2013年4月30日火曜日

ステレオポニー / たとえば唄えなくなったら(2011)

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昨年末に解散してしまったステレオポニーの9枚目のシングル「たとえば唄えなくなったら」をようやく手に入れた。沖縄の先輩バンドである「かりゆし58」とのコラボ。リリースが2011年8月10日で、震災後初のCDだったのだが、このCDが絶望的に売れなかった……。「かりゆし」というバンドが自分の関心の範囲外でぜんぜん知らなかった。ステポファンの自分も震災の年の前半は音楽どころではなかったせいもあったけど、このCDの存在すらよく知らなかった。ライブでは何回か演奏されたけど、CDで聴くのはこれが始めて。

Track2はSHOOTING STAR 、この曲は1回しかライブで演奏されてない……かも。かなり可愛らしい曲。Track3が「たとえば唄えなくなったら」のAIMI Duet Ver.

ジャケットの右上に"And the journey of the STEREOPONY continues."とわざわざ書いてあるのは一体どうしてだろう?久しぶりのCDリリースでしかもコラボだったから?

実は、このCDを買った理由は初回特典DVD「小さな魔法」のPVを見たかったから。ソニー独自の手法なのか知らないがPV映像のDVDを次の初回シングルに付けるという展開ってどうなの?って思う。
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このPVを見るのはほぼ初めてだった。完全にAIMI推しの映像編集になっているのだが、これが本当にヤバい。1分間に10回ぐらい「AIMIはヤバい…」とつぶやき続けることになってしまう。

唄いながらこちらに歩いてくるAIMI。空を見上げて唄うAIMI。凡百の多人数アイドルの誰よりもアイドル的に可愛いAIMIを推しまくる。

このPVが収録されたのは2010年の秋ごろだと思うが、3人が演奏しているビルの屋上が、YUIの「TOKYO」と同じビルじゃないか?と気になった。だが、綿密に調査してみると周囲のビルの見え方が少し違っている。おそらく周囲の風景から代官山から中目黒にかけてのエリアだろうとは思う。
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AIMIが歩いているのは横浜。「小さな魔法」のPVはまさにちょっとした小さな魔法だった。

AIMIのソロ初ライブのチケットが取れなかった……ので、別の用事を入れた。

2013年4月29日月曜日

拝島の藤

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東京の西に昭島という市があって、昭島市の福生熊川よりに拝島という場所がある。拝島駅は青梅線、八高線、五日市線、西武線が乗り入れる駅だが街自体はそれほど大きくない。

午後をだいぶ過ぎた頃になって拝島大師へ行くことを思いついて友人と急遽出かけた。ここの藤棚は有名らしい。

拝島大師に夕方5時ちょっと前に着いたのだが、前回ここに立ち寄ったときもそうだったのだが、すでに境内はフェンスで閉じられていてまったくなにも拝観できない……。夕方といってもまだ明るいのに何も見れない……。なんでこんなに厳重に警備してるの?

織田勢による比叡山焼き討ちの際に、元三慈恵大師像を敬諶大僧都が持ち出し、流浪の末にこの場所に安置した。天正6年のことだ。拝島大師は江戸時代に多くの参拝客を集めたらしいが、今では初詣や「だるま市」でなければ人もまばら。拝島大師の一帯はかつて寺が集まっていた場所らしい。

で、iPhoneでバシャバシャと写真を撮った。こんな写真が撮れるならもうコンデジとかまったく必要ないよね…。

拝島大師を拝めないので、隣の大日堂と日吉神社へ参拝する。そして都の天然記念物だという藤の古木と藤棚を見て帰ってきた。藤の香りが漂っていた。今年は藤の花を2回見れた。藤の花が終わると東京はだんだんと鬱陶しい暑さが一歩一歩やって来る。

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2013年4月28日日曜日

Cocco / サングローズ(2001) 

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Cocco を改めて聴いている。「サングローズ」(2001 VICTOR) 活動休止前最後のアルバム。Coccoの活動休止はこれ以後5年近くにおよんだ。

これもやっぱり中古ですごく安かった。でもやっぱり圧倒された。ジャケットを見ると子供の頃、絵を描いていて鼻血をだしたことを思い出す。

「珊瑚と花と」「羽根」「風化風葬」「卯月の頃」「焼け野が原」、名曲がそろっている。
が、印象に残らない英語歌詞の曲もある。
歌詞カードには日本語歌詞には英訳が、英語歌詞には日本語歌詞が記載されている。

「わがままな手」という曲がある。これはどう理解したらいいのか…。自分にはこの歌詞がとてつもなく直接的に性的な行為のことを言っているように聴こえた。18歳未満には聴かせられない。

「焼け野が原」ってタイトルがすごい。

2013年4月27日土曜日

LOW IQ 01 / a room with a view (2012)

Lowiq01_aroom 2012年のRIJFでいっちゃんが告知で「日本語歌詞の曲を書いてみました」と言っていたLOW IQ 01 名義のシングル「a room with a view」(2012 cutting edge)を手に入れたので聴いている。このご時勢、シングルを出すってなかなか大変だ。買うほうも決心がいる。で、‥びっくりした。



01. 七七七(この漢字が出せない)
02. a room with a view
03. KI-KI-SU-GO-SU
04. a room with a view acoustic



「a room with a view」も他のシングル曲のようにライブ定番の人気曲になっていくだろうが……え?評判悪いの?



Track1は「あぁ、インストなんだな」って思って聴いていると日本語歌詞が……。プログレ色の出た転調を繰り返す、シングル1曲目にしてはチャレンジャーだなと思っていたのだが。かっこいい曲だと言っていい。だが、このままインストでかっこよく2曲目につないでほしかった。ライブでもこの勢いでつないでほしい1曲ではある。



Track3が自分を困惑させた。聴いた人なら誰でもすぐにわかることだが、これがまるっきり「So Easy」を裏返したような曲。だからタイトルが「聞き過ごす」なのか。何かの冗談なのか。だから「甘い商談」なのか。レコード会社といろいろあるのか……。考えてしまう日本語歌詞がついている。



2013年4月26日金曜日

BARFOUT! 2011年11月194号

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HOW CRAZY YOUR LOVE が突然リリースされた2011年の秋、BARFOUT! 194 号が出ている。この雑誌、なぜか近年になって大型化。寸法が36 x 25.2 cm という超大型本で本棚に収まらないわ!これは部屋に飾ることを想定してるんだろうか?

