2022年7月31日日曜日

三津田信三「厭魅の如き憑くもの」(2006)

三津田信三「厭魅(まじもの)の如き憑くもの」(2006)を2009年講談社文庫版で読む。

これも110円だけ握りしめてBOへ行き何か買って帰るという些細な生活イベントで手に入れた1冊。608Pの大長編。
自分、三津田信三をまだ1冊しか読んだことがない。もう読まなくてもいいかなと思ってたけど、1冊だけで判断するのもアレなので。

たぶんホラー風味の本格推理小説。この作者のこのシリーズはどれもタイトルが似ていて区別がつかない。それに読み方が分からない。
こういうの書店員にタイトルを言って探してもらうときに不利。タイトルはもっとキャッチ―で分かりやすいものにしないといけない。実際、自分が前回読んだ三津田信三の本のタイトルすらも思い出せない。

これが「刀城言耶シリーズ」の第1長編。この人は民俗学を研究する作家。舞台は昭和30年代?!中国地方の閉鎖的な山間の村・神々櫛村へボンネットバスで行くのだが、まだジーンズが珍しい時代。

ここは神櫛家谺呀治家という二つの旧家が微妙な関係を保ちながら数百年。代々神隠しや憑き物が起こり摩訶不思議な風習が続いてる。その辺を取材しに探偵役の主人公刀城言耶青年がひとりでやって来る。村人たちが警戒心と敵対心丸出し。

だが、話の分かる村の老医師と相互理解。いろいろと村人たちから話を聴く。
神々櫛村の世界観を読者に説明し納得させるためにとにかく長大。登場人物も多いし関係がややこしい。
くどいぐらいに村の風習世界を語らないと読者が没入していけない。(むしろ途中離脱してしまう読者もいるだろうけど。)
読んでて頭痛い。なので流しながら読む。やがて読みやすくなっていく。

で、村にやってきたよそ者の山伏が組笠と蓑から作られるカカシの姿にされた状態で首を縊って死んでいる。密室的状況から判断して犯人は巫女家系で精神を病んで座敷牢にいる早霧(さぎり)か?それとも姪の紗霧(さぎり)か?(谺呀治家の女たちが漢字は違えど読みが同じというややこしさ)
さらに谺呀治家の当主もカカシの姿で川で溺死体となって発見される。

神櫛家の三男・漣三郎(大学浪人)が子どものころに体験した兄の神隠し事件と、その後に兄を目撃したり、幼なじみの小霧(谺呀治家)が巫女である叉霧刀自に薬を飲まされ生きたまま棺に入れられているのも目撃。この語りがぞっとする恐ろしさ。
まあ、このへんまでは読んでて「面白いのかな?」と期待もできた。

だが、読んでも読んでも「?」だったし、何か謎が解明される爽快感もない。
自分はこの本を3日で読んだのだが、前半とか中盤あたりの細かいことはもう覚えていない。ラストの真相開陳に快感と驚きはなかった。

作者が作り出した強引な世界観にどっぷりハマれる人向け。自分はハマれなかった。正直自分は読んでてどんどん冷めていった。
作者の語り口と構成にあまり感心もしなかった。ちょっと背伸びをしたい十代向け。ただし難解。
2冊読んでみて、自分としてはもう読まない判定。無駄に長い。吉野裕子の民俗学本から引っ張ってきた蛇信仰知識が多数。

2022年7月30日土曜日

木村文乃「BLUE / ブルー」(2021)

松山ケンイチと東出昌大主演映画「BLUE/ブルー」(2021 東映)を見る。どうやらボクシング映画らしい。監督脚本は𠮷田恵輔。長年温めてた企画だったらしい。
自分としては木村文乃が出てるので見る。2019年秋に撮影されたもの。
ボクサー役をする俳優は痩せないといけなくてたいへんだ。

ゲームセンターで中学生が喫煙してるなら警察を呼べばいいんじゃないか?
話のなりゆきでボクシング素人柄本時生(ゲーセン店員)がボクシングジムを訪ねるとか、青春映画っぽい。
で、松山ケンイチが「ボクシング目指してる風」をめざしてる柄本を指導。ボクシングジムってこうやって素人入門者から月謝ももらってなんとか運営してるのか。そこ、いろいろとリアルな映画かも。

松山と同じジムにいる有望ボクサーが東出昌大。わりとギラギラしてる。
その彼女が木村文乃(美容師)。東出が最近ろれつが回らず物忘れがひどく怒りっぽいことを心配してる。木村が松山の髪をカットするともっさり青年がまるで若い頃のアルパチーノ。松山と木村は昔からの知り合い?
𠮷田恵輔監督の映画って基本庶民しか出てこない。どのキャラクターもちょいバカ。
柄本(ド素人にしてもあまりに酷い)の動きがいくら変だとしても、月謝払ってるジムの客を馬鹿にする半グレみたいな赤髪ボクサーなんなの。

で、木村は東出を精密検査に連れて行くと、やっぱりいずれ認知症になるかもしれないとのこと。
一方で松山は連戦連敗。弱そうな対戦相手を選んでもボコボコに負ける。それはもう素質がない。

柄本の初スパーリングの描き方が落語。こいつは半年ボクシングやってるのにまだ素人。
だが柄本はやっと本気でボクシングに取り組み始める。ボクシング用マウスピースってあんな風に作るのか。

東出の脳の空白が広がり始めてる。木村が「今日、生理なの」と断るのだが、「バスタオルとか敷けばいいだろ」と立ち上がった瞬間にもう自分が何のために立ち上がったのかも忘れてる。
頭痛をバファリン飲んで対処してる。普通こうなったら別のスポーツを始めればいいだろ。なにも頭部に衝撃を喰らい続けるボクシングをする必要はない。

ジムの赤髪がプロテストを受けるというので柄本もついでに受けてこいと言われる。で、受かる。え、プロテストってそんなものなの?
不合格の赤髪は不満げ。こいつは地下ファイトとかを目指すべきでは?
実は柄本のほうが赤髪よりも強かった?!ボクシングは基礎が大切と教える映画?赤髪は基礎を疎かにした場合の典型的反面教師。
ボコボコに返り討ちにされた赤髪は痙攣を起こして意識不明。ボクサー生命を絶たれる。(こいつの治療費、慰謝料もジム持ち?)やっぱりボクシングは怖いスポーツ?!

東出のタイトル戦を前にして松山との対戦相手研究シーンとか新鮮。こういうの見たことなかった。やっぱりいろいろリアル。下の階から文句が来てると怒ってくる大家のババアとかもリアル。
で、東出はタイトル戦を直前に自転車で転倒。それでも自分も周囲もごまかす。やっぱもうボクサーを諦めるしかない。ボクサーってなんか可哀想だな…。

松山はやっぱり連戦連敗。相手が30過ぎデビュー戦で勝てそうと思いきや、もとキックボクサー?!そんなのアリ?
同じデビュー戦の柄本も初回TKO。弱すぎる…。
東出は勝利。東出を応援する松山を見て木村は涙。試合後の勝利インタビューがまったくろれつ廻ってないし頭も回ってない。これもリアル。
柄本「悔しくないんですか!」松山「悔しいけど悔しさをバネにして…」柄本「バネになってないじゃないですか!毎回負けてるじゃないですか!」脚本のセンスもわりとよい。
木村は柄本をビンタ。この意味がわからなかったのだが、そういうことか…。吉田監督は数分後に違和感の伏線を回収してくる。

ひとりの女をめぐって男ふたりがボクシングで争う。そして悲劇。ちょい「タッチ」要素。

トラック運転手の東出はあきらかに普通じゃないのに、右手がしびれて震えてるのに「薬物やってない?」とか見当違いなことをいう警察官なんなの?これって侮辱罪では?
「集中しろ」とか嫌味言う会社の上司とかなんなの?あまり嫌な人が出てこない映画かと思ってたのに、そこは嫌な気分。
そんなボクシング人間模様群像劇。どんなことがあってもボクシングが好きでやめられない。松山、東出、柄本が対等に主演。
見終わった後にわりと爽快感。日本映画の佳作。荒川河川敷は自分にとって見慣れた風景。

2022年7月29日金曜日

優駿 ORACIÓN(1988)

「優駿 ORACIÓN」を見る。6月にBSプレミアムで放送されたので。
1988年公開のフジテレビ開局30周年記念映画。フジテレビが総力をあげて作った映画。かなりのヒット作だったらしい。配給は東宝。
原作は宮本輝「優駿」。脚本は池端俊策。監督は杉田成道。音楽は三枝成彰。

おそらく主演は当時人気若手女優だった斉藤由貴。東京の社長令嬢の女子大生役(勉強してる様子無し)。自分、まだ斉藤由貴さんの若い頃の出演作とか見たことなかった。喋り方が独特だと思った。

