2022年4月30日土曜日

アガサ・クリスティー「アクナーテン」(1973)

アガサ・クリスティー「アクナーテン」(1973)を中村妙子訳2004年クリスティー文庫版で読む。古代エジプト第十八王朝の王アメンヘテプ四世(アクナーテン)の宗教改革とその妻ネフェルティティのドラマ戯曲。私的クリスティマラソン82冊目。
AKHNATON by Agatha Christie 1973
王の病気を治すためにシリアからイシュタール女神像がアメンに運ばれてくるシーンから始まる。シリア人たちを見た市井の人々の反応「外国人っていやね」。これはそのまま英国の保守層を風刺揶揄?
続いて大神官とその息子軍人ホルエムヘブのふたりが会話でエジプトの国情を説明。「王子の挙動がおかしい」「気がふれているのかもしれない…」

ティイ王妃と王子アクナーテンがシリアからの一行に謁見。その場でホムエルヘブはアクナーテンと初対面。
王子と軍人はまったく話がかみあわないのだが、王子から友人になってくれるよう頼まれる。王子の夢は戦争のない世界。

そして王の死。新王アクナーテンは政治に無関心。アメンの神よりもラー・アテンの神と新首都建設にご執心。そして妻ネフェルティティがすべて。この王妃は5人の子を生むのだがまだ男子を生んでいない。
娘の婚約者にツタンカーテンという少年が出てくる。どうやら後のツタンカーメンらしい。

周辺国との外交問題、そしてアメンの町での一揆。アクナーテンはアテン神以外の神を禁止する急速な宗教改革でさらに敵をつくる。ホルエムヘブが諫めるのも聴かず。国か国王か?アメンの神官たち、ネフェルティティの姉ネゼムート、そしてホムエルヘブの決断。

全3幕とエピローグ。芸術に打ち込み、外交と軍事をないがしろにし、治安を悪化させ、誰も求めていない宗教改革で孤立した狂王の悲劇的末路。

クリスティ女史はこの作品を気に入っていたらしい。シェイクスピアを意識した史実ではない創作エジプト史劇。登場人物たちが現代的で合理的で言う事が平易。中学生でも理解が容易。

2022年4月29日金曜日

齋藤飛鳥、ロンドンを行く

齋藤飛鳥(当時20歳)が出演した2019年3月8日放送の「アナザースカイ」(日テレ)も見る。これも放送当時に1回見たっきり。録画しておいたものがあるので今見返す。今の自分には齋藤飛鳥だけが乃木坂で特別な存在に映ってる。

齋藤飛鳥がオシャレな衣装でロンドンの街を歩く。すでに過去何回か1人でロンドンを訪れているらしい。
「まずは肉を食う」という飛鳥。日本では「ロンドンとか食事が美味しくないんでしょ?」みたいに言われることが多いのだが、飛鳥に言わせれば「いやいやと!!ロンドンは進んでるんですよ」

高そうな店で肉料理をたくさん注文。ラムチョップが好きだと言う飛鳥。いっぱしの食通気取り。山岡さんか!若いうちから良いものばかり食べて舌が肥えてるなんてきっとよくない。
「休みはたまにあるけど、旅行に行けるような長期の休みは年に1回か2回しかない」という。そんな飛鳥が初めて1人で行った海外がロンドン。「どうしても行きたい街」で「住みたいぐらい好きな場所」とかすげえな。ところで英語力は?

最初から1人で行くつもりだったのだが、母が心配するので最初は兄とふたりで行ったらしい。「2人で一緒に行く友だちもいないんで(笑)」「晩御飯は東京でも1人で行く」
今気になるのはインテリア。何か買いたいなということでサクッと即決で40£(約6000円)の人型の置物を購入。

ロンドン最古の書店Hatchardsへ行って店内を見て歩く。前回来た時は「カズオ・イシグロを買いました」
「ハッピーエンドとか恋愛ものは読まない。学ぶことがない」と発言しスタジオMCの2人を失笑させる。
「本当は会話に入りたいけど入れなかったから、手持ち無沙汰になってなんとなく本を開く」
「相手が私と接することによって無駄な時間を過ごしたなと一瞬でも感じてしまったら申し訳ない」
「私だったら会話が面白くない人とは一言も話したくない」という発言にはMC中条も苦笑い。
「昔は普通にやっていたはずなのに、会話ってどうやるんだろう?」に対し今田「本燃やしたら?」とアドバイス。
ウォータールー駅ガード下トンネル「Leaks Street」を歩く。ここはアーティストが日々自由に壁画を描く。毎日更新される。
前はバンクシーの絵がどうしても見てくて来て探したという。飛鳥にとって忘れられない場所だという。
夜のロンドンといったらパブ。前回来た時も行ったけどお酒は飲めなかったという。日本でも飛鳥は子どもに見える。子どもに酒は提供できない。それは当然。

Pub The Lexingtonで飛鳥は人生初ビール。ちびちびと慎重に味わって「うーん、おいしい」それは嘘だろ。

次にリージェント・ストリートにあるミシュラン三ツ星の寿司店「THE ARAKI」へ。前回来たときはカウンターが満席だったので個室だったけど、今回は夢だったカウンターへ。
ロンドンの三ツ星寿司店のカウンターで大将お任せで1対1で握らせるとかどんだけセレブなんだよ。これ見よがしにホタテにキャビアが載ってたり、トロにトリュフを載せた海苔巻きとか、王侯貴族かよ。海原雄山かよ。
これは飛鳥のための普段は出してないスペシャルメニューだったらしい。

「昔の自分や過去は切り捨てて行きたい。昔はあーだったけど今は頑張ってこうなりましたみたいな無理矢理美談はあんまり好きじゃない。なんなら1日前でも嫌。」
「昔言ったことを今引っ張り出されても、それは今の気持ちじゃない」
「アイドルは常に笑っていないといけないイメージ。アイドルらしくしてることは苦手」「おしゃれ旅番組が怖い。出るのが。見る人は別に楽しくない」
「アナザースカイさんは怖い。ちょっと言っただけのことをすごいイイ感じにする」
などの名言を残す。

「目標…、明確に何かやりたいというというのはなくて…、何でもいいやって思ってる」
飛鳥が何かを言うたびに、中条がずっと困ったような笑いを浮かべていたのが印象的。
「このお仕事をしてると自信持ちなよって言われることが多いけど、(ARAKIの大将から)自信なくたっていいと新鮮な意見をいただいた」
ARAKIの奥さんが日本からトップアイドルが来たというので、わりと新鮮なリアクションをしていた。

わりと飛鳥の性格や人となりが視聴者に伝わった回だったように思えた。
この感じだと飛鳥も敬愛する白石麻衣のようにノースキャンダルで乃木坂アイドル道を完走しそう。できることなら男にまったく関心ないキャラでいてほしい。

2022年4月28日木曜日

岩波新書1464「イギリス史10講」(2013)

