2014年1月31日金曜日

KONICA C35E&L で撮る


1970年前後の目測ピント35mmカメラばかり集めてどうするって思われるかもしれないが、今この年代のカメラが安いのだから仕方ない。このカメラも525円で発掘したジャンク品。1971年製KONICA C35E&L だ。
名機C35から距離計とセルフタイマーを省略した普及機。アルミ製トップカバーが思いのほか白い。

このカメラもシャッターが切れるしファインダーがきれいだし、たぶんおそらく使えるとイメージして連れて帰った。家で電池を入れてみたら露出の針が動くし何も問題ない。
だが、今まで買ったジャンク品の中で一番モルトの腐食が汚いのと、フィルム蓋の皮が縮んで小さくなって、接着剤の跡がベトベト汚い!

腐食モルト清掃にテマヒマがかかった。それほどキレイにならなかった。フィルム蓋の皮を剥がしてアルコールで清掃。
アルコールに2日漬けてもベッタベタで使い物にならないし縮んでサイズが合わない。

しかたなく、ダイソーで皮っぽいブックカバーを買ってきて切って貼る。だが、この皮がシックハウスみたいなケミカル臭がたまらない。こういった素材は高くてもハンズとかでよい素材を使うべきだった。

ファインダーはまったく問題なくキレイだったのでトップカバーは開けないでそのまま試写してみることにした。使用フィルムはフジ業務用100、トイラボさんの現像&データ化。
横田基地
東京都瑞穂町 里山民家
瑞穂町六道山公園
世田谷区豪徳寺
世田谷区弦巻
狭山湖

1枚目と2枚目はフィルム感度ISO設定を40にしたまま撮っていた。だが、ネガフィルムは多少露出が多くても何も問題ない。
豪徳寺のまねきねこは露出の針が2.8付近で距離1.2mほどで撮影したのだが問題なく撮れた。

このカメラも自分にしっくりくるデザインと大きさ、そして、写真が撮れている感じがするカシャーンというシャッター音がいい。

それにしてもKONICA C35系カメラの安さ!程度のよさ!お金のかからない趣味としてうってつけ。自分はデジタル最新機種とか一眼レフとかぜんぜん関心ないわ~。人が見向きもしないカメラで風景を切り取る喜び、プライスレス。

もうこれ以上カメラを増やさないで写真を撮ることに専念したい。

2014年1月30日木曜日

トップランナー 謎の歌詞変更

YUI 8年間で自分にとって未解決の謎、それは2007年2月4日放送のNHK教育「トップランナー」公開収録ライブで演奏された「Rolling star」で、YUIが「続きながらも信じてるの Rolling days」と歌うべきところを、「続きながらも信じて待ってるんだよ」と歌ったことだ。もう、いまさらなことだが。

これは放送直後から大いに話題になった。「歌詞、間違えたんじゃね?」って見ていた人は思った。だが、放送中に間違えたとおりに字幕が出ていたのは何故?
 有力な説に「アドリブ説」「TRスペシャル説」がある。YUIがライブでアドリブで歌詞を作って歌うということは可能性としてありうる。だとすると、字幕をつけた人はアドリブ箇所だけ実際の歌唱と合うように入力したことになる。直前の秋の学祭ツアーでも「待ってるんだよ」と歌ったという証言もあるようだが、音源がないので確認できなかった。

この日の「Rolling star」では、「きっと嘘なんて そう意味を持たないの」の部分で、喉の不調からドロップアウトしているのだが、その歌えていない箇所も字幕は表示されている。ライブで歌詞が違うことはよくある。そこに歌詞を字幕で表示する場合、歌詞データを元に実際歌われたように修正したということなんだろうと思う。

だが、歌詞を間違えたにしてはYUIは以前からそう歌ってたかのように、かなり確信を持って歌っているようにも感じる。

「Rolling star」という曲はもともとは1stアルバム「FROM ME TO YOU」に入れる候補曲だった。夏のROCK IN JAPAN FES.において初披露。10月からはアニメ「BLEACH」の主題歌として使用されている。

この「BLEACH」OPバージョンは、アルバムでしか「Rolling star」を聴いていない人が聴いたら、びっくりするに違いない。いきなり歌詞が違う!大胆なカットが施され、しかも聴いたこともない間奏まである短縮切り貼りVerだ。このVerで問題の箇所は「信じてるの Rolling days」と歌われている。

YUIが出演したトップランナーは2006年12月16日に福岡で公開収録された。この後、COUNTDOWN JAPAN 0607の4日目1月1日のステージでも、YUIは実はこの箇所を間違えている。「恋人たちは隠れ家を探すの でも現実は日々トラブッてたまに悔やんだりしてる そんな Rolling days」と歌ってしまった。YUIは1番で歌うべき歌詞を2番で、2番で歌うべき歌詞を1番で歌ってしまう間違いをすることがライブでもテレビ放送でもある。飛んでしまうこともある。だが、「待ってるんだよ」と間違ってしまうことは考えられるだろうか?

