2015年4月30日木曜日

ステイト・オブ・ウォー(2006)

1982年のフォークランド紛争には以前から関心があった。南大西洋のフォークランド諸島(マルビナス諸島)をアルゼンチン軍が突然占領。英国は即海軍を派遣し激しい戦闘へ。西側陣営の大国同士が近代兵器を使ってガチで戦争をした珍しいケース。

フランス製エグゾセミサイルによって英国側は戦艦を撃沈された。白兵戦もあった。両軍あわせて3000人が死傷した。結果は同盟国アメリカなど西側各国の支持を得た英国の勝利。軍事独裁政権下のアルゼンチンは南米諸国の支持は得られたものの、どこからも軍事支援や派兵はしてもらえなかった。ポートスタンレーが陥落すると大統領は辞任した。

この戦争は近年、尖閣諸島をめぐって日中が対立している状況で、両国で研究が進んでいる。離島の侵攻と防衛のケーススタディ。だが、尖閣は無人島。そのまま当てはまる問題でもない。「尖閣」でアルゼンチンの支持を取り付けるために、近年中国はアルゼンチンに接近している…。

今まで遠い異国の自分とは関係ない戦争だと思っていた。一般市民が空爆から逃げ惑う体験をした日本から見ると、戦闘のプロ同士の戦いだと自分を安心させていた…。
だが、最近になってアルゼンチン軍側の戦死者の多くが18歳19歳の初年兵、「少年兵」だったという事実に衝撃を受けた。18歳って…、こどもじゃん!

それは太平洋戦争もベトナムも同じだったけど。現代においても経済状態が悪いと若者は軍隊に入らざるをえなかったりする。アルゼンチンもイギリスも、今現在のアメリカも日本も。他人事じゃない…。

YOUTUBEに戦争から4年後の1987年に英ヨークシャーテレビが製作したドキュメンタリーをNHKが放送したものがUPされているので見てみた。
両軍兵士の語る生々しい証言。英国は帝国のプライドを守り勝利に酔ったが、現場の兵士の悲惨で過酷な体験を政治家たちはイメージできてる?母親の名前を叫びながら死んでいった若い兵士の声を聞いたか?

以上のことをふまえて、アルゼンチンの兵士側からフォークランド紛争を描いた「ステイト・オブ・ウォー」(2006 アルゼンチン・スペイン)を見た。自分はほとんど戦争映画を見ない。気分が沈むから。だが、フォークランド紛争について学習するために。全編スペイン語の映画。

ベトナム、アフガン帰還兵でも起こったことだけど、過酷な戦場にいた兵士たちは心を病んでしまう。「自殺を図った帰還兵は290人を超えた」というナレーションで始まる。自殺未遂を起こして生死の間をさまよう友人を見つめる中年男、現在と過去、厳寒の泥の島で起こった暗い記憶。

夜中の白兵戦、見ていて何が起こっているのかわからない。見る側も兵士と同じ状況に置かれる。

上官から「祖国のために寒さも餓えも忘れろ!」って言われても…、そんなのムリやろ。食事が粗末すぎる。餓えのあまり羊を襲って食べる3人の兵士。さすがアルゼンチン人だ。解体とかできるんだな。やすらぎと休息の時間。「羊を殺すのを見たのは生まれて初めてだ」という若い兵士。血を滴らせた肉。このシーンが、やがてやってくる事態を暗示してることはあきらかだ。

祖国のためとはいっても、兵士はなぜあんな罪人のような扱いを受けるのか?上官は思いやりの心がないのか?敵と戦う以前に身内と戦って消耗してる。惨めすぎる。この兵士たちはマラドーナと同世代か少し若い。生き残って祖国に帰っても、英雄として迎えられなかったし、歓迎もされなかった。虚しい。倒れた友人の墓標を前にただ泣くだけ…。

近い将来、中国が尖閣に上陸するかもしれない。だが、日本は武力作戦で奪還はしないだろう。兵士一人の命の重さが両国政府で違う。クリミアの例を見ると、欧米各国は多少の経済制裁的なことに付き合うそぶりは見せてくれるかもしれないが、対外資産凍結のようなことはしてくれないかもしれない…。

2015年4月29日水曜日

Perfume 「Relax In The City / Pick Me Up」初回盤

4月29日はPerfumeの2015年初のCDリリース日。もう毎回のようにTSUTAYAで前日フラゲ。いつものようにたまたま立ち寄って「おっ、Perfumeの新曲がでたのか。買おうかな。」というていで。

今回は「完全生産限定盤」と「初回盤」とどちらにするのかで直前まで迷った。夕方に行ったら「完全」3枚、「初回」1枚が店頭に置いてあった。

完全生産限定盤は税込み¥2,600 の「Relax Room 仕様」。超豪華40Pフォトブックレット付で立方体BOX仕様というスペシャルなもの。
初回盤は¥1,900で二方背スリーブケース付、豪華16Pブックレット付といういつもの初回盤。
それにしてもシングルにしては高い。

パフュオタなら、数年前の自分なら迷わず「完全生産限定盤」を買っただろうと思うのだが、もうCDは置き場がない状態で、これ以上がさばるものを買いたくない。「立方体BOX」は箱の中にCDを収録できるからがさばらないだろうという意見もあるかもしれないが、Perfumeグッズは傷つけたりラフに扱いたくない。丁重にしまっておきたくなる。

付属DVDの収録内容は同じ。となると豪華フォトブックレットが700円の価格差になるわけだが、店頭で考え抜いたあげくに「初回盤」にした。ぶっちゃけ今まで買ったCDのブックレットとかほとんど見ていない。ツアーのパンフさえも買った直後にパラパラと見るていど。FCに入っていてもアスマートとかも一度も利用したことがない。LSGも買ったことがない。
初回盤の豪華16Pブックレットは、「豪華」というにはごく普通な歌詞ブックレット。オタはこちらでは満足できないかもしれない。

「Relax In The City」は事前にテレビなどで聴いていた。それほど新鮮さを感じなかったけど、テレビやラジオじゃ聴けない間奏部分を聴くと、Perfumeと中田ヤスタカの音楽は特別だなって思う。
サッポロ「GREEN AROMA」を買おうと思っても全然売ってない。毎日飲んでもいいと思っているのに。Perfume缶とか出せばオタが爆買いすること必至。 

「Pick Me Up」は「Perfume×伊勢丹」 という大型コラボがついた。伊勢丹に相当なPerfume好きがいたとしか思えない。パフュオタたちが連日伊勢丹に詰め掛けてるらしいけど、自分はまったく行く気にならない。てか、伊勢丹に入ったことたぶん1回ぐらいしかない。外観は味わいがあって好きな建物だけど、自分が買うようなものが何一つない高級百貨店。

「透明人間」は完全に初めて耳にした曲。「いじわるなハロー」っぽい。チョコラBBのCM曲として5月から順次オンエア予定だという。自分としては3曲ともEDMっぽすぎてそれほど気に入ってない。今回のリリースも特別な曲になってくれそうな気がしない。

CDを10回リピートしてからMVを見る。
「Relax In The City」は「微かなカオリ」を思い起こさせる。ロケ地は既に明らかになっていて沖縄・具志頭海岸。また沖縄を旅して回りたくなってきた。

