2014年6月30日月曜日

映画に寄り添ったニューシングル

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この業界では映画の世界観を取り込んで楽曲を書くことを、「映画に寄り添う」と表現するらしい。

2011年の春にYUIの新曲「HELLO ~Pradise Kiss~」という曲名が発表されたときは多くの人が驚いた。
JAPAN誌2011年6月号に小松香里による「HELLO ~Pradise Kiss~」プレビュー記事が載っている。(インタビューはない。) 小松は
「6月1日に、約4ヶ月ぶりのシングルがリリースされる。すでにニュースでも報道されているとおり、矢沢あいによる超人気マンガ『パラダイス・キス』の映画主題歌、『HELLO ~Pradise Kiss~』だ。まず、サブタイトルに、その曲が主題歌になる作品のタイトルがそのまま入っていることに驚く。これまでもYUIは、いくつもの楽曲を映画のために書き下ろしてきたが、こんなことは初めてだ。」

「かつてないほど楽曲を提供する映画に寄り添ったシングルなのだ」
と書いている。

そして激動の3年の月日が流れ、ふたたび「パラダイスキス」以上に「映画に寄り添った」楽曲をYUIは書いている。

ちょっと新山詩織のケースを見てみたい。というのも新山も「少しだけ映画に寄り添ったところもありますけど…」とBPASSのインタビューで、同じ表現を使って語っていたからだ。「ポストYUI候補」新山も、もともとあったBEST FRIENDという曲を「絶叫学級」主題歌「Don't Cry」に着地させることに抵抗がなかったか?との質問に、「少しだけありました。歌詞を書く時も、この言葉だけは残したいっていうのもあって。Bメロの〈日常茶飯事 嫌になる/こんな自分が嫌になる〉は原型から一緒です」と答えている。ははぁ、プロデューサーとの共同作業で少しずつ自分オリジナル部分が削られていったな…。

「映画に寄り添う」ことには、我々からは想像できない緊張感があるようにも思うのだが、「パラダイスキス」を読んでいて「造詣が深い」というYUIからは意外にもあまりネガティブな言葉は聞かれなかった。

ようは、そこに歌い手としての自由はあるのかってことか。かつてYUIは、自分の作った曲を作り変えられるのは「自分の子どもの目玉を他人のと取り換えられるぐらいに辛い」と言っていた。「リトル・フォレスト」は「タイヨウのうた」と同じプロデューサーなので引き受けた、みたいに思う人も多いかもしれないが、今のYUIは以前よりも自由なはずだ。

夏・秋・冬・春、が早く聴きたい。夏秋はもう試写で聴いた人はいるのかな。

2014年6月29日日曜日

司馬遼太郎 「燃えよ剣」を読んだ

司馬遼太郎の代表作のひとつといっていい「燃えよ剣」(上下巻 新潮文庫)を読み終わった。面白かった。さすが国民的作家だ。

司馬遼太郎、見てきたかのように土方歳三の情交を描く。いきなり多摩の「夜這い」祭りから書き始める。日本って不思議だ。そんな祭りが大正時代ぐらいまでつづいてた。

東京の多摩の田舎で農家に生まれ、京都で人を斬り殺していた新撰組の土方が、最終的に函館で戦死するまで、自分は何もイメージできていなかったので、この本は幕末を理解するのに大いに役立った。

遠い昔、函館の五稜郭に行ったことがあるのだが、ほとんどなにも印象に残っていない。これを読んでから行けばいろいろと楽しめただろうと思う。

NHK大河ドラマは戦国時代と幕末ばっかりだ。この時代の面白さは格別。だが、それにしても人が死にすぎた。

上巻は八王子で斬った相手との因縁で七里研之助に付きまとわれる。京都に上ると長州土佐の浪士を斬りまくる。下巻になると京都での殺人集団の青春も終わって大政奉還、鳥羽伏見の戦い、戊辰戦争、函館政府まで……。

下巻は読み進めるうちにだんだんと虚しさと哀しさが満ちてくる。墓碑銘を読んでいく。時代に逆らおうとした若者たちの大きすぎる犠牲。江戸幕府の最期はあまりにあっけない。多くの人が早々に幕府を諦めて、変節していく。喧嘩だけが取り柄の土方歳三と云う人は変人すぎた。

愛想のまったくなかった土方は意外にも俳句が趣味。聞かされる沖田総司の心の声(つっこみ)が清涼剤のような楽しさだ。沖田総司もこの本にはたくさん登場するが、その最期は孤独死……。人を斬った者の哀れな末路。

2004年にNHK大河ドラマで「新選組!」が放送された。近藤勇の特技に拳を口に入れるという設定があったかと記憶しているのだが、これはてっきり三谷幸喜の創作だと思っていた。だが、司馬遼太郎は「燃えよ剣」下巻で沖田総司にこんな台詞を言わせている。
「あんな大きな口のひとは日本中にいないでしょう。京都で酒宴をしてたときなど、土方さんはあれで案外、端唄の一つもうたうんですよ。ところが近藤さんの芸ときたら、拳固を口のなかに入れたり出したりするだけで、それが芸なんです」
ええぇっ?!それ、司馬が最初?それとも史実?

PS. 「坂の上の雲」全巻と「龍馬がゆく」全巻をオトナ買い。全部古本だけど。これ、いつ読み終わるかわからない。今年中にどちらか読めるかな。他にも買いだめしてある本がたくさんある。
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2014年6月28日土曜日

新山詩織 BPASS2013年8月号インタビュー

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rockin'on JAPAN誌とほぼ同じくしてバックステージパスにも「Don't Cry」リリース期の新山詩織のインタビューが掲載された。どちらもシングル「Don't Cry」ジャケット別カットのようだ。しかもインタビューの内容も似たものになってしまっていて、新山ファンといえども両方買った人は少なかったのではないか。自分はともに中古で手に入れたが。

惜しいことに見開きページカットがどうも微妙でかわいくない……。どうした?せっかくメジャーな音楽情報誌に掲載されて多くの人の目に触れるチャンスなのに、思いっきりカワイくアピールするような、フォトジェニックに撮らなかった?

「Don't Cry」製作について語っているのだが、JAPAN誌とほぼ同じ内容。だが、注目箇所を探さなくてはいけない。

「Don't Cry」は「絶叫学級」というホラー映画のために「映画に寄り添って」書かれた曲だった。映像を見た新山の感想は
「学校内での人間関係のほうが重要な印象があって、そこで自分と似たような部分も感じられたので、自分が思っている本当のことをちゃんと重ねて書けた気がします」

「幽霊とかより、生きてる人間のほうが怖いっていう。先生とか大人から見た学校の中の生徒たちの関係とか、生徒内だけでの人間関係とか……真実みたいなものは絶対に違うだろうなって思って、そのことに関して書いたところもあります」
「人間のほうが怖い」、今の高校生も変わってないな。あと、印象に残った新山の回答。〈鏡の中 ゆがんでいく顔 押しつぶされそうな 私の心〉の箇所について
「家でもたまに、洗面所で鏡で自分の顔を見て、凄く嫌になる時があって……それを、そのまま書いてみました」
どうした、新山?俺なら一日中ずっと「かわいいよ新山、かわいいよ」って言い続けるぞ。

ちなみに、「Don't Cry」の曲自体は元々自分で作っていたものだそうで、「もっと明るい感じの、親友に向けて書いたものだった」「タイトルもBEST FRIENDだった」「曲調をそのまま使った」んだそうだ。

あと、THEATRE BROOK佐藤タイジとバンド合わせしたときの様子も語っている。「タイジさんはすごく喋る方でしたね(笑)。」とのこと。

今年の夏もとにかく全力でプロモーションをしてくれ。ちょっと気を抜くとあっという間に置いていかれるのがこの世界。

2014年6月27日金曜日

絶叫学級(2013)

「絶叫学級」を見た。「りぼん」連載のマンガ。果たして大人が見るのに耐えるのか……、って思ってた。
名前からB級ホラーなのは想像がついたけど、やだ、何これ?サダコやキャリーのパロディ?POPな感じ。ホラーじゃなかった。
「世にも奇妙な」レベルでそれほどエグい感じじゃない。

新山詩織が主題歌を担当しているということ、そしてハルル、川口春奈が見たかった。瞳に引き込まれる。この子はホラーにもコメディにも向いてるわ~。

雑誌の読者モデルになったのをキッカケにクラスのリーダー格グループの標的にされ、誘い出されたカラオケルームでヘンタイ栗原類とその一味に乱暴され、あられもない姿を写真に撮られバラ撒かれる……。以後、クラスで陰湿なイジメにあう。

いじめリーダー広瀬アリスが極悪!ハルル川口春奈が乱暴されるシーンで「ゆれるユレル」が流れる。は?何、その使い方。ついうっかり笑ってしまった。

けど、あのイジメ(接着剤テロとか)、あれは完全に器物損壊罪で3年以下の懲役か罰金か科料。それどころか完全に暴行罪、脅迫罪。イジメは見て見ない振りじゃなくて積極的に警察が介入するべきじゃないのか?深夜のダンスを取り締まったりとかして警察はヒマなんだから。イジメ、ダメ、絶対!

