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2024年8月12日月曜日

司馬遼太郎「尻啖え孫市」(1964)

司馬遼太郎「尻啖え孫市」を読む。講談社文庫2007年新装版で読む。この版がとても字が大きく読みやすい。昭和38年7月から週刊読売に1年間連載されたもの。

信長の時代の鉄砲集団・紀州雑賀衆を率いる雑賀(鈴木)孫市を描いた歴史小説。
自分、この人の存在を最近までまったく認識していなかった。それどころか雑賀衆の存在も見えていなかった。自分の人生において紀州はまだ一度も踏んだことがなく土地カンも何もない。

元亀元年二月の岐阜城下に、従者二人だけを連れて、八咫烏の印の入った真っ赤な袖無羽織姿に日本一と書かれた旗竿の大男・雑賀孫市が現れる。信長がこの男に興味。木下藤吉郎にマークさせる。
時代は反信長包囲網。雑賀衆3000人を率いるこの男が誰に味方するのか?それは戦国パワーゲームを左右する。この男は金払いのよい方にしかなびかない。藤吉郎はやりづらい。

そして信長は一乗谷の朝倉を攻める。孫市は50人ほど連れて行く。だが妹婿の浅井が裏切り。慌てて撤退。
孫一は織田家臣ではない。藤吉郎との友情に義を感じて金ヶ崎に残って助ける。雑賀の鉄砲が藤吉郎を救った。

孫市は信長の末妹・加乃を欲しいという。え、そんな妹いないけど?孫市は以前に京で見かけたという。藤吉郎は織田の分家筋から年頃の娘を加乃に仕立て上げる。
だが、その急ごしらえの女は加乃ではないとバレる。このへんのラブアフェアはいつもの司馬の創作に違いない。大人のための娯楽読み物。

国許に帰ればそこには浄土真宗の門徒たち。領主の息子の言うことを誰も聴かないw 
そして探し求めていた女がそこにいた。え、高貴な血筋の姫?神道の名家なのに新興の浄土真宗門徒?人々の尊崇を集める法専坊信照に心を寄せている?
堺で鉄砲鍛冶の名人仙斎の娘小みちが鉄砲の氏神種子島家の胤だと知って、今度はこの娘に夢中。

石山本願寺に侍大将として入って仏敵信長を討て!得度を受けてない孫市は慎重だったのについに顕如と面会。そして信長と合戦へ。
侵攻してくる信長軍を何度も蹴散らす孫市。この人は鉄砲による軍略の才能はすごかった。だが、政治の感覚とリーダーとしての資質はどうだったのか?

信長は長島の一向一揆を大群で殺戮し殲滅。いよいよ石山本願寺と天下分け目の決戦。これまでにない本気の大群。そこには佐久間、堀、そして秀吉。
だが、やはり守る孫市は強かった。またしても雑賀川で信長軍を散々に蹴散らす。このときの活躍がまるでスナイパー大名。

これで当分の間、信長は攻めてこないだろう。だがその後、謙信が死に、丹波の波多野が滅ぼされ、播州三木城の別所長治も自刃。信長は強くなりすぎた。
石山本願寺も顕如の意向で降伏。孫市はもう息子(息子も孫市)に雑賀衆の領主の座を譲って隠居状態。
そして本能寺の変。信長は死に、秀吉の天下。最後の仕上げは徳川との決戦。秀吉と家康から雑賀衆は誘いを受ける。息子孫市は家康につくも、両者は講和。

その後、雑賀孫市はふらっと秀吉に会いにいったまま死んだ。え、死因は?!
それが詳しいことは不明。謀殺されたのか、単なる急死か。読者は突然そこに放置されるように終わる。この人はいつもふらっと単身でいなくなる習慣を持っていた。風吹峠を越えていく姿を見たのが最後だった。

司馬先生は孫市を好色に描いてしまい、連載中から日本各地から抗議の手紙が来たそうだ。雑賀衆の末裔たちの全国組織がある?!東京方面でリーダー各の川崎の「さいか屋」は雑賀の末裔?!

この本、ボリュームのわりに1ページあたりの活字密度が低くてさらさらページをめくれる。たぶん上下巻を1日で読める。

2023年12月5日火曜日

司馬遼太郎「項羽と劉邦」(昭和55年)

司馬遼太郎「項羽と劉邦」(昭和55年)を新潮文庫上中下巻で読む。

司馬作品の有名なものはすべて読んでおきたいということでついにこれを手に取った。司馬遼太郎というと、その著作のほとんどが日本の戦国時代か幕末明治。「項羽と劉邦」はちらちら目に入ってはいたのだが後回しにしていた。
自分、高校世界史の中国史がさっぱりわからなかったし、漢文と中国古典の知識が人並み以下。
「項羽と劉邦」に自分はぜんぜん詳しくない。劉邦は漢帝国を創始した人物…ということは知っている。ほぼ農民から一代で成り上がった人物。「キングダム」の後の時代。

秦の始皇帝が死に、宦官の趙高が皇帝の末子胡亥を帝位につけて操る。法家によって巨大な官僚組織を整備した秦帝国。臣下の者はちょっとしたミスで殺される。1回の敗戦で将軍といえど殺される。たまったもんじゃない苛烈さ。そして陳勝・呉広の乱

そんな時代に、亡国楚の名家出身の項梁、その甥の項羽が楚復興のため旗を揚げ台頭。その一方で沛の侠客みたいな劉兄貴こと劉邦も人間的魅力で勢力を拡大。秦に反旗。

鉅鹿の戦いを経て、秦の主力部隊である章邯将軍を降伏させた項羽。秦の捕虜となった兵卒20万以上を坑(穴埋め)にするとか恐ろしい。てか、紀元前3世紀に人権という概念はまったく存在しない。実に多くの人が殺される。これが中国。

中巻では張良の登場、そして鴻門の会。関中に入って鴻門を閉じたことを項羽に平謝り。ここ、中国人や中国史に詳しい人には常識の名場面。小田原を攻めた秀吉と伊達政宗みたい。
劉邦の漢中入り。そして漢王となる。

項羽は論功行賞を正しく行えず苛烈で残虐。なので周囲はみんな敵。反項羽同盟結んで安心してたら彭城で大壊乱。劉邦らは遁走。

あとは司馬遼太郎らしく、項羽関係者、劉邦関係者たち枝葉末節エピソードのきまぐれ羅列。夥しい数の登場人物。
滎陽での籠城と脱出、流浪。劉邦は何度も何度も項羽に敗れる。
ほぼ唯一の有能部下が韓信なのだが、こいつが功績がありすぎて主君よりも有能で逆に窮地というパターン。

項羽が暴虐。こいつもべつに応援したくならない。虞美人、そして四面楚歌。

劉邦が最終的に勝利するということは、たぶん中学生以上なら誰でも知っている。しかし、なぜにこの体がデカいというだけの親分が天下を取ることができたのか?がわからない。秀吉のような軍略と才気があったように感じられない。項羽の自滅?