「Pick Me Up」は夜の伊勢丹前でロケ。ショッピングを楽しんだ3人が伊勢丹前を通りかかると体が浮遊…、アブダクションか?今までPerfumeの3人はMVで何度も演技をしてきたけど、まるで映画のようにしっかり演技をしていて面白い。のっちが自分の想像の限界なぐらいの美女でつらい。
ダンスを踊るシーンでチラチラ見える物理公式は第二宇宙速度(地球脱出速度)を表している…と思う。受験生だとこういうの見ると落ち着かないと思う。自分はもう物理公式とかまったく覚えていない。
Perfumeは3人とも26歳。20代後半はずっとこんなおしゃれでかっこいい路線全開でいくと予想。5年後の東京オリンピック開会式にこの3人が立っていることを期待。30歳にキャリアの頂点を持っていってほしい。一時期きゃりーも候補者だと思ってたけど、今ならPerfumeしかいないと確信。

PS. P.T.A.DVD vol.7をやっと見た。今までありそうでなかったかしゆかのテニスウェア姿に萌えた。かしゆかはテニスの経験がまったくなかったという。かしゆかは何でも新しいことに興味があって素晴らしいな。のっちは「和紙の里」へ行った映像。自分は今年の1月に和紙の里に行ってきたのだが、会報の小さい写真だけでは判別つかなかったポイントが答え合わせできた。あ~ちゃんは相変わらず小さいこどもと遊ぶ。3人とも「エヘヘ」「フフッ」と楽しそうに笑ってる。2015年もPerfumeの笑顔がある日本でよかった。

2015年4月28日火曜日

川口春奈 「好きっていいなよ。」(2014)

「好きっていいなよ」を見る。俺の川口春奈が出ているから。それ以外に何も予備知識がない。今一番のモテ男・福士蒼汰が相手なんだな。それはこのポスターを見ればわかる。おそらく男が見るには相当に恥ずかしい少女マンガ。

川口春奈、登場した瞬間から別格の美少女すぎる。学校に溶け込んでない暗い女子高生。笑顔がほとんどない。ブレザーのポケットに両手つっこんでイヤホンして他者と関わらない。
セクハラには縞々柄パンツ見せながらハイキック一発、福士をまきぞえKO。わかるわ~、そりゃ好きになってまうやろ。渋谷デートのハルルの男っぽいファッションがいいな。

可愛すぎる川口、キモリーマンに後をつけられる。福士に助けを求める。キモ男に見せ付けるために路上チュー。動揺する川口。今まで見たどの映画よりもハルルが可愛いくてつらい…。

「あぁ~また私の許可なくキスをした!理由を言え!」って可愛すぎるな。一体何回キスシーンがあるんだ?この男の浮いた台詞、マンガとはいえ最悪。15か16そこらで恋愛を語る男とか、ありえんだろ。

学校一のモテ男とつきあって周囲から刺すような視線が…。「なんであたしなの?」っていう少女マンガの王道。そして三角、四角関係、嫉妬とすれ違い…。

川口のバイト先に菊池亜希子がいてびっくり。ハルルママは渡辺満里奈なのかよ。このふたりはちょい役。

ギャル友あさみ(巨乳)は日本ハムのエースだった西崎の娘か?!西崎幸広、日本プロ野球の歴史を塗り替えるほどの爽やか細身イケメン投手だったけど、もう51歳なんだな…。そりゃ娘も年頃だ。グラビアアイドルになってるって噂には聞いていた。ぜんぜん似てないな。昔、西崎の下敷き持ってたけど、どこいったかな。最近は父親が元プロ野球選手ってアイドルよく聞くな。

この映画、レーティングPG12だって?!なぜ?扇情的か?ははぁ、まめりん足立のホテルのシーンかな。まるで高校生のする会話じゃない。学校でのキスがダメ?親としては小学生どころか中学生にも見せたくないだろうな。高校ってそういう所なんだね!って思われる。
なぜに主題歌がワン・ダイレクション?ま、女子高生のための夏休み映画なわけだが、ハルル鑑賞用映画として95点を与えていい。この映画を見たことで、ヒロインの恋のライバル八木アリサを初めて名前と顔を一致させることができた。

2015年4月27日月曜日

博士の愛した数式(2006)

これは小川洋子による2004年のベストセラー小説の映画化「博士の愛した数式」。
それほど見てみたいと思うような作品じゃなかったけど、何か自分に新しい知識をもたらしてくれるかもしれないので見てみた。

事故で脳に障害を負い記憶が80分しかもたない数学者(寺尾聰)とシングルマザーの家政婦(深津絵里)とその息子の交流を描いたもの。ヒューマンドラマっぽくて手に取ろうとなかなか思えなかった。自分としては何か数学トリビア的なものも期待したい。

冒頭の吉岡秀隆のシーンから見るのをくじけそうになる。このセンスは年配の人向け?この映画は吉岡が母・深津を回想する形で始まる。

常識のある庶民VS学問エリートの変なおじさん。寺尾と深津の2人芝居舞台を見ているような感じ。名優ふたりでもっていた映画だった。

深津が少女のように明るくて性格がいい100点満点なさわやか家政婦。博士の何度も繰り返されるつまらない話を楽しそうに聞いてくれる。この人なら1日家にいても何もストレスがない。

数学教師吉岡の生徒を前にした数学噺がとてもわかりやすくて関心した。ネイピア数eとかテイラー展開とか大学で習ったことをばばーっと思い出した。なんら役に立ったことのない知識だけど。

博士の義理の姉(浅丘ルリ子)、最悪…。自分があんな無礼なこと言われたらブチ切れると思うわ。子供を遊びによこすのは意図があってだと?記憶が80分しかもたない老人相手にどんな意図を達成できるというんだ?この偏屈な義姉、最後にちょっとは心を開くけど。

自分は年寄りが同じ話を何度もするのにつきあえなかった。だが、これからは何度でも笑顔で相槌を打ちたい。

2015年4月26日日曜日

市川準 「BU・SU」(1987)

市川準(1948-2008)が残したアイドル青春映画の中でこれが一番好き。80年代の人気アイドル女優・富田靖子主演の 「BU・SU」(1987)を数年ぶりに見返したけど、やっぱり傑作。これ、内館牧子が脚本だったんだな。

この映画は富田靖子主演映画の多くがそうであったように大林監督が撮る予定だった。事情によりCM製作が主だった市川監督に第1回監督作品のチャンスが回ってきた…って今回調べてみて初めて知った。
これが大林作品だったら見ていないと思う。富田靖子主演作品はこれしか見たことがない。

家庭の不幸があって田舎から東京の叔母を頼って上京。神楽坂芸者の置屋でお運び女中仕事をしながら高校へ通うヒロイン。ほとんど喋らない陰気で偏屈な少女を富田靖子が演じた。

富田は数年前にNHK大河「江」で春日局役で最後のほうで少しだけ出てきたのを覚えている。40代になった今でも映画にドラマに活躍中だけど自分はどれも全然見てないな。

高嶋政宏が高校の同級生ボクサーで出演。今とそれほど変わってない。芸者ねえさん伊藤かずえも変わってない。室井滋も今とほとんど同じ。だが、伊藤と駆け落ちするエリート社員イッセー尾形がすごく若い!