女子高がまるで朝鮮労働党。偉い人から見放されると、そこは地獄……。「あの子、この学校にふさわしくない」「人間にはランクがある」って、何様だテメー。どこの企業も多少はあんな感じか。

美術の先生・波瑠、意味もなくカッターナイフカチャカチャさせて教室に入ってくるの、怖い。ヤメテ!波瑠は本上まなみや菊池亜希子とまったく同質な雰囲気と魅力を持っている。ナイナイ岡村もファンだそうだ。モデルとして波瑠はそれほど注目してなかったけど、女優・波瑠はヤバいぐらいに好きかもしれない。美大生役とか似合う。

新山が言ってた「彼女、友達?」「ううん、違う」のシーンは確かに「え?」って思った。人間は弱くて怖い。
友人・松岡茉優は「あまちゃん」の印象がつよくて「さいたまー!」の人って呼んでたけど、今回やっと名前を覚えた。
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2014年6月26日木曜日

あじさい高幡不動2014

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高幡不動へ友人と出かけた。あじさいが見ごろを迎えている。小雨降るあじさい散策道。
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過去3回ほどここへ来ているのだが、今回、ちゃんと一番から八十八番まで、地蔵を順番に拝んで回った。なので何かいいことがあるはず。
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高幡不動は駐車場待ち行列渋滞ができるほどの人出。だが、山の中のあじさいが咲くこの広場まで歩く人は少ない。お護摩を焚く祈祷の音がひっきりなしに聞こえる。
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自分としては今年のあじさい遠足はこれでおしまい。また来年。

PS. 日本サッカーが終戦した。別に多くの期待はしていなかったが、もう海外から有名コーチを招聘するのはよしたほうがいいと思う。4年ごとに、監督が交代するたびに「日本らしいサッカー」が変わるのを見ていられない。

2014年6月25日水曜日

新山詩織 JAPAN 2013年8月号 Don't Cry

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新山詩織のRIJF初ステージ直前、2ndシングル「Don't Cry」リリース時期にJAPAN誌のインタビューに呼ばれた。
4ページ(インタビュー2ページ)の記事だが、地道に新山を支持するための研究資料として購入。インタビュアーは小川智宏氏。

デビュー曲「ゆれるユレル」と「Don't Cry」は決定的に違うことがある。「Don't Cry」は映画「絶叫学級」の主題歌として書かれた曲だった。監督が新山のWebドキュメンタリーを撮った監督だったということで、映画主題歌の話をもらって、台本と映像をひと通り見てから書いた曲。このはかなげな少女は早くもそんな大事な仕事をしていた。かつての誰かを思い出す。
「最初映像を見た時に思ったのが、主演の川口春奈ちゃんがやった役、加奈ちゃんっていう女の子が幽霊に向かって『誰よりもかわいくなりたい!』って言うセリフがあったんですね。それを聞いた時に、絶対みんな『そんなことないよ』とか言いながら普通に欲みたいなものを持ってるんじゃないかなあっていうことを思って。

あと、クラスの中で偉い四人グループみたいな子がいて、その加奈ちゃんがその子たちに連れていかれるんですよ。で、そこにいつも加奈ちゃんが一緒にいた友達もいたんですけど、その子は『あの子は違う』って言うんです。そういうふうにして『たったひと言で世界が変わってしまう』っていう。それをキーワードにして歌詞は書いていきましたね」
〈好きとか嫌いとかもうどうでもいい話〉という箇所について
「毎日なんとなく思ってることなんですけど、『あの人好きなんだよね』とか『私はあの人嫌いだ』とか、変に言い合いしてるのをたまに聞いたりするんですね。その時に『そんなのどうでもいいんじゃね?』って思う時があって(笑)。だから一番言いたい言葉ではあったかもしれないです」

「歌詞自体、自分でも書いてて、少しは映画に寄り添った部分もあるんですけど、でも普通にたまに思うこともそのなかに全部書いてあるんで。自分以外の人、たとえば今ちょっと泣きそうになりそうな人に対してタイトルで『泣くな』って言ってる感じもあるし、〝ゆれる~〟の時より自分以外の人に対して書いた気がします。もちろん自分にも言ってるんですけど、自分じゃない人たちに向かって歌ってるほうがおっきいかもしれないです」

「〝ゆれる~〟とはまた違って、完全に全部自分で作った曲だし、これで一気に変わった感じはありますね」
ああ、そんなふうにしてできた曲だったって知らなかった。

新山、1stアルバムが出て、これから一気に有名になっていく…かと思えば、そうもなっていない。この夏はフェスにでないのかよ……。なんか、自分も危機感を持っている。支持していかないといけない。先日のギタ女フェスの出演者もみんな売れてほしい。

新山、7月28日に音霊に出るけど、逗子じゃなくて今年から由比ガ浜なんだな。注意してないと間違えそうだ。まだチケット買ってないけど。ギタ女ムーブメント、盛り上がれ!

PS. 今日、新山はROCK IN JAPAN FES. 8月3日BUZZ STAGEへ出演することをを知った。なんだ?BUZZ STAGEって?DJ BOOTHが今年から名前を変えるらしい。昨年、多くのアイドルが登場してDJ BOOTHとは呼べなくなったからか?

え?!山崎、片平、住岡と一緒のスペシャル編成でステージ?なんで単独で出さない?こういうスペシャル編成は過去になかったわけじゃないけど、ちょっとテンション下がる。自分は今年は行かないかもしれない。

2014年6月24日火曜日

ボクたちの交換日記(2013)

放送作家鈴木おさむの原作小説を内村光良が監督脚本で映画化した「ボクたちの交換日記」、やっとこれを見た。

ぶっちゃけ興味なかった。自分はあまりお笑いに関心を持ってない。若手芸人とかほとんど認識していない。長澤まさみを見るためにチェック。まさみは脇役にすぎないけど。

内村光良という人のお笑いは自分とは合わないだろうなと思っていた。だが、それほど苦手な感じはなかった。むしろ広く共感を呼ぶ普遍的な作品だったように感じた。日々お笑いコントをやってる人だけに序盤からテンポがいい。

風邪で寝込んだ小出がまさみにキスしようとしてビンタのシーンはまさに内村コントでよく見るそれ。

確かに主演二人のコントは寒い。ま、誰がやっても寒い。売れない芸人役だから。鈴木おさむも内村も、これまでそんな若手芸人たちの青春を見続けてきたんだろう。むしろこの二人はそんな若者たちを選別してきた側だった。

才能の差、ちょっとした運不運の差がコントラストをつくるのはお笑いに限らない。ミュージシャンもスポーツの世界もこんな栄光と挫折。そのへんにいくらでもある話のほんの一角を切り取った。

「オレ、お笑いやめるわ」「お疲れ様でした」

一緒に夢を追いかけてきた夫婦の夢を手放した瞬間。まさみの数秒間の表情の演技を見るだけでもこの映画は価値がある。

ローティーンからアイドル女優やってるまさみも、この仕事を辞めていく若者たちを何人も見てきたはずだ。この演技はまさみの心の引き出しにあったものに違いない。長澤まさみは性格が悪いって言う人もいるが、自分の見てきたまさみはむしろ性格がいい。
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まさみの福田彩乃笑い。

2014年6月23日月曜日

カラヤンの「アイーダ」(1951)

サッカーファンにもっとも知られたクラシックはオペラ「アイーダ」の凱旋行進曲。フジテレビのサッカー中継はもうかれこれ10年以上これを流してる。サッカーといえばイタリア、イタリアといえばオペラ、オペラといえば……最も有名なオペラ「アイーダ」の合唱のあるゴージャスな響きの、しかも凱旋の場面。

このCDを買った。そこに500円であったから。カラヤンがWIENER SYMPHONIKER を振った1951年3月2日の演奏会形式上演の実況ライブ録音。キャストはAIDA : CARLA MARTINIS / AMNERIS : NELL RANKIN / RADAMES : LORENZ FEHENBERGER / RAMFIS : MARIO PETRI 他、自分はオペラに全然詳しくないので、どれぐらい有名な人なのか分からない。

WALHALLというレーベルらしいが、調べてみてもよく分からない。USAのAmazonをチェックするとMP3なら売ってた。1951年の古い録音だから海賊ってこともないのかもしれない。カラヤンは「アイーダ」を得意にしていたらしくて、DeccaやEMIにウィーンpoと録音したものが音質もよくて甲乙付けがたい名盤らしい。自分はどちらも聴いたことがない。なのにいきなりこんなCDで聴く。ぶっちゃけこんな古い録音はCD2枚組みだとしても500円は高いかもしれない。

音は時代を考えるとそれほど悪くない。歌手の妙技もよくわかる。序奏はゆっくりたっぷり歌わせて始まる。若いカラヤンの才能あふれたオーケストラドライブ、アクセル、ブレーキ、ハンドルさばきがよくわかる。

実は自分にとって「アイーダ」はアバド&スカラに次いでこれが2枚目。ま、名曲だし2セットあってもいいかと。対訳読みながら全曲を聴き通したのが数年前。ストーリーを憶えているかとおもったけど、何を歌っているのか細かい部分はよくわからない。オペラとか聴く人は歌詞がわかっているのだろうか。

エジプトとエチオピアの戦争が描かれている。有名な凱旋行進曲の部分は、若き司令官とエチオピア王女とその父親国王の陰謀、エジプト王女との三角関係バトルが織り込まれた奇跡の名曲。

だが、最後は墓の中で死ぬシーンとか地味に終わる。すまん、ここは退屈……。

2014年6月22日日曜日

BABYMETAL TVBros.2012/12/22 のインタビュー

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FIFAワールドカップが世界中で盛り上がっているようだが、それどころじゃない人々が世界中にいる。ベビーメタルオタだ。7月1日のパリから初のワールドツアーが始まるのだ。英国、カナダ、そして日本の夏フェスにも出演!とんでもない夏がやってくる。(自分は行かないけど)

さて、BABYMETALの3人は家や学校ではどんな生活を送っているのか?まったく予想がつかないのだが、ぶっちぎりのサブカル系テレビ情報誌「TVBros.」2012年の年末年始特大号に2ページのインタビュー記事が掲載されている。とても興味深い内容だ。

まず、BABYMETALとは何なのか?
SU 2012年にこの3人でさくら学院の中の部活動ユニット重音部「BABYMETAL」としてスタートしたんですが、最初に「ド・キ・ド・キ☆モーニング」って曲をやるって決まった時は、メタルって言葉もよく知らなかったんですけど、凄く曲が面白いな、楽しそうだなっていうのが最初のメタルヘの印象でした。
MOA でも、正直メタルって3人とも未だによく分ってなくて(笑)。


SU 一番最初にさくら学院のメンバーの前で披露した時は、笑われました(笑)。でも、さくら学院として可愛いをやるのは出来るけど、笑われる事をやるのはなかなか無いじゃないですか。それが嬉しくて。
なんと最初は笑われた(笑)という。しかも、笑われて嬉しいって。SU-METALはさすがだ。すまん、自分も初めてフェスで見たときは笑ってしまってた。世間も本人たちもBABYMETALをまだよくわかっていない。

