2022年6月30日木曜日

アンダーグラウンド(1995)

ユーゴ内戦中に制作されたセルビアの映画「アンダーグラウンド」(1995)を見る。初めて見る。BSプレミアムでやってたので。
フランス・ドイツ・ハンガリー・ユーゴスラビア・ブルガリアによる合作。監督はエミール・クストリッツァ。カンヌ国際映画祭パルム・ドール作品。
自分がこの映画の存在を知ったのは今年になって岩波新書「ユーゴスラビア現代史」という本を読んで。それまでまったくこの映画を知らなかった。

馬車が夜の街を走る。ブラスバンド隊が走って追いかける。酔っ払いに拳銃を持たせるな。危ない。
このイッちゃった男二人。共産党員マルコ(詩人)と元電気工のクロ。夜のベオグラードの街がカオス。明らかにこの映画はふざけた感じ。中年男女が下品。独特のテンションが受けつけない。

第一章「戦争」
1941年4月6日、ナチスドイツのベオグラード侵攻。
マルコの弟イヴァンは動物園飼育員。空襲で動物たちも街を逃げ惑う。人間も動物たちも死傷。都市は爆弾で瓦礫。
イヴァンは無事だったチンパンジーを連れて退避。空爆って人間も動物も無差別。
マリボル、ザグレブ、ベオグラードの人々はナチ入城を歓迎してるけど、ナチはスラブ人を奴隷にする気だぞ。

人々は瓦礫を片付ける以外することもない。ナチスによる共産党員・パルチザン狩りが進む。マルコはお尋ね者。
マルコはクロと家族たちを地下室(アンダーグラウンド)に退避させる。退避したその日に息子が生まれる。

そこから3年。地下室に人が多すぎる。なんで酒がそんなにある?
ヒッチコックとかクリスティとか英国人たちもドイツ人も、この時代のバルカンの人々はやたら酒飲んでダンス踊ってるイメージを持っていたようだけど、それはあながち間違いじゃなかったようだ。

女優ナタリアは弟(知的障害で車椅子)を守るためと自身の保身のためにナチ将校フランツに接近。
劇場でナチス相手に芝居してる女優とマルコとクロのシーンとか、そのセンスがぜんぜん日本人にはなじみがなくてよく分からな過ぎた。
クロがナタリアを衆人環視下から奪還。船上でいきなりクロと結婚式。またしても音楽、酒、踊り。これがバルカン。やたら拳銃を撃つな。危ない。パルチザンってこんな自由でゆるくてカオスだったのか。ほぼアウトローヤクザ。

そこにフランツ率いるナチス部隊。ナタリアは再びフランツに強奪。クロは逮捕拷問。
マルコは医師に変装しフランツを殺害。ナタリアと弟、クロを奪還。クロは大怪我。
ドタバタしてるけど、もう何が何だかでそんなに面白くない。ナチ占領時代のセルビアという時点でなじみなさすぎ。

マルコはパルチザンとして祖国解放戦争を戦い抜き、チトーの側近となる。そのへんを記録映画と雑な合成。ある意味、セルビア版「フォレストガンプ」だったのかもしれない。

第二章「冷戦」
連合国がベオグラードを開放。だが、マルコは地下室の住人には「まだ戦争は続いている」とダマして武器の密造を続けさせ利益を得続ける。そしてナタリアもクロから奪う。
これだけ多くの人が15年も戦争が終わったことに気づかないとかありえるか?
こういう設定のドラマとか映画とかあまり他に知らない。「グッバイレーニン」も同系統か。

マルコはボロボロの衣服でゲシュタポに追われて地下室に逃げ込んできたていで偽装工作。同志チトーからの偽の伝言。空襲警報やらヒトラーの演説やら戦争が継続している演出もする。

ユーゴ共産党政府幹部マルコとその妻ナタリアは武器密造をさせているクロたちを気にしつつ、マルコはクロを死んだことにして祖国解放戦争の英雄として銅像を立てる。記念映画の製作にまで企画。かつて船上でのあの日を再現。

ナタリアは地下室に降りてセリフをしゃべるように指示されるも、あまりに滑稽な欺瞞と良心の呵責。
クロの前で瀕死の演技をするのだが、明らかに肌の血色良くてキレイだろ。
ヨヴァンの結婚式でまたまた酒と踊りでカオス。バルカンの人々は踊りが好きだな。
ナタリア悪酔い。マルコとの関係をクロに知られてしまう。マルコは自殺を装う。チンパンジー戦車の主砲が火を噴く!w

クロは息子ヨヴァンと地上に撃って出る。川原でマルコが企画したプロパガンダ映画の撮影班に遭遇。よりによってナチス兵エキストラやフランツ役の俳優のシーン。みんな年を取ってないとかおかしいだろ。戦前にも映画はあっただろう。いやもうハチャメチャな殺戮。カメラを止めるな!

映画撮影現場襲撃事件の犯人追跡にヘリコプターを投入。
地下室で生まれたヨヴァンは地上の風景を初めて見る。父は息子に地上を教える。夜明けを見る。クロは川で泳ぐ。息子に泳ぎを教える。
ヘリからの銃撃を受けたヨヴァンは溺れ水中で新婦エレナと再会。水中で息子を探すクロは猟師の網にかかりもがく。
マルコとナタリアは自宅を爆破し失踪。そしてチトー大統領の死。祖国ユーゴスラヴィアは混迷の中。

第三章「戦争」
1992年、マルコの弟イヴァンはベルリンの精神病院。新年を祝う花火を見て「ユーゴに帰りたい」と泣く。担当医は「戦争はもうとっくに終わっている」「ユーゴは内戦中」「マルコとナタリアは国際指名手配」と教える。
イヴァンはマンホールから地下へ。地下には大戦中に掘られた通路。国連軍の車両と難民が行き来。

ボスニアから来た兵士にどこへ行くのかと訊かれたイヴァンは「ユーゴスラヴィアへ」。黒人兵士「ユーゴはもうない」
イヴァンは地下を彷徨いチンパンジーのソニとあの地上に出た日以来の再会。ソニに導かれて戻ったユーゴでは激しい内戦と虐殺。

戦場でイヴァンはクロを見つける。まだ生きてたのかよ!クロは息子ヨヴァンを探し続けそのままユーゴ内戦を戦っていた。
イヴァンは取引中の武器商人マルコとナタリアと出会う。イヴァンはマルコを撲殺。イヴァンは教会で首を縊って自殺。

戦場で処刑されたマルコとナタリアのパスポートを見つけたクロ。「何と言う事だ…」
これがユーゴスラヴィアという国の見た地獄。みんな死んだ。
「ユーゴスラヴィア現代史」という本を読んで、チトー死後に真っ先にチトーが軽んじられていったのはセルビアだったと知った。自国の歴史を寓話として滑稽にブラックに描く。

地下室の国民に何も教えず騙してるシーンは中朝ロシアだけを笑ってもいられない。日本の若者たちもずっと自民党政府と財務省に騙されむしり取られて若さを浪費してないか?

この映画を見たことで第二次大戦中のユーゴの雰囲気は感じられた。見てよかった。こういう映像とドラマでも見ないと歴史は活字だけでしかイメージするしかない。

自称ユーゴスラヴィア人のセルビア人監督(サラエヴォ出身、父セルビア人母モスレム)が描いた我が祖国ユーゴスラヴィアの惨めな末路。
かつて存在したユーゴスラヴィアに関心がある人は一度見ていい映画だと感じた。監督の現在の政治的立ち位置は置いといてたぶん名作。見終わって余韻が深く濃い。

だが、ナチスとチトーとパルチザンをもっとまじめに硬派に描いた映画はないのか。
たぶんユーゴスラヴィアについて何も知識がない視聴者は見ててちんぷんかんぷんじゃなかったか?

この映画が作られていた時期のセルビアは国際世論によって悪者扱い。コソヴォはアメリカとEUが認めたから独立も正義。だが、ロシアが同じことをするのは許されない。そのへんをずっとプーチンは見ていた。

2022年6月29日水曜日

とんかつDJアゲ太郎(2020)

「とんかつDJアゲ太郎」(2020 ワーナー・ブラザース)を見る。ようやく重い腰を上げて見る。自分はまったく知らなかったのだが少年ジャンプ連載漫画が原作だったらしい。
監督脚本は二宮健。脚本で喜安浩平が協力してるらしい。AOI Pro.とフジテレビの制作。
主演はまたしても北村匠海。日本映画におけるもう一人の山﨑賢人。もう何本の映画に出てるのかわからない。

若者たち(円山町のこどもたち)が旅館に集まり騒々しく人生ゲームをやってる冒頭シーンからこれは大人が見るべき映画かどうか不安になる。
主人公アゲこと勝又揚太郎(北村)が双眼鏡で向かいのビルのカワイ子ちゃん苑子(山本舞香)を見てると店(とんかつ)の時間に遅れる。まあ家業に身が入るわけない。怖そうな父(ブラザー・トム)から「店、継がなくていいぞ」
アゲ太郎は就活とかしたくないからとんかつ店を継ぐことを考えてる。

とんかつ弁当を指名してきたDJオイリー(見るからに嫌悪感しかない)に届けるのだが、アゲ太郎はクラブイベントという異世界に足を踏み入れてしまう。
何か素晴らしいものと出会った瞬間の呆然と見てる感じが良い。誰しも身に覚えがある感じ。

DJって何から始めればいい?このアゲ太郎が平均的な音楽知識すらもない。遊び仲間たちも全員クラブDJというやつをよく知らない。ズレすぎ的外れ。ダンスシーンとか日本らしくない意味不明なセンス。

とんかつDJ動画(こんなんバズるか?)を苑子に見せるシーンとか恥ずかしすぎて見てらんない。なんか何もかもセンスがヘンテコで合ってない。
若手人気DJ屋敷が伊藤健太郎。テンション低くてスカした野郎。

DJオイリーの貧乏アパートがまんまTRICKの山田と大家のやりとりみたいだった。
こいつが金に困ってるのに私物レコードは売らない。弟子入り志願アゲ太郎に指導するというていで追い出されたアパートにあった私物を仲間の居場所に運び込む。これでこいつは居候として上がり込んだ。アゲ太郎はDJKOOのビデオでさらにズレていく。
DJオイリーはギャラもらってクラブイベントで皿回してるのでいちおう人気プロDJらしいのだが。
師匠は教えない。周囲も困惑。見様見真似だけでアゲ太郎は何かをつかんでいく?!

