと、軍人の結婚には年俸の5倍から10倍の供託金が必要?そんなの賄えない。当時のオーストリア軍には年輩の独身将校が多かったらしい。
20世紀初頭までオーストリアではウクライナ人をルテニア人と呼んでいた?
いろいろと初めて知るオーストリアの常識と日常。

上巻はヨーゼフ・フランツくんの軍隊での日常と仲間のやりとりが無個性な文体で続いてる。曹長の妻とのドキドキラブとか、あとは酒、たばこ、父、そして老執事の死。それほど何か大きな事件とか起こらない。

下巻は、帝国の終りを断言する田舎貴族、フォン・タウスフィ夫人、賭博で身を持ち崩す友人、息子の窮地を皇帝に直訴する父、洟風邪のフランツ・ヨーゼフ1世皇帝、などなど、どのエピソードも断片的。大河ドラマ映画みたい。

ヨーゼフ・フランツくんの「もう軍を辞めたい」というメランコリーを経て、第21章になってやっと第一次大戦開始。なんとあっという間に狙撃されて死亡。部下のためにバケツで水を汲みに行ってコサック兵に頭部を撃たれて死亡。なんと切ない…。

この本、オーストリアの青年将校から見た第一次大戦を描いた小説ということで読んでみようかと思ったのだが、この本を読んだところでどうして大戦が起こったのか?戦況は?などはまったくわからない。
ただ、オーストリア=ハンガリー帝国の黄昏と哀悼を描いてる。この時代のオーストリア軍人に関心がある人にしかオススメしない。エピローグ部は味わい深い。

2022年9月24日土曜日

永野芽衣「そして、バトンは渡された」(2021)

映画「そして、バトンは渡された」(2021 ワーナー)を見る。原作は瀬尾まいこ。監督は前田哲。脚本は橋本裕志。制作は日テレ、ホリプロ。主演は永野芽衣

小学生みぃたん(稲垣来泉)、計算高い魔性の女梨花(石原さとみ)、いつも笑顔の女子高生優子さん(永野芽郁)、競争が苦手の真面目メガネサラリーマン森宮(田中圭)、4人の駆け足紹介映像。
BGMの使い方といい、エレベーターに駆け込んだら定員オーバーのブザーという見飽きたエピソードといい、とにかく普通のホームドラマ映画感がする。退屈映画の予感がする。

開始5分すぎてやっと田中圭永野芽衣が親子であることが示される。田中圭の質感が何を見ても「あな番」。
エプロン姿の父が大きなキッチンで弁当も夕食を作ってくれる。「おかげでぜんぜん痩せない」とか言ってる永野は自分にはがりがりに見える。この親子は母親と死別?父と娘は血のつながらない他人?
高3の時期に卒業式合唱ピアノ伴奏をまかされた永野芽郁に異議を唱えて邪魔しようとする担任ってなんなの?

その一方、みぃたんの父親が大森南朋。異なる2つの家族を描いている?(自分はなんとなくドラマ構造に推測がついたが)
みぃたんの家にとつぜん梨花という見た目の派手な新しい母親石原さとみがやって来る。この妻がやたら明るくテンション高く浪費癖。小学生娘に派手な衣服を買い与える。何か裏に目的が?と思うほどみぃたんに愛情を注ぐ。

卒業合唱ピアノを音楽教師(朝比奈彩)にテストされるシーン何なの?この学校普通高校だよね。そんなにピアノが上手な生徒が何人も?永野は一時期短い間ピアノを習っただけ。

みぃたん父大森南朋はお菓子メーカーの会社員か何かか?突然自分のチョコレートを作る夢を抱いて会社を辞めブラジルに移住すると言い出す。梨花は移住を拒否して離婚。みぃたん大好き梨花は、「わたしたち完全に終わってる」など言葉巧みに大森だけブラジルへ送り出し、梨花とみぃたんの二人ぐらし。梨花は冷凍食品しかつくれない。父に会いたいというみぃたんは泣く。この母親がみぃたんにいつも笑顔でいることを教える。

ピアノ少年は早瀬君は岡田健史。高校生に見えない。母戸田菜穂は息子を音大に行かせたい。だが本人は料理人になりたい。ピアノ少年なのに憧れがロッシーニって意外だな。

優子の女ともだちたちがいつも笑顔の優子に嫌味。「男子たちに色目使ってる。」だまれ、ブサイクども!って怒鳴りつければいいのに。
ピアノが下手だとぶーぶー言うガヤクラス何なの?あのブスはなんでそんなに自信に満ち溢れたように何の疑問もなく優子を罵る?
萩原みのりも結婚して老けたなあ。

梨花とみぃたん母子が貧乏。だって母が働いてないんだもん。今日明日の米もない。パンのみみをもらってきて嬉しそうに食べる。
みぃたんがピアノを習いたいと希望。梨花はすぐに婚活パーティー。まるで音楽ホールみたいな邸宅(プールつき)に住む資産家老人(市村正親)と再婚。女ってすげえな。
この家庭が女中(木野花)つき。リビングにベーゼンドルファーのグランドピアノ。ピアノ家庭教師がやってくる環境。入門の段階でベーゼンドルファーって、そんなピアノ学習者はいない。
大金持ち市村もみぃたんにとても優しい。
だが梨花は「この家にいたら息が詰まる」と行方不明。みぃたんは泣く。

これから短大へ進んで栄養士になろうっていう優子のために、1500万の通帳を差し出しピアノを買って防音室のある部屋に引っ越そうとか言う。みんな無茶。お金に関して非常識。

義母の梨花はその後に森宮家も飛び出し、行方不明になっていた。
梨花はいきなり帰ってきたと思ったら高原でバイトし終末だけ帰ってくる。そんな約束を聴いてしまう金持ち市村も非常識。
そしてまた梨花は新しい結婚相手を見つけてしまった。それが東大卒森宮。連子がいることを告げてなかった。いったい梨花のどこがいいのか?もう明らかに美人局の手練手管。

現在と過去シーンがランダムに交互にやってくるドラマ映画がやたら多い。こういうの、何の効果がある?見る側が混乱して疲れるだけ。
なんでこんな編集をするのか?すごく長く感じる。
それに梨花の非常識ぶりと世の中を甘く見てる感じがおそらく見る人によっては耐えがたい。なんでこんなドラマを作る?
って感じたのがまだ映画の中間地点。

短大で資格を取りまくって就職したレストランが肌に合わずもんもんとしてまた小さな洋食屋でバイトの日々…。まあそういうもんだな。
高校の同級生早瀬くんと再会。早瀬は音大を辞めていた。こいつも現実感のしないデタラメ白昼夢男。こんな男と一緒になってもぜったい幸せになれないだろ。

男たちはみんな父親じゃないのになぜこうも連子に愛情を注げるのか?そもそもなぜ梨花はみぃたん(優子)をこれほど愛せるのか?
そして梨花から手紙と荷物が届く。優子は再婚相手の実家にいる父に会いに行く。

自分、瀬尾まいこを読む気がぜんぜん起こらない。娘を育てるために経済力のある男を選ぶ?女の子は男たちのバトン?薄っぺらい。まったくリアルでないファンタジー。
登場人物に感情移入できない。とくに森宮というキャラがありえない。なんだこれ?としか思えなかった。

脚本も演出も、感動を呼び込む上で何も効果的でなかった。感動作ふうの映画。まったくピンとこない。
終盤の男たちの語り合いシーンとか早く終われって思った。赤の他人の結婚式でそこまで感動できるか?
若い人たちがこんなドラマ映画を見て育ったら世の中がこんな感じだと思わないか不安。世の中全員こんなふうに優しい人たちだけだったらいいけど。

2022年9月23日金曜日

菊池寛「藤十郎の恋・恩讐の彼方に」(大正8年)

菊池寛「藤十郎の恋・恩讐の彼方に」を新潮文庫版(昭和45年)で読む。人生で初めて菊池寛を読む。
初期短編の中から歴史ものを10編集めた短編集。どれも初出がいつどこでか書かれていない。おそらくすべて大正から昭和にかけて書かれたもの。巻末解説が吉川英治。

これも無償配布で手に入れた図書館リサイクル本。まず表題作2作を読んだあとに、掲載順に読んでいく。

藤十郎の恋
元禄の世になって十数年の京都。人気役者の坂田藤十郎は江戸から上ってきた中村七三郎の人気と実力に危機感。
そこで難波の近松門左衛門に新作「大経師昔暦」を書いてもらった。傾城買の濡事などではない、不義の末に刑死するような命がけの恋の狂言。

だが、40代半ばの藤十郎にも人妻との道ならぬ恋の経験はない。演じるプランが思いつかない。そこで、鴨川近くの茶屋宗清の主人清兵衛の女房お梶に「二十年来ずっと好きだった」と嘘の告白。酷い。

お梶に恥をかかせた結果、藤十郎の迫真に迫った密夫(みそかお)の狂言は洛中洛外で大評判。
だがやがて、楽屋の片隅の梁で首を縊った中年女が見つかって…という、とても暗い酷い話。おそらく女性読者のほとんどが嫌悪感を抱く胸糞短編。
それにしても菊池寛の文体が古くて格調高くて読みづらかった。初めて見る言葉が多くて読むのに時間がかかった。自分が歌舞伎に関する知識が不足していたせいかもしれない。

恩讐の彼方に
浅草田原町の中川三郎兵衛旗本屋敷。主人の寵妾お弓とできてしまい手打ちにされそうになった市九郎は返す刀で主人を殺してしまう。そして江戸から逐電。人目を忍びながら東山道を上方へ逃げる。この二人があさましい強盗殺人を繰り返すようになる。昼は茶屋、夜は強盗。

ある日、茶屋に立ち寄った旅の若い夫婦を追いかけて殺害。金品と衣服を奪う。女の髪にあった玳瑁の頭飾りを取ってこなかったことで罵られた男はもうこんな女は嫌だと、女を置いて逃げる。