学校での反応はどうだったのだろうか?
YUI BABYMETALの事はあんまり言わない…(笑)。PVを見てくれた友達がいたんですけど、YUIじゃないみたいだねって。
SU 友達が給食の時に流れる校内放送で「ド・キ・ド・キ☆モーニング」を流したんですよ。そしたら、クラス中がざわめいちゃって、SUも〝これ私達の曲〟って言い出せなくなっちゃって、気付かないふりしてました(笑)。
リアルなJCライフだ。給食の時間にデスメタルサウンドが!?「ド・キ・ド・キ☆モーニング」流した友人、Good jobだ。ざわつく感じを想像すると可笑しい。楽屋ではどんな感じなのだろうか?
MOA あ!あとBABYMETALはさくら学院より人数が少ないから、お弁当じゃんけんが無いんですよ!さくら学院だと人数が多いからお弁当のオカズを選ぶのにじゃんけんで争奪戦するんですけど、BABYMETALだと好きなのが選べるから嬉しいです(笑)。
お弁当じゃんけん!?子どもらしくて微笑ましい。最後にテレビ情報誌らしく、年末年始の過ごし方は?という質問
MOA ママ側のおじいちゃんおばあちゃんの家でお餅食べて、パパの側のグランマと地元の観光をしたり。あと、おばあちゃんの作る揚げ餅が大好きなんで、それが食べたいです。あと、おじいちゃんが時代劇を見ながら号泣してるんで、その隣でゲームしたりしてます。

YUI うちは親戚で集まって、年越しそばを食べて、神社にお参りしてって感じですね。うちもテレビは紅白です。

SU SUはお家でカウント・ダウンするんですけど、いつもパパが紅白が終わりかけで寝ちゃうんですよ。だから、カウント・ダウンはパパを起こすところから始まるんですけど、時々起きなくて年を越しちゃう時もあったり。
うーん、まったく普通な子供たちだ。

ワールドツアーが心配になってきた。いや、むしろフェスが不安。ミランの本田を見ていると、ヨーロッパのやつらは本当に容赦がないドイヒー野郎だなって思う。ちょっと体調が悪いのを思い遣るような紳士なんてほんの少しもいないじゃないか。伝説の黒髪を華麗に乱す少女たちを邪魔せずに、どうか暖かく見守ってくれ。少女たちのかけがえのない夏休みが素晴らしいものになりますように。

2014年6月21日土曜日

武井 咲 / 恋スルキモチ(2011)

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こんなCDを買ってしまった。武井 咲はGRAY・TAKUROの書き下ろし曲で2011年に歌手デビューしていたのだ。「恋スルキモチ」(2011 UNIVERSAL)の通常盤。

申し訳ないが54円で手に入れた。

実は、自分にとって武井 咲はかなりタイプ。たぶん、性格キツそう。怒られたい。

武井の歌手活動をあまり知らなかった。てゆうか、武井 咲が歌ったCDはこれしかない。このジャケットの武井、それほどかわいくない。ファンは特典つきの初回を買ってるかぁ。

オスカーは上戸彩も剛力も歌ってる。女優業の片手間で。

「恋スルキモチ」と「明日へ」という2曲を収録。どちらも可愛らしい曲。アイドル女優のデビュー曲にふさわしい感じ。何回も聴こうという気が起こらない。すまん。

武井 咲の歌手展開、その後を聞いていない。

先日、「情熱大陸」を見た。武井はもうモデルという肩書きを捨てたそうだ。おそらく歌手の肩書きもすでにないのかもしれない。女優に専念してさえいれば、たまにファッション誌でキレイに着飾った写真は見れる。

2014年6月20日金曜日

APSカメラ OLYMPUS Centurion で撮る

APSフィルムはもう生産されてないのにAPSカメラを買ってしまった。オリンパス1996年製のCenturionというL型ブリッジカメラ。
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このユニークな形状に興味を持つ人間は自分しかいないのか?315円でゲット。あまりに美品なので、ぜったいに使えるに違いない。

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実は、このカメラを買った理由は、APSフィルムのジャンクを先に見つけたから。フジフィルムのnexia ISO200の40枚撮り3本パックを105円で!2002FIFA日韓ワールドカップのときの!(笑) ジャンクフィルムを手に入れてからジャンクAPSカメラを探す本末転倒ぶり。しかも簡単にAPSカメラのジャンク品が315円でそこにあって見つけられたという。

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とりあえずAPSフィルムは3本確保。APSはフィルムとデジタルの過渡期にわずかに存在した儚い規格。なのでまだまだデッドストック品がネットオークションに大量にあるので、まだ数年はフィルムが手に入るだろうと楽観視。

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315円だったのに、まったく問題ない。これは使ってやらないともったいない。一眼レフならではの「パコッ」っていうシャッターの操作感がいい。マニュアルを探す必要を感じないぐらいシンプルなピクトグラムがわかりやすい。ちなみに、自分はレンズ交換一眼レフカメラを1台も持っていない。理由はレンズを買うお金がないから。レンズ交換がたぶんめんどくさいから。

1996年製だと古いカメラって呼べないかもしれない。4倍ズームのレンズとか、1/2000なんてシャッター速度、古いカメラばっかり使ってきた自分は一度も使ったことないわ。自分にとっては最新型カメラ(笑)。でもAPSなので前途はない。ではさっそく試写の結果。
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まったく何の問題もなく使える。1996年製だとフィルムカメラとしては自分史上最新スペック。最新型は違うな~。

2014年6月19日木曜日

花のあと(2010)

北川景子が好き。だが、長年これを見ないままでいた。藤沢周平「花のあと」を映画化したもの。自分は時代劇を見ようと思ったことがない。たぶん退屈でつまんない。

昨年、出羽庄内地方を旅して藤沢周平にほんの少し関心を持ったのだが、今に至っても本を開いたことがない。たぶん今後も開かない。面白さがわからないと思う。

やっぱり典型的な時代劇。武家の娘の秘めた恋と敵討ちの話。障子と襖を開け閉めするシーンが執拗に繰り返される。

この形態の娯楽作がこれからの世代に残っていくと思えない。

北川景子は現代的美人すぎて着物姿も日本髪も似合わないと個人的に思ってる。おとなしく控えめな武家の娘の役をやって誰が得をする?時代劇を見たがる層にウケる女優でひっそりとやってくれていれば自分も見ないですんだ。

ま、女剣士北川景子の凛々しさはこの映画の魅力。

宮尾俊太郎はいかにもヒロインが秘めた恋を抱きそうな、優しく強い、端正な気品のある若きサムライ。甲本雅裕のニヤケ中年顔とひどいコントラストを強調。市川亀次郎がラスボスなのだが、自分が孫四郎なら、「作法が違う」とクスクス笑ってるあの男を殺してから自分も死ぬ。あのシーンが一番むかつく。間違ってるならそう教えてやればいいだけの話。

最後の桜を見ながら甲本がニヤケながら歩くシーンが長いように感じた。それになんで時代劇って必ず一青窈みたいな曲が流れるの?

藤村志保のナレーションが苦手。
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北川景子がかわいいわ~。
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2014年6月18日水曜日

悲しみの向こう

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「リトル・フォレスト」のトレーラー映像を見てたら、YUIの時代がまた遠い昔に、さらに遠ざかったように感じた。YUIはもう過去のものだと。東京での最後のYUIワンマンライブからもう2年半も経っている。もう2年半!まだ2年半とも思う。もっと昔のような気もする。

JAPAN 2012年4月号は2月30日の発売だったから、1月19日のツアーセミファイナル武道館公演レポが掲載されたのは1ヶ月以上経っていたことになる。この号は直前の2月15日、東京事変の横アリ解散ライブレポが表紙メインなので、見逃してる人も多いかもしれない。

ま、後にリリースされたDVD、ブルーレイを見ていれば、もう読む必要のないレポかもしれない。読んでいてアンコールのHappy Birthday to you you の夢のようなハッピーさを思い出した。


YUIが17歳だったころから取材してきたロッキングオンのYUI担当小松香里はこの公演を
「最後の最後、予定していなかったTOKYOを大粒の涙を零しながら歌ったYUIの5回目のツアーセミファイナル。これからずっと続くであろう音楽の旅の途中で、YUIが新たな決意を強く宿した、とても感動的なライブだった」
と書き始めて、
「『自分は音楽でしか表せない』という決意を胸に、福岡から東京に出てきてから7年が経つ、原点を見つめなおし、また解決することのできない深い悲しみと向き合い、救いのメッセージをこめたかつてない強い希望のアルバム『HOW CRAZY YOUR LOVE』。それによってYUIは自分の歩んできた道のりを確認し、深い悲しみと強い喜びをまたまた強い決意に変えることで、力強く歩んでいこうとしている。そんなフィナーレだった。YUIの前には果てしなく道が広がっている。」
と締めくくっている。

だが、この半年後、YUIは誰も予想できない「新たな決意」と方法で別の道を切り開いていくことになろうとは、小松も思ってもなかったことだった。

むらじゅんが「円いもの」をほのめかしてからジリジリと焦らされて半年が経つ。ま、音楽の世界ではよくあること。「明日になれば何かあるかもしれない」とけなげに待ってるRolling days



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PS.  ブログ引越しの準備を考え始めて、引越し先での画像のリンクをどうしようか?と考え始めた。

この「ブログ人」の画像フォルダのディレクトリが、どうしてこうなった?というぐらいめちゃくちゃに入り組んだディレクトリになってしまっていることに気づいた。

なにせブログがどういうものかもわからずに、とりあえず始めてしまったために、アップしては削除を繰り返して残骸フォルダを残した状態になっていた。
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なんだこれ?という写真も出てきた。削除したはずの写真。

2007年6月1日YUI 2ndTour 追加公演CCLemonホールの写真が出てきた。

7年という歳月が経ってしまっていることにも愕然とした。

そして、びっくりするぐらいサイズを小さくして写真を撮ってたんだな、俺。

今の配置レイアウト比率に落ち着いたのはつい最近だったんだなあ。



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ああ、あの日の渋谷の空はこんなにも晴れていたんだなあ。

暑かった記憶もある。

たぶん、物販開始時刻ごろの写真。なのに、自分は何も買ってないという……。

この追加公演では香港から見に来ていた人もいたことでちょっと驚いたんだった。
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これからはPicasaとか使ってみようと思う。

写真のサイズは容量を気にしなくていい時代になってる。

時代は変わってきたなあ。自分はあまり変わっていない。

2014年6月17日火曜日

悲報 OCNブログ人サービス終了。

先月、OCNブログ人のサービス停止が発表された。5月31日をもって新規受付の停止。11月30日にはサービス自体が完全に停止。自分は数日前になってやっと知った。もう普段あまり見なくなっていたメールアドレスに通知が来ていた。

つまり、このまま何も手を打たなければ、8年にわたって書き続けてきたこのブログが消えてしまう。どうすればいいの~?♪ すでに多くのブログ人ユーザーが脱出を始めている。いつかこうなる日がくるとは思ってた。

今ではブログをやっている人自体が少ないのに、マイナーなOCNブログ人はもっと少なかったはず。ブログ人はプロバイダをOCNにしている人は無料で使えるブログサービスだった。他社の無料ブログサービスと比較して、それほど使いやすかったわけでもない。エラーも障害も多かったし。カテゴリーが自由にたくさん作れなかったし。むしろ使いにくかったし。

そもそもOCNにしたのは、自分の家の事情。そしてブログ人始めたのは、無料のサービスは利用したほうがいいな、ぐらいの理由。当時、職場の同僚が新宿区落合からブログで情報を発信していたのに倣って、自分も赤羽から何か役に立つ情報を、と思って始めた。

だが、やがて書くこともなくなり、自分の趣味と日記に特化。そして、YUI記事ばかりに。

けど、YUI記事だけ書いていたら、早々に行き詰まり、続かなかったと思う。以前はブログ人の容量が現在の10分の1で、容量いっぱいに迫ったとき、2007年の古いどうでもいい記事を消して容量を確保してから新しい記事を書いていた。なんでそのとき新しい無料ブログに移行しなかった?

