中公新書1838「物語 チェコの歴史 森と高原と古城の国」薩摩秀登(2006)を読む。著者は明大教授らしい。
松本清張「暗い血の旋舞」という本を読んだとき、神聖ローマ帝国、ボヘミア、オーストリア、ハンガリーの歴史がさっぱりわからず困惑した。なのでこの本を開いた。
ローマ帝国が衰退したころ、ドナウ中流のパンノニアにはモンゴル系ともいわれるアヴァール人が遊牧で暮らしていた。アヴァールを退けた東フランク王国の辺境にはスラヴ人が住み着く。ドナウ支流のモラヴァ川流域のモイミール一族が建国したのがモラヴィア王国。800年ごろからキリスト教化。
チェコが歴史に登場するのは9世紀、ビザンツ帝国の都コンスタンチノープルにモラヴィア王国から使者がやってきて司教の派遣を求めてきたとき。皇帝ミカエル三世はテッサロニキ出身の強大コンスタンティヌス(キュリロス、キリル)とメトディオスを派遣。
スラヴ人の言語をラテン文字で表すのは無理がある。このとき誕生した文字がキリル文字とグラゴール文字。
モラヴィアはマジャール人の侵入もあってあっというまに崩壊。
プラハでプシェミスル家が勢力を伸ばす。神聖ローマ皇帝と主従の関係を結んでボヘミアの大公となる。プシェミスル・オタカル2世王の時代にはオーストリア公も兼ねドイツ国王選挙にも出るほどの実力者諸侯となっていた。だが、その他諸侯たちはスイスの無名諸侯ハプスブルク家のルードルフをドイツ王に選ぶ。
プシェミスル・オタカル2世の戦死、ヴァーツラフ3世の暗殺によってプシェミスルの男系が断絶。
ボヘミア人は時のドイツ王ハインリヒ7世(ルクセンブルク家)の息子ヨハン(ヤン)を迎える。ヴァーツラフの娘エリシュカとの間に生まれたのがカレル1世。ドイツ王にして神聖ローマ皇帝カール4世となる。ローマで戴冠しニュルンベルク帝国議会で金印勅書を1356年に制定。以後、ドイツでは諸侯分立する領邦国家が19世紀まで続く。
カール4世はプラハを経済文化の中心都市へと発展させる。このころがチェコの最盛期。
15世紀になるとフス戦争という宗教戦争が始まる。フス派はずっと一大勢力だったのだが、ビーラー・ホラ(白山)の戦い(1620)でチェコからフス派とプロテスタントは一掃される。プラハの広場で27人が処刑。チェコの半分以上で領主を入れ替え。ハプスブルク家が唯一正統な君主。
ちなみにチェコでは融通の利かない役人は窓の外に投げ落とされる伝統がある。
カトリックとプロテスタントの宗教紛争が終わってやっとチェコは平和。モーツァルトがプラハで活躍したのはオーストリアの地方都市としてプラハの最盛期。
この本はチェコ通史でなく全10章で10エピソード。日本ではほとんど知られていない人物たちも取り上げる。19世紀20世紀パートが極端に駆け足でほとんど触れられない。物足りない。
1992年にチェコとスロヴァキアの分離で両国首相が同意したとき、両国民はどちらかというと冷めた否定的雰囲気だったとは知らなかった。
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