北村くんの動きと所作がすごく本物DJっぽい。けどフロアのテンションだだ下がり。見よう見まねの限界か。中途半端に現実をぶっこんでくる。イベントとして窮地。
だが、伊藤健太郎くんがいい感じにアゲてくれる。現実は甘くない。師匠も「あんな素人出すなんて!」とイベント主催者に怒られる。見ててすごい悲しい。
アゲ太郎は落ち込む。同じ渋谷でも華やかな世界と円山町では差がある。青春映画として最初の挫折。クラブイベントに来てるようなスカした野郎と女どもはやっぱり嫌なやつら。

妹(池間夏海)が自分の知ってる池間よりも顔が地味になってる。幸薄顔になってて驚いた。大人になってしまったのかもしれない。
山本舞香は顔が派手。都会のカワイ子ちゃんという役にぴったり。この子がかけるレコードは何だっていいにきまってる。

「アゲ太郎くん、まんまと僕もアゲられたよ」まじか。なんだこの映画。

どの層に向けたものなのかわからなかった。この映画で笑えた視聴者っていたのか?中学生ぐらいまでならこれでいいのかもしれない。
少年ギャグマンガを実写化するとこれなるだろうなっていう映画。都合よく唐突。趣味と仕事を両輪として高め合う。それは理想。
主人公の成長を描いた真面目な青春映画。とんかつとDJを組み合わせた一見ふざけた映画のようでいて真面目。笑いよりもちょい暗い気分にもなった。

北村くんの無駄遣い。どこか東南アジアの国の映画のようにも思えるほどセンスが違った。
でもとんかつは美味しそう。高級料理なのでそうそう食べられない。家族経営の店があんなに毎日盛況ならいい商売。

主題歌はなんとブルーノ・マーズ「ラナウェイ・ベイビー」
音楽でアゲればそれでOK

2022年6月28日火曜日

ゴーゴリ「外套・鼻」

ゴーゴリ「外套・鼻」を読む。
ニコライ・ゴーゴリ(Николай Васильевич Гоголь1809-1852)を初めて読む。自分は今までゴーゴリがいつぐらいの時代の作家なのかも知らなかった。後の作家たちに多大な影響を与えた偉大な文豪。

今回読んだものは平井肇(1896-1946)訳の岩波文庫(1938年版)。昔から日本人にもおなじみの一冊。

「外套 Шинель」 1842年 から読む。1842年は日本でいったら天保十三年。ニコライ1世の治世下。英国と清のアヘン戦争が終わった年。大黒屋光太夫が女帝に謁見してから50年後のペテルブルク。

50がらみの9等官下級役人のアカーキイ・アカーキエウィッチはただただ真面目に書類の清書をするだけの仕事を続けてきた男。
あまりに外套がぼろぼろでみすぼらしく、もう仕立て屋からツギハギ修復は無理と言われる。しかたなく外套を新調する。新調にかかる費用がわずかな給金の生活ではどうしたって出せない。費用を半額に値切って貯金すべてを出してギリギリ。

だが、無理をして外套を新調したことで男のつつましい生活の歯車が狂っていく。職場で外套を褒められ夜会に招待され、暗い夜道で追いはぎに外套を奪われたことが運の尽。
なんとか必死に外套を取り戻そうと、警察の偉い人や役人にかけ合うのだが、すべて間が悪い。運が悪い。
そして風邪をひいて惨めに死んでしまう……。
そしてペテルブルクの街には夜な夜な外套を追いはぎする幽霊が現れる…という話。

ロシア人は寒さに強いと思っていたのだが、ペテルブルクはロシアの中でもとくに寒いらしい。
そしてロシアの官僚機構。手続きと手順を正しく履行しないと上のほうまでたどり着けない。読んでて絶望。主人公に憐憫。今の日本もほぼこんな感じ。偉い奴は貧しく憐れな下賤を叱責する。

読んでいて芥川龍之介っぽいなと感じた。憐れな男への眼差しが似ている。語り口も似ている。おそらく明治期の知識人はゴーゴリを読んでいたらしい。

「鼻 Нос」1833-1835年 をつづけて読む。1835年は日本でいったら天保六年。大塩平八郎の乱が起こった年。

ある日突然顔から鼻が抜けだし街を歩き回るようになった下級役人とその騒動を描いた幻想的短編。
この作品はショスタコーヴィチのオペラ「鼻」で知ってはいた。だがストーリーのすべては知らない。

3月25日朝、ペテルブルクの理髪師イワン・ヤーコウレヴィッチが夫人の焼いたパンを切り分けていると中から「鼻」が現れる。これは水曜と日曜に顔を剃らせる八等官コワリョーフ氏のものに違いない。なのにその鼻を捨てにでかける。威張った巡査にとがめられる。

コワリョーフは自分の鼻が消えてなくなってることに気づいて街を探して歩く。立派紳士の姿をした「鼻」と出会う。「あなたはこのわたくしの鼻ではありませんか!」「何かのお間違いでしょう」と鼻は立ち去る。そして警察へ行ったり、新聞社に広告を出しに行ったり…。

巡査が「鼻」を持って来る。顔にくっつけようとしてもつかない。医者にもつけられない。
そして何事もなかったように顔に鼻が戻る。そんな不思議な事件を描いた幻想ファンタジー短編。
作者自身も「わからない」で閉めている。「実際、不合理というものはどこにもありがち」

現代人が読んでも十分に面白い。古さを感じない。外套を盗まれた男、鼻をなくした男への憐憫。おそらくゴーゴリの人道主義思想の発露。
ちなみに、乃木坂46の齋藤飛鳥は2016年にこの本を読んだらしい。

2022年6月27日月曜日

齋藤飛鳥「セブンルール」(2018)

2018年1月9日にフジテレビで放送された「セブンルール」(カンテレ制作)を見る。齋藤飛鳥(当時19歳)に5か月密着した人間ドキュメンタリー。
飛鳥はこのセブンルールに始まって、この年の年末の「情熱大陸」、翌年の「アナザースカイ」と、主要密着型ドキュメンタリー3本を制覇。それはすごい。

この番組はスタジオで映像を見てコメンテーターがあれこれ話すというスタイル。YOUとか本谷有希子とか若林とかに、自分のいない場所でイジられるのって恐怖かもしれない。
番組はまず幕張での握手会を取材。あれほど多くの若者が並んで待機している様子は乃木坂に慣れていない人は誰もが驚く。
数時間並んで数秒の接触。一般人には驚異でしかない。それは信仰心のなせるわざ。
しかもその接触の仕方。握手してる数秒の間にファンは何か要望したりするのだが、飛鳥ちゃんはことごとく断る。
  • カワイイ一言ください!→「イヤだ」
  • ウィンクしてください!→「しません」
  • 元気になるおまじないかけて→「そんなの無い」
  • 「好き」って言って!→「やだ」
ファンにとっては一期一会なのにずっとこの調子。だが、コメンテーター青木崇高はそれこそがファンの求めるものであることを見抜いた。本谷もYOUもそんな「ありのまま」を見せようと振舞う飛鳥に好意的。
小学校で不登校になった飛鳥の母親がミャンマー人だと知ったYOUから「そうなんだ…」という声が漏れた。その事実は予想していなかった様子。

この母が、大人しく暗くどこにも居場所のない少女に乃木坂オーディションを受けさせた。本人は受からないと思っていたのだが、受かったら後から考えようというスタンスで受けた。13歳の飛鳥を推した審査員は見る目があった。
トップアイドルは目の回る忙しさ。「今日が何曜日かもわからない」

そんな少女のストレス発散は週3回の焼肉。一昔前のアイドルだと20歳そこそこでは毎日カツカツな生活しかできない給料しかもらってなかった。飛鳥は人気メンバーだし外仕事も持ってるしでわりとお金がありそうだ。
そもそも若い女はストレスを発散させなければすぐに男をつくってしまう。メシで防げるなら安いもの。この焼き肉店はオタたちの巡礼聖地となってしまったらしい。ファンなら同じ席で食べたい。
番組はグラビア撮影の現場にも密着。飛鳥は身長158㎝だがスタイルが良く見える。胴が長くて細い。だが下半身はしっかりしてる。そこ、男子は見逃さない。そういう体型の女子が好きな男は多い。
撮影現場には小物が用意される。飛鳥の場合、本が好きだということで本が用意される。撮影で使用された本は飛鳥にプレゼントされる。
19歳飛鳥が当時好んで読んでいた作家が安部公房と大江健三郎。自分、どちらもここ最近になるまで読んだことがなかった。
大江健三郎はかなり難解だと思う。飛鳥がちゃんとわかって読めているとしたら相当に日本語の語彙力と読解力がある。
母親が娘飛鳥に弁当を持たせている。これがミャンマー家庭料理。きのこの味噌スープ、スペアリブの煮込みなど。自分も作ってみたいと思ったのだが、ネット上にある情報はクックパッドみたいなものばかり。

たまねぎをにんにくやショウガで炒めて鶏肉や魚を入れて、あとはナンプラーかターメリックを入れて、ビーフンとかレモングラスとかエスニックぽいものを散らせば、それでなんちゃってミャンマー料理ではないか?と自分は思ってる。
一人暮らしを始めた飛鳥。母は心配してよくラインをしてくる。娘飛鳥も母に感謝して返す。だが、母が飛鳥の乃木坂ラインスタンプをつけてたりすると返さないという。

そんな齋藤飛鳥の7つめのルール。それは、「まだしばらく乃木坂にいられたらいいなと思ってます」というもの。
番組中で使用された握手会映像に1秒ほど眼帯をしている飛鳥が映った。眼帯している美少女ほど大好物はない。この時期の飛鳥は多忙を極め満身創痍だった様子。

これでストレス溜めずに男をつくらずにメンタルを保つほうが奇跡。かつてスーパーアイドルだった広末涼子は23歳で妊娠発覚してから結婚した。飛鳥ももう23歳とか怖い。
今年8月で24歳になる飛鳥。5期生には16歳とかいるわけだが、飛鳥はまだまだ乃木坂にいるべき。卒業とか考えなくていい。

2022年6月26日日曜日

三島由紀夫「鍵のかかる部屋」(昭和29年)

