「早乙女カナコの場合は」(2025)を見る。これも劇場公開からアマプラで見れるまでがあっという間。
原作は柚木麻子「早稲女、女、男」(祥伝社文庫)。監督は矢崎仁司。脚本は朝西真砂と知愛。主演は橋本愛。murmur、ss工房の制作で配給は日活/KDDI。
カナコ(橋本愛)は長津田(中川大志、演劇サークルで脚本家を目指す)と校門くぐって即出会い、そのまま付き合うこととなり、以後10におよぶ腐れ縁。
女は希望通り出版社にインターン後に就職しやがて好きな作家の編集担当者へ。だが長津田は脚本を書くといいながらも一向に書く気配がなく、大学を卒業もせず就職もせずのダメ男。
女一代記のようなストーリーだが、登場するふたりの男、長津田啓士(中川大志)と内定先出版社の吉沢(中村蒼)は女の前を通り過ぎて行った男たちというような質感。
しかし、恋のライバル本田麻衣子(山田杏奈 )や営業職先輩慶野亜依子( 臼田あさ美 )はむしろ準主役という質感。女性作家が女性を描く小説という感じの映画。
この映画、橋本愛と山田杏奈、橋本愛と臼田あさ美という、主に映画を主戦場にしてる女優たち同士の競演が見れて良い。
映像も演技の間合いもテンポも平成初期のような質感。てか、大学の雰囲気も昭和から平成にかけてのころの質感。卒業しない大学生という存在もその時代しか許されない。
登場人物たちがスマホを持っているので2010年代が舞台に違いないのだが、登場人物たちの思考と価値観は平成初期どころか昭和末期のバブル時代だったかもしれない。山田杏奈が最初入部しようとしたサークルとかほぼスーパーフリーだしバブル時代のよう。大学の食堂の風景があえて昭和ぽく撮っていたように感じた。服装や小道具も。
なによりほぼBGMがない状態で、ひたすら舞台上演芝居かのような会話が延々と長回し。数年後というテロップが出る。静かに季節が遷ろう。役者たちが喋るだけの紙芝居。見ていて寝落ちしてしまいそうになる退屈文芸映画。予告編の何やらPOPな雰囲気は皆無。なんだか古い映画を見ているかのように錯覚する。
矢崎仁司監督の過去作に何があるのか調べたら、「ストロベリーショートケイクス」「さくら」とかどれも自分とまったく合ってなかった退屈な文芸映画だった。
ヒロインカナコはかなりしっかりしてて大人。上昇志向が強い。男からすると勘弁してほしい女。という描き方。橋本愛がかなり美人に撮れていて良い。Tシャツ姿の似合う女の子はかわいいし美しい。
本作と同じく柚木麻子による「私にふさわしいホテル」に登場した作家有森樹李(のん)がそのまま登場するのだが、あれは80年代だった。有森がそこから30年以上年をとってるのかもしれないが、たぶんほぼパラレルワールド。
なんか期待してたのとぜんぜん違った。道理で何も話題になってなかったわけだ。
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