父社長は仲代達矢。仔馬が生まれるのでサラブレッド生産牧場を見にやってくる。獣医さんが三木のり平さんだ。
牧場(北海道)の周囲がまるで「風と共に去りぬ」のような風景。「嵐が丘」のような風景。劇的。
そして当時ほぼ新人の緒形直人も主演クラス。そして緒形拳が父。莫大な額を払って伝説の名馬を種付け。親子にとって一世一代の大博打。緒形親子共演。
平幹二朗は偉そうな役のスペシャリスト。仲代達矢社長に何か要求してる。業績不振で大手に乗っ取られる?
仲代社長の部下石橋凌(やりて秘書、仔馬にオラシオンと命名)。

仲代社長が愛人加賀まりこに産ませた非嫡出子吉岡秀隆(斉藤由貴の腹違いの弟16歳)が重度の腎不全で寝たきり。ほぼこども。
生きるためには生体腎移植が必要という状況。血液型が一致する父が臓器提供の第一候補者。だが会社が業績不振で存続の瀬戸際。「他人に腎臓をくれてやる余裕はない」という非情父。一人息子よりも会社が大事。

そんな状況でORACIÓNを3000万円で購入決意。娘斉藤由貴に馬を与える。競走馬を買うとかセレブすぎる。貴族かよ。仲代達也は「ハチ公物語」でも娘に犬を買い与えてた。

正妻は吉行和子。買う馬を薦めにやってくる調教師が田中邦衛。みんな当時の日本映画界の大物俳優。格調高い。みんな若い。これは相当な大作映画。(田中と吉岡の共演シーンはない)

仔馬は大きなファームへ行くことになる。そこのひょうひょうとした調教師おじさん(だと思わせておいて実は社長)役で石坂浩二。石坂さんはこういう役はめずらしいのではないか。(平、石坂、吉行はワンシーンのみの出演)
斉藤由貴は姉の名乗りも挙げずに弟吉岡にオラシオン号を譲る。え、無償譲渡?
大ファームで競走馬として調教。東京と北海道。そのへんは手紙と写真でやりとり。

茨城に輸送中にトラックが路肩に脱輪事故でオラシオンは脚に怪我。それは大変な事態。競走馬は人間よりも高い。大雨の暗い夜道はもっと運転に慎重になれ。
弟吉岡はデビューまで生きられるかと焦る。脚の怪我で新馬戦に出場が1か月遅れると聞かされさらに焦る。吉岡を病院に無断で深夜に連れ出して早朝練習のオラシオンと対面させる。このシーンがこの映画のクライマックスか。

仲代社長は会社の危機と息子危篤から逃げ出すように北海道。だがそこでもオラシオンの母馬の危篤に立ち会う。
オラシオンはデビュー後3連勝だったのだがレース中に骨折?!でも致命傷にならないでよかった。再び連勝。でも2000m走るのは無理。それ以上走らせると骨折するかもしれない。競走馬として命を燃やすか、北海道で静かな余生をすごすのか。そんなギリギリの決断中に緒形父は胃癌で死亡。父の遺言は「ダービーを取るまで帰るな」

そんな人間ドラマの末に、オラシオンはついに日本ダービーを走る。
美しい風景のある映画は見ていて飽きない。フィルムで撮ってるコントラストの強い映像が良い。
仲代社長と重役たちの会議室がタバコの煙でもうもうとしている。昭和は遠い昔になってしまった。

2022年7月28日木曜日

プーシキン「エヴゲーニイ・オネーギン」(1833)

プーシキン作「エヴゲーニイ・オネーギン Евгений Онегин」を池田健太郎訳1962年岩波文庫の2006年改版第1刷で読む。1823年初夏から7年4か月と17日かけて完成したプーシキン(1799-1837)の代表作。初版が出た1833年は日本でいうと天保4年。

自分がこの本を読もうと思った理由はチャイコフスキーのオペラ「エフゲニー・オネーギン」(1879年初演)のあらすじを知っておきたいから。クラシック音楽に関心のある人のほとんどがプーシキンは名前は知ってる文豪。

著者が読者に物語を語って聴かせる韻文小説。日本語に翻訳するうえで韻文を伝えることはできない。なので散文形式。
当時の知識人階級の人々の話題と関心事に詳しくなくてもいいけど時代背景は事前に知っていたほうがよさそうだ。物語と関係のない情報が多い。詩的部分が多い。

ざっくり説明すると、ロシアの田舎地主階級の男女のタイミングの噛み合わなかった恋愛を描いた小説。
オネーギンは可憐で美しい少女タチヤーナからの愛を拒む。まあ、働かなくてもいいインテリ階級の男。あらすじだと冷酷無残に拒絶するように書かれてるけど、予想してたほど酷くはない。結婚に幸せを見出せないであろう青年が、わりと丁寧にさらりとかわすように告白を断ってるようにも感じる。だが、少女は傷ついて呆然自失。

舞踏会でオネーギンはタチヤーナの妹オリガとダンス。

そんなオネーギンを見ていたドイツ留学帰りの詩人青年レンスキイ(オリガが好き。美男)は決闘を申し込む。この当時の血気盛んな青年にとって決闘は常識的日常風景。
日本では昔から仇討はよくあったのだが、明治になるとすぐに決闘は禁止された。なので美しい婦人をめぐって剣や銃をとって決闘するって場面は見かけない。
自分はキューブリック監督の「バリー・リンドン」という英国歴史絵巻映画でこんな銃を使った決闘シーンは見たことあった。その場面を思い浮かべながら読んだ。
ちなみに、プーシキン本人も決闘で亡くなってる。西洋の歴史で決闘で死んだ偉人は少なくない。

適齢期の娘が田舎でふさわしい青年と出会うことは難しい。行き遅れ娘はモスクワへ出て社交界に出入りする。将来有望な青年と出会える場所が社交界。

オネーギンは26歳になっていた。働いたこともなく打ち込めるものもなく読書の日々。かつて隣村にいたタチヤーナが公爵夫人になっていることを知る。かつて愛を拒んだのに、なぜか今になってタチヤーナへの恋が燃え上がる。

オネーギンはタチヤーナに何度も手紙を書くのだが無視される。直接出かけていってタチヤーナの前にひざまづく。だが、「ばかばかしい!つまらぬ感情の奴隷となるなんて」と吐き捨てタチヤーナは立ち去る。
そこにタチヤーナの夫が戻ってくる…という場面で、プーシキンは読者を急に突き放して放置する。作者もオネーギンに冷たい。

バイロン的主人公に対するロシア的美徳の勝利。恋愛の教訓的な小説。男は女からの愛の告白を断ってはいけない。真面目に生きてとっとと結婚しろ…ってことか。

巻末の解説を読んで、モスクワ貴族出身のプーシキンの母方の祖父は、「ピョートル大帝の信頼あつかったエチオピア人」と書かれていて驚いた。知らなかった。そういえばロシア人ぽくない顔してるけど、ロシアは多民族国家だからそういう人もいるだろうぐらいに思ってた。
あと、チャイコフスキー「エフゲニー・オネーギン」のポロネーズは名曲。

2022年7月27日水曜日

生田絵梨花「世にも奇妙な物語 '22夏の特別編」

生田絵梨花が6月18日放送の「世にも奇妙な物語 '22夏の特別編」に主演で登場。チェックした。
この短編オムニバスSPドラマシリーズは他にない長い歴史のある人気番組。だが自分はよほど注目してる人が出てない限り見てない。今回は生田絵梨花が出てるので見てみた。
(生田はゲストとして数多くのドラマに出演があるのだが、自分が見ているものはほんの一部。)
「メロディに乗せて」脚本:天本絵美 演出:城宝秀則 プロデュース:中村亮太
今回のヒロインはコーヒーチェーン店の社員。頭の中で音楽がつねに鳴っていて困惑する…という役どころ。

街で頭痛。倒れて病院に搬送。医者(濱津隆之)からの説明によると、脳内メロディー症候群を発症?!3人しか確認されていない奇病らしい。メロディーに合わせた行動をとらないと死ぬw 

これはおそらくいつものお笑い不条理バカ回。生田の大げさな演技に合った回。
最近、生田が國村隼さんに見えるときがある。かなり個性的な顔をしてる。
会議室でのプレゼン中に「笑点」のテーマが流れて困惑。これってコントだよね。
役員たちを前にほんの思いつきを提案をしてしまうとか怖い。

何と同じ会社の経理部社員にも同じ脳内メロディー症候群仲間(稲葉友)がいた!(この若手イケメン俳優が篠井英介さんに似ている。)恋の予感。ふたり一緒にミスチルのラブソング。これって運命?
だが、最初に症候群を発症したときチンピラにからまれていた男(金剛地武志)がストーカー立てこもり犯化。
なんとこいつも同じ病?3人しかいない患者3人が同じ場所に集う。どんだけ都合がいいんだよ。舞台で見るコントのような展開。そして衝撃(?)のラストw