YUI はアルバムリリースのときは雑誌メディアに大量露出するので、多くの選択肢からBARFOUTを選んだ人は少なかったと思われる。見開きページのグラビアは「氷川丸」で撮られた一連の宣材写真、インタビュー2ページという内容。

「HOW CRAZY YOUR LOVE」のインタビューだが、読んでいると、最近のYUIのことに思い当たるかな?と感じる箇所もある。まだ在庫があるところもあるようなので多くを語れないが、最重要と思われる箇所は引用したい。インタビュアーはこの雑誌の場合、山崎二郎。とても深い重要な話をしていて削れるところがない。まず、「Separation」から一部引用


新しくトライしたサウンドと、〈終わりにしたいの次のドアを開けたいの〉っていうフレーズが一致しててカッコよくて。
良い人なだけじゃなく、ちょっとクールな部分、フラットな部分も入れてみたいなと思いました。
良い人だけじゃないっていうフレーズは、他の曲にもあったような(笑)。
はい(笑)。
そう見られがち、とか?
まあ、大人になるってそういうことなのかな?って思いますね。「あれが嫌だ、これが嫌だ」って言うのは大人じゃなくて。でも、自分の主張は必ずしないといけないし、大人になればなるほど、譲るんじゃなく、譲っちゃいけないところは譲っちゃいけない。でも譲らなきやいけないところは譲らなきや、というバランスが、すごく敵しいと思います。ですよね?きっと。
まさしくです。「Nobody Knows」では〈従うことだって正しい選択〉と。
はい。テーマは最近大人になってきて思うこと、ですね。自分の中には、大人になり切れてない微妙な自分と、「ここは譲れないよ」っていう自分がいて。でも「きちっとしなきゃ」っていうのは、大人になろうとしている背伸びしている自分で。社会に出て風当たりは自分で受けるわけなので、そういうことを考えると思いますね。泥が飛んできても自分に当たるし、それは全部自分が感じる、考えなきやいけないことで、責任をとるということで。そういうことを感じ始めてから、どんどんそう思うようになったし、言葉にもしようと思い始めました。自分が憧れる大人達がそうだったように、貫いてる部分がちゃんとあるのが、自分の理想とする大人像だなと
まさしくそうですよね。ある頃からYUIさんのソングライティングが変わったと思ってたんです。今おっしやったように、「全部ダメ!」とせずに清濁併せ呑むと言うか。
はい。それが人間らしくていいなって思いますね。カッコいい大人になりたいので、人間らしさがやっぱり出てきちゃうな、と思いますね。
カッコいい大人の、どういうところがカッコいいところですか?
ロック・ミュージシャンの人達に対してやっぱりカッコいいなと思うのは、昔ってツアーをやるといっても、50本、100本って当たり前で、2日に1回はやってて、それを乗り越えてロックって認められるような感じ。叩き上げみたいなのがカッコイイです。歌詞の一行でもいいから、毒と言うか「ロックだぜ」っていう部分はちょっとずつ出してみたりとか。でも、それをやることで、失うものもあるからバランスをちゃんと、自分の中でとっていけたらいいなって思います。
そのメッセージの部分の入れ方がすごく絶妙なんですよ。アルバム曲ならやりやすいけど、シングル曲に入れてるから(笑)。
入れてます。カップリングにもちょっと入れたりしますね、1曲目がビアノの曲でも、2曲目にかなりロックな曲を入れたりして、ギャップを意識してます。
「Rain」だってすごい入れてるじゃないですか(笑)。〈嘘はないさって嘘はやめて真相なんてわからないエピソード〉とか。
そうですね。これは恋愛の曲なんですけど、いろんなことに当てはめられる言葉がたくさんあったらいいなと思って。切ないというか、生きていくのは大変だという部分もちょっと入ってたりとか。
ちゃんとラヴ・ソングになってるのに、そういう部分を入れてるというバランス。シングルの雰囲気が壊れちやうような入れ方だとカッコよくないから。
ありがとうございます!〈嘘はないさって嘘はやめて〉って言葉がラジオから流れた時に「え、この曲何?どんな意味で作った曲なのかな?」って思ってもらえるかな?って。自分でたまに口ずさんだりしながら、自分で自分に「嘘ついてないかな?」って問いかける時があります。本当に自分を突き詰めた時に出てくる言葉ってあるので、「自分で本当にそんなかな?」って戒めるような問いかけをする時もあります。あまりにいろんなものを期待し過ぎたりとか、頑張り過ぎることもすごく大事なんですけど、たまに自分を癒してあげることも必要なのかな?って。

「Separation」の他に「Cooking」もYUIにとって「特別な曲」であることが語られているが、そこは省略。「Separation」には「これだけは譲れない」とかギリギリの攻防があったようだ。YUIの考える「カッコイイ大人」のところとか、「嘘はないさって嘘はやめて」を口ずさんだときのYUIの気持ちとか、ここは名言だと思ったのでどうしても削ることができずに引用してみた。「50本100本ライブやって…」の下りは今現在のYUIを知る上で参考になる箇所かもしれない。だから無理な状況でもライブをやるのか…な。回数をこなしてこそロック!だと……。泣く泣くこのあと一部省略して「Green a.live」について語っている部分に移動
自分の想いとか感情、メッセージを込めました。ギリギリのラインで書いてます。最初、感じたままに書き過ぎたんですけど、Aメロに違う要素を入れて。いろんな方向から聴いてもらえる曲にしたくて。
これもバランスがすごいんです。普通に主人公の成長過程の葛藤に聞こえるように落とし込んでるんです。
それがすごく、難しかったです。この曲はどっちかに寄り過ぎてもダメなので。
すごく難しい着地点ですよね。
そうなんです。それでも結構はみ出してると思うんですよ(笑)。これでOKを出してくれた方々に感謝します。
~一部省略~
今までずっと思ってきたことなんですけど、ダーツの的は1つですけど、いろんな人の的があるんですよね。その真ん中を衝くというのは、いつも手探り状態でやってきたんですけど、今、ちょっとずつ見えてきたと言うか。その的が分かったとしても、それを上手く言葉や表現にするというのは更に難しくて。それにしても、自分の言いたいことは言う、というのは難しいですね。
でも、この一行や、このリフに遊び心を入れたりとか、上手く息抜きしながら作ってます。例えば「三拍子作ってみます」、「ファンク入れます」みたいな感じで、自分のやりたいことを主張して。でも初心を忘れたくないので、アコースティックの曲を作ろうとIから考え直したり。手探りながらも楽しんでやってます。
なんか、プロデュース目線がありますね。
本当ですか?プロデュースとか興味ありますね。楽しそうだなって思います。その子をどう見せるか?って。
自分のことも客観的に見てるなあと。
本当はそんなことないんですけど、性格的には「頭で考えるんじゃなくて、心で感じる」って言葉が大好きだったりするので。「音楽は頭じゃないぞ、心だよ」って。言葉に意味はもちろん込めるけど、それだけじゃなくて、響きだったり声の想いも併せて届けるってあると思うんです。「行間を読む」じゃないですけど。やっぱり、守るべきものがあったりたくさんの人が応援してくれたり、いろんな人が関わったりする中で、自分が舵を切って、何を大事に思うか?何を返していくか?ということはすごく考えます。

