2016年8月3日水曜日

第7回アメリカ横断ウルトラクイズ(1983)の再放送を見る

1977年から1992年まで「アメリカ横断ウルトラクイズ」というクイズバラエティ番組が毎年秋に日本テレビで放送されていた。

なんと昨年に第12回大会(1988)が本放送以来、CSファミリー劇場で四半世紀ぶりに再放送された…ということをひと月ほど前になって初めて知った。
見たい!と思っていたところ、第7回大会が本放送以来初めて33年ぶりに再放送!これはウルトラクイズマニアと呼ばれる人々(30代後半以上がメイン?)にとって大事件だったらしい。

じつは音楽も聴き飽きた自分は最近、ネット動画で「アメリカ横断ウルトラクイズ」をランダムに流して聴くというヒマつぶしをやっていた。このクイズバラエティがとても面白い!

で、この第7回大会を見るためだけにファミリー劇場を契約したw ポリシックスのハヤシもこの再放送を見ている様子をツイートしたw
この第7回大会は初めて参加者が1万人を突破し、視聴率も一番良かった時代。後に福留さんが語ったところによればこの回が最高傑作とのこと。

この番組が始まった当時は1ドル240円とかいう時代。一般庶民にとって海外旅行なんてとても出来る時代でなかった。
そんな時代に一般参加の素人をアメリカへ連れて行って、転戦しながら決勝の地ニューヨークを目指すという、空前絶後のスケールを持っていた。
当時の若者はみんな参加してみたい!と思ったことだろう。今の自分も参加したい!と思うのだから。
この番組を企画した番組製作会社のプロデューサーによれば、敗者を主役にしたクイズ番組を作りたかったそうだ。ウルトラクイズを特別なクイズにしているところはそこにある。

各チェックポイントで敗者が発生する。わりとキツイ罰ゲームをこなして強制送還と言う名の帰国。
罰ゲームに誰も文句や抗議を言わないで素直に従う。多くの参加者が名誉と特別な体験を求めて参加していた。
この番組は福留さんの名人的な司会進行ぶりにかかっていた。参加者は福留さんから怒られたりツッ込まれたり、優しい言葉をかけられたくて参加していたフシがある。「そんなわけがあるかぁー!」

この当時はケータイもインターネットもまだ存在していない。テレビがとても大きな力を持っていた。ゴールデンタイムに4週に渡って放送されたこの番組で北米大陸上陸ファイナリストに残ると大ヒーロー。国民あげてひいきの挑戦者を応援する事態になっていた。

今はもうそこにない後楽園球場を使った国内第1次予選が一番バカバカしくて面白い。たった1問だけで敗退する人が一番多い。
クイズ番組でありながらゲーム大会。運不運に左右される要素が多すぎ!なにしろ過去のチャンピオンが第1次予選を突破できることがほとんどない。しかも2次予選がガチのジャンケン。酷すぎるw

このジャンケンが今見るととても面白い。この番組は司会ホストの福留さんが実質番組のプロデューサー。実に素人イジリが上手い。
この番組に参加した若者たちは今現在50代60代になっている。鬼籍に入った人も少なくない。日本は平和だったなって思う。
当時の人々は今の基準だと信じられないぐらいに老けているw 30代の参加者が今の50代ぐらいに見える。
たまに美人で可愛い参加者がいる。(参加資格は18歳から45歳まで)
1次予選最後の通過者の19歳の女の子がわりと可愛い。グアムの○×泥んこに沈んだときは悲鳴が起こったw 走り方が琴子みたいだった。この方も現在50代になっているはずだ。

これほどまで完全に男女平等なゲームを他に見たことがない。ハワイでの団体戦の綱引きなんて、女性挑戦者にとって圧倒的に不利。勝ち抜けるチャンスがほとんどない。可愛い女の子たちを軒並みハワイで落とすとか、どうかしてる。
このクイズはいかに面白い素人を選抜するかに視聴率がかかっていた。主催者側は運を持っている挑戦者を選びたかった。
出題されるクイズが今の基準で見ると意外に簡単だ。一般素人参加者も視聴者もポンポン答えられるレベル。後のガチ勢によるクイズ番組とは雰囲気がまったく違う。準決勝直前でバラマキクイズやったり、○×クイズやったり、ハナからクイズ実力者をクイズ王にする気がない。