そして大きな寺に駆け込んで懺悔。僧侶了海となる。諸人救済の大願を起し諸国雲水の旅に出る。筑紫の山の中、鎖渡しの悪路から転落死した馬子が憐れだと回向。岩山に隧道を開鑿する大業に当たることを決意。嗤われながらも一人で槌と鑿で岩を掘り始める。数年かかってもほんの少ししか掘り進めることができない。

掘り進めること20年。ようやくゴールが見えて来た。そこに市九郎を父の仇と探し求めて来た三郎兵衛の子実之助が現れる。父の仇!と斬ろうするのだが、相手はすでに視力も失い老い痩せ衰えた老人だ。トンネルを掘り終えるまで殺すのを待ってやることにしたのだが…。

これもとてつもなく味わい深い短編だ。重厚な人間ドラマ。自分も市九郎のように現実を忘れるために日々読書してるところある。

恩を返す話
島原の乱の戦場。甚兵衛は敵兵にやられそうになるのだが、日ごろから好かない惣八郎の助太刀で命が助かる。以後、同じように戦場で「恩を返す」ことのみを考え続けるのだが、そのチャンスがやってこない。やがて平和な世になってしまった。だが、主君から惣八郎を放打する上意が…。
これもヘビーなお侍人間ドラマ。

忠直卿行状記
大坂夏の陣で大活躍して祖父家康に褒められ意気揚々と北の庄へ戻った松平忠直。自信満々の21歳は自分の能力に酔う。
だが、酒宴のさいに家臣が仕合で忠直に手加減していたことを話しているのをたまたま立ち聞いてしまう。そして以後、勝負ごとから遠ざかり酒に溺れ勘気を起こす。主君の孤独と猜疑。これも佳作。

ある恋の話
作者が妻の祖母に江戸の昔の話を聴く。祖母は若いころ美人だったのだが、家が傾いたために30歳も年が離れた夫と結婚させられ不幸なものだった。だが夫は安政のコロリですぐに死んでしまい、以後は向島で裕福な後家として芝居見物。守田座の染之助という役者に恋をするのだがすぐ冷めてしまう…。

極楽
永遠に平穏無事な蓮の台の上で過ごさないといけない極楽の絶望的な退屈さ。

槍の名手中村新兵衛は初陣の若武者にお願いされ、自身の唐冠の兜を貸し与えてしまう。すると、戦での勝手がだいぶ違う…。

蘭学事始
杉田玄白と前野良沢。千住骨ヶ原で腑分観臓の会があるというので目を輝かせて参加。ターヘルアナトミアの通りだ!そしてゼロから始まる翻訳。

入れ札
代官を斬り赤城山から信濃路へ逃亡する国定忠治と仲間たち。子分の中から一緒に逃げる3人を選ぶための投票が始まるのだが、人望の無い年長者の九郎助は気分がよくない。

俊寛
鬼界ヶ島でひとりぼっちの俊寛。泣き疲れて心機一転、サバイバル生活の末に地元民娘を嫁にして幸せに暮らしました…という超絶展開w 爽やかな後味。

自分、今まで菊池寛をナメていた。どれも傑作。表題作2本は日本文学における重大な短編。「恩を返す話」「忠直卿行状記」「俊寛」も好き。

2022年9月22日木曜日

砕け散るところを見せてあげる(2021)

「砕け散るところを見せてあげる」という映画を見る。これも2020年公開予定だったのだがコロナでほぼ1年公開延期になった映画。
原作は竹宮ゆゆこの長編小説(2016 新潮文庫nex)。監督脚本編集はSABU
主演は中川大志と石井杏奈。制作はROBOTで配給はイオンエンターテイメント。PG12映画。

何の予備知識もないまま見始めた。ありゃ?冒頭が北村匠海の独白。ヒーローになることを夢見る少年。父が死んだときの経緯を独白説明。父は川で人命救助してて死亡。母が原田知世
次のシーンでは学校へ全力で駆ける中川大志。何がどうなってる?こいつが主人公濱田清澄(高3)らしい。
急いで体育館へ行くと衆人環視の中ひとりの女子生徒が陰湿なイジメに遭ってる。なぜ?

イジメにあってる蔵本玻璃(石井杏奈)が怖いほど完全に狂ってる。主人公が話しかけると発狂したようなスクリーム奇声音を挙げる。そのことを知らなかったのは主人公だけ?
同級の松井愛莉(話の要領を得ない)から警告を受ける。「あいつはやばい」「玻璃に話しかけた3年生がいる」と1年生の間で話題になってる。

なんだこの設定?こんなの見たことない。狂ったように叫ぶ生徒をなっぜ教師たちは放置する?そもそもこんな生徒がなぜ学校に通う?それに1学年全員が陰湿イジメとかありえるか?幼稚すぎないか。
主人公が玻璃を助けただけで1年生全員から「ヒマせん」と呼ばれる。正義マン扱い?この1学年全員が敵?これが田舎底辺高校か?

厳寒の個室トイレにずぶぬれのまま籠っていた玻璃に主人公は強引に干渉する。この両者がかなり変。玻璃は吃音なのか?
頑なに正義を拒んでいた玻璃はついに主人公の差し伸べた手をつかむ。このシーンが異常に長く感じる。

さらに家でおしるこの会話シーンもすごく作為的で冗長に感じる。劇場で舞台芝居を見てるようで映画らしく感じない。
話がぜんぜん進展しない。いつまでふたりだけで会話してんだ。この会話がかなりスベってる。
もう少し適切な正義の施し方というものが他にないか?高1にもなってこんな酷いイジメに遭うって何か適切な防御方法はないのか?

見ていてとにかく超絶退屈で困惑。どういう意図でこんな映画をつくった?こんな映画を海外映画祭で公開するな。

実はこの映画を見た理由は清原果耶。玻璃の同級生(尾崎妹)。こいつはわりと親切でマシな生徒。前髪ぱっつん茶運び人形みたいな風貌だが中身はギャル。
どうやらこの映画は言葉を発してのコミュニケーションの重要性を教えてるのかもしれない。中学生向けか?
主人公の母矢田亜希子さんがまるで二十代ヒロインかのような可愛らしさを見せる。

玻璃の父堤真一があきらかに狂ったDV父らしくて不気味で圧迫感があってすごく嫌。まさに日本社会の病理の具現化。こういう人を父親にしてはいけない。ほぼ羊たちの沈黙。玻璃のスクリーム音が怖い。

後半になって急に雰囲気が変わる。サイコホラー映画なら最初からそれらしくしてくれ。そうと知らずに純愛モノだと思って見た人が困惑するし心臓に悪いだろ。
玻璃が堤真一を滅多打ちにするシーンがこの映画で唯一スカッとした箇所。よくあの状況で生きてたし機敏に動けた。

映画冒頭と中間部でなぜに親子キャストが違うのか?
ああ、そういう時系列だったのか。
増水した川には近づくな。狂ったやつには近づくな。

PS. 中川大志はまだ20代前半だというのに演技に毎回感心させられる。その場面に最適解な表情をビシッと決めることができる。「鎌倉殿の13人」における新しい畠山重忠像はこの俳優が非凡な才能を持っていることを示した。かなり世間に浸透した。

2022年9月21日水曜日

三島由紀夫「獣の戯れ」(昭和36年)

三島由紀夫「獣の戯れ」(昭和36年)を新潮文庫(平成16年51刷)で読む。週刊新潮昭和36年6月12日号から9月4日号まで全13回連載されたもの。

もう冒頭から何やらいたましい事件が起こったことが示される。そして登場人物が刑務所にいるらしいことも示される。もう最初から注意して読まないとわからない文体。ちょっと立ち止まって考えないと意味のわからない装飾がされている。三島由紀夫らしい。
曖昧でぼんやりした全体像が読んでいくうちにだんだん明かされる。なのでここでそれほど詳しく書く気にならない。

著述家として数冊の本を書いたあとに銀座の贈答用西洋陶器を扱う店を親から引き継いだ40歳の草門逸平は、自身が卒業した大学の学生幸二をバイトに雇う。
幸二は思う。逸平の妻の優子が美しい。

俗物で遊び人の逸平は愛人を囲ってる。妻は気にしてない様子だが、実は興信所を使って相手の女のことを調べていた。夫と女は火曜日に逢っている。
優子に恋心の幸二は同伴して逸平が女といるアパートへ。その前になぜか病院でたまたまそこに落ちていた黒いスパナを拾う。優子を傷つけた逸平をこのスパナで滅多打ち。結果、2年刑務所へ。

身寄りのない幸二は西伊豆の漁村にある優子の経営する花の温室で働く。元漁師の老園丁と一緒に。
半身不随で失語症となった逸平と3人で奇妙な暮らし。村の人々は幸二が前科者なことを知ってる様子。もうこの時点で不穏。夏のじっとり汗をかく暑さが伝わってくる。

漁村の人々、花、滝見物、台風、蚊帳、浜松の楽器工場で働く女工、自衛隊員、ウクレレ、寺の住職、いろんなエピソードが意味ありげに語られた後、最悪なことが起きる直前で作者は語ることを止める。(愛の渇き、午後の曳航でもラストは最悪な事態が起こるのだが多くを語らないスタイル)

最終章ではなぜかまったく事件と関係ない部外者の、民俗学を研究する大学生主観になる。
この漁村で吟唱の採取フィールドワーク。寺の住職と親しくなり、たまたま2年前にこの村であった殺人事件のことを知る。3人の写真を見せてもらう。そしてそこには3つの墓が並んでいる…。

加害者と被害者、そして女。三角関係のようであるが逸平は言葉を理解できなくなってる廃人。この3人の関係はとても短く簡単に説明できるようなものではない。三島の精巧な筆致でなければ描けない。

わかったようなわからないような映画を見終わった感覚。36歳の三島が書いた難解な小説。とくに幸二の足元にスパナが現れるあたりの表現とか独特だし天才的。抗えないなにかに引きずり込まれて行くようでもある。

2022年9月20日火曜日

映画ドラえもん のび太の恐竜2006

「映画ドラえもん のび太の恐竜2006」を見る。これが自分にとって初めての水田わさび版ドラえもん。(水田版を『わさドラ』、大山版を『のぶドラ』と呼んで区別するらしい)

声優が一新してからテレビアニメを見たこともなかった。(長澤まさみが声優を務めた「のび太の宝島」はまさみシーンだけしかチェックしてない)
制作は26年経っても変らずシンエイ動画。監督脚本は渡辺歩。まんがドラえもん誕生35周年記念作。

見てみてまず驚いたのが野比家ののび太の部屋が狭くなってる?!ということだった。
自分の感覚だと2006年版は従来ののび太の部屋より2割ぐらい狭い気がする。東京の住宅事情をリアルに現代に近づけた結果か?

