2013年4月23日火曜日

梅原猛 / 歓喜する円空(2006)

あのユニークで前衛的な造形美を持った仏像を造った円空(1632-1695)という人物の研究は戦後、在野の民間研究者の地道な努力によってなされてきた。

2006年、ついにあの梅原猛による著作が現れた。ようやく読むことができたのだが、自分はまったく円空のことを知らなかったといっていい。なんとアカデミズムの現場では未だに円空は研究の対象とはなっていないという。

自分が梅原猛の本を読むのは2冊目。高校の日本史の先生が梅原猛の著作を批判していたので長く手に取ることがなかった。この本は友人の本棚にあったので貸してもらって読んだ。写真が豊富でいい本だと感じた。

木で仏像を造るようになった国は日本だけ。木は神が宿る。円空に影響をあたえたのは泰澄と行基。神仏習合と白山信仰。寛永9年、美濃(現岐阜県羽島市)に「まつばり子(私生児)」として生まれ、幼くして母を洪水で亡くし仏門へ。

富士山や諸国を放浪し修行。32歳で美濃の神職・西神頭家で最初の仏像を彫る。その後、下北、蝦夷地、津軽、秋田、松島と流浪のたび。松尾芭蕉が奥の細道を旅した時代よりも50年も早い命がけの旅。自分も仏像彫りながら旅したいな……。

64歳で入定するまでに12万体の仏像を彫ったという。失われたものも多いが、梅原はできるだけ多くの円空仏を見て歩き、当時の記録を読み、大般若経に円空が書いた絵、円空が作った和歌から円空の仏教思想にせまっていく。

以前、「円空=木地師」であるという説が有力だったが、戦後の円空研究で最も著名だった五来重氏(故人)を梅原は徹底的に断罪している。

その著作を「これはペダンティックな民俗学者による、円空仏を訪ねての漫遊記であるとしかいいようがないのである」「五来氏は円空仏に感動を覚えたこともなく、円空を芸術家としても、宗教家としてもまったく尊敬していないということである」「五来氏は学者ではなく詐欺師であったと思わざるをえない」等、もうヤメテ!って思うほどコキ下ろしてしている。

ま、学者として言ってることになんら根拠がなかったら批判されてもしょうがない。円空美並出身説もバッサリ切り捨てる。劇作家の飯沢匡も具体例をあげてバッサリ切り捨てる。

学術書のようだが、梅原は自身の少年時代の思い出や、養父養母のことも語っている。円空の和歌をじっくりと読んで、西行よりも感動するといっている。

自分はあまり仏教の知識がないので後半は読んでいてつらかったが、芸術家・円空の生涯と思想について知るには目下ベストの1冊。

2 件のコメント:

  1. 川崎鶴見(有)2013年4月23日 14:36

    SECRET: 0
    PASS:
    東京国立博物館で円空を見たのは、YUIの「Iremember you」のころ。今日のブログの梅原猛「歓喜する円空」もこの時期に発売されていたみたいですね。
    奈良時代・平安時代初期から、江戸時代までの一木彫の仏像約100体が出品されていて、私の目当ては円空と木喰でした。
    木っ端を並べた円空のコーナーはどこか外国の民芸のお土産屋風。
    瞬間芸と感性の賜物。1日、それも数時間でまきを割るように思い切り良く作られていました。単純で素朴だが決して粗雑ではない。装飾のない民衆のための仏像で、しかも彫った側には修行となっている。円空は旅人や仕事で動き回る人々がその場で拝める野の仏。その村の神木などを使って作られたようです。ケヤキのうろに包まれたような仏は清浄で澄み切っていた。
    円空は救いを、木喰は癒しを現しているように思えました。

    返信削除
  2. SECRET: 0
    PASS:
    円空と木喰、見るとちょっと笑ってしまうところがいい。円空なんて小学生が作ったようでもマネできないデザイン。上野の円空展行けばよかった。

    返信削除