2023年11月12日日曜日

司馬遼太郎「峠」(昭和43年)

司馬遼太郎「峠」(昭和43年)を新潮文庫上中下巻で読み始めた。
越後長岡藩7万4千石の藩士で家老河井継之助(1827-1868)の「最後のサムライ」としての生きざまを描いた長編。
昭和41年11月から1年半、毎日新聞に連載されたもの。(「竜馬がゆく」完成から半年後に連載開始)

中学時代しか受験日本史をまじめにやらなかった自分は、河井継之助という幕末の人物を、大人になるまで知らなかった。初めて知ったのは司馬遼太郎「王城の護衛者」(講談社文庫)収録の短編「英雄児」(昭和38年)を読んだとき。
当時はまだ幕末史のことを何も知らなかった。戊辰戦争についても何も知らなかった。まして北越戦争についてもまったく知らなかった。

上巻、妻を国元長岡に残して単身江戸へ。古賀謹一郎の久敬舎で書生生活。とはいっても書物を読みふけるだけ。それだと小説としてつまらないので、司馬せんせいは主人公を吉原の女郎の元へ通わせるw
あとは、備中松山の山田方谷を訪ねて師事してもらおうとするも「人物が小さい」と感じたり、京へ上ると謎の女主人(公家)とドキドキなことがあったり、安政の大獄の最中で当局からの監視が厳しい。

そして大政奉還。鳥羽伏見の戦い。福地源一郎、福沢諭吉、外国人商人らと交流。そして長岡に帰ると、世界の中の日本という考えを持って国内情勢に詳しい人材が他にいない長岡藩内で、藩主(牧野忠恭、忠訓親子)から頼られ気に入られ、どんどん出世。

中巻では奉行として遠山の金さんみたいな思い付き司法行政。
さらに様々な改革に着手。藩士たちから恨まれる。結果、ワンマン経営の独裁宰相。眼光鋭く相手を睨む。考えてることがわからず周囲を戸惑わせる。尊敬されもしたが、憎まれもした。

勤王佐幕の吹き荒れる無政府日本。長岡藩は「ヨソはヨソ、ウチはウチ」中立独自路線。
しかしそれでは官軍(東日本の諸藩はこの言葉を嫌う)から睨まれる。長岡藩内でも薩摩長州に恭順したほうがいいのでは?という勢力も強い。
しかしそんなヤツには蟄居を命じる河井。マジ独裁者。

下巻後半になってやっと北越戦争開戦。やっと面白くなってきた。だが、東北や会津、長岡の人にとって、それは今もけっして面白いものではない。
薩摩が粗暴だしほぼ侵略者。城を攻める以前に外交交渉のようなものが何もない。カネを寄越すか兵を出せ!城を明け渡せ!まるでプーチンロシア。長岡の街は燃え、人々が逃げ惑う。

自分は十数年前に山形を旅したとき、山間の古いお寺で90代ぐらいの住職から「昔はもっと僧房がいっぱい立ち並ぶ大きな寺だった。西郷に焼かれた。」と、まるでつい昨日見たことのように話して聞かされた。東北の人々の多くがまだ薩摩を許してない。(西南戦争のときは多くの東北人が復讐のため戦場に参じた)

河井継之助は頑固偏屈なところはあったのだが、なんとか戦争回避のためにがんばってた。小千谷で官軍幹部たちと会見したときは、恥を耐え忍んで嘆願書を官軍総督に渡してもらおう、取りなしてもらおうと必死で食い下がって頭を下げたのに、岩村高俊という若い軍監(なんでしゃしゃり出て来た?というにわか権力者)に阻まれる。
ここが読んでいて言葉を失うほど不快だし最大の同情ポイント。薩長に脅されて従軍させられていた諸藩の藩兵たちも河井に冷たかった。ひたすら気の毒。

小千谷談判を決裂させた岩村高俊(のちに男爵)が現代で言えば開戦の責任者だし戦犯。こいつのせいで多くの命が失われた。
品川弥二郎(長州)も後年「そもそも河井の相手に岩村のような小僧を出したのがまちがいのもとだ」と語った。司馬遼太郎せんせいも岩村を、
「物事の筋道を好み、理屈と正義を愛し、それをまもるためには居丈高になるところがあり、自然、寛容さにとぼしく、なにごとにも高飛車に出てゆく。権力好きの小僧というか、どちらかといえば検察官の性格であったというべきであろう。」
とこき下ろしてる。「検察官の性格」というところに笑った。司馬せんせいはたぶんこいつが大嫌い。兄の岩村通俊(北海道で好き放題やった)も自分は大嫌い。

藩主の牧野忠恭(ただゆき)、牧野忠訓(ただのり)の存在感がまるでない。
あと、河井継之助の妻も愚鈍なだけで何も存在感がない。

2023年5月1日月曜日

司馬遼太郎「妖怪」(昭和44年)

司馬遼太郎「妖怪」を講談社文庫(1973)で読む。昭和42年から43年にかけて読売新聞に連載されたもの。応仁の乱前夜、室町時代の頽廃期を描いた619ページ大長編。
こいつはBOで110円で売られていたので確保しておいたもの。こんな作品があったことを現物を見るまで知らなかった。

熊野で亡母から室町幕府6代将軍足利義教の落胤と言われて育った源四郎は、母を失うと将軍になろうと決意して京に向かう。途中で腹大夫と出会い行動を共にする。
京では日野家の屋敷へ。当主日野勝光は源四郎の言う足利義教の落胤を信じないのだが、食客として屋敷に置いておく。

8代将軍義政の御台所日野富子も源四郎を品のある顔であると気づくのだが落胤とは考えない。母の氏素性すらもわからないのだから。

あれ?時代小説を読んでたつもりだったのだが、途中から妖怪物の怪と戦う幻想怪奇娯楽小説になっている。将軍御所の実力者今御料人ですら物の怪のように源四郎を惑わす。京の印地(ヤクザ者)となった腹大夫は神も仏も物の怪も信じないのだが、お今の屋敷で唐天子の幻術に惑わされる。

源四郎は日野屋敷を出奔して3年、関東で剣術修行と兵法を学ぶ。唐天子を斬るためにふたたび京に戻ってきたのだが、想うのは日野富子のことばかり。
生活のため盗賊団の首領となったりする。お今の屋敷に足利家の宝刀を盗みに入ったり、富子の関所を一揆で襲撃したり。しかし毎回毎回唐天子の幻術に翻弄。

読んでも読んでもずっと幻術。夢か幻か。ずーっとそんな繰り返し。いい加減に飽きて来たw
今まで読んできたどの司馬遼太郎とも違ってた。思わせぶりに登場した人物がその後はぜんぜん登場しなかったりする。司馬の文体のリズムとテンポと理屈とも違ってた。困惑。

富子は一揆の背後にお今がいると知らされる。お今を除かねばならない。そこで兄勝光は山名宗全を頼る。富子が妊娠したらしい。男児を産んだら後見人に山名を指名する約束。
一方で将軍義政は男児が生まれるのを諦め、出家していた弟義尋を養子に考える。幕府ナンバー2の菅領細川勝元を味方に引き入れる。

細川は将軍より足利家重代の鬼斬りの太刀をお今から取り返すために、お今が唐天子を使って富子のお腹の子が流れる呪詛をした罪で捕える。お今を琵琶湖の沖ノ島へ遠流。
源四郎と腹大夫は細川の家来に。そして京は応仁の戦乱の世へ。

これは司馬遼太郎の妖怪幻戯ファンタジーラノベ?室町時代の頽廃を描くとすれば夢と現実と行き来するようなものにするしかなかったのかも。

歴史のお勉強のつもりで手に取ったのだが、まるで少年ジャンプを好きな箇所から読むような内容だった。
てか、この連載につきあった読者がほんとうにいたのか?こんなのとっくに打ち切りになってもおかしくない。はちゃめちゃだし気まぐれすぎる。とてつもなく長かったのに急に終わって何もしみじみ感慨がない。

2022年3月3日木曜日

梟の城(1999)

「梟の城 Owls' Castle」(1999 東宝)を見る。これ、過去に何度かテレビで放送され見る機会もあったのだが、公開当時からSFXとCGによる安土桃山建築内部の映像を「ダメだこりゃ」と思っていて見ようと思えなかった。10月にBSプレミアムでやってたので録画して見た。

