2014年8月31日日曜日

スピッツ / ハヤブサ(2000)

まだ音源を持ってなかったスピッツのハヤブサを手に入れた。

草野マサムネの天才的にヘンテコな詞と様々な音楽的要素を盛り込んだ楽しい1枚。今でも価値を失っていない名曲ぞろい。

「ホタル」という曲は何年か前にロッキンで聴いた。その時は曲名が分からなかった。夏フェスってスピッツみたいな有名バンドも見れちゃうところがすごい。

どの曲もPOPでユニーク。「俺の赤い星」「ジュテーム?」は個人的に受け付けないけど。

2014年8月30日土曜日

Drop's 「HELLO」 TOUR @CLUB Que

Simg_9426下北沢まで Drop's のワンマンを見に行ってきた。Drop's のライブは昨年12月以来だったので楽しみだった。「HELLO」をリリースしてのワンマンツアーの東京セミファイナル。ここ最近の東京は涼しくてよい。外にいても疲れない。

なんと、東京はSOLD OUT だ。他都市の会場よりも、もうちょっと大きい場所にしてもよかった。会場にギッシリ詰め掛けたオーディエンスのほとんどが野郎、中年男性。女子率はまだ1割にも満たないのではないか……。

まだ「HELLO」を買ってなかったので曲を全然知らなかった‥。他の客は知っていたようだ。

ロック&ロール、ブルースの夜。みんな踊ってたし、いやあ、本当に楽しかった。

ギター&ボーカル中野ミホの歌っているときの顔が面白くて仕方が無い。この子は女エレカシ宮本とでもいうのか、表情と手の動きがが多弁でユニーク。この子が歌っている姿を見ることが今この瞬間一番楽しいと感じた。ふてぶてしくカッコイイ、ステージと会場を支配している感じ。それでいて最低限しかしないMCでは、落ち着きなく前髪を触りながら、ふわふわ、かつダルそうな、ハニカミ乙女に変わる、そのギャップ!

MCでも荒谷や小田に話を振る。小田が「広島焼きがおいしかった」と言っても、特にその話には乗っからない。「HELLOを出して、北海道からツアーを回ってます」「高校生のときから憧れていた下北沢でライブができてうれしい」「初めてSOLD OUT しました。これからはSOLD OUT が普通にしていきたい…ね…。」 

MCはあまり機能していない。それでいてあのブルースハープとエモーションをぶつけてくる歌唱。スター性は充分。なんか、どんどん可愛くなってきている。もっともっと有名になって大きな会場で客を沸かせてほしい。KINGレコードさんは全力で売り出してほしい。次に東京に来るときも、ライブに行く!行く!

中野と荒谷は革ジャンだった。最前に革ジャン女子客がいた。暑くないのか?
Drops_hello

2014年8月29日金曜日

川口春奈は牛肉アレルギー


Haruru_tvguideperson6a
2013年3月発売のTVガイドPERSON誌Vol.6号に川口春奈のグラビアと、高校卒業にあたってのインタビュー記事を見つけたので拾ってきた。108円。一部中身が切り取られていたのだが、ハルルのページしか読まないので構わない。今まで知らなかったことが書かれていた。ちょっとびっくりする事件が2012年に起こっていた。「実は私、昨年一人で山形へ行ったことがあったんですよ。」 以下一部引用
 本当は北海道へ行きたかったんです。でも、悪天候で万が一飛行機が飛ばなかった時、お仕事に影響するなぁと思って、最悪の場合でも新幹線で帰ってこられるといったことも考えて、東北の山形を選びました。でも、そういう時間って大事だなって思うんです。一人で無心になって、自分を見つめ直したり物思いに物思いにふける時間があっていいかなって
そうか、ハルルは高3の終わりごろ(悪天で飛行機が飛ばないことを心配してるから12月ぐらい?ということは冬休み?)に一人旅をしていた。うん、それはいいことだ。具体的に山形のどこに出かけたのかは書かれていなかった。だが、自分が驚いたのは以下の部分だ
 私、牛肉アレルギーなんですけど、せっかく山形に来たんだからと、牛肉入りのおそばを食べたんです。そしたら、知らぬ間に駅で倒れちゃっていて……。そんな私を、駅員さんが助けてくださったんです。「ああ、何て親切なんだろう、ありがたや…」と、心の底から思いました。小さなことであっても困っている人がいて、声を掛けたいんだけど勇気が出ない時ってあるじゃないですか。そういう思いやりを忘れてしまう瞬間があるから、「いけない、いけない」と、言い聞かせるようにしています。それもあって、たまには遠出することも必要かなと思っているんですよ。気持ちを入れ替えるためにも
ええぇっ?!牛肉アレルギー?!「知らぬ間に駅で倒れた」ってことは、意識を失ったっていうこと?それはかなり症状が重い。駅医務室に運ばれてきた少女がハルルって、駅員もびっくりしただろう。大変な事件だ。

食物アレルギーって自分の周囲にあまり見掛けないので、小麦とか卵とか、エビとかカニでじんましんが出るんでしょ?的なことしか知らなかった。牛肉アレルギーだと友人たちと食事に行ってもいろいろと心配だろう。自分もここ2,3年ずっと喉がイガイガして食道が不調なので、ひょっとすると軽く何かの食物アレルギーなのかもしれない。検査してみたいけど、なかなか行けない。

2014年8月28日木曜日

川本真琴15年史~オトナファミ2011年10月号

YUIの10年前に川本真琴という天才がいた。自分はこの人を10年早かったギタ女と呼んでいる。
最近の高校生大学生は知らないのかな?と思っていたのだが、意外によく知られている。今年の夏に「僕らの音楽」に出演したのだが、実に13年ぶりのテレビ出演だった。

自分がこの人を初めて実際に見たのが2010年9月の「神聖かまってちゃん」との渋谷AXでの対バン。2ndアルバムから実に9年ぶりとなった3rd「音楽の世界へようこそ」が出た年だった。

そして昨年の北海道岩見沢・JOIN ALIVE で夏フェス初登場。このときが自分にとっての2回目川本。これから夏フェスの常連になっていくのかな?とも思ったのだが、そうはなっていない……。

オトナファミ2011年10月号「川本真琴 デビューからの15年をなにげに振り返る」という3ページの特集記事を見つけた。DVD付き2枚組みシングル「フェアリー・チューンズ」をリリースしたころ。ぜんぜん気づいていなかった。じっくり読むために家に連れ帰った。

この人の歴史を知ることは、個人的に、YUIのデビューとこれからの10年を考える上でとても参考になると考えている。以下、川本の言葉を少し引用する。自分はどこを読んでも常にYUIのことを想いながら読んでいた…
友達とイベントに参加するノリでオーディション受けたら東京に行けることになった!やった!って浮かれてた。でも東京に来たら、すっごい大変だった。遊びに行くどころか、もうデビューまで時間がないからって、部屋に閉じこもってずっと寝ないで曲を作ったり、練習したりしてました。

最初のほうは、プロデューサーやディレクター、岡村(靖幸)さんといったスタッフの方々が集まって、会社の会議みたいな感じで曲についてのアイデアを出し合っていました。私といえば、その中でポカーンとしている感じで(笑)。ある程度プランが決まると「じゃあ曲を作ってきてね」ということになるんですが、コンセプト通りの曲なんて、そう簡単には作れないんですよ。で、「無理です」って。でも締め切りはやってくる(笑)。いつも時間に追われてましたね。
川本のデビューは1996年、22歳のとき。ソニーSDオーディションで福井から上京。