三島由紀夫の十代から晩年までの短編12編を集めた「鍵のかかる部屋」を昭和55年新潮文庫版で読む。掲載順番に読んでいく。
  • 彩絵硝子 だみえガラス(昭和23年)十代のころに書かれた初期作品。十代ならふつう、気になるヘンな同級生とかラブコメとか書きそうなものだが、三島の場合はいきなり軍を退役した老男爵夫妻と甥の心理劇のようなものを書いてしまう。「花ざかりの森」を読んだときと同じぐらい困惑。
  • 祈りの日記(昭和19年)十代のころに書かれた初期作品。王朝絵巻のようなスタイルで書かれた少女の日記。やっぱり困惑しながら読んだ。太宰の「女生徒」のほうが面白い。
  • 慈善(昭和24年)戦争から戻り大学に籍を置き保険会社外交員として働きバンドマンとして稼ぐ有能な水野。道徳心の欠落した不倫のゆくえ。これがアプレゲール青年というやつか。
  • 訃音(昭和25年)三島の大蔵省時代の俗物上司たちがモデルか?パイプ1本なくしただけでずっと気になってしまって失態を見せる局長。そして妻の訃報。三島は役人たちに辟易してたことがわかる。役人が地方を視察して接待されて…正直読んでいて面白いわけでもない。
  • 怪物(昭和25年)半身不随で喋れなくなった老子爵の酷い人間性。学習院にいた三島は華族たちも嫌いだったんだろうことがわかる短編。
  • 果実(昭和25年)音楽学校に通う女子の同棲と同性愛の行く末。
  • 死の島(昭和26年)函館の北に大沼という風光明媚な場所があることを自分は知らなかった。すかさず地図で調べてみた。紅葉の時期は美しいらしい。北海道駒ヶ岳も登ってみたい感じの山だった。
  • 美神(昭和28年)古代彫刻の権威博士の最期とアフロディテ像
  • 江口初女覚書(昭和31年)占領時代を派手に上手く立ち回った悪女の話。
  • 鍵のかかる部屋(昭和29年)母と娘との鍵をかけた部屋での日々。財務省に入ったばかりの主人公がやたら暇。父のいない幼い娘の房子との関係。この主人公が9歳の女児の肉体について考えてる。時にはサディスティックな妄想。敗戦後の片山内閣から芦田内閣へという時代。世相と事件は具体的なのに、文中では大蔵省を財務省と記述。なんで?
  • 山の魂(昭和30年)ダム建設の補償問題で奔走し財を成した男の半生。
  • 蘭陵王(昭和44年)最後の短編。楯の会の戦闘訓練に参加していた学生Sの笛の音。
以上12編。どれもが日本語としてわかりづらく美しい。そして、読んでいて嫌な話ばかり。唯一の例外の「死の島」が好きな感じ。「美神」もオチが好きな感じ。
おそらく一番重要な作品は、三島の大蔵省官吏時代を垣間見れる「鍵のかかる部屋」。けど、自分にはあんまり響かなかった。

とくに他人にオススメできるような作品はこの短編集にはなかったかもしれない。

2022年6月25日土曜日

おろち(2008)

楳図かずお原作の「おろち」を映画化した「おろち」(2008 東映)を今になってやっと見る。監督は鶴田法男。脚本は高橋洋。
「姉妹」と「血」という2エピソードから1本の長編に再構成されている。主要キャストの三姉妹を木村佳乃、中越典子、谷村美月が演じた。

おろち(谷村美月)の独白ひとり芝居で始まる。昭和25年の嵐の夜、とある屋敷におろちがやってくる。すごく目がギラギラしてる。その家の姉妹が遊んでいる様子をただじっと見てる。
おろちとはその家に住みつく座敷童のような妖怪か?と思ったら、手塚治虫における「火の鳥」のような人間の業のようなものを傍観するストーリーテラー。
姉妹の母門前葵(映画女優)が木村佳乃。自宅に映写室があって自分の映画(ラッシュ)を娘たちに見せる。
途中で映像を止めさせる。何か気に入らない様子。撮り直しを命じ、息を切らして自室へ駆け込む。何かに怯えている。谷村はいつの間にか新しい家政婦ということになっている。
ちなみにこの屋敷の外観と庭園が鎌倉華頂宮邸。執事が嶋田久作

母は娘を早く女優として育てることに焦っている。妹理沙は歌謡ショー。わりと昭和20年代の雰囲気がよく出てる。姉一草は歌が上手く歌えないので母から厳しい指導と体罰。一草は母の映像を見て熱心に演技のお勉強。同じシーンを繰り返し見て一時停止などしてるとフィルムが焼けてしまう。

「18歳の誕生日を迎えると醜くなっていく」という呪われた門前家の女に生まれた葵は化け物になる前に女優を引退。自暴自棄。
泥酔しオープンカーで山道。そして事故。おろち谷村はなんとか葵を助けるのだが、葵の額や手に醜い腫瘍が現れていることを知る。事故現場でおろちは血を流し眠くなる。「門前家の運命を見守らねば!」

あれ?!目を覚ますと佳子という名前の酒場を流して歌う少女歌手(無表情)になってる。そのへんは暴力母(大島蓉子)が説明。身寄りがなく貧しい夫婦に引き取られた不幸な娘。父「顔を殴るな」

いつの間にか20年経ってた。門前葵の娘一草が成長して母そっくりになっている。やはり一草も木村佳乃が演じてる。
なぜか佳子は成長した理沙(中越典子)に300万円で買い取られ門前家に連れていかれる。門前一草の身の回りの世話をするよう指示される。理沙は親切で優しい。そして美人でかわいい。だが、理沙は何かたくらんでる?佳子に何か頼るつもりか?

暮しが一変し希望が出てきた佳子。バルコニーでひとり浮かれているとそこに大西(山本太郎)。この男は撮影所から一草の様子を探りに来た?「一草は母の影に捕らわれている」理沙を「映画に出演しないか?」と誘う。「今度はオマエをスターにしてやる」その条件は母門前葵の銀幕復帰。
発作に苦しむ母葵から理沙に何やら秘密が告げられた。その直後に葵死去。
美しく生まれ醜い姿で屋根裏でひとり死んでいく姉と妹の相克と悲しみ。壮絶でおぞましい人間模様。ほぼ地獄。その状況から逃げろよ。
そしてさらなる絶望と恐怖。嫌なものを見たな…という苦い後味。

木村佳乃は昔からヒステリックおばさんのスペシャリストだったのか。
中越典子かわいい。結婚後はもうあんまり女優業をがんばっていないようだ。

なかなか見ごたえのある佳作だったように感じた。キャストが適切。それぞれが持ち味を発揮。雰囲気も良かった。衝撃のラスト。これはオススメしていい梅図かずお悲劇ホラー。
ポスタービジュアルはあまり適切にこの映画の雰囲気を伝えていない。

主題歌は柴田淳「愛をする人」Victor Entertainment, Inc.

2022年6月24日金曜日

岩波新書1766「イタリア史10講」(2019)

岩波新書1766「イタリア史10講」北村暁夫著(2019)を読む。著者は日本女子大教授でイタリア近現代史の専門家らしい。
「本書では、叙述の対象とする空間をイタリア半島とシチリア島、サルディーニャ島にほぼ限定しつつ、ヨーロッパ・地中海世界の興亡の歴史の一環として、イタリアの歴史を描いていく」というコンパクトな一冊。
何かにとりつかれたかのように、何かを取り戻そうと焦るかのように、岩波の世界史10講シリーズを読み進める。

自分、イタリア史というと古代ローマ、フィレンツェとルネサンス、ムッソリーニぐらいしか思い浮かばない。中世は神聖ローマ帝国のおまけみたいなものだし、19世紀イタリア統一は世界史用語集としてしか知らない。

この本ではローマ帝国に関しては第1講で終わるw 速い。この手の本はそういうとこが良い。自分、前8世紀から前5世紀ごろトスカーナで栄えたギリシャ系エトルスキ文化というのを初めて知った。これ、調べてみたらエトルリア人のことらしい。
中世に関しては第2講と第3講で終わるw 各都市が教皇派と皇帝派に分かれて争っていた時代。

そして第4講からルネサンス。フィレンツェといえば1333年のアルノ川の氾濫と1348年のペスト大流行。そして偉大な芸術家たち。そしてメディチ家。サヴォナローラに関してはわずか3行しか触れてない。

あとはひたすら各有力都市の勢力争いとオーストリア、スペイン、フランスなど海外の君主たちの所領争い。ここはぜんぜん頭に入ってこない。列挙ばかりで正直読んでて面白くはない。

第7講リソルジメントの時代が自分としてはこの本を手にとった理由。
デュナンが赤十字を設立しようと思い立った契機は、サルデーニャ・フランス連合とオーストリアによるソルフェリーノの戦い。それ、初めて知った。
あと、ヨハン・シュトラウスのラデツキー行進曲もオーストリアがミラノに侵攻しサルデーニャを退けたことを記念した曲。ウィーンフィルのニューイヤーコンサートで聴くことが多い曲なのに作られた経緯を知らなかった。

教皇国家とローマ周辺(ラツィオ)をのぞく統一イタリアが1861年に成立。日本と時期的に似てるけど、イタリアが統一国家になったのは史上初めて。イタリアという国家を民衆に理解させることは困難だった。

仏、独、墺から遅れて農業国からやっと工業化。だがイタリア半島の南北格差が広がっていく。海外への移民が激増。
エリトリア植民地からエチオピアに手を出すもアドワの戦い(1896)で大敗。しかし1911年にオスマントルコからリビアを得る。

第一次大戦では参戦に慎重だったイタリア。参戦派の声がでかくて1915年5月24日にオーストリア相手に戦争開始。イゾンツォ川沿いのカポレットでの大敗以後、イタリアが苦境に陥ることを「カポレット」と呼ぶようになる。
第一次大戦は民族自決原則のせいで要求した領土は何も得られないし、戦勝国なのに大不況。そしてムッソリーニ登場。

1943年7月には連合国がシチリア上陸。ムッソリーニの首相解任とバドリオ政権による休戦。ドイツ軍によるナポリ以北の占領。逮捕監禁されていたムッソリーニを救出してガルダ湖畔サロにイタリア社会共和国を設立。ホロコーストへの加担。
ファシズムVSレジスタンスの内戦は日本・ドイツにはなかった独自要素。
このへんの流れは日本人にはあまり馴染みがない。よほどこのジャンルのイタリア映画を見ている人でなければ知らない。

第二次大戦後のイタリアは知らないことだらけだった。イタリア統一以来初となるカトリック勢力を基盤とするアルチーデ・デ=ガスペリ首相の存在は、高校時代に世界史を学んだ山川の教科書には載ってなかった。
内閣から社会党共産党を排除したことでマーシャルプランを受け、1950年代末から60年代にイタリアは豊富で安価な労働力によって年平均6%の経済成長。
白物家電、自動車、タイプライターが主要輸出品。とくに冷蔵庫は60年代に米日に続いて世界第3位だった。

統一イタリア後に初めて第二次産業従事者が第一次産業従事者(農民)を逆転。南部の人口減となる。イタリア北中部の人がピザを食べるようになったのは、高度経済成長時代に南部の人々が労働力として北部に移動して南部の食文化を広めたから?!

キリスト教民主党は過半数には届かない最大政党。第2党が共産党。旧ファシスト右派に閣外協力で緊張を高めるよりも左派と連携。以後、中道左派政権が続く。戦後イタリアの首相は大学教授を兼職した政治家が多い?!