それにしても生田の顔が面白い。乃木坂時代にコントや個人PVで培ったコメディエンヌ性をいかんなく発揮してて感心しかなかった。すばらしい企画だった。
もっと早くお茶の間アイドル化すればよかったのにって思う。すでにミュージカル歌手としてFNS歌謡祭とか何度も出演してるし世間にもう十分浸透してるかもだが。

次は誰か映画界の偉い人が生田を見出してほしい。自分は生田を綾瀬はるかになれるコメディエンヌ素材だと思ってる。矢口監督とか周防監督とか生田主演で映画を撮ってくれないか。

2022年7月26日火曜日

ハインライン「夏への扉」(1957)ハヤカワSF文庫

ロバート.A.ハインライン「夏への扉」(1957)を読み返す。2回目。

前回読んだのが3年前でまだ早いと思ったのだが、三木監督の「夏への扉」を見たのと、たまたま立ち寄ったBOが半額セール中でこいつを見つけたから買ってしまった。
おそらく日本人に一番読まれているのに自分はまだ読んだことのない福島正実訳のハヤカワSF文庫1979年版(2001年41刷)が55円で売られていたので救出した。いろいろ再確認するために読む。

「夏への扉」といえばこの表紙イラスト。猫がドアの外を見ている。猫の右側に薄っすら人名が書かれてる。この文庫本の前の所有者?と思いきや、これはカバーイラストを描いた中西信行氏の署名。

映画を見たうえで2回目の読書。1回目を読んだときに感じたよりも面白く感じた。日本人がしない思考と行動と表現があまり気にならなくなった。アメリカ人はつねに権利を主張する。契約の概念を持つ。公証人を探す。そして世知辛い社会。

映画を見てて、まるで原作の要素を思い出せなかった。今回読んでみて、やはりまるで違っていた。三木監督の「夏への扉」はまるで別物。
映画は映画で面白かったのだが、原作は別の面白さだった。「夏への扉」を読んでみてイマイチという感想を持った人は数年置いて別の訳者で2度目に挑戦してみてほしい。

2022年7月25日月曜日

原菜乃華「はらはらなのか。」(2017)

2017年4月1日に公開された「はらはらなのか。」をやっと見る。たぶんファンタジー映画。制作はマウンテンゲートプロ。配給はSPOTTEDプロ。主演は原菜乃華。

原菜乃華は公開当時14歳の注目ローティーン女優で「おはガール」。この映画の後に土井監督の「声の罪」(2020)にも重要な役で出演していたし、クリスティ翻案三谷ドラマ「死との約束」(2021)にも重要な役で出演していた。あともう1作ぐらい何か話題作に出れば映画新人賞に呼ばれそうな存在。もっともっと注目されてよい存在。自分は櫻坂の山﨑天に似ていると思っている。

監督脚本は酒井麻衣でこれがデビュー作。自分がこの映画の存在を知ったのは松井玲奈が出演しているから。公開当時前後は松井がSNSでこの映画を宣伝していた。

女優を目指して6歳から子役として活動する12歳ヒロイン原菜乃華の独白。「私は物語の中に入りたい」
すると突然タキシード姿の男。何も台詞を知らされないまま舞台へ立たされる。それは夢の中?そして歌と踊りのミュージカル。ドレス姿の松井玲奈登場。松井が胸が大きくて驚く。音楽はチャラン・ポ・ランタン。それはやはり夢オチ。
ヒロインなのかにはもう一人の自分(透明ナノカ)がいる。画面に向かって話しかけてくる。ああ、そういう映画か。

遅刻しそうになりつつCMオーディション会場へ。他の応募者の必死さに引く。また落選。
今の子はパソコンで舞台芝居動画を見て演技を勉強。この劇団女優マリカがヒロインの亡き母。なんと松本まりか。松本まりかも年齢的に小学生ぐらいの子どもがいてもおかしくない年齢。
父と娘の田舎暮らし。娘反抗期。わりとヒステリック。父としては13歳になる娘にそろそろ現実を見て勉強に精を出してもらいたい。
通う中学校ロケ地が奥多摩町の小河内小だ。生徒たちの間で「なのかちゃんて芸能人なの?」と話題。
だがそこに生徒会長(吉田凜音)が歌い踊りながらやってくる。やっぱりこの映画はジャンルとしてはミュージカルなのか。

母の遺作「まっ透明なAsoべんきょ〜」が再演されることを知る。ヒロインは応募申込書を学校のプリンタで出力。風に舞う書類(透明ナノカ)に導かれてなぜか松井玲奈の喫茶店「ジャムジャムジェリー」へたどり着く。

え、このリナ(松井玲奈)はかつて母と同じ舞台に立っていた女優?!なにかいろいろと思うところある様子。最近見た「魔女見習いをさがして」と同じような質感。松井は声質が独特で毎回驚く。
だが、台本読みに一緒につきあってもらう。優しい人に違いはなさそう。
このオーディションを内緒で受けたことで現事務所から契約を打ち切られる。父に叱られる。

舞台稽古が始まる。劇団メンバーの自己紹介がミュージカル。え、まだお母さん役が決まっていない?
ナノカは社会勉強の必要から松井の喫茶店を手伝う。メイド服を着て客の注文を取るようになる。

生徒会長は歌手になるべく頑張ってる。SNSに動画をUPしたりしてる。「ナノカも自分を売り込まないと」
生徒会長とのやりとりがすごく自然で良い芝居をしてる。

劇団はかつての看板女優リナ(女優に見切りをつけて女優を辞めた)に劇団に戻ってほしい様子。ナノカは一芝居打つ。迫真の泣きまね演技!それは酷い。
台本を届けに来て騙されたと知り険しい顔。
ナノカの母マリカについて詳しい話をする劇団員たち。そ説明セリフっぽいものはミュージカル。それはきっと正しい方法。

リナは劇団に復帰。だがナノカは演技に迷いが。劇団演出家はナノカの母がかつて好きだったマリカだとは知らない。13歳相手に大きな声で叱責するな。
ナノカはネットで声をかけてきた自称カメラマン(水橋研二)にふたりきりで呼び出され如何わしい撮影されるなど、中学生SNSにありがち危機。水橋が激キモ犯罪者。これはまさしく中学生に教育しないといけないそれ。まるで宮○勤。女の子に「写真撮ってあげるよ」とかいう犯罪は今もあるのか?(篠○紀○とかもかつてローティーン少女に似たようなことしてた)
わりと幻想シーンのようなものを盛ってくる。母と演出家粟島とリナのかつてのやりとりまで見える。

そんなこんなで亡き母の演じた舞台本番へ。だがナノカ過呼吸で大ピンチ。

基本みんな優しい人たちの人間ドラマ。これはどうやら13歳ぐらいの女の子向け映画のようだ。退屈もしたのだが、それはそれでなんかいろいろと懐かしい感情で見ることができた。

主題歌はチャラン・ポ・ランタン「憧れになりたくて」

2022年7月24日日曜日

夏目漱石「虞美人草」(明治40年)

夏目漱石「虞美人草」を読む。東京帝大を辞して朝日新聞の社員として最初の新聞連載小説。明治40年(1907年)6月から10月まで約4か月127回連載されたもの。

初めて読む。どんな話なのかまったく知らない。虞美人の「虞」と言う字が書けない字。よくよく見て今回初めて覚えた。虞美人草とは雛罌粟(ひなげし)のこと。和名も難しくて書けない。
四面楚歌となった項羽が散る前に最後の杯を一緒にあげた人物が虞美人。中国史にまったく疎い自分はよく知らなかった。

漱石先生は40代で亡くなった英語の先生。なのにすらすらと吐く言葉がまさに漢語的名文美文調。読んでいてクラクラする。意味の分からない言葉と表現だらけ。固い。だが、男女の会話が多い。そこは助かる。

若い男が会話しながら京都比叡山の山頂を目指して歩いてる。長身で痩せた男は相当にへばってる。顔も体も四角い男は元気に無計画に歩く。ふたりともたぶんエリート。長身甲野が27歳。四角い宗近が28歳。
自分、京都は人生で3回ぐらいしか行ったことがなく、叡山というものがそこにあったはずなのに、まったく気に留めて見たことがない。なので何もイメージできない。大原女というのもまったくイメージできない。

藤尾(24歳なのにまだ未婚)と小野という秀才青年が、沙翁(シェイクスピア)の「安図尼(アントニー)とクレオパトラ」について会話してる。安図尼が羅馬(ローマ)でオクテビィアと結婚したことを使者がクレオパトラに伝える場面での嫉妬。事前に「アントニーとクレオパトラ」を読んでおいてよかった。じゃないと何の話をしているのかまるでわからない。「アントニーとクレオパトラ」で一番印象深かったちょっとユーモアシーン。

藤尾という女性が金時計をゆらゆらさせたりする。これは何?この女性は兄が家督と財産を放棄すると言うので、実質家長。若い男二人、小野と宗近を天秤にかけているらしい。金時計は藤尾を象徴。

