2022年7月28日木曜日

プーシキン「エヴゲーニイ・オネーギン」(1833)

プーシキン作「エヴゲーニイ・オネーギン Евгений Онегин」を池田健太郎訳1962年岩波文庫の2006年改版第1刷で読む。1823年初夏から7年4か月と17日かけて完成したプーシキン(1799-1837)の代表作。初版が出た1833年は日本でいうと天保4年。

自分がこの本を読もうと思った理由はチャイコフスキーのオペラ「エフゲニー・オネーギン」(1879年初演)のあらすじを知っておきたいから。クラシック音楽に関心のある人のほとんどがプーシキンは名前は知ってる文豪。

著者が読者に物語を語って聴かせる韻文小説。日本語に翻訳するうえで韻文を伝えることはできない。なので散文形式。
当時の知識人階級の人々の話題と関心事に詳しくなくてもいいけど時代背景は事前に知っていたほうがよさそうだ。物語と関係のない情報が多い。詩的部分が多い。

ざっくり説明すると、ロシアの田舎地主階級の男女のタイミングの噛み合わなかった恋愛を描いた小説。
オネーギンは可憐で美しい少女タチヤーナからの愛を拒む。まあ、働かなくてもいいインテリ階級の男。あらすじだと冷酷無残に拒絶するように書かれてるけど、予想してたほど酷くはない。結婚に幸せを見出せないであろう青年が、わりと丁寧にさらりとかわすように告白を断ってるようにも感じる。だが、少女は傷ついて呆然自失。

舞踏会でオネーギンはタチヤーナの妹オリガとダンス。

そんなオネーギンを見ていたドイツ留学帰りの詩人青年レンスキイ(オリガが好き。美男)は決闘を申し込む。この当時の血気盛んな青年にとって決闘は常識的日常風景。
日本では昔から仇討はよくあったのだが、明治になるとすぐに決闘は禁止された。なので美しい婦人をめぐって剣や銃をとって決闘するって場面は見かけない。
自分はキューブリック監督の「バリー・リンドン」という英国歴史絵巻映画でこんな銃を使った決闘シーンは見たことあった。その場面を思い浮かべながら読んだ。
ちなみに、プーシキン本人も決闘で亡くなってる。西洋の歴史で決闘で死んだ偉人は少なくない。

適齢期の娘が田舎でふさわしい青年と出会うことは難しい。行き遅れ娘はモスクワへ出て社交界に出入りする。将来有望な青年と出会える場所が社交界。

オネーギンは26歳になっていた。働いたこともなく打ち込めるものもなく読書の日々。かつて隣村にいたタチヤーナが公爵夫人になっていることを知る。かつて愛を拒んだのに、なぜか今になってタチヤーナへの恋が燃え上がる。

オネーギンはタチヤーナに何度も手紙を書くのだが無視される。直接出かけていってタチヤーナの前にひざまづく。だが、「ばかばかしい!つまらぬ感情の奴隷となるなんて」と吐き捨てタチヤーナは立ち去る。
そこにタチヤーナの夫が戻ってくる…という場面で、プーシキンは読者を急に突き放して放置する。作者もオネーギンに冷たい。

バイロン的主人公に対するロシア的美徳の勝利。恋愛の教訓的な小説。男は女からの愛の告白を断ってはいけない。真面目に生きてとっとと結婚しろ…ってことか。

巻末の解説を読んで、モスクワ貴族出身のプーシキンの母方の祖父は、「ピョートル大帝の信頼あつかったエチオピア人」と書かれていて驚いた。知らなかった。そういえばロシア人ぽくない顔してるけど、ロシアは多民族国家だからそういう人もいるだろうぐらいに思ってた。
あと、チャイコフスキー「エフゲニー・オネーギン」のポロネーズは名曲。

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