70年代は急進左派によるテロ。1978年には「赤い旅団」によるモーロ元首相誘拐殺害事件も発生。モーロ事件は戦後イタリア最大のミステリー。
オイルショック後に低迷していた経済も80年代に入ると好調。1983年には初めて社会党クラクシ政権誕生。

ベルリンの壁崩壊前後がシチリア・マフィアをめぐる情勢が最も深刻化。マフィアによる政治家、裁判官、ジャーナリストを標的とするテロ事件が頻発。
ベルルスコーニは政治経験のないまま首相。バラマキ政策と財政悪化。緊縮財政。そしてスキャンダルとギリシャ危機。

かつて移民を送り出す側だったイタリアは少子化が進む。21世紀になると東欧諸国からの移民、とくに介護の現場で女性移民労働者が増える。そして現在はリビアからの難民。

2022年6月23日木曜日

ヒッチコック「断崖」(1941)

アルフレッド・ヒッチコック監督の「断崖 Suspicion」(1941)を初めて見る。BSプレミアムでやってたので。制作はRKO。音楽がフランツ・ワクスマン。
またまた主演はケーリー・グラントだ。原作はフランシス・アイルズ「レディに捧げる殺人物語」(1932)。その作家をまったく知らない。

英国を走る列車の1等コンパートメントでジョニー・エイスガース(ケーリー・グラント)は上品な婦人リナ・マクレイドロウ(ジョーン・フォンテイン)に強引に接近する。3等切符なのに。このへんはいつものユーモア。英国田舎風景が書割りスタジオ撮影だ。

田舎貴族(マクレイドロウ将軍夫妻)の娘リナは美人なのに男性に縁がなく両親も結婚を諦めていたのだが、この突然現れたハンサム男と結婚を考える。(英国は昔からけっこう年配の方でもミスという人が多い)
母親が「バルカン超特急」にも出てたあの老婦人デイム・メイ・ウィッティだ。

ダンスパーティーを2人だけで抜け出して夜のドライブ。ふたりは車中でキス。男が浮いたようなセリフを吐く。女が完全にこの男に夢中。
これは結婚詐欺か何かか?と思わずにいられないのだが、リナには思いを寄せる男も多い。(みんな50代以上に見える)

結婚した二人はナポリ、モンテカルロ、ベネツィア、パリと新婚旅行。このへんがちょっと郵便局に行くと両親に告げて登記所で手続きしてそのまま出かけたように描かれてる。英国の事情がよくわからない。
この男が金を持っていないことがわかっていく。男は女がいずれ相続する財産をアテにしている。生活の糧がない。借金で生活していくつもりか?働くように言ってもそんなつもりはないらしい。なぜか陽気でいいかげん。
新妻からの結婚祝いの贈り物が古めかしい椅子。男は失望の様子。

ジョニーは椅子も売って競馬の借金にアテたらしい。ジョニーの競馬友だちビーキーも品がない。ジョニーは浪費癖があるらしい。リナはだんだん腹を立てる。このへんも落語みたいな感じ。
ここまでサスペンス要素ゼロだが、自分はこんなテキトー言い訳ばかりでその場しのぎ男にむしろ恐怖を感じる。やはり素性のよくわからない相手と結婚してはダメだ。

勤務先の不動産屋も使途不明金でクビになり告訴するという事態になっていたことを知る。さらに父が亡くなったという電報。
勤め先をクビになったのに会社を作ってリゾートホテル開発とか、そんな金がどこにある?調子のいいことばっかり言ってる。

ビジネスパートナーのビーキー・スウェイトはパリで酒を飲んでるときに死亡。英語のわかるバーテンの証言では英国人とふたりで賭けのようなものをしていた。夫はピーギーが酒を飲むと胸が苦しくなることを知っていた。そしてビーキーには保険金が…。

推理小説が趣味のリナはやがてジョニーに殺されると疑うようになっていく…。このへんのイメージ映像が現在の視聴者にはやや滑稽に見える。
しかしカットはどの場面も入念に作り込んでいるように感じた。ジョニーがリナに牛乳を運んでくるシーンの光と影。

あと、真相が脚本として弱い気がする。昔の人はこの程度で満足してたのか?やはり前時代の古典映画。
妻を演じたジョーン・フォンテインはこの映画で第14回アカデミー賞主演女優賞を受賞。米国アカデミー賞の歴史を感じた。

2022年6月22日水曜日

黒沢清「スパイの妻」(2020)

黒沢清監督の「スパイの妻」をやっと見る。公開時はコロナでそれどころでなかったのだが、ヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞(最優秀監督賞)を受賞するなど話題作だった。制作はNHKとNHKエンタープライズ。8K用に作られた後に劇場公開作に手直し。脚本は濱口竜介と野原位。

軍当局に連行された英国人の件で会話。東出昌大が日本の将校にしてはデカすぎる。軍服らしきものが全然似合っていなくて違和感。あのヘアスタイルは海軍の上級将校にしか許されないのでは?みんなわさわさ髪が長い。(諜報活動をするうえで全員ボウズ頭だと都合が悪かったのかもしれない)

神戸の貿易会社社長福原優作(高橋一生)は自分で映画(会社の忘年会余興用)を撮って自宅で家族と女中に見せたりする。
蒼井優の話し方が昭和初期の感じでリアルで良い。
その一方で日本兵たちの体格が良すぎる。(戦局が悪化するまで日本人は痩せてなかったのかもしれない)

優作は映画ロケで戦争中の満洲へ。滞在を引き延ばして戻ってくるのだが、何か雰囲気がおかしい。
女(満洲から連れ帰った)の水死体が浮かんだ件で福原の会社で働いていた竹下(作家になると言って辞めた)に疑いがかかる。聡子は泰治の軍令部から呼び出しと事情聴取。夫はやはり何か関わってるのか?

映像としてあまり映画らしくない。音楽の使い方も。やはりNHKの作るドラマっぽい。
他の黒沢映画のように見るのに集中力がいらない。ストーリーはわかりやすい。
スパイといったら米英ソのスパイを連想したのだが、この夫は世界正義のために動いてる?(でも実際は日本にこんな進んだ人々はまったくいなかった)

暴走する関東軍の悪魔の所業は日本国内でも反感を持っていた勢力もいたのでは?証拠を届ける先は他にあったのでは?
この夫婦はかなり無邪気。亡命に日本円は無意味なので貴金属を買い求めようというに、路地裏の露天商から買い求めるとか、これが戦前の常識なのか。
蒼井優のほうが頭がいいと思いきや…。

密航の手助けをする黒人船員のすることが雑すぎて怖かった。昔は密航とかよくあったかもしれないが、あんな状況で数週間いるのは辛い。
精神病院に入れられた聡子が終戦後数年でアメリカに渡ることができたのは、誰かの手引きがなければできないことではなかったか?

この映画を見て面白いと感じることのできた視聴者は、よほどこの時代に関する映画やドラマを見たり本を読んでる大人だけだっただろうと思った。それぐらい地味な人間ドラマだった。

本当にこの時代に先の見える頭のいい人は、日本円の貯金はすべて使って田舎に家と畑を買って農業をやって戦争が終わるのを待ってた白洲次郎みたいな夫婦。

ロケ地が水戸の芦山浄水所や、鎌倉華頂宮邸とか四万温泉積善館とか島田市河北製品所とか、鹿島海軍航空隊跡地とか、自分が行ったことのある有名どころ。

2022年6月21日火曜日

村上春樹「中国行きのスロウ・ボート」(1980)

村上春樹「中国行きのスロウ・ボート」を中公文庫で読む。1980年春から1982年夏までの間に発表された7本からなる村上春樹の最初の短編集。表紙は安西水丸。

では掲載順(年代順)に読んでいく。

中国行きのスロウ・ボート(海 1980年4月)
主人公がこれまでに出会った中国人たちの記憶。いかにもアメリカ文学ばかり読んできた学生が書くような文芸作品。

貧乏な叔母さんの話(新潮 1980年12月)
貧乏な叔母さんの話を書きたいんだが…という、とめどない内容のない文芸。どんな話なのかまったく説明のしようがない。

ニューヨーク炭鉱の悲劇(ブルータス 1981年3月)
予想はしていたがこれもタイトルと内容が合ってない。台風や集中豪雨のときにあえて動物園に行く男。そして友人たちの死。

カンガルー通信(新潮 1981年10月)
デパートの苦情処理係の男がクレーマー女に書いた狂った手紙(カセットテープ)。クレーム対応には哲学者か変態をぶつけるべきだと感じたw

午後の最後の芝生(宝島 1982年4月)
「やれやれ。僕はほんとうにやれやれと思った。」This is 村上春樹!という作風。たぶんこの短編1本を読むだけで村上春樹を知った気になれる。

土の中の彼女の小さな犬(すばる 1982年11月)
季節外れで雨ばかり降るリゾートホテルで見知らぬ男女が出会って身の上話。

シドニーのグリーン・ストリート(海臨時増刊 1982年12月)
親の遺産を受け継ぎ働く必要のない主人公は、なぜかシドニーでいちばんシケたグリーン・ストリートに探偵事務所を構えている。グレン・グールドのレコードを聴いてると、そこにやって来た依頼者が羊男!?羊博士に引きちぎられ奪われた耳を取り返したい!これは小学校3,4年向けのような読物。

自分としては「カンガルー通信」が笑えた。「午後の最後の芝生」は完全に村上春樹ぶし。「シドニーのグリーン・ストリート」も楽しめた。
ちなみに、この「中国行きスロウ・ボート」は乃木坂46の齋藤飛鳥(当時20歳)がnon-no2018年11月号において、読者にオススメの本として紹介してる。
長編とはまた違った村上春樹さんの魅力が随所に感じられて、最後まで夢中で文字を追ってしまいました! 短編集なので、ノンノ世代の方、普段あまり読書をしない方でも気軽に楽しめるんじゃないかな。

ちなみに村上春樹なので「ぼくのペ○スは勃○した」 みたいな箇所はある。ハルキは高校生の女の子にもよく読まれているのだが、男はみんなそういうものだと思われていそうで怖い。

2022年6月20日月曜日

ハチ公物語(1987)

「ハチ公物語」(1987 松竹)を見る。2月にBSプレミアムでやっていたので録画しておいたもので見る。有名な映画で過去に何度も放送されているのだが一度も見たことがなかった。
奥山和由の制作。監督は神山征二郎。原作脚本は新藤兼人。主演は仲代達矢八千草薫、そしてイヌ。

ドラマは大正12年、吹雪の大館から始まる。今も昔もお産はみんなの関心事。といっても秋田犬だけど。
冬の間家にこもってると他に何もすることがない。子犬がたくさん産まれて家族がほっこり見つめる風景。わりと裕福な農家?
家の雰囲気とか家具小物が今では出せない雰囲気。こういうのは昭和に作られた映画にかなわない。

DVDやポスターのかわいい仔犬のビジュアルはあまりこの映画のイメージと合っていない。どちらかというと東京で生き抜く世知辛さを描いた暗い映画。あまりファミリー向けでもない。
あんな大きな犬が駅までお出迎え。それは想像しただけで毎日が楽しそうだ。

秋田犬の子犬を手に入れることは東京では難しかったのか。
上野博士夫妻の仲代達矢と八千草薫がそもそも現代人とは違う。まさに戦前の人の雰囲気。話し方がおっとりゆっくり余裕がある。

犬を楽しみにしていた娘石野真子は気が変わって婚約者(柳葉敏郎)と音楽会デートへ。ふたりとも若い。ほぼ現代人。
女中が片桐はいりさんだ。今とまったく変わってなくて笑った。

で、秋田からはるばる東京へ犬がやってくる。子犬が瀕死の状態で届く。秋田の北の果てから東京までの距離は今とだいぶ違う。渋谷駅のチッキ担当が泉谷しげるさんだ。面倒を見ないといけない書生(尾美としのり)は嫌そう。
だが、牛乳を与えると飲み始める。みんな喜ぶ。
ひとり娘が急に結婚しないといけなくなる。大正時代にデキ婚とかあったのかと驚く。
犬はハチと名付けられる。やんちゃ盛りの子犬。娘が家を出たので犬の貰い手を探さないといけない。だが博士はハチといつも一緒。楽しそう。やっぱり自分で飼うしかない。