自分には「Green a.live」がとてつもなくギリギリなバランスを保っている曲に聴こえていた。YUIはまさにそこを考え抜いて、心で感じる曲をつくっていた。YUIのこういうところがカリスマだと思う。

2013年4月25日木曜日

Sheryl Crow / Tuesday Night Music Club (1993)

Sheryl 自分はずいぶんと長い間大きな勘違いをしていた。シェリル・クロウの1枚目のアルバムは1996年の「シェリル・クロウ」だと思っていた。それ以前にこれがあった。Tuesday Night Music Club (1993) だ。

昨年の夏、初めてYUIとmiwaがテレビ番組で対談したときに「Strong Enough」の話題が出た。miwaが家でギターの練習で歌っている曲だという。YUIも知っていた曲なのでこのアルバムを持っているのかもしれない。自分もこの曲が好きだ。ギター譜がほしい。

miwaはシェリル大好きっ子。確か以前はC’mon,C’mon のスティーヴ・マックィーンを出囃子にしていたはず…だが自分はmiwaのことがあまりよくわからない。デビュー曲のタイトルが「Don't Cry Anymore」であることは知っている。シェリルのCan't Cry Anymore と関係があるに違いない。シェリルがこの国の少女たちに多大な影響を与えたことは間違いない。

miwaYUI対談があったとき「Strong Enough」の音源をライブラリから探したのだが、日本のみ発売の武道館ライブ盤しかなかった。それでこのアルバムに入っていることがわかった。自分はシェリル・クロウのアルバムを何枚か持っているのだが、2000年代前半のものはどれも中古店で安価で手に入る。このCDも250円だった。

Track6のTHE NA-NA SONG がラブサイケデリコの曲と似ていることに気がついた。


2013年4月24日水曜日

ザッピィ2004年4月号 Perfume モノクロームエフェクト

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ザッピィ2004年4月号に「モノクロームエフェクト」リリース時期のPerfumeのインタビューを見つけた。初登場ということだが、驚いたことに「彩乃」「有香」「綾香」でインタビューが進行してる。もちろん3人の間では違うが、この時点ではまだ「のっち」「かしゆか」「あ~ちゃん」という名前が雑誌側に浸透していなかったらしい。Perfumeのロゴが尊重されてない……。

まず3人の自己紹介から始まる
有香 はい、樫野有香…かしゆかです。今は作詞にハマっています。誰にも見せたことないですけど(笑)。
彩乃 大本彩乃、のっちです。最近ハーモニカを買いまして……安いやつ、100円なんですけど。
有香 安すぎーっ!
彩乃 これから練習して、ちょっとずつうまくなりたいと思ってます!
綾香 西脇綾香、あ~ちゃんです。はねるのトびらに出てくるキャラのものまねにハマってます(笑)。
ここで3人の口から出ていることがその後どうなったのかまったく不明。自己紹介で100円で買ったハーモニカに触れるのっち……。そしてモノクロームエフェクトがどういう曲か紹介するのだがそれほど面白いことはいっていないので次に、歌詞にも登場する「都会の夜」にちなんで、東京と地元広島の違いについて
3人 全然違います!
彩乃 星が全然見えないですね。
綾香 あ~ちゃんちは、とくに山ばっかりのところなんですよ。野生のクマがでるくらい(笑)。よく〝クマ出没注意〟ってお知らせが出て……。
有香 鈴を持って、登校するんだよね。
あ~ちゃんの実家はかなり田舎だとは聞いていたがクマも出るのか!最後に春から高校生になるということで
有香 門限の時間が少し延びたので、学校帰りに映画を観て帰れるんですよ!いっぱい映画を観たいです。
彩乃 英語が好きなので、高校に行ったらもっともっと極めたいです!
綾香 もっと行動範囲を広げて、いろんなところに行きたいですね。
彩乃 3人ではとバスツアーとか一緒に行こうよ!
有香綾香 行こう行こう!
かしゆかはいろんなことに興味を持っている。のっちが英語が好きって本当か?高校で挫折したのかもしれん。あと、「おいしいレシピの振り付けはPaniCrewのホーリーさんにやってもらった」(彩乃)と言っている。知らなかった。3月21日の亀戸サンストリートと4月11日のShibuya O-Crestの告知がある。Perfumeブレイクまであと3年ちょっとだ。

PS. Perfumeの7月のツアーが決定した。なんと、ケルン(7/3)→ロンドン(7/5)→パリ(7/7) の欧州3連戦。行けるわけないだろう……。

メトロックもフラフラとかぶってしまったために見ることを断念。

2013年4月23日火曜日

梅原猛 / 歓喜する円空(2006)

あのユニークで前衛的な造形美を持った仏像を造った円空(1632-1695)という人物の研究は戦後、在野の民間研究者の地道な努力によってなされてきた。

2006年、ついにあの梅原猛による著作が現れた。ようやく読むことができたのだが、自分はまったく円空のことを知らなかったといっていい。なんとアカデミズムの現場では未だに円空は研究の対象とはなっていないという。

自分が梅原猛の本を読むのは2冊目。高校の日本史の先生が梅原猛の著作を批判していたので長く手に取ることがなかった。この本は友人の本棚にあったので貸してもらって読んだ。写真が豊富でいい本だと感じた。

木で仏像を造るようになった国は日本だけ。木は神が宿る。円空に影響をあたえたのは泰澄と行基。神仏習合と白山信仰。寛永9年、美濃(現岐阜県羽島市)に「まつばり子(私生児)」として生まれ、幼くして母を洪水で亡くし仏門へ。

富士山や諸国を放浪し修行。32歳で美濃の神職・西神頭家で最初の仏像を彫る。その後、下北、蝦夷地、津軽、秋田、松島と流浪のたび。松尾芭蕉が奥の細道を旅した時代よりも50年も早い命がけの旅。自分も仏像彫りながら旅したいな……。

64歳で入定するまでに12万体の仏像を彫ったという。失われたものも多いが、梅原はできるだけ多くの円空仏を見て歩き、当時の記録を読み、大般若経に円空が書いた絵、円空が作った和歌から円空の仏教思想にせまっていく。

以前、「円空=木地師」であるという説が有力だったが、戦後の円空研究で最も著名だった五来重氏(故人)を梅原は徹底的に断罪している。

その著作を「これはペダンティックな民俗学者による、円空仏を訪ねての漫遊記であるとしかいいようがないのである」「五来氏は円空仏に感動を覚えたこともなく、円空を芸術家としても、宗教家としてもまったく尊敬していないということである」「五来氏は学者ではなく詐欺師であったと思わざるをえない」等、もうヤメテ!って思うほどコキ下ろしてしている。

ま、学者として言ってることになんら根拠がなかったら批判されてもしょうがない。円空美並出身説もバッサリ切り捨てる。劇作家の飯沢匡も具体例をあげてバッサリ切り捨てる。