一方YUIの場合はデビューは2005年、SDオーディションで福岡から2004年9月、17歳のときに上京。部屋とスタジオを往復しAメロBメロとひたすら楽曲製作の日々……、というのを自分は後に少しずつ資料をあさって知っていった。川本のケースを知ることは、YUIの場合がどうだったのか?をイメージするのに役立つ…かもしれない。
むしろ詞のほうが会議色は強かったですよ。曲と違って、歌詞なら誰でも参加できるじゃないですか。宣伝担当の方まで巻き込む勢いで、良いテーマを思いついたら次々に書き出していって、「じゃあ、このへんのイメージで書いてきてね」って。同じパターン。それでも初期の頃は、自分のペースに近い自然な詞が書けたんですが、だんだんその〝詰めこみ〟がエスカレートしていっちゃって、大変なことに(笑)。
ちなみに、川本がそんな時期でも「自分らしさが出ている」という曲は、岡村靖幸プロデュースのデビューシングル「愛の才能」のカップリング曲「早退」と、1stアルバム「川本真琴」の「タイムマシーン」。そして、1997年3月、川本真琴最大のヒット曲「1/2」が発表された!
あの曲を、最初自分で作ったときはもっとロックで渋い感じの曲だったんですよ。でも、サビ以外に目立つ部分を作ろうとかポップに広げて、もう1個何かつけ足そう……とかやっていくうちに、あのアレンジになったんですね。詞はひとつひとつのフレーズを吟味しながら細かく作ってきました。これも入れたい要素をプラスしていくとどんどん膨らんでいっちゃって、そうなるとよりポップに寄っていくという。
「1/2」は「るろうに剣心」に使われたために、最近でも再放送を見た若い子から「好きです」と声をかけられるそうだ。
今でも歌うし、すごくうれしいけど、今の私が「1/2」みたいな曲を作るのは、やっぱりちょっと違うのかなって気がする。やっぱりあの時、あの時代にああいう形で、みんなとシンクロできたことで意味が生まれたのかな、と思いますね。

1stのときは、自分より15歳ぐらい年上の大人たちに見守られながら製作していましたが、2ndでは周囲のスタッフが同年代になったんです。それに、ヒット曲が出たおかげで、ある程度自由にやらせてもらえるようになった。その分、試行錯誤した感じ。アルバム全体を見ると、なんか急に子供っぽくなったなと感じる面もありますが、改めて聴き直すと「FRAGILE」とかは、なんだかやたら力が入ってるなと思います。アメリカのエンジニアさんに音響をやってもらって、音の広がりもすごい。
自分は昨年のJOINで「1/2」を聴けた時、泣いた。1st「川本真琴」は名盤と呼んでいい。だが、自分は2ndは「桜」は好きなのだが、あとはどうも…。すまん。

ここまでがデビューからブレイク、人気絶頂までの川本史。2nd発表後はレコード会社も事務所も離れて……、実に9年間のブランク!
2ndの後にレコード会社を辞めて、そこで一度リセットというか。本当に一人で再出発したんです。そうなると、スタッフやミュージシャンの方に参加のお願いをするのも基本的に自分で歩き回る感じで。歌手に憧れる18歳の子のような手探り状態になった。ミュージシャン友達にサポートを頼みながら、良い作品が作れる良い方法を自分のペースで模索していた感じです。だから少し時間がかかっちゃったんですね。

メジャーレーベルに守られてバブリーだった頃は、なんかステーキばかり食べてるみたいな、そんな毎日でした。その反動もあって、独立後は都内で6畳一間のアパートを借りて製作していた時期もあります。「曲や詞作りにはハングリー精神が大切なんだ」って。当時はまだ20代で、無茶するガッツがあったなぁ(笑)。
ここ読むと、もう完全に2012年の秋以降のYUIを連想せずにいられない。気の合うミュージシャン仲間と一緒にライブハウスに飛び入り参加して、厳しい寒さの街角に立ってビラ配ったりして、人脈を広げていって……、やがてフラフラというバンドに辿り着いて……。

自分はYUIとFLOWER FLOWER の今後を楽観視していない。まだ映画主題歌を配信した以外に何も成し遂げていないと思っている。YUIのこれからの10年が大いに不安。アルバム制作に相当な間隔が必要になっていくかと。ただ、YUIの場合はソニーともスターダストとも手は切っていない。川本もYUIも業界内にファンが多いことが希望の持てるひとつの理由。
PS. このインタビュー後半では「音楽の世界へようこそ」「フェアリー・チューンズ」の製作のことも話している。

だが、一番驚いたことは…、川本真琴の母親・川本ユキが2010年にキングレコードから演歌歌手デビューしていたことだ。ええぇぇ……。なんでもミュージックスクールを経営しているらしい。「ピアノ弾き語りが上手くなった」と娘を誉める。ちなみに母が一番好きな娘の曲は「アイラブユー」とのこと。

PS. 川本真琴は2012年2013年とワンマンツアーをしている。今年も12月5日に渋谷CLUB QUATTROでワンマンライブがある。一般発売は8月30日から。

2014年8月27日水曜日

立川の猫返し神社

Fh010011a東京都の西に立川市がある。近年、多摩モノレールが開業し、西の秋葉原とも呼ばれ発展を続けている。

この町はかつては基地の街で、広大な昭和記念公園は米軍飛行場だった。立川市砂川のあたりは今でも古い農家の家が点在する。

五日市街道沿いにちょっと変わった神社がある。

立川水天宮・阿豆佐味(あずさみ)天神社だ。寛永6年創建というから、わりと新しい。江戸の新田開発でできた砂川の鎮守。ご祭神は少彦名命と天児屋根命。6月ごろの暑い日曜日に行った写真があがったのでまとめてみた。写真はすべてフィルムカメラで撮影。

境内に水天宮があって家族連れでにぎわっていた。だが、ここの神社の境内にはもうひとつ有名なものがある。それは……、

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狛犬じゃなく、狛猫?!
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絵馬?!じゃなくて、絵猫?!
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なんだこれ? 猫好きの人にはこの神社は有名らしく、各地から参拝客がやって来るらしい。

というのも、20数年前にジャズピアニストの山下洋輔氏が、行方不明になった愛猫が帰ってきますように、と願掛けしたら帰ってきたと発言し、その話がたちまち拡大。以来、全国的に知られる猫神社、通称・猫返し神社だ。

日本にはいろんな神社があるけど、このパターンは初めて見た。招き猫で有名な豪徳寺も彦根藩主・井伊直孝がたまたま鷹狩りに立ち寄ったときの伝説が広がった。神社にとってもラッキーな話だ。

ま、神頼みなので実際に猫が帰ってこなくても、どこかで幸せに暮らしているように神のご加護を……という愛猫家の切実な願いのための神社だ。
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自分は猫は飼っていないので、普通に本殿に参拝。俺の子猫ちゃんのまさみにその辺でばったり出会えますように……。こういう邪心を叶えてくれる神社はまだどこにもないな。
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彫刻が立派だった。立川で最古の建築物。
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立川を走るモノレール。2回ほど乗ったことがある。

2014年8月26日火曜日

新垣結衣の場合

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新垣結衣が表紙のSWITCH VOL.25 2007年8月号 「特集 十代のいま、十代のころ 新垣結衣」を手に入れた。木村伊兵衛賞フォトグラファー梅佳代 によるグラビアをふくむ19ページの新垣結衣大特集号。ガッキー基本書の1冊。

別に入手は難しくなく、だいたい350円ぐらいでよく見かける。以前に買ったものがあるけど、部屋のどこかに埋もれているし、108円で見つけたのでサブとして2冊目をゲット。

「パパムス」「恋するマドリ」とブレイク旋風を巻き起こしていたころの19歳・新垣結衣が上野周辺を散歩してのフォトセッション。

以前にパラパラとめくってみたとき、それほど気に入ったカットもなく、そのままうっちゃってた。梅佳代の究極に素人っぽい作風のよさが自分にはまだよくわからない。どれもフィルムコンパクトカメラで撮ったかのような出来。プロのカメラマンっぽさがあまり感じられない。

だが、この号にも重要なことが書かれていた。新垣結衣が自身の10代を振り返るインタビューが。重要と思われる箇所をまとめると
  • 小学生のころは姉の持っていた「ときめきトゥナイト」をよく読んでいた。「ときめきトゥナイト」で字を覚えたといっても過言ではない
  • 中学の時、テストの順位が学年180人中90位だったことがある。勉強は常に真ん中ぐらい
  • チームプレーが苦手。体育の授業でのバレーやバスケに困る。
  • 小学6年のとき、同じ相手に2回告白してフラれた。
  • 身長を5cm小さくしたい。
  • 自分の身体で好きなのは唯一華奢な手首。
Aragaki_usamimi
「ときめきトゥナイト」ってアニメにもなった昭和の少女マンガか?ま、自分もドラえもんで覚えた言葉も多いと思う。