さらに、野比家周辺の住宅地の風景にも時代の変化を感じた。自家用車を持った都民が増えた?集合駐車場もある。
さらに、スネ夫とジャイアンが自転車を持っている?!これも何気に驚いた。ドラえもん登場人物たちが自転車に乗ってるシーンを見たことなかった。(自分はてんコミどらえもんを23巻ぐらいまでしか読んでないからかもしれないけど。)

スネ夫の家の居間がまるで成金か!というぐらい金ぴかなのも驚いた。スネ夫の顔は現実的に存在しない形状。この映画版ではスネ夫の作画に乱れを感じてあまり納得できなかった。それはジャイアンも同じかもしれない。

のび太の喜怒哀楽と焦りと困惑の表情と動きが、自分が見たことないぐらいに激しい。まるで細田アニメ「時をかける少女」並みによく動く。とにかくカチャカチャ慌ただしく絵が動く。
それはドラえもんも同じ。とにかく動く。表情の変化が早い。だがドラえもんはもうちょっと大人であってほしくも思った。ときどき気持ちの悪いヘンな目をするのが嫌だった。

フタバスズキリュウのピー助が1980年版よりもかわいい。のび太とピー助がボール遊びをするシーンひとつを見ても、26年のアニメーション技術の各段の進化を感じた。
世間がジブリアニメ、細田アニメ、新海アニメに感動しているときに、いつまでも昭和ギャグアニメでいてはいけないという野心を感じた。

のび太が風邪で寝込んだ夜に公園の池からどすどすやってくるシーン。従来のマンガドラえもん、アニメドラえもんでまったく見た記憶がないのだが、光と影のコントラストの描き方がまるでカラヴァッジオだしレンブラントだしドラトゥール。この表現をアニメで描くのはたぶん難しい。
野比家周辺の陽光の変化、気象の変化も劇的に美しく描いていて驚いた。1980年版を見た後で2006年版を見ると、絵がとにかくキレイに感じた。

一番自分を驚かせたのが渡辺監督の脚本。マンガのコマの行間までも書き足してる。従来のドラえもんにはなかった登場人物の心理行動を、唐突なものでなく、論理的に連続性を持たせる努力をしているように感じた。
子ども向けではなく、大人が鑑賞するに耐える作品を作ろうという気概を感じた。

大人たちの質感が大きく変化。のび太ママが家の前で赤ん坊を背負った近所の人(親戚?)と話をしたりしてる。見たことのないシーン。
のび太パパが息子のび太に対して信頼して放任してる優しさが感じられる会話シーンもあった。映画を大人の鑑賞に耐えるには、大人を大人として描く大切さを感じた。
崖を掘り返し土砂を自宅に落下させるのび太を叱りつけたおじさんですら、のび太に麦茶をふるまおうと紳士的になっていたのは驚いた。時代は変わった。

白亜紀シーンになると作画にブレを感じることが多くなった。作画のタッチがシーンごとにあまりに違う。ムラがある。
敵アジトが原作でも1980年版でも密林の中の巨大エレベーターになっていたのになぜ変えた?あのギミックは子どもをわくわくさせれたのに。

あと、濁流でのボートとヘリのチェイスシーンで、ピー助を入れていたランチボックスのような箱を一度落下させ失ったかのように感じたのだが、次の瞬間にのび太の手にあるのはどういうわけだ?
てか、人間に慣れた恐竜が珍しい?タイムマシンで自在に過去と未来を行き来してるやつらは「桃太郎じるしのきびだんご」を持ってないのか?
それになぜあの恐竜闘技場にピー助が?

ジャイアンはあんな義侠心篤いキャラだったっけ?原作だとたいがい酷いが。
海の上にいきなりタイムホール?引きだし?え、もう日本に着いた?江戸から京都に歩くだけで大人でも15日かかるんだぞ。なんだその都合のいいラスト。
恐竜ハンターのボスは実写化するときはトランプ元大統領(友情出演)にしてほしい。

従来のドラえもんファンからは賛否がハッキリと別れているようだが、自分は時代の変化に合わせたドラえもんとして肯定的に見ることができた。自分が今現在の子どもたちに「のび太の恐竜」を見せるとしたら、たぶんこちらを先に見せる。

主題歌はスキマスイッチ「ボクノート」。

2022年9月19日月曜日

福本莉子「しあわせのマスカット」(2021)

「しあわせのマスカット」(2021 BS-TBS)を見る。8月14日に突然BS-TBSで放送された。当日になって慌てて予約録画してチェック。(もしかするとカットがあるかもしれない)

正直、こんな映画があったことをまったく知らなかった。今作が福本莉子の初単独主演映画らしい。岡山ロケで撮影された映画。
製作はBS-TBSでケータイ刑事シリーズという駄作を連発した丹羽多聞アンドリウ。監督は吉田秋生。脚本は清水有生。

岡山県で国内シェア9割を生産するぶどうの女王「マスカット・オブ・アレキサンドリア」を使った和菓子に感動するヒロイン相馬春奈が福本莉子。
なんだか冒頭から落ち着きがない。岡山市の通りで見知らぬ人にどすんとぶつかってる。もっと丁重に謝れ。
お金を落としたか忘れたかして小銭しかないのに高級ぶどうを買おうとするとか、お店の人にとって迷惑でしかない。
しょんぼり少女はマスカット和菓子なら小銭で買える!やった!おばあちゃんのお見舞いに持っていける!北海道から岡山に修学旅行に来ていたという設定だったのか。

祖母を喜ばすことができたことに感動したヒロイン福本莉子は岡山の老舗和菓子製造販売「源吉兆庵」の就職面接に向かうのだがやはり焦ってばかりで遅刻。
だが、長谷川初範社長がいい人。遅刻したからと無下に切り捨てない。面接で祖母との和菓子想い出エピソードを話して社長を泣かして即採用。おっちょこちょいだが常に笑顔。まるで朝ドラ。

研修中にもうっかりおっちょこちょいを発揮。同期たちが小馬鹿にしたように半笑いで嫌味。
店頭販売の現場でも必要以上にテンション高いしトーンが不適切。客も販売主任も困惑。
でも「アンタ、明日から来なくていいわ」とか酷い。適切に指導してないならできなくて当たり前。

連戦連敗ドジっ子シーンが見ていて苦痛。非常識ヒロインもそうだが受け入れるおおらかさのない社員たちも不快。人事部長が見るからに邪悪で下衆野郎。愉快そうに笑うな。なんて嫌な会社なんだ。ほぼパワハラ。
研修の結果、ぶどう農家に派遣。マスカット・オブ・アレキサンドリア生産農家の後継者を育てないと和菓子がつくれなくなってしまう?!

ぶどう農家竹中直人に「頼んでない。帰れ!迷惑」という酷い対応。無理に現場に押しかけてやっぱりドジっ子を発揮。しかもよく喋る。追い出される姿が哀れ。
たぶん近所の農家には虐待してるように映ってる。技能実習生とかもこんな感じだったかもしれない。
作業しながら優しく教えてやれ。何が正しくて何がダメなのか、どうしてそうしなければいけないのか教えてやれ。

こんな酷い目に遭うなら、自分でぶどう栽培して自分で和菓子つくって路上で売るほうがマシ。
岡山県の人はこんなにもよそ者に冷たいのか?この映画は岡山のイメージを悪くしないか?

近所のブドウ農家青年がとても優しくヒロインに接する。かわいいんだからそうなる。
何もわかってないヒロインを諭す。「人の気持ちがわからない人間に美味しいお菓子はつくれないんじゃないか?」もう絶望的に打ちのめされる。
源吉兆庵の社員たちが誰一人優しくない。むしろ嫌味なやつら。
見ていてひたすら気が滅入る。見ていて何も楽しくなかった。面白くなかった。

がんこ竹中は10年前に一人息子を交通事故で亡くしていた。心を閉ざしていた。だからって人に優しくできない理由にならない。
ブドウ栽培は10年で区切り。もうやめようか。そんなとき岡山県を西日本豪雨の災害が襲う。ヒロインは来ないでいいと言われた竹中の農園に駆け付ける。
そういうローカルヒューマンドラマ。なのにどこにも感動できない。
北海道の姉(カーリング選手)役が本仮屋ユイカさん。後半にこの姉と倉敷観光映像もぶっこむ。
岡山にもカーリング場があると知ってふたりでやってみるというシーンがある。ここは唯一の清涼剤のようなシーン。

見かねた姉が「北海道に帰っていっしょにカーリングしよう」
そっちのほうが幸せだろ。明るかった新入社員を暗く落ち込ませる会社なんて辞めろ。お姉さんの優しさに自分が感動w

どこにも「しあわせのマスカット」がなかった。何かもっと面白くなりそうな企画が他になかったのか。脚本がもっとどうにかならなかったのか。ひたすら見ていてイライラした。
感動のドラマにするアイデアも技術を何も持っていないように感じた。箸にも棒にもかからない映画すぎた。

2022年9月18日日曜日

樋口有介「うしろから歩いてくる微笑」(2019)

樋口有介「うしろから歩いてくる微笑」(2019)を創元クライム・クラブ版で読む。
樋口有介は2021年10月に急死したので、柚木草平シリーズは今作がラスト。

自分、手に取ったものから読んでるので、第1作「彼女はたぶん魔法を使う」をまだ読んでいない。しかし、これまで順番バラバラで柚木草平シリーズを読んでとくに困ったことはない。

柚木はいつものように別居中の小学生娘とデート。自分、柚木シリーズがこれで3回目なのだが30年このパターンで年齢も38歳のまま主人公。
そして前回の事件で知り合った東急文化村の裏にあるビル所有者母娘の家で鍋などしていると、鎌倉在住の薬膳研究家・藤野真彩を紹介される。この人はアルバイト医師でもある。

10年前、高校の同級生が失踪した事件を調査してほしい。最近になって鎌倉周辺での目撃情報が増えている。失踪当時は駅周辺で「探してます」というビラも配ったが、事件が風化しそう。
柚木は鎌倉の「探す会」事務局を訪ねて聴き込み開始。
だがその夜、事務局で詳細を尋ねた女性(鎌倉タウン情報誌を編集発行)が何者かによって殺害される。

柚木草平シリーズはどれも毎回主人公中年男性ライターが、なぜか美女たちに構われて、楽しく会話したり酒のつまみを作ったりしながら事件の全体像がわかっていくスタイル。今回も地元警察署の刑事など美女が登場。
展開が遅い。とくに劇的な展開や、驚愕のトリックがあったりするわけでもない。むしろ2時間刑事ドラマとして普通にリアルな展開。樋口有介は警察内部の事情になぜこうも詳しい?