学術書のようだが、梅原は自身の少年時代の思い出や、養父養母のことも語っている。円空の和歌をじっくりと読んで、西行よりも感動するといっている。

自分はあまり仏教の知識がないので後半は読んでいてつらかったが、芸術家・円空の生涯と思想について知るには目下ベストの1冊。

2013年4月22日月曜日

本田翼研究④ SEVENTEEN時代の謎

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さらに徹底的に本田翼の経歴について調査を進めた。本田翼が2006年中頃にスカウトされて中2でモデルデビューしたとされる現在広く知られる経歴は完全に間違っていることを確信した。

公式には2006年中頃以前の仕事がなにも伝わってこないが、あきらかに2005年中頃にはモデル活動を開始している。上はSEVENTEEN2006年2月1日号に登場した当時13歳の本田翼。では「本田翼2006年デビュー説」が定着した理由はなんなのか?
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本田翼は2005年8月に開催されたSEVENTEEN夏の学園祭2005というイベント(このイベントのことが調べてもよくわからない)に出演して、当時のスターSTモデル栄倉奈々、北川景子らと一緒にランウェイを颯爽と歩いている。ということは、このイベント以前には同誌読者の少女たちには本田が既にお馴染みだったはずだ。

このことは当時のセブンティーン愛読少女たちの印象に強く残っているはずなのだが、この当時の様子は時間と共に忘れ去られていった。このイベントに言及したブログなどが歴史の闇に消え去っていった……。

ちなみに2005年は同誌に佐藤ありさがデビューしている。このイベントで佐藤が初お披露目となった。本田は現在non-no専属の佐藤とも仲がいいらしいが、ふたりの出会いはこのときかもしれない。佐藤は1988年生まれなので、本田は佐藤より4歳年下だ。
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ではなぜ本田翼2005年の項目がこれほどまでに欠落しているのか?いろいろと理由を考えたのだが、結局「本人が忘れていて、現事務所が知らないから」ではないのかと推測。人と云うものは意外に中1のころのことなど覚えてはいない。履歴書を書こうと思っても「あれはいつのことだっけ?」と昔のことなど覚えていないはずだ。
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だが、雑誌というメディアに2005年の本田の足跡は残った。かつての熱心なSEVENTEEN読者だった少女たち(おそらく現在23,24)にも、このときの本田翼と今の本田翼が一致していない可能性がある。「ええぇっ?!本田翼ってあの本田翼?」って。あの年代の少女たちにとって、年下の子どもっぽいモデルはあこがれの感情と関心の対象外だった可能性が高い。
これは中1本田のプロフィール。な、なんとスリーサイズまで……。
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SEVENTEEN2005年8月1日号には上のイベントの様子を収めたDVDが付録で付いている。6歳の本田翼の写真が掲載されている。ええぇぇぇ……、これはすごい貴重な資料だ。

本田が1日に7回スカウトされた伝説は有名だが、それが原宿なのか?吉祥寺なのか?以前non-noでは「地元で」と答えたこともあるため、どうもハッキリしなかったが最近になって、「笑っていいとも増刊号」で「原宿」と言っていたので、原宿確定かもしれない。

それが2006年だとするとスカウトはすでにモデルの仕事をしていた少女をスカウトしたことになる。当時の本田はどこの事務所とも契約していなくてSEVENTEENに出ていたというのか?

とすると、本田の両親の仕事が何なのか気になり始めたのだが……、わからなかった。ひょっとすると芸能関係者じゃないのか?と考え始めた。A-Studioで本田母の写真を見たが、素人じゃない感じもした。本田翼にはまだわからないことが多い。

13歳の本田翼がどういう経緯で年齢的にも合わないSEVENTEENに「妹モデル」として出演するようになったのか?なぜ中3になってひっそりとラブベリーに移籍したのか?も自分としての答えがまだ出ていない。

本田翼が掲載されたSEVENTEENは現存数が少なく貴重と思われる。今後、資料が手に入る可能性は少ない……。
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2013年4月21日日曜日

亀戸天神の藤

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金曜日に友人に誘われて亀戸天神に立ち寄った。初めてだった。
わざわざ行くような場所じゃないと思っていたが、それは間違っていた。藤の花が見ごろを迎えている。すっごい藤棚。多くの人で賑わっていた。
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いつものようにiPhoneで撮ったのだが、ちょっと現実的でない色合いになってしまった。
近年、亀戸天神の近くにとんでもないものが建ってしまった。初めて東京スカイツリーの近くまで行ってきた。
赤羽の実家の部屋の窓からスカイツリーが見えるので、わざわざ行くまでもないと思っていた。
それにしても異様にでかすぎる。この塔を見るといつも「太陽塔」を思い出す。
王貞治が通った小学校の向かいにある公園から撮影。やはり何度見てもとんでもないデカさ。神をも恐れぬ建造物だ。
展望室まで登るのに多額のお金がかかる。自分がそこへ行くことはないだろう。自分は無駄な出費をまったくしない。併設のショッピング街にも関心がない。

自分はまだこの塔がある風景に慣れていない。

2013年4月20日土曜日

Superfly@さいたまスーパーアリーナ 4月20日

Img_1220 Superflyのデビュー6年目、5周年を祝う「GIVE ME TEN !!!!!」のさいたまスーパーアリーナ公演(セミファイナル)を見てきた。あいにくの肌寒い小雨模様。肌寒っていうどころではない、冬に戻ったかのような寒さ。

自分はSuperflyのファンクラブに入っているのだが、なんとこの公演のチケットを買っていなかった。ファンクラブツアーも行ったし、Forceのツアーも行ったし今回は見送ろうか…などと考えてしまっていた。だが、アルバムと関係ない公演は曲目がスペシャルになると考え5日前に急遽チケットを手に入れた。400レベルで定価よりも安く。次回からはまたちゃんとFC先行で買うつもり。

やはり今回のアリーナツアーは祝祭らしく、なつかしい曲が並んだセットだった。

17時43分に客電が消え、バンドが演奏を始めると青基調の衣装の越智志帆ステージ中央に出現。ハロー・ハローでライブスタート。

「こんばんわぁー!スーパーフライでーす!さいたまー、今日は盛り上がっていこうぜ!」 会場の手拍子に続いてHi-Five 。マニフェストのタメにタメたラストに周囲の女子たちから「かっこいい…」と声が漏れる。そして「恋する瞳は美しい」だ。「1タイム、2タイム、3タイム!」

そして志帆がアコギを抱えると、一体いつ以来なのかわからないが「1969」が来た!びっくり。

Superflyのライブが他と違う点は、曲間に30代40代男性からの「志帆ちゃーん!♥」という声援が飛ぶことだ。そのたびに周囲の女子たちがざわつく。そして人気曲の「凛」。これはFCライブで聴いて以来?そして最初のMC