結局、人間はなかなか慣れた場所を離れようとしない。せっかく操作に慣れたのに、またイチから他の場所で始めるなんてストレスでしかない。だが、今回の件では期限が切られている。考えなくては。

実はこれ初めて言うかもしれないけど、自分はここ2年ほど赤羽で生活をしていない。東京の西のほうに住んでいる。赤羽の実家には昨年は3回しか帰っていない。今年はまだ1回も帰っていない。3月に1回電話をしたっきり……。「寅さん」のようなダメ息子、両親に合わす顔がない。というわけで、ブログの名前も変えたい。

実家にノートパソコンを持って帰った時に、使うかもしれないからという理由だけでOCNプロバイダ契約を続けて毎月2千円ちょっとを引き落とされている。その主な理由は「ブログ人」を使うためだった。

だが、今回のサービス停止によって、OCNとのプロバイダ契約も解除しようと思う。親はパソコンさわれないし。なんか、今後のこと考えると解約手続きとかいろいろとめんどくさい。
ブログを継続されるお客さま、これからブログを始められるお客さまには、NTTレゾナント社が提供する「gooブログ」を推奨いたします。

※2014年8月中旬にHPで詳しい方法をお知らせいたします※

9月上旬頃より、「gooブログ向け引越しツール」をご用意いたします。
とか悠長なこと言ってる。「FC2」や「Seesaa」はすでに「引越しツール」を用意して「ブログ人難民」の受け入れを始めている。もうすぐにでも新天地に行ってOCNとは縁を切りたいところだ。こうしてる今も、使っていない回線の利用料を払い続けている。

ブログ引越しがうまく行くのか不安。レイアウトとか、リンクとか、写真のサイズとか、コメント欄とか。

時間をかけて準備しているならよほど完璧に引越しできるツールを用意してくれているに違いないと期待したい。てか、gooがまったくそのまま使える場所を用意してくれたらいいのに。

ブログ人は広告が入らなくてよかった。他の人のブログをiPhoneで見ると重くて嫌。自分はシンプルなものが好きというこだわりがあった。右上に320pixぐらいの写真を置くレイアウトが好きという謎のこだわりもあった。

で、新ブログはどこを選べばいいのか?FC2か?seesaaか?gooか?それともLivedoorとか? google bloggerとか?どれも長短があるなあ。

思い切って最初から有料サービスを選ぶのか……。SNSはストレスたまってめんどくさそうなので考えていない。それともこのまま放置して生まれ変わってまったくの別名で新生活を始めるか……。

まだ考え始めたばかり。

2014年6月16日月曜日

AIMI 、なう。

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日本代表の敗戦から数時間後の夕刻に渋谷へ出た。青いユニ姿の敗残兵を何人も目撃。どこか遠くから独特の節回しで「に~っぽ~ん♪ にぃ~っぽ~ん♪」という男ども数十人の声が聞こえてくる。祈祷でもしているんだろうか。

さて、2012年末のステレオポニー解散後、故郷沖縄で過ごしていたAIMIがようやく本格的に再始動をしたらしい。友人に誘われて渋谷まで出た。AIMI presents 「Twinkle Communication!!」というAIMI企画イベント。AIMIの今を確認するために渋谷チェルシーホテルまで足を運んだ。

開演30分ほど前に会場へ行ってみると坂道の歩道に大勢の人。しょうがないのでカフェで20分ほど過ごして開演5分前ぐらいにライブハウスの中へ。我々が買ったチケットの整理番号が170番台後半だった。この日のオーディエンスは関係者を含めて約200人といった感じか。我々の前に並んでいた2人は受付で名刺を渡していた。業界の人かライターっぽい。

この日のライブはツーマンらしい。bomiという少女ボーカルと男たちのバンドが出てきた。4つ打ちエレクトロ?嫌いじゃない。このバンド目当てで来てた人も何人かいたようだ。遠目で見ると体操着のような衣装を着ていた。

続いてAIMIバンド。自分がAIMIを見るのは昨年5月の渋谷でのAIMI企画ライブ以来、1年ぶり。この日のオーディエンスの多くがステレオポニー時代からのAIMIファンがほとんどだと思うが、みんなも久しぶりだったようだ。

ステージとフロアを仕切るカーテンがするすると開くとバンドメンたち。そこに後からAIMIが子供のように元気いっぱい跳ねながら登場。赤いシャツのような衣装にもっさりパーマ。ま、その辺はツイでも参照してもらいたい。自分のいた場所からはあまり見えない。AIMIは148センチだからね。

この日のバンドメンバーは全てサポートの男性たち。メンバー紹介でそう言ってた。この日はアンコール含めて8曲ぐらいやったかな?すべて新曲でまだ誰も知らない曲。AIMIはテレキャスターもアコギも弾いた。どれもステレオポニー時代からのファンなら戸惑うことなく受け入れることができる、AIMIらしい可愛らしくてPOPでROCKな楽曲だった。みんな拳を突き上げてジャンプ!ジャンプ!

ブルーハーツのカバー「リンダリンダ」にはテンションがあがったわ~。

高校を卒業した翌日から沖縄を離れてずっと東京で暮らしていたというAIMIは、昨年1年間、沖縄で過ごしてやる気を回復。休んでいる間も多くの出会いがあったそうだ。なんと、車の免許を取ったそうだ。「危ないからって止められてる。」

そして、「これからもずっと歌い続けるよ」と力強くオーディエンスに約束をした。くりくりした目で詰め掛けた客ひとりひとりをしっかりと目に焼きつけているようだった。とても楽しそうだったのが印象的だった。8月にお披露目が待っている新バンドALiCE IN UNDERGROUNDとは別にAIMI名義のソロ活動もしていくのかもしれない。

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2014年6月15日日曜日

GyAO Magazine 2008年8月号 Perfume / LOVE THE WORLD

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GyAO Magazine 2008年8月号に「love the world」をリリースしたPerfumeのインタビュー記事を見つけたので買ってきた。108円。

この時期のPerfumeは初めての全国ツアーを終えて、初めての武道館公演が決定し、まさに大ブレイク中。世間の「Perfumeって何?」という興味と注目が高まっていた時期。多くのメディアで取り上げられたので全部は目を通してなかったし、買う必要もない。だが、最近の自分は「あ~ちゃんは中田ヤスタカをどう見てきたのか?」というテーマに興味があり、ちょっと面白いことが書かれていたので購入した。

あ~ちゃんはテレビに出始めたころ「暴走する天然」みたいに思われていたのだが、後に極めて女子スキルが高い、TPOをわきまえた空気の読めるPerfumeのCEOであることがわかってきた。自分はライブ中MCであ~ちゃんが「中田さん」についてコメントするときの、歯に衣着せぬ、容赦のない突っ込みに注目していた。このことは2009年の代々木公演直前に「あ~ちゃんは中田ヤスタカを批判している」という、あ~ちゃんを苦しめた記事につながるのだが。

ちょっとGyao 8月号から引用する。新曲「Love the world」について
あ~ちゃん「最近〝LOVE〟って言葉がよく(歌詞に)入ってきて、そういうグループなのかなって思いつつもあるんですけど(笑)。前回、LOVEみたいなテーマを、恋物語として書いてって話がレコード会社さんからあったと聞いて、今回もそう言われたから、中田(ヤスタカ)さんがあてつけのようにタイトルつけたのかなって思ったんですけど(笑)。

出来上がりを聴いたらやっぱりカッコいいし、フリも、PVもめちゃカッコいいです。特にPV。あたし《ポリリズム》のPVが一番好きなんです。かしゆかがDNAみたいなのに入ってるところとか何回も巻き戻して見るくらい好きなんですけど、それを超えちゃうんじゃないかってくらいで。Perfumeらしくもあり、少し大人っぽい感じもするし」
自分は以前、あ~ちゃんは中田ヤスタカのことが好きなんじゃないか、とすら考えていた。あ~ちゃんにとってヤスタカはとても気になる存在らしく、とてもよく観察、心理を分析している。女子中学生・高校生にとって若い男性の先生が身近にいる唯一の社会人男性であるように、中田ヤスタカは興味深い存在だったのかもしれないなって思ってきた。

あ~ちゃんがよく「中田さん」をネタに喋るのには、親愛と微妙な距離感を感じる。3人は、JCJKが不在の先生を話のネタにするように、ライブMCでヤスタカをネタにしてきた。3人は優しくないヤスタカにJCのときに泣かされた恨みもあったのかもしれない。

あ~ちゃんは女性アイドル大好きガールだったのだが、かしゆかとのっちには厳しかった。だが、「ポリリズム」のPVのかしゆかのシーンを何度も繰り返し観ていたという発言には、あ~ちゃんにとってはかしゆかとのっちもアイドルである瞬間があるんだなって、これを読んで思った。