樋口有介には少なくないファンが今もいるのだが、読者のほとんどが「こういうのでいいんだよ」的なワンパターンの安心感を得ているのかもしれない。自分も読んでいて楽。
なかなか展開がなくてイライラもするのだが、サクサク読み進められる。話の本筋と関係なさそうな箇所は読み飛ばすこともできる。

残りページ数が少なくてなってもぜんぜん話の全体像が見えてこなかった。女子高生失踪の理由はそんなに驚くことでもないのだが、このボリュームの社会派ミステリーとして、最低限の驚きの真実ぐらいはある。

樋口有介柚木シリーズは軽妙な会話を盛り込んだ松本清張と言っていいかもしれない。
はたして「うしろから歩いてくる微笑」というタイトルが合っていたかどうか?タイトルを見ても読後に内容をまるで思い出せない。

2022年9月17日土曜日

樋口有介「少女の時間」(2014)

樋口有介「少女の時間」(2014)を東京創元社の創元クライム・クラブ版で読む。

これも元刑事の中年フリーライター柚木草平が未解決事件を追う長編社会派ミステリー。月刊誌編集者からもたらされた2年前の、大森駅近くの神社境内の植え込みの中から16歳女子高生の絞殺死体(強姦未遂の末に殺された?)が見つかった事件を調査。

この作家の本はどれも中年男(離婚した妻と中学生娘あり)の周囲が美女だらけ。女編集者、事件を独自に追う所轄の女刑事、元上司で恋人の警視庁キャリア組美女(人妻)、などなど。それは男の願望。

殺された女子高生が出入りしてたベトナム留学生の支援と交流のNGOに聞き込み。
さらに、その事務所のあるビルオーナー(姉)は若くしてかなり年上の資産家夫を手に入れ悠々自適。さらにその娘がものすごく美人。

女刑事から被害者女子高生は処女でなかったことを知らされる。一見普通の女子高生の裏の顔とはいったい?!(女子高生が死体となって発見されると司法解剖の結果、警察にそういうことまで調べられてしまう。)

調査を開始するタイミングでNGOの1階アジアン雑貨店員が自宅浴槽で事故死。部屋にはマリファナ…。これは事故に見せかけた殺人かもしれない。
事件後地元に帰った被害者女子高生と殺された店員はともに地元が栃木県佐野市?
ベトナム留学生支援組織がなぜか全員女性ばかりなのは偶然?
都庁からの天下り先になってるけど、実はベトナムにおける対韓カウンター工作組織とも関係が?

この作家の作風は中年男と美女たちとの軽妙ユーモア会話で事件のあらましと経過がよくわかるということ。ほぼアガサ・クリスティーのようであるし、ハードボイルドでもある。

2時間ミステリードラマのような正しい娯楽小説。正直なところ推理小説とは言えない。新聞三面記事によく見るようなリアル路線。世の中はこんなにも世知辛い。

最後はどうでもいい酒のつまみの話に終始し真相はふわっと放置。
真相とかどうでもよく、気の利いた男女の会話がメイン。このスタイルで故樋口有介には今も多くの読者がいる。

2022年9月16日金曜日

樋口有介「ピース」(2006)

樋口有介「ピース」を読む。2006年中央公論新社の単行本(書き下ろし)で読む。
BOで樋口有介を物色すると、これが最も目にすることが多い。おそらく一番売れた?
自分は今まで青春ミステリー樋口有介しか読んでない。だがこれは帯を見ると、田舎で起こった連続バラバラ殺人を扱ったミステリーらしい。

群馬出身の樋口有介は上京後に一時期秩父の山の中で暮らしていたらしい。秩父暮らし経験を活かしたのがこの本。
寄居、長瀞、両神で発見されたバラバラ死体という事件。被害者もバラバラ。歯科医、スナックのピアニスト、生コン工場の臨時雇い、それぞれに何も接点がない。ただ、秩父周辺で1か月ごとに発生している。
自分、これまでに何度も秩父方面に出かけたことがあるのでイメージしやすい。

被害者たちがこれまでの自分の思うようにならなかった人生を心の声で独白。そして犯罪に巻き込まれる直前まで描かれる。これは犯人側に動機がない連続殺人か?

そして品のない秩父出身の老刑事。バーの常連客。少年院にいた孤独青年、地元タウン誌記者。それぞれの主観。多くの登場人物たち。やたらこまかい設定。何がどうなってるのやら?

終盤に突然犯人が明かされる。そのサイコパスな動機が空前絶後。そこになんとなく気づけた老刑事のカンのよさがすごい。次の被害者は小学校の先生か?!
人間、どんなことで恨まれるかわからないが、こんなことで殺されたらたまったもんじゃない。

ずっと犯人らしき人物をなんとなく示しているようなのだがそれはミスリード。最後でさらに事件の黒幕的な事物が示される。ちょっと事件の全体像をもやっとぼかす。それはそれで余韻を残すのかもしれないが、これはちょっと無理がある気がする。この老刑事が暇にしても色々と各方面綿密に調査しすぎのような気がする。

オールド・グランド・ダッドというバーボンが老刑事の口を滑らかにする「安い酒」として登場する。これ、自分も最近40度のやつを飲んだことあった。樋口有介はいろいろと庶民的。あまりお行儀のよくなさそうで、お高く留まってない作家で親近感。

社会派刑事ドラマ映画を見ているような感覚。ミステリー小説とはいえない。最後のほうになってかろうじてサスペンスホラー感はした。綿密に推敲を重ねた感じがしない。傑作とまでは言えない。
レビューではわりと酷評してる人が多い。おそらく「鮮やかなどんでんがえし系ミステリー」を期待して読んだ人たちだろうと思う。サスペンス風味のある田舎人間模様を描いた文芸書だと思って読んだ人なら、たぶんそれなりに評価しただろうと思う。

単行本の表紙イラストはこの本の雰囲気を何も伝えていないが、読者に内容を何も予想させないという点では良い。文庫版は読者に想像する余地を与えていて逆に良くない。

2022年9月15日木曜日

黒島結菜「あさイチ プレミアムトーク」生放送に登場

黒島結菜が「あさイチ プレミアムトーク」9月9日金曜朝8:15の生放送に登場した。
冒頭ファーストショットから黒島結菜の最高の笑顔が尊い!

ドラマでの無造作ボサボサで浅黒いヒロインは可愛く見えなかったのかもしれないのだが、ヘアメイクバッチリでスタジオ照明だと美少女感がすごかった。衣装が中世ヨーロッパの宮廷みたい。
あさイチというと朝ドラからそのまま受けて放送に突入するスタイル。毎回博多華丸さんの表情やコメントも注目されていたのだが、ついに「ちむどんどん」ヒロインが直接対峙。世間の注目も高かった。

クランクアップVTRでは「つらい時期もあったけど楽しかった」と涙ながらのコメント。黒島にとってこれほど長くいた現場は今までなかったに違いない。これを見てもドラマと黒島を非難できるやつは心が薄汚れているに違いない。
そして前作「カムカムエヴリバディ」ヒロインだった川栄李奈からVTRコメント。川栄は黒島と朝ドラ2次オーディションで一緒になったりもしたライバルで親友の女優。

川栄によれば黒島はブラウス&スカートというオーディション指定服装があったのにも関わらず、Tシャツ&ジーパンで来ていたという。川栄は強く記憶してるのに黒島はぜんぜん覚えていないという。黒島はそういうとこドライ。
「アシガール」のときも黒島は落ち着いていて、一人ぽつんとしていて、喜怒哀楽を見せることがなかったという。電車に乗るときも一切変装をしていないという。

黒島「ドラマ期間中は散歩してると『あ、ちむどんどん!』『まさかや!』とか言われた」「暢子にひっぱられて人見知りがなくなった。性格が明るくなった気がする。」
今回「ちむどんどん」に臨む黒島結菜の積極性にはマネージャーも驚いたという。これまでどんだけやる気なかったんだ?
VTR2は矢作役の井之脇海。毎日黒島から元気をもらっていたとコメント。
そして父からの手紙。結菜「直接会うと深い話はしない」「謙虚という言葉はよく言われる」

「ちむどんどん」撮影で黒島がとくに演じる難しさを感じたのが4人の恋愛模様だったと言う。ここから和彦こと宮沢氷魚スタジオ登場。華丸「新婚さんいらっしゃいみたい」

4人の恋愛エピソードの撮影がぜんぜん台本の順番通りに撮影されていなかったらしい。それは気持ちが作りづらい。週をまたぐと演出家も違う。毎回リハーサル後に4人で話し合いをしたという。和彦「愛さんには申し訳なかったw」華丸氏のつっこみが強かった。

VTR3は歌子こと上白石萌歌。「三姉妹でお互い秘密やプライベートの話をした」「黒島結菜はけっこうテーブル上のものを食べていた」「帰るのが早いw」「服を着替えるのが速い。支度が速い。」
スタジオゲスト三浦大知が登場。三浦はちむどんどんを毎朝見ていたらしい。主題歌「燦燦」とみんなのうた「新呼吸」をスタジオ歌唱。