シングル「Rolling star」の発売日は2007年1月17日。全国放送される番組で、アドリブで歌詞を変えて歌うことに何か意味はあるだろうか?見た人はみんな疑問に思い混乱するだろう。そしてこれ以降、「待ってるんだよ」と歌ったことはない。

結局、自分は「アドリブ説」「間違えた説」のどちらとも結論が出ていない。だが、「待ってるんだよ」はレコーディング直前(正確な時期がわからない)までYUIがこだわってた箇所で、最後まで迷っていた箇所かもしれない。「このVerも聴いてもらいたい。残したい」という明確な意志があったのかもしれない。確証は何もない。自分が何か重大な証言を見落としているかもしれない。それほど意味のないことかもしれない。それはYUIと茂Pと関係者しかわからないことだ。
フラフラの楽曲も古いものだと2012年の秋からライブで演奏されているので、レコーディング時には以前と歌詞を変えている可能性がある。何がどう変わったのか検証しようにもできそうにない。

PS. WOWOW2月6日夜9:30からCOUNTDOWN JAPAN 1314 DAY3 ダイジェストが放送。flower flower は「月」がOAされる。au 両国以来の映像になりそうだ。

PS. rockin'on JAPAN誌 COUNTDOWN JAPAN 1314 特集別冊付録つきで本日発売。flower flower は半ページのみ写真アリ。だが、予想通り「セットリスト掲載なし」。……。ま、そうだわな。

2014年1月29日水曜日

浅草にPerfume

日々インタビューやらラジオやらMCやらを読んだり聴いたりしていると、Perfumeの3人は意外に昔の仕事を忘れているなって思うことがある。オタのほうがよく憶えていたりする。

Perfumeは東京進出初期において、その足跡を秋葉原や亀戸に残したわけだが、3人はその間にある浅草へ行ったことを憶えているだろうか。2007年2月のことだ。

CONTINUE Vol.32 POWER PERFUME GIRL 連載第3回では3人の希望により浅草を散策している。この雑誌は200円で手に入れた。そう、自分はPerfume研究文献派。

雷門前にスタッフと集合。お参りの前におみくじを引いたところ、のっちとかしゆか二人とも「凶」を引き、楽しみにしていた花やしきが火曜日ということで閉園日……。ある意味ミラクル。これはスタッフの下調べ不十分が悪いのだが、どんだけ呪われた3人なんだよ。

一通り仲見世を歩いてもんじゃ焼き店(不明)で、2月14日に出たばかりの「ファン・サービス[sweet]」と3月14日発売の「ファン・サービス[bitter]」のインタビュー。
かしゆか 「Perfumeにしては珍しくイベントに絡めたリリースで、チョコを贈る女の子にも、チョコを受け取る男の子にも聴いてもらいたい曲です。バレンタインデーを一緒に盛り上げてもらいたいですね。」

あ~ちゃん 「CDの包装が、プレゼントみたいに可愛く仕上がっているので、私たちからのバレンタインデープレゼントとして、是非買ってもらいたいです。両A面シングルで、DVDもフォトブックも付いていて税込み2100円ですから、ものすごくお買い得だと思います(笑)。」

のっち 「今回収録している『チョコレイト・ディスコ』という曲のPVも撮ったんですけど、いままでのPerfumeだったら、大概CGを使っていたんですが、この曲では一切なしで、レーザー光線を使って撮っていて、すごく凝っているんですよ。配信限定で出た『Twinkle Snow Powdery Snow』のPVも入っていますし、何回も繰り返し見ていただけると嬉しいですね。」
文化祭で「はしまき」を出店するぐらい広島を愛してる3人にとって「もんじゃ焼き」はどうだったのだろうか。この取材後に3人だけで浅草延長戦に行った模様。高3の終わりごろだから時間は十分あったんだろう。

「Complete Best」もこの年の2月14日に再発が決定。3月になるとカエラがPerfumeを見つけ出す。そしてやがて……、Perfumeにとって狂騒の2007年後半がやってくる。「凶」や「小凶」はPerfumeにとってはむしろラッキーな前兆。ちなみに自分はおみくじを引いたことがほとんどない。お金払って凶でブルーって意味わかんない。

その「お買い得」の「sweet」も「Complete Best」初回も自分は持ってない。今では高価でレア。2月に出るビデオクリップ集、「TSPS」「チョコレイト・ディスコ」「シークレットシークレット」があるのなら、やっぱり欲しいな。この3つは劣悪な画質でしかみたことがない。ただ、本当にブルーレイ画質なのかどうかが気にかかる。安価な通常盤DVDでいいような気もする。

2014年1月28日火曜日

クラウディオ・アバド


クラウディオ・アバドの訃報を聞いた。毎年のようにクラシック界からは訃報を耳にしていたのだが、さすがにアバドの訃報には言葉を失った。80歳。

自分が思ってた以上にアバドは高齢だった。長年CDジャケットで見てきたアバドは青年だったけど、がんと闘って一気に老けこんだ。

世間はクラシック音楽にまったく関心がないように思えていたのだが、さすがにアバドはビッグネームだったらしく反応が大きかった。

CDでしかクラシック音楽と接していない自分にとって、アバドは子供の頃から最も馴染みのあるマエストロ。おそらく10枚以上はCDを持ってるかと思う。

なんでそんなにアバドのCDを持っていたかというと、どれも手に入りやすいCDだったから。カラヤンもフルトヴェングラーも前時代の人だったけど、アバドは現代の人。

しかも、ベルリン・フィルは世界最高のオーケストラ。サッカーで例えるならバルサでレアル、マンUかミラン。クラシックに少しでも関心があればアバド&ベルリン・フィルが頂点にいることは誰でも知っている。