漱石先生の新聞連載小説はもれなく読みにくい。明治の朝日新聞を読むような教養のある読者にはこれでいいのかもしれないが、現代人には埃をかぶった骨董品と感じられるかもしれない。ムダな教養をひけらかす装飾美文はカットしてほしいw これを高校生に読ませて国語力と読解力をテストするのは嫌がらせに等しい。

ひたすら高等遊民男たちとその周辺の「結婚どうするの?」という明治トレンディドラマ。男たちが煮え切らないもなにも、仕官するなり博士になるなり自立できなければ嫁をもらうどころではない。子の縁談で親の圧力がすごい。どうにもならない話がぐだぐだ続く。気が滅入る。

宗近くんはさすが外交官を志すだけあって、それが良いか悪いかは別にして、場をパキッと落ち着くところに落ち着かせる。漱石先生の創造した道義を示すヒーロー。
でも、藤尾さんは気の毒。なぜこの人だけ不幸にならないといけなかったのか?玉突き縁組パズルから外されただけで、なぜ死ななければならなかったのか。みんなもっと死を悼め。

読み始めたときは「これはちょっと…」と思ったのだが、読み終わった今となっては味わい深さを感じる。This is 明治!という小説。

2022年7月23日土曜日

新垣結衣「鎌倉殿の13人」(2022)

今年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は発表があったときから楽しみにしていた。
なにより戦国時代には飽きていたのでそろそろ吾妻鑑とか太平記だろと思っていた矢先に、なんと主人公が北条義時という大河が見られるとは!しかも脚本はあの「真田丸」の三谷幸喜だ。きっと面白くなるに違いない。

しかもさらに新垣結衣がそのキャリア史上初めての大河ドラマ出演。結婚後初となるドラマ出演。話題にならないわけがない。
役名は八重。自分、源頼朝が北条政子と出会う以前に地元の土豪の娘に男児を産ませていたことは知っていた。だが名前は知らなかった。父は伊東祐親?そうだったのか。

戦国時代になっても妻は正室側室に関わらず出身氏族の名前しか知られていないケースが普通。八重という名前は誰かの創作?と思ったら、同時代の物語資料には名前があるらしい。
きっと4話5話あたりでいなくなるキャラだろうな…と思っていたら、なんと北条義時と再婚して泰時まで産むという設定になっていた。三谷幸喜はいろんな説を取り込んで絶妙に配置。

都からやって来た高貴な人物に振り回されひどい扱いを受ける。奪われた子もきっとどこかで生きていると信じていたら、いなくなって早々に殺されていたことを知るという、超絶薄幸のヒロイン。なんと悲しい。
「鎌倉殿」が視聴者の予想以上に殺伐とした内容。登場人物のほとんどが不幸になるドラマ。
新垣結衣の八重は各クライマックスで活躍。政子との女の闘いだったり、頼朝挙兵の現場に立ち会ったり、天然義時とのラブだったり、木曽義高を逃がす現場にいたり、ほぼヒロインとして序盤を引っぱった。

ガッキーは十代のころから真ん中分けロングだった。時代劇では地毛のまま出演可能。以前からなんで大河ドラマにでないのか?と思ってた。今回、やっとしっくりぴったりくる役に巡り合えた。
だが、第21話で突然死がやってきた。川原で子どもたちと遊んでいたら子どもが水の事故。かつて息子を殺された記憶がフラッシュバック。あまりに急な暗転に誰もが絶句。日本中でため息。

子どもを助けた次の瞬間にはもう姿が見えなくなっていた…という、急に影がさしたかのような展開と演出だった。こういうのリアル。昔は(今も)よくあることだったに違いない。

新垣結衣の演技で感心したことはこれまでなかった。ライトなコメディドラマが多かったから。だが、このシーンで新垣結衣はこれまでの女優キャリアで培ったすべてをぶつけた。素晴らしい存在感だった。
ガッキーは十代から二十代後半までずっと太陽のような笑顔で人気。三十代中ごろにさしかかり、さすがにいつまでもカワイイというわけにはいかない。今後はどう女優業に向き合っていくのか。
あまり仕事を詰め込んでいない…と思ってたら、「GHOSTBOOK おばけずかん」という映画が7月22日から公開中。

2022年7月22日金曜日

講談社現代新書「シンプルな英語」(2021)

講談社現代新書「シンプルな英語」中山裕木子(2021)を読む。

長年「特許」の現場で工業英語に携わってきた著者による「効率的に伝わる英語」に特化した「シンプルな英語」とその学習法を指南する一冊。
  • 日本人が最初からネイティヴな英語や高尚な英語を使うな!
  • 単語を並べるだけのブロークンな英語を使うな!必ずSVOを意識しろ!
  • 主語はIかYou、たまに無生物主語を使え!強い意味の動詞を使え!
  • いくら流暢でもまるで内容のない話をするやつは評価しない!
  • 条件節や仮定法を使うな!
  • 受動態を使うな!受け身で話すな!
  • 仮主語It is ~ 構文を使うな!
  • Not構文を使うな!
  • 過去完了形を正しく使え!
  • 定冠詞と不定冠詞を最初から意識して話始めろ!可算名詞か不可算名詞かも意識しろ!
  • 英語は日々新しい表現が生まれてる!
  • AI翻訳や読み上げ機能を有効に使って学べ!
という、明確なメッセージを持って内容を絞り込んだ学習参考書。
この本と高校1年のときに出会っていたかった。

2022年7月21日木曜日

二階堂ふみ「SCOOP!」(2016)

大根仁監督脚本の「SCOOP!」(2016 東宝)を今になってやっと見る。1985年の原田眞人監督脚本によるテレビ映画「盗写 1/250秒」を原作とするらしい。それってつまりリメイク?

主演は福山雅治。50を目前にした時期の主演映画。福山は自分が学生のころからずっといろんなものを見てる馴染みのある俳優。だが音楽はあんまり聴いてない。
今回はどちらかというと二階堂ふみを見るために見たという感じ。
これ、公開当時にあんまり良い評判を聞いてなかった。いずれ見ようと思ってたらもう6年経ってた。テレビ朝日、アミューズ、オフィスクレッシェンドの制作。音楽は川辺ヒロシ。

主人公カメラマン都城静(福山)は伝説的スクープをモノにしてきたが今では芸能スキャンダル専門パパラッチ。借金まみれ酒まみれの荒くれ自堕落中年男。絵にかいたような昭和エロおやじが言いそうなゲス会話ばかり。それは悲哀。
この映画、開始早々からフルスロットルで下品なカーセッ○スの性的艶声が大音量で流れるので注意。
福山がデカい声で「処女!」とかそんな言葉を吐くのも注意。

写真週刊誌「SCOOP!」の部署にいわれるがままに配属されてきた新人素人記者行川野火(二階堂ふみ)の私服姿がヒップホップ。キャップはいいけど職場でチュッパチャップス?それは痛い。
副編集長吉田羊「雑誌はどこも苦しいけど新人記者を育てないとグラビア雑誌になってしまう」そういえばそんな雑誌だらけだ。

夜の東京の街がこれでもか!と性と欲望の街。東京は怖い場所。
福山の盗撮とネタ取りのテクニックと嗅覚。芸能人オーラの車はとりあえずナンバープレートをチェックとか。
もう終電がなくなるから帰りたい二階堂に福山「カタギが寝てる間にころがってんだ。俺たちの食い扶持は!」
コンビニ惣菜パンは真夏でないかぎり一週間過ぎても吐いたりしないと思う。

福山と二階堂、コンビを組んだけどしょぼいネタしかない。芸能人スキャンダルは二階堂を使って正面突破するしかない。で、まずまずの記事になる。リリー・フランキーは毎回こういう情報屋役。

次のターゲットはイケメン若手与党政治家斎藤工。巨乳女子アナとの不倫現場を押さえること。
SPがいっぱいいる状態でどうやってふたりきりの証拠写真を撮るのか?作戦Hってそんなこと?そんなに上手くいくのか?と思ってたら永田町でカーレース。だからベンツなのか。
首都高トンネルで花火砲とかこどもっぽい展開。「ハリウッド映画かと思いましたよ!」こんなことしたら逮捕されないか?