最後に、カップリング曲「edge」について3人が会話してる箇所を
かしゆか「女の子がやる曲じゃないですよね(笑)」
あ~ちゃん「3曲目、4曲目もマジカッコよくて!」
のっち「あんま歌ってない(笑)」
あ~ちゃん「それでいいんよ。それをシングルで出せるっていうのがカッコいい。シングルって2曲しかなくて、その後はカラオケが普通なのに。その中であそこまでやっちゃう!みたいな(笑)」
あ~ちゃん「Perfumeの曲っていうより、中田さんの曲が3人とも好きだから。なおかつそれを、自分たちのグループでシングルとして出すのが。〝やベー、カッコいい!〟みたいな(笑)。普通に嬉しいんです」
自分にとって最も印象深く衝撃だったPerfumeのシングルは「love the world」だ。2008年のRIJFへこの曲をかけながら友人と高速で向かい、超満員のレイクステージに3人が現れたときが、今にいたるまで最も心が高揚した瞬間だった。

PS. Perfume代々木公演のチケ先行、PTA1次(不戦敗)、ぴあ先行、セブンイレブン先行、PTA2次と4連敗……orz うーん、これは土日を狙って申し込んでるからダメなのか。

2014年6月14日土曜日

ばかもの(2010)

内田有紀という人は90年代前半にアイドルとして大変人気のあった人で、当時のことは自分もなんとなく覚えている。この人はアイドル歌手でもあった。

その後あまり見てなかったのだが、近年になってNHK「アテルイ伝」や、現在放送中の「軍師官兵衛」で見た。たいへんきれいな人で、自分に強い印象を残していた。

絲山秋子の同名小説の映画化作品に内田有紀が主演しているということで、これを選んでDVDで見た。なんら知識がないままに。

主人公・成宮寛貴は地元3流大学に自宅から通うお気楽大学生。主人公の父親が「だんべ」という語尾を使っていたのを聞いて、「群馬?」って思ったら、この映画は高崎が舞台。ずっと高崎観音が画面に出てくる。

おでん屋に財布を忘れたから取りにいって欲しいと父親からたのまれて、店にいくとそこでガラの悪そうな性悪年増女が飲んでいた。飲めない酒を飲まされ部屋に連れ込まれ……。その後は会えばセッ〇スの毎日。高崎観音の境内のダルマ屋台の陰でも行為におよぶ。内容と会話はあけすけに性的なのでテレビ放送できるのかわからない。内田は下着姿までしか露出していない。

その後は女が結婚するということであっさり棄てられる。遊ばれて、ポイ。夜の公園に放置。トラウマを抱え大学を留年、友人が就職し結婚し出世し取り残されていく主人公。

中盤からは重度のアルコール依存症による転落人生。周囲も不幸にし仕事も辞め、ついには酒に酔った状態で交通事故を起こし、入院……。アル中で荒んでいく成宮の転落人生が恐怖映像だった。見ていられないぐらいに怖すぎた。

大学時代のデイトレーダー女友達が宗教にのめり込んでいるのも怖かった。飲酒事故を起こすと本人にだけでなく、呼び出されて急いで駆け付けて神妙に頭を下げてる焦燥してる両親にも、警察官ってあんな横柄な口をきくん?ヒラ警察官も自分は偉いって錯覚してるのか?ダメなやつは家族もダメなやつみたいな?

アルコール依存から生還し中華料理店で働き始める。そして、別れてから数年後に片品村で女と再会すると、女は事故で左腕を失い離婚していて、まるで老婆のような姿になっていた。
成宮の人生を狂わせたことへの自責の日々。日常生活はほとんど一人でできるけど、どうしてもできないことがある。「右手をごしごし洗ってほしい。そして、ワキ毛を剃ってほしい」と女からお願いされる箇所は、自分の想像力を超えていた。ああ、そうかって思った。

ま、大人が見る映画だな。いろいろと見ていてキツすぎた。この映画は成宮が主演だった。内田有紀、違う作品を探したい。

2014年6月13日金曜日

Superfly 17th single 「Live」

Superfly_liveライブ会場で購入した「Live」を聴いてる。まず初回盤特典DVDから見た。なんと、Superflyが初登場した2010年のフジロックの映像。これ、見たことあるのかなって思ってたけど、初めて見た。ひょっとすると初出?

Superflyは7月30日、最大のGREEN STAGEの1組目として登場。映像を見るとそんな感じ。オーディエンスも早起きして遠くからやって来たに違いない。越智志帆も探り探り客を温める。初フジロックでアウェーな感じでいきなり朝イチでGREEN STAGEは緊張しただろう。

この日のヘッドライナーはMUSEだった。行きたかったのだが自分は行ってない。この年は他の3フェスで忙しかった。

自分としてはWildflowerやタマシイレボリューションは最近の曲って認識でいたけど、もう4年も前なんだな。越智志帆は変わってないけど、今よりも歌っている表情が面白い。

あのドラマー(マツキチ)はすでに懐かしい感じがしたが、今回のシングル2曲のレコーディングに参加してたんだな。

で、新曲「Live」だが、お台場で志帆が「リヴ」って言うまでずっと自分は「ライヴ」だと思っていた。うーん、事前に予習する時間がまったくなかったとはいえ、オフィシャルサイトにもそう書いてあった……。「多保くんがまだ10代のとき作った曲」「へえーっ」「うん、予想とおりの反応(笑)」

当然のようにあの日が「万華鏡と蝶」も初聴きだった。イントロから80年代独特な感じの英語歌詞曲。「Live」も「The Long Way Home」もちょっと古い感じのバラード。

2014年6月12日木曜日

吉村 昭 「三陸海岸大津波」

ちょっと前から気になっていた本を古本屋で見つけて買っておいた。吉村 昭(1927-2006)が40年ちょっと前に、三陸地方を歩き回って取材して書いた「三陸海岸大津波」(文春文庫)だ。自分が手に入れたものは2011年3月の震災後の増刷版。

GWに久慈から田野畑にかけての三陸海岸を見て回った後だったので、あの美しい海岸と集落、屹立した崖を思い浮かべながら読んだ。

吉村昭がこんな本を書いていたことにまったく気づいていなかった。三陸海岸は有史以来、何度も津波の被害に会っている。

当時40代だった吉村氏がこの本を上梓したのは昭和35年のチリ津波から10年ほどたったころ。
三陸海岸に壊滅的な被害を与えた明治29年の大津波、そして昭和8年の大津波を主に取材している。

明治29年6月15日、旧暦の端午の節句の蒸し暑い夜8時過ぎに起こった地震と、それにつづく津波は世界史上2位の大津波だった。26,360人が亡くなった。
数名の生存者を残して全滅した集落が多かった。当時の新聞の挿絵などみると、まるで打ち上げられた魚が並んで横たわっているように、大量の死体がある。男女とも裸で仰向けになってお腹がパンパンにふくらんでいる。この世の地獄になっていた。

吉村氏は当時を知る古老2人に直接取材している。大変貴重な記録になっている。前兆現象、被害、救援、体験記という順序で書き綴る。コンパクトにまとまっていて、中学生でもすぐ読めると思う。

今でこそリアス海岸の奥に点在する集落をつなぐ道路があるが、当時は各集落は陸の孤島でたまに小船が行き来するだけだったので、救援物資を運ぶのも難航。

昭和8年3月3日午前2時30分すぎの地震と大津波では「冬は津波は起こらない」「晴れた日は津波は起こらない」という迷信のために被害を広げた。寒い深夜だったために2度寝してしまった人は助からなかった。波にまかれて命からがら高台に逃れても凍死してしまったという。
2,995人が亡くなった。当時は昭和の大恐慌の時代。生き残った人々も悲惨だった。

生き残った小学生たちの作文が残されていた。子ども目線で書かれた津波の記録。読むと悲しくてつらい。振り返ると2階の屋根の上に黒い波がノッと突き出していた。恐怖体験としかいいようがない。

この本は昭和35年のチリ津波のことも書かれている。地震がなかったために潮が退いても津波がくるのか疑った人が多かった。初めて経験するパターンに戸惑った人が多かった。
しかし、過去の歴史を調べると、南米での地震による津波襲来は過去にもあったのだった。死者105人。

この本は最後に、明治29年、昭和8年、チリ津波とだんだんと死者数が激減していることと、田老町の世界最大クラスの防潮堤の異様な大きさに触れてこの本は終わっている。
他の地域よりもはるかに高い津波に対する防災意識をもった田老でも、2011年に大きな被害が出てしまったことは、吉村氏にも予想できなかっただろうと思う。

2004年のスマトラ沖大地震と2011年の東日本大震災では、多くの津波映像が残された。自分は初めて津波とはどういうものか、やっと理解できたと思う。古老の言い伝え話を聴くだけではイメージできなかっただろう。

次に大津波が三陸を襲うまでには、最悪に最悪が重なる想定でいないといけないと思う。東南海地震と津波にも。

2014年6月11日水曜日

宮崎あおい 「海でのはなし。」(2006)

これを観ると、映画にとって音楽、サウンドトラックがいかに大切かということを思い知らされる。

この映画は東大薬学部卒の放送作家、脚本家、大宮エリーの監督作品だそうだが、大好きなスピッツの名曲でPVのような映画をつくろうと思い立ったのはいいが、映画たりえていないものを作ってしまった。

そこで展開するそこそこヘビーな人間ドラマに音楽がまったく合っていない。スピッツの超名曲がじゃまでしかない。
日本映画を支えてきた名優といっていいふたり、宮崎あおいと西島秀俊の芝居を見ることを妨害しかしていない。
ドラマに集中していると、爽やかな草野マサムネの歌声が聞こえてくる。するとそっちに耳を奪われる。台詞と名曲、どっちにも気をとられる。

スピッツの楽曲がどれも名曲過ぎる。聞き流せない。じゃあPVとして見ればいいのか?っていうとそれも難しい。

宮崎、お父さんが浮気してるかも→実は、お父さんとお母さんは籍を入れてませんでした→私が浮気の子でした→ショック!→いつもそばにいてくれた西島に告白、「抱きしめて」→拒絶→さらなる絶望

西島、妹のように思ってた宮崎から「抱きしめて」と言われる→それ、ムリ→宮崎の女ともだちからも「アンタ、何やってんの?バカなの?」→久しぶりに実家に帰る→母がパチンコ依存症

PVにしてはドラマが濃厚すぎヘビーすぎ。台詞が重要なので聞き入る。ジャカジャカ鳴ってるスピッツの楽曲がじゃまになるという悪循環。ドラマシーンで楽曲がばっつり切られるので、楽曲への愛も感じない。これ、音楽を止めて、役者の芝居だけ見たい人はどうすればいい?