この映画にあまり関心がなかったので知らなかったのだが、監督脚本は篠田正浩だったのか。製作総指揮は羽佐間重彰。1999年10月公開。もっと昔の映画だと思っていた。

自分、中学時代に「梟の城」を新潮文庫で読んでいた。司馬遼太郎の直木賞受賞作。忍者と忍者の闘いを描いた史実でない創作娯楽フィクション読物。今もって読み返そうと思ったことがない。そろそろ読み返してもいいかもしれない。

織田信長による伊賀の里侵攻と虐殺から始まる。信長は極悪。叢からわらわらと旗指物が現れる不穏なシーンから良い絵が撮れてる。
アフガニスタンもタリバンをしっかり掃討しておかなかったからアメリカも撤退する羽目になった。権力の支配が及ばない武装集団は消しておきたい。
山奥で隠遁生活を送る伊賀忍者・葛籠重蔵(中井貴一)の元へ秀吉暗殺の依頼。こいつはめっぽう強いし頭も切れるスーパー忍者。

90年代の美人女優といったら鶴田真由葉月里緒菜。ふたりとも今では50前後になってるのだが、あまりドラマでも映画でも見かけない。
戦国時代に男女が出会って恋が芽生える場所といったら女郎と飯盛り女のいる旅籠屋。ねっとり交わった末に心が通じ合う。小萩(鶴田真由)は宗久の養女?そういうの、すべて司馬遼太郎。
重蔵は堺へ京へ。秀吉暗殺計画の黒幕は今井宗久?幼子鶴松が死んだことで狂ってしまった秀吉は朝鮮役を始める。商人にとっては商売の邪魔でしかない。

淀がふたたび懐妊。秀吉に跡取りができた。重蔵はふたたび隠遁。だがそこに小萩。そして刺客。
このシーンの刺客が会話してる間なんでぼーっと突っ立ってるだけなの?って思った。
かつての仲間風間五平(上川隆也)は敵方?!

そして花見の能での秀吉暗殺未遂事件。突然の雷雨で失敗。さらに甲賀の摩利支天洞玄(永澤俊矢)が敵ボスキャラとして登場。重蔵の仲間を皆殺し。(なのにこいつの最後はショボかった)

木さる(葉月里緒菜)の声質と喋り方が時代劇らしくない。ほぼ現代人。この女優、こんな声をしてたのか。正直、葉月がこの映画でいちばん演技で浮いていたと感じた。今見ると福原遥っぽい顔してる。
忍者アクション映画は難しい。リアルに徹して娯楽作品として両立するのは難しい。敵と呪文合戦するな!いい年して恥ずかしいだろ!と思った。 
けど、カット的に安土桃山ぽさはよく出来ていた。画面的に美を感じる箇所もあった。(ゲームみたいなCG以外で)なくはない映画だと感じた。湯浅譲二の音楽が良いなと感じた。

五平が忍び込んだ賊(重蔵)と間違われて捕らえられ、前田玄以に見捨てられ石川五右衛門(なんでそんな名前を名乗った?)として釜茹で刑にされるのは憐れ。京都人たちは暇人なのか高みの見物。よく公開処刑見物なんかできる。てか、重蔵はなんで秀吉をあの場で殺さなかった?

五平が街でのいざこざで奉行所の役人が介入してくるのだが、この役人の感じがリアルに現代の警察官のような気持ちの悪さ。そこも評価する。

2020年8月10日月曜日

司馬遼太郎「街道をゆく8 熊野・古座街道 種子島みち ほか」(昭和52年)

3年以上前に買っておいたままだった司馬遼太郎「街道をゆく8 熊野・古座街道 種子島みち ほか」(1977年朝日新聞社刊)を朝日文庫版(1979)で読む。どこにも行けない時は旅行記を読む。

この一冊には4本の旅行記が収録。では順番に読んでいく。

「熊野・古座街道」
いきなり若衆組という南方由来の村落システムが出てきて驚いた。
親の言うことよりも若衆頭の指示のほうが優先。田舎では夜間や外出時に戸に鍵をかけたりしない。おひつにめしを残しておく。そうしておかないと若衆がふらっと入ってきて夜這いしたり米を食べれないから。そうしておかないと山火事のときなどに嫌がらせをされる恐れがある…。

日本の田舎では大正時代ぐらいまで夜這いの風習があったことを知っていた。母系制通い婚システムがあったことは知っていた。
子どもの父親が誰だかわからなくなるのでは?父親の指名権は娘側にあって指名された側に拒否権はない…。

若衆組は現在の青年団システムへと受け継がれている。田舎では青年団に入らないという選択肢はないと聞いた。田舎の集落から旧制中学へ入ると都会で暮らさないといけなくなり若衆組システムから外れ根無し草になってしまう。

今回の南紀熊野古座への旅を司馬せんせいが決めた理由は、お世話になっていたK氏がこどものころまで若衆組はたしかに存在したという証言に興味を持ったから。きっとおそらく西南戦争で蜂起した若者たちも若衆組であったに違いない。昭和維新の青年将校たちも同じ?

「豊後・日田街道」
自分はいちども大分には行ったことがなく地理関係がさっぱり。大友宗麟関係でしか豊後を知らなかった。
日田は天領だったので外様有力大名の藩に比べれば租税が安く余剰を得て屋敷なども立派なものが残っているらしい。
そして広瀬淡窓の咸宜園には全国から漢学書生が集まった。なので地名なんかも大和言葉っぽくないらしい。

「大和丹生川(西吉野)街道」
これは短くてそれほど印象に残ることもなかった。

「種子島みち」
種子島は天武の時代から一国扱いされた稲作に適した豊かな島。なので薩摩の支配に苦しんだということがないらしい。
鎌倉時代から種子島家が島主。司馬せんせいが訪問したときで29代当主の時代。当主の弟(あごひげの老人?)のおせわになってる。
種子島島民は日蓮宗が多いらしい。初めて知った。10代目のときにそうなったらしい。
島の北部が水田のある南部を支配搾取する構図だったらしい。

2019年11月10日日曜日

長澤まさみ「功名が辻」(2006)

長澤まさみが「真田丸」(2016)に出演していたころ、もうNHK大河ドラマは3作目と聴いて驚く人が多かった。
まさみが初めて大河ドラマに呼ばれたのが2006年の「功名が辻」。山内一豊とその妻をモデルにしたサラリーマン出世物語。司馬遼太郎らしい時代小説。まだ未読。

これは以前は地上波放送を録画したDVD-Rを見るしかなかった。だが、今では有料ネット配信サービスで見ることができるようだ。(2009年の「天地人」も)
まさみはなんと忍びの者。初登場から「旅の者です。一晩泊めて♥」と山内一豊の宿営地へやってくる。そんなの明らかに怪しいだろ!
家来たちと一間でごろ寝。衝立の陰で「うっふん♥一豊さまぁ…」というシーンw

上司である香川照之に織田軍の動向を握り飯喰らいながら報告。ついでに「山内一豊は床上手ではなかったわ」という情報も報告w
まさみによれば、大河ドラマ出演は祖父母が喜んでくれたとのこと。
撮影はまさみが高校3年生のラスト時期。たぶん同時に「涙そうそう」も撮ってる時期。
この役が司馬遼太郎原作にはなく、事情通の人から「たぶんあっという間にいなくなる」と言われていた。まさみ小りんの出番は鳥取城籠城戦まで。餓死寸前のところで救出された後にふらふらと何処かへと消える…。

まさみ小りんと正妻仲間由紀恵とのおんなの戦いも見どころ。
これが見れる環境にあるまさみファンにはオススメする。自分はまだすべては見通していない。

2019年11月9日土曜日

司馬遼太郎 街道をゆく11「肥前の諸街道」(1979)

司馬遼太郎 街道をゆく11「肥前の諸街道」(1979)を読む。1977年4月から8月まで週刊朝日に連載されたものの1979年初単行本化の1983年朝日文庫版。
自分、数年前に司馬遼太郎「街道をゆく」も読破に挑もうとしたのだが、このペースだと一向に読み終わらないと思う。