岩波新書1464「イギリス史10講」(2013)近藤和彦 を読む。世界史を学びなおすために岩波赤版をどんどん読み進める。

これはイギリス通史なので、教科書的で読んでいてとくに面白いエピソードなどない。大学生が読むべき固く難しい本だった。なので特に感想を述べる必要を感じない。

プランタジネット朝のイングランド国王たちのことなどほぼすっかり記憶から抜け落ちていた。今回この本を読んで歴史の流れを押さえることができた…気がする。でも、数回読み返さないと覚えきれない。

ハノーファーからやってきたジョージ1世の子ら孫、兄弟は不出来な人が多い印象。もしもヴィクトリアが女王にならなかったら?今の英国は君主制国家でなかったかもしれない。

英国において大戦といったら第一次大戦のほうだったとは知らなかった。第一次大戦開戦時は英国は志願制だったため、名門の高学歴子弟が戦士するケースが多かった。第二次大戦の英国軍人兵士の戦死者が38万なのに対し、第一次大戦は89万人。(フランスは140万)

2022年4月27日水曜日

八十日間世界一周(1956)

映画「八十日間世界一周」(1956)を初めて見た。BSでやってたので録画しておいたものを見た。まだヴェルヌの原作は読んだことがない。監督はマイケル・アンダーソン。
テーマ曲がすごく有名。当時この映画を見たすべての人は世界旅行に憧れたはず。

主人公のフォッグ氏(デヴィッド・ニーヴン)は変わり者独身中年英国紳士。有閑階級の社交クラブ(改革クラブ)で「80日で世界一周できるか?」という賭けにチャレンジ。

この映画が大英帝国植民地紀行。ヴィクトリア朝時代の英国と世界を実写映像で描いていて大変に興味深い。この映画が作られた当時はまだまだヴィクトリア朝時代生まれの人々が生存してたし、親がヴィクトリア朝時代人という人が大勢。馴染みがあって懐かしい風景だったに違いない。
フォッグ氏の世界一周旅行が成功するか否かで賭けの対象。ブックメーカーの風景も興味深い。登場する英国紳士たちがみんなモーニング姿にシルクハット。
ところどころで「ルール・ブリタニア」が流れる。おそらく、韓国人はこの映画を見ると「植民地支配を美化してる」と頭に血が上って見れないに違いない。

今回見て驚いたのだが、映画のほとんどが話の本筋と関係ない。お調子者で女好きで元軽業師の従僕パスパルトゥ(マリオ・モレノ、カンティンフラスとして有名だったコメディアン)が巻き起こす騒動とドタバタパントマイムがむしろメイン。原作ってそんななの?
あと、倶楽部メンバーたちがわりとみんな高齢な印象。昔の作品は登場人物たちがわりと中高年。

フランスから熱気球で移動するのだが、アルプスをこえる時優雅にサンドイッチ食べてる場合じゃないと思う。寒さで震えてるはず。それに風まかせなので、むしろ時間制限のある旅行の乗り物には向いていないのでは?

スペインでの闘牛シーンもまるで19世紀にタイムスリップしたかのようでとても楽しい。
撮影当時のスエズは動乱期。なのでほぼスタジオ撮影。だがそれでも当時の記録映像を見ているような気分になる。よく描けてる。
インドではなぜかお姫様を救出。このアウダ姫が見た目がぜんぜんインド人じゃない。「ハリーの災難」に出てたシャーリー・マクレーンだ。
フォッグ氏には銀行強盗容疑がかけられ刑事が付きまとう。だいたい以上の4人が旅の仲間。

そしてロンドンで日々入電される電信でフォッグ氏の動向を見守る人々。
どうして今現在の政治家たちはこんな服装と髭をやめてしまったのか?威厳を保つために最適。
(小室圭さんもカイザー髭にモーニングにシルクハット、懐中時計とステッキというスタイルならマスコミにもナメられなかっただろうに。)
インドの鉄道シーンでは象さんが並走。たのしい。大河の鉄橋を鉄道が渡る。このシーンの鉄橋はまだあるんだろうか。
ラングーンから香港、横浜へ。これもほとんどがパスパルトゥの騒動パントマイム。この映画は言葉がわからなくても見ていて楽しい。
ハリウッド映画に出てくる日本は珍妙なものが少なくないのだが、この明治初年ごろの日本風景はわりとまとも。

サンフランシスコの酒場シーンにはマレーネ・ディートリヒさんも出演。さらに酒場ピアニスト役でフランク・シナトラがワンシーン出演。そんなカメオ出演者だらけで成り立ってる娯楽映画。真剣に見るような映画じゃない。
西部を鉄道で横断。自分、インディアン(ネイティブアメリカン)が「アワアワ」と奇声を発しながら蒸気機関車を襲撃してくる映画を初めて見た。弓矢を放ち石斧で列車に乗り込んでくるインディアンを拳銃で撃ち殺していく映画を初めて見た。
(そういえば今のアメリカ人はもうインディアンごっこをしないような気がする。クリーブランドの野球チームも名前を変えるらしい。)

ここでもパスパルトゥが汽車、駅馬車、馬、騎兵隊の追いつ追われつのアクション。パスパルトゥがインディアン(スー族)に捕られらえ救出に向かってる間に蒸気機関車はオマハ(ネブラスカ)へと出発。追いつく方法がさすがヴェルヌらしい。たぶんスピルバーグ監督はこういう映画を見て育ったんだろうと感じた。

ニューヨークからの船は当時は数日に1便。大富豪のフォッグ氏は船を買い取る。
石炭がなくなると船内の木材を全て燃やして追いつく。このシーンで「未来少年コナン」のバラクーダ号シーンも思い出した。だが、女神像やマストも燃やしてしまうのはバカ。
そして英国上陸。鉄道に乗り込もうというその時に銀行強盗容疑でフォッグ氏は逮捕されてしまう。もう制限時間に間に合わない?!
結論から言ってこれはとても楽しい映画。まるで内容がないのだが、ラスト10分を見ると、この映画もSF映画と言っていいのでは?と感じた。当時の人々が思いもしなかった科学的知見で80日以内に旅行が収まってしまった!

