2022年6月20日月曜日

ハチ公物語(1987)

「ハチ公物語」(1987 松竹)を見る。2月にBSプレミアムでやっていたので録画しておいたもので見る。有名な映画で過去に何度も放送されているのだが一度も見たことがなかった。
奥山和由の制作。監督は神山征二郎。原作脚本は新藤兼人。主演は仲代達矢八千草薫、そしてイヌ。

ドラマは大正12年、吹雪の大館から始まる。今も昔もお産はみんなの関心事。といっても秋田犬だけど。
冬の間家にこもってると他に何もすることがない。子犬がたくさん産まれて家族がほっこり見つめる風景。わりと裕福な農家?
家の雰囲気とか家具小物が今では出せない雰囲気。こういうのは昭和に作られた映画にかなわない。

DVDやポスターのかわいい仔犬のビジュアルはあまりこの映画のイメージと合っていない。どちらかというと東京で生き抜く世知辛さを描いた暗い映画。あまりファミリー向けでもない。
あんな大きな犬が駅までお出迎え。それは想像しただけで毎日が楽しそうだ。

秋田犬の子犬を手に入れることは東京では難しかったのか。
上野博士夫妻の仲代達矢と八千草薫がそもそも現代人とは違う。まさに戦前の人の雰囲気。話し方がおっとりゆっくり余裕がある。

犬を楽しみにしていた娘石野真子は気が変わって婚約者(柳葉敏郎)と音楽会デートへ。ふたりとも若い。ほぼ現代人。
女中が片桐はいりさんだ。今とまったく変わってなくて笑った。

で、秋田からはるばる東京へ犬がやってくる。子犬が瀕死の状態で届く。秋田の北の果てから東京までの距離は今とだいぶ違う。渋谷駅のチッキ担当が泉谷しげるさんだ。面倒を見ないといけない書生(尾美としのり)は嫌そう。
だが、牛乳を与えると飲み始める。みんな喜ぶ。
ひとり娘が急に結婚しないといけなくなる。大正時代にデキ婚とかあったのかと驚く。
犬はハチと名付けられる。やんちゃ盛りの子犬。娘が家を出たので犬の貰い手を探さないといけない。だが博士はハチといつも一緒。楽しそう。やっぱり自分で飼うしかない。

そして渋谷駅での送り迎えが始まる。
博士とハチが一緒にいる姿は地元の人にいつも微笑ましい光景として目撃される。渋谷駅の名物犬になる。もうこのシーンだけで泣きそうになる。

大正12年って関東大震災があった年のはずだが、渋谷のあたりは何事もなかったように見える。年が改まり、娘が孫を連れてきているのに博士は犬のノミとりに夢中。一緒にお風呂にも入る。

いつものように大学へ出勤した朝、ハチがやたら吠える。そのとき博士は授業中に突然倒れる。大学で死亡確認。病名はなんだ?突然すぎる。

家を売って処分することになって、女中と書生は家にいられなくなるのも哀しい。
なんで娘夫婦はハチを引き取らない?浅草の新しい貰い手の家が居づらくて渋谷まで出かけるハチ。行き場がなくて悲しい。
娘夫婦が外国へ赴任することになり、八千草の奥さんも行き場がなくて和歌山の実家にひとりで帰るとか悲しい。
さらにハチをもらい受けた人も死んでしまうとか不幸の連鎖。野良犬になってしまう。もうどこにも行き場がない。可哀想すぎる。誰か飼い主になろうって人はいなかったのか。ハチが人間と同じに見えて来た。

このラストはないなと感じた。酷すぎる話だ。あのワガママ娘が犬を欲しがりさえしなければ。
感動するどころか自分もいつかそのへんで野垂れ死ぬのかと切なくなるばかりだった。人も犬も生きるのは大変だ。あなたの飼ってるそのペットも、あなたが生んだ子どもも、いつかきっと同じことになる。と言われている気がした。
自分の方が先に死ぬ可能性がある以上、やはり生き物を飼っちゃいけないなと感じた。
「もう飼えないからどこへでも行って」まるで労働者。日本人の酷薄さしか感じない。これは見なくてもよかった。

35年前の映画なので故人となった人ばかりだ。
昔は渋谷駅前にも焼き鳥屋台とかあったのか。チンドン屋とかいたのか。
あとびっくりしたのが100年前から渋谷交差点では甘栗を売っていたのか。

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