司馬先生とその一行は博多湾で蒙古塚を探し歩く。そしてぐるっと海岸を回って長崎までの旅。
元寇とフビライ、松浦党、呼子のイカ、堀秀政、平戸貿易、キリシタン、ウィリアム・アダムズ、さつまいも、イエズス会とトーレス神父、大村純忠と長崎甚左衛門、その土地でたまたま目にしたものから連想して、とめどない話が続くエッセイ。

なので感想をどうこう書くことはできない。ただ、司馬先生のためになる歴史うんちく話。

自分、今まで東京駅のある八重洲がオランダ人ヤン・ヨーステン(耶揚子)の名前に由来することを知らなかったwので驚いた。

幕末に長崎海軍伝習所教官となったカッテンディーケが平戸を訪ねたのに、オランダ商館があった場所を、当時の平戸の人が誰も知らなかった件について
なにしろ、この時代、攘夷鎖国論はあらゆる志士が激しくかかげたところで、しかもかれらは鎖国という歴史的事実は日本古来のものであると信じて疑わなかった。幕末のぎりぎりのところになって、鎖国は、本来徳川家がやったものだという拍子抜けするような「事実」を知るのである。 
物事の事実は、封建時代の人間にとってさほど重要なものではなく、むしろ「こうあるべきだ」という理念のほうが先行する。「事実」が必要になるのは市民社会が成立してからで、日本史においては厳密には太平洋戦争の終了後の社会がそうだといっていい。
ここを読んで、自分は今の韓国のことを連想した。

あと、中世にイエズス会とポルトガル船が錨地とした福田浦を見ようとしたところ、そこに遊園地が出来ていて入園料を払わないと見れない件で理不尽を味わうw
人類は古来から浜に出て貝や枯木をひろって暮らしてきた。そういう暮らし方の歴史が消滅したあとも、浜に出て渚を歩けばたれもが詩情を感ずるし、心が休まるという習性がつづいている。しかしいまは土地に関する私権が癌細胞のように増殖して、浜までの土地を買ってしまえば、社会全体がその浜をうしなうという奇妙な時代になっている。
自分も山や海やロケ地へ行こうとして、これと同じ場面に出くわすことが何度かあった。その風景をみるのは誰にでも許される権利なはずだ。

2018年12月21日金曜日

司馬遼太郎「国盗り物語」第3-4巻 織田信長 編(1967)

ひきつづき司馬遼太郎「国盗り物語」第3-4巻 織田信長編(1967)を読む。

自分が今まで読んだ本や映画やドラマだと信長は怖い上司か恐ろしい魔王。信長が尾張を支配していく様子を描いた大河ドラマを見ていない。

第3巻は斎藤道三の一人娘・濃姫が信長に嫁ぐ場面から始まる。うつけもの信長なら、いつか尾張を併呑するのも簡単だろう…という魂胆の斎藤道三。

婿に一度会いたいと会合をセッティング。この会見の様子がちょっと面白い。信長のだらしのない服装を見て平服に着替えるも、礼服で現れた信長の若武者ぶりに不機嫌になる道三。

だが、爽やかな信長に自分と同質なものを見抜いた道三は娘婿を支援していく。
第3巻の真ん中あたりで道三は偽子・義竜に討たれる。取り乱す信長。

斎藤道三が眼をかけたもう一人の若者が明智光秀。この本のもう一人の主人公。光秀は美男だったらしい。
道三崩れによって諸国を流浪。京都で足利将軍の元を訪ねて細川藤孝と知り合う。次に一乗谷の朝倉を訪ねるも5代目義景は凡庸。

そのころ京都を武力で支配していたのが三好長慶松永久秀の極悪コンビ。松永が将軍足利義輝を殺害。将軍と接近できたおかげで朝倉家でそれなりに処遇してもらえてる明智光秀は危機感。幽閉されている足利義昭を救出する場面では獅子奮迅の大活躍。

美濃稲葉山が藤吉郎&竹中半兵衛コンビの活躍で織田方に落ちる場面で第3巻終了。

そして第4巻。国盗り物語全4巻で第4巻が一番分厚く608ページもある。織田信長という人を語るには最低これぐらいのボリュームが必要。

だが4巻も明智光秀がほぼ主役。ずっとめんどくさい上司でしかない足利義昭と織田信長との板挟み。信長の合戦を詳しく描いていない。家臣のこともそれほど触れない。

信長は光秀を有能だとは思っていたので重用はしたけど、理屈っぽく京都上流階級の常識に毒されてるところが大嫌い。一方で光秀も「何もわかってないくせに」と心で信長を蔑む。司馬が描きたかったのはそこ?

信長は結局最後まで何も好きになれる要素がない。元祖パワハラ上司ブラック企業。ケチで自分のことしか考えていない。こんな人の元で働いていても人生をムダにするし虚しい。
ポルトガル人宣教師が本国にあてた手紙で日本の労働力の安さに驚く記述があった。日本は中世も現代も変わってないなと思った。

道三、信長、光秀、みんな最期はあっけない。
司馬は最後に細川藤孝(細川幽斎)はその後の徳川から維新まで生き残ったなあと感嘆して物語を終える。

2020年の大河ドラマは明智光秀らしいけど、この本のように描けば面白くできるだろうと思う。

2018年12月17日月曜日

司馬遼太郎「国盗り物語」第1-2巻 斎藤道三 編(1967)

司馬遼太郎「国盗り物語」(新潮文庫版)がそこに4巻そろっていたのを昨年の夏に見つけて購入した。1冊100円。買っておいたものをやっと読み始めた。

まず第1巻と第2巻斎藤道三編。これを書いていたとき司馬遼太郎は41歳か42歳のころ?

自分、もともと戦国武将に何も詳しくなかったのだが、ここ10年ちょっとNHK大河ドラマで少しずつわかってきた。
だが、斎藤道三は名前は知っていてもほとんど何もイメージできない。ドラマで見たことがないからw 

斎藤道三という美濃の覇者について歴史小説で学ぼうと読み始めたのだが、この「国盗り物語」はかなりライト。

日蓮宗の坊主から乞食に転落した松波庄九郎こと若き日の斎藤道三。荒れ果てた京都の築地塀に腰かけ星空を眺め「国主になりたい」と夢見る場面から始まる。

頭がよく眉目秀麗で自信とやる気に満ちた庄九郎は立身出世を目指す。こいつが僧門にいたもんだから口が達者。まるで「居残り佐平次」か「コンフィデンスマンJP」の世界。多少疑問に思っても喋りで有無を言わせない。
せこくてスケールの大きい詐欺。たぶんぜんぜん歴史的事実じゃない大娯楽作。

京都の油商人の大店の後家を落とすための深慮遠謀。前半がひたすら「そんなバカな」というエロラノベでびっくり。これ、10代の女の子とかに読ませられないw 
だがそのエロ表現がはぁ~っと声をあげて感心する上手さ。それにテンポが良い。まったりと濃厚でいてしつこくないw さすが文豪だ。

奈良屋に入り婿し経営者として才覚を表し商売繁盛するも、油販売の独占権を持つ山崎八幡の勢力ににらまれ廃業。新たな屋号で再スタートするウルトラCで奈良屋の身代を乗っ取る。

だが、腐った将軍家の徳政令で嫌な気分。権力も兵も持たない商人は窮屈だ。
店は番頭と従業員に任せ妻も残し単身で美濃へ。土岐氏が腐りきってる美濃は乗っ取るのに好都合。