研究室をめちゃくちゃにして寝入ってる西島のCDのイヤホンを耳に当てる宮崎、BGMとして鳴ってるスピッツを口ずさむ。自分にはコントにしか見えなかった。宮崎あおいも西島秀俊も草野マサムネもみんな気の毒。

宮崎あおいが破壊的に可愛いので、宮崎あおい鑑賞の目的は果たせている。宮崎あおい主演作でこれはまだ見てなかったので、つい手にとってしまった。
これ、BGMを差し替えればまだ見れた作品になると思うのだが。

宮崎あおいの演技は特別にすばらしいなって思う。だが、宮崎あおいの映画でよかったと思う作品になかなかめぐり合えない。まだ観てない作品はどれも地雷っぽい。
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2014年6月10日火曜日

「ゴジラ × モスラ × メカゴジラ 東京SOS」パンフを手に入れた

映画パンフってほとんど買ったことがない。今になって古本屋で買ってる。これ、見つけた。
「ゴジラ × モスラ × メカゴジラ 東京SOS」(2003 東宝)のパンフ(笑)。

ゴジラだけでなく、モスラとメカゴジラも見れる。カレーにロースカツとえび天がのってるようなもんだな。

長澤まさみが「小美人」役で出演している。パンフの表紙にいたとは知らなかった。でも、中にはほとんどカットがない。まさみオタは買う必要もない。

長澤まさみがルームメイト大塚ちひろと同じ映画で共演した本作はテレビでやったとき録画して編集して保存した気もする。以来、一度も見てないので忘れた。もう一度見てみようという気も起こらない。たぶんつまらない。

今回、1961年版「モスラ」を見てみた。これ、くだらないだろうな~と放置してた。くだらなかった。
ザ・ピーナッツってあの時代の辻ちゃん加護ちゃんみたいなもんか?ぜんぜん可愛くない。歌と踊りのシーンが長すぎる。強欲な白人が太平洋の島民を苦しめ、日本が解放するというメッセージの映画?

モスラって東京タワーに繭をつくるシーンしか知らなかった。芋虫って海を泳ぐか?いきなり奥多摩のダムに出現し、青梅街道を東進、渋谷の街を破壊。東急会館も完全破壊。オリンピック以前の渋谷の街が興味深い。最後はアメリカを襲ってたって初めて知った。悪役はアメリカ人。

ちなみに、ソ連時代を生きた45歳以上のロシア人のほとんどはザ・ピーナッツを知ってるって聞いた。なんでも、外国の歌として「恋のバカンス」は誰でも知ってる超有名曲なんだそうだ。年配のロシア人日本語通訳の方から直接聞いた話なので間違いないと思う。

まだ一度もゴジラシリーズを見たことがなかった昔、アメリカ人旅行者の青年と世間話をしていて「がっずー」って言っててなんのことか分からなかった。「がっずーって何?」って訊いたら「ソーリー、ゴズィーラ」って。「ゴジラ」は世界的に有名なんだって知った。

もう、長澤まさみしか愛せない。まさみの何もかもが好きだが、とくに体型が好き。まさみはおへその形もすばらしいと思う。
Masami_mosula

2014年6月9日月曜日

ラドン(1956)

きまぐれで「空の大怪獣ラドン」(1956 東宝)という映画を見てみた。日本が独立して5年しか経っていない時代のカラー映画。ゴジラのヒットによって東宝はさらに特撮怪獣映画をつくってしまった。自分はまだゴジラも見たことがないが、音楽担当は伊福部昭なので「ラドン」を見てみようと思った。

まだテレビ放送も始まっていない時代、日本の地方都市のカラー映像がとても貴重だし興味深かった。ラドンが福岡の街を破壊するのだが、あの西鉄のビルはYUIがライブしてた場所では?!

九州の炭坑町、坑道で謎の他殺体が発見される。この箇所がなんだか「八つ墓村」っぽい雰囲気。登場人物がみんな時代劇俳優っぽい所作と顔立ち。婦人は着物姿。日本の風景は戦後しばらくもずっと幕末とたいして違わない。現代人とは顔がだいぶ違う印象。建物やバス、オフィスの風景など当時の日本をカラーで感じることが貴重に思われた。

実はこの映画を観る以前に、WOWOWで「ウルトラQ」という昔の円谷特撮テレビ番組シリーズを放送していたのを数話をちょっと見てみた。30分番組だからしかたないかもしれないが、現代のドラマと比べて脚本が弱いと感じた。「鳥をみた」という回では「ラドン」のシーンが使い回されていた。「ラドン」のほうが「ウルトラQ」よりも先に違いない。出演している俳優たちが若い。若き日の白川由美が出ている。

自分はこの手の作品になんら詳しくないのだが、なんだか面白かった。当時の特撮水準だと鳥の怪物を描くのは難しかった。ここがちょっと滑稽。あの羽ばたきと形状でマッハで飛べる?

若い鉱山技師と白川由美や生物学者、新聞記者一人が作戦の最前線になんでいるの?普通そこにいられないだろ。まるで野次馬。
だが、全体的な印象としては今でも大人の鑑賞に堪えるSFサスペンス映画だと思った。

最後は登場人物一同が呆然と燃える山を眺めて終わる。やっぱり「八つ墓村」っぽい。

次は「モスラ」を見ようと思う。

2014年6月8日日曜日

吉高由里子「転々」(2007)

これも長年見るか見ないかで迷っていた。三木聡監督の「転々」。自分はこの人の映画が苦手だ。下北沢の小さな劇場でやってればいい脚本。

自分がこの映画を見たかったただひとつの理由は、吉高由里子が見たい、それだけ。

笑いのツボは人それぞれだと思うが、自分はこの映画のコネタの嵐で1回たりとも笑えなかった。失笑すらしない。能面のように時間を過ごした。くだらなすぎた。壮大な資源の浪費だった。麻生久美子がほんの一瞬振り返るだけの役で登場。

オダギリと三浦が東京を、内容のない会話をしながら散歩するだけの映画。そこに、まるで妖怪のようなキモい人々が次々と現れる。ま、出オチが多い。

「面白いだろ?」って言ってるようなテレビCMとか、自分は速攻でチャンネルを変える。30秒ですら我慢できない。この映画はずっと「面白いだろ?」って聞いてくる。「吉高を見たい」という強い意志がなければ見るの止めてた。

吉高は相当にユニーク。吉高の場合は「変態なのかも」と思わせるところが男にとっての魅力になってる。

知ってる場所だらけだった。自分もこの映画の主人公のように日々東京を流転している。テレビドラマとか、東京の見栄えのいい部分しか映さないけど、この映画は「うわ、汚い」という東京ばかり映す。

東京を歩いていると、東京と云う街は「富とスラム」でできてるなってつくづく思う。
Yoshitaka_te2

2014年6月7日土曜日

СОЛЯРИС 惑星ソラリス(1972)

いつか見ようと思っていた映画をようやく見た。自分にとって謎だったソ連のSF映画「惑星ソラリス」(1972 ソ連)

スタニスワフ・レムのSF小説をアンドレイ・タルコフスキーが映画化したもの。タルコフスキーって今まで何度も名前は聞いてきた巨匠だけど、見るのはこれが自分にとって初めて。

この映画、出てくる人がみんな中高年のおじさんたち。サリャーリスって発音している。全編ロシア語。ソ連のイメージを変える映画かもしれない。なぜか東京の首都高を走る車の映像も流れる。

見ていてとにかく困惑。なんだこりゃ?「2001年宇宙の旅」のようでもあるし、宇宙ステーションで3人しかいないとか「シャイニング」っぽい雰囲気。ずっとノイズ音のような不気味な電子音がしているし、「ウルトラ・セブン」のようでもあった。不気味で意味不明な映画。「誰?」っていう人が一瞬見切れるシーンは怖い。

ただただ理解できない現象に困惑して悩んで焦燥している科学者たち。ステーションにいたふたりの科学者が不気味すぎ。

スナウト博士の部屋でのカメラがパノラマ回転している。妻ハリーのシーンでも。斬新なカットだ。

バッハのオルガン曲が流れてブリューゲルの絵画をカメラがナメ回す。耳毛のアップのカットとか、なんだ、これ?

意味がわからなすぎた。ただ、好きな人の完全レプリカなら欲しい。

2014年6月6日金曜日

Superfly FC Tour 6月5日@東京Zepp DiverCity

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東京もここ数日猛暑で暑くてかなわない。だが、今日は小雨が降って涼しかった。1年ぶりのSuperflyのファンクラブ限定ライブのために、遠くお台場ダイバーシティまでりんかい線で出かける。お台場、人も多いし、遠いのであんまり好きじゃない。

Superfly FC Tour 東京3DAYSから、自分はなぜかDAY3を選んでしまった。

まずチケットと会員証キーホルダーと身分証明書の3点を厳重にチェック認証して手の甲にスタンプを押してもらってから入場する。今日は雨が降っていて外で待つのも大変だ。600番台の初めという微妙なチケットだが、最前線の一段後ろに陣取って開演を待つ。去年も夏にここへ来たけど、あれから1年たったなんて信じられない。ついこの間の出来事。

男女比は6対4ぐらい?で男が多い。女性ファンは20代ぐらいの人が多いが、男性ファンは30代40代以上の人が多い。ほんとうに東京はZeppで3日間もやれるんだな。びっしりと客が詰め掛けてる。

↓(※ 以下 ネタバレ これから行く人は絶対に見ないで)↓

「いくぜ、トーキョー!」と越智志帆登場。1曲目は「Bi-Li-Li Emotion」でスタート。なんか、久しぶりにSuperflyっぽい衣装だ。真っ赤でフリフリしてる。タロット占いしそうな感じ。シェイクスピア演じそうな感じ。ひさしぶりに志帆を見たけど、あれ、もうこんなに髪伸びたんだ。「セイ!ビリリ エモ~ショ~ン♪」