このコンビはつぎつぎとゲスイ芸能スキャンダルネタをつかんでいく。スクープ連発。顔のしっかり見える写真を撮るテクニックってこういうものか。なんか映画としては都合がよすぎる。
スキャンダルネタをつかんだら、新人からずっとうちでグラビアやってるアイドルで事務所との関係でボツとか。写真週刊誌あるある。写真週刊誌の社員たちがみんな最低下品。

芸能ネタから事件ネタへ復帰するように副編集長から尻を叩かれる。注目の少年事件の犯人の現在を撮るにはどうすれば?という会議で過去の有名事件座談会みたいになるところかまったく品がない。

リリーが実は最強ボクサーとかマンガみたいに都合がいい。後ろからナイフで刺されたりしないほうがむしろ違和感。やっぱりほぼマンガ娯楽作。

芸能ゴシップを追いかけることは賤業で少年殺人犯の顔をあの手この手で撮影することは尊いことなの?
警察がぴりぴりしてる現場検証の現場でどうやってあの廃車置き場に入り込めたのか?
バレずに写真が撮れるのか?と思ってた。マタギと羆か。え、そんなことで?偶然にいい写真が撮れ杉。警察もがんばる方向が間違ってる。
タイトルのわりに社会性皆無、サスペンス要素も皆無のバカ映画。しかも福山と二階堂のサービス官能ラブシーンも盛ってくる。

このまま終わったら脚本として酷いな…と思ってたら、薬物リリーが狂う展開。こんなやつを野放しにするな。まるでブラジル、メキシコで見るような風景。借りがあるにしても福山の行動はおかしいにもほどがある。警察もおかしい。発射した銃弾はしっかり数えろ。

軽いバカ映画が最後の最後で重苦しい。不良中年男は死ぬしかないと言ってる映画。
マスゴミの権化みたいな滝藤が意外にまともだった。感動の独白かと思いきや、性風俗店の想い出話。どこまで下品なんだ。こんなんで感動できるか。てか感動とかいらない。ダメだこりゃ。
主題歌はTOKYO No.1 SOUL SET feat.福山雅治 on guitar「無情の海に」

2022年7月20日水曜日

Mamiya 135EFで撮る(その2)

Mamiya 135EFに2回目のフィルムを通して撮影した。2016年に324円で入手し自分で修理。手に入れた直後に撮影したきりだったので、数年前に思い出したように2本目のフィルムを入れ撮り終えてそのまま数年放置。やっと現像に出した。

この1979年製黒プラカメを使っている人は、ツイッターで確認しても、もう世界でも日本でも使っている人はあまり見当たらない。
カメラとしてそれほど評判も聞かないし、たぶん人気もない。軽いテカテカ黒プラカメの肌触り。そんな無理して使うべきカメラでもない。そもそもMAMIYAというブランドを今の若者はたぶん知らないだろうと思う。
初めてテスト撮影したときもそうだったのだが、今回もモルトの貼りつけと遮光に失敗。フィルムカウンターがずっと回ってくれずカウントしてくれなかった。しかもおよそ半分のコマで光線漏れ。
うーん、これはどうしたらいいものか。蝶番のあたりにマスキングテープを貼ればよさそうだが、また今回も懲りずにモルトの代用品としてフェルトを貼ってみた。次の撮影はいったいいつになるのかわからないけど。
たまに光線漏れが無事で見れる写真も撮れる。
このカメラはプラスチック部品が多くて軽い。

2022年7月19日火曜日

長澤まさみ「THE BEE」をWOWOWさんが放送

長澤まさみが24歳の初舞台(2011 本谷有希子・パルコ劇場)から10年、34歳にしてついに野田秀樹から声がかかった。2021年11月1日から始まり各地を回る新キャストによる東京芸術劇場シアターイーストでのNODA・MAP番外公演「THE BEE」に堂々主要キャストとして登場。
 
作・演出野田秀樹。阿部サダヲ / 長澤まさみ / 河内大和 / 川平慈英の4人のみで舞台が進行。すごい。映画にドラマにCMにそして舞台にミュージカルに。気づけば長澤まさみは全方向で日本を代表する人気女優。

まさみは毎年秋に舞台の仕事を入れる傾向。とにかくコロナで世間が大変な時なのに、阿部が直前に感染したのに、中止になった公演もあったのに、連日多くの観客が集まった。野田舞台がそれだけ人々から必要とされているのもあるけど、世間の長澤まさみへの注目度の高さも理由。
そして2022年6月11日にWOWOWさんが放送。しっかり見た。
自分、そもそも舞台をぜんぜん見てない。野田秀樹はずっと昔から東京を、日本を代表する舞台人でそれなりに注視もしてたのだが、人生において一度たりとも劇場に足を運んだこともないし放送でも見ていない。ほぼ初見。なんなら舞台のなんたるかもわかっていない。

ストーリーにはあまり触れないことにする。ビジネスマンが帰宅すると、我が家で妻と子を人質に脱獄犯が立てこもってるという状況。犯人の要求によって阿部は警官と犯人の妻子に会いに行く。それらすべてを4人のみで演じきる。阿部サダヲは一度も舞台からはけることのない出ずっぱり。
まさみは1回だけ衣装が変わるけど、やっぱりほとんどの時間舞台にいる。
なんかもうエロすぎてつらかった。生足ふとももと胸の谷間を見せつけながら床を転がってた。俺のまさみのあられもない姿を多くの聴衆にナマで見られたかと思うとブルー。なにせまさみが中学生のときからずっと見てる。

もう誰しもが認める舞台女優。まさみの声のでかさと活舌の良さに毎回驚く。高いテンションを保つ。
これまで多くの舞台人たちと一緒に仕事。ずっと主要キャスト。膨大なセリフを覚えることができる段階で舞台俳優はすごい。さらに動きながら演技をしないといけない。毎日コンディションを保ってその日のステージに立ち続けないといけない。ハプニングが起これば自分で考えて対処もしないといけない。集中力がすごい。舞台俳優は特別にすごい。観客は膝を正して見ないといけない。よそ見できない。見る方も全力集中で見ないといけない。
凶悪事件の起こってる酷い現実があるのに、人々は何事もないかのようにふるまう。普通だと考えている生活のほうが普通ではないのではないか?というテーマ。
コロナ、戦争、社会と経済の悪化…。なぜタイトルが「THE BEE」なのか?それは見た人それぞれが考えるべきこと。それは放送後のお約束座談会でも野田が言ってた。

座談会のまさみが大人の淑女で上品で可愛らしくて美しすぎた。まさみを追うことがさらにつらくなった。どれだけ強く長くまさみを愛してもただつらくなっていくだけ。まさみのすばらしさにひたすら嫉妬と賞賛の毎日。女優として最大級に理想的にキャリアを積み重ねてなおも毎日成長してる。そんなまさみを眺めながら「自分、もう死ぬの?」という毎日。
劇中で流れる音楽(ハチャトゥリアンの適当替え歌だったり、プッチーニ「蝶々夫人」からの合唱だったり)とか、ダンスのノリとか、野田秀樹も80年代から舞台をやってる人なんだなと思った。

2022年7月18日月曜日

W.L.シャイラー「第三帝国の興亡」第2巻 戦争への道(1960)

W.L.シャイラー(1904-1993)による「第三帝国の興亡」全5巻(1960)第2巻「戦争への道」を読む。昭和36年井上勇訳版の1977年第18刷で読む。
第2巻はオーストリアとチェコスロヴァキアの運命が主題。
The Rise and Fall of the Third Reich by William L. Shirer 1960
ナチス政権下の教育は急速に書き換えられていく。好ましくない教師たちは追放されたのだが、教育現場にもしゃかりきなユダヤ陰謀論に取りつかれた変態ナチス教師たちがたくさんいた。こうでなければいけないというのは教育ではない。今の中国韓国も同じかもしれない。
ナチとファシストから追放されたアインシュタインとフェルミが後にアメリカで原子爆弾完成に理論で貢献した皮肉。

1936年にはナチ以外の青年組織も禁止。フォン・シーラッハ(母はアメリカ人だったので英語が堪能)という若々しい青年が元気ハツラツと大管区指導者としてヒトラーユーゲントを育ててく。それはもう約束のネバーランド。
筆者のシャイラー氏は1940年に目撃したドイツ兵とイギリス兵の青年には見た目に大きな差があったことを告白。凛々しいドイツ青年に対し、貧相な英国青年たち。スパルタ軍事教育で選抜されたドイツ兵と何もせず育ったイギリス兵の差を「悲劇」と表現。

農業はダレ博士、経済はシャハト博士、工業はゲーリング、司法はフランク。着々と戦争準備。
なんでもかんでもナチス上層部の意志が法律の最上位。ヒムラーのゲシュタポとハイドリヒの保安隊SDが逆らうやつらはみんな逮捕。戦争が始まる前からドイツは収容所地獄。ダッハウ、ブッヘンヴァルト、ザクセンハウゼン、ラーフェンスブリューク、マウトハウゼン、ビルケナウ、トレブリンカ、どこもまったく人権無視。

フランスがイタリアのアビシニア侵攻に気を取られている間にドイツはラインラント非武装地帯を占領。ロカルノ条約の破棄。「国際連盟は、腹を決めた侵略者をひきとめる能力がないことを実証しつつあった」(プーチンがウクライナにしてることはまさにヒトラー)
その日のドイツの熱狂を著者は目撃し日記にしたためる。

このときフランスが即座に反撃に出ていれば…と悔やまれる。フランスの危機感を英国は黙殺。英国は大戦直前までドイツに騙され続ける。ドイツの東方の国々もフランスの体たらくに唖然。
ドルフース暗殺後にオーストリア首相となったシュシュニクはドイツにオーストリアの主権の尊重と内政不干渉の約束を取り付けるのだが、国内のナチ同調者を政権に入れる約束をしてしまう。
さらにスペイン内戦にイタリアを引き込んで英仏からイタリアを引き離したローマ・ベルリン枢軸。そして日独防共協定。(ドイツは後に日本を裏切るが)