新垣結衣はデカいというイメージを世間はもっているようだが、自分としては「ちょっと背が高い」程度だと思う。

昨年、新垣結衣はツイッターで身長を公開で計測、169cmと公表した。日本にはあまりいないスタイルのいい女優だと思っている。

大スターの少女の悩みは本田翼のケースも紹介したが、早くからブレイクしたガッキーも同じだった。

以下引用
「ギャルサー」に出たあたりから帽子と眼鏡で出掛けるようになっちゃったんですけど、もうじゃまでじゃまで。別に気付かれてもいいんですけど、騒がれちゃうとどんどん出不精になっちゃうから。でも街は魅力に溢れていて、うーん、どうするアタシ?みたいな
ということは「ドラゴン桜」のときはまだそのままの姿で出かけていたんだ。沖縄から出てきて早々にブレイクしてしまったガッキーの悩み。

自宅では犬と遊び、イラストを描いてすごす。ま、26歳の現在はそれだけじゃないだろうけど。
Aragaki_hoppe
PS. なお、この号ではガッキーと同じ年、1988年生まれのPerfumeの3人も登場している。「ポリリズム」ブレイクのころ。88年生まれは黄金世代とも呼ばれている。

2014年8月25日月曜日

「小泉八雲集」を読んだ

「雪おんな」という人を凍え死にさせる恐ろしい妖怪がいるが、この話の舞台はなんと東京西多摩郡調布村(現在の青梅市)だった!
それを知ったのは数年前にたまたま多摩川の大きな橋を渡っていたとき。そこにあった碑文で知った。え?!北陸とか東北とか雪国の話じゃなかったの?

小泉八雲(ラフカディオ・ハーン 1850-1904)はアイルランド人の父とギリシャ人の母との間に生まれ、英、仏、米と流浪し、松江、熊本、神戸、東京と日本に住み着いた人。

「怪談(Kwaidan)」が特に有名だが、霊の国、日本に魅せられ、多くの超自然的でオカルト的な霊体験話を海外に紹介するために書き留めた。今回初めて小泉八雲の本を読んでみた。上田和夫訳「小泉八雲集」(新潮文庫)がそこに108円であったから。

「影 Shadowings」「日本雑記 A Japanese Miscellany」「骨董 Kotto」「怪談 Kwaidan」「知られぬ日本の面影」「東の国より」「心」「仏陀の国の落穂」「霊の日本にて」といった著作を収録した1冊。英語で書かれたものを現代文で翻訳したものなので、なにも難しい単語や表現がない。すらすら読める。

怪談話はどれも短い。「耳なし芳一のはなし」は子どものころに読んで以来で知っていたのだが、あとは「そいつはこんな顔だったかい?」と顔をみせるとのっぺらぼうという「むじな」しか知らなかった。「ろくろ首」という話は予想と違っていた。どれも他人に語りたくなるほどの話じゃない。1ページほどで終わる話もある。「遠野物語」と雰囲気が似ている。

「日本雑記」の中の一遍「破られた約束」という話は子供の頃よく聞いた怖い話によくあったパターン。愛し合っていた夫婦の若い妻が死ぬ。遺言によって鈴を持たせて庭に埋める。後妻の枕元に鈴の音が聞こえるようになって…という恐怖体験。

中世から江戸、明治と広範囲に渡って伝え聞いた話を書き残している。結末が失われてしまったり、話が破綻しているものまで、ツッコミや解説を入れながらエッセイ風に書いたものが多い。

「日本人の微笑」は有名な日本文化論。開国直後から日本人の意味不明な謎の微笑に対して、外国人はかなり戸惑っていて文化摩擦を起こしていたことがわかる。西洋人にあいまいな微笑で接するのはやめようと思う。

そして、日本といえば心中と情死の国。この時代の外国人は日本人の若い男女がふたり一緒に命を絶つ事件に深い関心を寄せていたようだ。「赤い婚礼」という作品はワイドショー的心中事件小説。

あとは日本の因習だの、芸者の人生だの、牡丹灯篭だのを紹介する内容。明治日本の古臭い三面記事。当時の人々の様子はわかるけど、それほど面白いわけでもない。近代国家へと生まれ変わる日本から抜け落ちていくものを必死に受け止めて書き残そうとした熱意は感じた。

江戸明治の人は「恋わずらい」が多かったんだな。落語の世界でもそうだけど、一目ボレの対象はたいてい15歳か16歳。この時代の「いい女」は現代よりもかなり若い。17歳が結婚適齢だった時代だからか。

2014年8月24日日曜日

武井 咲 「CoCo壱のカレーは愛知の誇り」

Takeiemi_cocoichi
名古屋一の美少女、ひょっとすると日本一の美少女かもしれない武井 咲が、4年前にセブンティーン誌でこんな発言をしている。なんと武井はカレーココイチJKだったのだ。
CoCo壱番屋って愛知発のお店なんだけど、いつ食べてもおいしいし、何度食べてもあきないとこを尊敬☆愛知の誇りだよ(笑)!
愛知の誇り!(笑)。まったく同感でちょっとうれしくなってしまった。自分もここ数年間、ひと月に数回も食べ続けているのに、まったくあきが来ない。牛丼にくらべると高いのだが、自分にとってはちょっとしたぜいたくで最高の外食メニュー。ひょっとするとあらゆる料理の中でも究極。大阪へ行ったときも、広島でも、沖縄でも、どこでもそこにCoCo壱があると入ってしまう。

評判のインド料理店よりもCoCo壱のカレーが好き。値段と満足度のバランスが最高。自分の場合はたいていメニューも見ないで「フライドチキンカレー3辛普通盛り」を注文する。7辛まで試したことある。でも結局3辛ぐらいで満足という結論に達した。

個人的には神保町の「キッチン南海」のカツカレーも定期的に食べたくなるカレーの東京代表。

PS. 武井 咲が監察医というテレ朝のドラマ「ゼロの真実」が意外に面白い。まだ2回ぐらいしか見てないけど。笑わない武井 咲が美しすぎて生きることがつらい。

2014年8月23日土曜日

MINOLTA POCKET AUTOPAK 50 で撮る

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こんどはこれと出合ってしまった。1973年製(?)ミノルタの110カメラ「オートパック50」のジャンク品を324円でゲット。緑色のシャッターボタンがワンポイントでおしゃれ。

このカメラ、「近く・遠く」の2ステップ・ゾーンフォーカスなのは見れば何となくわかった。おそらく絞り固定、シャッター速度1速だろうと思っていたのだが、家で調べてみたらこのカメラはCds素子が測光してシャッター速度を変えてくれるらしい。うそだろ……、どこに電池があるんだ?

