2024年6月28日金曜日

ローマ人の物語「ハンニバル戦記」(1993)

塩野七生「ローマ人の物語」の平成14年新潮文庫版3と4と5「ハンニバル戦記」上中下巻を読む。

上巻では第一次ポエニ戦役(前264-前241)を扱う。
シチリアの西半分は当時の地中海最強国カルタゴ勢力圏。その東側のメッシーナとシラクサは新興国ローマにつくか、それともカルタゴにつくか。
自分は知らなかったのだが第一次ポエニ戦役の主な戦場はシチリア島の陸上と近海。

メッシーナ、シラクサを勢力下に置くためカルタゴとの衝突は避けられない。海軍どころか輸送船団もないローマが、国力十数倍の経済大国、軍事大国カルタゴに立ち向かうのは無謀ですらある。
アグリジェント攻撃を機に両国激突。ローマは無能な執政官を送り込む。なのに初戦の海戦で連戦連勝。なぜだ?

慢心からかその後、2年連続嵐で軍船(ガレー船)を大量遭難。
カルタゴは敗戦の責任を将軍を処刑することで片付けるのだが、ローマはぐだぐだ敗戦であっても執政官たちの責任は問わない。なので軍事で大失敗しても1年後に再びそいつが現場の指揮をとる。名門貴族出身者なので現場は何も言えない…。

カルタゴは成熟した国。有利な講和を結べそうなタイミングで外交交渉を持ち掛けるのだが、ローマはプライド高すぎ。講和はまとまらない。

あと、カルタゴ側はゾウさんを戦車替わりに使う。ゾウさんにビビるローマ兵だったのだが、槍投げでゾウさんを狙う。傷を負って怒り狂ったゾウは暴走しカルタゴ兵を踏み潰す。
古代の昔から戦争のたびに牛馬が犠牲になっているのだが、ポエニ戦争でも戦場でゾウさんがたくさん死んでいる。輸送途中に嵐で遭難して死んでいる。かわいそうなゾウさん…。

傭兵頼みのカルタゴに対して、市民全員が兵士のローマはシチリアを得たので、23年におよんだ第一次ポエニ戦役はローマの勝利といえる。
シチリアを得た後にサルデーニャ、コルシカ島も得た。地中海の西半分の制海権を失った。
ローマ人はギリシャ文化と平和を享受。

上巻後半は戦後の両国。ローマの税制、軍制の解説。
ローマの軍規の厳しさにどんびき。古代のこととはいえ、居眠りしたら集団で殴り殺されるとか、軍規に反した一団からくじびきで10人のうち1人を選んで処刑するとか怖すぎる。まるでミッドサマー。

ローマ市民17歳から60歳まで兵役。なので戦争も召集も嫌う。
ということは日本も国民皆兵だったり徴兵だったりすればむしろ戦争は起こらないかもしれない。てか、国民に銃の撃ち方覚えさせたら、自民党や政商の偉い人はむしろ身の危険を感じるようになるかもしれない。

その一方でカルタゴは傭兵への給与支払いを渋って傭兵が叛乱。

中巻は第二次ポエニ戦役(前219-前206)。第一次でカルタゴの指揮をとったハミルカルの息子ハンニバルが29歳になっていた。スペインから北上しエブロ河を渡河。そしてピレネー超え。ローマ側に緊張走る。

自分、ハンニバルというとゾウを引き連れてアルプスを越えイタリアに攻め入ったとだけ聞いていた。スペインを出発するとき30頭だったゾウさん戦車部隊。アルプスを越えてイタリア北部に入ったときはたったの1頭?ゾウさんが可哀想。
ハンニバルがとったルートが2200年経った今も不明。

ハンニバル軍はティチーノでローマ軍と最初の衝突。トレッビア会戦、トラジメーノ湖畔での戦い。ガリア人たちを味方につけて連戦連勝。ローマと属州からの軍と衝突するたびに殺戮。そしてカンネの戦いでローマ軍に圧倒的勝利。

第二次ポエニ戦争のとき、カルタゴ側についたシラクサを執政官マルケルスの軍が攻略。このときシラクサの住人アルキメデスがローマ兵に殺されている。

ハンニバルの弟たちはスペイン戦線で優勢。スペインで司令官の父と叔父を失った息子スキピオ24歳「おれにやらせろ」スキピオはコルネリウス一門で美男子で魅力的でローマ市民から人気。スキピオはさっそくカルタヘーナを攻略。

南部イタリアを動き回るハンニバルに何もできなかった老マルケルスもついに戦死。しかし、ローマ連合を離散させられなかったことはハンニバルの誤算。ターラントを失いプーリアへ引っ込む。
スペインから駆け付けるハンニバルの弟ハシュドゥルバルのカルタゴ軍に対してローマはベクラ会戦、メタウロ会戦で迎え撃ち。

ハンニバルは29歳から44歳まで過ごしたイタリアを去る。ファビウスの持久戦法がハンニバルを追い出したわけだが、時代は凱旋将軍の若武者スキピオの時代。
前202年のザマ会戦でアウェーに乗り込んだローマ軍が敵を壊滅させる圧勝。ザマに投入されたゾウさん部隊はあんまりローマ相手に効き目なかった。

以後、スキピオ・アフリカヌスと呼ばれる。
カルタゴは厳しい講和条件を飲むことに。ローマ側は16年で10万人以上の戦死者、10人以上の司令官を失っただけにこれぐらいの要求は妥当。

さらに、シリア、マケドニアを征服。しかしスキピオは病弱。「自分ひとりで勝ったと思うなよ」という反スキピオ派のカトーが台頭。以後、ローマは帝国主義的に変貌。
穏当な対処を続けてると相手にナメられる。マケドニア王が反抗的。執政官エミリウス・パウルスを派遣しマケドニアを滅ぼす。
ローマを文化後進国で弱腰とナメてかかるギリシャ人に見せしめのためコリントを破壊。

さらに不誠実に約束不履行を続けるカルタゴも犠牲。カトー「滅ぼすべし!」
前146年、スキピオの養孫スキピオ・エミリアヌス司令官は炎上するカルタゴを見て涙。

自分、高校世界史でローマがカルタゴを滅ぼしたの「酷い!」と思ってたけど、カルタゴはいくらでも生存していく可能性はあった。ダメなほうの選択肢ばかり選び続けて、最後は玉砕。
700年続いたカルタゴは徹底的に破壊され更地。(現在のカルタゴ遺跡はアウグストゥス帝時代の再建された植民都市。)

「鐙(あぶみ)」って古代ローマ時代にはなく、中世以降の発明だと知った。ローマ騎兵はたぶん無様な動きしかできなかったらしい。

長大だった全3巻「ポエニ戦争」を読み終えた。これは太古の昔にあった出来事だが、現代の国際情勢にも当てはまることが多いように感じた。数百年続いた国も亡ぶ。日本国の運命、台湾の運命はいかに。

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