2022年7月11日月曜日

横溝正史「女王蜂」(昭和27年)

横溝正史の長編推理小説「女王蜂」を読む。昭和26年から翌年にかけて「キング」誌に連載されたもの。昭和48年に角川文庫化。自分が今回読むものは平成18年角川文庫「金田一耕助ファイル9」。この版は巻末にまったく解説がなくて困る。

4年前の秋に100円で見つけて、いつか読むだろうと買っておいたもの。464ページとわりと長編。
市川崑の映画版は何度も見たので内容は知っている。なかなか読む気になれなかった。やっと手にとった。

伊豆下田から南に七里、地図にも載っていないという月琴島の名家で育った大道寺智子18歳は源頼朝の落胤子孫で絶世の美女。義父・大道寺欣造の住む東京世田谷経堂の屋敷に引き取られることになっている。冒頭から横溝の説明筆致がとにかくわかりやすくて適切。

智子は幼いときに母琴絵自分から入ることを許されなかった開かずの間の鍵を「亡き実の父?」と想像する墓で発見。好奇心から別館の開かずの間に入ってみると、そこには血痕のついた月琴。

そして東京からの迎えの使者。行者・九十九龍馬と金田一耕助。九十九は原作だと冒頭から早い段階で登場。祖母の槙と家庭教師の神尾秀子女史とともにまず修善寺で一泊。
映画で全体構造を知りながら原作ならではの違う点を味わいながら読む。なんだか面白い。

そして新聞を切り貼りした警告状。智子への求婚者たち。血のつながらない弟。偽名の美青年多門連太郎。なぞの変装老人。そして時計塔機械室での求婚者の死体発見。さらに老庭師の死体発見。次々といろいろなことが起こる。時に智子主観。乱歩ぽくもある。

成功者の大道寺欣造(42)の登場シーン。「肌の綺麗な、口髭の美しい、背の高い好男子で、ちょっと近衛公に似ている。」と書かれてる。この時代は感じの良い紳士は近衛文麿に例えるのがデフォ?

映画版では求婚者同士が激しく喧嘩する場面がテニスコートだったのだが、原作ではピンポン?!ピンポン・バットって何だ?ラケットのことか?

金田一さんは依頼者の加納弁護士に背後に旧宮家の人がいる?と探りを入れるのだが口が堅くて何も教えてもらえない…。

昭和7年に島を訪問した学生の速水欣造(現在の大道寺欣造)と友人の日下部達哉(偽名)。島で数日過ごす間に日下部は島の名家の娘で絶世の美女大道寺琴絵とデキてしまうw。そのときにできた子が智子。
琴絵からの報せを受け月琴島を再訪した日下部はそこで崖から落ちて不慮の死。
日下部は手紙で「蝙蝠を見た」ことをふざけた調子で書いていた。これって一体何のこと?

日下部の死後、欣造は大道寺家の婿養子。だが琴絵と欣造は夫婦の関係じゃなかったのでは?欣造には妾蔦代との息子文彦もいる。

日下部が19年前に撮影したネガを大きく引き伸ばした結果、身元不明の庭師は19年前の惨劇のとき島で興行していた旅の一座・嵐三朝だったと判明。(このへんも市川崑映画と設定が大きく違う)

金田一さんは夜道で何者から襲撃され引き伸ばした写真も奪われた。金田一さん自体が狙われるケースはあまり多くない。
さらに、新日報社の宇津木記者に託したネガも奪われていた。敵もさるもの。

映画では求婚者2が毒殺されるのが京都の寺での茶会だったのだが、原作では歌舞伎座での幕間。チョコレートの包みを口にしてすぐに絶命。(原作には京都がまったく出てこない。)
さらに九十九の道場があるのも青梅という設定。
あと、映画では高峰三枝子(東小路家)が原作では謎の老人(衣笠宮)だった。

市川崑の映画のように過不足なく劇的でスタイリッシュというわけにはいかない。連載小説の冗長さが抜けきらない。ちょいくどい。
あと、金田一さんの「犯人はあなたです!」という場面がなくて残念。神尾女史があんなことになった後に読者に明かされる形式。
だがそれでも「女王蜂」はあっという間に読んでしまう面白さがあった。わりと力作。

自分、読みながら「今リメイクするとしたら大道寺智子は誰がいいか?」と考えていた。20歳前後で絶世の美女といってもそうそういない。浜辺みなみ、清原かや、あたりが無難か。齋藤あすか、山下みづき、小坂なお、でもいいかもしれない。もうちょっと年齢設定を上にすれば新木ゆうことかも可。神尾女史はまさみ希望。

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