2014年8月17日日曜日

大野達三 「アメリカから来たスパイたち」(1976)

Ohnotashuzo_spyfromamerica
大野達三(1922-2002)による「アメリカから来たスパイたち」(祥伝社文庫 2008)がそこにあったので読んでみた。「下山事件」に関心があると一度は目にする基本書の1冊。読みやすくて入手が簡単なCIA研究の入門的1冊。108円で手に入れた。

上野・池之端に岩崎邸という瀟洒な洋館(重要文化財)がある。自分は過去何回も写真を撮りにいったりしているのだが、実は恐ろしい場所だ。かつてそこには「キャノン機関」という秘密諜報機関があった。
岩崎邸や武蔵小杉駅近くにあった「東川クラブ」(東京銀行川崎クラブ)でも誘拐拉致、監禁と脅迫、拷問が連日行われていた……。

そのことを自分は松本清張「日本の黒い霧」を読むまでまったく知らなかった。戦後日本各地で起こった奇妙な事件を裏で手を引いていたのはアメリカの諜報機関だった。

「日本の黒い霧」はとても面白くて、多くの日本人に影響を与えたし、自分にも多くのことを教えてくれた1冊だったのだが、その中に「鹿地亘事件」というものがある。重慶で反戦活動をしていたプロレタリア作家が藤沢市鵠沼から失踪した事件。

「アメリカから来たスパイたち」では山田善二郎というコックが監禁場所で自殺を図った鹿地を発見保護するところから語り始める。スパイ小説のように。

清張の「日本の黒い霧」を読んで、戦後GHQ内部でGS(民生局)とG2(参謀部第二部)の間の熾烈な勢力争いがあったことを知った。これが相当に醜くて汚い。「戦後日本が民主国家として生まれ変わった」と子供の頃から教科書で学んだことは実は嘘だった。労働者を弾圧し、行過ぎた民主化を抑制し、出版放送の自由を奪った。
G2・CIC・CIS(ウィロビー)とGS(ホイットニー、ケーディス)との利権をめぐる争いが後の日本の姿を決めてしまった。特に警察組織。日本の旧権力層にとって治安維持法廃止は衝撃だった。警察は必死に取り入る。

後にCIAという新興組織がやってくる。アメリカ帝国主義と独占資本の利益を守るため、世界中で破壊活動、クーデター、要人暗殺テロ、反共プロパガンダなどの謀略・秘密工作を繰り広げる。筆者は日本共産党中央委員会法規対策副部長を歴任した人物。アメリカへの呪詛の言葉が並ぶ怒りの告発。

戦後に旧軍人、情報・特務将校、右翼といった人々はみんなアメリカのスパイ組織に取り入って寝返る。進駐軍が来た初めはびびっていたものの、「あれ、G2やCICって自分たちの味方じゃね?」って。反ソ反共で利害が一致。両者は密接に協力しあう。居場所を見つけたようにいきいきと働き出す。
積極的に協力する日本人といっしょになってアメリカのスパイたちは「鹿地事件」「ラストボロフ事件」という拉致事件を、そして「下山事件」「松川事件」「三鷹事件」では労働団体と共産党の仕業にでっちあげ。石井四郎部隊に操作が及びそうになると「帝銀事件」も捜査中止。もみ消しと隠蔽工作。

警察、検察、裁判所、ジャーナリズム、すべてグル。占領下で協力も止むを得なかったというかもしれないが、鹿地事件はサンフランシスコ条約で独立後のこと。解放後も脅迫は続いた。
同胞の命よりもアメリカのスパイ組織のご機嫌伺いが大事。今現在においてもこの国は対米追従する。問題は根深い。

筆者は「下山事件」と「ケネディ暗殺」は手口が似ていると、ページを割いて指摘。巻末に補遺「ロッキード・児玉誉士夫とCIA」、「CIA要人リスト」も掲載。

巻末解説を書いた春名幹男によれば、「キャノン機関」を率いた人物は実は他にいて、リチャード・ギターマンという人物で、オフレコを条件に会って取材したそうだ。鹿地亘は肺結核で、当時高価だったストレプトマイシンでの治療を条件に二重スパイにさせる計画だったそうだ。

戦後の歴史の闇が今後も明らかになっていくかどうか注目していきたい。「ロッキード事件」は自分はまだ手付かずのジャンル。

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