ここで再び川栄の証言。「5年前の黒島は学業と仕事の両立ですごく悩んでいた。」
黒島「学校を辞めて仕事一本にしたらすごく落ち着いて、自分を大切にする時間も増えた」

スッキリしたタイミングで黒島が旅行に出かけたのがキューバ。キューバの街のかわいいクルマの写真も紹介。「Wi-Fiがなくてなかなか連絡とれなかった」「デジタルデトックスで身ひとつで行けた」

ここで初めて聞く情報。黒島が一番好きな映画が「マッドマックス 怒りのデス・ロード」
これは世間もざわつく。「映画館で5回ぐらい見た」には大吉華丸両氏も困惑。
黒島「めっちゃ物語がシンプルなのに人間ドラマがある」「女性がかっこよく描かれている大好きな映画」
鈴木アナ「私も見てみたらしばらく食欲をなくしたw」
黒島結菜といったら写真なのだが、最近は撮れていない様子。海外に行けなければ写真を撮る機会もない。「今は島に興味がある。名前も知らない島に行ってみたい。」

Eテレ「テストの花道」でのマッシュ時代の映像も紹介。このころは沖縄から通って仕事をしていた。とても初々しい小動物。まさみの中学生時代のよう。
沖縄を出るときは父は「高校を出てから」という意見だったが、母は後押ししてくれたそうだ。
「東京でひとりで寂しく…なかった!w」「新しい世界を見れる愉しみのほうが大きくて、渋谷とか原宿とか毎日行ってた。1年ぐらいやってたw」 

視聴者からの質問メールには「ここ最近は朝の犬との散歩で空気を感じるときにちむどんどんする。」「昨日寝坊した」「家族三世代で毎年マラソン大会に出ています」
そんなトークをしながら生放送はとつぜん終わる。
あさイチ放送終了後は「きょうの料理」で「比嘉家のオカズでちむどんどん!」でラフテーとサーターアンダーギーの作り方を放送。

「ちむどんどん」は放送開始当初からドラマウォッチャーたちからドラマ文法を無視した酷い駄作だと酷評されていた。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いとばかりに、演出家脚本家を飛び越えて黒島結菜や宮沢氷魚にまでも非難が及ぶという、朝ドラ史上例のない事態。

確かにあのガサツでテキトーで計画性のないヒロイン暢子は今の現実社会ではありえないイラつく存在かもしれない。(そんなにも優等生ヒロインだけ見たいのか)
しかしだからといって黒島結菜がかわいくないだとか、箸の持ち方が汚いだとか、料理人に見えないだとかあげつらい、酷評してるのに細かいところまでしっかりチェックして「#ちむどんどん反省会」とかいうハッシュタグまで入れてツイートしたりしてるのなんなの。
匿名ネットって怖いなって思わざるをえなかった半年間だった。

2022年9月14日水曜日

中公新書1838「物語 チェコの歴史」(2006)

中公新書1838「物語 チェコの歴史 森と高原と古城の国」薩摩秀登(2006)を読む。著者は明大教授らしい。
松本清張「暗い血の旋舞」という本を読んだとき、神聖ローマ帝国、ボヘミア、オーストリア、ハンガリーの歴史がさっぱりわからず困惑した。なのでこの本を開いた。

ローマ帝国が衰退したころ、ドナウ中流のパンノニアにはモンゴル系ともいわれるアヴァール人が遊牧で暮らしていた。アヴァールを退けた東フランク王国の辺境にはスラヴ人が住み着く。ドナウ支流のモラヴァ川流域のモイミール一族が建国したのがモラヴィア王国。800年ごろからキリスト教化。

チェコが歴史に登場するのは9世紀、ビザンツ帝国の都コンスタンチノープルにモラヴィア王国から使者がやってきて司教の派遣を求めてきたとき。皇帝ミカエル三世はテッサロニキ出身の強大コンスタンティヌス(キュリロス、キリル)とメトディオスを派遣。
スラヴ人の言語をラテン文字で表すのは無理がある。このとき誕生した文字がキリル文字とグラゴール文字。
モラヴィアはマジャール人の侵入もあってあっというまに崩壊。

プラハでプシェミスル家が勢力を伸ばす。神聖ローマ皇帝と主従の関係を結んでボヘミアの大公となる。プシェミスル・オタカル2世王の時代にはオーストリア公も兼ねドイツ国王選挙にも出るほどの実力者諸侯となっていた。だが、その他諸侯たちはスイスの無名諸侯ハプスブルク家のルードルフをドイツ王に選ぶ。

プシェミスル・オタカル2世の戦死、ヴァーツラフ3世の暗殺によってプシェミスルの男系が断絶。
ボヘミア人は時のドイツ王ハインリヒ7世(ルクセンブルク家)の息子ヨハン(ヤン)を迎える。ヴァーツラフの娘エリシュカとの間に生まれたのがカレル1世。ドイツ王にして神聖ローマ皇帝カール4世となる。ローマで戴冠しニュルンベルク帝国議会で金印勅書を1356年に制定。以後、ドイツでは諸侯分立する領邦国家が19世紀まで続く。

カール4世はプラハを経済文化の中心都市へと発展させる。このころがチェコの最盛期。
15世紀になるとフス戦争という宗教戦争が始まる。フス派はずっと一大勢力だったのだが、ビーラー・ホラ(白山)の戦い(1620)でチェコからフス派とプロテスタントは一掃される。プラハの広場で27人が処刑。チェコの半分以上で領主を入れ替え。ハプスブルク家が唯一正統な君主。
ちなみにチェコでは融通の利かない役人は窓の外に投げ落とされる伝統がある。

カトリックとプロテスタントの宗教紛争が終わってやっとチェコは平和。モーツァルトがプラハで活躍したのはオーストリアの地方都市としてプラハの最盛期。

この本はチェコ通史でなく全10章で10エピソード。日本ではほとんど知られていない人物たちも取り上げる。19世紀20世紀パートが極端に駆け足でほとんど触れられない。物足りない。
1992年にチェコとスロヴァキアの分離で両国首相が同意したとき、両国民はどちらかというと冷めた否定的雰囲気だったとは知らなかった。

2022年9月13日火曜日

山田杏奈「ジオラマボーイパノラマガール」(2020)

「ジオラマボーイ・パノラマガール GEORAMA BOY PANORAMA GIRL」(2020)を見る。
監督脚本は瀬田なつき。原作は岡崎京子の80年代の連載マンガ。令和になってやっとの映画化。主演は山田杏奈と鈴木仁。制作はオフィス・シロウズ。配給はイオンエンターテイメント。PG12作品。

16歳の夏が終わろうとしてるヒロイン渋谷ハルコ(山田杏奈)は慌てて起きて高校へ向かう。わりとガサツっぽい。家庭が一般的集合住宅。なんか普通の日本の青春映画っぽい。

そして別のメガネ男子高校生ケンイチ(鈴木仁)は試験中に突然学校を辞める宣言して教室を出て行く困った生徒。
ダサ男子に見えた表参道へ出かけてナンパに挑戦。声をかけたのがマユミ(森田望智)。お店でお茶して見つめ合う。そこに男がやってきてボコボコにされる。(なんで?)
自分がよく見る映画だとこういうとき包丁で相手をめった刺しとかにするんだが、何も起こらない。ただ一方的にやられるだけ。

で、ボロボロになって橋を歩いて倒れた男と、ヒロインが出会う。
ここまで見てて何も面白くない。普通過ぎて面白くない。独り言セリフも演出も作為的で不自然。この男子高校生が好きになれそうにない。

そして、山田杏奈がぜんぜん可愛くない。
「ひらいて」のイケてる山田を見た後だと高校生たちがみんなわりと普通。

男子の姉が成海璃子。脈絡なくフザケ出したりする。うるさい。
岡崎京子なので何か特別なものが出てくることを期待してたのだが普通。
そういえばスマホもケータイも出てこない。平成の初め頃?オザケン口ずさんでる。タピオカ飲んでるからやっぱり現代?昭和から令和がごっちゃになってる。

衆人環視の喫茶店で男子高校生をぼこぼこにする男、彼氏を待ってるのに男子高校生にナンパされてお茶しにいく女も異常。まるで何も考えてない。
学生証を拾って届けた制服姿の女子高生にいきなりバケツで水ぶっかける姉が異常すぎる。日本人なのか?
学生証拾っただけで男子の家に出かけて部屋に侵入してしまう女子も異常。
女子高生にクラブイベントのチケットを渡すな!ケンイチがナンパした女を連れてくるかもしれないのに。
路上でゴキブリ見つけてパニックとか唐突。

クラブでひとりのハルコ。そこに森田望智が話しかけ口紅とイヤリングをくれる。最悪な三角関係の邂逅。まるで演出されたような失恋。
ハルコはクラブで出会った若い男とヤケになって夜の渋谷へ。だが、キスされただけで逃げかえる。
いっぽうそのころケンイチはマユミとホテルへ。1万円以上の距離をタクシーで移動とか、なんかバブル時代の感じがする。

あのバカ男と出会わなければハルコは高校を自宅謹慎にならなかった。なんか見てていろいろ腹立ってきた。
山田杏奈パートはリアルな平成の16歳高校生ドラマに思えてきた。

なんか、朝帰りの風景とかあの時代の空気を感じた。90年代前半、バブル時代のスクラップ&ビルド東京。

ハルコのともだちカエデが長身で美人っぽい。調べてみたらスターダストの滝澤エリカという2005年生まれの16歳だ。おそらく映画撮影時は中学生だ。山田杏奈と実年齢は5学年も違うじゃないか。え、またしても百合シーン?
建設中の高層マンションの一室に潜入して遊ぶなんて今の小学生はしないだろうなと思った。

意図のわからないムダ演出ムダ台詞が多いように感じた。映像は良いが脚本が良くないように感じた。
「ひらいて」が素晴らしかったので、こちらはとても凡庸に感じた。どう見たらいいのか困惑した。
だが、見たこと自体は良かったと言える。日本の青春映画は序盤だけ良くて後はひたすら退屈というパターンが多いが、この映画は前半はダメで後半が良かった。

