磯田道史「無私の日本人」(2012)を文春文庫(2015)で読む。友人の本棚にずっとあったので過去に何度か手に取って読もうと思ってた。これは阿部サダヲ主演で2016年に映画化になってる。そういうカバーがかかってる版。
磯田道史という人はよくテレビで見かける歴史学者先生なのだが今回初めて著作を読む。
江戸時代において特異な3人を描いた3作を収録してる。そのどれもがほとんどの日本人にとって馴染みのない初めて聴くエピソード。たぶん磯村先生が古文書から発掘してきたストーリー?
「穀田屋十三郎」
仙台から6つめの奥州街道宿場町・吉岡宿は伊達藩領だが家来筋に与えられた領地なので、仙台のお殿様が何もしてくれずジリ貧で人口が減っている。十三郎は「このままではいけない」と悩んでる。誰もやったことのない計画を心に秘めている。
そこで年長者の菅原屋に相談。同じことを考えている。もともと浅野屋甚内が考えていたという1000両を伊達藩に貸し付けて利息を下賜してくださることで、伝馬(人馬の強制徴用)などの、宿としての重い負担を軽減したい。歎願書を正しい筋道で届け出て陳情したい。でもどうすれば?
この中編は司馬遼太郎せんせいの本のように、ところどころで江戸時代の行政機構だったり人々の意識だったりを解説してくれる。へえ、の連発。いろいろと目からうろこ。
これを読むと、現在の日本のお役所がどうしてそうなっているのか?という問題のルーツは江戸時代にあることがわかる。平和な時代になると元々戦闘員だった武士が余る。行政組織が煩雑化していく。何のためにあるのかわからない役職が増えていく。
そのラストは爽快。登場人物全員がMVPだが、橋本という歴史に名を残さなかったいち代官が心根の優しい人物だったことが奇跡。小役人は何もしないのが普通なのに。
その一方で、仙台藩の財務担当者が有能かもしれないが民草側からしたら冷酷非情。まだまだ搾り取れると考えたら、さらに吉岡宿の人々を困窮するまで負担を課す。ほぼ自民税調だし財務省のような意識と心根。
いや、面白かった。このストーリーを発掘し教えてくれた磯田せんせいに感謝だ。
え、「家」という意識は江戸時代に広まって定着した一種の宗教だったの?!家の永続、子孫の繁栄を願い、先祖の墓が無縁仏になることを極端に恐れる国民宗教?
だから令和の今、超少子化からの墓仕舞い、家仕舞い、村仕舞い、町仕舞い、県仕舞い、日本仕舞いなのか。
「中根東里」
これも今ではほとんど知られていない儒家の生涯。漢詩の名人だが燃やしてしまってほとんど作品が残ってない。清貧すぎて何も残ってないが、尊敬して慕う人々がいたことでかろうじて名が残った。
これ読むと高名な儒家・荻生徂徠は柳沢吉保に上手く取り入っただけで政治力と権力だけで中身のない御用学者にすぎなかったのかと。
「太田垣蓮月」
幕末の尼僧で和歌名人で陶芸家。富岡鉄斎の師。藤堂家の落胤だったらしい。この人もとにかく清貧。
いずれも日本人でしかない思想を持った人々。こんな社会に利己的で強欲な中国人が大挙押し寄せればどんな事態になるのかは明らか。自公維新だけがわかってない。たぶん国を売っている。
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