「ドライブ・マイ・カー」(2021)をやっと見る。監督は濱口竜介。脚本は同監督と大江崇允。主演は西島秀俊。配給はビターズ・エンド。PG12。
村上春樹の同名小説である「ドライブ・マイ・カー」とその登場キャラを踏襲して新に作られたドラマらしいのだが未読でよくわからない。
あらすじ読んで、絶対つまらなそうって思ってた。しかも3時間w なのにまさかの世界的高評価。なのでしかたなくチェック。
いきなり高層マンションで裸の夫婦がテレビドラマの構想について会話してるシーン。何の話してんだってシーン。
家福悠介(西島秀俊)は俳優で舞台演出家。妻(霧島れいか)も脚本家。
家福の舞台「ゴドーを待ちながら」が終わって楽屋でメイクを落としてると妻から若手俳優高槻(岡田将生)を紹介される。「感動しました」
家福は妻が吹き込んでくれたテープを聴きながら車「サーブ900ターボ」で台詞を復唱しながら成田に向かう。だが乗る予定のウラジオストク便は欠航。そのまま家に戻ると妻は浮気中。激しい情事。クラシックレコードをかけながら大音量で艶声。
家福は見て見ないふりしてそっと出て行く。ホテルに部屋をとり、ウラジオストクにいるかのように妻とパソコンで画面通話。普通を装う。
だが家福は交通事故。検査すると家福が緑内障であることが判明。医者「毎日かかさず点眼薬で進行を遅らせるしかない。」
この夫婦は娘がいたのだが夭逝。以後ずっと子どもはつくらず二人暮らし。やたらクチュクチュ音をさせてまた情事。お盛ん中年夫婦。
「話しをしたい」と言われた日の夜、妻の「ワーニャ伯父さん」台詞テープを聴きながら帰宅すると妻がくも膜で倒れ急死してる…。
家福演出のチェーホフ「ワーニャ伯父さん」は役者それぞれの自国語で演じるスタイル。舞台上で家福は妻を思い出し泣き出す。
家福は国際的な演劇イベントのために広島へ。演劇祭事務局から専属ドライバー渡利みさき(三浦透子)をつけられる。「いや、自分で運転士ながら台詞覚えるし」
断ろうとするのだが事務局側にはそうする事情があって断れない。(事務局は家福の緑内障の件は知らないのか)
で、みさき運転のサーブで事務局が用意した家と劇場の往復の日々。妻朗読「ワーニャ伯父さん」の台詞テープが流れる瀬戸大橋。ドライバーみさきは無口。
多国語演技オーディションでは相手の台詞の意味がわからない。台本の現在地が不明。俳優たちは困惑。(さぐりさぐり演技がむしろ日常会話としてリアル。そこが狙いか?)
あの高槻が応募してくる。高槻は希望しないワーニャ役で合格。さらに手話者韓国人俳優も。
家福演出が台詞に感情を入れないゆっくり話法。一体なんの意図が?「私たちはロボットではない」説明しない演出家に俳優たちも困惑。
プロ舞台俳優たちの台本読みってこんなに緊張感あるのか。演出家よりベテランの俳優を相手にするとか難しそうだ。
舞台俳優がこんな仕事だとすると自分にはぜんぜん無理。
家福は高槻に誘われバーで会話。家福は妻の浮気相手が高槻だと疑ってる。俳優と演出家ってこんな話をするのか。もっと楽しいバカ話をしろ。
この映画、登場人物たちの会話がまったく弾んでない。ずっと緊張。見ていてすごく疲れてきた。
無口プロドライバーに徹していたみさきがこれまでの人生を語り始める。「北海道で水商売のDV母を駅に送迎するために運転が上達した。」
途中でもう退屈さに耐えきれなくなり、半分ほどで中断。残りは後日見ることにした。
高槻と中華女優が本読みに遅刻するシーンから視聴を再開したのだが、もう見るのが耐えがたい。
延々と続く意図不明な台本読みシーン、たまに身の上話。チェーホフ、妻が創ったドラマの続きに煙に巻かれる。つきあいきれない。いい年した大人がセッ○スとか自慰とかうるせえ!
高槻の起こした事件で舞台は中止に追い込まれそうになる。事務局のふたりが無表情で感情ゼロ台詞。
混乱の家福は2日間の猶予期間を与えられる。みさきの北海道の故郷の村まで遥か遠い遠いドライブを思い付きみさきに提案。
ドライバーの身にもなれ!と思ってたら、このドライバーが仕事に異常なプライド。運転も交代しないし1日ぐらい寝なくても平気だと主張。
青函トンネルは車で通行できないのでカーフェリー。それ、往復2日間で大丈夫か?家福だけ飛行機で戻れば大丈夫か。それにしてもガソリン代、高速代、船代を気にしない金持ちの思い付き道楽。
こういうの誰得なんだ?どの層が喜んで見るんだ?拷問のような3時間。文章読み上げソフトのような映画。よほど意識高い人しか見てはいけない。
0 件のコメント:
コメントを投稿