それにしても山田杏奈は女子高生の平均値を演じたら想像以上に素晴らしい球を撃ち返してくる。感心しかない。

2022年9月12日月曜日

山田杏奈「ひらいて」(2021)

「ひらいて」(2021)を見る。原作は綿矢りさの同名小説(新潮文庫)。監督脚本編集は首藤凜。音楽は岩代太郎。制作はテレビマンユニオン。配給はショウゲート。PG12映画。

新藤美雪(芋生悠)は朝一番に登校する目立たず暗い生徒。儚げ。糖尿病を患っている。いきなり校舎の裏でぶっ倒れてたりする。(ロケ地が足利西高校だ)
そんな新藤さんを助けるのが木村愛(山田杏奈)。口移しでジュースを飲ませる。

ヒロイン木村さんは同級生西村たとえ(作間龍斗)に恋心。授業に集中してないけど、西村が朗読すれば注目し耳を傾ける。わざとゴミをぶちまけて話をするきっかけをつかむ。
なんか腹黒小悪魔っぽい。山田杏奈はそういうキャラがすごく合ってる。

なんか登場人物がみんな物静か。優秀な生徒らしい。
ヒロインは大学進学のために塾通い。かと思えば男女で深夜の学校に潜入するなど羽目を外す。忘れ物を取りに教室に侵入と称して西村に関する情報を収集するスパイ。綿矢の高校時代もこんな感じだったのか。
多田という男子から告白されるけど「好きな人いるから」と断る。

じつは新藤さんは西村に手紙を書き送ってた。ふたりはそういう関係?
木村さんはひっそり目立たないように行動する新藤さんに接近していく。人目を避けて腹にインシュリン注射してる姿を目撃。

新藤から西村への私信を盗み読むうちに新藤さんを観察するようになる。親しく振舞って接近していく。なんで?
ちょっと待て。健康な人にインシュリン注射していいのか?
木村は新藤とふたり映画を見に行って質問してみる。「どんな人とつきあってるの?」「西村たとえくん」
木村は自然を装って西村くんとの関係を根掘り葉掘り聞いてみる。「で、どこまでしてるの?」と言って木村は新藤にキス。なんだこの女。これは戸惑うしかないわ。

三者面談で西村の父親(萩原聖人)を廊下で見かけるのだが、この父親が見た瞬間にヘンな人だとわかる。木村はそこもすかさず鋭い目で観察。

木村は文化祭準備のために西村とふたりきりになるように図る。自然を装ってやはり新藤と西村の関係に探りを入れる。そしてしれっと自分も好きだったと告白。新藤も西村もダメージ負ってるみたいで見ててつらいわ。

西村は木村に疑い。木村はキレる。「西村くんは壁を作って他人を見下してる!二人の世界で引きこもってたらいい!」と捨て台詞。なんだこの女。怖いわ。

文化祭のダンス練習も投げやり。推薦で大学が決まると勉強も投げやり。もうめちゃくちゃ態度悪い。
え、新藤さんは木村が自分のことを好きだと勘違い?
てか、木村さんてそういう人?ほぼ痴女。見ていて混乱。木村は新藤さんの部屋で新藤を強引に押し倒す。まったく予想してなかった百合シーンがめちゃくちゃエロい。嫌なら嫌だと強く拒めよ。

やっぱり木村の目的は西村だったのか。優秀だった高校生が自己の欲望のままに行動していく。周囲は困惑するしかない。
西村も反撃しろよ!と思ってたら、西村は冷たく辛辣な言葉を投げかける。西村と新藤の固い絆には入り込めない。木村はイライラして精神崩壊。
けだるそうな山田杏奈が「ミスミソウ」を思い出させる感じで狂ってて惹かれる。西村の毒親父を睨みつける顔が美しい。ほぼ主演女優賞級。山田杏奈の代表作と言っていい。オススメする。

主題歌は大森靖子「ひらいて」(avex trax)

2022年9月11日日曜日

新田次郎「孤高の人」(昭和44年)

新田次郎「孤高の人」(昭和44年)を新潮文庫上下巻で読む。わりと状態の良い新潮文庫版(昭和47年)の平成19年第63刷を各110円で見つけたので確保しておいたもの。

昭和初期、不世出のサラリーマン登山家・加藤文太郎(1905-1936)の青春と死を描いた山岳ロマン小説。「山と渓谷」誌に連載されたもの。

日本海に面した美方郡浜坂町に生れ、15歳より神戸へ移り神港造船所の技術研修生として給金をもらいながら勉学に励む加藤文太郎少年は怖ろしく足が速い。日曜になると神戸の高取山に下駄で登る。

第一次大戦後の不況、そして関東大震災。仲間の脱落と結核による死。馘首に怯え、「主義者」の勧誘、陰湿な教官に不安を感じながら技師を目指して勉強の毎日。途中で無口で孤独を愛する。いつも単独行動。
そんな加藤文太郎を陰ながら観察していた優しいサラリーマン指導教官がいた。外山教官の目に留まる。この人が登山愛好家。加藤を登山に誘う。だが加藤はそっけなく断る。

主義者の検挙で刑事が加藤のところにもやってくる。主義者の勉強会に強引に誘われ2回行ったことを密告したやつがいる。陰湿な教官影村も冷たい目で嘲笑う。警察署の取調室で殴られる。こういうの想像しただけでしんどい。

やっと研修生を卒業し給金を得るようになると休暇を取って単独で山に登る。夏は信州上高地へ。燕岳、槍ヶ岳などの頂を異常なスピードで踏破していく。貧弱な装備でありながら準備と計画はしっかりしてる。だが、山の気象に詳しくないために冷たい雨と風に打たれる。
3千mの世界に魅せられた加藤はヒマラヤへの夢を抱く。同僚たちが酒宴に金を浪費するのを冷めた目で見る。周囲は加藤を変わり者を見るような目で見る。
文太郎は東京の登山家たちにも異常な健脚ぶりが目撃されその名を知られるようになる。

冬になると、八ヶ岳山麓で寒さに慣れるために鍛錬と、自分なりの工夫と実験で知識を得ていく。
雪の中で寝ても死なないだろうか?極端な断食などセルフ人体実験で自分の能力に自信をつけていく。
意外だったのが冬山で出会った他の山岳パーティーたちが単独で近づいて来る加藤を無視したりなんだかギスギス感じ悪い。昭和初期の登山家はこんな感じだったのか。あまり愛想もないから冬山へ行くのか。

だが加藤自身が口下手無口でコミュ障。無意味で不気味な微笑で相手にむしろ反感嫌悪を抱かせる。結果、人恋しいのに単独で冬山という、山を知ってる者からすると無謀に見えるチャレンジを繰り返す。
神戸から日本海の実家まで歩いて帰るなどいろいろなチャレンジをしてるうちに、厳冬期の富山から北アルプスを越え長野県大町へ出るというさらに無謀な計画を実行。慎重なのか命知らずなのか?
吹雪の中10日間もかかって電力会社の駐在所に到着。気づいたら加藤は遭難した?とニュースになっていた。神戸に帰り着いたら新聞記者に囲まれる…というところで上巻終了。

そして下巻。有名人になった加藤には講演の依頼や押しかけてくる弟子の少年も。立木海軍技官や会社役員たちから気に入られ、大卒でも数年かかる技師に昇進。雪洞で粉雪が吹き込んでくるのを見て思いついた噴射弁アイデアも会社に採用などサラリーマンとして順風。そして事務員の女がモーションかけてくるようになる…。
かつて自分を特高警察に売った陰湿教官だった影村もやたら自分を買ってくれるようになった。加藤のアイデアで新設された第三課の課長になる影村は加藤を自分の課に移動させようとする。もう以前のように山に行けないかも…。

陰湿なのに上手く上層部の偉い人に取り入って立ち回る影山は自身が関係を持った女事務員を加藤に押し付けてくる。強引に結婚を取り持とうとしてくる。これがかなりのストレスだし、結果的に加藤をさらに人間不信にさせる。(この陰湿上司は加藤と15年に渡る付き合いの宿痾。しかも加藤の最期となる山行きの原因もつくる)

加藤は故郷浜坂で淡い恋を抱いていた花子との縁談が進む。加藤は30歳で結婚。職場では加藤は変わったと評判。無口でコミュ力ゼロだった加藤が同僚たちと会話するようになる。

加藤の冬山単独登山弟子の宮村がいつのまにか、かつて加藤も好きになりかかった園子に熱を入れてしまう。加藤の横須賀出張中の宮村と園子のハイキングの末に二人は関係を持つ。昭和初期のモダンガール園子(魔性)に童貞宮村はいいように弄ばれる。そしてフラれる。園子は金川(かつて主義者の面影なしのヤクザ)と満洲へ渡る。

結婚し子どももできて順風満帆な加藤。だが宮村が自暴自棄で心配。宮村の父からもお願いされ、単独行主義を頑なに貫いてきた加藤はついに宮村とザイルパートナーとなり北鎌尾根へ向かう。新妻と赤ん坊を残して。

宮村がハリキリバカなだけならまだよかった。現地でたまたま出会った神戸山岳会(年長だが技術体力で劣る)の2人もパーティーに巻き込む。
吹雪と食料、燃料が不足する事態になっても自分を曲げないし意志を押し通す。冬山において最悪な存在。加藤はパーティー登山初体験で何も言えない。
結果、雪崩に巻き込まれた加藤は宮村の面倒見ながら雪原をさ迷い歩く羽目に。宮村に自分のペースを完全に乱された。超人的な体力を持ってしても疲労凍死。
こういうバカと行動を共にしてはいけないという教訓。(小屋に残してきた2人はどうなった?)