「人数が多くなるほど燃える」という志帆。1万6000人の会場で「暴れ倒したい!みんなもOK?」「5年間で4枚のアルバムをリリースしてきた。今日はその中からいろんな曲をやりたい」「何がくるか、わからんよ!」

「過去5年間を振り返るとすべてが今になっている」「幸せなこと、つらいことたくさんあった」「がんばって今日にたどりついた。自分をホメてあげるライブにしたい」と志帆。

この日はストリングス隊とホーン隊が加わった大編成。花道前方のステージでDeep-sea Fish Orchestra、そしてMy Best Of My Life 自分的にはこの2曲が今日のクライマックスだった。My Best Of~は圧巻の歌唱で周囲からもタメ息がもれた。

志帆着替えタイムのバンド演奏タイム。ステージ後方のスクリーンに作りこんだ映像が映し出され、客にハンドクラップを求める演出だ。

黄色に赤と青のなんと言っていいかわからない衣装で志帆がふたたび登場。タマレボ、平成ホモサピエンス、How Do I Survive? とこの日最大の盛り上がり。「嘘とロマンス」のタオル回しなんていつ以来なのかまったく憶えていない。

メンバー紹介でこの日初めて、ステージしもて側の赤い衣装のギタリストがいつものヒラマミキオじゃなく、ひさびさの草刈浩司だ!と気が付いた。ま、400レベルの席からステージは遠い。ドラマーは今回も小田原豊!

かつてはライブハウスを回って、10人ぐらいの前で歌っていたというSuperfly。誰に向けて歌っていいのかわからなかったという。「そして今は2回目のアリーナツアーをしている。感謝の気持ちでいっぱい」「ライブと曲作りへのエネルギーが湧いてくる」「自分がパワーを出すほうだと思っていたが、みんなからパワーをもらっている。ありがとう!」

ある方へありがとうを伝えるために作った「輝く月のように」を、みんなにありがとうを伝えるために歌いたい。そして本編最後に「スタンディングオベーション」

アンコールではなんと場内でウェーヴが起こった。こんなの初めて!物販グレーTで現れた志帆もウェーヴを褒めていた。「アタシもその辺でやりたかった」

アンコールはBeep!! 志帆の動きが面白い。「劇団みたいやろ?気に入ってるんです。みんな踊れた?」とグラサン姿も。

アンコール2曲目は「愛をこめて花束を」。「Superflyを知るようになってくれた曲」であると同時に、志帆にとって「葛藤」を断つことができなかった曲。この曲は志帆がテレビ出演時にも語っていたが、「有名になっていくことが苦しく、消化できないでいた」という曲。しかし、あるとき、フェスやツアーで見知らぬ客同士が肩を組んで、稲穂のようになって幸せそうに歌っている姿を見たら「葛藤」が消えた。「心が軽くなった。何に悩んでたんだろう?」と思うようになったと語る重要な1曲。

そして最後は「どんなことがあっても前へ前へ転がり続けてね!」というメッセージを込めてRollin' Days

「みんなでジャンプしよう!せーの!」も久しぶり。「今日の日は忘れんよ!」で1日目終了。自分はこの日のみの参加。明日参加する人は全力で盛り上げて欲しい。タオルは必須。ウェーヴもしてやってほしい。

Superfly@さいたまスーパーアリーナ 4月20日セットリスト
01.ハロー・ハロー
02.Hi-Five
03.マニフェスト
04.恋する瞳は美しい
05.1969
06.凛
07.Secret Garden
08.Nitty Gritty
09.アイデンティティの行方
10.Deep-sea Fish Orchestra
11.My Best Of My Life
12.タマシイレボリューション
13.平成ホモサピエンス
14.How Do I Survive?
15.嘘とロマンス
16.Get High!!~アドレナリン~
17.Alright!!
18.Force
19.輝く月のように
20.スタンディングオベーション
アンコール
01.Beep!!
02.愛をこめて花束を
03.Rollin' Days

以上23曲!

2013年4月19日金曜日

H 2007年4月号 CAN'T BUY MY LOVE

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ロッキングオンHのバックナンバーの中でも入手が難しい部類の1冊が2007年4月号。偉大な跳躍を見せた2nd「CAN'T BUY MY LOVE」について語る8ページの特集記事だが、これは「Hello , Good-bye YUI」にも収録されなかったので紹介してみたい。グラビアではYUI がとても難しい顔をしているが、YUI がとても饒舌なのが印象的だ。これは削れる部分があまりなくて、まとめるのが面倒で長年放置していた。インタビュアーは古河晋。では以下、CAN'T BUY MY LOVE をもっと研究するために一部引用する。

前のアルバムも僕、すごく好きだったんですけど、今作は一言でいうと「強さ」を感じるアルバムですよね。YUIさんなりの言葉で言うと、前作と今作の違いというのは、どういうものなんですか?
「やっぱり1枚目はデビュー前、路上でやっていたということもあって、アコースティックで弾く曲というのをずっとイメージしながら作ってたんですけど。そこから全国ツアーとかを経験したことによって『もっと歪んだエレキをかき鳴らす曲も書いてみたい』と思って〝Rolling star〟を書いたんです。だからサウンド面でもいろいろ興味が出てきたということと、あとこれが10代最後だっていうこともあって『今しか感じられない思いを詰め込みたい』っていうのもあったので、そういうところの違いはあると思いますね」
一番の違いで言うと、路上で歌うことをイメージして作るか、ライヴハウスでお客さんがいるところをイメージして作るかっていうことだったんですか?
「でも、セカンドアルバムにも普通に歌ってアコースティックの音が心地よい曲もあったりするので、どちらも大切にしていきたいっていうのはあるんですけどね」
なるほど。僕が感じたカ強さっていうのは、歪んだエレキが入っているかどうかっていうことではないんですよ。もっと楽曲そのものが持っている本質的な強さみたいなもので。それは、詞を書いたりメロディを書いたりしながら感じてたところだったんじゃないですか?
「そうですね、デビューしたときやデビューする前に曲を書いていたときは、やっぱり無我夢中でわからずに書いていたこともあったかもしれないですし。でも、今は『こういうこともしてみたい』とか『こういう曲が書きたいんだ』っていうことを思って書くことが多いので、そういう違いがあったりとか。あとは曲に、普通に自分が日常で感じることも込めたいなと思って、今回は普通にライヴハウスに行く曲があったり、もしくは『渋谷で渋滞で』とかっていう曲があったりもします。日々、私が感じてることっていうのは、やっぱり曲にはいつの間にか込められていたりするところがあると思うので、それが今までよりも自然に出てるんじやないかなと思います」
僕は、セカンドの曲のほうが伝え方がフラットな感じがするんですよね。さっきツアーをしたことが大きかったという話がありましたけど、それによってお客さんに対して開いたっていうことだけではなくて、どちらかというと音楽を通して自然と自分と向き合えるようになった感じなのかなと。変な言い方だけど『人に対して開いてると同時に、自分に対してしっかり閉じてる』みたいな感じがするんですよね。
「なるほど。たとえば〝How crazy〟とかだと、映画を経験したり、たくさんの人が聴いてくれたことによって『YUIって意外とこんな人だったよ!』とかっていうのを知らないところで言われていることがあるっていうのを知って、すごく不安になったりしたんです。そういうので『わかったように言わないで』っていうような曲を書いたりとか。『そういうこともあるんだなー』とか思いながら、やっぱり日常でそういうことを感じたっていうことは曲にしたいと思って。でも〝How crazy〟で、一番伝えたかったのは『夢に純情じやいられない』っていうことなんですけど。あと『CAN'T BUY MY LOVE』っていうアルバムのタイトルにしても『私の愛するモノはお金なんかじや譲れない』っていう意味を込めてるし。で、人に対してそういうことも含めてるけれども、自分に対しても『これから愛するものと関わっていきたい』っていう気持ちが純粋にあるので、そういう言葉をつけて。だから、やっぱり音をたくさん聴いてもらいたいっていうことなんですよね」
だから〝How crazy〟という楽曲にせよ、『CAN'T BUY MY LOVE』っていうアルバムタイトルにせよ、攻撃的なアプローチに見えるかもしれないけども、自分にとって何か大切で、何を望んでいて、どういう意識で音楽やっているのかといったことを今回は明確にしているということだと思うんですよね。
「そうですね、そういう気持ちもありますね。それがあるから普段、曲に込めているメッセージや気持ちが素直に入るのかなとも思いますし。ファーストのときから好きなように音楽に向き合ってきたし、曲作リの仕方も変わらないし、詞の書き方も変わらないし、音楽に対しての向き合い方もぶつかリ方も変わらないんだけど、だから何が変わったかっていうと、いろんなことに興味を持ってやったほうが絶対身になるし面白いしっていうことで、ライヴハウスに行って感動したりする時間はすごく大切にしたいなと思ったんです。だから、攻撃的な感じがするかもしれないけど『純粋に音楽と向き合ってることが出てる』と思ってもらえたらうれしいなと思うんですけれども」

