2023年5月1日月曜日

司馬遼太郎「妖怪」(昭和44年)

司馬遼太郎「妖怪」を講談社文庫(1973)で読む。昭和42年から43年にかけて読売新聞に連載されたもの。応仁の乱前夜、室町時代の頽廃期を描いた619ページ大長編。
こいつはBOで110円で売られていたので確保しておいたもの。こんな作品があったことを現物を見るまで知らなかった。

熊野で亡母から室町幕府6代将軍足利義教の落胤と言われて育った源四郎は、母を失うと将軍になろうと決意して京に向かう。途中で腹大夫と出会い行動を共にする。
京では日野家の屋敷へ。当主日野勝光は源四郎の言う足利義教の落胤を信じないのだが、食客として屋敷に置いておく。

8代将軍義政の御台所日野富子も源四郎を品のある顔であると気づくのだが落胤とは考えない。母の氏素性すらもわからないのだから。

あれ?時代小説を読んでたつもりだったのだが、途中から妖怪物の怪と戦う幻想怪奇娯楽小説になっている。将軍御所の実力者今御料人ですら物の怪のように源四郎を惑わす。京の印地(ヤクザ者)となった腹大夫は神も仏も物の怪も信じないのだが、お今の屋敷で唐天子の幻術に惑わされる。

源四郎は日野屋敷を出奔して3年、関東で剣術修行と兵法を学ぶ。唐天子を斬るためにふたたび京に戻ってきたのだが、想うのは日野富子のことばかり。
生活のため盗賊団の首領となったりする。お今の屋敷に足利家の宝刀を盗みに入ったり、富子の関所を一揆で襲撃したり。しかし毎回毎回唐天子の幻術に翻弄。

読んでも読んでもずっと幻術。夢か幻か。ずーっとそんな繰り返し。いい加減に飽きて来たw
今まで読んできたどの司馬遼太郎とも違ってた。思わせぶりに登場した人物がその後はぜんぜん登場しなかったりする。司馬の文体のリズムとテンポと理屈とも違ってた。困惑。

富子は一揆の背後にお今がいると知らされる。お今を除かねばならない。そこで兄勝光は山名宗全を頼る。富子が妊娠したらしい。男児を産んだら後見人に山名を指名する約束。
一方で将軍義政は男児が生まれるのを諦め、出家していた弟義尋を養子に考える。幕府ナンバー2の菅領細川勝元を味方に引き入れる。

細川は将軍より足利家重代の鬼斬りの太刀をお今から取り返すために、お今が唐天子を使って富子のお腹の子が流れる呪詛をした罪で捕える。お今を琵琶湖の沖ノ島へ遠流。
源四郎と腹大夫は細川の家来に。そして京は応仁の戦乱の世へ。

これは司馬遼太郎の妖怪幻戯ファンタジーラノベ?室町時代の頽廃を描くとすれば夢と現実と行き来するようなものにするしかなかったのかも。

歴史のお勉強のつもりで手に取ったのだが、まるで少年ジャンプを好きな箇所から読むような内容だった。
てか、この連載につきあった読者がほんとうにいたのか?こんなのとっくに打ち切りになってもおかしくない。はちゃめちゃだし気まぐれすぎる。とてつもなく長かったのに急に終わって何もしみじみ感慨がない。

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