映画「つぐみ」でつぐみの姉だった白島靖代がやっぱり美人。富田と白島のふたりだけが、能天気バカ生徒だらけの崩壊学級内で暗くて浮いている。ヒロインが京葉線に乗って学校をサボるシーンの白島が謎。教室から居なくなるし、何か悲劇的なことでも起こったのか?以前からよくわからないシーン。
白島はもうだいぶ昔に芸能活動を引退しているが、クラスのリーダー美少女だった女優も90年前後に引退している。出演者の何人かはすでに故人になっている。
この映画、富田が原由子の歌をバックに浦安や渋谷を散歩する映像が好き。かつての自分もこんな感じ。音楽聴きながら行くあてもなく東京をさ迷い歩いてた…って、それは今も同じか。

80年代の東京は今では変わったところも多いけど変わってないところも多い。この時代の地下鉄のホームがすごく古い。八百屋お七の墓は自分も自転車で2回ぐらい行ったことあるけど、この時代とは周囲の風景が違っているような気がする。
あと、ボクサー高島がランニング中に橋の下で、日舞を練習するヒロインを目撃するシーンも強く印象に残っている。
この映画、クライマックスの文化祭がハプニングによってほろ苦い結末を迎える。ヒロインの気持ちがわかるボクサー高島は群集の中にへたり込んだヒロインを連れ出す。江戸の町を火の海にした「八百屋お七」のようにキャンプファイヤーに火を放つ。あと少しのところで満たされなかった想いを満たす。このシーン、ポリタンクをそのまま投げ入れるのは、思わず「あ、危ない」と声がでそうになる。

市川準映画のヒロインたちはみんな他人の話を聞いているようで聞いていない、なんともいえない表情をしている。都会のカオスな人々をスルー。ずっと思いつめたような顔をしていたヒロインが最後に母親と海岸で「東京はいろんな人がいる」と笑っているシーンを見ると、こちらも自然と笑顔になれる。何か情熱を傾けられることに出会うことは、こんなにも人を変える。

この映画は公開時に「どつぼにはまって、さあ大変。」というコピーがついていたらしい。意味がわからない。富田靖子と石原さとみは似ている。
原由子の主題歌もいい。自分は長年この歌のタイトルを知らなかったのだが、今回「あじさいのうた」だと知った。アイドル映画のエンドロールはこうでなくっちゃと思う。市川準の日本的情緒を織り込んだアイドル映画はどれもすばらしい。富田靖子が一番輝いていた時代に撮影された、一番輝いた市川準映画じゃなかったかと思う。

2015年4月25日土曜日

新山詩織 「たぶんニートになってた」

新山詩織が「ゆれるユレル」でデビューする直前のインタビューが掲載されたロッキングオンH誌の2013年4月号を360円で手に入れた。「まだ誰も知らない、17歳の揺れる心の声」からほんの一部を引用すると
(中3のとき初めて曲をつくってみて)「自分では絶対曲なんか作れないだろうって勝手に決めてましたね。いつも勝手に決めつけて、何もやらずにっていう感じで。だからやってみて、あ、できるんだって」 
(オーディションを受けたのは)「それは、ほんと単純に、自分が変わりたいなっていうのだけでしたね。このままじゃ嫌だと思ったんです。何もしないままいたら、たぶん、私、ニートとかになってたんじゃないかな(笑)」「絶対もう、ずっと下向いて、何に対しても震えてそうな自分が想像できます」 
「ほんとに、ちっちゃいときからすごい人見知りで。べつにそれもひとつの自分なんだから、そんなに気にしなくていいのにって、まわりからすごい言われてたし。自分でも、そんなちっちゃいこと気にしていても意味ないから、そのままでいいじゃんってわりきって強い気持ちでいこうといつも思うんですけど……でもやっぱりダメだって思ってしまう部分が、たぶん、自分の中にちっちゃく残っちゃってるから、変わりたいと思うんだと思うんですけど……それだけは、今もちょっとどうしてもあると思いますね」
新山詩織、自分の想像以上にうさぎちゃんだった。新山の家にギターがあってよかった。ひとつ人よりも秀でたものがあってよかった。ギター1本持って人前に立つ勇気があってよかった。

「中学時代がほんとにキツイ時期だった」という新山、同世代の子の気持ちを代弁して歌う…?
「代弁しよう、というよりかは、今、自分以外にも、みんながみんな、パーッっていう明るい子ばかりじゃないと思うし。絶対誰だって、ギャルでも、チャラい子でも、すごい静かな子でも、みんな、本音は絶対、人にそんなに簡単に話せるわけじゃないし。この曲(ゆれるユレル)も自分の奥にあったことを書いた曲だから。自分に似たような人もたくさんいると思うし、共感というか……ああ、私もこんな気持ちのときあるって思って、ああ、私だけじゃないんだって思ってもらえたらいいなっていう気持ちはありました」
というわけで、新山詩織というシンガーを的確に示していると思われる発言をまとめてみた。
今年は7月に東名阪で2ndツアーが決定している。新山のライブには同世代より上の男が多い気がするので、女子中高生たちもぜひ新山を聴いてくれ。みんなで新山を守ってやってくれ。

2015年4月24日金曜日

ポアンカレ予想…。「は?」

以前、「ポアンカレ予想」に関する別の本を読んだことがあったのだが、まったく何も掴めなかったw 今度はこれを読んでみた。NHK取材班による「100年の難問はなぜ解けたのか 天才数学者の光と影」(2008)の新潮文庫版。108円で手に入れた。これはNHKの番組だったのだが自分は未視聴。

2006年、アメリカの科学誌「サイエンス」はその年の科学ニュース第1位に「ポアンカレ予想の解決」を選定した。

フランスの天才数学者アンリ・ポアンカレが1904年に発表した著作「位相幾何学への第5の補足」にそれはある。
「単連結な三次元閉多様体は、三次元球面に同相である」
それはこうも言い換えられる。

「宇宙に張りめぐらしたロープがすべて手元に回収できたとすれば、宇宙は丸いと言える」

は?数式で書いても言葉で書いてもまったく意味がわからんw この問題が証明されると人類は宇宙の形を知ることになる…らしい。

2002年の秋、数学の世界ではインターネット上に「ポアンカレ予想の証明」が出ているという話題で持ちきりだったそうだ。サンクトペテルブルク在住の数学者グレゴリー・ペレルマン(当時38歳)という謎の人物が解いたらしい。しかも、その2年前には証明が完成していたらしい。
しかも、フィールズ賞も受賞拒否、クレイ数学研究所の懸賞金100万ドルも受け取り拒否。居場所も不明で誰も会えない。世界をめぐる大ニュースになった。

この本ではペレルマン博士を知る人々にインタビュー。国際数学オリンピックで金メダルをとった天才少年は数学だけでなく物理学でも神童だった。ソ連崩壊後、アメリカに渡る。性格が一変、周囲との関係を絶っていく…。博士に何が起こったのか?

この本では1950年代のトポロジー隆盛から解決までの経緯を追う。60年代にスティーブン・スメールが「五次元より次元の高い宇宙でポアンカレ予想が成立する」ことを証明、80年代にウィリアム・サーストンが「宇宙はどんな形をしていても、最大で8種類の断片から成り立っているはずだ」と予想。サーストンの幾何化予想が証明できればポアンカレ予想も同時に証明できることが判明。90年代、リチャード・ハミルトン「リッチフロー方程式を利用すれば、サーストン予想とポアンカレ予想を証明できる可能性がある」……。

そして2003年、ニューヨークでペレルマン博士による講義。なんと、受講したトポロジーの専門家が講義の内容を理解できない…。つまり誰も合ってるのか間違いがあるのか分からない。

この数十年、数学の天才たちの間でそんなことが起こってたって知る1冊。数式は一切出てこない。だれも理解できないから。数学者ってすげえなって感心するだけの1冊。

ペレルマン博士、今もサンクトペテルブルクに母親と引きこもったまま…。YUIも博士も「注目されたくない…。」って、なぜなのか?

