2014年8月28日木曜日

川本真琴15年史~オトナファミ2011年10月号

YUIの10年前に川本真琴という天才がいた。自分はこの人を10年早かったギタ女と呼んでいる。
最近の高校生大学生は知らないのかな?と思っていたのだが、意外によく知られている。今年の夏に「僕らの音楽」に出演したのだが、実に13年ぶりのテレビ出演だった。

自分がこの人を初めて実際に見たのが2010年9月の「神聖かまってちゃん」との渋谷AXでの対バン。2ndアルバムから実に9年ぶりとなった3rd「音楽の世界へようこそ」が出た年だった。

そして昨年の北海道岩見沢・JOIN ALIVE で夏フェス初登場。このときが自分にとっての2回目川本。これから夏フェスの常連になっていくのかな?とも思ったのだが、そうはなっていない……。

オトナファミ2011年10月号「川本真琴 デビューからの15年をなにげに振り返る」という3ページの特集記事を見つけた。DVD付き2枚組みシングル「フェアリー・チューンズ」をリリースしたころ。ぜんぜん気づいていなかった。じっくり読むために家に連れ帰った。

この人の歴史を知ることは、個人的に、YUIのデビューとこれからの10年を考える上でとても参考になると考えている。以下、川本の言葉を少し引用する。自分はどこを読んでも常にYUIのことを想いながら読んでいた…
友達とイベントに参加するノリでオーディション受けたら東京に行けることになった!やった!って浮かれてた。でも東京に来たら、すっごい大変だった。遊びに行くどころか、もうデビューまで時間がないからって、部屋に閉じこもってずっと寝ないで曲を作ったり、練習したりしてました。

最初のほうは、プロデューサーやディレクター、岡村(靖幸)さんといったスタッフの方々が集まって、会社の会議みたいな感じで曲についてのアイデアを出し合っていました。私といえば、その中でポカーンとしている感じで(笑)。ある程度プランが決まると「じゃあ曲を作ってきてね」ということになるんですが、コンセプト通りの曲なんて、そう簡単には作れないんですよ。で、「無理です」って。でも締め切りはやってくる(笑)。いつも時間に追われてましたね。
川本のデビューは1996年、22歳のとき。ソニーSDオーディションで福井から上京。

一方YUIの場合はデビューは2005年、SDオーディションで福岡から2004年9月、17歳のときに上京。部屋とスタジオを往復しAメロBメロとひたすら楽曲製作の日々……、というのを自分は後に少しずつ資料をあさって知っていった。川本のケースを知ることは、YUIの場合がどうだったのか?をイメージするのに役立つ…かもしれない。
むしろ詞のほうが会議色は強かったですよ。曲と違って、歌詞なら誰でも参加できるじゃないですか。宣伝担当の方まで巻き込む勢いで、良いテーマを思いついたら次々に書き出していって、「じゃあ、このへんのイメージで書いてきてね」って。同じパターン。それでも初期の頃は、自分のペースに近い自然な詞が書けたんですが、だんだんその〝詰めこみ〟がエスカレートしていっちゃって、大変なことに(笑)。
ちなみに、川本がそんな時期でも「自分らしさが出ている」という曲は、岡村靖幸プロデュースのデビューシングル「愛の才能」のカップリング曲「早退」と、1stアルバム「川本真琴」の「タイムマシーン」。そして、1997年3月、川本真琴最大のヒット曲「1/2」が発表された!
あの曲を、最初自分で作ったときはもっとロックで渋い感じの曲だったんですよ。でも、サビ以外に目立つ部分を作ろうとかポップに広げて、もう1個何かつけ足そう……とかやっていくうちに、あのアレンジになったんですね。詞はひとつひとつのフレーズを吟味しながら細かく作ってきました。これも入れたい要素をプラスしていくとどんどん膨らんでいっちゃって、そうなるとよりポップに寄っていくという。
「1/2」は「るろうに剣心」に使われたために、最近でも再放送を見た若い子から「好きです」と声をかけられるそうだ。
今でも歌うし、すごくうれしいけど、今の私が「1/2」みたいな曲を作るのは、やっぱりちょっと違うのかなって気がする。やっぱりあの時、あの時代にああいう形で、みんなとシンクロできたことで意味が生まれたのかな、と思いますね。