京都と美濃を行ったり来たりの庄九郎。どんどん出世して国主土岐頼芸に取り入っていく。京都の夫人の元へ帰るたびに違う名前になっている。
京都では油屋、美濃では反庄九郎派との戦いの日々。そして守護職土岐頼芸すらも追放し美濃の新国主。美濃の蝮と呼ばれる。

やがて尾張の虎・織田信秀との合戦。すべてにおいて完勝。
だが気づくと人生も終わりのころ。将軍になって京都へ戻る夢を諦める。
娘・濃姫と織田信長の縁談というところまでが第2巻。

自分、斎藤道三という人物についてほぼ初めて読んだのだが、楽市楽座という制度は道三が始めていた。知らなかった。信長が「敦盛」を舞うのも道三の影響?
それに何よりもこの人の人生がちょっと信じられない映画のようなもの。ま、ほとんどフィクションだろうけど。

「国盗り物語」はこれまでに読んだ司馬遼太郎作品の中でもかなり面白いほうの部類。つづいて3巻4巻の織田信長編を読んでいく。

2018年1月22日月曜日

司馬遼太郎「城をとる話」(1965)

司馬遼太郎「城をとる話」(1965)の光文社時代小説文庫(2002年版の2003年第4刷)を手に入れた。100円。

昭和40年に日経新聞夕刊に約半年連載されたもの。1965年にカッパ・ノベルズで単行本化されて以来の初文庫化。
これ、司馬遼太郎唯一の映画原作のための作品らしい。なんと石原裕次郎主演作品のために依頼されたもの。当時の司馬遼太郎は「竜馬がゆく」を産経新聞に連載中。まさに時代の人気作家。

関ケ原合戦前夜の東北、伊達と上杉の国境にある村に突然普請され始めた山城での話。
これ、映画向けの痛快な娯楽時代小説だと思っていた。

1ページの文字数が少なくてサクサクめくれる。たぶん中学生でも平易にすぐ読める。
戦国時代の話はみんなそんな感じだけど、読み進めるうちにイライラしてくる胸糞悪い話。ぜんぜん痛快時代小説だとは感じなかった。

どこか魅力があって行動力がある夢想家の車藤左(常陸・佐竹家の臣)が主人公。西国浪人・赤座刑部が伊達領内に普請中の帝釈城を、仲間の中条佐内と二人で、ただうばってやろうとぼんやり思いつく。

車藤左の夢につきあってしまった仲間、村人がほぼ全滅する終盤の展開に絶句。計画性も実務能力もない思いつきだけの男がヒーローになりそこねた話。罪もない多くの人々を巻き添えにした。もちろん司馬はこういうバカに批判的。
陸軍戦車部隊で終戦を迎えた司馬先生の経験に基づく寓話的時代小説。たぶん陸軍のダメ上司たち批判。

この小説が書かれた時代、すでに映画は斜陽産業。石原プロの設立が昭和38年。起死回生をかけて司馬先生に書いてもらった本だが、この映画も現場の都合から形を変えていった。それほどのヒット作にはならなかったようだ。

これを読んだ人の意見も割れている。「おもしろい」「つまらない」賛否両論。自分も否定的。ただ、時代小説を初めて読むような中高生にはオススメ。

2017年10月19日木曜日

司馬遼太郎「夏草の賦」(1967)

司馬遼太郎「夏草の賦」文春文庫版の上下巻を、それぞれ100円で見つけて買っておいたものをようやく読んだ。
戦国土佐の梟雄・長曾我部元親の一代記。

(ちなみに、司馬遼太郎には「戦雲の夢」という、元親の息子・長曾我部盛親を扱った作品もある。「戦雲の夢」は1961年の作品。)

「夏草の賦」は、織田家中一の美貌だという菜々(斎藤利三の妹)の、岐阜から土佐への輿入れの場面から始まる。この時代の人々にとって、南国土佐は堺から船で5日かかる僻地。誰も土佐のサムライを見たこともない。

織田家から正室を得た元親は権謀術数を使って土佐一国を斬り盗っていく。

上巻のクライマックスだと感じたのが、土佐中村の一条兼定の元へスパイ&謀略へ向かった菜々の「どうにもならぬおっちょこちょいな性格」による、ウソだろ?っていう大ドタバタコメディーw
好色な一条の殿様に茶室で体を要求された菜々、茶釜を蹴とばしてから大混乱の、まるで三谷舞台のようなファース劇。そもそも菜々なんて人、司馬の創作だろ。

やがて元親は伊予と阿波へ侵攻し快進撃。だがしかし、信長の了解を得たつもりだったものの、丹羽長秀を頼った三好笑巌ラインによって信長の気が変る。「やっば長曾我部は織田の敵だわ」
明智光秀は家老・石谷光政を使者に派遣「阿波南部はつけてやるから土佐一国へ帰れ」という命令を伝える。織田家臣でもない元親へ完全な横車。元親激怒。

土佐から安土へ戻る光政に「明智が信長を討てばいんじゃね?」と、元親が謀略を持ち掛けるシーンで上巻終了。

下巻では元親の息子・弥三郎こと信親が成長。この大柄で聡明な息子が何から何まで立派。内省的な元親よりも出来た息子だった。本能寺の変の後、なぜ京に攻め上がらない?と父に不満。

創業一代の元親には中央の政治のことが何もわからないし他大名とコネもない…。秀吉の前に完全に屈服。運のなかった自分の運命に嘆き悲しみ悔し涙。やがて、秀吉の人柄の巨大さに魅せられ、ここに天下の野望も終わる。

司馬遼太郎らしいエロラノベ感が充実w やたら長い。
22歳になっても女に興味を持たない息子に戦国大名の父として諭す。「女は子を産む道具と割り切って接しろ」「え、まだ女を知らない…ウソだろ…」

今度は母親、「私が女の子を選んでおいたから、今夜からやさしくいたわりなさい」息子「は?どういたわれば?」母「そなたは馬鹿ですか」

国主を継ぐものとして欠陥みたいに責められる…。読んでて辛い。
現代日本でも中学までは異性にモテたい感だすと不良扱いするくせに、色気づいちゃって…とか言うくせに、大人になって何もないならないでやんやと催促か。

そして秀吉から九州征伐の下知。長曾我部は仇敵・十河存保とともに先陣を命じられる。こいつが今でも長曾我部をネチネチと恨んでる。しかもさらに悪いことに軍監が、元親がかつて何度も負かした仙石秀久。すごく嫌な予感。ここから長曾我部家は傾きだす。

期待の高かった優秀な息子・信親の戦死。菜々の死。そして元親はしょんぼりぼんやり廃人に…。
そんな状況で家督を継いだ盛親、何も政情がわかっていない。関ヶ原の戦いで判断を誤り、やがて長曾我部家は滅亡へ…。

戦国時代の大名たちの物語は何を読んでも切ないが、この本もやっぱり切ない。

2017年8月28日月曜日

司馬遼太郎 街道をゆく18「越前の諸道」(1982)

司馬遼太郎「街道をゆく」シリーズも今後すこしずつ読み進めていこうと決意し、今度は「越前の諸道」を手に取った。朝日文芸文庫1987年版の1998年第12刷。

とくに越前の歴史に関心があったということでもなく、ただ電車で読むための本が欲しくて。108円で購入。司馬遼太郎先生の歴史ばなしを聴くことは楽しい。

「越前の諸道」は週刊朝日に1980年12月12日号から81年6月19日号まで連載されたぶんを単行本にしたもの。エッセイ紀行文なのだが、司馬先生が旅した当時と今ではもう風景も人々もだいぶ変わった。この時代はまだまだ明治時代生まれの人が生き残っていた。