2015年4月23日木曜日

旭山動物園物語2015

 4月10日にフジテレビで放送された「新・奇跡の動物園 旭山動物園物語2015〜命のバトン〜」を録画しておいたものをやっと見た。旭山動物園が日本一の動物園といわれてから10年、動物園ブームは終わってしまった…という前提でドラマが始まる。ちなみに、自分は2012年1月に旭山動物園を訪れたので旅を思い出すことができた。レッサーパンダのかわいさは異常。

なんとシリーズ第5作目。おそらく自分は第1作だけ見たことある。当時はまだ戸田恵梨香が17歳でかわいかった。その後まったく見ていなかった。26歳になった戸田恵梨香、一時期まったくかわいくないと思ったけど、今は持ち直してる。肌はきれいだけど痩せすぎで顔が怖いな。
主演の山口智充は園長になっていた。ちなみに、山口智充は2004年のROCK IN JAPAN FES.に出演したことがある。これ、信じられないかもしれないけど本当。プチトリビア。
役人たちを相手にカバを展示する新施設のアイデアをプレゼン。おい、役人ども、アイデアに不満があるなら自分たちで考えろ。集客にしか関心のない素人は黙ってろ。

今作で起こる事件はフラミンゴが1羽逃げ出したこと。そのことと事後対応でクレーム電話が鳴り止まない。これ、ほんの少しでも事実が混じってる?新聞記事はフィクション?「命を守るのがあなたの仕事でしょ!(ブチッ)」、自分勝手な演説をするクレーマーはドラマだとしても身の毛がよだつ。いろいろ嫌な記憶が蘇る。
新聞記者やレポーターたちってこのドラマみたいに無礼なのか?政権を厳しく監視し立ち向かってるなら威張っていい。たかが地方動物園にそこまで辛辣に攻撃する?行政の矢面に立たされる仕事なんて絶対したくない。

そして高齢カバの新カバ館引越しと死。そして伊東四郎の退職。レッサーパンダの出産。

だが、今回このドラマに注目した理由は黒島結菜(17歳)だ。10年経っても同じ理由でドラマを見てる俺。黒島、どうやら市役所本庁から来た広報担当という役なのでパンツスーツ姿。数字に細かくうるさい。
荒川にイヤミ言われてキレる。「え、何か?(怒)」。仕事のできる女は気が強い。
TOKIO城島を見て「新人っていうから若いのかと思ってた。うちのお父さんみたい(笑)」、城島の冴えないおっさんぶりが哀しすぎた。
戸田とはレッサーパンダの妊娠をブログに書くことを止められ熱くなる。「どんどん発信してかないと!動物園が忘れられちゃう!」、命を預かるプレッシャーを諭す戸田。

年老いたカバを飼育員が看病するシーンでは表情の演技も見せた。
意外に出演シーンが多かった。まだ初々しくて子どもっぽい。素朴な感じ。

自分が旭山動物園に行ったときは1月初旬で午後3時で氷点下21度だった。自分が人生で経験した一番の寒さだった。沖縄出身の黒島、冬の旭川は演技に集中するどころじゃない寒さだったのではないか。

黒島結菜、自分の心に「結菜の平和」、パックス・ユイーナをもたらしてほしい…。

2015年4月22日水曜日

調布大祭2015

4月12日の日曜日、Tくんと2年ぶりに青梅の調布大祭見物に出かけた。ちょっと遅くなったけど記事にしておく。Tくんとは昨年12月の秩父夜祭以来。曳山祭りを愛する男ふたり。東青梅駅で降りて下奥多摩橋へ向かう昼下がり。
青梅には青梅大祭という曳山まつりも存在するのだが、ゴールデンウィーク中だし大混雑する。
その点、調布大祭は青梅のローカル祭り。
下奥多摩橋の通りの、なんてことない住宅地の辻に各村から集まった山車が6台集う。どんどこチャカチャカ鐘太鼓。うるさくて会話などできない。
やっぱ山車が出ないと祭って気がしない。自分は三社祭も赤羽ばか祭りも見物に出かけたことがない。人が多すぎる場所は苦手。調布大祭はそれほど人がいないので気軽に見物にいける。そんな場所へわざわざ出かけるのはTくんと自分くらいなものだけど。

桜も終わり。暑いのでアイス食べながら山車をなんとなく追いかけて散歩。そんな祭り。

2015年4月21日火曜日

YUI 「Perfumeさんは本当にステキ」

書いてはみたけれど公開してなかった記事も出してしまおうと思う。これで本当に全ネタ放出し尽くしたw
YUIは「オンタマ」という音楽情報番組でPerfumeを絶賛べた褒めしたことがある。
「以前テレビでもお会いさせていただいたことあるんですけど、本当にステキな、いつも優しく接してくださる方々で」

Perfumeの3人は楽しそうに話を聞いて、うまく面白い話を引き出して拾って、空気を読んで、場に花を咲かせるトーク術を持っている。この3人のYUIを見つめるキラキラした眼差し!

「It's My Life」のときMJに出演したYUI。楽屋でのトークコーナーではYUIの趣味のマウンテンバイクや、富士山に登りたいこと、キックボクシングを少し習っていたことで話がはずんだ。

のっちはかつて「LIFE」がカラオケの18番だった。あ~ちゃんは「タイヨウのうた」を見て「彼氏はいません!」のところが可愛いと言っていた。ただし、かしゆかは普段ほぼ洋楽のみしか聴いていないのでYUIにはほとんど何も馴染みがないものと思われる。
YUIが「Green a.live」でMJに出演したとき、Perfumeの2回目の楽屋トークでは、中国上海でストリートライブをしたこと、そして、あ~ちゃんとの「洗濯」トーク。
YUIやPerfumeのような一流ミュージシャンでも洗濯は自分でやってる。それにしてものっちのデコルテラインが美しすぎてつらい。
のっちは笑うとき口を手で押さえている。レディだな。

YUIのPerfume絶賛の言葉の裏を返すと、音楽業界では不快な人も多いということかもしれない。ま、どの世界でもそうだが。

あとYUIとPerfumeというと、2011年のサマソニ大阪のYUI→Perfumeという流れ、YUIオタとパフュオタの熾烈を極めたポジション争いも思い出す。あれは辛かった。

Perfumeは全員26歳、あと2年ぐらいは追いかけられるかな。

YUIネタはこれからは何かリリースされたとき、ライブ、新発見とかないと何も書けないと思う。5月に未踏のロケ地に行くかもしれないけど。

2015年4月20日月曜日

命を削って音楽を書いてる

これも紹介するタイミングを失ったままだったので今回紹介しておきたい。これも誰かの役にたつと思ってる。YUIの独占インタビューが掲載されたAERA2012年12月24日号から、簡潔に一部引用する