1stのときは、自分より15歳ぐらい年上の大人たちに見守られながら製作していましたが、2ndでは周囲のスタッフが同年代になったんです。それに、ヒット曲が出たおかげで、ある程度自由にやらせてもらえるようになった。その分、試行錯誤した感じ。アルバム全体を見ると、なんか急に子供っぽくなったなと感じる面もありますが、改めて聴き直すと「FRAGILE」とかは、なんだかやたら力が入ってるなと思います。アメリカのエンジニアさんに音響をやってもらって、音の広がりもすごい。
自分は昨年のJOINで「1/2」を聴けた時、泣いた。1st「川本真琴」は名盤と呼んでいい。だが、自分は2ndは「桜」は好きなのだが、あとはどうも…。すまん。

ここまでがデビューからブレイク、人気絶頂までの川本史。2nd発表後はレコード会社も事務所も離れて……、実に9年間のブランク!
2ndの後にレコード会社を辞めて、そこで一度リセットというか。本当に一人で再出発したんです。そうなると、スタッフやミュージシャンの方に参加のお願いをするのも基本的に自分で歩き回る感じで。歌手に憧れる18歳の子のような手探り状態になった。ミュージシャン友達にサポートを頼みながら、良い作品が作れる良い方法を自分のペースで模索していた感じです。だから少し時間がかかっちゃったんですね。

メジャーレーベルに守られてバブリーだった頃は、なんかステーキばかり食べてるみたいな、そんな毎日でした。その反動もあって、独立後は都内で6畳一間のアパートを借りて製作していた時期もあります。「曲や詞作りにはハングリー精神が大切なんだ」って。当時はまだ20代で、無茶するガッツがあったなぁ(笑)。
ここ読むと、もう完全に2012年の秋以降のYUIを連想せずにいられない。気の合うミュージシャン仲間と一緒にライブハウスに飛び入り参加して、厳しい寒さの街角に立ってビラ配ったりして、人脈を広げていって……、やがてフラフラというバンドに辿り着いて……。

自分はYUIとFLOWER FLOWER の今後を楽観視していない。まだ映画主題歌を配信した以外に何も成し遂げていないと思っている。YUIのこれからの10年が大いに不安。アルバム制作に相当な間隔が必要になっていくかと。ただ、YUIの場合はソニーともスターダストとも手は切っていない。川本もYUIも業界内にファンが多いことが希望の持てるひとつの理由。
PS. このインタビュー後半では「音楽の世界へようこそ」「フェアリー・チューンズ」の製作のことも話している。

だが、一番驚いたことは…、川本真琴の母親・川本ユキが2010年にキングレコードから演歌歌手デビューしていたことだ。ええぇぇ……。なんでもミュージックスクールを経営しているらしい。「ピアノ弾き語りが上手くなった」と娘を誉める。ちなみに母が一番好きな娘の曲は「アイラブユー」とのこと。

PS. 川本真琴は2012年2013年とワンマンツアーをしている。今年も12月5日に渋谷CLUB QUATTROでワンマンライブがある。一般発売は8月30日から。

3 件のコメント:

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    川本真琴ですか、手付かずでした。
    さっそく聞いてみます。
    感じたことがあったらまたコメします。

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    川本真琴。自分はビデオもCDも全部持っているんんだから、そうとう好きだったんでしょうね。
    ��UI様ほどではないけど、音楽雑誌は買ったりした記憶がありますす。
    初期はともかく大半の歌は歌詞が聞き取れず、「不思議ちゃん」扱いも空回りして、自滅したという印象です。
    好きなのはインタビューにも出ていた「FRAGILE」。
    とても長い素晴らしい曲でYOUTUBEでも当時のLIVEが観れます。

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    やきそばパンを初めて聴いた時は衝撃でした。もっと人気絶頂だった時代の音楽番組の映像とか見てみたいけど、YOUTUBEにあんまりないな。え、自滅…?この人は急にぱったりテレビに出なくなってそのまま忘れていた。事務所もレコード会社も辞めてたって知ったのはずっと後。「FRAGILE」あんまり聴いてない。これから聴いていこうと思う。

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