「Superflyでーす!東京は3DAYSもやらせてもらえて、うれしい!東京シリーズ?初日は独特(笑)なムード?昨日は…なんか変でした。祭りみたいな?私たちも収拾つかなくて(笑)。3日目ファイナル、どんなライブになるか楽しみ!サイコーな1日にしようね!」と越智志帆。

自由に話すオーディエンスに「この辺、危険。モンスターが潜んでる」とつっこむ。越智志帆は真打の噺家のようにMCと客あしらいが上手い。おかしな客が多かった。

「1年2ヶ月ぶりですが、前回来た人いる?」→多くの手が挙がる。「ファンクラブツアーってすごいね……。」

「久々なんでどういう企画をやるかスタッフみんなで悩んだ。せっかくなんでファンのみんなとライブをつくりたい。」

実は、最近は郵送されてるFC会報もオフィシャルサイトもあまり見てないし開いてない……。しかも、ベストもシングルもまだ買ってないという、FC会員にあるまじき怠惰な所業。すまん。今回のFCツアーはファンからセットリストを公募して人気投票第1位になったものをそのままお届けするという企画。

「応募した人いる?」→チラホラしか手が挙がらない(笑)。「みんな応募しようと思ったけど間に合わなかった?」→「はーーい」「ウソ~、調子ええわぁ~(笑)。応募セットリストを本当に全部見た。疲れた。ちょっとフケたけど(笑)。」

なんと、この日、応募総数1312通から見事第1位のセットリスト馬連馬券を当てた男がこの会場に来ていた!というわけで表彰式。「あ~、どきどきする。こんなのやってみたかった!」

どどん。垂れ幕「深澤さん おめでとう!」 フロントエリアのやや下手側で黒Tシャツを着た男が肩車される。表彰式というからステージ上に登壇するのかと思いきや、フロントエリアの一段が担ぎ上げようとするのをスタッフが制止。「代打でクサオ」。これには場内からええぇぇ~~の声。うーん、これもA〇B事件の影響か?

「サマーライブがコンセプト」という深澤セット。「Roll Over The Rainbow」 なにげに自分、これ大好き。「Dancing On The Fire」 自分はこれがないと物足りない。「嘘とロマンス」のタオル回しなんて久しぶり!いつ以来なのか思い出せない!Alright!! も自分にとって必ず必要な1曲。この4曲を入れた深澤セット、これだけでも満足。サンキュー、深澤!

Alright!! 曲中でメンバー紹介。今回もギタリストは草刈浩司と八橋義幸。小田原豊(Dr)サニー(Key)パルパル(Vo)種田健(Bass)のいつものメンバー。熱いソロ回しを聴かせた。ロックな4曲が続いて、「疲労困憊ですわ…」と志帆。「みんなイッキに喋るから、ひとりも聴き取れない!(笑)」


そして越智とサニーピアノで「愛をこめて花束を」→途中からバンドへ変わるアレンジ。輝く月のように→Starting Over という越智志帆も「考えたことなかった」という曲順で3曲。

アンコールの掛け声はなぜか「わっしょい」。どうやらFCツアー、8割ぐらいの人は1回きりの参加っぽいけど、グループで来てる複数回組もいたようだ。「わっしょい」に乗る八橋、「お祭りキャラになるよ」と突っ込む志帆。「昨日はノッてくれたのに今日は全然冷たい」と八橋→「ロックアーティストですから!」と志帆。

アンコールはそのまま同じ衣装で4曲、「新曲、かっこよかった?」「自分の曲をライブでやると思ったほど盛り上がらない夢をみることがあるけど、万華鏡と蝶は自分のイメージの通りにみんなハネてくれてた!」

「昔のカップリング曲とか、1回やってそのままの曲もあるさ」「みんな知ってる人は歌って!」と「愛と感謝」が来た。これ、JCBホールでやったFCツアーのとき以来?ニコニコしながら首を左右に揺らして、オーディエンスが歌うのを眺める志帆が印象的。

「今年中に新曲あるかわかんない。聞いてない。たぶん出ると思う。」「これからも楽しいFCにするよ!」と客に約束をして手を客とタッチして去っていくSuperfly越智志帆だった。

帰りに物販でまだ買ってなかったシングル「Live」初回限定を買った。ポスターがついてたので。グッズはまたしても何も買わなかったな。

Superfly Fanclub Tour 2014 Superconnection BEST 6月5日東京Zepp DiverCity セットリスト
01.Bi-Li-Li Emotion
02.Wildflower
03.Always
04.Roll Over The Rainbow
05.Dancing On The Fire
06.嘘とロマンス
07.Alright!!
08.愛をこめて花束を
09.輝く月のように
10.Starting Over
アンコール
01.万華鏡と蝶
02.愛と感謝
03.Live
04.マニフェスト

自分としては、「My Best Of My Life」と「恋する瞳は美しい」が聴きたかった。セットリスト応募してないのに言う権利はないけど。

Superfly まだまだこんなもんじゃないはず。さらに上を目指してほしい。東京ドームでやりたいという夢はまだ遠いかもしれない。

Superfly_bounce359

2014年6月5日木曜日

KARL HYDE / EDGELAND (2013)

Karlhyde_edgeland
やっほい。欲しかったCDを500円で発見してゲット。これって、出たばかりでは? ときどき輸入盤だと出たばかりでも安く見つけるときがあるけど、これはいい買い物。

アンダーワールドのカール・ハイドのソロ・デビュー・アルバム EDGELAND

DVDがついた全15トラック。日本独占先行発売だったはず。BRC366Xという品番がついている。made in Japan と書いてあるが、日本語解説書はついてなかった。

ブライアン・イーノMix ?! Leo Abrahams との共同プロデュース作品だという。

カール・ハイドが気持ちよく歌っている。ダンスミュージックの要素が皆無。だがアンダーワールドっぽくないというわけでもない。歌ってるのがカール・ハイドなのだから。

「コールドプレイ、シガー・ロスを髣髴とさせるロックとアンビエントの融合」?!

ま、最先端のロックと言っていい。叙情性があって壮大。ボーカリスト・カール・ハイドを聴くアルバム。アンダーワールドが好きなら聴くべきだろう。

2014年6月4日水曜日

JILLE 2011年6月号 前髪ぱっつん

Yui_jille2011062011年の前半といえば震災と香港と「HELLO」だった。その時期に出たJILLEの1ページのみのインタビュー記事。スタイリング&メークはおなじみだてっち&よーじペア。テキストもおなじみ永堀アツオ。

2013年、突然の「金髪ショートYUI」には騒然となったけど、この記事もインパクトがあった。え?!ヘアスタイル、どうなってるの?現在のyuiのイメージにほぼ近く見える。3年前のYUI。

シングル初回盤ジャケットだが、
「前髪パッツンのバージョンは、最初に自分で観たときにも誰か分からないくらい新鮮だった」
だそうだ。

映画「Paradise Kiss」と「HELLO」と「YOU」について語っている。
HELLOの歌詞はヒロイン紫(ゆかり)の心情ですよね?
私が映画の脚本を読んで感じたのは、紫ちゃんは、自分の道を探して、頑張って自分で答えを見つける、すごく強い女の子だなっていうことなんです。でも、その答えに辿り着くまでには、弱い部分が出ちゃったり、夢や恋や友情に悩んだりする。女の子のキラキラした部分に憧れを感じながらも、努力して夢や自由をつかんだ部分には素直に共感できて。だから、紫の気持ちで、ジョージという男性のことを思い浮かべながら聞いてもらえたらいいなと思います。
(YOUについて)
エンディングに近いクライマックスに使って頂けるということで、そのシーンを実際に何度も観て、口ずさみながら作っていきました。サウンド的には、壮大なストリングスのなかで、ひとり、弾き語りをしているような感じで、紫の気持ちを表現できたらと思ってました。

タイトル通り、ずっと忘れられなかった〝あなた〟についての想いを込めてますね。紫は夢に没頭して、自分がいまやるべきことをがんばってるんだけど、ふとしたときに〈あなたを忘れられるほど素敵な夢はない〉って思ったりしてしまう。人を愛すると、それがすべてになってしまうこともあると思うんですね。原作とエンディングは違うので、まだ映画を観てない方には、細かいことは言えないんですけど、紫とジョージのちょっとせつない距離感を想像してもらえたら嬉しいです。

私は紫の味方として観てしまっていて、彼女に将来への不安や迷いを相談されて、「すごく分かるよ。応援するよ」って言ってる。主人公にいちばん近い友達っていう感じですね。
アーティストとそのファンは一緒に何処まで行けるのか夢をみる。YUIとYUIファンは変わっていて、「YUIがやりたいようにやればそれでいい」と認め、小さなライブハウスで、メディア露出も大々的な宣伝もなく、達観した音楽活動を許してる。やろうと思えばアリーナクラスでできるのに。だからこそ、尊敬されてるってのもある。欲がない。
POPなメロディー 嫌気が差すの
逆らって生きたら 居場所がないの
自分は何年もYUIを見続けてきたけど、YUIを理解したなんて思う瞬間はまったくなかった。

2012年の悩んで沈んで弱気なYUI、2013年の新たな挑戦、2014年の試練と停滞、パートナーの存在…。YUIの今後の音楽活動がファンにどんな夢を見させてくれるのか……。自分にもまったく見えていない。

PS. YOUTUBEで「コーヒー」を完璧にカバーしてる少女の動画を見た。http://y2u.be/MomY3BNPMFQ この子は2013年の3月以前の「コーヒー」弾き語りを聴いてるね。何度も音源を聴いて研究してるはず。上手いなあ。

PS. とここまで希望のないこと書いてきて突然大ニュースを知った。YUIはまたしても映画の主題歌を書く!

橋本愛主演の4部作映画『リトル・フォレスト』の主題歌をFLOWER FLOWERが手掛けることがわかった。書き下ろし曲を4曲?!ということはライブでもやってない新曲?療養中に書いたのか?これから書くのか?

家でじっと療養してるのかと思ってたのだが、意外とそういうときのほうが頭が冴えてくるのかもしれない。どんどん曲ができていたのか。休むべきときも曲がどんどんできてしまうのか。

yuiは実際に原作を読み、製作途中の映像を見てすぐにイメージがわき、「セッションしながら楽しく作っていった」という。もうできてるのかよ!