あと、アメリカ人が大英帝国の紳士を見て笑おうという意図も感じた。英国紳士ユーモアに未開で野蛮な米国人たちが太刀打ちできていない。英国紳士は常に冷静沈着でクール。大英帝国の威厳を保つふるまい。
ラストの「女人禁制のクラブに女が!」というシーンでの姫へのフォッグ氏の説明もたぶん英国紳士あるあるジョーク?よく意味がわからなかった。

2022年4月26日火曜日

アーヤと魔女(2021)

スタジオジブリ制作のアニメーション映画「アーヤと魔女」(2021)が昨年末にNHKで放送されたので録画しておいたものを今になってやっと見た。

原作はダイアナ・ウィン・ジョーンズによるファンタジー小説。企画は鈴木敏夫宮崎駿で監督は宮崎吾朗の親子共同作品。脚本は丹羽圭子。スタジオジブリ初の3DCGアニメーション作品。これもコロナによって公開が遅れた映画。音楽武部聡志。

いきなりあおり運転シーンから始まるとか嫌だ。英国の孤児院(たぶん教会修道院)に赤ん坊が持ち込まれる。こどもを棄てる女がなんでそんなポジティブなんだよ。

10歳になった孤児アーヤ・ツールは同じような子どもたちと仲良く孤児院生活をおもいっきりエンジョイ。夜中に子どもたちがシーツかぶってお化けごっこしてるのを見てビビるお爺さんとかいないと思う。
この子が大人が子どもに求めるものを知り尽くしてる。園長先生に気に入られる振舞を知っている。

そしてアーヤにもその日がやってくる。魔女ベラ・ヤーガ(女優帽、牛のような体型)とマンドレーク(やせ型、ループタイ)がやってくる。あきらかに人相が悪い。シャーロック・ホームズに出てくる悪党たちのような風貌。
こんな夫婦に引き取られることは誰だって拒否したい。明らかに児童虐待インシデント予備軍。孤児院側がしっかり審査しろよ。断れよ。アーヤ「よーし、負けるもんか」

英国の田舎町らしい品の良い庭付き一軒家に連れていかれる。ドブネズミの骨を砕いて粉にすることを命じられる。怒鳴られこき使われる。ベラは近所の婦人たちから魔法や呪文を注文で受けている?!

アーヤは家の中を探検。扉がなくなったりして出られなくなったりする。そんなデカい家だったのか。
アーヤの眉毛が細く釣りあがってる。どんどん人相が悪くなる。三白眼四白眼喜怒哀楽表情が良い。日本人の子どもはしない表情だけど。

90年代英国では田舎町にもラジカセがあったのか。たぶん今の子どもたちはカセットテープの使い方がわからない。巻き戻しとか意味がわからないに違いない。

子どもがこき使われるだけで全然爽快なシーンがやってこない。見ていてイライラする。
だが、黒猫トーマスが喋れることが判明。いっしょに魔法呪文薬品あんちょこを見て反撃計画開始から楽しくなってきた。ベラを呪う人形を作って泡吹かせる。青いミミズが毒蛇みたいで怖すぎる。

日本の子どもが見るアニメにしては英国文化がリアル。日本人がつくったアニメと思えない。子どもと大人の関係が日本とまるで違う。そのことをわかってないとマンドレークおじさんの態度が違和感しかない。

この映画を見た誰しもが「え、終わり?!」と言う。原作が未完の遺作なので致し方ない。自分としてはむしろこれで良い。勝手な改変が許されるはずもない。「こんなクオリティでジブリ作品を名乗って公開するな」とか言ってる人は、文豪たちの書く短編とか読んだことないのだろうか。え、終わり?!という作品はこの世にいくらでもある。

令和のアリス・イン・ワンダーランド。公開時から酷評も聞いていたのだが、自分としては期待以上に楽しく見ることができた。新しいものを見ることができた。
魔女の家に連れていかれた少女アーヤの恐怖体験。いや、べつにアーヤは怖がってない。英国の田舎が豊かな暮らし。

児童が監禁されこき使われているわけだが、見ていてそれほど悲壮感がない。むしろ狭い部屋に住み、満員電車に詰め込まれ、お互いの足を引っ張り合うギスギスした職場に通わなければならない日本の若者のほうがよほど虐待されているし不幸。

この少女は吾朗そのもの。大学で森林工学を学び一度はコンサルタント業についたものの、天才とも称される偏屈な父に、中年になってから弟子入り。だが、その匠の技を何も教えてくれない…という状況とオーバーラップ。

ラストが唐突。赤毛女とアーヤはあの家で偶然再会?!カスタード少年を交えてパーティー?

自分、この映画が人生でほぼ初めて見た3DCGアニメだった。今後の世代のこどもたちはこんなアニメを見ていくのか。
3Dモデリング担当スタッフがほぼ全員外注中国人だったことは気になる。これからの日本アニメはそれで大丈夫か?

2022年4月25日月曜日

FLOWER FLOWER 対バン出演をキャンセル

本来であれば昨日4月24日はSHISHAMO 初の対バンツアー「SHISHAMO NO OMANEKI TOUR!!! 〜開国2022〜」のためにZepp Haneda(TOKYO)に行ってたはずだった。FLOWER FLOWERが対バンとして出演するから。そのつもりで今日この日はライブレポにするために開けておいた。

自分はもうほぼライブを引退したつもりだったのだが、今回のSHISHAMO対バンツアーは友人が1発めの抽選でアッサリ当ててくれたので行くつもりでいた。
まだまだライブハウスは心配だけど、静かに2階席で見るなら大丈夫だろうと。気を引き締めて行けばなんとかなるだろうと。

だが、YUIの体調不良によってFLOWER FLOWERの出演自体がキャンセル。時期的に隔離と療養?って思ったけど、その発表はない。する必要もない。致し方ない。今は誰もが無理しなくていい。

ただ、今回はしっかり決意して行く予定だっただけに何ともいえない気持ちになった。対バン記念グッズも作られただけに残念。その気持ちだけここに記録する。
今後もまだまだ音楽興行イベントはこんな体制でいくしかない。てかウクライナの人々の事を想うとまだ音楽イベントという娯楽があるだけマシと思わないといけない。

昔なら行きたいライブに行けないとかめちゃくちゃ悔しいし焦ったしだったけど、もうそんな心理は卒業した。行けなくても別になんとも思わない。行きたい人が他にいるなら自分の代わりに行けばよい。家でライブの様子をSNSかなんかで知ればよいという境地に達した。

実は自分は2018年12月以来、ライブハウスでのライブにまったく行ってない。以前はちょっと気になるバンドがあれば職場から直行してた。人は変わる。
なんか、もうTシャツ1枚の姿で大学生の男の子女の子たちの中に自分が混ざって、春の夜風に吹かれて屋外に並ぶとかできないなと感じるようになってしまった。
(まだ大御所バンドが出演する夏フェス的な屋外イベントなら行けるかもだが)

FLOWER FLOWERの応援は今後も続けたいのだが、バンドがどうなっていくのか心配。バンドとして思うような活動ができていないので、まふまふやさっちゃんの気持ちが離れていかないか心配。

ひょっとすると自分の気持ちの変化はコロナによる気分の落ち込みと閉塞感と先の見通せなさが原因かもしれない。
自分はいいけど、高校生大学生が想い出というものをつくれずに若さを浪費していく現状を想うとやるせない。

2022年4月24日日曜日

レイダース/失われたアーク《聖櫃》(1981)

レイダース/失われたアーク《聖櫃》(1981)を初めて見る。テレ東で放送されたものを録画しておいたもので。きっとたぶんカットがある。
監督はスティーヴン・スピルバーグ。「インディ・ジョーンズ」第1作。フランク・マーシャルの制作。ルーカスフィルムの制作。音楽はジョン・ウィリアムズ