自分に一流の演奏を、幅広く、かつこだわりのあるレパートリーで教えてくれた。なんでも振ったわけでもないけど、マーラー、ブラームス、ベートーヴェン、チャイコフスキー、ヴェルディ、ムソルグスキー、ストラヴィンスキー、ベルク、……、ぜんぶアバドが教えてくれた。何を聴いても高い満足度。

昨年の12月ごろこのCDを見つけて買っておいた。ま、ぶっちゃけ中古で500円だったので買った。安すぎる。追悼の意味も込めてようやく聴いている。ポリーニとライブ録音したブラームスの協奏曲2曲2枚組みでDG(ユニバーサル)から出てるCD。

この二人のイタリア人は若い頃にウィーン・フィルと第2番を録音していて、そのCDも持っているけど、どちらも完璧に美しい演奏。ブラームスはスーパーヘビーな曲目だけど、爽やかな感動をもたらしてくれた。

ありがとう、さようなら、アバド。

2014年1月27日月曜日

新垣結衣が高1のとき初めて買った水着はビキニ

先日、友人と出かけた先でMYOJO 2009年9月号を40円!で手に入れた。欲しかったのは新垣結衣のグラビアインタビュー2ページ。ガッキーの夏の思い出としてこんなことが書かれていた。以下引用

じつは、東京に来るまでスクール水着しか持ってなかったという結衣ちゃん
「高1のときに、友だちと渋谷に行って、セールで水着を買いました。アジアンテイストで、薄紫色がベースになっているレインボーカラーのビキニを買ったんです。人生で初ビキニ(笑)。それで、いっしょに水着を買った友だちとふたりで、遊園地のプールに行ったんですよ。あんまり天気がよくなくて、雨が降ったりもしたけど、ふたりして、寒ーい!でも、おもしろいね~♪って、はしゃいでました。……楽しかったなぁ」
これがどうした?だから何?って思う人は想像力が欠如していると思う。高1の夏、16歳の新垣結衣はプライベートで水着を買った。しかもビキニ!って、それ、衝撃の事実!

ニコラ創刊以来最高のスターモデル少女だった新垣結衣は2004年春に沖縄から上京。圧倒的に女子の間で知名度が高かった新垣だったが、同年夏ごろから青年コミック誌などで水着を含むグラビア展開を開始。秋にはバラエティ、ドラマ出演と快進撃が始まっていく。

なぜビキニを選んだのか?仕事で着る前に慣れておこうと思った部分もあったのかもしれない。「遊園地のプール」はひょっとすると豊島園だったかもしれない。水着は2006年3月、1st写真集「ちゅらちゅら」をもって終了。17歳ですでに知名度抜群アイドル女優へと成長していた。

そういえば、かしゆかも「ハワイで海に入りました。水着?黒いビキニ着ましたけど」って嵐のトークバラエティで言っていた。よくそんなことをさらっと言える。

水着てビーチやプールに居たという事実は、確かに存在したのに目に見えないヒッグス粒子の存在のように一大事!なぜ写真を撮っておいて公開しない……。

2014年1月26日日曜日

桶川の道路わきにある物が怖い

先日、友人とドライブに出かけて、通りかかった桶川の道路わきの畑の片隅にこんなものが設置されていた。なんか、すごいものが見えなかったか?!引き返して写真を撮ってみた。
やだ、怖い!なんだこれ?!まるで地蔵のように道端にたたずんで通行人を見守っている「桶川の美少女」、……。まるで珍百景。なんでも大工の人がつくった桶川の新名物らしい。なんでビキニなん?

日常、そこにあるシュール……。

2014年1月25日土曜日

ルネ・マグリット → Perfume / ワンルーム・ディスコ


ルネ・マグリット(1898-1967) 「The Listening Room」(1952 油彩・カンバス 45×54.7cm)
Perfume ワンルーム・ディスコ(2009)

もし外出先から帰ってきて部屋に巨大なリンゴが置かれているのを見たら「シュールやな~」ってつぶやいてしまうかもしれないが、シュールという言葉は「シュルレアリスム」から来ている。
Perfumeが2009年3月にリリースした「ワンルーム・ディスコ」のPVの中に巨大なリンゴが出てくるが、最後のシーンの、部屋にリンゴが鎮座している様なんかは完全にシュルレアリスムの画家ルネ・マグリットの「The Listening Room」という絵画シリーズのイメージそのまま。

なので、「シュール」と感じた人はまさにマグリットと同じことを感じてることになる。

春から新しい場所で新生活を始める……そんな映像作品を作るとして、巨大なリンゴが部屋にあったら……って考えることはあるかもしれない。

だが、映像作家には明確にマグリットの絵がイメージとしてあったはずだ。

質、量ともに層の厚いパフュオタたちの中には、このPVを見てマグリットを感じた人が確かにいた。自分はこのことに気づくのに数年かかったが。

だが、マグリットの青リンゴの巨大さは、部屋で「バルンガ」を目撃したときのような「恐怖」に近いかもしれない。のっちのように抱きかかえようとは思わないだろう。

ひさしぶりに「ワンルーム・ディスコ」を映像で見た。いろいろとすばらしいなと思った。もう5年が経とうとしている。

2014年1月24日金曜日

ルネ・マグリット → 能年玲奈

ルネ・マグリット(1898-1967) 「従順な読者」(1928 油彩・カンバス 92cm×73cm)

シュルレアリスムを代表するベルギーの画家ルネ・マグリットの「従順な読者」という絵は、「びっくり!」という演技に大いに参考になると思われる。
能年玲奈(1993- )「あまちゃん」(2013)

