2024年6月13日木曜日

岩波新書243「塩の道を探る」(1983)

岩波新書(黄判)243「塩の道を探る」富岡儀八(1983)を読む。友人が読んでいたものを途中で取り上げて読む。

人間の生活に欠かせない必需品である「塩」は、日本の場合、海水から塩田で作られるしかなかった。なので内陸山間部に住む人々は、定期的に塩を求めて山を下り、農産物だったり木地だったり椎茸だったりを塩と交換して村まで持ち帰るしかない。
そんな日本の近世から明治にかけての塩の交易物流陸運ルートを探る本。

塩は降水量が少なく高温な地域が生産に適している。江戸時代は瀬戸内の塩が日本各地の港に運ばれた。
家康が江戸に入府したとき、塩を独自に生産するために、行徳に塩田がつくられたことを自分は知らなかった。
だが、すぐに瀬戸内の塩が大坂を経て、江戸の日本橋まで運ばれる。今まで江戸の町民がどこの塩を使っていたのか考えたこともなかった。

塩は河川を舟で遡上。そこから先は平地なら馬、急峻だと牛、狭い間道峠道は人が担いで運ぶ。そんな苦労をして塩を入手していたことを現代の日本人はすっかり忘れている。

信州松本、平家の落人伝説のある臼杵郡椎葉村、会津若松、そして北海道の入植地。新潟から会津へ塩が運ばれた道がそのまま現在の磐越道であることは感動的ですらある。
川を舟が運び、塩を背負った馬を連れた馬子が運び、そして人が運ぶ。そんな風景を思い出させてくれる本。

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