この第1作をずっと未視聴だったために「クリスタルスカルの王国」に登場したマリオン・レイヴンウッド(カレン・アレン)との過去エピソードがよくわからなかった。「失われたアーク」を見て、蛇シーンのこととかやっとわかった。

ジョーンズ博士(ハリソン・フォード)は南アメリカ(たぶんアマゾン)奥地でまず黄金の像を捜索中。やっぱり品のなさそうな仲間と一緒だが裏切られる。裏切って自分だけ黄金を奪って逃げようとしたやつは恐怖の仕掛けで惨死するか原住民の毒矢で殺される。
ライバル考古学者ベロックが黄金の像を奪っていく。序盤のジャブ的エピソード。この構造は毎回同じ。第1作から同じ。

巨大な石の球に追いかけられるシーンがたぶん後の「風雲たけし城」?
今作はエジプトが舞台。「十戒」が収められた聖櫃の埋められた場所はどこか?ナチスのエージェントの追撃をかわしてジョーンズ博士は真のありかを掘り出す。マリオン(ネパール在住の酒豪)が父から受け継いで持っていたメダルを正しく解釈して正しい場所にたどり着く。
ここで大量の蛇シーン。ジョーンズ博士は蛇が大の苦手。あんな松明では心もとない。

黄金の聖櫃を運び出そうとするのだが、ナチスにバレる。恋人マリオンとライバル考古学者ともども地下室に埋められる。
脱出して飛行機をめぐってバトルがあってカーチェイスがあって潜水艦が出てきてってゆういつもの展開。007のような展開。人の命が軽い。いっぱい死ぬ。ドイツ兵はただ指示に従って仕事をしてただけなのに。

そしてジョーンズ博士のスタミナがすごい。ずっと殴り合い。ずっと聖櫃をめぐってのバトルの連続。ときにそんなバカな展開。ドイツ人やアラブ人のザコ敵が弱い。
これだけドタバタ騒動と大量の死者を出しておいて、最後にわけのわからない超常現象でさらにいっぱい人が死ぬ。ソドムとゴモラ。

古代の聖遺物とナチスをからめた冒険アクションの面白さは異常。
インディ・ジョーンズを見すぎでジョーンズ博士が他人と思われない。ハリソン・フォードも昔から知ってるおじさん状態。自分もムチで邪魔するやつをなぎ倒したい。

2022年4月23日土曜日

スピルバーグ「宇宙戦争」(2005)

トム・クルーズ主演、スティーヴン・スピルバーグ監督の「宇宙戦争」(2005 パラマウント)を見る。脚本はジョシュ・フリードマンとデヴィッド・コープ。ドリームワークスの制作。音楽はジョン・ウィリアムズ。
まだ一度も見たことがなかった。BSでやっていたので録画しておいたものを今回初めて見た。自分は知らなかったのだが、原作がH・G・ウェルズ。まだウェルズを1冊も読んだことがない。

港湾貨物クレーンオペレーターの主人公レイ・フェリエ(NYヤンキース帽)は離婚して一人暮らし。離婚した妻(すでに再婚して妊婦)がボストンの実家に行ってる間、子どものロビー(高校生?)とレイチェルを預かる。
息子が予想以上に大きい。難しい年ごろで父と再会のハグもしない。幼い妹レイチェル役がダコタ・ファニングだ。父トム・クルーズがやたらにやけて陽気な印象。
息子はボストン・レッドソックスのファンなのかよ。アメリカの高校生はレポート課題をタイプして提出しないといけないのかよ。

世界では磁気嵐による停電が相次いでいるニュース。地震によって発生したパルスで停電?
やがて巨大な黒い雲と風。同じ場所に落ち続けてる奇妙な稲妻を目撃。街が停電。家電や自動車の電池も腕時計も機能しなくなる。
そして地割れ。地中から巨大三脚歩行機械トライポッド出現。人々はなぜすぐにできるだけ遠くに逃げない?(スマホもなくテレビラジオもないと状況の把握すらもできない)
光線で次々に人々を殺害。町を破壊。モンスターパニック。最悪なエイリアン。
すべての車はコイルがやられてることは分かったのだが、交換したコイルの在庫は無事だったのか?

逃走する車を撮影するカメラが車の周りを回ってる。幼女がスクリーム音を出す。とにかく事態がひっ迫。何が起こってるのかもわからない。妻と子どもたちの家に逃げ込んでもそこに電と爆風。周囲には飛行機の残骸。
娘がトイレに行きたいと言い出す。川を大量の死体が流れているのを目撃。これは子どもにとってトラウマ展開。

フェリー乗り場が惨状。こういうとき群衆のいる方に行ってはいけないという教訓。アメリカ人にとって非常時の略奪は普通。だから銃が要る。

踏切を通過する電車も燃えている。人々は絶望のなかフェリー乗り場へ向かう。どこに行っても奴らはいる。
アメリカ人は一般市民が逃げ惑う戦争を経験してない。まるでホロコースト映画のような雰囲気。
フェリーに乗り込んだとしてもタイタニックや洞爺丸の運命。波間を漂う人々をエイリアンは捕獲。とにかく残酷なパニックホラー映画。(どうしたって現在進行中のウクライナでのロシア軍の残虐行為を想い起す)

軍の兵器では侵略者を防げない。攻撃ヘリや戦闘機も一方的にやられっぱなし。息子か娘かという切迫した状況。敵と戦う気盛んな息子ロビーと生き別れ。絶望は人を死に向かわせる。

 レイとレイチェルは空き家の地下室へ避難。そこで中年救急車運転士と合流。
地下室に入ってきて様子をうかがうエイリアンを目撃。そこで大人同士がいがみ合ってどうする。このシーンが見ててよく意味がわからない。なぜ敵をショットガンで撃たない?
侵略者が持ち込んだ赤い植物の栄養分が人間の血液?!運転士は錯乱。レイは運転手を始末する。もうヤメテ!という最悪な展開の連続。

そして娘は捕らえられる。レイは破壊された装甲車から手榴弾をゲット。トライポッド内に投入するとアッサリ敵を破壊。エイリアンのエサになる大ピンチを逃れる。
ボストンにたどり着いたレイは赤い植物が枯れていることに気づく。鳥を見てトライポッドがシールドを張れなくなっていることに気付く。そのへんの事に気づくのがレイただ一人って、軍はどんだけ無能なんだ。軍が対戦車砲で攻撃するとトライポッドは簡単に撃破。

え?!エイリアンたちは死んでいる。感染症か何か?わかりずらい。
てか、米軍を無双するエイリアンがなぜ未知の感染症対策をしていない?人類が逆に感染症でやられてた可能性もあった。奇しくもエイリアンが蝙蝠に似ていた。
あと、この映画を絶望ラストに置き換えたのが「ミスト」(2007)じゃないのか?と思った。