(活動休止を決断したことについて)
今回は、私にとって人切なもの、音楽を守るためにした決断です。1年くらい前、このままYUIとして歌い続けることに限界を感じていました。表現者として一番人事なのは、思いがあること。でもその思いが途切れちゃった時、作品が作れなくなるんです。そういうどん底の状態でした。折り合いをつけながらやることもできました。でも、り合いをつけていたら、生命力や生きていく力が空っぽになっちゃう。歌うことでいろんな人を元気にしたいと思ってきたけれど、自分が元気じゃなかったら、誰かを元気にすることはできない。だから、年内で活動休止にしようということは、長い時間をかけて考え抜いて出した結論です
(YUIの感じた限界とは)
タイアップ曲でアレンジを変えてくださいと言われる時は、自分の産んだ子どもの目ん玉と、他人の子どもの目ん玉を入れ替えるくらいのきつさがある。曲を作る人にとって作品は子どもみたいなもの。例えば、アコースティックで作った曲をロック調に変えるのは、おとなしい子どもにパンクっぽい服を着せて、あなたはコレなのよって言っているようなもの。泣く泣くそういう服を着せなきゃいけないときもあります。もちろん、映像にハマると意外によかった、ということもあります。全体としてはそれでいいのですが……
(AERAの記者は、倒れても舞台「放浪記」を守った森光子の役への執念を例に挙げ、YUIの決断との差をどのように考えるのか聞いてみた)
私は自分らしくいることが大事で、それを貫くための選択です。命を懸けて、ろうそくを削るように音楽を作っている。40になっても50になっても作り続けたい。細く長くやっていくため、思いを途切れさせないでいるのも自分の使命だと思いました
YUIはマイペースに40、50になっても音楽をつくっていくってよ。
2020年の東京オリンピック開会式に立つYUIの姿が見たい…。そんなことはおそらく絶対にないけど。

2015年4月19日日曜日

自分が変わることはできても、人を変えることはできない

上手く記事にまとめられずに放置していた資料がいくつかあるので、この機会に紹介してコメントへの返信としたい。YUIの不在はさらに長引きそうだから。
これはYUI休業直前に出たワ○ミ×ecocoloによるフリーペーパー。これをもらうためだけにさざわざ友人とワ○ミへ出かけもらってきた。完結にYUIの言葉だけを一部だけ引用。きっと誰かの役にたつ。紹介することで後の世代のYUIファンの心の糧となる。
ストリートで演奏していた頃の夢って、〝デビューしたい〟とか〝注目されたい〟じゃなくて、〝音楽の傍にいたい〟だけだった。だから、そういう意味ではもう夢が叶っているのかもしれないし、これから先、今みたいに注目してもらえなくても音楽を続けていけるはずだと思うんです。音楽が好きで好きで仕方ない気持ち……その頃の想いをずっと大切にしていたいですね 
今までいろいろ考えてきた中で感じるのは、自分が変わることはできても、人を変えることはできないってこと。だから、私は私なりに闘いながら、楽しく納得のいくものをつくるしかないんじゃないかなって思うんです。誰かの背中を押したいと思って書く曲はあっても、それで人を変えてやろうとは思わない。誰かが夢に迷ったり、挫折しそうな時、そこに私の曲が寄り添っていてくれたらいいですね
ファンにとってあまりに巨大な存在のYUIは、自身の役割をここまでつつましく考えている。

2015年4月18日土曜日

さよなら、YUI

正確に言うと、さよなら、ヨシオカ・ユイ

YUIには才能がなかった……。YUIを大きくする才能だけが。

一般の方?箱の中の人じゃなかったんかい!自分はそのへんのゴシップ記事はまったく見てなかったのでまったく知らなかった。YUIが結婚する日がくるとしたら、事前に何も交際の記事も噂も聞かないステルス婚になるだろうとは思ってたけど。

YUIが結婚で暖かい家庭の幸せを得るように願って祝福したい。YUIの幸せはいつも願っている。
自分は不安も感じてる。YUIが母親と同じようにならないかも心配だ。相手の男が見えない…。

自分のYUIファン人生で最良だと感じた瞬間が3つある。1.2011年の香港公演、2.2007年の武道館公演、3.2013年Japan Jamの開演前…、熱気と興奮ってこういうことだなって思った。

自分は2006年から2007年に年が改まったころから全力で追いかけはじめたのだが、まさにその時期がYUIとファンにとって一番いい時期だったかもしれない。YUIの作る楽曲と歌唱の稲妻に打たれた瞬間から、YUIにはカリスマ性があって、輝かしい未来が待っていると思っていた。たぶんもうあのころのYUIが帰ってくることはない。

YUIはやがて武道館、アリーナ、ドームへと駆け上がるだろうと、自分は一緒に夢を見ているつもりだったのだが、やがてYUIにはそんな夢がないことを知る。YUIはファンの期待にこたえるよりも、自分の音楽をする場所があることと、自分のペースで音楽をやること、そこに少しのリスナーがついてくればよかった。

自分は焦っていた。音楽に関心がある人でもYUIの名前は知っていても、曲も人となりも何も知らない。2010年、2011年とYUIは夏に3つの音楽フェスを回ったのだが、開演を待つ自分の周囲の大学生風男女がこんな会話をしていた。「YUIって結婚してるの?」「さあ」…、世間はそこまでYUIに関心ないのか?!ま、それが普通か。YUIのすごさを知ってほしい。アジアでの需要の高まりに答えてほしい。

だが、YUIファンであった期間のほとんどで、寂しさとフラストレーションを感じてもいた。どうしてYUIはもっと全開でぐぐーーっと来ない?なぜそこまで慎重?消極的?

女性シンガーがキャリアの頂点をぶつけてくる20代後半が完全に失われる。それはライブコンサートのみにおいてかもしれないが。
今のところ、30代になったYUIがまたテレビに出たり、大々的に全国ツアーをする姿が自分にはまったく想像できていない。今後のYUIに活躍の場があるのかもわからない。細々と曲を発表するだけになるかもしれない。

実は、世間はもうYUIへの関心を失っている。FLOWER FLOWERの2枚のCDの売上を見ればわかる。それに、YUIブログをやってる人ならわかるはずだ。YUIについて検索してやってくる訪問者数がかつての3分の1以下になってることを…。YUIから出て行く人よりも、YUIとフラフラに入ってくる人は少ない状態だった。結婚、出産した女性シンガーは例外なくCD売り上げも動員数も落ちる。YUIにはもうこれ以上がないだろうと思う。

だが、逆に今まで以上にがんばりだす目もあるかもしれない。積極的に夏フェスを回ったり。ロッキンのグラスステージに立つ…ってこともなくないんじゃねって。

最近また「CAN'T BUY MY LOVE」の初回盤を見つけて買ってしまった。手放す人が増えたのか、安価で中古でよく見かける。このアルバムが一番好きだったな。青春だったな。YUIのおかげで日本中へ行けたな。
なんか、このままダラダラとりとめもなく書き連ねそうなのでこのへんでやめる。今後しばらくYUIについて書くこともなくなるだろうと思う。

2015年4月17日金曜日

ギミ スーパイコ!

気がつけばウェスト新宮中華料理で「二品定食」(スーパイコ定食)を食べてから5年経ってる。(5年前の記事はこちら)
5年間まったく福岡へ行く用事がなかった。また行きたいと思ってるけど、いつまでも新宮のあそこにウェストが建っていてくれる保障もない。いつか業態が変わってしまうこともありうる。
フラフラは福岡か九州でライブをする予定がないのか?そもそもフラフラになってから1度もライブをしていないのではないか?地元ファンの焦りと嘆きが自分にもよくわかる…。
ビジネススキルとお金と政治力のある誰か、ウェストを東京にも出店させてくれ!って思ってた。さもなければ俺に夏フェス会場で「ウェスト新宮のスーパイコ」の屋台を出店させてくれ!って思ってた。すべてのYUIファンにとってマボロシの一品だ。オタなら行列してでも食べたいはず。夏の暑さとライブに疲れた若者たちに、甘酢のかかった揚げた豚肉はきっと合うはず!