この本で一番ページを割いているのは道元とその弟子・寂円。そして永平寺
「道元は日本思想上、もっとも魅力のある存在だが、しかしその死後、その教団は、ほとんど家風のように、論争と分派をくりかえした。逆にいえば、道元の思想に魅力がありすぎたためともいえる。」
とめどなく脱線しつつ、ざっくり魅力的な、誰かに教えたくなるワンフレーズ名言でトドメを刺すように教えてくれるw 

そして白山信仰。司馬先生はたとえば本地垂迹
「ある時代から、単に神というより権現や明神と称するほうが、普遍的価値が匂って、なにやらモダニズムが感ぜられるようになった。」 
「このことは、日本人が経営して日本人の女の子がいる銀座のバーが屋号だけフランス語であったりすることと、心理的には一つの根であるかと思える。」
いやあ、わかりやすいw 古代、中世、近世、そして現代、「へえ」という話をしてくれる。

平泉寺という存在はこの本を見るまで知らなかった。自分は中学生のころとか織田信長が比叡山とか石山本願寺とか一向宗とかの僧侶を焼き討ちにして皆殺しにしたことを酷いと憤っていたのだが、自分のイメージしていた僧侶と違ってたw 
司馬遼太郎はこの時代の僧兵をこき下ろす。平泉寺は農民たちによって焼き討ちされていた。

日本人なら誰でも司馬遼太郎の白髪おかっぱメガネ写真を一度は見たことがあるかとおもうのだが、1980年ごろはまだそれほど有名じゃなかった?! 司馬先生と旅の一行はたまたま一見で入った寿司屋で、主人とおかみさんからうさんくさく見られて支払いを心配された?w

あと、司馬先生は17歳ごろから白髪が多かったそうだw そして37歳から老眼が始まったそうだw

2017年3月14日火曜日

司馬遼太郎 街道をゆく42 「三浦半島記」

司馬遼太郎の「街道をゆく」シリーズはいろんな人から面白いと聞かされてた。この1冊をきまぐれで手に取って読み始めた。
司馬遼太郎 街道をゆく42 「三浦半島記」(朝日文芸文庫)、これも108円で手に入れた。

1995年に週刊朝日に連載された。1996年に朝日新聞社から単行本化。1997年に文庫版になった。

司馬遼太郎先生が三浦半島を旅して回って歴史の話をとめどなく話してくれるエッセイ。
主に源頼朝と三浦の話が中心。三浦の武士とはつまり鎌倉武士。鎌倉武士は神奈川だけでなく、今の埼玉、千葉にまで話がおよぶ。

これ、面白いw 今まで何度も歩いた鎌倉のこと、三浦半島のこと、そこに平安時代から根付いた人々のことを知った。すらすら読める。

各トピックの書き出しや、文中に出てくる一文に感心する。
「パリにおけるセーヌ川や、京都での鴨川に強いて位置づければ、鎌倉では滑川である。 」
「平安末期から鎌倉時代にかけての関東武士団は、人間の集団として特異であった。
かれらは、倫理に代わるべき廉恥という感覚を濃厚にもち、その生死はいかにもあざやかだった。戦いに臨めば臆することがなく、自分の生も軽んじるかわりに、他者の生にも冷淡だった。」
「わずか150年ながら、この時代から日本らしい歴史がはじまると極論していい。もし平安の中央集権制がそのままつづいていたとすれば、日本史は中国史や朝鮮史とさほどに変らないものになる。」
「北条義時、泰時、時頼が、日本政治史上の巨材だったといっていい。」 
「時宗のときに元寇があったのは、日本史の幸運の一つだったといっていい。」 
この本、暗記して人に話したいフレーズだらけw そして自分は司馬遼太郎(および松本清張)に日本語の書き方を学んだといっていいw

後半では横須賀に触れる。すると当然のように帝国海軍、日露戦争、太平洋戦争についての話題に。海軍によい思い出を持っている人が多い理由を知った。

え?朝鮮には封建時代がなかったって?!昨今の日韓の外交摩擦ニュースを見て、両国民の議論がまったくかみ合わない理由に、帝国主義以前に両国民の歩んだ歴史も関係ありそうだって初めておぼろげに見えてきた。この本とはまったく関係ないけど。

街道をゆくシリーズが一体全部で何冊あるのかわからなかったのだが、調べてみたら、「三浦半島記」の次の43巻「濃尾参州記」が絶筆(未完)らしい。

これから死ぬまでに全43冊を読みたい。だが、まだ数年前に買ったままの「坂の上の雲」「竜馬がゆく」をまだ読んでないw

2016年8月5日金曜日

司馬遼太郎 「城塞」(全3巻)を読む

司馬遼太郎の「城塞」は「大坂の陣」を扱った大作。東アジア最大の城塞「大坂城」の落城を描く。

1年ほど前に新潮文庫版の中巻と下巻のみを108円で手に入れて、それからずっと上巻を探していたのだがなかなか見つからず、ようやく108円で3冊そろったので読み始めた。「真田丸」が終わる頃に読み終わればいいかなぐらいに思ってた。

秀忠が江戸で将軍職にあり家康は駿府で隠居生活しているころ、豊臣秀頼の嫡子・国松が生まれたころから書き始める。

秀吉は家康を大切に扱ったというのに、秀吉の死後、家康は豊臣家を呪うがごとく極悪非道のかぎりを尽くす。
「大坂の陣」は日本史上最悪のイジメ事件。司馬も「犯罪」と言い切る。

まず上巻

いつもの司馬らしく、武芸者の中年男・小幡勘兵衛(本多正純が大坂に送ったスパイ)と若い女・お夏(大蔵卿局の孫娘)を登場させてラブコメ要素を盛るw

家康は嫌がらせの天才。効果的な嫌がらせの教科書のようだった。

豊臣秀吉もやってきたことは極悪非道なので呪われていいけど、徳川家と本多正純、金地院崇伝…、こいつらも呪われていい。
秀吉を供養するためと称して方広寺に大坂城の多大な金銀を浪費させた後に、阿弥陀が峰の秀吉墓所を完全破壊w やってることがデタラメすぎ。墓まであばくとか、こいつら日本人じゃない!

家康を前にした前田利長の自己保身への必死さは悲哀。
そして、豊臣徳川間のパシリ片桐且元が悲哀。豊臣家のためにここまで奔走しておいてすべてムダ!

大坂と関東の手切れで中巻へ。大坂城へとぞくぞくと集まる大名クラスの牢人たち列伝。
真田幸村、明石全登、後藤基次、毛利勝永、長宗我部盛親、みんな運がなかった半生。

総大将を決められないという絶望的機能不全。真田の有望な戦術提案もつぶされる。
武将たちと淀との唯一の連絡チャンネル大野治長が何も決められない!政略と軍略がまったくわからない女たちが現場に口を出す!ダメだこりゃ。

冬の陣では戦闘の様子はそれほど書かれていない。この本では人当たりの良い悪魔・家康の策略が中心。
冬の陣の後に、濠が埋められるのだが、このへんのやりとりが酷すぎるw まるでコント。

大阪城は淀と大蔵卿局のおんな政権だったのだが、あっという間にズルズルと崖っぷちw
家康のやってる酷い仕打ちに対して抗議をしても、結局優しい笑顔に騙され続ける。

それはまるで乃木坂人狼において、投票行動などは一切目に入らず、人狼(みなみ)の可愛らしさしか見えていなかった市民(まいまい、ひなちま)を見ているかのようだった。

この本を読んで得た教訓は、這い上がれなくなるような不利なポジションに自分を置くな!ってこと。この一点に関しては絶対に妥協してはいけない。
そして、誠意のない対応をし続ける相手とは交渉を続けてはいけない。早めに見切りをつけて別の手段に出たほうがいい。

下巻、大坂城炎上。
司馬の筆は家康と淀に容赦なく辛辣。

老人家康の性格の悪さは異常。
淀のヒステリーと無知と他人の気持ちのわからなさも異常。この本ではバカとしか描かれていない。
絶対に家康や淀のような上司の元で働いてはいけない。