能年の驚く表情の演技を見るといつも感心する。だいぶ以前に、ある俳優が「おなかにあるグレープフルーツがだんだん上ってきて目の穴から飛び出すイメージで」と、若手女優にびっくりした表情の演技指導をしていたのを見て、なるほど!と思ったことがある。

能年に演技指導した先生のことはよくわからないが、確かな指導があったはず。能年は自分を「生ゴミ」と呼ぶが、それは演技指導の先生から呼ばれたのが発端らしい。よくぞ正しく導いてくれた。
能年(左)、マグリットの少女(右)、完全に一致。

2014年1月23日木曜日

YUI と ORANGE RANGE

PATiPATi 2012年10月号ORANGE RANGEYAMATOとYUIの対談が掲載された。
この雑誌はデビューしたときからYUIをずっとレギュラーで掲載してくれていたのだが、2007年以降はごくたまにしかYUIが登場しなくなっていた。
2012年は以前よりもさらに露出が減っていた時期なので、突然YUIがYAMATOの対談企画第4弾ゲストとして登場したのにちょっと驚いた。
この対談はYAMATO側からの提案だったらしい。

この対談は2012年末に3社から相次いで出版されたYUI総集編本の最後を飾った「GIFT」にも掲載されていない。だが、YUIとオレンジの関係が語られているのでとても興味深い内容になっている。

YUIとYAMATOの初めての出会いはYUIデビューの2005年のこと。同じレコード会社ということで楽屋に挨拶に行ったYUIだったのだが、
「びっくりしました。ライブの楽屋にあいさつに行っても、誰も口きいてくれなくて(笑)。」
ち、ちょっと、いくら島の男たちはシャイだからといっても、いい大人なんだからせめて「あ、どーも」とか、興味持って年齢訊いたり出身訊いたりして「よろしく~」ぐらい言おうよ。
「しかも、YUIも人見知りだから、ずっと下向いたままで、結局しゃべらないまま帰っちゃったり」(YAMATO)って、何?その気まずい空気……。

その約1年後にYAMATOはレコード会社で偶然YUIと会う。そのときのYAMATOの証言
「ずっと黙ってるなって思ったら、いきなり『黒いですね』って声かけられて。『あ、うん。ゴルフ焼けだよ』って言ったら、また少し黙って、『そんなに焼けるものなんですか?』って続くわけ。全部いきなりだから、俺も考えるヒマなく答えていくうちに、なんか不思議と会話が続いてて。」
YUIをずっと見てきてるファンなら知ってると思うけど、YAMATOもYUIの話題の切り出し方を「唐突!」って思ってた。独特の間合いでハスキーボイスから切り出される唐突な話題……。YAMATOによるとYUIからのたまのメールも唐突。「めちゃくちゃ久しぶりに連絡あったと思ったら『今、沖縄にいます』みたいな(笑)。」(YAMATO)

そういえばmafumafuもYUIから「いっしょにバンドしませんか」って突然メールが来たって言ってた。YUIが唐突に仕掛ける相手って、YUIが何か同質なものを感じているのかもしれない。

YUIはオレンジの他のメンバーとは交流がないという
「ほとんどしゃべったことないです。NAOTOさんが、たま~に声かけてくれるぐらいで。最初のうちは、警戒されてるのかなとか、何か悪いことしちゃったのかなとか考えたこともあるんですけど、MCで私のことをネタにしてくれたりすることもあるので、違うのかなって思ったり(笑)。」
ええぇぇ……、YUIとオレンジは別に仲がいいわけじゃなかった!?オレンジはイベントで「YUIでーす」とやったり、2007マツリーナのMCでは「(YUIは)8歳ぐらい?」って言ってたのでてっきり冗談言い合う仲だと思っていたのに、意外。

この取材の半年ほど前にもYAMATOはYUIから唐突に「最近は、何してるんですか?」とメールが来たそうだ。その時はちょうど東京でいとこと飲んでたのでYUIを呼び出した。以下、YUIの証言
「ゴルフバーだったんですけど、ふたりがめっちゃ本気の試合をしてるのを、ただただ見るという(笑)。」
少しはYUIに興味を持って質問するとかないのかーーっ。YUIにとってYAMATOとはどんな存在なのか?
「お兄ちゃん……って感じではないですね。私は、普通に友達だと思ってるんですけど。」 
酒飲みながら音楽の話とかしてくれ。だが、この対談でYAMATOはライブでのYUIの話を引き出した
「私、ライブ中に倒れるんじゃないかと思うぐらいおなかすくことあるんですよ。だから、おなかすかないように出番直前まで食べてるんですけど、スタッフに、『そんなアーティスト見たことない』って言われますね。」

(MCでは何を話すのか?)「最近は、決めないようにしてるんですよ。その場で思いついたことを話すのって、すごく楽しいんだけど、まったく着地点が見えないことも多くて。なかなか次の曲に行けない(笑)。」
フラフラのライブでのMCだとyuiは主にmura☆junとの会話で進む。メンバーの中でこの男だけがツッコミだと感じる。そこにたまにmafumafuが加わることもある。特にオチのない話をして「……。」ってなったら次の曲へ行く。そんな感じ。YUIはずっと素朴で唐突なまま。