というわけで、自分でウェスト新宮風スーパイコをつくってみることにした。スーパーで買い物。豚ロース肉、たまねぎ、ピーマン、赤ピーマン、片栗粉…。
赤ピーマンが売ってなくて、しかたなく赤パプリカを買う。なんと1個198円もした。高い。
そして、ミツカンの酢豚の素…って、酢豚じゃん!いや、タモさんも「スーパイコって酢豚だよね?」って言ってたけど、「スーパイコ」とは酢豚の長崎県民ローカルの呼び名らしい、って調べてみて知った。
長崎は昔からヨーロッパや支那文化の玄関口。となると長崎の呼び方がなんらかの原型を留めているのかもしれない。ウェストは佐賀唐津市にルーツがある外食チェーンらしいので長崎→佐賀→福岡と伝播したものかもしれない。ま、YUIがいなければ「スーパイコ」も「ウェスト」も知らないままだったのは確かだ。
今回はあくまで「ウェスト風」な見た目のみにこだわった。油がオリーブオイルしかないという事態に直面。フライパンひとつしかないので、豚は揚げずに炒めた。できた。
人生で初めて酢豚をつくったにしては上手くいった。もっと甘いほうが好きだな。神棚に供えてYUIの健康と完全復活を祈願した。

YUIがウェスト新宮中華料理でバイトしたのは2年ほど(入院期間も含む)だったはずだ。YUIの高校の学費の足しになった。看板娘YUIは「まかない」として「スーパイコ」を何度も口にした。このときYUIの舌に「酢豚基準」が出来上がった。YUIは今も美味しい酢豚を食べている?

2015年4月16日木曜日

ゆめのかよいじ(2013)

「ゆめのかよいじ」という映画を見てみた。新潟の栃尾で撮影されたローカルな映画。なんでも80年代のマンガが原作らしい。いつものように何も予備知識がないまま見始める。

主演は石橋杏奈竹富聖花のふたり。石橋はホリプロ期待の若手女優。NHK「LIFE」に出てそれなりに知名度はあるけど、まだまだ脇役での出演が多い。清楚な感じでもっと人気が出ていいはずだ。

石橋が老人ばかりのバスに乗って車窓を気持ちよさそうに眺めている。母の故郷へ帰ってきたらしい。旅番組のような雰囲気。

だが、道の傍らでこちらを撮影している挙動不審なキモ男を見つけて表情が曇る。ぶつぶつ何か言ってるのを完全無視して引き返す。河原に出る。今度は石を積上げてる子供がいる。「賽の河原か!」なんか、すごくシュールな始まり。この映画も幽霊ファンタジーものか?

高校へ編入。この時点で初めてJKだと気づく。愛想もなく暗い印象。誰とも親しくしないし笑わないしいつもぼんやりしてる。なんだこれ?こういう女子、気になるわ~。この高校の制服がわりと好き。気になって一生懸命話しかけるカメラ男、ぜんぜん石橋の心に響いていない。

やがて校内に1人制服が違う女の子がいることに気づく。自分にしか見えていないようだ。調べていくうちにクラスメイトの祖母の先輩に該当する少女がいたことが判明する……。その子が竹富聖花。

竹富聖花はノンノ読んでる人ぐらいしか知らないかも。「ホットロード」でJC能年の友達だった。この子もカワイイ。顔がつるんとしてゆでたまごみたい。まだまだ表情が子供だ。鼻と口が小さくて突き出している。小さい富士山口唇(ⓒ桐谷美玲)が喋りづらそうだ。幽霊の役だからなのか表情に変化がなくひたすら棒演技…。このころはまだ演技経験なし?

ただ淡々とだらだらと会話劇が進む。この映画の世界に何も引き込まれない。
うーん、映画としてとくに驚くこともない。女優が可愛いという点を除いて良いところを探すのは難しい。だが、この映画を見たことで栃尾という場所の存在を初めて知った。

そしてエンディング・テーマが笹川美和「プリズム」。以前、職場の女の子が笹川美和のファンで薦められたのだが、そのときはピンとこなかった。けど、この曲はいいと思う。

2015年4月15日水曜日

堀北真希 「白夜行」(2011)

ついに重い腰をあげてこれを見ることにした。東野圭吾原作のベストセラーを映画化した2011年公開の堀北真希主演版「白夜行」

2006年のテレビドラマ版「白夜行」は素晴らしかったのだが、あまりに暗い話で気が滅入るので最初のほうと最後のほうしか見なかった。こんな酷い人生、たとえ映画でも観るのヤダ。

綾瀬はるか、山田孝之、武田鉄矢の主要3キャストが堀北真希、高良健吾、船越英一郎に代わった。ドラマ版と驚くほど違っている。

廃ビルで死体が発見される。雨が降っていてどんよりと暗いグレー一色の世界。昭和から平成、とにかく絶望的な貧困…。暗い。気分が沈む。

ドラマ版は第1話で殺人事件のあらましが提示されるけど、映画版は視聴者には事件の全体がわからないようにドラマが進行する。たぶん観ている人は話の筋がなにがなんだかわからない。それぞれのシーンが何の関係があるのか見失う。びっくりするぐらい分かりづらい脚本だ。回想シーンを見てだんだんわかってくる。

この映画のヒロイン唐沢雪穂(堀北真希)、正体を見せないまま真実に近づいた者に手を下していく恐ろしい怪物。成り上がるためには唯一人の親友も斬って捨てる。だが、そのシーンは一切ない。自分では手を汚さない。この映画の堀北、あんまりキレイにかわいく撮れてるシーンがなかったかもしれないな。

人生すべてをかけて事件を追う船越刑事、この人のやさしさと人間性はこの物語の数少ない救いだが、最後の高良への語りかけ、急にそんなこと言われても、高良はどう反応すりゃいい?武田と山田のテレビドラマ版のほうが好きだな。

テレビドラマ版の素晴らしさに比べると、この映画は19年間を149分で描かなくてはならなかったにしても、成功していないように思えた。残念ながら観終わった後の満足感があまりなかった。

この男女の協力関係だと完全犯罪が成立したかもしれない。立件も難しい。堀北は逃げ切ったのではないか。

高良健吾の人生がまったく救いがない。あまりに陰惨。登場人物が全員不幸。休日をどっぷり暗くする1本。このストーリーを組み立てた原作者はすごい。

この映画でも知っている場所が出てきた。大学のダンス部に入った堀北と親友、あ!鎌倉の華頂宮邸だ。堀北が座ってたあたりで2,3年前の秋の一般公開のときにコーヒー飲んだわ。金持ち大学生の父と会長、ウルトラマン・タロウとウルトラマンじゃないか!

