2019年11月9日土曜日

司馬遼太郎 街道をゆく11「肥前の諸街道」(1979)

司馬遼太郎 街道をゆく11「肥前の諸街道」(1979)を読む。1977年4月から8月まで週刊朝日に連載されたものの1979年初単行本化の1983年朝日文庫版。
自分、数年前に司馬遼太郎「街道をゆく」も読破に挑もうとしたのだが、このペースだと一向に読み終わらないと思う。

司馬先生とその一行は博多湾で蒙古塚を探し歩く。そしてぐるっと海岸を回って長崎までの旅。
元寇とフビライ、松浦党、呼子のイカ、堀秀政、平戸貿易、キリシタン、ウィリアム・アダムズ、さつまいも、イエズス会とトーレス神父、大村純忠と長崎甚左衛門、その土地でたまたま目にしたものから連想して、とめどない話が続くエッセイ。

なので感想をどうこう書くことはできない。ただ、司馬先生のためになる歴史うんちく話。

自分、今まで東京駅のある八重洲がオランダ人ヤン・ヨーステン(耶揚子)の名前に由来することを知らなかったwので驚いた。

幕末に長崎海軍伝習所教官となったカッテンディーケが平戸を訪ねたのに、オランダ商館があった場所を、当時の平戸の人が誰も知らなかった件について
なにしろ、この時代、攘夷鎖国論はあらゆる志士が激しくかかげたところで、しかもかれらは鎖国という歴史的事実は日本古来のものであると信じて疑わなかった。幕末のぎりぎりのところになって、鎖国は、本来徳川家がやったものだという拍子抜けするような「事実」を知るのである。 
物事の事実は、封建時代の人間にとってさほど重要なものではなく、むしろ「こうあるべきだ」という理念のほうが先行する。「事実」が必要になるのは市民社会が成立してからで、日本史においては厳密には太平洋戦争の終了後の社会がそうだといっていい。
ここを読んで、自分は今の韓国のことを連想した。

あと、中世にイエズス会とポルトガル船が錨地とした福田浦を見ようとしたところ、そこに遊園地が出来ていて入園料を払わないと見れない件で理不尽を味わうw
人類は古来から浜に出て貝や枯木をひろって暮らしてきた。そういう暮らし方の歴史が消滅したあとも、浜に出て渚を歩けばたれもが詩情を感ずるし、心が休まるという習性がつづいている。しかしいまは土地に関する私権が癌細胞のように増殖して、浜までの土地を買ってしまえば、社会全体がその浜をうしなうという奇妙な時代になっている。
自分も山や海やロケ地へ行こうとして、これと同じ場面に出くわすことが何度かあった。その風景をみるのは誰にでも許される権利なはずだ。

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