この対談の後、スペシャ特番でYUIがYAMATOの案内で沖縄観光する番組が放送された。この対談の二人がどんな様子だったのか想像できる内容だった。

2014年1月22日水曜日

東郷堂のおもちゃカメラ HIGHS HC35

70年代中頃まで、カメラで写真を撮るという行為はとてもハードルが高かった。光学機器であるカメラはとても高価なものだったし、カラーフィルムも安くなかった。子供にとってカメラを持つことは夢のまた夢だった。

80年代になってようやく中高生も安価なプラスチック製のコンパクトを持てるようになり、やがてレンズつきフィルム「写ルンです」が1986年に発売。90年代後半にデジカメが登場。そして携帯電話にもカメラがつくようになり、ほぼ全国民にカメラが行き渡った。


では昔の子供はどうやって写真を撮っていたのか?おもちゃのカメラがあったのだ。
昨年秋からジャンクカメラあさりに友人をつき合わせてしまったのだが、その友人がこのカメラをお買い上げ。HIGHS HC35 というカメラ。315円でジャンク箱の奥底から発掘。自分が興味を持たないトイカメラ的なものに興味を抱く。

プラスチックとアルミ製ですごく軽い。カタカタしてる。シャッターがフィルム暗室側からのぞくとバネが見えたりして、一見こわれているかのようだったが実はちゃんと動いていた。「レンズつきフィルム」のようなパンフォーカスでピントを合わせる必要がない。お天気マークのついたダイヤルで絞り(3段階)、シャッター速度(2段階)を合わせて写真を撮る。フィルムカウンターのデザインはオリンパスPENに似ている。

この謎なおもちゃカメラは1970年ごろ東郷堂という会社が作ったらしい。輸出もされたようで海外でもこれを使って写真を撮ってる人がいるようだ。

不明な点が多いカメラだが、あまりにカンタンな機構のシャッターは計測の結果、約1/100と1/70の2速と判明。あまり差がない。どうせならバルブがほしかった。

モルトでしっかり遮光して、自分と一緒に方々に試写に出かけた作例を紹介したい。フィルムはフジ業務用100、現像データ化はトイラボさん、データを縮小だけしたものがこれ
相模湖町嵐山
東京都東大和市 旧日立航空立川工場変電所跡

てっきりおもちゃカメラらしいぼんやりとした写真が撮れるものと想像していたのだが、十分実用に耐える画質だ。修学旅行に持っていってもいいカメラだ。

2014年1月21日火曜日

世界の中心で、愛をさけぶ Visual story BOOK

「世界の中心で、愛をさけぶ Visual story BOOK」(小学館 1,890円 2004年5月初版)

この本は今まで何度も実物を見てきたのだが、まさみオタの自分でもまったく必要性を感じない1冊だった。

映画からの場面を切り取った写真とシナリオで構成された1冊なのだが、肝心のグラビアの質が一目見て「必要ない」と判断できるクオリティ。

105円で売られていたので買った。もしその店で他に欲しいものがあったら、荷物になるので買っていなかったと思う。パラパラめくってみても何も得るものもなくてすぐ閉じる。映画パンフとして見るのなら豪華な1冊だ。

この映画のDVDもすごく安く売られているのをよく見る。どうしてこんなにもこの映画は大ヒットして話題になったんだろう。
この映画の大ヒットのおかげで長澤まさみは大スターになってしまった。だが、自分は今でもこの役はまさみと合ってなかったと思うことがある。

アキはなんでもできる優秀な生徒。バイク二人乗りで「あたってる?」って言うシーンは「キャラおかしくね?」って思う。まさみの台詞はふわふわ甘い。

まさみは見た目も中身も、このころとは変わってしまったと感じる。10年間トップ女優でいるのだから当然か。

あの香川県庵治町のセカチュー記念館はあと何年あそこに建ってられるのか心配になってきた。近くの人は是非何度でも足を運んでほしい。守ってほしい。

2014年1月20日月曜日

封印された鉄道史

「封印された鉄道史」 (小川裕夫 彩図社 2010)と云う本が友人の本棚にあったので借りて読んでみた。 日本の鉄道がなぜ今こうなっているのか?明治5年の新橋横浜間の鉄道敷設から、東武と東急の相互乗り入れといったごく最近の出来事まで、鉄オタでない自分の程度にぴったりな鉄道の雑学裏話的な1冊。

書名とこの表紙から、下山事件や満鉄といった鉄道ダークサイドをえぐるような内容を期待していたのだが、そんな内容ではなかった。鉄オタならほぼ知っていそうな鉄道雑学入門書的な内容。現金輸送列車は本当に秘密だったらしいけど、そのほかのトピックはそれほどでもない。

第1章では、舞浜駅はディズニーランド駅に決まる直前だったが本家ディズニーからクレームがついたとか、日本一短い鉄道会社「芝山鉄道」とか、東村山までハンセン病患者を輸送した人権無視の臨時列車が走っていたとか、自分はまったく知らなかったことなので興味深く読むことが出来た。

第2章「天皇と鉄道」では主に「お召し列車」の歴史と規則を紹介。自分が「えっ?」って思ったことは、昭和天皇が昭和21年に銚子を巡行したときに貨物駅で1夜を明かす事態があったということ。
現天皇陛下が2007年にスウェーデン国王と川越を訪問した際に、西武線のニューレッドアロー号を貸切ったということ。
2008年のスペイン国王とつくば市視察の帰りに一般車両しかないつくばエキスプレスに乗車したということ。

あと、中央線の西八王子と高尾の間には「東浅川」という皇室専用駅があったということを学んだ。さらに、昭和6年から昭和20年まで京王多摩御陵線が走っていたという箇所を読んで、以前自分が多摩御陵を訪れたとき、高尾の住宅地を迷い歩いているときに、謎の橋脚のような遺物をたまたま発見したことを思い出した。あれが御陵線だったのか~。googleで航空写真を見てみたら、線路があった場所に組み込まれたように家が建っていて位相がくっきり浮かんでいた。

だが、一番面白いのは鉄道をめぐるケンカの数々。明治39年の鉄道国有化法は、お金のかかる鉄道を民間に作らせておいてから軍事上必要だからと国のものにしたという、なんと都合のいい法律!