そして渋谷駅での送り迎えが始まる。
博士とハチが一緒にいる姿は地元の人にいつも微笑ましい光景として目撃される。渋谷駅の名物犬になる。もうこのシーンだけで泣きそうになる。

大正12年って関東大震災があった年のはずだが、渋谷のあたりは何事もなかったように見える。年が改まり、娘が孫を連れてきているのに博士は犬のノミとりに夢中。一緒にお風呂にも入る。

いつものように大学へ出勤した朝、ハチがやたら吠える。そのとき博士は授業中に突然倒れる。大学で死亡確認。病名はなんだ?突然すぎる。

家を売って処分することになって、女中と書生は家にいられなくなるのも哀しい。
なんで娘夫婦はハチを引き取らない?浅草の新しい貰い手の家が居づらくて渋谷まで出かけるハチ。行き場がなくて悲しい。
娘夫婦が外国へ赴任することになり、八千草の奥さんも行き場がなくて和歌山の実家にひとりで帰るとか悲しい。
さらにハチをもらい受けた人も死んでしまうとか不幸の連鎖。野良犬になってしまう。もうどこにも行き場がない。可哀想すぎる。誰か飼い主になろうって人はいなかったのか。ハチが人間と同じに見えて来た。

このラストはないなと感じた。酷すぎる話だ。あのワガママ娘が犬を欲しがりさえしなければ。
感動するどころか自分もいつかそのへんで野垂れ死ぬのかと切なくなるばかりだった。人も犬も生きるのは大変だ。あなたの飼ってるそのペットも、あなたが生んだ子どもも、いつかきっと同じことになる。と言われている気がした。
自分の方が先に死ぬ可能性がある以上、やはり生き物を飼っちゃいけないなと感じた。
「もう飼えないからどこへでも行って」まるで労働者。日本人の酷薄さしか感じない。これは見なくてもよかった。

35年前の映画なので故人となった人ばかりだ。
昔は渋谷駅前にも焼き鳥屋台とかあったのか。チンドン屋とかいたのか。
あとびっくりしたのが100年前から渋谷交差点では甘栗を売っていたのか。

2022年6月19日日曜日

三吉彩花「十二単衣を着た悪魔」(2020)

内館牧子による長編小説「十二単衣を着た悪魔 源氏物語異聞」(2012 幻冬舎)を映画化した「十二単衣を着た悪魔」(2020 キノフィルムズ)を見る。
監督はなんと黒木瞳。まじか。ひょっとするとずっと温めていた企画とかなのか。脚本は多和田久美。
(今作が伊藤健太郎の初主演映画。だが公開前にバイクと接触事故を起こし自動車運転処罰法によって警視庁に逮捕されるという不祥事。)

主人公伊藤雷(伊藤健太郎)は就職試験連敗中のフリーター。しかも超優秀な弟にコンプレックスというそれはそれは辛い境遇。現代日本に居場所がない。
弟の医学部入学祝から逃げるように家を出る。すると雷鳴。目を覚ますとそこは源氏物語の中。主人公は直前まで源氏物語展の設営バイトをしていてパンフレットなどをお土産としてもらっていた。これはタイムスリップものでなく、異界転生パラレルワールドもの。

このへんは現代人と平安現地人の異文化コミュニケーションで面白おかしくしようってゆう。(現代人が平安貴族と言葉が通じるのか?)
平安時代の役人など現代人の体格があれば勝てそうなものだが。

妃が毎晩うなされて不眠。宮中では祈祷が行われてる。雷はたまたま持っていた市販薬を献上。(陰陽師ということになっている)
ピタッと病が癒えて信頼され昇殿を許される。桐壺帝の妃弘徽殿女御(こきんでんのにょうご)三吉彩花。このモデル女優は大柄で美人だし眉毛が濃く釣りあがってて気が強そう。圧が強そう。そこが魅力。男はみんな否応なくお仕えしたくなるにきまってる。

雷はバイト先でもらった源氏物語人物相関図を読む。今後どうなるのかがわかってる。それを占いということにする。
弘徽殿女御には一宮という息子がいるのだが、桐壺帝が桐壺更衣に産ませた二宮(光源氏)を邪魔者として忌み嫌っている。実の息子を帝にするために雷を側近相談役陰陽師として仕えさせる。
弘徽殿女御のファミリーはみんな年をとっていくのだが雷は見た目が変わらない。雷は戸惑う。

やはり主人公は傍観者。雷が源氏物語のあらすじ通りに進むのを目撃していく映画。
容姿は恵まれないが性格は良い倫子(伊藤沙莉)と結婚し子どもも生まれたりもする。もう居場所のなかった現代に帰らなくていいな…。だが、倫子は死亡。
宮中における女の戦い。弘徽殿女御を主人公にここまで話を広げたことは驚いたし新鮮。
三吉彩花はリアル平安貴族に見えない現代美女。若い人に負けるときはそのまま負けて退場すればよい…というメッセージを主人公に伝える。

現代に戻った主人公が憐れ。弟(細田佳央太)が性格まで良くてなにもかも出来過ぎ。
あと、伊藤健太郎の母親役の戸田菜穂さんがまだまだすごくキレイでびっくり。

主題歌はOKAMOTO'S「History」

2022年6月18日土曜日

夢野久作「瓶詰の地獄」(昭和3年)

夢野久作「瓶詰の地獄」を角川文庫(平成26年改版12版)で読む。7本の短編を収録。

自分、まだ一度も夢野久作(1889-1936)を読んだことがなかった。いつの時代の人かも知らなかった。江戸川乱歩よりも5歳年上。慶大文学部中退後、職を転々として作家へ。人間の心の暗い深淵も見てきた。そのへんの経歴も乱歩に似てる。では掲載順に読んでいく。

瓶詰の地獄(昭和3年)
わずか14ページ。ビール瓶に封蠟され漂着した3通の手紙が並べられているだけ。南の海の無人島に漂着した兄と妹が書いたものらしいのだが、これがあきらかに説明不足で読者を困惑させる。情報量が少なすぎる。どういう順番に書かれて海洋に投擲されたのかも不明。

第1の手紙(投身自殺するという遺書)の署名が「哀しき二人より」。第2の手紙(罪の告白懺悔)が「太郎記す」。第3の手紙が「市川太郎 イチカワアヤコ」の連名。しかも第3の手紙はカナ書きでわずか2行の救出を求める内容。

これは何度読み返しても答えは出ない。でもたぶん第3の手紙、第2の手紙、第1の手紙の順で書かれたというのが常識的解釈なのだが、それでも矛盾してる…。

人の顔(昭和3年)
孤児院から麹町の外洋航路の機関長夫婦にもらわれてきた、目の大きな変わった女の子の話。いろんなところに人の顔が見えて…。なんだかオチが落語っぽくもある。

死後の恋(昭和3年)
浦塩(ウラジオストク)で出会った初老の紳士から聴いた、革命後の白軍で知り合ったリヤトニコフという貴族の話。

支那米の袋(昭和4年)
浦塩のロシア女が語る恐怖の体験。アメリカ軍人にハワイへ連れて行くと騙され、袋に入れられ船に密航するのだが、殺されそうになって…。

金鎚(昭和4年)
父を破滅させ死に追いやった悪魔のような叔父を、必ず金鎚で頭をカチ割って殺してやらないといけない…という少年は相場師の叔父の仕事を手伝う。そして妾の伊奈子の手練手管。これは普通に大正文芸短編。

一足お先に(昭和6年)
肉腫で脚を切断した男。脚の神経が見る幻影。そして殺人。すべてを知ってる副院長との対決。そして…。

冗談に殺す(昭和6年)
動物を楽しそうに殺す狂った女優を殺した新聞記者の話。

以上の7短編を今回読んだのだが、どれもそれほど好きにもなれなかった。個人的には「一足お先に」が良かったように感じた。

2022年6月17日金曜日

土屋太鳳「哀愁しんでれら」(2021)

「哀愁しんでれら」という2021年2月に公開された映画があるので見る。主演は土屋太鳳。監督脚本は渡部亮平。制作はC&Iエンタテインメント。配給はクロックワークス。

TSUTAYA主催の次世代のクリエイター発掘コンペティションでグランプリを獲得した企画の映画化劇場公開作。公開当時はなんとなく見聞きしていたかもしれないが、なにも記憶ない。

なんと土屋太鳳は本作のオファーを3度断り4度目で引き受けたという。インタビューによれば「私の本能が警戒した作品」。土屋は女優キャリアでこの手のジャンルへの出演が多い。たぶん台本を見る目が肥えてる。

ヒロイン小春(土屋太鳳)の独白が始まる。なぜか誰もいない小学校の教室で。
ヒロインはたぶん児童相談所勤務。児童虐待が疑われる家庭を訪問し児童の無事を確認するというメンタルきつい仕事。母親が見るからに異常。なのに自分の権利意識は高い。この仕事はクレームは無視していい。子どもの生死に関わる範囲においてはスターリンNKVD方式でよい。
このヒロインがバカ親たちを嫌悪。自身も幼少時に母が出て行かれた体験。実家は自転車店。父は石橋凌。妹は山田杏奈

祖父が自宅風呂場で倒れる。急いで病院に搬送しようと急ぐと、酒飲みながら目の前をふらふら自転車で徘徊する老人。もうこの世はこんなのだらけ。
急ハンドルで事故。その間に自宅全焼。彼氏の家に泊めてもらおうと訪れると別の女(同じ職場)と情事中。人生転落オフビート映像。
呆然自失状態で夜の街をふらふらさ迷い歩いていると、踏切内の線路上で泥酔し寝ている男を発見。一度はこのまま放置しようかとも考えたのだが、そこは公務員。救出。
父(糖尿病)は仕事を失う。祖父の入院費が必要。妹は大学を諦める。児童虐待母から訴えられ大問題。職場の上司も同僚もかばってくれない。ヒロイン以外どいつもこいつもしょうもない。この世界は地獄。

踏切で助けた男が開業医大悟(田中圭)。妻を亡くした金持ち独身王子様。ヒロインにゲロ吐いて靴と衣服を汚したから弁償させてくれと高価な服を買ってくれる。海の見える豪邸で8歳の娘(なぜか眼帯)と暮らしているのだが、この女児がまったくかわいくないw 児童相談所で小さな子どもの扱いには慣れている小春は気難しい娘と仲良くなる。

大悟は命の恩人だからと小春の父の就職の世話(葬儀会社の納棺)もしてくれる。祖父をキレイな別病院に転院させる世話もしてくれる。妹の勉強も教えてくれる。

10年つきあってた浮気彼氏が別れたくないと、不貞を働いたことを土下座して謝罪「坊主にします」
太鳳「しますじゃなくてしてこいよ!(怒)」「切るならオ〇ンチンだろ!」に笑った。
そして大悟からプロポーズ。ヒカリには母親が必要だ。そして結婚。ここまで小春と大悟は絵にかいたような理想のラブラブカップル。みんなが祝福。シンデレラストーリー。