そういうふうに東京に来てから自分の行動範囲を広げたような感じもあったんですか?
「そうですね、路上のときから比べたらたくさん出会いがあったし」
地元にいたときはどうだったんですか?やっぱり、いろんなところに足を運んで出会いを大切にしたいっていうようなことを考えてたんですか?
「でも、たとえばストリートのライヴを初めて見たときに『自分もギターを弾きたい、曲を作りたい』と思って自分で声をかけたっていうところでは全然、今と変わってないなと思います。前は、単純にデビューしてまだ道が明確に見えてなかったりっていうので外に足を運んだりすることは少なかったかもしれないですけど、それが明確になった今では逆に『もっと取り入れたい、吸収したい』っていう気持ちがすごくありますね」
ミュージシャンとして、どういうふうにこの世界を楽しんで、どうやっていろんなことを吸収していけばいいのかが今は、はっきりと見えている感じなんですね。
「そうですね、言葉にするとそうだと思うな。でも、ほんとに単純にライヴに行くのが好きとかそんな感じなんですけどね。名前を知らない人のライヴとかにも行きたいですし、もうライヴハウス全部を回ってみたくて。で、そこで感動したらCDも買っておうちで聴くだろうし。それで『今、この瞬間をこういう人たちががんばってバンドしてたりする』っていうことで『だから自分もがんばろう』と思ったりするし。すごいロックなバンドとかで、ギターを弾いている人があまりにもテンション上がって、ワーッと弾いてたら額から血が出てたりとか、そういうのを見たりしてもすごい嬉しくなるんですよね。『おー、音楽好きなんだな』みたいな(笑)。そういうのを見て感動して嬉しくなりながら『私も負けじと音楽好きなんだよなー』とか思ったり。そういうことに刺激をもらったりしますよね。たとえば今回の〝RUIDO〟っていう曲にも『ライヴを観に行くっていうことは、やっぱりお仕事にしたくないな』という意味を込めてるんですけど」
このアルバムのサウンド面の変化とかグルーヴ感にも、そういう経験は結構、具体的に活かされているんでしょうか?
「と思いますね。たとえば『じゃあさー、じゃあさー、ディスコっぽい曲を作りたい』とかって言い出したり。『じゃあ、ロックバンドのサウンドなんだけど四つ打ちをやってみたい』って。で、やってみて『おー、すごいカッコいい!いいじゃないですか、このベースラインとか大好きです』みたいな。あと最初はストイックな曲にしようと思っていたのを、以前から〝Happy Birthday〟の曲も書いてみたいってずっと思ってたので『じゃあ、この感じをしっとりやるんじゃなくて明るい感じに乗せたらどうなるだろう?』っていうことで『いい響きだ!』とか思いながら〝to you you〟っていう風にしたりとか。だから『あ、こんな風にしたらどういうふうに聴いてもらえるかな』っていうところも考えるようになってますね」
なるほど。あと歌詞も「言いたいことはもうこれ!」っていうのがスパーンと伝わってくるような、かなりシンプルなものになっていますよね。その〝Happy Birthday to you you〟もそうだし、〝CHE.R.RY〟もかなりシンブルですよね。なんでそうなったんだと思いますか?
「なんででしょうね?」
(笑)。
「冗談です!え~と、そうだなー、〝CHE.R.RY〟とかは春をテーマにした曲を書きたいと思って『春のテーマといえば出会いと別れだな』と思って。だったら『出会いのほうで言うなら新学期かな。新しい出会いがあって、もしかしたら恋が始まって甘酸っぱいことにもなっていくかな?』って連想したりとか。あと街を普通に歩いてて、なんか喫茶店とか駅とかで携帯を片手に持ってる人とかを見て『誰かを待ってるのか、誰かからの連絡を待ってるかどっちかかなあ』とか思ってたら、それがCHE.R.RY〟と結びついたりして。そんな感じで曲を書いていたりするんで。だからシンプルといえばたしかにシンプルで。言葉とかもほんとに《恋しちやったんだ》とかって書きながら、とても新鮮でしたし」
なんか話を聞いてると、自分のなかにあるイメージを曲を作りながらどんどん転がしていって、肉付けしていくみたいな感じですけど、昔からそういう作曲方法なの?
「たとえば、ひとつの景色が見えたら「次は、こういう景色が見えるなー』「じやあ、ここが見えたらこの先はこういうふうに見えるなー』っていうのはよくありますね。いろいろなことを頭の中で考えたりとかして、結構、四六時中、曲のことを無意識に考えているところもあるかもしれないし。だからこそ実際に曲を書こうと思ったときに自由にできるのかもしれないし。そのへんは、いつも変わらず葛藤と試行錯誤と模索をしていたいとは思っていますね」
そういう曲作リの能力が、だんだん筋カアップしてるような感覚とかはあったりする?
「なんか筋カアッブっておもしろいですね。そうだなあ、やっぱリギターをどんどん弾くうちにいろんなコードを知っていくだろうし、好きなコード感も出てくるだろうし、このコードは使ったことがないから使ってみたいとかっていうのもあるだろうし、こんなサウンドもやってみたいとか、どんどんいろんな興味とかも出てくるので。そういう意味では、たとえぱ『目標まで達してもそこがまた出発点になって、また目標ができて』っていう感じでどんどん進んでいきたいということなのかなと思いますね」
なるほど。すごくそういう作業を今は、楽しんでるような感じがしますけど、以前は、音楽を作ることに対して、もう少し構えてた部分もあったんですか?
「以前は『こんな曲を作れたらいいな』とかだったのが、今だったら『こんな曲作ってみたい! だめかな?』みたいな感じになってるんですけども」
うん。たぶんファーストって、しっかりとYUIさんの原風景というか、自分の中で変わらない部分を表現できた作品だったんじやないかと思うんですよね。で、普通だったらそこから次のステッブにいくまで、もうちょっと試行錯誤する人のほうが多いような気もするんですよね。ファーストの原風景の世界をセカンドでもうちょっとじっくり煮詰めてみて「さらに世界を広げるにはどうすればいいか」とか悩むプロセスも経たりして、4枚目ぐらいではじけるっていうぐらいのペースの人が多いと思うんだけど。この『CAN'T BUY MY LOVE』って、もうデビューしてアルバムを作ったあとに1回ツアーをしたら、いきなりはじけたみたいな印象のセカンドアルバムなんですよね。
「それダメですか?」
(笑)ダメじゃないよ、全然。だから、すごい展開力ですよね。
「『展開しすぎてわかんなくなっちゃった』って言われないようにがんばります。でも、きっとみんなの中でもこんな曲が好きだとかあるじゃないですか?『四つ打ちが好きなの!』とか。そういうのもいろいろやってみたいんで、ぜひ言ってくださいね(笑)」
そういう風にいろんなことをなんでもやってみたいぐらいの感じなんだ?
「うん、やってみたいことは、とりあえず一回はやってみたいんですよね」
たぶんファーストの感じのほうが好きだっていう人もいるんだろうけど、あまりにもズパーンと新しいことをやっているので、しかもそれが力強いものになってるから、ファーストが好きだっていう人も強引に巻き込んでいってしまうようなパワーがあるアルバムですよね。
「そうですね。だから『全然変わってないけど変わった』みたいに言っていただけたら、すごくうれしいですね」
Yui_h_200704_6a