大阪-名古屋路線をめぐる関西私鉄各社と東海道本線の客の奪い合いの歴史とか、早川徳次と五島慶太の争いとか、週刊文春の記事をめぐってJR東日本が激怒してキヨスクで販売させなかった件以来JRは完全なマスコミタブーになっていること、東北新幹線上野駅建設に口を出しておいて台東区はまったく費用を負担していないこと、鉄道会社は固定資産税を減免されているのにエキナカとか手広い商売をやっていいのか?とか興味深く読んだ。

東北新幹線が開業したとき、東京側の基点は大宮だったのは大宮以南の戸田、浦和、与野のスルー自治体が騒音などで反対したから。そして赤羽八幡の崖にあった星美学園の真下を通ることが問題になっていたってことも初めて知った。

自分には多くの「へえ~」があった本だった。今度、向島へ京成白鬚線の廃線跡を探しに行きたい。

2014年1月19日日曜日

比留川游は女優を目指している

世界には「美しい顔の女性」100人みたいなランキングがあるのだが、あれ、まったく意味がない。信用できそうな感じがまったくない。なぜ今日本で一番キレイなモデルである比留川 游がランキングにいない?

ar という雑誌はちょっと面白い。題字ロゴの上に「服欲しいわ~」って書いてあるの見てちょっと笑った。2013年10月号ではまたまた比留川 游の魅力に迫る特集「おフェロな最先端ガール♥比留川 游のオシャSEXYでいくっ!!」は大注目の比留川新資料。

驚くべき比留川 游!

美容への飽くなき探求。「セクシーで明るくて、強い女性に憧れます」って、アンタ、既に日本で一番美人でセクシーで、憧れられる側だろ。

目標を設定しそこに向かって集中してカラダを作っていくというプロ意識の高さ。水泳、岩盤浴ヨガ、パーソナルトレーナーの指導でのボディメンテナンス、週に5~10km走るという美の求道者。塩分少な目野菜たっぷりの和食、飲み物はお茶か100%ジュース。やっぱ、それぐらいやらないとここまでキレイにはなれないわな。

「写真集や映画を観て、オシャレ脳を刺激するのも好き。キレイなヌード写真集を観るのも趣味のひとつ(笑)。」って、比留川の趣味は「ヌード写真集鑑賞」って、それすごい。
そして、驚きのデータ掲載。「游を勝手に測ったよ!」によると、

身長165cm、B80W60H86、

膝下41cm、靴のサイズ23.5cm、足首17.5cm、

顔の長さ17cm幅13cm、目の大きさ3.5cm×1.5cm、鼻の高さ1.5cm、唇2cm×5cm、髪の長さ36cm、首の長さ12cm、

腕まわり23cm、手首13.5cm、リング指周り5cm、長さ7cm…… という徹底した計測!誰のために?何のために?!

だが、自分を一番驚かせたのは、比留川が女優を目指して日々ボイトレや演技のレッスンを受けていると語っている箇所。目標は「女優として活躍したい。」とのこと

いいよ~、その決断いい!2014年中には女優比留川游を見れることを期待。

2014年1月18日土曜日

岩殿山から稚児落としへ

3年前に登ったとき、いくつか難所があったものの楽しい思い出しか残っていなかった。だが、この時期は道に落ち葉がなく、土が乾燥しきっていて下りはスベって歩きにくい。

かなり下ったかと思えばまた登り。こんなにキツい道だったなんて忘れていた。やがて最大の難所がやってくる。クサリを伝って登る兜岩と、その後のトラバースとクサリ場の急な登り。
赤い線でルートを示した。左側は崖で踏み場がわずかしかない。滑落しないようにクサリにつかまって慎重に登る。
自分は2回目だったのに、ぜんぜん余裕がなくて、写真はこれしか撮らなかった。心が折れそうなぐらいに下りて登って遠い。ここ、登るのはまだいいけど、下るのは怖くてできないと思う。

ひーひー言いながらやがて「稚児落とし」と呼ばれる断崖絶壁が目の前に現れる。怖くて足がすくむ。
写真だとぜんぜん怖さが伝わらないと思う。赤い矢印で示した場所まで右手から岩の上を歩いて回っていく。なにやら白いものが見える。
あともう少しだが、足がすくむ。左は崖。右も草木こそあるけどやっぱり崖。
赤い矢印が岩殿山の本丸のあった場所。あそこから尾根を上り下りしながら回りこんでここまで来た。
白いものはこの立て札だった。遠すぎる。キツすぎる。絶望の敗走しながら足手まといになる子供をここで投げ落とした……って、本当か?子供抱えて着物姿の女がここまでこれたと思えない。
看板に書いてある英語がなんだかおかしくないか?よく意味がわからない。
この看板がなくてもこれ以上前へ行こうなんてとても思えない。

