「映画ドラえもん のび太の恐竜2006」を見る。これが自分にとって初めての水田わさび版ドラえもん。(水田版を『わさドラ』、大山版を『のぶドラ』と呼んで区別するらしい)
声優が一新してからテレビアニメを見たこともなかった。(長澤まさみが声優を務めた「のび太の宝島」はまさみシーンだけしかチェックしてない)
制作は26年経っても変らずシンエイ動画。監督脚本は渡辺歩。まんがドラえもん誕生35周年記念作。
見てみてまず驚いたのが野比家ののび太の部屋が狭くなってる?!ということだった。
自分の感覚だと2006年版は従来ののび太の部屋より2割ぐらい狭い気がする。東京の住宅事情をリアルに現代に近づけた結果か?
さらに、野比家周辺の住宅地の風景にも時代の変化を感じた。自家用車を持った都民が増えた?集合駐車場もある。
さらに、スネ夫とジャイアンが自転車を持っている?!これも何気に驚いた。ドラえもん登場人物たちが自転車に乗ってるシーンを見たことなかった。(自分はてんコミどらえもんを23巻ぐらいまでしか読んでないからかもしれないけど。)
スネ夫の家の居間がまるで成金か!というぐらい金ぴかなのも驚いた。スネ夫の顔は現実的に存在しない形状。この映画版ではスネ夫の作画に乱れを感じてあまり納得できなかった。それはジャイアンも同じかもしれない。
のび太の喜怒哀楽と焦りと困惑の表情と動きが、自分が見たことないぐらいに激しい。まるで細田アニメ「時をかける少女」並みによく動く。とにかくカチャカチャ慌ただしく絵が動く。
それはドラえもんも同じ。とにかく動く。表情の変化が早い。だがドラえもんはもうちょっと大人であってほしくも思った。ときどき気持ちの悪いヘンな目をするのが嫌だった。
フタバスズキリュウのピー助が1980年版よりもかわいい。のび太とピー助がボール遊びをするシーンひとつを見ても、26年のアニメーション技術の各段の進化を感じた。
世間がジブリアニメ、細田アニメ、新海アニメに感動しているときに、いつまでも昭和ギャグアニメでいてはいけないという野心を感じた。
のび太が風邪で寝込んだ夜に公園の池からどすどすやってくるシーン。従来のマンガドラえもん、アニメドラえもんでまったく見た記憶がないのだが、光と影のコントラストの描き方がまるでカラヴァッジオだしレンブラントだしドラトゥール。この表現をアニメで描くのはたぶん難しい。
野比家周辺の陽光の変化、気象の変化も劇的に美しく描いていて驚いた。1980年版を見た後で2006年版を見ると、絵がとにかくキレイに感じた。
一番自分を驚かせたのが渡辺監督の脚本。マンガのコマの行間までも書き足してる。従来のドラえもんにはなかった登場人物の心理行動を、唐突なものでなく、論理的に連続性を持たせる努力をしているように感じた。
子ども向けではなく、大人が鑑賞するに耐える作品を作ろうという気概を感じた。
大人たちの質感が大きく変化。のび太ママが家の前で赤ん坊を背負った近所の人(親戚?)と話をしたりしてる。見たことのないシーン。
のび太パパが息子のび太に対して信頼して放任してる優しさが感じられる会話シーンもあった。映画を大人の鑑賞に耐えるには、大人を大人として描く大切さを感じた。
崖を掘り返し土砂を自宅に落下させるのび太を叱りつけたおじさんですら、のび太に麦茶をふるまおうと紳士的になっていたのは驚いた。時代は変わった。
白亜紀シーンになると作画にブレを感じることが多くなった。作画のタッチがシーンごとにあまりに違う。ムラがある。
敵アジトが原作でも1980年版でも密林の中の巨大エレベーターになっていたのになぜ変えた?あのギミックは子どもをわくわくさせれたのに。
あと、濁流でのボートとヘリのチェイスシーンで、ピー助を入れていたランチボックスのような箱を一度落下させ失ったかのように感じたのだが、次の瞬間にのび太の手にあるのはどういうわけだ?
てか、人間に慣れた恐竜が珍しい?タイムマシンで自在に過去と未来を行き来してるやつらは「桃太郎じるしのきびだんご」を持ってないのか?
それになぜあの恐竜闘技場にピー助が?
ジャイアンはあんな義侠心篤いキャラだったっけ?原作だとたいがい酷いが。
海の上にいきなりタイムホール?引きだし?え、もう日本に着いた?江戸から京都に歩くだけで大人でも15日かかるんだぞ。なんだその都合のいいラスト。
恐竜ハンターのボスは実写化するときはトランプ元大統領(友情出演)にしてほしい。
従来のドラえもんファンからは賛否がハッキリと別れているようだが、自分は時代の変化に合わせたドラえもんとして肯定的に見ることができた。自分が今現在の子どもたちに「のび太の恐竜」を見せるとしたら、たぶんこちらを先に見せる。
主題歌はスキマスイッチ「ボクノート」。
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