YUI が「ライブハウス愛」を語る部分からイッキにご機嫌に饒舌にくだけた表現でおしゃべりになっている。YUIにとってライブハウスへ行くことはお勉強や同業者の動向をチェックする目的もあるに違いないが、ライブハウスは楽しいものだ。

YUI が「天然」や「挙動不審」に見られる理由は、常に考えごとをしているからじゃないかと思う。いつもこの瞬間の出会い、会話、感情が曲にならないかと思索しているからかもしれない。サカナ一郎も24時間音楽について考えていると言っていた。YUIもそういうところがありそうだ。YUIの場合は疲れないようにする息抜きを知っているそうだが。

「やってみたいことは、とりあえず一回はやってみたい」

正しい気持ちだと思う。その気持ちを支持したい。(結婚以外)

2013年4月18日木曜日

トミーフェブラリー / トミーエアライン(2004)

このCDも入手がなんら難しくない。トミーフェブラリーの2枚目のアルバム「トミーエアライン」(2004 DefSTAR )。500円で買ったけど別の店で250円で見つけてちょっと落ち込む。

立て続けに3回聴いてみたけど、1stよりも魅力はやや後退したように感じた。あいかわらずの80年代ディスコポップ調なりきりヘタウマ歌謡。満足感は得られなかった。変化はないのだが、何も心に引っ掛かるものがなくサラサラと右から左へ流れていってしまう。

自分もブリグリにはまったく関心を持てなかったのにトミーフェブラリーには食いついたのだが、こういうピンポイントな世界観を音楽で聞かせてくれたトミーフェブラリーは貴重な存在だった。この歌唱はやはり魅力的。MaGic in youR Eyes は好き。

2013年4月17日水曜日

YEAH YEAH YEAHS / Show Your Bones (2006)

Yeahyeahyeahs このCDが500円で売られているのを見た瞬間まで「YEAH YEAH YEAHS」というバンドのことをまったく忘れていた。ここ数年ぜんぜん名前を聞くことがなかった。かつて、2006年、2007年ごろとても盛り上がっていた気がするんだが。このアルバムだって日本でも売れたはずだ。自分はこれしか聴いたことがないんで前作からどう変わったかとかわからない。

実は買って帰って家でジャケットをじっくり見てから「あ、これiTunesに入ってたわ」って気が付いた。以前に消去してしまっていた。こうして再びまたCDで聴いている。

なんと久しぶりに新曲CDが出るそうだが、ちょっとは盛り上がってるんだろうか?

最近のインタビューでは結成時にいたバンドの80%がいなくなっている現実を嘆いていた。時間って残酷だ。




2013年4月16日火曜日

本田翼研究③ 16歳ロングばっさーLOVE

現在、ショートボブが似合うかわいいモデル第1位は本田翼で間違いない。いまや活躍の場はnon-noだけに留まらず、映画、ドラマ、テレビ、雑誌に広げている。
鶴瓶師匠によれば、「男女両方から好かれるタイプ」
あたりまえのことだが、本田翼は1日で成ったのではない。
本田がショートボブになったのは高校3年生になった春、2010年の5月ごろ
non-no 2010年6月5日号誌上でカットした。
つまり、それ以前まではロングでかわいいモデルだった
これはJILLE 2009年7月 でのロングばっさー
本田翼16歳の終わりごろ
16歳の本田翼の資料はそれほど多くない
15歳でティーンズ誌を卒業し、ストリート誌へ移籍。
少しずつ人気が出てくるちょっと前
ロングばっさーの魅力を語ろうと思ったのだが、このヘアスタイルはかなり微妙。
これも16歳の本田翼。JILLE 2008年12月
JILLEとnon-noの違いがはっきりわかる
non-noでの元気いっぱいかわいいばっさーとまるで違うミステリアスさ
本田翼は普段こんな服着てなかったはず。
だが、これはこれで魅力的。
同じクラスにこんな子がいたら気になって勉強にならないだろうと思う。
16歳の本田も圧倒的にかわいい
背も高いし、おしゃれ
JILLEに移ってようやく人気がでてきた
non-no専属になり髪を切った後もJILLEにも出ていたが、2011年からは完全にnon-no1本。
2011年に高校を卒業した頃から女優のオーディションも受け始める。
そしてチャラメガネ藤森が見つけてしまう。2011年8月にテレビ初出演。2012年にはA-Studioでアシスタントの仕事も開始。本田翼の名は一気に広まる。
non-noではこうなる
こうなったらさらに人気大爆発
だが、JILLEの本田翼とnon-noの本田翼、どちらか選ぶなんてできない。ま、男ウケならnon-noかな。自分ならJILLEだけど。
ロングとショート、どっちがいいかって?
やっぱ……、ショートだろう。