1938年はシャハトが辞任に追い込まれ、フォン・ブロンベルク将軍が再婚相手の素性スキャンダルで、フォン・フリッチュ将軍が男色スキャンダル(ヒムラーによるでっちあげ)で失脚。(後任はカイテルとブラウヒッチュ。)
ノイラート外相も罷免された。ヒトラーの意に沿わない人々はどんどん取り換えられる。これで侵略戦争開始で邪魔になる者がいなくなった。

第2巻のクライマックスその1はアンシュルス(オーストリア併合)。ベルヒテスガーデンにシュシュニクを呼び出してヒトラーは恐喝と説得。オーストリアの独立国家としての主権は風前の灯火。シュシュニクはムッソリーニに助けを求め国民投票を予告するも、ヒトラーはブレンネル峠(南チロル)をエサにムッソリーニを懐柔。
ナチ協力者ザイス・インクヴァルトを首相にすることを要求。ミクラス大統領は拒むのだがドイツ軍がそこまでやっていきてる。ウィーンでもナチがならず者ぶりを発揮。(ここでもやっぱりプーチンロシアがウクライナを蹂躙するさまを思い出す)

第2巻クライマックスその2はチェコスロヴァキア。オーストリアがドイツになってしまったことで国防上チェコスロヴァキアももはや存続できなくなった。
そしてヒトラーの次の狙うサカナはズデーテン。ズデーテンドイツ人はハプスブルク帝国内にいても歴史上ドイツ内だったことはない。ズデーテン・ドイツ人民党をつくったコンラート・ヘンラインという党首のことは今回初めて知った。

チェコスロヴァキア侵略を前にしてベック参謀総長(後年にシュタウフェンベルクのヒトラー暗殺計画に関与し自殺)が辞表を叩きつけたのだが、これは秘匿。英仏は知らなかった。軍内部での軋轢を。ベックの後任はフランツ・ハルダー(反ヒトラー将官)。
チェコを侵略すればフランスが攻撃してくるかもしれない。そのとき西部方面の国防軍は持ちこたえられないことはわかってる。そのことを指摘しても、ヒトラーは不機嫌に怒鳴るだけ。「ダメだこいつ…」という考えが芽生え始める。

反ヒトラー将校たちはドイツがチェコに侵攻すれば英仏が対ドイツ宣戦布告をすると読んだ。そう働きかけた。だが、その結果は…。
英チェンバレン首相はビルヒテスガーデンに飛んでヒトラーと会見した。約束しても行動が伴わない奴なのに、その言葉と温和な雰囲気から「信頼できる」と信じてしまった。(だから全世界は全力でプーチンを止めないといけない)

歴史の教科書にはミュンヘン会談(チェコ不在)は必ず書かれているけど、その前夜に英仏独伊、チェコ、反ヒトラー独将校たちの間でこれほどギリギリのやりとりがあったことを読んで知ったのは初めて。パリ、ロンドンでは学童疎開や防空壕掘りが始まり、ドイツ西部では人々が逃げ出してた。

チェンバレンはこのときはチェコに犠牲になってもらうことでギリギリで戦争を止めた英雄だったのだが、後に暗転。今も評価が最低レベルなのも致し方ない。仏ダラディエ首相は会談後はよろよろと疲れ切った様子でチェンバレンと別れて行った…。
ベネシュ大統領は英国に亡命。ヤン・スィロヴィが臨時で後を継いでミュンヘン協定を受諾。
ドイツに人口でも工業生産でも劣るフランスが、ドイツの反対側にある同盟国35師団の戦力を失ったのは大きすぎた。

ちょっと意外だったのがチェコ侵攻に対してベルリン市民が冷ややかだったこと。市民が熱狂して軍の行進を見送らない。市民は反戦だった。(これも今回のウクライナ危機とロシア市民の関係に似てる。)

もうひとつ意外だったことは「水晶の夜」で破壊された商店や窓ガラスの保険金の支払いの件で、業界の偉い人が「支払わないとドイツ保険業の内外での信用にかかわる!」とゲーリングに掛け合っていたこと。ゲーリングの対応が酷い。

そしてナチス傀儡国家スロヴァキアの独立。チェコとモラヴィアはドイツの保護国。
スロヴァキアの首相となったティソ司教のことを今までまったくしらなかった。スロバキア共和国首相となってヒトラーと握手した人物。縦と横幅が同じ小男だったと書かれている。(戦後に国民裁判によって絞首刑)

そして「かくて、ポーランドの番がきた。」で締めくくって第3巻へ。

2022年7月17日日曜日

騙し絵の牙(2021)

「騙し絵の牙」(2021 松竹)を見る。2020年公開予定だったのだが、コロナのせいで半年以上延期。原作は塩田武士による同名ミステリ小説(2017 KADOKAWA)。
監督は吉田大八で脚本は楠野一郎。

主演はビジュアルから判断して大泉洋。それにしても邦画のポスターデザインはダサイ。これではどんなジャンルの映画なのかまるでわからない。
廃刊の危機に立ち向かっていく編集長大泉洋を最初から想定して書かれた映画化ありきの原作だったらしい。

一時代を築いたカリスマ経営者が死去したばかりの大手出版「薫風社」では二代目とやり手ら勢力争いが始まってる。
新人編集者高野恵(松岡茉優)は「タクシー手配をちゃんとしろ!」とか命令される立場。だが空気を読まず言いたいことを言うキャラ。
葬儀の日にベテラン人気作家二階堂(國村隼)のパーティー。出版業界ってこんななのか?羽振りがいいのか?作家がシャンソンを歌ったりするのか?
カルチャー誌「トリニティ」編集長速水輝也(大泉)はいつもの大泉のようでいて切れ者か?ベテラン作家や木村佳乃(文芸誌編集長)から嫌われている。

大手出版社専務東松(佐藤浩市)は次期社長候補のやり手。ライバルのジュニアはアメリカに追いやられる。その後ろ盾が佐野史郎常務。
佐藤浩市新社長は不要な雑誌を廃刊にする改革を断行。出版社ってこんな銀行みたいに固い感じなのか?
主要文芸雑誌「小説薫風」(聖域)を月刊から季刊に。反佐藤社長派は反旗。
大泉は他社から移動してきたばかり。廃刊は困る。新連載企画を3本増やしたい。松岡が嫌々ながら速水の「トリニティ」へ移動。
松岡の実家は街の小さな本屋さん。父塚本晋也は儲けを考えない商売。街の小さな本屋を最後まで頑張ってた店主はみんなクセのありそうな人だった。

松岡の出す聖地巡礼アイデアに大泉はダメ出し。大泉のアイデアは二階堂の新連載。「受けてくれるわけないだろう」

ワイン通二階堂は松岡とふたりで親密食事。つぎつぎと高そうなワインをふるまってうんちくたれて松岡を泥酔させる。松岡は大泉から二階堂への貢ぎ物か?あー、嫌だ。と思っていたら、大泉は相手を上回るやり手営業をかます。ああ、こういう感じの小説映画なのね。

松岡が推すも木村佳乃の小説薫風には「そんなこと?」という理由で最終選考から落とされた新人作家の連載も打ち出す。
次に目を付けたのが表紙モデルの池田エライザ。この子は事務所にも話していない同人誌作家の過去が?
松岡は編集者の誰も接点を持たない隠遁作家にも興味を持って接触。滑走路に侵入とか逮捕されるような案件。飛行場特定スキルが特定班のそれ。

薫風がゴミ扱いした新人作家(宮沢氷魚)を文芸評論家小林聡美が絶賛。しかもイケメンでバズる。佐野史郎と木村佳乃地団駄。
しかも写真週刊誌に宮沢とエライザができてるかのような記事も載せる。怒り狂ったストーカーがエライザを襲撃。エライザは3Dプリンタ密造拳銃で反撃し銃刀法違反で逮捕。展開が予想外すぎる。

だが大泉編集長は緻密な計算で佐藤浩市を説得し取締役を押し切る。
そんな雑誌編集部のやり手たちの戦い。出版社内部の戦い。大泉と佐藤は頼朝と上総広常。お互いを利用。佐藤浩市はますます三國連太郎に似て来た。

一度は失った新人作家を常務派はトリニティから奪還。トリニティ編集部にはスパイ(坪倉由幸)もいた。
大泉と佐藤があんまり焦ってないから、もしや罠…?と思ってた。予想を超えていた。まるでコンフィデンスマンJPじゃないか。
リリー・フランキーがどこでどんな役で出るのかと思ってたらそう来たのか。
松岡の「オマエ誰だよ!(怒)」で笑った。
そしてもう1本驚きのどんでん返し。出版社と雑誌、雑誌と広告業、雑誌の未来をめぐる海千山千。そんな遠大な計画が思い通りにいくとかムリだろ。
松岡茉優はこの映画での演技が評価され日本アカデミー賞助演女優賞に選ばれた。ぜんぜん若手女優な感じのしない演技だった。