最大の戦犯は淀で間違いない。さて、真田丸ではどう描かれるのか。
大河ヒロインのはずのまさみの出演シーンが少ない…。

2015年11月21日土曜日

司馬遼太郎 「歳月」(1971)

司馬遼太郎にこんな作品があることを知らなかった。108円でそこにあったので買っておいた。
「歳月」(講談社文庫)という本。自分が手に入れたのは1999年の第69刷。ぶ、分厚い。700ページに及ぶ大作。

この本の主人公は初代司法卿・江藤新平。自分はこの人を名前しか知らなかった。たぶん明治維新の重要人物。日本史音痴の自分は明治維新における「薩長土肥」の「肥」を「肥後」だとカン違いしていた。「肥」とは肥前佐賀藩のことだった!
自分はこの本を読むまで、大隈重信も佐賀県人だってまったく知らなかった。

江藤新平という人はかなり個性的で人と違う運命をたどった。30代半ばまで佐賀で極貧の蟄居生活。それがいつの間にか明治政府の参議という重要人物になっていた。

鎖国日本の中でさらに鎖国をしていた肥前佐賀藩から京都へ出て帰国。死罪になるところを藩主・鍋島閑叟に救われる。江藤を生かしておいたことで鍋島家は明治以降も生き長らえる。

この本の真ん中三分の一は明治新政府の内部のドタバタ。
維新の英雄たちはみんな革命と言う破壊者なだけで、新国家を建設するのに向いた人は誰も居なかった。江藤を除いて。
司馬によれば、西郷も板垣も軍人なだけでアホ。三条実美は上品なだけで無能。木戸孝允も心配性過ぎて鬱で存在感まるでなし。明治の太政官の参議たちはみんなダメ男。江藤と大久保を除いて。

江藤新平は頭が良くて弁がたつ。それに西洋の法律に唯一明るい。
だが、やがて征韓論というやつにぶつかってしまう。

征韓論、これ、小学生でも知ってる言葉だけど、今まで自分はまったくよくその意味がわからなかった。中学高校の授業でやるより、この本を読んだほうがなんぼかよくわかると思う。司馬は明治政府の幹部たち、征韓論派をみんな「子ども」と斬り捨てる。

韓国(朝鮮)はその歴史上日本へ敬意を払ったことが一度もない。日本以上に国際情勢に疎くて隣国にありえないほどの無礼を働いて西郷さん、板垣、江藤、副島、みんな大激怒。
一方で日本の国民のほとんどが「世界」といったら「日本、唐、天竺」しかないという世界観だった。世界に朝鮮はなかった。明治日本政府はペリーがかつて日本を開国させたのと同じ方法で韓国に対処した。

征韓論は日本の庶民にもわかるように、大河ドラマとかで解りや~すく映像化してほしい。日本史の必須項目なのだから。

そして「佐賀の乱」。この言葉は小学社会科歴史にも出てくるので名前は知ってる。
参議で司法卿から反乱軍の首魁となった江藤、たった一戦の敗北で逃走。西郷さんと共闘するべく薩摩へ。

予想に反して西郷さんは冷たい。ボロボロになって今度は土佐へ渡るも甲浦で逮捕。かつて江藤が整備し日本全国に張り巡らした警察によって、組織のトップだった江藤自身が捕らえられる。
そして旧幕にもなかった暗黒裁判で即刻死罪。しかも士族には適用されない旧法の梟首(さらし首)を強引に復活させて。

司馬は「大久保日記」を嘲ってる。大久保利通、この日本の歴史上稀代の政略家は後世の日本の庶民から嫌われて当然の残忍冷酷さ。国際法に明るかった江藤には予想もできない、まさかの法律無視。この裁判の様子が目を覆いたくなるような酷いしろもの。

明治維新は傑物たちだけでなく、サイテーな成り上がり者も多かった。上手く立ち回った者もいる。義侠心やら義憤にかられて哀れな末路をたどった者もいる…。

この本を読んで現在放送中のNHK大河ドラマの視聴率が悪い理由がわかった。誰も長州なんて好きじゃないし見たくもない。明治新政府で利権を独占。好き放題やりやがった。とくに、井上馨は酷い。山県有朋も酷い。土佐の岩村通俊、河野敏鎌というさらにサイテー人物のことも新たに知った。

江藤新平と言う人は日本近代化の英雄であったのだが、自分の置かれた位置だけがまったく見えていなかった。征韓論に与しさえしなければ佐賀の乱もなかった。

700ページもある本をまとめるのは難しい。以上、サクッとまとめてみた。この本は自分に知らなかったことをたくさん教えてくれた。さすが司馬遼太郎の本は面白い。
こうやって明治政府はできた。江藤を主役に大河ドラマをつくってほしい。

2015年2月21日土曜日

司馬遼太郎 新装版「戦雲の夢」

司馬遼太郎の新装版「戦雲の夢」(講談社文庫)を読んだ。この本は土佐22万石の大名・長曾我部盛親を主人公に関が原、大阪の陣を描いた小説。
自分にとって長曾我部ってまったく馴染んでない戦国武将。今まで見てきた大河ドラマでもまったく印象にない人物。

四国全土を制した長曾我部元親の四男・盛親を司馬は24歳の若者の青春から書き始めている。さすが司馬遼太郎だ。いろいろと面白すぎた。

土佐の家督を継いだ盛親、独りで家来・弥次兵衛の屋敷へ。「誰もいないのか。俺だ、あがるぞ」→「ざざーっと水の音」→「お、風呂場にいるのか」→「おう、俺だ。開けるぞ。ガラッ」→「風呂桶持った全裸の妹が呆然と立っている」→「兄・おこ」→「あー(ポリポリ)、めんどくさいから言い訳とかしないけど」

こんなシーン、マンガでしか見たことない。萌えイラストの挿絵とかあったら司馬遼太郎はさらに若者に読まれるんじゃないかな。鋭い人間観察眼による人物描写、人生哲学、そしてラブコメ。司馬は4人の美少女を登場させて恋と性愛を描いている。司馬の筆の技量に感心しかしない。

長曾我部盛親が土佐を失い、掛川の山内一豊が土佐を手に入れた差は、石田(長束)の守る水口ノ関を突破して家康と連絡を取れたか取れなかったかの差しかない。
あと、中央政界が激変する最悪な時期に元親が死に土佐の家督を継いだばかりで、他大名と面識もなかった。土佐の家臣たちが勇猛なだけで誰も中央政界のことがわからず的確なアドバイスがなかった……。

結果、西軍側に与してしまう。盛親は別にバカじゃなかった。関が原に布陣してみて毛利、吉川を見て「あら、なんかおかしい……」って気づいた。単独で長曾我部軍が家康に襲い掛かっていたら結果は全然違っていたかもしれなかった。

島津みたいに故郷に帰って徹底抗戦したらよかったのにって思う。恭順投降して京都所司代監視下の牢人生活へ。ここ、全体の3分の1ぐらい占めるけど、司馬の筆のおかげで飽きることがない。

大阪の陣も早々に「こりゃ負けだな」って気づく。武士としての死に場所が欲しかっただけだな。この人は運だけがなかった。

読んでるときに考えていた勝手な個人的キャスト 近衛倫子(プライドの高い貴族の娘)ほりき○まき、田鶴(唯一愛した少女)たけ○えみ、阿咲(所司代の諜者で悪女)まさみ、お里(最後の女)広○すず、でお願いしたい。

2014年10月16日木曜日

半藤一利 「清張さんと司馬さん」(2002)