2015年4月14日火曜日

YUIMETALのトマト

2012年11月に出た別冊「CD&DLでーた ニッポンのアイドル宣言2」というムック本にベビーメタル記事を見つけたのでつい買ってしまった。400円。気づいたら自分はBABYMETAL資料集めも始めてしまっている。

だが、それほど内容のないインタビュー記事だったので、やっぱ買わなくても良かったかも…。BABYMETAL待望のメジャーデビューシングル「イジメ、ダメ、ゼッタイ」はCDリリースよりも2年も前からライブで歌われていた曲だったんだな…。
SU-METAL  一番最初にできたBABYMETALの曲が「ドキドキ☆モーニング」で、それを聴いた時にちょっとカッコよくてカワイイ曲をやるユニットなのかな?って思ったんDEATH。でも2曲目にもらったこの曲はがっつりカッコよくて。最初に叫ぶところとか♪君を守るから♪のところとか、叫べている感が気持ちよくて、BABYMETALってこんなこともできるんだ!って感動したのを覚えています。この曲がなかったら今のBABYMETALの激しさはなかったかも。ここから始まった気がします
YUIMETAL さくら学院の曲にこんな激しい曲はなかったので最初に聴いた時はびっくりしました。でも、やるたびお客さんとの一体感が増していく気がして。これからがまた楽しみDEATH 
IDZはそれほどまでに重要な曲になった。ヨーロッパでもこの曲はウケていると聞いた。たぶんやつらは歌詞を知らない。BABYMETALの曲にもう笑い要素は必要ないと思う。そして、

MOAMETALが夜一人で寝れるようになったのは小学6年生以降。
「1人で眠れるようになりたいです。今年やってみたら2日間続いたので、次は3日は頑張りたいと思います」
YUIMETALの「ダメ、ゼッタイ」は?という質問への答え
「トマトがすごく好きなんですけど、丸ごと食べたいんです。わざわざ切ってくれたりするとダメ、ゼッタイ」
というようなことを学んだ。YUIMETALのトマト好きはすでに有名。ちなみに自分も子供の頃からトマトが大好き。夏休みに田舎の祖父母の家に行くと、ビニールハウスからグレープフルーツよりもでかいトマトをもいできて、水につけて冷やしておいて1日に何個でも食べてた。今年はベランダでトマトを作りたい。

PS. Road of Resistanceを配信で買ってしまった。まだまだ次のアルバムが出るまでとうぶん待ちそうだし。大げさでなく、感動のあまり茫然自失となる曲だ。凄腕ギターとSUの歌唱に震撼した。「うぉ~うぉ~お~お~♪」が頭からずっと離れない。
ロンドンもさいたまもオーディエンスのシンガロングの音程感のなさがひどい。

PS. 最近になって能年玲奈もBABYMETALの「ギミチョコ!!」が好きと発言。そしてYUIMETALも「あまちゃん」を見ていたことが判明。

2015年4月13日月曜日

しあわせのパン(2012)

洞爺湖のほとり、月浦に移り住んだ夫婦がパンを焼いてコーヒーと料理を出す映画。四季の移ろいとやってくる客を描いた暖かいヒューマンドラマ。ナレーションはなんと大橋のぞみ。

何か書こうと思っても何も書くことがない映画でびっくり。美味しいもの食べて美しい自然に囲まれていれば幸せ、という映画。洞爺湖がきれいだ。とにかく北海道が魅力的に見える。自分も好きな人とこんな暮らしがしたい。

夏、東京から単身やってくるOL客は森かんな、この人すごく細くてスタイルいいな。そんな美人って思わないけどショートパンツ姿で脚ばかり見てしまう。

秋、母親が出て行ってしまった小学生と父・光石研。あがた森魚がアコーディオンをいい感じに弾いていてびっくり。

冬、吹雪の夜にやってきた渡辺美佐子と中村嘉葎雄による老夫婦の哀しみ。

名優たちががんばってるけど、自分としては退屈な映画。リアリティーのないファンタジー世界。こういった映画を好んで見る人が多いってことは、この社会は優しさと思いやりのない、ストレスだらけの世界なんだろうな。

原田知世は45歳ぐらいのはずだが、この人の若さはミラクル。主題歌は矢野顕子と忌野清志郎による「ひとつだけ」。

2015年4月12日日曜日

あまちゃんはまだ終わってない

「あまちゃん」の再放送がBSプレミアムで6日から始まってる。また大友良英の軽快な音楽と共に、心が躍る15分間が毎日始まる。「あまちゃん」はまだまだ終わっちゃいなかった。

昨年の秋ごろ、この本を手に入れた。文藝春秋×PLANETS「あまちゃんメモリーズ」という1冊。まるでマニュアル本かのように分厚い。2013年10月発行で定価1,300円。信じられないことに108円で手に入れた。あまり読みこまれた跡のないキレイな本だった。あまり売れなかったのかな…。

「あま本」でありながら能年玲奈の写真はナッシング。有村架純のグラビアとインタビューこそあるものの、その他の出演者たちはすべてイラストで乗り切ってる。NHKのあずかり知らない、全話、全登場人物、用語解説、あまちゃんラヴァーズ(業界関係者、評論家、社会学者、著名人)たちによる「あまちゃん」愛の詰まった寄稿文によるあまオタによるあまオタのための「あま本」。

この本、再放送を機にやっと開いて見たのだが…、いろいろ知らないことだらけで面白すぎた!

まず、有村架純。この子、カワイイ偏差値でいったらたぶん69ぐらいは行ってる。けど自分はあんまりタイプでもないので追いかけてもいない。最新映画がコケないか心配だ。
この本、初めて知ることが書かれていた。有村は語る、
本当は春子ではなく、ヒロイン(アキ)のオーディションを受けたんです。でもそれがきっかけで、若い頃の春子に選んでいただきました。正直、最初に話をいただいたときは、「回想シーンだから、ちょっとしか出られないのかな……」と、想像していました。そうしたら、ちょっとどころじゃなく、思った以上に春子の過去が描かれていて嬉しかったです。自分の中でも、NHKの朝ドラだから「よしやってやろう!」って気合が入りましたね。もしちょっとのシーンだったとしても、絶対に印象に残るお芝居をしたいと思っていました
有村、なかなかポジティブで野心的。小泉今日子を見て似るように研究したそうだ。楽屋で一緒になった小泉今日子から「春子はすごく好評だよ。ありがとう。」と直々にいわれたそうだ。このドラマは有村にとっても転機になった1本だった。

