2024年7月16日火曜日

倉田百三「出家とその弟子」(大正6年)

倉田百三「出家とその弟子」(大正6年)の平成7年新潮文庫を無償でいただいたので読む。積読2年なので読む。

倉田百三(1891-1943)は広島県比婆郡庄原出身の劇作家だが、ほぼ「出家とその弟子」しか知られていない。22歳で結核のために一高を中退、闘病中の26歳でこの日本文学史で有名な宗教戯曲を書き上げた。
自分はこの人を高校時代から作品をセットで名前だけ知っていた。現国でなく日本史の先生がこの作品を語っていたのを覚えている。

戯曲なので読んでいてそれほど読みにくさを感じない。それほどボリュームはないし文体も平易なのだが、なにせ日本思想史の巨人・親鸞(1173-1263)の話す言葉なので、ゆっくり読むので時間がかかった。

常陸の国を行脚中の親鸞と慈円(?)と良寛(?)。雪の夜、一晩の宿泊を家主に請うのだが、日々の境界争いに疲れ、厭世気分で酒を飲んで虫の居所が悪かった日野左衛門に追い出される。妻と11歳の息子がお坊さんにそんなことしちゃダメと制止するのに。このシーンがちょっとショック。
だが酔いがさめると後悔。まさかまだその辺に居ないよね?と外を見ると、雪の中で寝ている。思い直して親鸞一行を部屋へ。左衛門は悔い改める。この息子が後の唯円。

唯円は親鸞の忠実な弟子で側近。だが、この若者が遊女との恋愛に悩み苦しむ。その救いを信仰に求める。親鸞「恋は人間誰しも避けて通れない」
この戯曲、名前のある登場人物は少ない。修行僧たちと女たちもいるけど、ほぼ親鸞と唯円の会話。恋愛と性愛。宗教戒律との相克。

自分、浄土真宗じゃないので親鸞という人にそれほど馴染みがなかったのだが、この戯曲を読んで「ええ人やん」って思った。唯円を「けしからん!」「追い出せ」と苦情を言ってくる弟子たちに「怒るな」「善悪を裁くな」「赦せ」
これ、悪罵が行き交うSNSで親鸞が何か言ったとしても、世間は「ごもっとも」と思えるかどうか。

親鸞には善鸞という不肖の息子がいる。こいつは仏を信じなくなっている。唯円はほぼ勘当されていて弟子たちからも嫌われている善鸞を、赦しを得て親鸞と会わせようと努力。悪人に対して「赦せ」と言うのに、なぜに息子は許さない?

そして親鸞の最期。自分、親鸞が90歳と長寿だったことを知らなかった。多くの弟子たちに見守られながらの大往生。だが、やってきた善鸞。集まった人々の視線と期待を集めるのに、「仏を信じる」という一言が言えない。なんで?
しかし、鷹揚な親鸞。「それも良い。調和した世界だ。南無阿弥陀仏」

倉田百三による歎異抄の舞台作品。歴史に名を残す宗教家の言葉は聴いていて心持が良い。感動的。

親鸞の弟子の名前が慈円と良寛ってどういうこと?親鸞の時代に鉄砲ってあった?!親鸞の時代に三味線ってあった?!と読んでいて混乱したのだが、大正時代に「時代考証」というやつはたぶんなかった。つい批評しながらドラマや映画を見ることに現代人は慣れすぎて毒されている。

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