だが、開始50分ごろから不穏に。夫の部屋に初めて入ってみる。夫に絵を描く趣味があることを初めて知る。画が不気味。昔飼ってたウサギをはく製にしてるとか不気味。自画像(ヌード)を30年描き続けて部屋に飾ってる…。

それに娘のヒカリも裏表があって不気味。小学校でイジメにあってる?医者両親には校長も丁重に対応。そこにモンスターペアレントが怒鳴り込んでくる。夫は偏差値が低い親を軽蔑する発言。嫌なシーンの連続。
毎日お弁当をつくってるのに、先生からヒカリがお弁当を持って来ていないことも知る。筆箱を盗んだ嫌疑をかけられたワタルくんが母親と謝罪にくるのだがワタルくんは全力でやっていないと否定。

ヒカリは性悪女の血をひく娘。嘘つき悪魔。甘えと反抗。母の言う事を無視するようになる。小春はため息ばかりになる。そしてヒカリはワタルと仲良くする同級生を窓から突き落として殺害。その葬式に赤い靴を履いていくとワガママ。そのワガママをすべて許す夫。

田中圭と娘がおかしいのだが、小春もおかしくなっていく。離婚しようかなという友人を怒鳴りつける。妹から大悟の家庭教師ぶりの異常さを知る。大学を偏差値でしか評価しない。やはり異常さが際立つ。
住む世界の違うふたりが結婚したことで、新妻が体験していく不気味と恐怖、精神崩壊を描くホラー。これはサスペンスじゃなかった。
敵とみなした人間は皆殺しにしていいという狂った一家による逆ギレオウム真理教型大量殺戮を爽快に描いてどうする?見ていて嫌な気分にしかならない。

金持ちは何したって許されるわけじゃない。ちょっとでも「こいつ、普通じゃない」というヤツとは距離をとれ!という教訓を教えてくれる映画。
父と娘は報いを受けるべき。ラストはこの親子の無残な最期を描くべき。
映画のタイトルがあまり合ってない。予告編での「社会を震撼させる凶悪事件」の件も本質と合ってない。

土屋太鳳はこの仕事のオファーを断るべきだった。田中圭もなんでこんな役を受けた?
大悟はプーチン。ヒカリはウクライナとベラルーシをも内包しないと気が済まない大ロシア帝国の理想と野心の擬人化。小春はたぶんメドベージェフとラブロフとペスコフとザハロワ。全員縊り首にするべき。

2022年6月16日木曜日

プーシキン「スペードのクイーン」(1833)

プーシキン(Александр Сергеевич Пушкин1799-1837)を初めて読む。望月哲男訳の光文社古典新訳文庫(2015)で読む。

「スペードの女王」というタイトルは横溝正史の長編作品にもある。だが自分がこれを読もうと思った理由はチャイコフスキーの同名オペラ。ストーリーを知っておきたいから。光文社版では「スペードのクイーン」という日本語タイトルになっている。

スペードのクイーン(Пиковая дама, 1833)
ロシアの冬は寒い。天気が悪いときは男たちはみんな誰かの家に集まって朝までカード賭博でもするしかない。近衛騎兵ナルーモフの家でいつものように仲間たちがトランプをしてる。もう夜明けが近い。ドイツ系工兵将校のゲルマンくんは慎重な性格で倹約。ただゲームを見てばかり。

仲間のトムスキーが80歳を超える祖母アンナ・フェドートヴナ伯爵未亡人の話を始める。夫人が若い頃にパリで賭博で多額の負債を抱えてしまった際に、かのサンジェルマン伯爵から三枚のカードを当てる秘儀を伝授され、負債を帳消しにしたエピソードに興味を持つ。
夫人はギャンブル狂の四人の息子たちには秘密を明かさなかったが、かのチャプリツキーには情けをかけて秘密を伝授すると、負債を取り返した上に儲けまで出たという。

ゲルマンくんは秘かに準備計画。夫人に近づき取り入り寵愛を受けてその秘法を伝授してもらおう。まず、夫人の養女リザヴェータに接近。恋文など書いたりする。だがリザヴェータは身持ちが固い。
しかしリザヴェータからの手紙によって、夫人不在時の屋敷内部の情報を得る。なんとか夫人の寝室に忍び込む。

寝室に男が侵入していることに驚く夫人。ゲルマンは懇願する。「あなたはもう残りの人生は少ない。どうかカード必勝法を教えて!」しかし夫人は無反応。こうなったらピストルで脅すしかない。だが、まだ何もしてないのに夫人はがっくりと後ろにのけぞって、そのまま死んでいた。

リザヴェータの寝室に来たゲルマンは夫人の死を知らせる。リザヴェータはゲルマンの目的が何であったのかを知る。そして秘密の通路を教えてゲルマンを帰す。

ゲルマンはカード必勝法を知ることはできなかった。夫人の葬儀に行き、現場で良心の呵責から卒倒してしまう。
その夜、夫人の霊が現れる。リザヴェータと結婚することを条件に、カードで勝つ必勝法を教えられる。「3、7、エース(トロイカ、セミョルカ、トゥース)と続けて張れば必ず勝てる」「だが、一昼夜に1回しか賭けてはいけない。生涯勝負事をしてはいけない」とくぎをさす。

有名ギャンブラーと対決。1日目は「3」、2日目は「7」で鮮やかに勝った。そして3日目「エース」で賭けたのだが、出た札は「スペードのクイーン」。なぜだ?
ゲルマンはクイーンが笑ったように見えた。「婆さんだ」と恐怖の叫び声をあげる。そしてゲルマンは精神病院に…。

という幻想的な短編。なるほど。これは読んでいて面白い話だった。読みやすいしわかりやすい文体。1時間ほどのドラマにできそうだ。

ベールキン物語(Повести покойного Ивана Петровича Белкина, 1831)
5作からなる短編集。故ベールキン氏の本が出版されるというてい。ベールキン氏の人となりなどを紹介する序文から始まる。
  1. 射弾 駐屯地で知り合ったシルヴィオという年配者から聞かされた決闘話と、その後にとある貴族から知らされたシルヴィオとの決闘とその顛末。
  2. 吹雪 ナポレオンとの戦争の始まる前年、美しい令嬢と貧しい下級士官の駆け落ちの失敗。そしてその後の運命のいたずら。
  3. 葬儀屋 新居に引っ越しした葬儀屋。近所に住むドイツ人靴屋のパーティーに招待されるのだが、職業を馬鹿にされたと憤りビールに酔って寝てしまう。そして、商人の後家が亡くなったという知らせで駆けつけて再び家に戻ると、そこには…。幻想怪奇短編。
  4. 駅長 自慢の娘を悪い軍人に騙され奪われた老駅長の哀れな話。
  5. 百姓令嬢 隣り合う仲の悪い領主。工場を経営したり堅実なベレストフ、英国かぶれでひょうきんなムーロムスキー。ベレストフの息子アレクセイ(背が高くハンサム)は軍人志望で文官勤めなどしたくないと考えてる。ムーロスキーの娘リザヴェータは百姓娘に変装してアレクセイをこっそりのぞきに行くのだが、犬に吠えられ見つかってしまう。そして身分を偽った恋の始まり…。
予想外にどの話も面白かった。印象に残ったものは…全部! 

「駅長」にはヒューマニズムを感じる。
「葬儀屋」の落語のようなオチに感心。
なにより、「百姓令嬢」がJKが読むマンガのようなラブコメコドラマで驚いた。これはもっと女子中高生に読まれるべき。ドラマ化してもいい。

あと、巻末解説を読んでプーシキンはフリーメーソンに入会してたことを知った。「葬儀屋」にもフリーメーソン式ノックというのも出てくる。
プーシキンが予想外に面白かったので、次は「大尉の娘」か「エウゲニー・オネーギン」を読みたい。

2022年6月15日水曜日

細田守「竜とそばかすの姫」(2021)

竜とそばかすの姫(2021 東宝)を見る。作・脚本・監督とも細田守。あの「未来とミライ」以来の長編作。昨年公開作なのに早くも7月8日金ローで地上波初放送予定。
スタジオ地図の企画制作。音楽は岩崎太整
昨年「情熱大陸」で西野七瀬も「見たい」と言ってた映画なので見る。

なんだか「サマーウォーズ」と同じような世界観。またまた大量のアバターが雲霞のごとくいる仮想空間。
サイバー都市をシロナガスクジラが飛ぶ。これからのアニメはこんなものばかりになっていくのか。

Bellというアカウントを持つヒロインすずは仮想空間〈U〉でだけの歌姫。そばかすコンプレックス。リアルでは暗い。さえない表情でため息。田舎少女。「君の名は」のような土地。どうやらロケ地は高知県らしい。それは遠すぎて行けない。

増水した河川で他人のこどもを助けて母死亡。これは娘に心の傷を残す。幼いころからスマートフォンアプリやキーボードなどで曲作りを続けていたのだが歌えなくなる。ときに嗚咽。これは見るのがつらい。
毎日何も楽しくなさそうな高校生。

Bellが歌うと歌姫。多くのフォロワー。仮想空間で大いに注目。賛否両論。匿名で勝手なことを言う人々。
すずのひとりだけの女友達ヒロちゃん(メガネ)の分析が的確。Bellはこいつがプロデュース。

登場人物がぜんいん細くてスタイルよすぎ。同じクラスの女子たち全員がほぼ同じ顔してる。(ちびまるこちゃんの教室のほうが現実。)

声優たちが豪華俳優たち。みんなどこかで聴いたことある声。アニメ声優らしくなくてかえって新鮮な存在感。
空間〈U〉で暴れる竜と正義の一団が戦っていたりする。そうすることで長編アニメーション映画として成立。その世界観があまり説明がなくてずっと困惑。

みんなの嫌われ者「竜」とは誰か?すずとヒロちゃんが怪しいやつらを調査。仮想空間内世界を探検。竜のことが気になる。
すずは現実世界ではかっこいいしのぶくんに手を握られたと炎上。

すずはカヌー野郎とも接点を持ってるし、それなりに青春してんじゃん。ルカとすずとカミシンの3人の駅シーンは芝居として面白かった。てか、ここだけ浮き上がる。

ビジュアル的にほぼ「美女と野獣」シーンがあるアニメミュージカル映画。

SNSの悪意、そして児童虐待問題をも盛り込む。
みんなが見守る中で唄えば解決。超時空要塞マクロスか。(解決しない)
サマーウォーズは日本を救った。そばかす姫はひとりの中学生男子を救う。それで十分しみじみ感動作。この世界は美しい。

だが、DV男に女子高生をひとりで対決させるな。こういうときのための父じゃないのか。ジャスティスじゃないのか。あの坂道シーンでむぎゅって誰かが手首をつかむか現行犯逮捕を期待してたのに。
あの男の子たちはちゃんと親から引き離して保護しないと何も変わらない。てか、実際ネット上の多くの人々は歌声に感動しただけで結局変わってなかった。