Img_4542フィルム暗室の左側にへばり付くようにこんな電池が入っていた。なんだこりゃ?初めて目にする電池だ。

なんでもこの電池は「Kサイズ」という電池らしい。当然だが、とっくの昔に製造中止。

こういった古いカメラはアメリカとか海外の人のほうが後生大事にまだ使っていたりするので、向こうの通販とかなら20ドル+送料とか払うと電池も入手も可能だが、そんなものにお金をかけられない。同じものを作るしかない。

どうやら4.5ボルトの電圧をかせぐために、水銀電池がスポット溶接で3個ナナメに配置してあるだけのものらしい。

Img_4614ここは腐食性の液に注意して手袋をはめて、カッターで分解切除しようとしたものの、

あちゃー、ぜんぜんキレイにバラせなかった。

なにかプラスチックのケースとか利用して一から作り直そうとも考えたのだが、電極の位置とかキメて作るのがめんどくさそう。



Img_4615結局、LR44を3個、アルミホイルとセロテープでつないで、こんな感じで再生。見た目は悪いがこれで何とかするしか、このカメラを使う方法はない。

だが、電池の絶縁ができてなかったために、あっという間に放電ショート。1個だけ電圧がまったくなくなっていた。百円ショップで買ったとはいえ1個54円をあっという間に失った。

気を取り直してやり直し。今度は絶縁を慎重に考えて工作。


Img_4541
よし、こんどはうまくいったはず。部屋の中でシャッターを切ると、電池がない状態よりも遅い気がする。このカメラはシャッター速度が最長で10秒と聞いていたのだが、もっと暗い場所でシャッターを切ると、自分のは何故かバルブ撮影になってしまう。なぜだか分からない。
ま、1秒以上のシャッターなんて必要ないけど。

ピントを「近く」で撮ったあとでカバーを閉めると、再び撮影しようとするときはピントが「遠く」になってしまう構造になっている。ついピントを合わせるのを忘れる。

フラッシュはマジキューブというコダックの4回きりの使用で使い捨てのフラッシュを使う。デジカメしか使ったことのない人から見ると、昔のカメラは信じられないぐらいに不便だ。
ま、だから誰も使ってないわけだが。では試写の結果。フィルムはFUKKATSUのISO400
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ええっ……、なんかどれも冴えない写りだ。暗い場所で撮ったものはどれも例外なくどアンダーだった。テストの段階ではシャッター速度が変わっていたのだが、実際の撮影では電池の接触が悪かったのだろうか?
ピントも露出も合ってない……。これでは実用性がない。これでFUKKATSU
を使い切ってしまったので、しばらくは110カメラを使うこともないだろう。

2014年8月22日金曜日

悲愴交響曲

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5月にこんなCDを買った。250円だったのだが半額セールで125円でゲット。2002年にWARNER CLASSICSのelatus という廉価版レーベルで出たムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルのチャイコフスキー:交響曲第6番と「フランチェスカ・ダ・リミニ」Op.32を収録したCD

「悲愴」って実はあんまり好きじゃなく、それほど聴いてもいなかった。この曲、ちょっと退屈。クラシック音楽はもっと複雑で難解なほうが惹かれる。

チャイコフスキーの交響曲と云うと、日本では昔からムラヴィンスキーが一番ということになっていて、よく売れたので珍しくもなんともない音源。

家で中身をよく読んでみると、これは1982年10月17日のレニングラード・フィルハーモニック大ホールでのライブ録音。あれ、ちょっとまてよ

2年ほど前に500円でムラヴィンスキーの「悲愴」のCDを買ったことを思い出した。1989年のビクター音楽産業のCD。日付を調べてみたら、やっぱり1982年10月17日か!同じ演奏のCDを買ってしまった……。でもまあ、「フランチェスカ」は持ってなかったし、125円だったし損したとは思わない。

elatus盤はNewly remasteredと書かれている。1992年Erato Disquesのリマスター再発っぽい。
Mravinsky_tchaiko6
ビクター盤はソ連の窓口会社Sovtelexportのライセンスで日本のVictor Musical Industriesが販売。ビクターが放送局に交渉した…と解説書に書かれているからこれが最初らしい。

自分はオーディオマニアでもなんでもないのでリマスターを聞き比べるなんて絶対にしないのだが、交互に繰り返し5回ほど聴いてしまった。

ビクター盤のほうが弦に艶を感じたが、会場ノイズが盛大に聞こえる。elatus盤は会場ノイズがあまり気にならなくなってる。やはり聞こえ方が違うが、自分としてはどちらで聴いてもかまわないと思う。どちらも音はいい。

たまにはクラシックも聴かないと。今回何度も聴いてみて、この曲も深いなと思った。特に第一楽章。食わず嫌いはやめようと思った。

2014年8月21日木曜日

吉高由里子の場合 その2

なお、「蛇とピアス」という映画についてはプラスアクト 2008 Vol.16 に詳しい。グラビア2ページ、インタビュー2ページのみだが、蜷川監督についてコメントしている。
Yoshitaka_plusact16
映画初出演について
「実を言うと、凄くやりたくてしょうがなかったって、訳じゃなかったんです(苦笑)。なんて言ったらいいんだろう、オーディションのときも〝この役が私にぴったり〟とか、〝私にしか出来ない〟とかそんな感じではなかった。原作が、世代が一緒だから、活字が苦手な私にもさらっと読みやすかったんです。それが今度、映画化されて、監督が蜷川さんだって話を聞いて、興味を抱いたんです。その興味だって、〝この映画に出たい〟というより、〝蜷川さんとお話をしてみたい〟という感じのほうが強かった。ルイという役より、蜷川さんがどんな人なのかっていう興味で、オーディションを受けた結果、こんな事になっちゃったんですよね」
吉高はこの映画に出演したことを「こんな事になっちゃった」と思ってた。で、その責任者蜷川を
「撮影中、一番私のことを考えてくれていたのは蜷川さんだった。私自身が自分の事を考えるより、蜷川さんが私のことを考えてくれたほうがよほど大きかった。それが役者だけにじゃなくて、原作者の方にもほかのスタッフみんなに対しても、蜷川さんは気を使っているように見えました。だから、怖いとか、怒鳴るとか、灰皿を投げるとかよく聞くけど、もし、そんな事をしても、絶対に人は蜷川さんから離れていかないだろうなって思いましたね。そういう人だから、みんなからリスペクトの目線で見られてるんだなって、思いました」
と持ち上げる。演出家がいろんなことに気を遣うのはあたりまえで基本。吉高がいい子すぎて泣けてくる。ここを読むと蜷川さんがマトモに見える。自分を大きく見せようとハッタリかます演出家は消えるべき。芸術家はすべてを超越するとか言うなら自分でセル画でも書いていてほしい。
周囲が自分の思うとおりにならないのなら、それはリーダーの責任。他人に腹をたてるな。

この映画はタトゥーとピアスがテーマだったのだが、そのことに関する吉高のコメント
「全然、やってもいいと思います。舌ピアスだって、撮影前に〝開けます〟と言ったんですけど、〝責任とれないから〟ってお断りされたんです。耳は一個増やしたんですけど、タトゥーはファッションでやるならいいとは思うんですけど、体型管理がなぁ。」(一部省略)
「私は体重の増減が馬みたいに凄いので(笑)、やらないほうがいいと思います。本当に自由に太ったり、痩せたりするんですよ。」「(やるなら)月と太陽が好きなので、たぶんそんな感じのがいいな。ずっと絵を描いているんですよ、月と太陽。それから手や顔。絵を描くのが凄い好きなんです」
一見、タトゥーもピアスも肯定しているようでやんわり完全に否定しているコメントだ。耳は常識的に認めるが、他は認めない。
太ったり痩せたりするとタトゥーがダメなら、多くの人はダサいタトゥーをしていることになる。この国ではタトゥーは「狂ってる」(by 大阪市長)と言われる。ということは、W杯に出てるサッカー選手はみんな「狂ってる」。

「責任とれない」というが、吉高の裸の画像が残ってしまったことへの「責任」は取ったのだろうか。吉高は映画完成後のインタビューでも、映画にもヒロインにも何も共感してなかったことがわかる。
「本当にそのころ、プライベートでも色々あって……。ぼ~っとしていて、自分でも、生きてる実感がなかったんですよ。だから、撮影中は大変というより、呼吸の仕方を忘れそうな一ヶ月間でした。大変っていったら大変だったと思うし、また同じこと出来るかと聞かれたら、出来ないと思う。でも、周りの支えがあったから、一日一日、なんとか乗り越えられたんだなと今は思ってます」
そして、ロッキングオンCUT 2009年10月号、配信携帯ドラマ「婚前特急」で17歳の高校生を演じていたころの吉高インタビュー記事8ページ。
Yoshitaka_cut200910
これまで4年間のキャリアを振り返って
「気付いたら、いっぱいドラマやってた、いっぱい映画やってたって感じですかね。でも、親がどんどん貪欲になっていくんですよね。次あれやれ、これやれって(笑)」