居場所のなかった少女が自分を見つめなおして成長していく…というテーマ。「この作品が自分にとっても特別な作品になることを感じました」とyuiは言ってる。音楽と出会ったYUIを連想させる映画なのかも。

実は自分は以前から橋本愛の眼差しにYUIと同質な何かを見ていた。可愛いだけじゃない何かを。橋本とYUIが初めて繋がった。

橋本愛は「あまちゃん」ではユイちゃんだった。そして、中学卒業と同時に熊本から上京した九州女。夜型人間yuiが「朝ドラ」を見ていたか定かではないが、橋本に親近感を持っていたのかもしれない。アキちゃんが「ユイちゃ~ん」と呼びかけるたびに、「は~い」って。

橋本はこう見えて邦楽ロックオタの論客。大森靖子のライブに出かけ、ZAZENやらナンバーガールやら向井秀徳の音楽を愛する。yuiとも対談とかやっちゃいなよ。これから宣伝番組とか音楽番組、雑誌メディア露出とか大いに期待できる。

「8月30日および2015年2月14日に公開」と書いてある。夏までに配信とかCDとかないと、熱心なファンはうっかり劇場へ出かけてしまうかもしれない。

2014年6月3日火曜日

まさみの中野ラーメン

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少女はいつものように線路脇の道を歩いていた。その道は駅から遠ざかるにつれ、両側に古い雑居ビルと商店が立ち並ぶ。帽子を深くかぶってはいたが、その美しい顔を見て、ときどきはっとした顔をして振り返る若い男は、この通りを歩くたびに何人かいた。
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年のころ15か16、背の高い髪の短い少女である。その少女の名はまさみという。
故郷の静岡からこの街にひとり、家族を離れてやってきたのは2年前の春、中学2年生になったころだった。
美しかった少女はその1年ちょっと前、まだ小学生だったときに東京の大手芸能プロ主催の大規模オーディションに応募してグランプリを獲得。翌日には新聞、テレビでも大きく取り上げられた。雑誌のグラビアにも出た。
ほどなくして雑誌モデルも始めた。映画にも出演した。

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芸能活動を始めて1年は地元の学校に通っていた。仕事のときは母親と一緒に新幹線で上京した。
芸能活動を本格化させるために、会社の勧めもあって上京することにした。14歳の少女にしては思い切った決断だった。

2001年春、新幹線で東京駅に降り立つと、そこから電車を乗り継いで指定された駅で降りる。
事務所の担当者が出迎えに来ていた。車に荷物を載せ後部座席に乗り込むと車は走り出した。まさみが車窓から外を眺めると、桜の花はもう終わりかけていた。

新宿の高層ビルを遠くに見る雑然とした街の近くの住宅地で車はとまった。まさみは驚いた。これがこれから暮らす東京の家なのか。なんとなくイメージはしていたが、家々がぎゅっと密集して建っている。それに、道が驚くほどに狭い。車1台が通るのがやっとではないか。

磐田つつじ公園そばの住宅地で生まれ育った少女からすれば、この街の数十メートル先も見通せない、ジャングルのような家々の密集振りには、まったく環境が変わったのだと思わずにはいられなかった。

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事務所が借り上げたマンションにはもうひとり、少女と同じオーディションで注目された2歳年上の高校生が一緒に住むことになっていた。

人見知りの恥ずかしがり屋のまさみは「これからよろしくお願いします」と挨拶したものの、「ちょっと怖そうだな」と心の中で思った。

朝と晩ごはんは家政婦の人が週5でつくりに来てくれるけど、掃除や洗濯は自分でしないといけない。母親に甘えて育ったまさみは「やっていけるかな」と少し不安になった。

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マンションからほんの2,3分ほどの区立中学校に編入することになった。すぐに10人ほど仲のよい女子の友達ができた。まさみが芸能活動をしていたことはみんな知っていたが、それほど詳しく仕事の話は訊いてこなかった。周囲から寄せられる好奇の視線から自分を守ってくれる存在にもなってくれた友人たちが、まさみには頼もしく感じられた。

線路の向こう側、北口の商店街を友人たちは案内してくれた。故郷の磐田にも、近くの浜松にもない物を扱う小さなお店がたくさんあった。一緒においしいものを食べたり、安いカラオケ店に行ったりした。この街で暮らすことに希望が見えてきた。
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家から会社まで演技のレッスンに通った。グラビアや取材の現場にはマネージャーが同行することもなく、単身で駅から電車で指定された場所に向かうことも多かった。初めは戸惑うことばかりだった東京の電車にも慣れてきた。

2年後、まさみは中学から一番近い私立高校に入学していた。芸能コースがある高校が都合がよかった。中学で仲のよかった友人たちの多くもその高校で一緒になった。

その間に、まさみは出演した話題作の映画が大ヒット。もう誰もその名前と顔を知らない者はいない存在になっていた。通学途中に物陰からそっと写真を撮ってくる男の人が以前よりも増え始めていた。ちょっと気味が悪いなと、まさみは思い始めていた。

引越しの話が会社から出始めた。数百メートル新宿に近い隣町にある、よりセキュリティの厳重なマンションを会社は借り上げてくれた。引越し作業も終わり、まさみはいよいよその街を離れることになった。
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「もうこの道を歩くのも最後だな」と考えながら歩いていると、まさみの目にふと小さなラーメン店が目に留まった。何処の小さな街にもあるような、なんの変哲もないラーメン店だ。

赤い街頭看板と、白い暖簾に黒い文字で「北国」と書いてあった。

この道は、レッスンに通うためにどしゃ降りの雨の日も、ドラマロケの現場に向かうために凍てつく寒さの早朝にも、何度となく歩いた道だった。

そのラーメン店の前を何度も通りかるたびに、入ってみようかなと思うことはあったが、女子中学生がひとりでラーメン店に入る気恥ずかしさから、この2年間まったくその店に入ることはなかった。

前を通りかかるたびに中をチラっとのぞいて見ると、10名ほどしか座れないL字型のカウンター席には常に客がいた。
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この通りにはホールを併設した大きな区立図書館があり、イベントのある日は満席だったりすることもあった。60代の老夫婦が切り盛りし、たまにバイトの女の人が店に立っているようだ。

まさみはラーメンが好きだった。よく父親に車で故郷の磐田や掛川のラーメン店に連れて行ってもらった。今でもたまに実家に帰ればラーメンを食べに出かけることもある。

まさみには「自分はアイドル」という自覚があった。アイドルとはこうあらねば、という規範が心にあった。真面目に家と中学、仕事やオーディション、レッスンに都心に通うだけの毎日だった。
お小遣いも世間の一般中学生と同じぐらいの額しかもらっていない。
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遊ぶといっても、近くの公園だったり図書館で雑誌を読んだり、というものだった。買い食いはあまりしなかったが、やはり15.16の食べ盛りでお腹はすいた。映画の監督からは「病人の役なのにお菓子をぼりぼり食べるな」と注意されたこともあった。

まさみは子供の頃から骨格は発達していたが痩せていて、それほどダイエットに気を使ったことはなかった。食べ過ぎるとお腹がぽっこりしたり、あごにちょっと肉がつくぐらいだった。
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10代半ばから急に母親に似てきた。まさみの母はどちらかとゆうとふくよかな体型だ。急に胸が大きくなってきたのもこのころだった。

そのラーメン店の店先のウィンドウにサンプルがある。ラーメンは510円。16歳のまさみも安いと感じた。ダイエットのことが一瞬頭をよぎったが、意を決してのれんをくぐった。

手書きのメニューをみると、どのラーメンも700円台のものばかりだった。どちらかというと濃い味のこってりしたラーメンがすきなまさみは「味噌ラーメン」を注文してみた。店主がすぐ目の前でチャーシューを切り始めた。

店の奥の角にある14型ブラウン管テレビでニュースをやっているのを何となくぼんやりと眺めて待った。まさみはその間にこの街に住んだ2年間にあったことをいろいろと思い出していた。

「憧れの先輩」のような存在を友人たちと話すようなことはあっても、恋の思い出のようなものはなかった。男子と約束して何処かへ出かけるようなことは磐田で一度二度はあったが、この街ではなかった。それほどいい思い出もなければ悪い思い出もない。

遠慮なくなんでも言い合えるクラスの友人も何人かできた。だが、ルームシェアしてる同じ事務所の女優とはそれほど気が合わなかったな……、などと考えていると、
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ラーメンができた。スープをすすってから麺をいただく。「!」

「普通だな」とまさみは思った。

この2年間、なんとなくイメージしていた味と自分の想像が異なっていたことを悟った。
おそらく、家庭でラーメンをつくるとすればこんな感じになるだろうなとも思った。偉大なるスタンダードだな、うん。ついにこのラーメンを食べたことで、もうこの街に思い残すことはなくなった。

店を出るとまさみはケータイでマネージャーに引越しがすべて終わったと電話をした。
明日も朝から学校があるし、放課後はドラマの撮影でいそがしい。まさみは振り返ることもなく駅へと歩いた。
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以上はおよそ半分は空想を交えたフィクションです。(参考資料:SPACE SHOWER BOOKs TOmag 中野区特集号)

PS. 中野は自分にとってもわりとよく行く街だった。今回、取材とラーメン目的で中野駅で降りた。
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まさみが中野で最も愛するラーメンは 味噌一 だ。そのことは前出のTOmagに書いてある。
自分はあまりラーメンにこだわりがないので、ほとんど知らなかった。
まさみが好きなラーメンということで初めて行って見た。夜は酔っ払いだけになる狭い路地にある。
なかなかの人気店でいつも客がいる。入り口に券売機がある。店主が一人で注文、調理、配膳をこなす。
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味噌ラーメン(太面と細麺を選べる)を太麺で注文。
中野時代のまさみはこの店まで来てたんだねえ。と感慨に浸りながら麺をすする。5月の店内は蒸し暑かった。汗をかきながらいただいた。とても個性的で濃厚でおいしいラーメンだった。

中野のラーメンと云うと「青葉」が有名らしいが、まさみは青葉には入ったことがないという。
おそらく、まさみは中野ブロードウェーに行ったついでに「味噌一」だったのではないか。中学生が酒場だらけのあの道を歩くのは望ましくない。「味噌一」なら、ブロードウェーを出て左に行けばそこにある。

そして、まさみは今日、27歳になった。自分はまさみを14年に渡って見続けてきたことになる。こんなにも人を好きになったことはない。愛してる……。