敵を最初に倒したのは大阪人らしいのだが、倒し方のヒントをつかんでいく様子などは描かれていない。そこ、もっと爽快に描けなかったのか。レイが腕利きクレーンオペレーターという設定もエイリアンと戦うシーンで活かせないのか。
あと、あれだけ大量殺戮と極限状況があったのになんで主人公家族は全員無事なんだ。今ウクライナで起こっていることはこのぐらい酷いかもしれない。

2022年4月22日金曜日

超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか(1984)

劇場版「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」(1984 東宝)を見る。昨年大晦日にBS12トゥエルビでやってたので、「ひょっとすると名作かも」「いずれ見るだろう」と録画しておいた。
監督は石黒昇と河森正治。脚本は富田祐弘。1982年から83年にかけてテレビ放送されていたスタジオぬえ制作の「超時空要塞マクロス」の劇場版。

自分はマクロスをなんとなくしか知らないのだが、80年代はじめには「機動戦士ガンダム」と人気を二分するほどだったらしい。飛行機が変形してロボットになるのは今日にいたるまで子どもたちの夢。マクロスは後にシリーズ化してるらしいのだが自分はこの手のアニメに何も詳しくない。テレビシリーズを見ていない状態でこれを見る。

ストーリー設定が壮大なスケール。2つの種族の抗争に巻き込まれた地球。とりあえず戦艦は冥王星軌道へ避難。地球へと帰還しているという設定。
この戦艦が人口5万の街。内部は「ブレードランナー」のようなネオン街と人混み。しかもリン・ミンメイとかいうアイドルコンサートもやってる。

作画センスはやはり80年代という気がする。声優の喋り方も80年代という気がする。
羽田健太郎さんの音楽がクオリティ高い。

敵からの攻撃を受ける。そこは戦争慣れした人々。臨戦態勢。巨大ロボットを操縦する宇宙人が内部に侵入してくる。
宇宙船は巨大ロボットに変形する。そしてメカとメカが宇宙空間で空中戦。宇宙空間での戦闘に飛行機である必要はない。しかしジェットのエネルギーは?戦艦内部の重力はどうやって?
街頭のテーブルや椅子がふわっと重力を離れる。その辺のセル画の作画がとてつもない。

主人公パイロット少年一条輝は戦闘中に持ち場を離れた行動をオペレーターらしい若い女(じつは上官)に非難される。なぜにお前に指図されないといけないのか?こちらの判断で頑張った成り行きでそうなってる。
少女の転落をロボットが手で受け止める。危機一髪を救う。この感じでは1回の戦闘で多くの民間人が犠牲になっているに違いない。それが戦争。
主人公パイロットとアイドル歌手リン・ミンメイは暗闇の区画にふたりで閉じ込められる。なぜかお色気ラブコメになる。全裸シャワーシーンもある。これも80年代らしい。
このシーンでの演技が今の水準ではとても下手に感じる。聴いていられないw このふたりがバカっぽい。

エイリアンたちは人間の文明を極度に恐れる。男女が一緒に暮らしていることが奇異に映ってる。人類はエイリアンに比べるとマイクロサイズ。
見ていてジェイムズ・P・ホーガンのハードSF世界を連想。

ラブシーンごっこをして遊んでいるところを発見される。3日間ずっと2人で閉じ込められていたことを芸能マスコミにスクープされる。宇宙船の中にも芸能マスコミがあるのか。この宇宙船はいろいろな人種がいる。

厳格な上官早瀬(若い女)からひどく叱られる。だが、リンを救ったということで関係各所からの要望でお咎めなし。
上官ロイ・フォッカー少佐の声が神谷明さんだ。その恋人クロ―ディア(黒人)が野比のび太の声優小原乃梨子さんだ。

その後はお忍びデート。若い軍人とアイドル歌手。軍用機にリンを乗せてデート。やはりバカっぽい。宇宙戦争中だというのに人々は自由を謳歌してる。その間にMVのごとくリンの持ち歌が流れる。
単独飛行中に敵機からの攻撃。交戦しようとしたら訓練機で銃火器がないのかよ。
体育会系のセンパイのような風を吹かせるロイが戦闘に加わるのだが、みんな捕えられる。地球人類について尋問される。「なんで男と女が一緒にいる?」「なぜ相互に戦わない?!」
キスというものをして見せろと強要される。リンはマネージャーとキスするのだが、それを見た巨大異星人たちはビビる。そこに女族異星人が襲撃。そのすきにリン以外は逃げることができた。
ロイ・フォッカーさん、輝の私用に巻き込まれて死亡。酷い。輝はもっと反省しろ。
巨大宇宙人たちが何やらラテン語っぽい響きの言語を話してる。そのたびに字幕がでる。向こうは向こうで地球人類の分析を始めている。抗争する2つの種族には「文化」というものがない。文化に接するたびにビビる。

輝と早瀬はどこかの惑星に不時着遭難。早瀬上官がいわゆるツンデレ。命令を聴こうとしない輝に代わって戦闘機を操縦しようとして砂浜につっこむ。だがそこに地球艦隊の残骸。ああ、ここは地球だったのか。東京も滅亡してた。どこへ行っても人がいない。絶望しかない。
早瀬さんはメンタル弱ってめそめそするしかない。
「生き残ることも軍人の使命」と、奇怪な魚を放射能中和剤で食べるように説得するも、「もうそういうのいいから」と投げやり。一方バカ男は明るいバカのまま。

ふたりで廃墟探索していると、残骸のコンピューターが人類と男族と女族の秘密を話して教える。そして海底から都市が浮上。アーサー・C・クラークみたいな人類の壮大なドラマみたいになってきた。
ふたりだけで生活しているうちにデキてしまう。しょうがない、他にすることがないんだから。

すると突然空からマクロスがやってきた!地球への帰還。地上とマクロス、時間の進み方が違うのでは?同じような時間経過で再会してる。ふたりはロイの戦死を報告。
マクロス内部では巨大スクリーンに歌うミンメイ。ここにもブレードランナーの影響が?

そして地球に女族メルトランディの襲来。さっきまでふざけてトークしていた仲間が突然撃墜され爆死。兵士の命は軽い。
だがそこに突然ミンメイの歌声。狂暴なアマゾネス女族の戦闘レベルが低下?!そして男族ゼントラーディから和平交渉を持ち掛けられる。その式典にリン・ミンメイ?!離れ離れだったふたりの再会。

だが輝と早瀬のふたりがデキていることを察したミンメイは、失恋に傷つきその場を去る。やっとミンメイを探し出した輝は歌詞を渡す。そんなものを歌ったって勝てる見込みなんてない!どうせ死ぬなら一緒にいたい!