「ほんとに、もう。最初はね、雑誌に出ただけで、すごく喜んでたのに。表紙はまだか、CMはまだか、映画はまだかみたいになって。すごい親がハングリーになって、どないすんねんって(笑)」
かつてICUの中にいる娘を、絶望の悲しみで見つめていた由里子の両親はこんな状態になっていた。現在放送中の朝ドラのヒロインは東京吉高家では毎日が祭りだろう。

そして、「蛇とピアス」公開から1年後ということで再び言及する
「なんかあの頃の自分はすごく生命力が強かったなって思います。そう。熱かった、身体がずっと。なんか違う自分がいたみたいな」

「退院したあとだったから、すごくこう生きるっていう気持ちが強かったんだと思います(笑)。あと、あれはなんかすごい迷惑かけた恩返し的なもので、復帰作っていったらいいんでしょうか。思いっきり、これを神様が超えろって言ってる壁なんだなって思ったんですよ。だから多分わたし、あのときハイだったなと思って。なんか覚めないハイだった、ずっと熱くて」
不安定な精神状態の少女が、おとなたちに乗せられてしまった感じのする映画だった。

2014年8月20日水曜日

Cocco / 初花凛々(2005)

Singersongerいつものように某中古店で、「ばらいろポップ」というCDを買ってそのまま数週間放置し、聴こうと思って取り出したら中身が違ってた……。

そんな経験は2回目だが、中身が2005年にSINGER SONGER名義で出たマキシシングル「初花凛々」だった。108円だったので買ったのだが。

音源を持ってない楽曲だったし、返品交渉もめんどくさいし、いつもお世話になってるお店だし、ま、いいやとそのまま聴いてる。ジャケットと中身が違う状態で保管しておくのが嫌なので、iTunesに取り込んだらCDは棄てよう。これからはCDはレジで中を確認しよう。

2005年にCoccoがくるりとコラボしたSINGER SONGER名義で復帰したことは音楽界の大きなニュースだった。自分は「初花凛々」という曲を知らないと思っていたのだが、聴いてみたら、あ、知ってる。この曲は今までずっとCoccoだと思っていた。SINGER SONGERだったのか。いや、詞も曲もCoccoなのでCoccoのディスコグラフィに含まれるものなのだが。

夏にぴったりな清々しい曲。Track2.LOVE IN THE AIRと云う曲はアルバムに入っていないようなので、手に入れたことを自分に納得させる。

2014年8月19日火曜日

リトル・フォレスト「秋」

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でもって予定通り本日正午、「リトル・フォレスト 秋」特別映像も解禁になった。フラフラの「秋」も初解禁。
暗い森 雫の音 澄ませば聴こえてくる
自分は農村が華やぐ秋のイメージで、なんとなくPOPなロック調の曲かな?と期待して予想していたのだが、「春」よりもさらにミディアムスローだった。「おはようのキスを」を想わせるような温かい穏やかな曲調。
静かに時間が過ぎていく感じ。「冬」「春」もこんな感じの曲調か?

シンセ(オルガン)とスネア、ハイハットの音しか聴こえない。またしてもギターレス。ベースもなし?yuiはボーカリストに専念か。どこかYanokamiも連想するような雰囲気。
ずっと待ってた ずっと信じて
あの日に戻れたのなら


ずっと待てない 
残像を薄めてく
気づけないことばかりが
私を責めるの
うーん、活字にして眺めてみても、映画を見てみないことにはよく理解はできないかもしれない。「あの日」って?「残像」って?

目の回るような生活から離れて、以前は気づけなかったことが見えてくる。「気づけないことばかりが私を責める」はyuiも日々思っていることなのか。

今年前半なにも話題がなかったFLOWER FLOWERだったが、2曲も新作が発表されて夏祭り、秋祭り状態。

配信は決定しているが、まだまだ「円いもの」のニュースは聞かれない。昨年聴いた曲がもう思い出せなくなってしまっている……。

2014年8月18日月曜日

吉高由里子の場合

ちょっと前に、電車の吊り広告で「吉高由里子 平成の吉永小百合」って書かれていてびっくりした。朝ドラはそこまで影響力があるのか。吉高は映画での仕事が多くCMでの変なテンション芸で、どちらかというとマニアックな男性ファンしかいないと思っていた。

今が旬なのかもしれない吉高由里子の資料もだいぶたまってきたので整理したい。自分はあまり吉高を追いかけていない。映画もドラマもすべて見たわけでもない。

もう1年ぐらい前に手にいれたSWITCH 2011年4月号「吉高由里子を知っていますか」

これは350円ぐらいがでよく見かけていたのだが、105円で見つけてそのまま購入。吉高基本書のひとつ。2011年の「婚前特急」を中心にしたインタビューと浜野謙太との対談、これまでの映画出演作と監督からのコメント、CM撮影に密着した全24ページ、空前の吉高特集号。

だが、この年の春は震災で「婚前特急」という映画は不運にも存在をあまり知られない作品になってしまった……。この映画で吉高は自分勝手でワガママで他の女の子に好戦的という「嫌な女の子」を演じた。実際に演じてみてどうだった?という質問に
「嫌でしたよ、わたしも」

「台本を読んでいても、演技していても、自分が喋る台詞も、全部『まったく好きになれない!』と思いながらやっていました。『なんでこんな女の子に5人の男の人がいいように振り回されているの?』って」
なおこの作品で前田監督は執拗で厳しいリハーサルを繰り返し、吉高は「次のテイクもNGだったら、わたしこの仕事辞める」と思うまでに追い込まれたという……。

酷い監督といえば「紀子の食卓」の園監督。2006年、16歳当時のことを語りだす
「監督からは『死ね!馬鹿野郎!』とか『もう現場来るな!』みたいな罵声をひたすら浴びせられて。あんな罵声野郎はホントにいないですね」

「あと覚えているのは、監督に『このシーンが終わるまではひと言も喋るな』って言われて、『はい』っていったのに速攻でエキストラの人に話しかけられちゃって、返事をした瞬間、バコーンって殴られて『喋るなって言ったろ!』って、ちっちゃい箱に閉じ込められて。『お前はそこに入ってろ』って」
インタビュアーによるとこんな酷い話を「嬉しそうに」語っていたという。
「でもそういう監督は今のところ最初で最後ですね。あとはみんな優しい監督ばかりで。その楽な部分に甘えていた。甘い蜜に吸い付いていたなという自覚は、少し前からあったんです」
と吉高の大人ぶりと、現場の偉い人の人間性の酷さを強く感じたインタビューだった。自分が役者なら速攻辞めてる。訴訟に持ち込んで映画をぶっ潰してる。他人を痛めつけて、それで評価の高いものを作り出せているのだろうか。

この後、吉高は「蛇とピアス」という、これまたしょうもない作品に出演。精神が参ってしまい、正常な判断ができていなかったのかもしれない。映画ではヌードになってしまった。
「オールヌードということに(父は)絶対的に反対していたから。それで、わたしのほうはもともと自分に決まるとも思っていなくて、ふわふわしたまま行ったらふわふわ決まっちゃったから、オールヌードという横文字もわたしの中でちゃんと定まってなかったんです。『どういうことってああいうことだろうな』みたいな」
そんな大事なことが「ふわふわ」決まっていいはずがない。吉高がこの映画に出演したことは、自分は今でも疑問のままだ。

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だが、最大の危機は「蛇とピアス」クランクイン直前、2007年9月に交通事故に遭ってしまったことだった。最近ファンになった人は知らないかもしれないが、吉高由里子はこのとき生死の境を彷徨った。ICUから5日間出られなかった。
「交通事故に遭って、仕事を全部蹴ってしまったんです。事故の翌日、取材が13媒体入っていたらしいんですけど。」

「でも実は最初、自殺するんじゃないかと心配されていたみたいで。顔の半分がベローンって剥がれちゃっていたんです。顔だけじゃなく、右半身全部。でもどうなっているのか全然見せてもらえなかった。ただ、触るとすごいザラザラ、ボロボロする。どんなに払っても取れないんですよ。それで、鏡見せてくださいって言ったら、無いですって言われて。『無いわけないじゃん!』って。起き上がろうとしても腰を痛めていて、自分の力じゃ寝返りもまともに打てないし、トイレも行けない。」