2022年6月14日火曜日

有村架純「かぞくいろ RAILWAYS わたしたちの出発」(2018)

「かぞくいろ RAILWAYS わたしたちの出発」(2018 松竹)を見る。このシリーズは前作として2作あるのだが見ていないし設定を知らない。たぶん連続性はないものと想像するので見ない。
監督・脚本は吉田康弘。制作はROBOT。肥薩おれんじ鉄道鹿児島県阿久根市を舞台にした映画。

有村架純が主演なので見る。有村でなければ見ていない。有村の出演作もすでに膨大でとてもすべてを見きれなくなってる。

有村と國村隼さんが出演していればそれはもう幅広い年代を対象とした家族愛ヒューマンドラマ以外にありえない。
この時期の有村架純は「ひよっこ」(2017年4月期)が終わって燃えつきていたころ。今後に悩んでいたころ。

有村架純は小学生ぐらいの息子と海沿いを走る鉄道に乗ってる。目的地についた。子どもはワンマン電車の運転士に渡そうとした切符を記念にもらって降りる。
ヒロイン晶(有村)は駿也を連れて東京から修平の故郷鹿児島へはるばるやって来たのだった。
仕事を終え暗くなってから帰宅した義父の節夫(國村隼)と初対面。「あ、電車の!」

晶は骨壺を渡す。「これは?」父は息子が亡くなったことをこのとき知る。留守電を全く聴いてなかった…。
晶が語る夫のくも膜下出血による急死。長年連絡を取りあっていなかったにしても、息子の死に対する父の反応が薄い。というか無反応。

息子駿也は夫修平(青木崇高)の連れ子で晶とは血が繋がっていない。
若くして夫を失っただけでショックでかいのに、血のつながらない子を抱えて世知辛い社会を流浪とか人生ハードモード。
だが、「結婚するときこの子の母親になると決めた!」それは決意が固い。
夫の借金の件、妻と息子はセーフなのか?そのへんは触れられてなくてもやもやする。

節夫は国鉄時代から肥薩おれんじ鉄道で運転士。職場は人手不足で定年退職を先延ばしにするようにお願いされてる。このご時世、60になっても仕事があるっていいことでしかない。

アパートを追い出された母子は行き場がない。妻には先立たれ一人暮らしの義理の父の家で、血の繋がらない3人で家族として、一緒に暮らすことになる。
伯母の筒井真理子から、仕事を探すといっても、アルバイトじゃだめってわかるよね?と念を押される。

職を探していた晶は息子(鉄オタ)の一言で鉄道の運転士求人に応募。即採用w。このご時世にそれはすごい。
このヒロインは鉄オタ息子のおかげで、一両編成車両が電車でなくディーゼルで動くことは知っていた。なのに第三セクターという言葉は知らない。しかも運転免許すらない。そんなんでよく採用が決まった。晶の研修担当が今年話題になってしまった木下ほうかだ。
駿也は田舎小学校に転入手続き。担任の先生がかわいいなと思ってたら、桜庭ななみだった。なんと不倫の子を妊娠中。白昼に漁港でつわりによる吐き気。(そんなん、田舎だとあっというまに噂が広まるに決まってる。未婚で出産して教師を続けられるような日本の田舎があると思えない。)
晶は先生の「おろすにきまってる」という告白に、自身が流産した経験をフラッシュバック。

修平(青木崇高)と前の妻の死別などの一家回顧シーンが途中に挟まれる。経済的に不安定な父は子どもを母方の実家に奪われそうになる。実の父から嬰児を奪って連れ去ろうとするシーン。こういうの誘拐に相当するのでは?
晶の資格取得のための勉強中に夫とのスーパーでの出会いシーンも描かれる。

そしてヒロインの資格取得に向けた受験勉強が始まる。母は子を義父に託して門司へ研修へ。息子はこの血のつながらない母がちゃんと戻ってくるのか不安。
今は母と小学生でも両者スマホを持っていて便利な世の中。晶はあっさり免許を取得して戻ってくる。鹿児島の芋焼酎で乾杯。義父のつきっきり指導で現場で運転士研修開始。

息子は田舎小学校に馴染めない。同級生男子たちがガサツ。駿也が大切にするキーホルダーのついた筆箱を奪おうとしたいじめっ子が、力と勢いで自身の目を自業自得の怪我。
その母親が超絶低民度田舎者。この事故はなんら駿也に責任がないにもかかわらず、土下座を要求。「父親は?」「そんなに若くて何歳で産んだ?」など、ありとあらゆる罵詈雑言を浴びせる。

いやいや、お前の息子は他人の物を奪おうとした泥棒。古代ユダヤ社会では腕を切り落とされ一家全員追放されるべきはお前ら。その場にいる桜庭せんせいが超絶無能。何か言え!
晶もニグレクト親に育てられたのでこういうとき何を言い返せばいいのかわからない。息子にも何も言えない。
もうめちゃくちゃイライラする。こんなヤツがひとりでもいる田舎に住みたくない。感動作にするなら嫌なやつらをひとりも映すな!といいたい。

食堂車の運転はちょっと揺れただけで聴こえるように悪態と文句を聴こえるように言ってくる。そんな車両をなぜ研修生に運転させる?これは会社が悪い。あー、イライラする。

この指導官が板尾創路だ。久しぶりに見た。この先輩運転士も指導の仕方と言い方が強くてガサツで嫌。
野生の鹿を轢いたときの対処とか学習してないのに怒鳴るな。血まみれの鹿を見て夫が死んだときの記憶がフラッシュバックしてパニック。(この鹿が見るからにCGだ)

ホームでふざける高校生のせいで急停止しても客に文句言われる。過去のトラウマからややパニックになりやすい性格の件で、会社から運転士の適正に疑問を持たれる。最悪。イライラする。

夫修平も胸を押さえて倒れたのに、妻有村が病室に駆け付けると顔に白い布ドッキリとか神経を疑う。病院ベッドに晶を誘い入れるとか何しとん。

両親とも亡くなってる子どもに「ぼくのお父さん」作文とか小学校側も無神経すぎ。半成人式とかくだらない。親を仕事休ませてまでやることか。自分が当事者ならこんなものを書かせた教員たちの責任を追及する。笑ってる他の親たちも意識低い。

父が生きてるていで作文を読む息子にいたたまれなくなった晶は「帰ろう」と呼びかけるも、息子「晶がいなくなればよかった」と吐き捨てる。それはいっちゃダメ。
晶はショックで東京に戻ってしまう。なんとかまとまってた一家を崩壊させる引き金を引いた無神経小学校と父兄たちはどう責任を取る気だ?
晶はもう別の場所で人生をやり直せ。まだ若いんだから。義父にはそう言う義務があると思う。息子もいずれそう言うべき。

家族とはそんなギリギリの状態で成り立ってるもの。そんな数々の試練の末に家族の絆を確認する鉄道成分含有ファミリードラマ。人間も鉄道もそうそうスムーズにいかない。
有村架純と國村隼がいるだけで成立する映画。役者としての雰囲気だけで芝居が成立。ふたりとも声だけで説得力がある。それはそれですごい。有村架純が年々すごい女優になっている。

主題歌は斉藤和義「カラー」(スピードスターレコーズ)

2022年6月13日月曜日

有村架純「ギャルバサラ 戦国時代は圏外です」(2011)

「ギャルバサラ 戦国時代は圏外です」という有村架純主演映画があるので見る。2011年11月26日に公開。制作と配給は角川映画。メ〜テレ開局50周年記念作品。監督は「マジすか学園」の佐藤太。脚本は金子二郎。

主演に当時グラビアからぐいぐいと人気が高まっていた有村架純。そして竹富聖花
AKB48とSKE48からメンバーが何人か出演している。2011年はAKBがブレイクし出したころ。

岐阜城跡展望台から市街を見下ろしながらヒロイン麻美の回想が始まる。「昨日から見れば今日は未来。しかし自分にとっての未来とは単に時間が流れたということでない」
2011年はスマホが普及し始めたころだが、高校生たちはまだケータイ。

親友奈緒(木﨑ゆりあ)とプールサイドで時間と未来の問答会話。そこに優(竹富聖花)がやってくる。真面目な麻美を午後の授業をさぼることにした。有村が幼く見える。表情がトロンとしててとてもカワイイ。

次の瞬間森の中で寝ているかと思えば、博物館でケータイ鳴らすシーンなど、時系列がよくわからなくなる。サボりJKの為の課外授業か。何やら不穏な音楽が流れてる。
荒井萌賀来賢人もバカ生徒として登場。こういう子たちの担任もつらいよ。
卓也(森廉)は科学者である父と空間のゆがみの調査に来ていた。

この5人がタイムホールに吸い込まれ合戦中の戦国時代へタイムスリップ。
ここまでなんだかとてもわかりにくいしテンポ悪い。もうすでに現代人が戦国時代にタイムスリップする話は食傷気味。
ケータイの電波が入らない。なんで?1人を除いて4人は事態が理解できないようだが、意外に理解が早い。5人は夜の森で絶望。
卓也の手回し充電器で周囲を照らすとそこに3人野武士がいるのだが、まったく戦国人らしくない。普通に現代の若者っぽく見える。

現代を回想する場面、奈緒とのやりとりが挟まれたりする。こういう編集はあまり効果的でもない。

野武士たちは召し抱えられることを夢見て5人を連行して山道を歩く。襲撃されて命からがら逃げる。荒井萌、賀来賢人が行方不明。イケメン野武士がひとり死亡。みんなで泣きながら墓を掘る。

岐阜城の城主織田信長(松方弘樹)に謁見。ギャルでもさすがに信長は知ってる。信長がすぐ未来人を信じる?
信長は安土城の設計図を見せて、未来に残っているか質問する。有村と武富は安土城を知らない?(松方さんの出番はとても少ない)

そこにケータイが着信。優等生小木曽汐莉(この子が戦国オタ歴女)からの電話。「私たちは今織田信長に会っている」「またまたあ~」そうこうしてる間に圏外になる。
寧々が篠田麻里子なのだが、この人も未来から戦国時代にタイムスリップして16年?!この人の入れ知恵で桶狭間で信長は今川を倒せた?!
寧々は自分と同じ未来人を探していた。これから一緒に仲良く暮そう!住めば都っていうし。どうせ未来へは帰れないんだし。

なんと荒井萌、賀来賢人は生きていた。ふたりを捕えていた河津という侍大将も未来から飛ばされてきた人?「バック・トゥ・ザ・フューチャー」?!
なんか、見ていてぜんぜん予想通りにストーリーが進んでくれなくてテンポ悪くて退屈。わかりやすく予想通りすすんでたまに意外で面白いことが起こる展開が理想。
もっとバカに振り切ってわかりやすく面白くできそうなのにそうなってない。イライラした。
映画のレベルに達していない。テレ東深夜ドラマクオリティ。アイデアは十分だったので全10話ぐらいの配分でやれば面白かったに違いない。