まさか自分がたった1名の脱落者になるとは思っていないらしく、最後の2名になったときの緊迫感がすごい。
ラスト2からの勝負は勝ったほうも負けたほうも涙する。この番組はクイズでありながら人間ドキュメンタリーでもあった。そこが視聴者に支持された。

第7回大会の優勝者・横田さんは新宿駅前旅館の若旦那だそうだが、「桂旅館」という言葉を聞いた瞬間、あ!そういえば高島屋の前の通りに謎の民家風の旅館があった!って思い出した。あれがそうだったのか~
とにかくアメリカの風景をバックにクイズをやってるって画が魅力的。

だが、時代は変わってゆく。90年前後には海外旅行が学生でも誰でも出来る時代になっていた。90年代になり現実を知るとアメリカにそれほどの夢を感じなくなった。

現実問題として社会人が1ヶ月近く職場を離れることは難しい。勝ち抜いていくメンツが大学のクイズ研究会のメガネ野郎だらけになっていた。やがて視聴者の共感を失っていく。
そしてバブル崩壊。毎回赤字だったのにスポンサーの撤退。海外がテロで安全でなくなった。司会者が福留さんから福澤に代わって参加者が減少に転じた。92年の放送を最後に終了。98年に1回限り復活した。

今回の第7回大会を見れたことで、1983年の雰囲気を感じ取れてとても貴重な体験だった。1983年というと、「あまちゃん」の春子ママの時代だ。この再放送を企画してくれた人々に感謝だ。
次は4,5,6回あたりが見たい。ウルトラクイズはかつての日本人を見れることが面白い。
自分はリアルタイム放送時のウルトラクイズをほとんど見ていない。
だが、ウルトラクイズは後に高校生クイズを生み出した。高校生クイズは1回出ようか?と友人と話をしたことがあったのだが部活動のために参加できなかった。高校生クイズって見てもそんなに面白いと感じないのでほとんど見たことないw 乃木坂が応援しても高校生クイズ自体はたぶん見ないと思うw 高校生が見ればよい。

もし、ウルトラクイズが復活したら?もちろん参加したいが、現実問題として勝ち上がっていくのはいろいろ困るw
ウルトラクイズは後のクイズ番組に大きな影響を与えた。クイズ番組の型をつくった。出題するときに「もんだい!」と宣誓するところとか。正解音とか。
バラエティ番組でクイズ企画をやると、意識せずとも自然と「型」を継承している。これは乃木坂46のメンバーで「頭脳王決定戦」のときのヒトコマ。

ウルトラクイズのノリは悪い意味でも日テレバラエティの礎。
タダで海外へ連れてやってるから罰ゲーム→芸人には何をやったっていい(お笑いウルトラクイズ)→アイドルにも何やったっていい(ドッキリとかゲテモノ料理とか)→賃金払ってるんだから労働者に何やったっていい→圧迫面接やブラック企業の存在…
という社会の意識の変化をもたらすのに影響を与えたのかもしれないな…とも思った。
欅坂46がポンコツ頭脳王を決定したときの画、ウルトラハットかぶってる!
この早押しでハテナマークが立ち上がるウルトラハットを自分で作ってみたいとずっと思ってる。

またかつてのように、国民全員が熱くなれるようなクイズ番組ってもうできないんだろうか?

2 件のコメント:

  1. 懐かしいですね!ちょっと見たいな~。
    僕も子供だったし、リアルタイムで熱心に見たわけでは無いですが、昔のテレビ番組はワクワク感ありましたね。
    スケールがでかかった。

    今は録画機能が発達して、色んな番組が見やすくなったけど、テレビ番組自体がつまらない。

    高校生クイズ出ようとか自分もあったな~。地味な人種に夢を見させてくれる番組でした。優勝するのはとんでもない秀才ばかりだったけど。

    留さんもスタッフに態度がでかいとか悪評で、後年評判を落としてましたが、ああいう豪快な感じの司会者って今いないなって思う。ウルトラクイズの司会が福澤朗じゃダメだろうと思った記憶があります。

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  2. YOUTUBEで好きな回を選んで連続再生させると楽しいよ。

    確かに留さんは暴君だったけど、実質この人がゼロから人気番組に作り上げた一番の功労者。
    1ヶ月以上海外を旅するのは体力的にかなりキツかったはず。それに運営と参加者の間に立つ人だから、スタッフのミスには怒鳴りたくなることも多かったと思う。

    高校生クイズって、よくそんなこと知ってるな~って関心することがあんまりない。

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