「ある真夜中にバーンとベッドから落ちて、そのまま匍匐前進でトイレまで行ったんです。で、フッと鏡を見たら……(一部省略)とにかく包帯でぐるぐる巻きになっていて、まずそれにびっくりしたんですよ。包帯をしていることを忘れていたから。それで、『そうだ、傷が気になってたんだ』って思い出して、恐る恐る包帯を取ってみたら、皮膚が全部剥がれちゃってて。『やばい、どうしよう!』って、頭が真っ白になって、突然大声で笑い始めちゃったんです、トイレの中で。そうしたら看護婦さんが飛んできて『早まるな!』って。わたしがこういう仕事をしているのも病院は知っていたし、女の子だし、ものすごいショックを受けるから絶対に鏡は見せるな、トイレには行かせるなってお達しがあったらしいんです。」

「看護婦さんには『大丈夫です!絶対によくなります!』って言われたんだけど、『う、うん……』って返事してそのまま寝ちゃいました。三日間ぐらい起きなかったですね。結局、フィルムみたいのをずっと貼ってたら、整形も何もしないで綺麗に治っちゃったんです。いやあ、若くてよかったなって」

「怪我の容態は当初は全治半年から一年と言われていたんです。でも一ヶ月で退院しました」
それ、笑いながら話せることじゃないだろ。吉高は若いながら地獄を見てきたのだった。以後吉高は生きてることに感謝しながら、女優として大活躍をつづけている。

他人を罵倒することはその人の運命を左右する。望んでいない仕事を任せられることも。その結果、ずっとそのことをぼんやりと悩んで考え続けるようになるかもしれない。命を奪うことになるかもしれない。

2014年8月17日日曜日

大野達三 「アメリカから来たスパイたち」(1976)

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大野達三(1922-2002)による「アメリカから来たスパイたち」(祥伝社文庫 2008)がそこにあったので読んでみた。「下山事件」に関心があると一度は目にする基本書の1冊。読みやすくて入手が簡単なCIA研究の入門的1冊。108円で手に入れた。

上野・池之端に岩崎邸という瀟洒な洋館(重要文化財)がある。自分は過去何回も写真を撮りにいったりしているのだが、実は恐ろしい場所だ。かつてそこには「キャノン機関」という秘密諜報機関があった。
岩崎邸や武蔵小杉駅近くにあった「東川クラブ」(東京銀行川崎クラブ)でも誘拐拉致、監禁と脅迫、拷問が連日行われていた……。

そのことを自分は松本清張「日本の黒い霧」を読むまでまったく知らなかった。戦後日本各地で起こった奇妙な事件を裏で手を引いていたのはアメリカの諜報機関だった。

「日本の黒い霧」はとても面白くて、多くの日本人に影響を与えたし、自分にも多くのことを教えてくれた1冊だったのだが、その中に「鹿地亘事件」というものがある。重慶で反戦活動をしていたプロレタリア作家が藤沢市鵠沼から失踪した事件。

「アメリカから来たスパイたち」では山田善二郎というコックが監禁場所で自殺を図った鹿地を発見保護するところから語り始める。スパイ小説のように。

清張の「日本の黒い霧」を読んで、戦後GHQ内部でGS(民生局)とG2(参謀部第二部)の間の熾烈な勢力争いがあったことを知った。これが相当に醜くて汚い。「戦後日本が民主国家として生まれ変わった」と子供の頃から教科書で学んだことは実は嘘だった。労働者を弾圧し、行過ぎた民主化を抑制し、出版放送の自由を奪った。
G2・CIC・CIS(ウィロビー)とGS(ホイットニー、ケーディス)との利権をめぐる争いが後の日本の姿を決めてしまった。特に警察組織。日本の旧権力層にとって治安維持法廃止は衝撃だった。警察は必死に取り入る。

後にCIAという新興組織がやってくる。アメリカ帝国主義と独占資本の利益を守るため、世界中で破壊活動、クーデター、要人暗殺テロ、反共プロパガンダなどの謀略・秘密工作を繰り広げる。筆者は日本共産党中央委員会法規対策副部長を歴任した人物。アメリカへの呪詛の言葉が並ぶ怒りの告発。

戦後に旧軍人、情報・特務将校、右翼といった人々はみんなアメリカのスパイ組織に取り入って寝返る。進駐軍が来た初めはびびっていたものの、「あれ、G2やCICって自分たちの味方じゃね?」って。反ソ反共で利害が一致。両者は密接に協力しあう。居場所を見つけたようにいきいきと働き出す。
積極的に協力する日本人といっしょになってアメリカのスパイたちは「鹿地事件」「ラストボロフ事件」という拉致事件を、そして「下山事件」「松川事件」「三鷹事件」では労働団体と共産党の仕業にでっちあげ。石井四郎部隊に操作が及びそうになると「帝銀事件」も捜査中止。もみ消しと隠蔽工作。

警察、検察、裁判所、ジャーナリズム、すべてグル。占領下で協力も止むを得なかったというかもしれないが、鹿地事件はサンフランシスコ条約で独立後のこと。解放後も脅迫は続いた。
同胞の命よりもアメリカのスパイ組織のご機嫌伺いが大事。今現在においてもこの国は対米追従する。問題は根深い。

筆者は「下山事件」と「ケネディ暗殺」は手口が似ていると、ページを割いて指摘。巻末に補遺「ロッキード・児玉誉士夫とCIA」、「CIA要人リスト」も掲載。

巻末解説を書いた春名幹男によれば、「キャノン機関」を率いた人物は実は他にいて、リチャード・ギターマンという人物で、オフレコを条件に会って取材したそうだ。鹿地亘は肺結核で、当時高価だったストレプトマイシンでの治療を条件に二重スパイにさせる計画だったそうだ。

戦後の歴史の闇が今後も明らかになっていくかどうか注目していきたい。「ロッキード事件」は自分はまだ手付かずのジャンル。

2014年8月16日土曜日

リトル・フォレスト「夏」

「リトル・フォレスト 夏」特別映像がYahooで公開されたので見た。フラフラ「夏」待望の解禁。
マリンバ音の反復とベースによる8小節間の序奏
そしてyuiの低いささやくような唄が始まり、ドラムが加わるAメロ部分はギターレス。
流れに乗って行けたら 
そこに居場所があるなら
越えてゆけ
YUIとしての居場所を見い出せなくなったyuiと、映画のヒロインの心情がシンクロしたかのような、やや受身で消極的な心情の歌いだし。そして「越えてゆけ」4回繰り返し。
全て消せない もどせないよ 
信じてみたかっただけなのさ
「見え方しだいなのさ」も「YUIぶし」っぽい
けだるい空は飛んでゆけるんだ
教えてくれたあの場所に帰ろう
YUIが一貫して歌ってきた楽曲のように、サビ部分で少女の不安は「けだるい空はとんでゆける」とかき消けされる。だが、その先は輝かしい未来などではなく「教えてくれたあの場所に帰ろう」だ。「逃げるみたいで恐いけど」というように一時的な「逃避」……。

橋本愛演じる都会暮らしになじめないヒロインが田舎で自給自足をするという4部にわかれる映画の第一部「夏」の主題歌なので、「起」の部分に相当するんだろう。人前に姿を現さなくなって久しいyuiの心境も垣間見える歌詞なのかもしれない。
「闇」って言葉には少し戸惑う。 (闇じゃなくて「悩み」だ)

だが、困難な状況では「受身」であっても、それは歩みであり前進。

「リトル・フォレスト 夏」特別映像は自分にも祖父母の家で過ごした子供の頃の夏休みを思い出させてくれた。感動的な映像作品だ。

橋本愛はこの年代で他とは違う存在感を見せている。今後、まだ見ていない橋本愛映画を見ていくつもり。ちなみに、これは4年前の中学生橋本愛。可憐すぎてつらい。最近の橋本はちょっとたくましい印象。
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2014年8月15日金曜日

