織田作之助「五代友厚」を読む。日進社より昭和17年4月刊が初出。この河出文庫版(2016年)は織田作之助全集3(講談社)を底本としたもの。
自分、織田作之助(1913-1947)を読むのは今作が初めて。織田作之助が五代友厚の評伝時代小説を書いていたとは知らなかった。初めての織田作之助がこの本でいいのかはわからない。
おそらく、NHK朝ドラ「あさが来た」(2015秋~2016春)を契機に企画された復刻?
昨年の春ごろにBOで110円で仕入れた中の1冊。
自分が手に入れたものは2020年5刷で映画「天外者」(2020公開)に向けたオビがついていた。
前5ぶんの3が評伝時代小説「五代友厚」で、後5ぶんの2が取材ノートと解説的な「大阪の指導者」という構成。
「五代友厚」パートは五代才助と名乗っていた時期。生麦事件と薩英戦争、その後の放浪と帰郷、そして英国留学までを扱う。
若くして島津久光に才能を買われ長崎へ出る。商才を発揮してグラバーと交流。薩摩へ向けて英国海軍軍艦が向かうのを長崎で待ちうけるはずが、クーパー率いる艦隊は直接薩摩へ。
才助は英国艦船に捕らえられ横浜へ。以後、過激な攘夷派の薩摩藩士から命を狙われる。武州熊谷で匿われ、薩摩と英国の和睦が成ると才助は薩摩へ戻る。五代は開国派という誤解が解けると久光に英国留学を願い出る…というところまで書かれた歴史小説。
「大阪の指導者」パートでは「五代友厚」で描かれた、五代が上海で軍艦を購入した年代の誤りを読者から指摘され…という件から語ってる。
書簡からの引用が多く、漢文書き下し候文が多いので、この手の本を読みなれてる人でないと匙を投げるかもしれない。(吉村昭とか読んでる人なら問題ない)
大阪堂島にある商工会議所前の五代友厚銅像に惹かれた織田作之助。風貌の精悍さにおいて坂本龍馬に伯仲すると感じていたらしい。
今日の大阪が発展しているのは第一に豊臣秀吉、第二に五代友厚のおかげ。なのに渋沢栄一は長く記憶され、五代は黙殺されているのは不公平だという大阪人織田作之助の憤り。
友厚会編「故五代友厚」(大正10年)には無数の誤謬と荒唐無稽なデタラメ作。昭和8年に友厚の女婿・五代龍作が編纂発行した「五代友厚伝」が出るまではこの「故五代友厚」しか評伝がなかったらしい。
「五代友厚伝」は女婿による編纂なので五代家の資料が豊富で概ね信用できるが、余りに英雄視もされている…というのが織田作之助の思うところ。
この「大阪の指導者」で五代友厚の経済人としての業績を綴る。自分は五代友厚という人をほぼ名前しか知らなかった。この本で五代友厚の知識のほとんどを学んだ。
0 件のコメント:
コメントを投稿