人は誰かに利用されるばかりじゃダメだというメッセージを受け取った。
先代社長が山本學だって最初見たとき気づかなかった。自分の知ってる山本學とだいぶ変わってた。あと、斎藤工がすっごい脇役。

2022年7月16日土曜日

OVER DRIVE(2018)

「OVER DRIVE」(2018 東宝)を見る。ラリー競技を扱う邦画はあまりない。世界ラリー選手権 (WRC)を目指す天才ドライバーを新田真剣佑が、その兄のメカニックを東出昌大が演じてる。たぶん東出のほうが主演。

監督は羽住英一郎。脚本は桑村さや香。音楽は佐藤直紀。制作は東宝・市川南でROBOT。
べつに見たい理由もなかったのだが、森川葵も出てることだし見ておくか。
トヨタ自動車が特別協賛してる。Special Thanks:豊田章男とクレジットされている。

WRCの登竜門とされる架空のラリーシリーズSCRSがこの映画の舞台。自分、モータースポーツというやつにまったく関心を持ったことがなく何も知識がない。

世界ラリー選手権 (WRC) を目指す檜山直純(真剣佑)はかなりスター気取りで自己中心俺様野郎。嫌悪感しかない。
同じチームに所属するメカニックの兄篤洋(東出)と絶えず衝突。
ドライバーってあんなに若い女からキャーキャー黄色い声を浴びるものなのか?自分、ドライバーってアイルトン・セナぐらいしか知らない。
走行中にあんなに土煙出すの?土と小石を後方に巻き上げて画面を覆い隠す。

スーツ姿の森川葵は上司要潤(本部長)に連れられてきたラリー素人。チーム公報担当?真剣佑のマネジメントも担当?森川は結局最後まで存在感なかった。
吉田鋼太郎がセクハラオヤジオーナー?

森川がレーシングの現場で邪魔でしかない。ぼやぼやうろついて邪魔をする。ピットクルーから突き飛ばされてぷんぷん怒る。スポンサーロゴをちゃんと見えるようにして!と言った後にロゴを見せながら記者に乱暴。なのに自分に自信がある様子。視聴者が見ていてイライラしかしない迷惑若手社員。忙しそうな人に「あの、すいません!」と声をかけるな。こういう人材は戦場に送れ。

いちばん人間ができてるのが東出。こういう素人にまったくイライラせずに説明してくれる貴重な人。人間ができている。弟と対照的。

ライバルに北村匠海。冷静なコメントを吐く。こちらも真剣佑よりも人間ができた人。だがエリートライバルというだけの記号。出番は少ない。かなり脇役。
お台場のレインボーブリッジでも首都高でもレースしてんの?
海外レースがコースぎりぎりに観客がいて危なく見える。

真剣佑が上に行くために必死で焦燥。結果やたら乱暴。衆人環視で大げんか。才能があっても協調性と他社への尊敬が皆無。写真が出ないように裏で手を回すな。こういうやつは早く社会から抹殺されろ。意味なく女の前で裸になって筋肉美(仕上がりすぎ)を見せつけるな。

富山の五箇山でもラリー?合掌造りの家に車が突っ込んだら大変だろ。
悪天候の群馬妻恋の林の中のラリーが事故多発。こんなのいいのか?って思うほどレースシーンはヤバくて圧巻。

さらに路上の事故車と衝突して湖に転落水没?!それはすごい事故。ステージ自体がキャンセル。だがすぐ引き上げて整備するだと?そんなことが可能なのか。カーレースのメカニックってそんなこともできるのか。

そんな定期的にやってくるレースシーンのテンポがいい。娯楽映画とは本来こうあるべきかもしれない。今後ラリーレースの見方が変わるかもしれない。若者のクルマへの興味をつなぎとめるための映画だったかもしれない。

好きだった女の子がアメリカで銃乱射事件に巻き込まれて死亡とか社会問題も取り込んでる。レースの現場でありそうな人間模様パートがかなり暑苦しくてクサい。まるで少年マンガ。こういうものを求めてる人もいるのかもだが。
ヘルメットもなく自転車で山を下る私的レースはあぶない。歩行者とかいないのか。

2022年7月15日金曜日

8日で死んだ怪獣の12日の物語―劇場版―(2020)

8日で死んだ怪獣の12日の物語―劇場版―(2020)を見る。
今回、「24時間まるごとのん」無料放送時に録画しておいたものをようやく見た。

樋口真嗣監督から始まったSNSコロナ禍下リモート企画「カプセル怪獣計画」の番外編。この企画が進行している様子はなんとなくSNSを経由して斜め視界に入っていた。世間がいちばんコロナ疲れしていた時期。これは一般的な劇場公開作とは言えない。なぜかモノクロ。
脚本·監督·造形は岩井俊二日本映画専門チャンネルロックウェルアイズの制作。配給はノーマンズ・ノーズ。

リモートで挨拶し、リモートで台本読み。主要キャストたちもお互いに会うこともなくスマホでリモート撮影。

主人公のサトウタクミを演じるのは斎藤工。髭面。通販サイトでコロナと戦ってくれるというカプセル怪獣を購入。ほぼ丸薬のようなもの。こいつを育てていく。
斎藤工と樋口真嗣の「カプセル怪獣を買ってみたんですけど」というリモート会話。「え、カプセル怪獣って弱いの?時間稼ぎするだけ?」

YOUTUBEで「カプセル怪獣買ってみた」的なユーチューバーもえかす(穂志もえか)の動画を見る。
今度はオカモトソウ(武井壮)とつもる話をリモート会話。この人はタイでレストランを経営する人らしい。コロナで帰国しホテル住まい。仕事も住む家もなくて、タイの家族に仕送りもしないといけないという辛い状況。

そして、通販で宇宙人を買ったというサイトウの後輩女優丸戸のんを演じるのはのん(能年玲奈)。この役は岩井監督からのオファーだったらしい。能年玲奈のキャリアで初めての岩井組参加。
「ひまだよね」「自炊してます」というような、仲良し俳優同志が会話しているてい。
カット割り細かい。アドリブもありつつ、いちおう岩井監督の演出指導があってこの演技らしい。「星人買っちゃいました~」「え、宇宙人売ってんの?」

サイトウタクミの買ったカプセル怪獣はなぜか3個に分裂。そして勾玉みたいな形になってる。そんな報告動画。
ユーチューバーもえかす動画もカプセル怪獣の成長を伝える。え、そんなんなってんの?!
とはいっても子どもが粘土でつくったような形状。こいつを怪獣と呼ぶのはシュールでしかない。

みんなカプセル怪獣がなんたるかわかっていない。樋口監督ですら幼少の事すぎてわかってない。自分、カプセル怪獣といったらウィンダム、ミクラスはクイズ知識として知ってた。だが、アギラは知らなかった。
成長してみたらグドン?!グドンの餌はツインテール?それはもはや一般市民には飼えない。お手上げ。
だが土に埋めてみたらガッツ星人?!人類の敵なら殺処分?
これは長年サブカルで過ごした日本男しかわからない映画なんじゃないか。
いい大人がなんの会話してんだか…というシュール。寝て起きるたびに変化してる怪獣。これって最悪だと「ミスト」に出てくる化け物みたいにならないのか?

展開に予想がつかないのだが、なんだこの着地。宇宙留学?!思い込みが強く頑なな女ほど取り扱いが難しいものはない。
まるで芸人のライブか下北沢で演劇見てるかのようなシュールコント。岩井俊二はやはり予想の斜め上を行く。自分は楽しめた。
コロナで無人になった夜の街の映像とか、ニュース映像とかで見たのとイメージ違う。こんなんなってたんだ。自撮り棒撮影?

主題歌は小泉今日子+ikire「連れてってファンタァジェン」

2022年7月14日木曜日

ヘミングウェイ「老人と海」(1952)

ヘミングウェイ「老人と海」(1952)小川高義訳2014年光文社古典新訳文庫で読む。文庫裏の簡単なあらすじ書きで「ヘミングウェイ文学の最高傑作」と書かれている。この本が今まで読んできたヘミングウェイの中で一番ページが薄い。
THE OLDMAN AND THE SEA by Ernest Hemingway 1952
これは13歳ぐらいの時読んでる。おそらく大久保訳の新潮文庫版で。それ以来で読む。子どもの頃はまったくメキシコ湾の風景も、船やカジキマグロがどんなものかも思い描けていなかった。今ならもっと活き活きと場面が思い描けると思い読書開始。

ヘミングウェイはどれもが男の闘いを描く。これは老人と巨大カジキとの三日間の孤独な戦いを描いてる。とても平易で分かりやすい文体。

84日間一匹も釣れていない大スランプのサンチャゴ老人。40日目までは一緒に舟に乗る少年がいたのだが、両親の言いつけで他の船に乗る。
そしてお金も稼げたことだし、また老人と一緒に漁に出ようかと同情もされる。
それだけ長く不漁で生きていけるのか?さすがキューバ。相互扶助のように住民が老人を気にして食べ物を分け与える。自由に飲んでよい缶に入った鮫の肝油?で精をつける。

そして、ついにカジキの大物がかかる。え、ロープを手繰る方式の釣り?
手を怪我したり攣ったりしながらレスリングのように全身を使って、水面下にいる超大物との駆け引き。
老人は漁に出るのに、食欲がないということでとくに何も食べていない。水だけ持っていく。それは危険なのでは?