下巻はずっと男女の話が続いて「なんだかなあ」と思ってたら、冬季の富士山に登ってコミュ障を発動してしまう加藤エピソードも挿入。
新田次郎は富士山測候所勤務時代に加藤と一度会っているらしい。さらに花子未亡人にも直接会って取材。外山のモデルとなった上司にも取材。

昭和初期サラリーマン登山家の日々を描いた小説。日常と職場風景が多い。わりとサクサクページをめくれる本ではあったのだが退屈に感じる部分が長かった。結末を知ってるだけに終盤は長く感じた。

2022年9月10日土曜日

宮崎駿「天空の城 ラピュタ」(1986)

宮崎駿「天空の城 ラピュタ」(1986)はもう何度も何度も地上波(金ロー)でやってて自分も何度か見たことあったけど、後半しか見てなかったりで、子どもの頃に見て以来いちども見通してなかった。2022年8月12日の放送でほんとに久しぶりに、たぶん20年ぶりぐらいで見た。しっかり見た。

もうラピュタは宮崎駿を代表するマスターピースという扱い。公開当時はまだまだ長編アニメ映画はこどもが見るものという扱いで興行的には苦戦。時代は変わる。

ストーリーは宮崎駿オリジナル。近未来世界観と19世紀末を融合したSF。
だが、主人公パズーの労働者少年とその周辺の風景世界はイギリスで言ったらエドワード7世時代っぽいなと今回初めて感じた。

自分、「ラピュタ」を初めて見たときはしばらくぼーっとしてしまった。それまでまったく見たことのないレベルのまったく新しい世界観の大冒険活劇だったから。とくに雲の向こう側に空中都市が出現したときの興奮といったらなかった。
  • まず飛行艇を海賊が襲撃というアクションで始まるつかみが良い。
  • 捕らわれの少女というモチーフは欧州の伝統。クラリスもそう。
  • オープニングの音楽とタイトルバック映像が良い。
  • さらに少年の日常に空から女の子が降ってくる…という話のつかみが良い。重力の表現が良い。
  • パズーの朝のトランペット独奏が良い。夜明けとともに始まる今後の展開に期待が高まる。トランペットが吹けたらまずこの曲から練習したい。
  • 鳩のエサやりシーンすらもセル画アニメとして天才の所業。
  • 羽ばたき模型飛行機を自分も昔作ったことある。あれ、また欲しい。
  • 海賊と親方の筋肉バトルとか時代を感じた。
  • メカアクション第2弾の鉄道シーンも神の所業。ガールズパンツァーに与えた影響も絶大。
  • 海賊ババアのドーラが現代の50代とはまるで違う。イタリア南部やバルカンの農婦のような老け込み方。この人が序盤はすごく嫌w
  • 崩壊した木造の鉄道橋とか再建にどれだけ手間がかかるんだ。むやみに火砲を撃つな。
  • 久石譲のBGMも素晴らしい。昔サントラ持ってたはずなのだがとっくの昔になくなった。
  • こどもにも暴力ふるう秘密警察と軍が極悪。
  • 捕らえられたパズーのシーンでも未来少年コナンぽい要素。
  • 悪人ムスカのキャラ造形がとても良い。レプカ局長、カリオストロ伯爵、そしてムスカ。この3人が宮崎アニメの3大悪人。なぜかみんな小さな女の子に執着。
  • それにロボット兵のデザインが良い。ルパン三世にも登場したラムダを踏襲。
  • 思い出した呪文をつぶやいてしまってからのロボット兵の暴れっぷりが未知すぎて恐怖。動力源は一体何なんだ?
  • すり抜けながらかっさらうシーンも神の所業。完璧なタイミング。
  • ラピュタに上陸してからはひたすら陶酔と興奮。
  • 捕らわれたドーラたちに接近するべく構造物の下側からよじ登るパズー。ボロボロと石が崩れるシーンはシータと同じようにビビリまくった。
  • ムスカの名場面名セリフ。
  • 逃げてー!のシーンが子どものころホントに怖かった。兵士にはなりたくないものだ。
  • そしてバルス。自分もここぞというときに滅びの呪文を唱えたい。
映画公開から36年経っても人気作。今やドローン兵器が実現してる。さらにもう30年経つとロボット兵器も実現してしまいそう。
だが、人類は未だに重力をコントロールする方法は何もつかめていない。

2022年9月9日金曜日

岩波ジュニア新書「王様でたどるイギリス史」(2017)

岩波ジュニア新書「王様でたどるイギリス史」池上俊一(2017)をきまぐれで手に取ったので読む。これまで英国歴史本とシェイクスピアを数冊読んでやっと英国史がイメージできるようになってきた。

この本は英国史を王位継承を中心に語る。1066年のノルマンコンクエストに始まるノルマン朝の初代ウィリアム1世征服王から開始。(その前のアルフレッド大王とかエルドレッド無思慮王とかクヌートとかウェセックスの王たちはほんのちょっとしか触れていない)

今回、結論から言って、この本はとても面白かったしコンパクトにまとまってたしとてもわかりやすくてためになった。中学生には難しいが高校生にはつよくオススメしたい。ジュニア新書とはいっても大人であっても読みごたえ十分。

高校1年生のとき世界史でノルマン朝やプランタジネット朝、ランカスター朝とかヨーク朝とか、すべての王を覚えることはとても無理だなと思っていた。
だがこの本を読んだことで、今の自分はイングランドの、大英帝国のすべての王を、時間をもらえればすべて順番にそらんじることができる自信がある。(思ってたより歴代英国国王は多くなかった)

歴代英国国王はノルマン朝から初期プランタジネット朝までほぼフランス人。英国本土に住んでなかったし英語ができなかった。
英語という言語もアングロサクソン語とノルウェー北欧諸語とフランス語が交じり合って誕生した言語。
18世紀のハノーファー選帝侯ジョージを国王に迎え入れてからジョージ1世、ジョージ2世とドイツ語しかできない王が続く。そして現在まで英国国王はほぼドイツ人。

ヴィクトリア女王の夫アルバート公(ヴィクトリアの従兄)はザクセン・コーブルク・ゴータ家なので、後(第一次大戦時)にウィンザー朝と改められる以前は「サクス・コーバーグ・ゴータ朝」と呼ばれていたことを初めて知った。

国王だけでなく英国の内政と国民の意識や生活の変化なんかも学べる。ピューリタン革命のクロムウェルが国民に課した質素倹約に反抗した人々がパブを生み、食事に興味と関心を持たない風潮がフィッシュアンドチップスで満足する国民性を生んだ?

チャリティーやフィランスロピがジョージ3世時代から英国で盛り上がる。産業革命は農民を都市に流入させ貧困を生んだ。なんとかしないといけないと考える上流階級やブルジョア市民がいた。彼らは働いてないので、労働者階級に罰を与えてでも働かせる必要があった?!(今の日本も労働者は給料や待遇に不満を言わず働け!こどもを産め!と言われてるのと同じだなと思った)

英国ジェントルマンがパブリックスクールで画一的につくられたエリート。家族の絆は薄いが社交クラブで仲間内で群れたがる。リーダーの指示は絶対。そして功利主義的。
そもそも英国国王は軍人であることも求められた。英国人は争いを好むし粗暴。
わりと英国人をディスってる内容も多かった。

あと英国と日本は島国という点で似ていると感じることが多いのだが、マグナカルタが1215年、御成敗式目が1232年。英国も日本も12世紀13世紀が面白い。14世紀の英仏百年戦争や薔薇戦争ももっと詳しく知りたい。

PS. 未明にエリザベス女王崩御のニュース速報が入った。あぁ、今年は時代が変わったと感じる訃報を多く聞く。

2022年9月8日木曜日

シリーズ深読み読書会「犬神家の一族」

シリーズ深読み読書会 横溝正史の大ベストセラー「犬神家の一族」(2016年11月18日にBSプレミアムで放送)が今年9月4日に再放送されてようやく見ることができた。じっくり見た。50分があっという間だった。

横溝正史作品で最も有名な「犬神家の一族」(1950)を、綾辻行人道尾秀介関川夏央橋本麻里(美術ライター)、そして音楽会屈指の横溝オタのシンガーソングライター安藤裕子の5人が深読み座談会。
関川氏と橋本氏は「中学生のとき読んだことある気がする」というほぼ初読。橋本氏は「近代の日本を書いた小説」だったと発見。
この番組、完全ネタバレを含むどっぷりディープ作品解説。おそらく映画も本も見ていることが前提。

横溝正史は戦争中作品の発表ができなかった。探偵小説は敵国文学だった。「鬼火」(1935)は発禁処分。それだけでもう戦争を激しく嫌悪する理由。
「私はどんな意味でも戦争協力を強いられるようなことがあった場合、一家五人無理心中をやってのけようと、毒物を用意していたような男だ。」というぐらいに戦争を憎む。
少年飛行兵になりたいと言った息子に激怒。「軍隊に入れないようにお前の指を切り落とす」という激しい気性の持ち主。若い頃から英米文学を読みふけっていた横溝はこの時代の人にしてはかなり進歩した人。

横溝はトリックをメインにストーリーを考える。だが「犬神家」はまずキャラクター設定から考えてストーリーを組み立てている。
それまでの金田一シリーズよりは見切り発車ならではのゆるさがある。そこがむしろ物語に奥行きを与えた。
さらに、戦後の財閥解体と民法改正という時代の変化も舞台設定に盛り込んだ。
原作では犬神家の相続権を示す「三種の神器」家宝「斧、琴、菊」は金メッキという設定?!そこには天皇制批判も秘められている?!仰々しさと空虚さ。

犬神家のモデルは長野県諏訪市の片倉財閥(製糸業)。横溝正史は戦前に結核療養のために家族で住んでいた思い出の地。

番組は片倉家5代目当主に「犬神家」を初めて読ませてみた。
当主「まさかウチのことが書かれてるとは思わなかった」「信州の生糸王と書いてある。そして二代目が佐一。そうなるとやっぱり片倉家。」「遺産相続争いも結構だけど、殺人が多すぎるんじゃねぇかと。ウチの先祖にはそういう人いないし。」「もうちょっとスマートに書いてくれたら」と驚きつつ不満げ。
5代目がわりとべらんめえ口調。今までまったく「犬神家」を読んだことがなかったことに驚いた。だが、上流階級エリートは大衆探偵小説なんぞ読まなかったのかもしれない。
市川崑の映画ではまったくスルーされているのだが、スケキヨが逆さになって湖に刺さってるその意味は、スケキヨ→ヨキケスという見立て。
ここ、自分はあんまり好きじゃないのだが、座談会参加の先生方がみんな褒めていた。綾辻「途中で思いついたんじゃないか」と。

「犬神家」の新鮮さは、殺人を犯す犯人と事後従犯が意思疎通してない別人だという事。殺人犯は突発的に後先考えずに殺してしまい、死体発見時に犬神家への恨みメッセージを込めたかのように死体に意味を持たせている。このことが女の単独犯行説を排除したりアリバイになってしまった。これは当時はまったく新しい要素。

高校生のとき読んだ自分としては、不思議な母の行動が納得いかなかった。無為無策だしアホすぎないか?母の子どもへの愛は盲目と言われても…。
え、ヨキケスの逆さ死体を考えたのは松子夫人だったのか?!