だがミンメイは決意の歌唱。「愛・おぼえていますか」が、メルトランディとゼントラーディの最終決戦の戦場に流れる。ステージが神楽殿。それはまるで朝廷のおこなう調伏祈祷。
「マクロス」ってこんな感じだったのか。それほど期待もしていなかったが楽しめた。展開が速くて退屈しなかった。
作画スタッフの筆頭に庵野秀明の名前がある。偉大な先人たちからこういったセル画アニメの伝統と技術を受け継ぎ、次の世代の「エヴァンゲリオン」へと受け継がれていったのか。

我々も文明世界を守るために、一刻も早くプーチン帝国を討ち滅ぼさないといけない。

2022年4月21日木曜日

第9地区(2009)

「第9地区 District 9」(2009 MGM)を見る。やっと見る気になる。監督脚本はニール・ブロムカンプ。この映画は舞台がなんとヨハネスブルグ。アメリカ、南アフリカ、ニュージーランド合作映画。日本での公開は2010年。

1982年、南アフリカ・ヨハネスブルク上空に巨大宇宙船が突如出現。これがただ上空で静止してるだけで何も起こらない。人類は宇宙船に穴を開け内部に潜入。おぞましい姿の大量のエビ状エイリアンを発見。どうやら栄養失調状態?まるでゾンビ。
そのへんの説明がニュース番組のインタビュー映像形式。けど、その宇宙船をずっとそのままそこに放置しておいていいのか?

エイリアンたちは「第9地区」で超国家機関MNUによる隔離監視下へ。この難民キャンプがスラム化。
エイリアンがなんでそのまま地球の地上に住める?なんで英語が通じる?
やがてエイリアンと人間の間で衝突。このエイリアンが獣のようにずる賢く粗暴。これはもう駆除すべき獣害では?

そして28年後、増加しすぎたエイリアン(卵で増殖)をさらに隔離区域である第10地区に移住させることが決定する。
MNUの偉い職員であるヴィカスがエイリアンの立ち退き要請の同意を得るため第9地区内部へ。スラムはさらに治安悪化。闇取引でナイジェリア人が幅を利かせる。

ヴィカスがどう見ても軽薄ダメ男。いかにも小役人の口調。最下層を相手にした仕事が楽しそう。危機意識があまりない。こんな男の下では働きたくない。
だが、アメリカや欧州の福祉局はこんな口をきくのかもしれない…と想った。この状況で違法か違法じゃないかは関係ないだろ。

西洋人にとってアフリカ人同士の抗争はこう見えてるんじゃないのか?と思った。たぶん、英米にはナイジェリアやソマリアがこういうイメージで見えている。
以後、まるでマンガのような展開。ずっとコントに見えてた。昔からある古典的なB級パニックホラーSF映画。

しかし、ホラー映画として美術と視覚効果において感心した。感染後に立場が逆転したヴィカスに与えられる恐怖と絶望。ほぼカフカ「変身」。その周囲の偉い人たちの軽薄ぶりの描き方にも感心。人間の差別意識を突きつけられる。

2022年4月20日水曜日

黒島結菜「ちむどんどん」スタート!

NHK朝の連続小説「ちむどんどん」が4月11日より放送が開始してる。この朝ドラの主演が黒島結菜だと知ったときはまだまだ先のことだと思っていた。あっという間に本放送の日が来た。
舞台は本土復帰前後の沖縄。沖縄料理人をめざすヒロインの青春と家族を描いたものだと予想。
自分、朝ドラを全話見たのは2013年「あまちゃん」しかない。朝ドラは毎日朝放送しているものなのでなかなかリアタイも大変。おそらく、録り貯めておいたものを1週間まとめてみるスタイルになるかと思う。
黒島結菜は自分的にはもうかれこれ7年見続けている女優なのだが、世間にはまだそれほど浸透していない。というのも民放深夜連ドラ以外にほとんど出てないから。
この「ちむどんどん」はさらなるブレイクと女優としてのキャリアアップのために必要となるドラマ。
黒島結菜は沖縄糸満出身の25歳。女子高生のころから全国区で有名で、女優としてのキャリア初期から主演級か3番手ぐらいの存在感でそこにいた。
黒島が撮影の休みに、馴染みのあるスポットを巡って案内する番宣番組がとても貴重。
那覇の国際通り、ブルーシールのアイスクリーム、気になっていたタコスのお店、昔「桐島部活辞めるってよ」を見た映画館のある通りなどを黒島が案内して歩く。
自分が初めて沖縄に行ったのは20年ぐらい前だけど、当時は強い日差しで色あせた看板とか建物の感じとか植生とかとても新鮮だった。だが、もう沖縄といえど日本各地と大して雰囲気が違わない。どこへ行っても同じような建物ばかり。
黒島結菜はなぜかサービス精神が高い。こんな感じで全身をつかって画面を面白くしてくれる。こういう人が映画ドラマCMの世界で人気者になっていくのかもしれない。
かつての通学路を歩く。友だちから「ゆいなー」と声をかけられる。全国区で人気の女優が街に来ているのなら、あっという間にSNSで拡散するに違いない。出没情報を見て車で見に来てUターンしてきて声をかけたのかもしれない。
母校糸満高校を紹介するゆいな。やっぱりちょっと面白いポーズで紹介。
いろいろとオタには貴重な巡礼スポット情報を与えてくれる番組だが、女子学生もいるので校門前で写真を撮ったりしてると不審者と思われるかもしれない。
海岸に面した公園は父親と一緒に来たりするもする場所。最近も父と来て酒を飲んだりしたらしい。
オタなら巡礼したい聖地だが、もう自分が沖縄に行くことは今後数年間ないものと思われる。
ドラマが終わるまでに2回ぐらい感想を書きたい。

2022年4月19日火曜日

三島由紀夫「愛の渇き」(昭和25年)

三島由紀夫「愛の渇き」(昭和25年)を新潮文庫で読む。

ヒロイン杉本悦子は未亡人。梅田の阪急百貨店で靴下を買う。亡き良人良輔(腸チフスで死亡)の好物だった朱欒(ざぼん)は手に入らない。驟雨で外に出られない。そのへんの描写と文体が数行読んだだけで三島だとわかる。25歳でこういう文章がすらすら書ける人は間違いなく天才。

吝嗇な舅の弥吉の家に住んでいる。義理の妹浅子(夫がシベリアから戻らない)とその子どもも住んでいる。喘息で応召しなかった義理の兄謙輔(無為無能ディレッタント)夫妻も住んでいる。

小作人から苦学し大学を出て関西商船で勤めあげた弥吉豊中市米殿村に広大な土地を買う。そして戦後の食糧難。田舎に野菜畑と果樹園を持つ先見の明。だが、農地改革で安値で土地を得たやつらのことを想うとムカつく。自分は数十年会社勤めでやっと土地を得たのに…。

梅田から帰宅すると舅が自分の日記を盗み読んでいる。だがそれは本当の事は書いてない贋物の日記。
義理の弟夫婦は悦子が弥吉とできていることを知っている。悦子が若く逞しい園丁の三郎のことを密かに好きなんじゃないかと見ている。弥吉は焦り始めてる。