こういったインパクトのある場所だけ記憶に残って、途中の道の大変さをすっかり忘れていた。岩殿山から稚児落としまで近いよってウソ言ってた。
太陽が昇っても気温は0℃ほどで寒い。山が久しぶりすぎて、道が荒れてて、膝が痛くて辛かった。
3年前に歩いた道だというのに、ぜんぜん何も憶えていなかった。前回も「無」になっていたのかもしれん。人間の記憶というものはアテにならん。

浅利という集落から大月駅目指してあるくのだが、これがもう遠すぎた。ライトなハイキングをするつもりだったのに。友人は楽しんでたようだが。
そんなこんなで、山はもう、しばらくよしておこう。疲れた。寒すぎて、顔がすごく冷たい。懐炉を持ってきてよかった。
大月の街は甲州街道の歴史のある街で、散歩だけでも楽しいと思う。

さあ、高速で帰ろうとしたら、ブックオフの看板が見えたので立ち寄ったら、大月店が閉店セール中で本、雑誌が60%オフ!
疲れもなんの、雑誌だけ20冊ほどイッキ買い。1冊40円とか!CDは何もめぼしいものがなかった。

2014年1月17日金曜日

岩殿山で夜明けを

中央道大月JCTのあたり、下り車線の右手にとても印象的な荒々しい岩肌の山がある。大月のシンボルと言ってもいい岩殿山だ。中央線大月駅のホームからもよく見える。大寒波襲来中のとある日、友人と急遽、この山へ出かけた。3年ほど前に別の友人Tと登ってみて楽しい思い出があった山なので、友人Fに提案した。

朝4時に準備して友人と車で出発。まだ暗い5時50分頃から上り始める。といってもこの山は武田氏滅亡の山。ヘッドランプを装備して登るのだが、真っ暗登山はちょっと怖い。この山は大月駅側から登るとずっと背面に富士山が見えている。気温は手元の計測で氷点下7℃。何を好き好んでこんな寒い中…。寒いので休息もとらずにずんずん登る。

岩殿山は公園として整備されていて暗くても道に迷うことはない。だんだん夜が明けていく大月の街をiPhoneで写真に撮る。真ん中付近の棒状の光は中央線大月駅。
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最後の写真は岩殿山の山頂(634m)から7時19分に撮ったもの。直で登って30分ほどの手軽な山。山と空は明るいが、大月市街はどこも日が当たっていない。凍りついたままだった。空気が乾燥しきっていて澄み渡っていて、日がそれほど赤くならない。寒い中お湯を沸かしてカップ麺を食べ、コーヒーを飲んで30分ほど過ごしてきた。
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岩殿山はこんな巨石がごろごろした山。かつて武田方の武将が城を築いていた。

天気のいい日なら普通の運動靴でも登れる手軽な山。桜の名所でもあるので近くの人は是非一度登ってみることをオススメ。

難攻不落の山城にもやがて悲しい運命がやってくる。
戦国時代の悲劇を伝える恐ろしい場所まで1時間ちょっとかけて足を伸ばす。

つづく

2014年1月16日木曜日

Perfume / 微かなカオリ

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2011年5月リリースのPerfumeのシングル「レーザービーム/微かなカオリ」 通常盤をようやく手に入れた。やっと105円で出会った。

この3人は何色を着ても似合うが、これほど白が似合うアイドルは他にいない。黒基調のレーザービームとコントラストをなすこのジャケット!なんと涼しげで爽やか。25歳の今でも清潔感と透明感がすごい。

「レーザービーム」PV収録の日、あの震災の日。あの年の春は音楽聴くどころじゃなかった。

徳間時代のビデオCLIP集が出るそうだが…、自分はたぶん買わないと思う。出るのが遅すぎた。時期を逸した感がある。ブルーレイで見てみたい気もするけど、今まで何度も何度も見てきた映像に数千円払う気になれない。

2014年1月15日水曜日

富津名物「はかりめ丼」

東京湾上にいると房総半島の山の中に巨大な白い建造物が見える。東京湾観音だ。材木問屋で財を成した老人が、昭和30年代に富津の山の上にこのような巨大観音を建てた。

2011年の8月にT君とここを訪れて以来、最近欝ぎみの別の友人Fを誘って二人でここにやって来た。この巨大観音には楽しい印象しかない。これを見せれば良くなるだろう。

山道のカーブを曲がるといきなりこの光景。内部拝観は事前にサイトからダウンロードした券があると大人一人300円になる。内部の螺旋階段を地上20階の最上部まで楽しく登ってきた。

前回自分が来たときは真夏だった。今回は真冬。陽射しの強さが違うと印象も違う。夏場だと内部がもっと真っ白だった印象。

今回の記事は巨大観音ではなく、この写真右手に見えている「辰金」という食堂だ。前回来た時は入らなかった。今回初めて食事をしてみようと思った。
寒い日の午後3時すぎ。客は我々しかいなかった。「はかりめ丼」というのぼりがたっている。なんだそれ?