2013年4月15日月曜日

御岳山、そして青梅の調布大祭

Img_0900 東京多摩地方は春の祭りが続いている。祭りを見ることに命をかけるT君に誘われて日曜日に青梅まで行ってきた。青梅のこの辺りを昔は調布村と呼んでいたからややこしい。「調布大祭」とは青梅の千ヶ瀬、駒木町、上長渕、下長渕、河辺町から山車と神輿が出る祭り。多摩川にかかるこんな大きな橋のある通りも通行止めになるから、この地方の大きなお祭り。

午後1時半ごろ東青梅駅に降り立ち、なんとなく多摩川のほうへ向かう。ちゃんちゃかどんどこお囃子が鳴り響くいている方向へ向かって歩く。

山車と神輿が出て賑わう場所へ出た。

祭りに集まる人々を見て、江戸の昔から変わってないなって思った。やんちゃそうな若者が多いなと感じた。祭りで若い男女が出会い子供ができて地域の歴史を繋いでいく……。


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祭りマニアの友人T曰く、大きすぎる祭りは人が多すぎて自由に見れないので、この程度の規模の祭りがベストなんだそうだ。

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東京は早くから市電が走り、電柱が立ったために山車の多くは地方に売られてしまったために、東京の中心部で山車が出るお祭りは少ないと聞いた。自分もこういう山車が出る祭りに慣れていないのでついテンションがあがってしまった。

Img_0801 調布大祭の前日、土曜日は御岳山へ別の友人Fと行っていた。本当はなんとなく奥多摩へ蕎麦を食べに行ったのだが、御岳山へしばらく来ていないというので急遽目的地を変更。ケーブルで登って、さらにてくてく歩いて御嶽神社へ参拝。

自分は2年前の「香港遠征」の直前に旅の安全祈願に来て以来。何度来ても清々しい気持ちになる聖なる山。お守りを新たに買い換える。

友人Fがまだ日の出山へ行ったことがないというので片道徒歩40分の隣の山を目指すことにした。この山は数年前に友人Tと御岳山から行ったことがあったのだが、いい印象しかないすばらしい山。

ジーンズにスニーカー、手ぶらでペットボトルという、途中すれ違うハイカーと山ガールが首をかしげる姿で山道を歩く。だが、その装備で全然問題ないとても歩きやすい道。空気が気持ちいい。御岳山からちょっと足を伸ばすとこんな景色を見ることができる。

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標高902mだが、桜は完全に終わっていた。わずかに花が残っている程度…。向こう側に御嶽神社と奥の院が見える。こんな高い場所に集落があるのって不思議。すべて神職の家系の人々がやっている宿坊や、みやげ物店。

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反対側もとても見晴らしがいい。日の出山はどの方向も見晴らしがいいことにおいて、東京近郊でこれ以上の山を知らない。いつか真冬の早朝に来たいと思っている。この前の冬は山へまったく行けなかったのでつい、2週連続で山へ行ってしまった……。4月5月はもう2回ぐらい山へ行くかもしれない。

2013年4月14日日曜日

2013桜の見納め@高尾山

Img_0527 毎年毎年、桜を全力で見て歩くことに命をかけるT君と数日前にまたまた高尾山へ出かけた。もう何回目かまったくわからない。高尾山は新宿から京王線でわずか370円で行ける山。東京都民の財産のような聖なる山。

だが、われわれは数年かけてもう、琵琶滝コースやら6号路やら稲荷山コースやら裏高尾蛇滝コースにいたるまですべて歩き尽くしてしまったために、今回は中央線相模湖駅まで脚を伸ばし、相模湖駅からバスに乗って千木良(170円)で降りて、まず高尾山の隣の城山を登ることにした。里の新緑がまぶしい。

Img_0528 もうすでにシャガが咲き始めている。

6年ぐらい前にT君らと高尾から相模湖まで降りたことがある。今回は逆ルートで登ってみた。前回歩いた記憶がほとんどなかった。

最初は竹林を右手に見ながらキツイ登り。久しぶりの登山でヒーヒーいいながら。

この日は空気がひんやりしていて助かった。気持ちいい山歩きができた。



Img_0534 山道の脇にはスミレが咲き乱れる。他にもいろいろな花が咲いていた。春の高尾山、万歳。

この日はキツツキが木をつついているのを目撃したりできた。自然と触れ合った。

Img_0529 途中に地蔵や祠があったりするので拝む。

山道をくだらない話をしながら登る。自分たち以外誰も歩いていなかったが、昼を過ぎると数人とすれ違ったり、追い抜かれたりするようになる。やはり高尾は大人気の山。

千木良から城山をめざすコースもなかなか楽しい。

Img_0531 遠くに相模湖が見える。

相模湖が見えたのはこの場所だけだったかな。

途中で中年の外人とすれ違った。

Img_0530 丸太の階段がキツイ

Img_0533 キツイ場所を過ぎると楽しい尾根歩き

爽やかな空気と新緑

Img_0537 城山山頂付近には桃が咲いていた。

多くの中高年ハイカーがいた。やはり高尾山の隣の山なので人が多い。

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あいにくの曇り空だったけど、その分歩いていて清々しい。日が照ると暑いし、曇りのほうが好き。

高尾へはどの季節も来ているが、桜の季節に来たのは初めてじゃないかと思う。桜の季節の城山から一丁平園地、もみじ台、高尾山頂への尾根歩きがこんなに素晴らしいとは!初めて知った。江戸一番の往来じゃないかってぐらいにハイカーが歩いていた。

では、以下、城山から高尾までの風景をどうぞ。


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薬王院までたどり着いた。

Img_0571 もみじ台は巻き道を行く人が多かった。階段がキツかったがそこでしか見られない風景もあった。

飯縄大権現様にお参り。

Img_0572 幸せになれますように。

桜の季節の高尾山がこんなにいいとは知らなかった。紅葉シーズンは尋常じゃないぐらいに混雑するけど、桜シーズンは各地に分散するのでそれほど混雑していない気がする。また来たい。もう膝が痛いので下りはケーブルカーを使った。片道470円。

東京の桜もこれでおしまい。

すでにツツジやハナミズキが咲き始めている。

PS.山頂付近に御殿のようなトイレができていて驚いたが、薬王院のあたりまでずっと道が舗装されていたのに驚いた。革靴でも振袖でも足元を気にせず山頂までいけるようになってしまった……。