カジキが弱るのを待つ間に釣り上げたシイラを生で喰らう。塩もライムも醤油もないのに?シイラの胃袋にいたトビウオも生で喰らう。たまたま流れていた海藻についていた小エビも生で喰らう。ワイルド。

とにかくずっと老人の自問自答や回想。ひとりでカジキの大物を釣り上げたことはない。「あの子がいれば…」とつぶやく。
老人のヒーローはヤンキースのジョー・ディマジオ。こういうのは子どものころ読んでいてよくわからなかった。
あと、漁師は海に出ると雲をみればハリケーンがくるかどうかわかるという。陸は雲の形を変える。こういうのも気象の知識が増えた今ならわかる。

そして、なんとか舟に括り付けたカジキに鮫がむらがって肉を持っていく。これが金銭的損失になる。
最初は鮫の脳天に銛を突き刺して防ぐ。だが、銛もロープも持っていかれた。カジキの傷口から血が流れればそれをたどって他の鮫もやって来る。だがそれは防ぎようがない。
シャベルみたいな頭をした鮫もカジキを喰らいにやってくる。ナイフを括り付けたオールで応戦するも、カジキの4ぶんの1は持っていかれた。「もう魚に目を向けたくない…」

次の鮫との戦いでナイフも折れた。あとはオールと舵と短いこん棒だけ。さらに鮫の背びれが見える。どうすんだよ…。
帰り着いたらカジキは頭と尾びれを残して骨だけになっていた。老人は疲れ果てて眠る。眠っている老人を見た少年は泣いていた。

男は最後の最後まで全力で戦え!これがヘミングウェイだ!という完璧な中編小説。一篇の映画を見たようで味わい深い。どの世代が読んでも主人公に感情移入できる。70年間名作扱いなのも納得。

2022年7月13日水曜日

ヘミングウェイ「移動祝祭日」(1964)

ヘミングウェイ「移動祝祭日」(1964)を読む。高見浩訳平成21年新潮文庫で読む。
ヘミングウェイは1961年に猟銃で自殺している。この作品が事実上の遺作。1957年にキューバで書き始めて1960年に脱稿。
A Moverable Feast by Ernest Hemingway 1964
「もし幸運にも、若者の頃、パリで暮らすことができたなら、その後の人生をどこですごそうとも、パリはついてくる。パリは移動祝祭日だからだ。」(ヘミングウェイ 1950)

アメリカ人は昔からパリに対するあこがれが強い。上流階級知識人はみんなパリ留学が夢。この本を読めばよくわかる。1920年代、多くの芸術家が集まったパリを30年経って回想するエッセイのようなもの。ヘミングウェイは美しいパリの思い出を大切に生きていた。
  • 「サン・ミッシェル広場の気持ちのいいカフェ」牡蠣が美味しそう。
  • 「ミス・スタインの教え」ミス・スタインとはピカソの絵画にも描かれたユダヤ系ドイツ人ガートルード・スタイン(1874-1946)。妻を同伴してアパートメントを訪問したヘミングウェイは絵画の購入の仕方を教わる。「服を買ったりしてたら、絵なんか買えない。着るものには無関心になること」
  • 「ユヌ・ジェネラシオン・ペルデュ」スタインさんと文学談義。
  • 「シェイクスピア書店」本を買うお金もないヘミングウェイは貸本屋を利用。
  • 「セーヌの人々」そして古本市場へも出かける。
  • 「偽りの春」奥さんが貧乏に対してなんら不満を抱かなくて感心。
  • 「副業との決別」競馬にハマるも自転車に転向。
  • 「空腹は良き修行」お腹が減ってるのにパリは美味しいものが眼に入ってきて困る。そして作家としてやっていく決意。
  • 「フォード・マドックス・フォードと悪魔の使徒」お気に入りのカフェと話し相手の紳士。
  • 「新しい文学の誕生」カフェで思索してると友人がやってきて…。
  • 「パスキンと、ドームで」酔っ払っていたパスキンの想い出。
  • 「エズラ・パウンドとベル・エルプリ」エズラの部屋にあった久米民十郎によるものとみられる絵画を「好きになれない」と貶してる。
  • 「実に奇妙な結末」スタインさんとの仲に終止符が打たれた顛末。
  • 「死の刻印を押された男」詩人ウォルシュとのやりとり。
  • 「リラでのエヴァン・シップマン」詩人の友人とのドストエフスキーやトルストイ談義。
  • 「悪魔の使い」阿片の壜。
  • 「スコット・フィッツジェラルド」ふたりで一緒に旅行したスコットが酒に弱くて病弱?!
  • 「鷹は与えない」スコットの妻ゼルダ。
  • 「サイズの問題」ゼルダは心の病。夫婦仲がよくないのは性の不一致?!
  • 「パリに終わりはない」お金ないのに赤ん坊を連れてスキー旅行。そして夫婦の終りを示唆。
というような、貧しくも楽しい青春の20年代パリ回想録。この本はヘミングウェイに感心がある人だけでなく、パリを愛する人々にとっても大切な一冊。

2022年7月12日火曜日

浜辺美波「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」(2015)

浜辺美波の女優としての最初のブレイクポイントとなったドラマ「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」(2015年9月21日フジテレビ)をやっとすべて見通した。
これは2011年にテレビアニメ版、2013年にアニメ劇場版、そして2015年になってついに実写ドラマ化。脚本はいずみ吉紘。演出は西浦正記。主題歌はGalileo Galilei「青い栞」
若手俳優たちにとっては注目度も高く、真剣演技をもとめられるやりがいもあるドラマ。
主演の村上虹郎と浜辺美波だけでなく、志尊淳、飯豊まりえ、松井愛莉ら若手俳優ヤングスターたち総出演。(主要キャストのひとりは後に逮捕される不祥事)
脇役にしても、小泉今日子、小日向文世、吉田羊、火野正平、リリー・フランキー、上地雄輔といった豪華な面々。なにせ敬老の日ゴールデンの放送。

小学生時代になかよしだった仲間の一人が不慮の事故で死んでしまった少年少女たちの、高校生になった抜け殻現在を描く彼岸ドラマ。見ていてかなり湿っぽい。
ヒロイン浜辺美波は主人公仁太(じんたん 村上虹郎)にしか見えてない幽霊。それは少年側の心にも問題がありそうだが、自分が死んだことにも気づかずに成仏もできていない少女も問題だ。(ヒロインめんまの幼少期を演じたのが谷花音)
この主人公は今も区切りをつけられていないし大人にもなれていない。それは悲劇。
やはり後にのし上がっていく女優はローティーン時代から違う。存在感で他のキャストにまったく負けない。浜辺美波は最初から浜辺美波だった。
このドラマが放送された当時、松井愛莉には気づいていたのだが、飯豊まりえが出演していたことに気づいていなかった。
松井の役名はなぜか「あなる」。飯豊は「つるこ」。みんな心に穴が開いたままだが、つるこはガリベンで大人。仲間たちがみんな大人になれていないことを指摘する。
だが、このドラマで一番メンタルをやられていて回復できていない人はヒロインの母吉田羊
このSPドラマは今も語り継がれる名作扱いなのだが、自分としては2時間SPドラマクオリティでそれほど感心もしなかった。何かしながらダラダラ見るには適してる。

あと、このドラマは秩父が舞台。そういえば自分が最後に秩父夜祭に行ったとき、各地に「あの花」めんま等身大立て看板など設置してあった。当時はあまりこのアニメに関心がなくよく知らなかった。
秩父龍勢祭りでロケットを打ち上げることでめんまが成仏するというドラマ。それぞれが心に区切りをつけることができるというドラマ。日本人死生観ドラマ。

ドラマの肝心なところで何度も何度もZONE「secret base 〜君がくれたもの〜」が流れて閉口。これはSilent Sirenによるカバーだったようだ。

自分、以前から龍勢祭を一度見に行ってみたいと思ってる。けど、みんな考えることは同じ。こういう祭はすごく混む。なのでロケ地に行くだけにしようと思う。
浜辺美波は映画はいちおうチェックして見てるけど、テレビドラマは「私たちはどうかしている」以後見ていない。やはりあのユーチューバーの件で少し冷めたかもしれない。