実は、この本を買った一番の理由は、能年玲奈にとって月影千草ともいうべき演技の先生・滝沢充子女史のインタビューがあったから。滝沢先生は「Jメソード」という独自の演劇論で能年を指導し「あなたは女優にならなきゃ生ゴミ」という、「そのとき歴史は動いた」クラスの名言を残した人物だ。滝沢先生、能年玲奈との出会いを語る。以下一部引用、
私は以前、能年玲奈さんが所属する事務所のタレントの演技レッスンを担当していました。あるときそこへ能年さんが見学にやってきたんです。
まだ中学生だったから、14、5歳だったと思います。当時、彼女は地元の兵庫で学校に通いながら、土日になると仕事をしに東京へ来ていました。卒業後は東京の高校へ入ることが決まっていて、それを機に私のレッスンを受けることになったんです。ただ、彼女は何度も見学に来ていながら、なかなかレッスンを受けることを決めなかった。見学に来る子はたいてい、2回くらいで受けるか受けないか決めるものですが、彼女はいつまで経っても「うーん」と首を傾げていました。それが逆に面白いなあと印象に残ったんです。あとで聞いたところ、モデルをやろうと思っていたのでお芝居には興味がなく、でも一応どういうレッスンか、見に来たものの、彼女には全然フィットしなかったらしいです。
能年は14、5歳から能年だった!首を傾げたまま「うーん」と悩み決断できない姿は今とまったく同じゃん!w
能年は最初から他の子とは違っていたらしい、
玲奈は、ある瞬間ふいに、ということがよくあって。実際、いざ、レッスンしてみても、できないときは何にもできなくて「わかんない……!」と突っ立ったままになってしまうんです。普通は、もっとできないことをごまかすものなのですが、彼女はそれをごまかさないんです。その反面、できるときには誰よりもできるんですよ。この落差のあまりにも大きいところが面白くて。今どき、こんな不器用な子っているんだ、というのが最初の印象でした。
能年がありえないぐらいにバラエティで固まってしまったり不器用なのはキャラを演じてるんじゃない。最初から天然に不器用だった!そして、「生ゴミ」発言から能年は変わった。
それからの玲奈は、レッスンに熱が入るようになりました。何がはじまったかというと、レッスンの帰りに私を待ち受けて、その日にわからなかったことを全部質問してくるようになったんです。あのとき先生はこう言ったけれども、あの言葉の意味はどういうことなんだ、というような質問を延々はじめるんです。ほかのレッスンの生徒たちがみんな帰っちゃっても、2時間くらい喋っていましたね(笑)。彼女いわく、それでも遠慮していたらしいです。思いついたらすぐに先生に連絡をしたかったけど、遠慮していて、先生のメールアドレスを聞き出すのに1年かかったと(笑)。
生ゴミ先生の語る能年の劇的変化。女優能年玲奈誕生の瞬間だ。「うぉ~たぁ~」、サリバン先生の「生ゴミ」という言葉にヘレン・ケラー能年は感電した。不器用な能年、愛おしい…。

「あまちゃん」再放送の第1週目を見ていて、能年がまだいきいきと天野アキになりきれていないように感じたのだが、その答えは滝沢先生の口から語られていた。
最初の頃、玲奈はアキの役づくりに戸惑っていたんです。例えば、1週目の撮影では「もっと明るく、もっと明るく」と言われていたらしいのですが、さっきまでママ(春子)と喧嘩していたのにその後にっこり笑うことなんかできない、と悩んでいたんです。久慈で撮影しているときにメールで悩みを相談されました。私は、「でも、それは玲奈だからできないのであって、それができるのがアキちゃんなんだよ」と助言しました。では、どういう人間だったら笑える人間になるのか?ふたりでメールをやりとりしながら考えた結果、目の前のことになると前の日のことを忘れちゃう子なんだ、という解釈に行き着いたんです。それからようやくアキという役に飛び込めるようになったらしいです。
能年によれば滝沢先生は「毎晩本読みに付き合ってくださった」らしい。滝沢先生によれば「演出には一切口を出していない」「あくまで役者のメンテナンス」だそうだ。
インタビューでは他に、「オーディションは落ちたとしても、能年玲奈という面白い子がいたと思わせる方法を考えアピールするようにした」とか、「あまちゃんでの白目とか変顔もトレーニングしてた」とか、あまちゃんでの能年の魅力爆発は滝沢先生との二人三脚によるものだったことがわかる。
「あまちゃん」は奇跡のようなドラマだったけど、多くの情熱と才能を持った役者たちが集まって、起こるべくして起こった奇跡だったんだなと思う。さあ、ふたたび壮大なあまちゃんサーガの始まりだ。

2015年4月11日土曜日

東郷堂 MEIKA で撮る

このカメラも昨年夏の終わりごろジャンク箱から540円で発見した。東郷堂のおもカメ、MEIKA 35というカメラ。レンズキャップがついていたのは奇跡。

このカメラが初めて発売されたのはなんと1960年。つまり60年安保があった年。樺美智子が国会で死に、岸内閣が退陣し池田内閣が発足した年。大洋ホエールズが日本シリーズで大毎オリオンズを下し、球団創設以来初の日本一になった年w
このカメラは発売当初、MEICAという名前がLEICAからクレームがついたので、その後MEIKAに変えたという面白いエピソードが伝えられている。
自分が見つけて友人に譲ったこの個体もトップカバーにはMEIKAだが前面にはMEICAと表記されている。日本も昔はテキトーだったのだ。

アルミ製の軽薄なボディ。フィルムを湾曲させて歪みを抑える1枚玉レンズ。シャッターは「インスタント(自前計測の結果1/90)」と「バルブ」が選べる。
シャッターは簡単なロータリーシャッターだが、この個体はシンクロ接点がシャッター機構を邪魔していて、羽根が元にもどらないというどうしようもない不具合が起こっていたのを手直しした。

このシャッターがスコッと押し応えがない。巻き上げもそれなりの感触。すべてがカタカタいう工作精度。だが、このカメラはとても子供だけが使っていたとは思えない。大人だって毎日の記録や旅行に十分に使えて性能を発揮したはず。以下作例
すべて南会津旅行で撮影。昭和を感じる色合いだが、使用期限を過ぎたフィルムを使ったせいなのかもしれない。

2015年4月10日金曜日

本田翼 / BBB「Perfect Blue」PVロケ地巡礼

Base Ball Bearの15枚目のシングルPERFECT BLUE(EMI 2013年2月)のMVのロケ地・茨城県行方市にある旧麻生中学まで本田翼オタとして巡礼を果たしてきた。真冬に逆戻りしたかのような寒い日だった。

この廃校は東京から近くもないのだが、学校を舞台にした映像作品によく登場するロケ場所だった。廃校後、地元フィルムコミッションによって撮影場所に提供されていたのだが、昨年11月に取り壊された。

廃校ロケ地探訪シリーズ第2弾「旧麻生中学」編

この場所に実際に巡礼に行ったというばっさーオタはいるのかどうかわからない。いくら調べても現在の旧麻生中学がどのように取り壊されたのか、記事をまったくみつけられなかったので、友人を誘って実際にこの目で見てくることにした。霞ヶ浦に沿った道から奥に進んで坂を登る。

まず、冒頭でばっさーが門を乗り越え進入するシーン
見ての通り、校門だけはそのまま残されていた。ただし、麻生中学校の名前の入ったプレートは取り外されていた。門は開いたままになっていた。
はい、ここがばっさーが手をかけて、お腹を密着させた正確なスポット。そこにばっさーが居ることを感じながら手を触れる…。これが残されていてよかった。
見ての通り、左手にあった校舎が跡形も無く解体撤去されている…。赤の他人の自分でさえ虚無感に陥る。
庭木はそれほどでないが、グラウンドは荒れ果てている。
そっくり建物だけが消えている。
そこにばっさーがいた。本田、意外に投球フォームがきれいだな。始球式とかしてほしいな。
そこに小出と本田翼がいた。伸びた枯れ草が2年以上経ったことを物語る。冷たい北風が身にしみた。
いつものようにその場所にたたずんで、想いにふける。校舎があった場所に校舎がないということはどういうことなのかと…。
麻生中学自体は地域の再編統廃合によって、新麻生中学が別の場所に建っている。行方市はいずれこの場所に市民のための体育施設を建設するらしい。子供がいなくなり、やがて大人たちも年をとり死んでいなくなってゆく。それがこの国の未来。
ばっさーはこんな遠くまで撮影に来ていたんだな。本田翼は今、モデルとしてCMタレントとして人気の絶頂にいる。そして女優としての活動も両立。着実に出演作を増やしている。好きすぎてつらい。こんな旅でしか満たされない気持ちを紛らわせられない…。

ちなみに、前回のBase Ball Bear 「short hair」ロケ地めぐりはこちら