2022年9月21日水曜日

三島由紀夫「獣の戯れ」(昭和36年)

三島由紀夫「獣の戯れ」(昭和36年)を新潮文庫(平成16年51刷)で読む。週刊新潮昭和36年6月12日号から9月4日号まで全13回連載されたもの。

もう冒頭から何やらいたましい事件が起こったことが示される。そして登場人物が刑務所にいるらしいことも示される。もう最初から注意して読まないとわからない文体。ちょっと立ち止まって考えないと意味のわからない装飾がされている。三島由紀夫らしい。
曖昧でぼんやりした全体像が読んでいくうちにだんだん明かされる。なのでここでそれほど詳しく書く気にならない。

著述家として数冊の本を書いたあとに銀座の贈答用西洋陶器を扱う店を親から引き継いだ40歳の草門逸平は、自身が卒業した大学の学生幸二をバイトに雇う。
幸二は思う。逸平の妻の優子が美しい。

俗物で遊び人の逸平は愛人を囲ってる。妻は気にしてない様子だが、実は興信所を使って相手の女のことを調べていた。夫と女は火曜日に逢っている。
優子に恋心の幸二は同伴して逸平が女といるアパートへ。その前になぜか病院でたまたまそこに落ちていた黒いスパナを拾う。優子を傷つけた逸平をこのスパナで滅多打ち。結果、2年刑務所へ。

身寄りのない幸二は西伊豆の漁村にある優子の経営する花の温室で働く。元漁師の老園丁と一緒に。
半身不随で失語症となった逸平と3人で奇妙な暮らし。村の人々は幸二が前科者なことを知ってる様子。もうこの時点で不穏。夏のじっとり汗をかく暑さが伝わってくる。

漁村の人々、花、滝見物、台風、蚊帳、浜松の楽器工場で働く女工、自衛隊員、ウクレレ、寺の住職、いろんなエピソードが意味ありげに語られた後、最悪なことが起きる直前で作者は語ることを止める。(愛の渇き、午後の曳航でもラストは最悪な事態が起こるのだが多くを語らないスタイル)

最終章ではなぜかまったく事件と関係ない部外者の、民俗学を研究する大学生主観になる。
この漁村で吟唱の採取フィールドワーク。寺の住職と親しくなり、たまたま2年前にこの村であった殺人事件のことを知る。3人の写真を見せてもらう。そしてそこには3つの墓が並んでいる…。

加害者と被害者、そして女。三角関係のようであるが逸平は言葉を理解できなくなってる廃人。この3人の関係はとても短く簡単に説明できるようなものではない。三島の精巧な筆致でなければ描けない。

わかったようなわからないような映画を見終わった感覚。36歳の三島が書いた難解な小説。とくに幸二の足元にスパナが現れるあたりの表現とか独特だし天才的。抗えないなにかに引きずり込まれて行くようでもある。

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