夢のなかののっち

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東京ドーム直前、「LEVEL3」をリリースした時期の「音楽と人」2013年11月号
を2冊目ゲット。この雑誌はブレイク後からPerfumeをずっと全力で追いかけてくれている。金光さん、Perfumeが大好きなんだな。感動的な言葉であふれた良いインタビューなので、バックナンバーを見つけたら買うことをオススメ。

2011年10月に韓国で開催されたAsia Song Festival がPerfumeの3人に与えたカルチャーショックと心のダメージは相当だったらしく、日経エンタメ2012年9月号で語っただけでは飽き足らず、
イベントから2年経ってもつらい思い出話としてまだまだ語る。「この半年で一気に、確実にいろんな場面を乗り越えてきた」
という話になって……、以下一部抜粋引用
あ~ちゃん 「韓国のイベントとか凄かったよね」
かしゆか 「ああ!あれはよく乗り越えた(笑)」
金光 「な、何があったの?」
のっち 「ボッコボコです(笑)」
あ~ちゃん 「虫の量が……」
金光 「虫か!(笑)」
あ~ちゃん 「マジで何十万匹くらいが突撃してくるんですよ」
金光 「それじゃホラーじゃん(笑)」
3人 「ホラーだったんです!!」
あ~ちゃん 「小さくてよく分からない黒いブチブチみたいな虫が、ブチブチブチブチって向かってくると思って下さい」
かしゆか 「『気をつけないと口開けた瞬間虫入ってくるから』って言われて」
金光 「どんな場所だ、それ」
かしゆか 「野外の、それも森の中だったんですよ」
Perfumeの3人は広島の、特にあ~ちゃんはイノシシや熊の出る山の方に住んでいたので、虫には慣れているはずなのに、ちょっとしたパニックを起こしていた。
大邱スタジアムはそんなにも山の中にあるのか。

虫ぐらいで何だ?って思う人もいるかもしれないが、虫を異常に怖がる少女は多い。昔、部屋に蝶が紛れ込んだだけでパニックになっていた女の子を見たことがある。ひとそれぞれだが、そういう人もいることを念頭に置いておきたい。
(追記、この虫だらけイベントは2013年の6月14日ソウルULTRA KOREAであったことに後に気づいたので訂正)

さて、この「音楽と人」は毎回本気のロングインタビューを慣行して多くのことを教えてくれる。

あ~ちゃんの言葉をほんの一部引用
「だから夢って本当に叶うんだなっていうことは思いました。あんまりカッコいい言葉とか、ありがちな言葉って使いたくないし、そういうのってホントに説得力ないなって昔から思ってたんですけど、行きつくとそういう言葉になるんだなってわかりました。〈幸せ〉なんて言ったことなかったけど、こんなに幸せを感じることって、結婚以外にあるんだ、って(笑)」

「私結婚する時、こんなに幸せって思えるかな?ていうか結婚に踏み切れるだろうか(笑)。そのくらいの幸せだな。こんな私なのにこんなに愛してくれる人がいて、こんなにも許してくれる人がいて、夢だと思っていたものがどんどん具体的になってきて、ひとつひとつ叶えられてくるうちに、夢に対してあんまりフワフワしたものは想像しなくなりました」
う~ん、感動的な名言だ。あ~ちゃんは大統領にでもなるといい。

では最後に「夢」という言葉について、のっちの言葉を一部引用
のっち 「きっと私の夢って歌手になるってところでもう終わってるんですよね」

「歌手になること以上の夢って、もう自分にはないのかもって。なることが夢だったから、きっと自分の中では夢じゃなくて目標って言葉で、武道館やドーム、ワールドツアーってものを見ていたような気がします」

「夢ってもう、わりと自分より年下の人に向けて思う印象が強いな。夢を追いかけてる人のためにあるような言葉。たぶん私はもう、夢の中にいるから。14歳で夢を叶えて、そこからずっと夢が続いているから。だからもっと若い人に何か持ってほしいし、夢は叶うよ、って教えてあげたい。そしてそれを引き渡したい(笑)」
ちょっと泣きそうになった。夢も希望もないオレはどうすればいいのか……。

ちなみにのっちの目標は
「これはメンバーみんなずっと言ってますけど、アメリカでライヴをしたいなって夢はずっと持ってますよね。そろそろ実現出来るんじゃないかなって思うんですけど、でも、何かそうやってどこでやるってことがゴールじゃないなって、そう思うようになりましたね。世界に国って1000くらいあるしなー(笑)」
のっちは世界に国は1000くらいあると思っていたらしい。

PS.  というわけで11月、ついにPerfumeはUSA初上陸。現地の度肝を抜いてきてほしい。

2014年8月14日木曜日

打ちのめされたのっち

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Perfumeのライブ会場に外国人の姿が目立ち始めたのは2009年「⊿」ツアーからだった。2010年にマカオでの音楽賞授賞式、2011年の「カーズ2」ワールドプレミア、2012年のユニバーサル移籍、アジア・ツアー、2013年ヨーロッパ・ツアー……。確かに世界でPerfumeを聴いている人がいることは確認できたのだが、何か目に見えるような成果はあったのか?

昨年の東京ドーム公演でのっちが「打ちのめされた1年だった」と発言したとき、ざわざわした感じになった。何があった?どうやら海外でつらい経験をしてきたんじゃないかと……。

日経エンタテインメント2012年9月号は「COOL JAPAN」を特集、「Perfume いよいよ舞台はアジアへ 」というPerfume特集記事を掲載した。2011年10月の韓国での音楽フェス出演の話題になった箇所を少し引用する

あ~ちゃん 少女時代さんはアジアですごい人気なのに、私たちを見かけて挨拶してくれたんです。それで、中国の出演者さんたちに「あの、少女時代とめっちゃ絡んでるの、誰?」って感じになって(笑)。

 のっち 韓国でのイベントは、いろいろとハプニングがあって、ある意味でカルチャーショックだったんですよ。

 あ~ちゃん こんな話をしちゃっていいのか分からないけど、例えば、リハーサル中にセットが燃え出したことがあったんです。私たちはすごく驚いたんですけど、向こうのスタッフや出演者の方は、いつものことって感じで、平然としてるんですよ。

 のっち 私たちは普段、日本のスタッフさんたちに大切にされているんだなあって思いました。あと、客席の雰囲気も日本とはずいぶん違っていたよね。

 あ~ちゃん 日本での公開収録だと、お客さんは自分がファンじゃないアーティストが歌っていても手拍子するけど、韓国はもうパキッと別れてて。ファンじゃない出演者のときは「〇〇、まだー?」って感じでトッポギを食べてる(笑)。でも逆に言えば、それって〝ガチ〟っていうことなですよね。そういう場所が私たちは大好きで、絶対竜巻!起こしたい!って気持ちになるんです。
今になってこの記事を読むと、韓国のお国柄に3人はかなり戸惑っていたらしいことがわかる。リハ中にセットが燃え出す話は今年起こった重大事故の後になってみれば、根底にあるものが容易なことでないことを思わないわけにはいかない。テレビで見る華々しいイメージによって、韓国という国に過度の期待を初めから抱いている人がまだ多い。

韓国ですらショックだった3人が、ヨーロッパでさらにショックを受けた可能性もある。日本のスタッフはなんでもキメ細かく仕事しすぎな面もあるけど、海外のドライさも異常に感じることがある。やっといい感じになってきたのに、またこんな?っていう仕打ちを経験したのか‥。

PS. まだツアーのチケを手に入れていない。一般発売はつながった時には「予定枚数終了」……。行くとなると残された手段はひとつなわけだが、今回は行かなくてもいいかと思いはじめている。

2014年8月13日水曜日

MINOLTA AF-S QUARTZ DATE で撮る

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初めてミノルタのカメラを手に入れた。1984年製オートフォーカス押すだけコンパクトカメラMIMOLTA AF-S QUARTZ DATE
324円でジャンク箱の中から拾った。まだ生きている電池が入ったままだったので、シャッターが切れることを確認できた。
単三電池が使えるってお金がかからなくていい。この時代のオートフォーカス機はなぜか板のようなカバーがついている。これ、意味不明でいらない。黄色い糸で繋いであるのを撮影のたびに取り外す。
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カメラの上部とフィルム蓋の両方にフィルムカウンターがついているのだが、デート機能は使わないので電池を交換しない。よってカウンター機能がどうなのかは確認していない。