「はかりめ丼 ってできますかぁ~?」と伺いながら暖簾をくぐる。
老夫婦二人で切り盛りしてる食堂兼民宿。周囲にこの店以外に家がない。

注文して待つ。奥の厨房から調理担当の老主人と、注文を取りにきた老夫人が言い争いをしているのが聞こえる……。
ウチの両親や祖父母もこんな言い争いをしょっちゅうしてる(してた)な…などと考えながら待つ。

これが「はかりめ丼」900円。煮あなごが載ったもの。丼ではない。穴子って高級食材でないのに美味しい。富津はこれで町おこしをしているらしい。

「煮穴子」って言葉を聞くとのっちを思い出す。以前のっちはよく好きな食べ物で「にあなご」と答えていた。
サバンナ高橋って、下の名前は「茂雄」っていうんだな。初めて知った。
この人は「やりすぎ都市伝説」で、毎回「今回は特別にその音源を入手いたしました」「頭をおあげください」の人。

そんなこんなの冬の房総の小旅行だった。

2014年1月14日火曜日

YUIとして最後のファッション誌の仕事

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もうパッタリとYUIに関する話題もない。ぜんぜんマスコミ露出がないのだから仕方がない。なにか探し出してYUIについて語るしかない。

SPRING 2013年2月号がYUIとして最後の雑誌出演か?吉高、相武、比嘉の美人女優3人に混じってモデルYUIが1ページ登場。一通り各雑誌でベスト盤の告知宣伝に回って、お世話になったSPRING誌へ最後の挨拶的なお仕事か…。

このYUIの表情は「神秘の微笑み」としかいいようがない。女優たちに負けてない存在感を見せている。スタイリングは道券芳恵、ヘアメイクは吉川陽子のクレジットがある。印象が違って見えるのも当然か。
「ヘアでもメイクでも初めて挑戦することは新鮮です」
男ウケという観点からだと、このYUIのヘアスタイルはなかなかいいと思っていた。「可愛い秘密Q&A 普段のお気に入りのヘアアレンジを教えて!」によると、
「実は今、研究中なんです。でもなかなかうまくいかなくて(笑)。今日の自然なカール、教えてもらって帰ります」
と語っている。YUIの表情から何かを読み取ることは常に難しいが、もう完全に次の音楽活動へ向けて歩き出していた時期。この撮影後には長かった髪をバッサリカット。金髪ショートで活動してることがマスコミでも取り上げられる。なぜそんなに急に思い切りよくショートに?そんなにロングがまとまらなかったのか。

(スキンケアで気をつけていること)
「スキンケアというか……ノニジュースを愛飲してます。そのおかげかは定かでありませんが、肌あれは減りました」
音楽制作でスタジオと自宅を行き来する活動を続けていた夜型のYUIだが、自分が見ていた限りで、「肌あれ」を感じたことは一度もない。ノニジュースという名前は以前からYUIの口からよく出ているが、自分は一度も試したことがない。スーパーで売ってるんだろうか。

2014年はツアーで盛り上げて、秋には武道館……って期待しすぎだろうか。この1年で2015年のYUIデビュー10周年がどうなるのか見えてくる。

PS. ここまで書いてきているうちにフラフラのさいたまスーパーアリーナVIVA LA ROCKへの出演が決まった。今年もフェス出まくりか?そういえば去年のGWはJapan Jamだった。あのときは初ということでみんなテンパりまくってた。VIVA LA ROCKまでにはCDアルバムの話がせめて具体化していてほしい。

紙チケットだと1万円ぐらいか?今年はARABAKIついでに北三陸あまちゃん巡礼をしてこようと思っていたのだが。今年のJapan Jamは?METROCKは?そして何よりフラフラ全国ツアーは?お金が心配になってくる。

何より、業界的にそんなにフェスを連発して大丈夫なのか?そっちも心配。

PS. YUIさん崇拝系シンガーソングライター(同志)山崎あおいのbillboard-japan.comのインタビューが面白い。「YUI以降」という言葉が示すように、YUIは偉大!

2014年1月13日月曜日

NYLON JAPAN 特別編集 新垣結衣Fashion Photo Magazine

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NYLON JAPAN 2012年11月号増刊 Yui Afagaki Fashion Photo Magazine を買った。

とあるブックオフの女性ファッション雑誌コーナー棚を眺めていると、NYLON JAPAN バックナンバーに混ざってこの背表紙が見えた。ひょっとしてまさか……と思ったのだが、200円!値札が通常のNYLON JAPAN バックナンバーと同じだ!ハルルのファッションブックと一緒に買った。いい掘り出し物に出会えたいい1日。年に数回あるかないかの幸運な発見。

新垣結衣の素顔に出会えるBALI 5DAYS とあるように最新ファッションに身を包んだガッキーがバリ島観光してる1冊。もちろん女性をターゲットにした編集。

だが、多くの男性ガッキーオタがこれを買ったことは明らか。ショートヘアのガッキーのそれなりセクシー。
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これなんかまるでミュシャの絵画のようだ。

新垣結衣は女神!

「girls talk with yui 新垣結衣を知る109の質問」というインタビューページがある。ほとんどがファッションと美容に関する質問でそれほど面白いものでもない。

だが、「小さい頃の夢は?」という質問に
当時、実家が植木屋さんだったから、勝手に継ぎゃなきゃいけないと思ってお花屋さんでした。
という注目の回答をしている。新垣結衣の実家が植木屋だったって初めて聞いた。
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首に蛇を巻いて舌を出してご満悦の新垣結衣

新垣結衣は弁天!

ほとんどのカットで最新ファッションに身を包んだモードなガッキーが見れる唯一のフォトブック。素晴らしいスタイルと美脚ショットがふんだんに盛り込んである。

オタでなくても是非持っていたい1冊だ。