あと、復員してきたら静馬が自分に成りすまして実家に潜入してることを知ったからと言って、不審な動きをすれば目立つ状況で、佐清が静馬に適切なタイミングで接触できるかどうか。
美術ライターの橋本麻里氏は、「犬神家の一族」における野々宮大弐神官の妻晴代と犬神佐兵衛との不義密通で生まれた娘祝子の娘珠世という構図が、「源氏物語」における藤壺女御と光源の不義によって生まれた皇子という構図と同じであると指摘。この新説には座談会参加の先生方も感心。
「佐兵衛を光源氏に見立てると、祝福された愛情の通う存在には美しい輝きが与えられた表現が見られる。」その一方で呪わしい状況や人には輝きが与えられない。そこを横溝は明確に区別していた!
橋本麻里って調べてみたら高橋源一郎の娘なの?!

安藤裕子は犬神家の家系図と横溝家の家系図との共通点を指摘。実の母の顔を知らない横溝正史は母を思慕し、父を憎むオイディプスコンプレックスが作品に強く影響。母と子の愛情は絶対。

綾辻先生によれば「犬神家」は発表当時それほど評判がよくなかったらしい。
関川先生「犬神家を書いた直後から横溝正史は25年近く忘れられていた。映画化された1976年ごろになって、戦後戦前を見直す空気がようやくやってきた」
横溝は時代を先取りしてた。晩年になってようやく大ブームが来て本が売れたのはよかった。
佐清はひょっとして事件に関与(死体損壊と証拠隠滅、犯人隠避)したことで相続人の資格を失った?
でも珠世が莫大な財産を相続したのなら出所したときなんとかなるか。

野々宮珠世をやれそうな20代前半女優が思い浮かばない。強いて挙げるなら浜辺みなみしかいないかな。西野ななせでもなんとかいけそう。自分としては「ラストフレンズ」のころのまさみがベスト。(牧瀬里穂が珠世、西島秀俊が佐清をやった片岡鶴太郎版が見たいのだが、ぜんぜん再放送してくれない)

この番組を見た翌日、BOで角川文庫「犬神家の一族」を見つけて買ってきた。16歳ごろに読んで以来、ようやく読み返す。

今年の夏、市川崑「犬神家」で野々宮珠世を演じた島田陽子さんと、金田一耕助がはまり役だった古谷一行さんが相次いで亡くなったのは悲しかった。

2022年9月7日水曜日

篠田節子「Xωρα(ホーラ) -死都-」(2008)

篠田節子「Xωρα(ホーラ) -死都-」(2008 文芸春秋社)を読む。2006年にオール読物(2月から9月)に連載されたものの単行本化。

とくに読みたいという本でもなかったのだが、これも数年前に図書館で役目を終えた廃棄リサイクル無償配布本としてそこにあったので、いずれ読むかもしれないと持ち帰って積まれていた本。
自分はどちらかというと、読みたい作家の本を選んで読むというよりも、そこにある本を手当たりしだいに読むというスタイル。

篠田節子(1955-)という作家が世間的にどれぐらいの人気があるのかはまったくわからない。好きな作家として名前があがることはあまりない気がする。自分も今回この作家の本を初めて読む。東京学芸大卒業後に八王子市役所に勤務して作家になった人らしい。

オビに「妖しくも美しいゴシック・ホラー」と銘打ってある。30代初めに出会ってW不倫を継続し40代半ばに差し掛かった男女。女はヴァイオリニスト。男は建築家で遺跡保存の専門家大学講師。
終わりを意識し始めてヨーロッパを旅行。女はヘッド部に女性の顔が掘られたヴァイオリンを男からプレゼントされ困惑。

エーゲ海の小島に着く。老婆からいきなり「そのヴァイオリンは悪魔が憑いてるから燃やして棄てろ!」と言われる。
修道院に行こうと思ったら廃墟の教会に行き着き幻覚を見る。そこは島の人々から「ホーラ」と呼ばれる不吉な場所だった。
その直後に男はレンタカーで交通事故と体調不良。そして女は幻覚、幻聴、スティグマ。
ここまではたしかにゴシックホラーな展開だった。

男の容態が悪化して島の診療所からアテネに搬送しようにもエーゲ海が荒れていて船がでない。女は夫人ではない。飛行機の手配などで保険会社と電話。なんだかブラピ主演の「バベル」という映画を想い出す。
不倫という業からくる心理的圧迫。このへんは漱石の「道草」のようでもある。

さらに、島の人々からさまざまな島の来歴を聴く。ビザンツ帝国、ギリシア正教、オスマントルコ、ヴェネツィア、数多くの異邦人がやってきた街ホーラのこと。

悪魔?を具現したかのような男が幻覚として見えたりする。映像作品としてのホラーぽさもある。
しかし、読んでいてホラーだと感じない。中年にさしかかった女性の不倫と旅情と内面とギリシャ歴史ロマン文芸という感じだった。それほど評判を聞かない一冊ではあったのだが、自分としてはそれなりに楽しめた。

2022年9月6日火曜日

西野七瀬「あなたの番です 劇場版」(2021)

人気テレビドラマのスピンオフ映画「あなたの番です 劇場版」(2021 東宝)を見る。
監督はテレビと同じく佐久間紀佳。脚本は福原充則。原案の秋元康がどこまで制作に口を出してるのか不明。

テレビドラマ版はあんまりしっかり見てなかった。西野七瀬めあてで見たので、終盤の西野大活躍パートしか見ていない。なのでアパート住人たちのキャラ設定がよくわかっていない。まったく知らない登場人物もいる。

とある集合住宅の住民たちの間で起こった交換殺人。劇場版では主人公の田中圭と原田知世が結婚披露宴を行うクルージング旅客船で恐ろしい連続殺人が起こって…というストーリー。

日本映画の娯楽作はたいていこんなキャスト全員をギュッと集めたデザインとビジュアルになってしまう。もうこれが決定的にダサイ。それがわかってる映画関係者もいるはずだ。なのにいつまでたってもやめられない。なんで?
こちらの西野と横浜のビジュアルが良い。映画の内容も実質、黒島西野が中心。

予告編でも強調されていたのだが、ドラマのファンに向けたアフターファンサービス二次会映画。ドラマと同じキャストとキャラ設定で、別脚本で別の世界が展開。

クセの強い登場人物たちが、ありえないテンションで大げさ演技をする。大げさに驚く。たぶんそれがウケたんだろうと。(だからこそ西野七瀬が浮いていた。)

まず結論から言うと、単品のサスペンスミステリー映画としてはとても退屈だった。予想していたよりもつまらなかった。
そもそも同じマンションの住人だけでクルージング披露宴という設定が異常。ありえんだろ。住人もなぜそんなものにつきあう?
劇場公開作として耐えがたいツッコミたい箇所が多いのだが、ここで触れようと思わない。

西野七瀬演じる黒島ちゃんのはかなげさがとても良い。体型がうすっぺらくて華奢で男はみんな守ってあげたくなる。とにかく可愛らしい。なのに冷たい印象も受ける。この子を守るためなら死ねる。そういう雰囲気を持ってる稀有な存在。それが西野。
西野七瀬が部屋のドアを開けると炎に包まれた火だるま男が飛び出すのだが、このシーンの西野の顔が面白くなってしまっている。自分が監督なら撮り直したい。

田中圭演じる主人公が猪突猛進でバカみたいなテンションでうるさいw
横浜流星みたく自分もめんどくさい奴は側頭部にハイキックかましてKOしたい。
奈緒がただただ変態女で見ていて怖い。
木村多江さんは海でバタフライして視聴者を笑わせるために登場。
ラーメン片桐が海水ホースで吹き飛ばされるというギャグシーンがなぜ必要なのかわからない。

そもそも最初に殺された竹中直人の扱いが雑。説明もない。
浅香航大はサイコパス刑事の第一人者となりつつある。
なんでクルーズ客船が巨大サメを引き揚げてる?このシーンは客を笑かしにかかってる。
警察も乗り込んで警戒してるのに、犯人はどうやってあんな高い場所に死体を縛り付けた?(犯人の立場ならできなくないが、誰かに見られるリスクを冒してやる必要は感じられない)
田中圭もバカだが原田知世も最後でバカ。
あの謎液体マーキングは一番怪しいヤツに一番に一発ぶちかませばいいだろ。
和田聰宏さんがすごい不正アクセステクニックを持っていて笑った。
大友花恋がまったく見せ場もなくて目立ってない。
視聴者はあんなくだらないラブストーリーとか求めてない。終盤ダラダラ長くて退屈。

結果、見ていてつまらなかった。スマホいじりだすレベル。

肩出し西野が見れたので良しとしたいところだが、それでもやっぱり劇場公開作映画のクオリティ―にない。SPドラマでよかった。この作品が日本の人気作として海外で紹介されたら恥ずかしい。でもまあ、鮫シーンで「そうゆう映画」だとわかってくれればいいが。

自分、西野七瀬がこんなに好きになるとは思わなかった。それぐらい「あな番の黒島ちゃん」は可愛らしいし魅力的。あまり感情がなさそうな感じに西野がすごく合ってた。

この世には映像化を待っているミステリー作品がまだまだ無限にある。もっとしっかりした内容のあるミステリー作品でヒロインをやってほしい。なんなら探偵をやってほしい。日本映画に不可欠なスターになってほしい。
主題歌はAimer「ONE AND LAST」。この曲のMVは西野PVになっている注目作。