2024年8月16日金曜日

米原万里「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」(2002)

米原万里「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」(2002 角川書店)という本を頂いたので読む。「本の旅人」1999年11月号から2001年4月号まで連載されたものを著者が加筆修正して2002年に単行本化。第33回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した代表作。
オビには猪瀬直樹、関川夏央、立花隆、西木正明、藤原作弥、柳田邦男、各氏からの賛辞が並ぶ。

米原万里(1956-2006)を読むのは初めて。本業はロシア語通訳者。作家としては若くして亡くなったけど、自分はニュースバラエティ番組でコメンテーターとして見たことあった。

この人の父親は鳥取の高額納税者で貴族院議員の家に生れ、非合法時代の日本共産党の地下組織へ16年も潜伏した闘志。
当時はすでに第三インターナショナル(コミンテルン)も、ルーマニア・ブカレストにあったコミンフォルムも解体。唯一残された世界各国の共産党が国際的交流機関がプラハの「平和と社会主義の諸問題」誌編集局。日本共産党中央委員会から1960年にプラハへ。

米原万里は小学生から中学生の時代、1960年1月から1964年10月まで約5年間、プラハ・ソビエト学校(インターナショナルスクール)で各国から集まった児童と一緒にロシア語で教育を受けるという、当時の日本人としては稀有な体験をした人。
このプラハでの小学生時代の回想がほぼ「ちびまる子ちゃん」のようで貴重だし興味深いし面白い。

「リッツァの夢見た青空」
ギリシャの軍事独裁政権を嫌いチェコスロバキアに亡命していたギリシャの共産主義者を父に持つ少女リッツァの想い出。

この少女がとにかく性に早熟だったという。それは2歳年上のハンサム兄経由だったらしい。ここ読んで、ギリシャ人が世界で一番性欲強いというのは意外にこの本を読んだ人から膾炙したのかもしれないな…と思った。

万里が日本に帰国して以来、プラハの春事件があったり、東西冷戦が終結したり。中年に差し掛かって、リッツァを探し求めるドキュメンタリー映画のよう。1960年代から90年代を生き抜いた家族の物語。

あれだけ勉強嫌いで理数系がまったくダメだったリッツァが、風の便りで名門カレル大医学部に入学したらしいと聞いた時、嘘だろ!もしかして親のコネ?とも考えたのだが、リッツァ父はプラハの春でソ連を批判し仕事をクビになっていた。それはむしろリッツァにとってハンデでは?
ドイツで大学医学部で学ぶには多額に費用がかかる。しかし、当時の東側世界では外国からの亡命者の父親が失脚し仕事を失っても、授業料免除で卒業できていたことは驚き。

方々探し求めた結果、リッツァはドイツのオペル城下町で診療所医師となっていた。30年の時を超えた再会シーンは感動的だった。
もうこのパートだけで家族ドラマの感動作。これは名作。
直接は関係ないけど、テオ・アンゲロプロス監督の「霧の中の風景」という、遠い昔に見た映画のことを想った。

「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」
ルーマニア外交官の娘アーニャを回想。東側の外国人コミュニティでは他人の容姿をあげつらうようなあだ名をつけることは恥ずべき事とされていたが、アーニャは例外的に雌牛だったという。

この子が他の児童生徒よりあきらかに暮らしぶりが豪華。家政婦もいるし、とても労働者のために闘う同志という雰囲気でない。
計画経済チェコスロバキアではみんな統一規格のノートを使っていたのに、フランス製のおしゃれな黄色いノートを持っていた。どこで買った?どうもアーニャはつかなくていい嘘をついている。

チャウシェスク独裁が倒れた後、万里さんはブカレストのザハレスク家を訪問。毛皮のコートに宝石の指輪をしていた派手なママと再会。
チャウシェスク政権を支えた人々はルーマニア革命後もなぜかそのままお屋敷町に住んでいた。健在だった両親から衝撃的な話を聴く。

プラハで待ち合わせして30年ぶりの再会。誰より祖国ルーマニアを愛し、ロシア語が上手だったアーニャは英国人と結婚し英国でアッパーミドル階級の暮らしをしていた。もうほとんどロシア語を話せなくなっていた。惨めで貧しい祖国も棄てていた…。万里さんはつい怒りの言葉を吐いてしまう。
このパートもかなり感動作だし味わい深いヒューマンドキュメンタリー。

「白い都のヤスミンカ」
ユーゴスラビアの「白い都」ベオグラードから来た優等生美人のヤースナ。このころは日本共産党とソ連共産党は険悪。そしてユーゴはソ連人からすると裏切り者でやっぱり険悪。プラハ・ソビエト学校のロシア人も万里とヤースナと距離。すると万里とヤースナは仲良し。いつも隣にいた間柄。

だがやっぱり「去る者は日日に疎し」。どんどん疎遠になる。
そして90年代に入ると地獄のユーゴ内戦。ヤースナを探して歩く万里。え、ヤースナはボスニアのムスリムだったの?!そんな話はまったく聴いてない!

人探しというのはもうそれだけでミステリー。衝撃の事実が判明していく。ヤースナの父はチトー死後の元首輪番制の最後のボスニア大統領?!

以上3連作、60年代以降のソ連と東欧の歴史と人々を感じられる。どれも面白かった。この本はもっともっと読まれるべき。

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