この本は2001年に「NHK人間講座」で放送されたテキストに加筆して2002年に出版された1冊。いつものように古本屋で108円で売られていたものの中から救出。これは読んであげなければ。自分はまだこの国民的作家の人となりを知らなかったので読んでみようかと。

松本清張と司馬遼太郎、昭和を代表する二人の知の巨人を編集者として接した半藤一利が語る。昭和35年から40年代にかけて、この二人の著作のペースが半端ない。

「点と線」「ゼロの焦点」「砂の器」「球形の荒野」などの社会派推理小説というジャンルをつくりだした松本清張の著作は古代史から、「日本の黒い霧」「昭和史発掘」といった昭和史戦後史まで、さらに森鴎外、時代小説と膨大。森本哲郎と「作家の条件」の話をしたときの名言
「(作家の条件とは)原稿用紙を置いた机の前に、どのくらい長く座っていられるかというその忍耐力さ」
連載小説を10本前後抱えて、短編小説もこなし、講演に取材に、40代以降の清張の超人的な知的生産の極限ぶり!それでいて名誉に無関心。しかも優しく思い遣りのある性格。女中さんたちも誰も清張を悪く言う人はいないという。

しかし、極貧で小学校までしか学歴が無い清張は官僚たちを極悪人として描いたものばかり。半藤「こう官僚をくそみそに書きつづけたら永遠に勲章は駄目ですね」に対する清張
「勲章?いらんね。漱石だったかな、ただの夏目なにがしでいいといったのは。僕もただの松本なにがしさ」
そんな清張のエピソードや、推理小説のネタを思いついたときの話など話題満載。

そして司馬遼太郎、このペンネームは「司馬遷に遼か及ばない」という意味。早くから真っ白な白髪頭でとめどなく喋り続ける人だったそうだ。

この人は満州から本土防衛のために移動してきた戦車部隊で、22歳の学徒陸軍少尉として終戦を迎えた。そのときに上陸してきた米軍を迎え撃つためには避難して来る住民は轢き殺していけ!と参謀から言われたという。

司馬も陸軍のリーダーたちは誰一人認めない。結局、昭和史についてはまったく小説に書かなかった。司馬と半藤の対談は昭和史、戦後日本に関するものが多い。日本の戦後、そしてバブル経済を強く批判していた。

清張と司馬、この2人は直木賞選考で意見が食い違ったことがあるということも初めて知った。作家の大岡昇平は清張の「日本の黒い霧」を批判し、清張もそれに反論したということも初めて知った。

そんなこんなの二人の作家を知るエピソード満載で面白く読んだ。まだ読んでいない本のガイドでもあった。「坂の上の雲」「竜馬がゆく」を買ったけど開くのはまだとうぶん先。買ったけど読めてない本がたくさんありすぎる……。

2014年9月14日日曜日

司馬遼太郎 「王城の護衛者」

司馬遼太郎の「王城の護衛者」という本を見つけたので買ってみた。講談社文庫の新装版。108円で購入。

幕末テーマの5編を収録した1冊。「人斬り以蔵」は新潮文庫版もあるけど、表紙が劇画っぽくて違う版を探してた。いつごろ書かれた作品なのか、本の何処を探しても書いてなくてわからない。

「王城の護衛者」 は会津中将・松平容保が主人公。自分は今までどうしてこんな政治的感覚に乏しい黒目が大きいひ弱そうな若者(26歳)が京都守護職という日本の運命を左右するような重大な職務についたのか疑問に思っていた。家老たちも反対したのだったが、政事総裁職・松平春嶽と将軍後見職・一橋慶喜の強引な説得に折れたため。

一時は長州を宮廷から追い出すのに成功した。だが、愚直で真っ直ぐなだけの容保は老獪な公卿たちや薩摩にはかなわない。気がつくと大阪城。春嶽も慶喜も変節。もうこの若者には何がなんだか分からなくなっていた。

容保は亡くなるまで孝明天皇からの直筆の手紙を大切に持っていた。容保を信頼し忠誠をよろこび、長州と公卿たちを奸賊と罵倒する私信。容保は泣いた。自分が楠正成だと思った。その書簡は「いまも松平容保の怨念は東京銀行の金庫にねむっている。」と書いて司馬はこの短編を閉じている。

「加茂の水」 では幼帝を薩摩と共に操った岩倉具視が主人公。佐幕派の逆臣と看做され洛北岩倉村で蟄居中に謀臣・玉松操という老人と図って倒幕の密勅も「錦旗」も偽造する。

岩倉具視という人物を自分は今までよく知らなかった。自分が見た幕末モノで岩倉はいつも怪物のような存在。ま、暗い部屋の中で他人のハンコで歴史を動かした人物。

「鬼謀の人」 桂小五郎の目を通して描かれる蘭医・村田六蔵こと大村益次郎の活躍。自分は靖国神社に大村益次郎という人の大きな銅像があることは知っていたのだが、どういう人なのか知らなかった。この本によると「容貌、醜劣」で言葉少なく愛想もなくそっけないが天才的戦術家。時代を先駆けたスーパーマンだったが、薩摩から憎まれ暗殺される……。

「英雄児」 は越後長岡藩の家裁で独裁者・河井継之助が主人公。自分はこの人物の名前を聞いたこともなかった。

勉強はまったくできなかったが、藩の財政をイッキに建て直し、利殖に励み、兵制を改革し、最新鋭の武器を大量に購入。北越の小藩でありながら武装中立の軍事集団をつくりあげたスーパーマン。薩長を「偽官軍」と看做して善戦。
この人は長岡をプロイセンにでもするつもりだったのか。生まれる場所と時代を間違えた「謙信の再来」とも云われた人物。死後、長岡の人々からも嫌われた……。

「人斬り以蔵」 岡田以蔵という人物のことも今回初めて知った。「龍馬伝」で佐藤健がやってた役ということぐらいしか知識が無い。武市半平太から「犬」程度にしか思われてない哀しい人斬り浪士で快楽殺人者。

というように、以上の幕末の登場人物を知るためには手軽に読める1冊。

2014年7月29日火曜日

司馬遼太郎 「覇王の家」(1973)

今度は司馬が徳川家康を書いた「覇王の家」(新潮文庫)。

この本の後半分は小牧長久手の戦い。「新史太閤記」でも描かれていたので、司馬は秀吉と家康が直接対決したこの合戦は両者の性格が表れた重要な一戦だったと考えてる。

織田信雄が家康に相談なく単独講和して以後、秀吉が家康に上洛を迫るあたりを書くと、いきなり「大坂の陣」も終わって家康が死ぬ場面。その間のことは他の本を読んでね、ってことか。

家康というと「関ヶ原」「大坂の陣」での老獪で嫌なヤツのイメージだったけど、他の武将に比べたらむやみに人を殺してないなって、この本を読んで思った。口数少なく慎重。腹を立てる場面も無表情でハッキリとものをいわない殿様。

家康はその生涯で何度もびびった。三方が原の戦いではもう少しで死んでた。信長から長男・信康を殺すように命令されたのは酒井忠次と信長の意気が合ったせい。本能寺の変では命からがら、有能な部下たちの働きで伊賀を通って三河へ逃げ帰る。

このとき一緒に堺見物してた武田の武将・穴山梅雪という人が明智の走査線で家康と間違えられて殺されてたって初めて知った。その時の心理描写が面白い。そして石川数正の逐電。

この本で司馬がテーマにしたのは三河武士団の異様な閉鎖性。そして家康の特異な性格。信長も秀吉も世界を変えようとしてたけど、家康は何も変えなかった。古いものをそのまま踏襲して天下を取った。

三河武士団の暗い性格がそのまま江戸幕府、つまるところ日本全体のその後の性格も支配した。そして明治から、昭和に至るまで日本人に影響を及ぼした。

この本もやっぱり面白かった。