悦子は靴下を三郎にプレゼント。だが、その靴下が棄てられてる?!
三郎を問い詰める。どうやら女中の美代が棄てたようなのだが三郎は自分がやったとかばう。
そして秋祭りの夜に美代は倒れる。妊娠発覚。
弥吉は大臣が来るといってすっぽかされ、女中の妊娠が村人に知られダメージ。

悦子という人が怖い。都会育ちで無表情。心の内を隠してるようで外に漏れてる。家族が全員風呂に入って最後に三郎と美代が…という段になって風呂の水を抜いてしまうイジワルには、自分も思わずツッコミの声が口を衝いた。とにかくふたりが仲良くしてるのを許せない。

三郎が天理に行ってる間に、妊娠4か月の美代に暇を出す。その辺の意味が分かってるのが謙輔夫婦だけ。悦子の怒りと嫉妬はすさまじいw
三郎が帰って来てからの緊張状態が読んでて辛かった。三郎を畑に呼び出して、美代に暇をやったのは自分だと告げる悦子。心裡留保と誤解。レベルの違うふたりの間の相互理解は難しい。ほぼ少年の三郎には悦子の愛がわからない。

そしてサイコパス殺人。悦子は狂ってた。ある意味パワハラ上司。三郎も可哀そうに。どうないせいっちゅうねん。

この小説、それほどボリュームはないのだが、考えながら読まないといけないような文体で読むのに時間がかかったし疲れた。25歳でこんな文が書ける三島はやはり桁外れの天才。今まで読んだ三島も中でも上位の面白さだった。

2022年4月18日月曜日

ヒッチコック「裏窓」(1954)

アルフレッド・ヒッチコック監督の「裏窓 REAR WINDOW」(1954 パラマウント)を見る。有名な映画だが未視聴だった。BSプレミアムで放送されたので録画したものを見る。
これ、自分は知らなかったのだが、コーネル・ウールリッチの短編小説が原作だったのか。そして音楽がなんとフランツ・ワックスマン(1906-1967)

うだるような暑さのニューヨーク・マンハッタン。暑くてベランダで寝てる住民、下着姿でダンスを踊る婦人、洗濯物、夫婦喧嘩、庭いじり、おせっかいおばさん、そんな人々の生活と人間模様が丸見えの一画が舞台。昔のニューヨークの住民はこんな感じだったのか。誰もカーテン閉めないのかよ。たぶん撮影はスタジオセット。

主人公ジェフリーズ(ジェームズ・ステュアート)はカメラマン。取材中の事故で脚を骨折しギブスで車いす生活。窓の外を眺めることしかすることがない。通い看護婦おばさんから「のぞきは犯罪!」「早く結婚しとけ!」と強い口調で説教される。
汗びっしょりになって寝ているとリザ・フリーモント(グレース・ケリー)というドレスアップした美女が部屋に侵入してる?!なんだ、主人公には美人の恋人がいたのかよ。だが、今後の生活と結婚について意見が相違。男に別れを告げて去っていく。

日本人からすると信じられないぐらいニューヨーカーは夜遅くまで起きている。窓から人々の深夜の生活が断片的に見えてくる。ジェフリーズは中年夫婦、作曲家、バレエダンサーの生活をずっと見ている。

レインコートを着たセールスマン風の男が深夜に何度も何度も部屋を出たり入ったり。こいつは何をやってる?ジェフリーズはウトウトしながら、その様子を断片的に見てる。
あれ?その男の部屋の妻がいなくなった?男は部屋でのこぎりや肉切包丁を片付けてる?
ジェフリーズは双眼鏡で観察。望遠レンズつき一眼レフカメラで観察。疑惑が芽生える。

喧嘩の絶えない中年夫婦の妻は夫に殺されたのではないか?リザは取り会わない。犯人が無防備にそんなとこを見せるわけがない。だが、さすがにリザも状況からヤバさを感じ始める。で、リザは夫が眠ってる間にその部屋に潜入捜査。やることが大胆。

ジェフリーズの友人刑事ドイルが状況証拠だけでは動かない。ジェフリーズとリザの疑惑をことごとく否定。
ジェフの疑惑を完全に信じたリザと看護婦ステラの3人は相談。男は花壇に何かを埋めたのでは?そしてジェフは手紙という罠をしかける。
なかなか期待した通りに展開しなくてかなりイライラした。
だが、部屋を一歩も出られない男と美人とおばさん3人組がコソコソ相談しながら殺人犯を追い詰めるという形式がユニーク。
そして若い美人は好奇心が強くておてんばで冒険しがち。リザが梯子を上り窓から侵入したとき「あー、バカ!w」って、主人公と同じように声を出して突っ込んだ。

最後はちょっとハラハラした。アメリカ人ならやっぱり自宅に拳銃を置いておきたい。フラッシュの件は今の若者には説明が必要かもしれない。犯人のキャラが普通であまりインパクトがない。

2022年4月17日日曜日

DEEP WATER(2022)

パトリシア・ハイスミス「Deep Water」(1957)が初めて実写映画化されるというので楽しみに待っていた。邦題は「底知れぬ愛の闇」?!
この作品は日本では「水の墓碑銘」(河出書房新社)というタイトルで邦訳が出ている。自分はすでに読んだ状態で見る。
監督はエイドリアン・ライン。この人はまだハリウッドの一線で活躍してるのか。脚本はザック・ヘルムとサム・レヴィンソン。

主演はベン・アフレックアナ・デ・アルマス。製作は20世紀スタジオ、リージェンシー・エンタープライズ他。劇場公開を目指していたものの先が見通せずに3月18日よりhulu、アメリカ以外ではAmazon Primeによって配信開始。Amazonで見ると吹替え版がデフォ?

自分、映画を見る時、先に原作を読んでいるということがほとんどないのだが、やはり読んでから見ると理解がしやすい。
ざっくり説明すると、夫以外の若い男と自由奔放に遊んでる若い美人妻と、嫉妬深いムッツリもっさり中年男の周囲で起こる死。ジャンル的にサイコサスペンス。

原作の主人公はこんな自転車で汗を流すようなスポーティじゃなかったイメージ。
家に帰ると妻が階段に座ってこちらを見つめてる。アナ・デ・アルマスが初登場の瞬間から美人。

開始から映像が自分の想像してたイメージと遠くない。家のイメージもパーティーシーンも。プールの大きさも。アメリカ人の生活は豊かだ。
現代にアレンジされている。幼稚園児の娘の求めに応じてアレクサが音楽をかけてくれる。

地元名士たちのパーティーへ夫婦で出かける。この妻メリンダが日本じゃ考えられないぐらいにオープンに尻軽で若い男といちゃいちゃ。男も旦那がいると知っててキスしてるとかおかしい。これがアメリカか。(旦那がなぜか放任)
原作とイメージ違うのが主人公ヴィックに話しかけてくる夫人が黒人だったこと。60年の間にアメリカ社会はだいぶ白人と黒人が溶け込んだ。