有村架純の美少女ぶりにも驚いたが、竹富聖花の美少女ぶりにも驚いた。有村と竹富のふたりはAKBSKEの誰もかなわない別格の可愛さ。
このころこの二人の人気は同じようなレベルだったのだが後に大きな差が開いた。
竹富はスターになる素質は十分に感じたのだが無表情であまり愛想がなかった。

主題歌SKE48「歌おうよ、僕たちの校歌」

2022年6月12日日曜日

ヘミングウェイ「海流のなかの島々」(1970)

ヘミングウェイ「海流のなかの島々」を沼澤洽治訳新潮文庫上下巻で読む。これはヘミングウェイの死後に夫人が未発表原稿を1970年に出版したもの。書かれた時期は1946~51年ごろと推測されているらしい。
ISLANDS IN THE STREAM by Ernest Hemingway
第1部「ビミニ」
315ページ続く。主人公トマス・ハドソンは画家。メキシコ湾流のほとりの小さな島(バハマ諸島ビミニ島)で暮らしている。モンタナの別荘を賃貸に出し、石油採掘権から収入があり、画家としても評価され、成功者の悠々自適の生活。昼は泳いで釣りをして画を描く暮らし。夜は酒。別れた妻との3人の子が夏休みに遊びに来る。

田舎は乱暴者が目立つ。悪党たちとのいざこざ。子どもたちを潜りに行かせればシュモクザメ。
田舎の祖父母の家に集まった親戚一同のような雰囲気。なのに子どもたちがやってることがメカジキ釣り。アメリカの金持ちは違う。
子どもたちが帰る。てっきり汽船かなにかに乗るのかと思ってたらシコルスキー水陸両用機でびっくり。

そして第1部終了のラスト付近で突然目の前がサッと影が差すような悲報。

第2部「キューバ」
主人公は第1部に引き続きトマス・ハドソン。今はキューバに住んでいる?ボイシーという猫を飼っているのだが、これは巡洋艦ボイシーにちなんだもの。ひょっとしてボイシーってアイダホ州のボイシ?と思って調べてみたらやっぱりそうか。息子にせがまれる妄想でついもらいうける。悲しい記憶。
この猫にアボカドを食べさせてる記述がある。え、アボカドって動物には毒じゃなかったか?

あとはひたすら男と男の会話、思い出話、男女の会話。とめどない。スペイン語が多くてニュアンスがよくわからない。あまり日本人にはなじみがないものばかり。とくにストーリーのようなものを説明できない。読み終わった瞬間からもう思い出せない。

第3部「洋上」
前の2部とのつながりや時間経過がまったく見えないのだが、トム(ハドソン)は船に乗ってドイツ軍の掃討作戦(?)に参加してるらしい。どのへんの時期の戦局なのか?まったく説明がないので不明。
酒飲んだりしてるので、あまり組織的軍務のような感じがしない。だが軍人と一緒に行動?グアンタナモの司令部からの指示で敵を探してるっぽい。

ドイツUボートはバハマ・キューバにも出没してたのか。島民が虐殺されている現場を発見したりと、前2部とまったく雰囲気が変わったハードボイルド。
巻末解説を読んで、ヘミングウェイは愛艇を武装囮船として実際にパトロールに従事してたことを知った。

正直、この長編作が「武器よさらば」「誰がために鐘は鳴る」「日はまた昇る」と同じような価値があるかはわからない。あまりピンとこなかった。だがやっぱり男のためのかっこいい男の小説。

2022年6月11日土曜日

熊井啓「帝銀事件 死刑囚」(1964)

熊井啓監督のデビュー作「帝銀事件 死刑囚」(1964 日活)を見る。脚本も熊井啓。
「日本列島」を見てセミドキュメンタリーという形式に慣れてる状態で見る。「帝銀事件」については松本清張の「日本の黒い霧」と「小説帝銀事件」で読んで知ってる程度。

開始からニュース映画っぽい。ナレーションがかなり古くさい感じ。だからこそ当時の雰囲気がよく出てる。
映画に登場する事件の核心部分の名称は実名だが、会社名や新聞記者らの名前は仮名。
帝国銀行椎名町支店が今の銀行支店とイメージがまるで違う。ほぼ民家。田舎の郵便局のよう。

事件当日のその時、犯人が立て板に水のように滑らかに喋る。自分なら何かを飲まされるときはめちゃくちゃ相手を疑う。飲んだふりしかしない。全員で一斉に飲むとか、従順に育てられた時代の日本人ならではの惨事。

犠牲者たちが担ぎ込まれた聖母病院がカオスなぐらいに記者たちでごった返してる。記者の質問のしかたがものすごい勢いと剣幕。新聞記者たちがみんな品がなくほぼヤクザ。荒くれ男たち。マスゴミは昔からマスゴミだったのか。業界の伝統か。
新聞記者が変装して警察署の捜査本部会議に潜入?

登場人物たちがみんな喋り方がヘン。昔の役者たちは今とは違う質の演技をしてる。重大事件を捜査してるのにガハハと笑いすぎ。
車の後部座席に火鉢みたいなものを置いててびっくり。新聞記者たちが集まり会議をしてる広間で料理をつついたり、その場で着替えたり。
現代人が見ると演技も演出もヘンテコでいろいろツッコみまくり。

武井という記者がどこかで見たことがある…と思ってた。「獄門島」に鬼頭与三松役で出てた内藤武敏だ。
大野木役の俳優も見たことある。鈴木瑞穂という俳優だがなんと94歳の今も存命中?!

平沢貞通は信欣三。開始から50分を過ぎてやっと登場。容疑者が北海道から護送されている情報がどうして漏れる? これほど大騒ぎになる? 2万人以上の群衆が上野駅に詰めかけるだと? 混乱の極み。
真っ先に平沢の家に来た記者が、他紙の記者を欺くために表札を奪い偽表札を掲げるとか、とにかく昔の記者の職業倫理が酷い。殴り合いのケンカしすぎ。

大野木は警察に呼び出され731部隊調査から手を引くように圧力をかけられる。田島という米軍通訳がチョコプラの人そっくり。

「日本の黒い夏」と同じく、平沢が逮捕されると自宅を取り囲んで投石。正義を振りかざすこいつら何なんだ。
平沢も公判や取り調べで和歌を詠むとか何なの。こんなヘンテコな人だったのか。
供述で薬瓶を捨てた長崎神社のごみ溜めを掘り返す。昔の人は暇なのかすごい野次馬。この辺も今とはまるで違う。

この映画、帝銀事件について事前に知識がない視聴者は、見ていて意味がよくわからないだろうと思う。脚本が分かりずらい。
正直、あまり面白さは感じなかった。当時の雰囲気を感じ取る以上の意味はあまりない映画だった。もう熊井啓は見ないでいいかもしれない。

2022年6月10日金曜日

熊井啓「日本の黒い夏 冤罪」(2000)

熊井啓監督の「日本の黒い夏─冤罪」(2000 日活)を見る。1994年6月27日に発生した松本サリン事件の第一通報者河野義行氏に対する長野県警のあまりに悪質な所業と、冤罪をさらに加速させた糞マスコミを描いてる。

日本の醜い部分を煮詰めたような映画。もう最初から胸糞悪いのは覚悟のうえで見る。ちなみに熊井は旧制松本高校(現信州大)の出身。松本市で撮影。
オウム真理教の一連の事件は何も面白くないし酷すぎて見聞きもしたくない。平成が終わるまでに事件に関わった者たちは林郁夫(慶大医)をのぞいて全員死刑が執行された。

事件がオウム真理教によるものと判明後の長野県警の嫌々の謝罪が酷い。なぜ誰も自刃しないのか?生きてて恥ずかしくないのか?警察権力を天子様に返上しないのか?
県警幹部は全員罵声を浴びせての長時間取り調べ体験とかしてみるべき。検察官は全員拘置所に入る経験を必須にしてみるべき。
マスコミも謝って済む話か?新潮社だけはいまだに謝罪してないという話は本当か?
熊井は河野家とつきあいがった。河野氏が事件の犯人というマスコミ報道について強く疑ってたという。

JK遠野凪子さんが登場した瞬間からまるでアイドル。高校の放送部として、すでに冤罪だとわかった後に取材するというシーンから始まる。え、検証討論形式の映画?

取材に応じた地元テレビ局が中井貴一北村有起哉細川直美らのチーム。高校生からの取材に応じる形で過去を回想。この映画では河野さんは神部さんという名前に置き換えられている。
少女からの問いかけ。「どうしてみんな犯人だと思ったの?」
記者北村が「オレたちに何か問題でも?」と、まるっきり反省のない態度。

映画上の演出かもしれないのだが、事件発生現場がとてつもなく報道各社と野次馬であふれヒステリックな雰囲気。
裁判官の官舎なら、なぜに該当する裁判についてまず調べない?

中井貴一部長は「薬品を混ぜて有毒ガスを発生させた」件について裏を取るように指示する慎重さを見せる。だが、翌朝の新聞各社は、第一通報者が薬品に詳しく青酸カリを所持していたというだけで犯人扱い。
被害者の症状は青酸カリではなく有機リン系であることは医療関係者なら誰でもわかる。なのに、なんとなく怖い毒物を持っていたから、ガスを発生させたと安易に飛びついた全国紙。

その後警察は毒物が「サリン」だったと断定。日本に存在しない化学兵器がいったいなぜ?
大学教授から「サリンは化学知識のある高校生なら薬品をバケツで混ぜ合わせて簡単に作ることができる」との証言を得る。だったらなぜ今まで日本でそういう事件がこれまで発生してない?
裏をとらずに放送。世間の目を容疑者クロへと誘導。

もうマスコミも警察もめちゃくちゃ悪質。市民からの脅迫と迫害。容疑者とされた河野氏がとにかく哀れ。言ってないことも言ったことにされる。取り調べ刑事が超凶悪。
両親が倒れ、残された子どもたちはどうなる?
JK遠野凪子の怒りの追及。記者たちの自己弁護。北村は記者としての資質に欠く。

冤罪に加担した日本警察とマスコミにあきれる。「年越しそばは食わせるな!」って酷すぎる。なにかの勝負事のつもりか。これは本当に警察関係者が言ったことばなのか?
謝罪すればそれで済む事なのか?警察や記者から命で償う者がなぜ出てこない?
報道部に文句言ってきた営業部長は辞めたのか?河野宅やテレビ局にクレーム電話した偽善正義中毒市民はどうした?

なぜに女子高生がテレビ局社員の責任を追及する形式にした?そこはちょっと的外れに感じた。
正直この映画は1級エンタテインメント作のレベルにはないように感じた。地方局がつくる実話再現ドラマのようでもあった。犠牲となった市民たちの事件当時を振り返る映像が恐ろしい。

でもたぶんそれでいい。この事件は貴重なものを学ばせ与えてくれた。警察リーク情報を信じてはいけない。煽情的なマスコミ報道を信じてはいけない。煽ってる人は冷たい目で距離をとって見ないといけない。警察官を信用してはいけない。