フラッシュは左上のスイッチをオンにして使用するのだが、自分の個体は使えるようになるまで1分以上かかる。古いカメラなので仕方が無い。レンズ左上のオレンジ色のスイッチは何だ?押してみても何も起こらないが、後でシャッターを切ってみてセルフタイマーだと判明した。

シャッター半押しで緑のランプが光る。焦点が合ったという意味か?ピーっという電子音がする。赤いランプが光るとフラッシュを使えという警告か?ファインダーもキレイだし、操作感に何も不満がない。今でも充分使えるカメラだと思う。

写真が撮れていると実感できるシャッター音がする。巻き上げモーターはたよりない感じの弱弱しい低い音をだす。モルトは貼り替えなくてよさそうだ。では試写の結果は以下のとおり。24枚撮り業務用フジISO100
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ピントをはずしたカットは1枚もなかった。発色は地味だがなかなか使える一台だ。

2014年8月12日火曜日

2007

今年はロッキンへ行かなかった。お盆なのでダイジェスト放送を早送りでところどころ見た。今年もまたずいぶんとアイドルが出演している。これも新しい時代の流れか。

HDDの中に2007年のダイジェスト(初日GLASSだけ欠落)を見つけたので、ついでにところどころ見返した。まる1日かかった。
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7年前のロッキンだが、感覚的にもっと前のような気もする。MUSIC ON TV で放送されていた時代。

過去10年名場面的な番組をやってくれないかなあ。見たい映像がいっぱいある。

やっぱり今年も行くべきだったかなと後悔。

2014年8月11日月曜日

中田永一 「くちびるに歌を」(2011)


長崎・五島列島の「比較的大きな島」を舞台に、産休に入った顧問の代わりにやって来た美人音楽教師と中学生たちが、「手紙 拝啓 十五の君へ」でNHK音楽コンクールに挑む本。

これは読みたかったというよりも、108円でそこにあったのと、中田永一なら面白そうだという期待で手に取った。オビには「あだち充氏絶賛」とか「本屋大賞ノミネート!」とか、各書店員推薦のコトバが並ぶ。

あっという間に読んだ。自分も中学生のことを思い出したりしたのだが、それほど刺激はうけなかったし面白いというわけでもなかった。

自閉症の兄を持つひ弱な少年、父親失踪の少女など、それぞれ家庭の事情を持った子ども目線で書かれているヒューマンドラマ。注意して読まないと誰が誰だかわからない。

中学生なら楽しく読めるかもしれない。五島の人や諫早文化会館を知っている地元の人なら楽しいかもしれない。補助金で作る地方文化振興の映画の原作には向いていそうだ。

東京からやってきた五島出身元ピアノの神童で自称ニートの美人教師に注目したいのだが、脇役に過ぎない。この人をヒロインにしたほうがオトナが読むには面白くできたかと思うのだが。

15歳の中学生たちが15年後の自分に宛てた手紙が本文中、唐突に挟まれる。ラスト付近の主人公の少年の手紙はけなげで涙を誘うかもしれない。その手紙を好きなあの娘に読まれてしまう!

五島列島出身というと自分は川口春奈しか思い浮かばない。川口の五島での生活をイメージながら読んだ。川口もきっとこの本に登場する中学生のように、フェリーで佐世保へ渡ったりしたんだろうと思う。

それにしてもNHK音楽コンクールに課題曲を書くということはとてつもない仕事だと改めて思った。中学生はその曲を大人になってもずっと忘れないだろう。

PS. 読み終わってからガッキー主演で映画化されるということを知った。ということは、ガッキー美人音楽教師が主役の脚本になるに違いない。この本は読んでいるときから、映画化されるだろうなとは思っていた。

合唱を指導する先生役を演じることで、長く中断している歌手活動に、ガッキーがまた再び情熱を注ぐようになってくれたらいいのになと思う。

2014年8月10日日曜日

It's happy line の謎

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本当にもう今更なことだが、YUIは「feel my soul」でデビューする以前の2004年12月24日に、九州限定インディーズシングル「It's happy line」をリーフレットレコーズというレーベルから限定1000枚リリースしている。これは「I remember you」初回盤などと比べてもケタ違いにレアで、YUIがブレイクしたころからオークションなどに稀に出現を繰り返すマボロシの存在だ。

関東地方に存在している実物があるとすれば、発売当時に通販で手に入れたか、オークションで手に入れたもののどちらかになる。かつて、オークションに出るものはほとんどがコピー品とも言われた。とにかく相当なお宝で自分は一度たりとも実物を目の当たりにしたことはないし、YUIミュージアムでも建たない限り、おそらくこれからも見ることはないだろう。もし実物を見たときに真贋を確かめられるようにしておきたい。CD-Rでないか、紙の印刷はどうか、は最低限確かめたい。
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自分に残されたもうひとつのYUI未解決問題に「It's happy line の歌詞の違いの謎」がある。インディーズ盤リリースに合わせてPVが製作されたのだが、このPVで歌われる歌詞が、後にシングル「Good-bye days」にC/Wとして収録してリリースされた時のものと違っている箇所がある。インディーズ盤の実物を聴いたことはないのだが、このPVで使われているテイクがインディーズ盤と同一だったのではないかと自分は推測している。

この問題は当時から指摘されていたが、最近の高校生、大学生YUIファンは知らないことかもしれないので取り上げてみた。今までこのブログでもこの問題には触れていなかった。YUI側もソニー側も後に、「Good-bye days」盤と収録されているものは同じと発言していたのだが、これは事実ではない。ひょっとすると、幻のインディーズシングルが高騰しているのを憂いての発言だったのかもしれない。そんなものに執着するなと。
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シングル「Good-bye days」、もしくは「MY SHORT STORIES」を取り出して、「It's happy line」の37秒から始まる箇所、およびコーダ部分2分15秒以後に耳を傾けよう。歌詞カード、YUI-net Lyricsにもこう書いてある。
足りない昨日におぼれ
夢に書いた今日 そろわなくても yeah yeah
と歌っている箇所に注目。

次に、アルバム「HOLIDAYS IN THE SUN」初回盤特典DVDを持っている人は「It's happy line」を再生してみよう。なんとPVテイクでは「そろわなくても」の箇所が「そろえなくても」と歌われている。何度聴いてもそう聴こえる。

つまり、2004年12月インディーズ盤テイクで「そろえなくても」と歌っていた箇所を、「Good-bye days」収録テイクで「そろわなくても」と歌詞を変えたことになる。
Yui_itshappyline_1
次に2005年8月22日お台場特設会場での「僕らの音楽♪LIVE」
を聴いてみる。この段階では「そろえなくても」だった。そう字幕も出ている。

だが、映画「タイヨウのうた」(2005年9月17日鎌倉駅前で撮影)での「It's happy line」の段階で「そろわなくても」に変えている。

だがしかし、2006年2月に北海道ローカル番組に出演して「It's happy line」を歌ったとき、および札幌クラップスホール夢チカライブでは再び「そろえなくても」と歌っている。2006年4月の渋谷AXの映像でも「そろえなくても」、2007年11月19日武道館でも「そろえなくても」だ。2011年5月に香港でファンの前で弾き語りしたときも「そろえなくても」、同年9月の上海でも「そろえなくても」……。

つまり、公式に出ているCDと「タイヨウのうた」では「そろわなくても」だが、ライブでYUIが「It's happy line」歌うときは、かなりの高確率で「そろえなくても」と歌っている。
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結局YUIはこのことについて何も語らなかった。「そろえなくても」のほうが実際はしっくりきているだけなのかもしれない。カラオケで「It's happy line」を歌うとき、画面に歌詞が「そろわなくても」と出ていても、あえて「そろえな~くてもぉ~イェイイェ~♪」と歌うほうがYUIオタ道的にツウなのかもしれない。