妻が陰でキスしてた金髪男ジョエル(新参のよそ者)に「妻と親しかった男友だちマクレーを殺した」と告げる。ジョエルはビビッて帰る。妻は怪訝。何か言ったの?
噂はすぐ広まる。「ヴィックがとジョエルを脅した」と妻はカンカン。いやいや、それは逆ギレ。この奥さんも頭おかしい。夫と知性において差がある。女としての魅力のみの妻。

ヴィックが離れの部屋でカタツムリを飼っている設定も原作と同じ。職業は軍用ドローンのチップを作った技術者?(こいつが仕事してる場面がまったくない)
ヴィクは裕福なのだが銀行から妻のカードの残高不足の連絡。メリンダは一体何に支払いをしてる?
ヴィクが調べると、メリンダはバーピアニストのデライルと浮気中。朝帰り。小切手のことを問い詰めると「別にいいでしょ」なんなんだこの奥さんは。もう即離婚だろ普通。

パーティーにメリンダはデライルを呼ぶ。夫に隠れてふたりでお楽しみ。プールでデライルとはしゃぐ妻を遠くから見つめるヴィクの怒りの眼差し。
デライルがひとりになった瞬間にヴィクはこいつをプールで溺死させる。このへん、原作だと即殺害シーンになってビビるのだが、この映画では誰が殺したかわからないようになってる。
妻は捜査官に「ヴィクが殺した!」とヒステリックに叫ぶ。捜査官もヴィクを疑う。なぜなら妻の浮気相手なのだから。

メリンダはドムという作家と一緒に事件を推理。ヴィクが犯人だと確信を深める。
ヴィク周辺に出没する車。ヴィクはメリンダが探偵を雇ってると思うのだが、こいつは心療内科医だと紹介される。メリンダは懲りずにまた若い建築業者キャメロンとデートしてるのをヴィクは見ている。妻はこの男と娘を連れてブラジルに行くつもりか。
メリンダはこいつも家に招待してヴィクに「初めて寝たアメリカ人」と紹介。メリンダもバカだが選ぶ男も軽薄バカ。じゃなきゃこうならない。

ヴィクはキャメロンを口車で車に乗せて郊外(よくピクニックに行く場所)へ連れ出し無言で殺害。デライル殺害と違って今度は残酷な撲殺シーンと崖から落とすシーンがある。そして死体を川のよどんだ深い場所に沈める。
ここから先、なぜかヴィクとメリンダは愛を取り戻したかのようになる。

妻が落とし忘れたスカーフを取りにピクニックに行った渓谷へ戻り死体が浮かんでるのを見て焦る。沈めようとしてるところをドムに目撃される。
ここ先は原作になかった映画ならではの手に汗握るサスペンス要素。この映画で一番ハラハラした場面。逃げろ!ドムじいさん!

え、そういう時系列?!と驚いた。見ていてずっと原作に忠実で雰囲気も同じだなと感じていたのに、ラストは原作を衝撃的に改変。予想してなさすぎた展開で焦ったw 

原作は退屈に感じることもあったのだが、この改変はこれで良かったかもしれない。ドムがノワール小説を書いてるという設定になっていたのはこのため?これは予見できなかった。

アナ・デ・アルマスは日本でも人気が高まってる。「ブレードランナー」にも出てた。キューバ出身。ガッキーやPerfumeと同じ1988年生まれ。本編中で裸身をさらしてる。原作よりエロ要素を盛り込んでる。

2022年4月16日土曜日

遠藤さくら「もしも、イケメンだけの高校があったら」(2022)

2022年1月期のテレビ朝日系土曜深夜ドラマ「もしも、イケメンだけの高校があったら」全10話を完走した。企画原作は秋元康、主演は昨年「ドラゴン桜」で東大クラスにもいた細田佳央太

これを見なくてはならなかった理由は遠藤さくら。ドラマのヒロイン。
遠藤さくらさんは幼く見えるのだがすでに20歳。顔が丸い。棒のようにすらっとした体型。アイドル女優は高校を卒業すると急速にケバくなっていくことが多いのだが、遠藤さんはまだまだ純朴そうに見える。
このドラマが荒唐無稽。少女コミックを読んでる女子中高生があこがれるような男子高校生ばかりの高校があったら…という世界観。
このドラマの通称は「もしイケ」。「イケメンパラダイス」の劣化版。てか、イケパラもこのドラマと同様にくだらなさの極みだった。

なにより見ていて居心地悪いのが、登場する女子たちがそろいもそろってみんな、イケメンであれば誰でもキャーキャー騒ぐという、サカリのついたメス猿という質感でしか描かれてなかったこと。
そんな中で例外がヒロイン遠藤さくら。どこか周囲を冷めた目で見てるクール女子。いつも読書。読んでいる本が論語、フランツ・カフカ、人体の不思議、など。

そして、イケメンでもなくカッコよくもない、むしろどんくさくてもっさりした優しい主人公(細田はそんないい人役のスペシャリストになりつつある)に惹かれていく…ということでかろうじてドラマが成立。(茶髪で髪が立ってればイケメンという風潮もおかしいのだが)

自分は男子パートはほとんどスルーした。くだらなくて暑苦しいので。
小西桜子がゲスト出演した第5話は、イケメン高校生の子を妊娠したかも!?という回。
その話をぐうぜんに聴いてしまう遠藤のシーンが、2回ぐらいテストしてそのまま撮ったみたいな、リアリティがなく都合のよいツッコミどころの多い安っぽさを感じさせる深夜ドラマらしいクオリティのシーンだった。
イケメンしか入れない高校という設定なのだが、主人公は、通りすがりの女子高生たちからあからさまに失望され捨て台詞を残して立ち去っていく…という辱めに遭う。そんな女子たちを「おい!」と叱責する正義のヒロイン遠藤さくら。
おそらく遠藤さんはこれまでの人生で悪意を持った嫌味を言う他人にすごんだことは一度もないものと思われる。
そんなヒロインの数少ない友だちが齊藤なぎさ(=LOVE)。この子もどんくさい主人公を睨みつけて舌打ちをするような、気の強そうなかわい子ちゃんギャル。普通だったらこの二人は友だちにならないはずだが。

齊藤なぎさは最近見た「夏の夜空と秋の夕日と冬の朝と春の風」(2019)というローカル映画にも出ていた。
まさに今ドキ感と最先端の美少女感がする。まだ出演作はそれほど多くない。まだ18歳なので今後の活躍を期待したい。
ちなみに遠藤さくらさんの実家は名古屋のそば屋さん。名古屋で乃木坂コンサートがあると毎回大行列ができるそうだ。
すでに多くのファンが連日押しかけそばを食べ実家に貢いだらしい。家業が飲食店という家は娘をアイドルにすると店が連日大賑わいになるという実例を学んだ。(店に行ってもこの子はいないのにw)
自分もいつか名古屋に行く機会があったら行きたい。混んでない日を選んで。