フランツ・カフカ(Franz Kafka 1883-1924)の「変身 Die Verwandlung」(1915)を読む。高橋義孝訳の昭和27年新潮文庫(平成9年83刷)版で読む。
これ、高校1年ぐらいの時に読んでみたことがあったけど、10Pほど読んでいたたまれなくなって止めたことがある。時空を超え、今になってようやく全て読んだ。といっても文庫でわずか97ページ。長編とは言えない。
フランツ・カフカはよくチェコスロバキア出身と書かれていたりするのだが、1883年生まれなので、オーストリア=ハンガリー帝国のボヘミア地方プラハ出身というのが正しい。チェコスロバキアが誕生したのは第一次大戦後。
父ヘルマンはチェコ系ユダヤ人、母ユーリエはドイツ系ユダヤ人。カフカの作品はドイツ語で書かれている。
フランツは小学生からギムナジウムでドイツ語で教育を受けたドイツ語を話すユダヤ人。プラハ大学で法学を学んで法学博士というエリートなのだが就職に苦労。保険会社で仕事をしながら小説を書く。41歳で咽頭結核(?)で死去。
「ある朝、グレーゴル・ザムザは何か気がかりな夢から目をさますと、自分が寝床の中で一匹の巨大な虫に変わっているのを発見した。」という、日本人も誰もが知ってる有名な書き出しで始まる。
後は、哀れにも虫に変身してしまった青年主観の独白。
これ、やっぱり今読んでも嫌な気分。「虫」が一体何を表しているのか?そういう高尚なものは研究者に任せておきたい。ただ、家族を自宅で介護している人や本人はこの小説を読むことはいたたまれないだろうと思う。
平易な文体で誰でもイメージしやすいのだが、主人公が変身した「虫」イメージは人それぞれだろうと思う。かなりリアルに想像してしまうとやばい。
これ、グレーゴルくんの主観だと思ってたけど、なぜか途中からザムザ家の人々を、空中に浮かぶカメラで主観的に撮っているかのように変化していく。グレーゴルくんによる家族(父、母、妹、家政婦、上司、客)たちへの鋭い観察がだんだん少なくなって客観的になっていく。なぜなら主人公が死んでしまうから。
グレーゴルが死ぬと家族は何やら新たな希望を抱いて一家三人で出かけて行く。ま、家に巨大な虫の死骸があったところで、ちょっとは騒ぎになるかもしれないけど犯罪ではない。虫に変身して死んでしまった兄の記憶は残るけど、その家族は案外べつの場所で楽しく暮らしていくんだろうな…という終わり方。なんでこうなった?!
100年経っても新しい小説ではある。頭痛がすると目の裏で歯車がギリギリ回っていた芥川、バビナール中毒だった太宰なんかを読んでいる日本人青年にはきっとカフカも響くだろうと思われる。
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