2022年7月18日月曜日

W.L.シャイラー「第三帝国の興亡」第2巻 戦争への道(1960)

W.L.シャイラー(1904-1993)による「第三帝国の興亡」全5巻(1960)第2巻「戦争への道」を読む。昭和36年井上勇訳版の1977年第18刷で読む。
第2巻はオーストリアとチェコスロヴァキアの運命が主題。
The Rise and Fall of the Third Reich by William L. Shirer 1960
ナチス政権下の教育は急速に書き換えられていく。好ましくない教師たちは追放されたのだが、教育現場にもしゃかりきなユダヤ陰謀論に取りつかれた変態ナチス教師たちがたくさんいた。こうでなければいけないというのは教育ではない。今の中国韓国も同じかもしれない。
ナチとファシストから追放されたアインシュタインとフェルミが後にアメリカで原子爆弾完成に理論で貢献した皮肉。

1936年にはナチ以外の青年組織も禁止。フォン・シーラッハ(母はアメリカ人だったので英語が堪能)という若々しい青年が元気ハツラツと大管区指導者としてヒトラーユーゲントを育ててく。それはもう約束のネバーランド。
筆者のシャイラー氏は1940年に目撃したドイツ兵とイギリス兵の青年には見た目に大きな差があったことを告白。凛々しいドイツ青年に対し、貧相な英国青年たち。スパルタ軍事教育で選抜されたドイツ兵と何もせず育ったイギリス兵の差を「悲劇」と表現。

農業はダレ博士、経済はシャハト博士、工業はゲーリング、司法はフランク。着々と戦争準備。
なんでもかんでもナチス上層部の意志が法律の最上位。ヒムラーのゲシュタポとハイドリヒの保安隊SDが逆らうやつらはみんな逮捕。戦争が始まる前からドイツは収容所地獄。ダッハウ、ブッヘンヴァルト、ザクセンハウゼン、ラーフェンスブリューク、マウトハウゼン、ビルケナウ、トレブリンカ、どこもまったく人権無視。

フランスがイタリアのアビシニア侵攻に気を取られている間にドイツはラインラント非武装地帯を占領。ロカルノ条約の破棄。「国際連盟は、腹を決めた侵略者をひきとめる能力がないことを実証しつつあった」(プーチンがウクライナにしてることはまさにヒトラー)
その日のドイツの熱狂を著者は目撃し日記にしたためる。

このときフランスが即座に反撃に出ていれば…と悔やまれる。フランスの危機感を英国は黙殺。英国は大戦直前までドイツに騙され続ける。ドイツの東方の国々もフランスの体たらくに唖然。
ドルフース暗殺後にオーストリア首相となったシュシュニクはドイツにオーストリアの主権の尊重と内政不干渉の約束を取り付けるのだが、国内のナチ同調者を政権に入れる約束をしてしまう。
さらにスペイン内戦にイタリアを引き込んで英仏からイタリアを引き離したローマ・ベルリン枢軸。そして日独防共協定。(ドイツは後に日本を裏切るが)

1938年はシャハトが辞任に追い込まれ、フォン・ブロンベルク将軍が再婚相手の素性スキャンダルで、フォン・フリッチュ将軍が男色スキャンダル(ヒムラーによるでっちあげ)で失脚。(後任はカイテルとブラウヒッチュ。)
ノイラート外相も罷免された。ヒトラーの意に沿わない人々はどんどん取り換えられる。これで侵略戦争開始で邪魔になる者がいなくなった。

第2巻のクライマックスその1はアンシュルス(オーストリア併合)。ベルヒテスガーデンにシュシュニクを呼び出してヒトラーは恐喝と説得。オーストリアの独立国家としての主権は風前の灯火。シュシュニクはムッソリーニに助けを求め国民投票を予告するも、ヒトラーはブレンネル峠(南チロル)をエサにムッソリーニを懐柔。
ナチ協力者ザイス・インクヴァルトを首相にすることを要求。ミクラス大統領は拒むのだがドイツ軍がそこまでやっていきてる。ウィーンでもナチがならず者ぶりを発揮。(ここでもやっぱりプーチンロシアがウクライナを蹂躙するさまを思い出す)

第2巻クライマックスその2はチェコスロヴァキア。オーストリアがドイツになってしまったことで国防上チェコスロヴァキアももはや存続できなくなった。
そしてヒトラーの次の狙うサカナはズデーテン。ズデーテンドイツ人はハプスブルク帝国内にいても歴史上ドイツ内だったことはない。ズデーテン・ドイツ人民党をつくったコンラート・ヘンラインという党首のことは今回初めて知った。

チェコスロヴァキア侵略を前にしてベック参謀総長(後年にシュタウフェンベルクのヒトラー暗殺計画に関与し自殺)が辞表を叩きつけたのだが、これは秘匿。英仏は知らなかった。軍内部での軋轢を。ベックの後任はフランツ・ハルダー(反ヒトラー将官)。
チェコを侵略すればフランスが攻撃してくるかもしれない。そのとき西部方面の国防軍は持ちこたえられないことはわかってる。そのことを指摘しても、ヒトラーは不機嫌に怒鳴るだけ。「ダメだこいつ…」という考えが芽生え始める。

反ヒトラー将校たちはドイツがチェコに侵攻すれば英仏が対ドイツ宣戦布告をすると読んだ。そう働きかけた。だが、その結果は…。
英チェンバレン首相はビルヒテスガーデンに飛んでヒトラーと会見した。約束しても行動が伴わない奴なのに、その言葉と温和な雰囲気から「信頼できる」と信じてしまった。(だから全世界は全力でプーチンを止めないといけない)

歴史の教科書にはミュンヘン会談(チェコ不在)は必ず書かれているけど、その前夜に英仏独伊、チェコ、反ヒトラー独将校たちの間でこれほどギリギリのやりとりがあったことを読んで知ったのは初めて。パリ、ロンドンでは学童疎開や防空壕掘りが始まり、ドイツ西部では人々が逃げ出してた。

チェンバレンはこのときはチェコに犠牲になってもらうことでギリギリで戦争を止めた英雄だったのだが、後に暗転。今も評価が最低レベルなのも致し方ない。仏ダラディエ首相は会談後はよろよろと疲れ切った様子でチェンバレンと別れて行った…。
ベネシュ大統領は英国に亡命。ヤン・スィロヴィが臨時で後を継いでミュンヘン協定を受諾。
ドイツに人口でも工業生産でも劣るフランスが、ドイツの反対側にある同盟国35師団の戦力を失ったのは大きすぎた。

ちょっと意外だったのがチェコ侵攻に対してベルリン市民が冷ややかだったこと。市民が熱狂して軍の行進を見送らない。市民は反戦だった。(これも今回のウクライナ危機とロシア市民の関係に似てる。)

もうひとつ意外だったことは「水晶の夜」で破壊された商店や窓ガラスの保険金の支払いの件で、業界の偉い人が「支払わないとドイツ保険業の内外での信用にかかわる!」とゲーリングに掛け合っていたこと。ゲーリングの対応が酷い。

そしてナチス傀儡国家スロヴァキアの独立。チェコとモラヴィアはドイツの保護国。
スロヴァキアの首相となったティソ司教のことを今までまったくしらなかった。スロバキア共和国首相となってヒトラーと握手した人物。縦と横幅が同じ小男だったと書かれている。(戦後に国民裁判によって絞首刑)

そして「かくて、ポーランドの番がきた。」で締めくくって第3巻へ。

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