塩野七生「ローマ人の物語」の平成14年新潮文庫版1と2「ローマは一日にして成らず」上下巻を読む。
今までずっと斜め視界に入っていた本だった。ようやく重い腰を上げて、読破を目指して読み始める。
エトルリア人のいるイタリア半島に紀元前8世紀にギリシャ人たちがやってきて植民都市を作っていく。
自分、ロムルスとレムスが現在のローマにある7つの丘に国を建国したとか、てっきり神話世界だと思ってた。その前にトロイがあってアエネアスがいるわけだが。
ロムルスの後に2代目ローマ国王がいるわけだが、王政ローマの王って一人も名前を知らなかった。たぶんよほど受験勉強強者でもこの時代のローマ王たちの名前を全部言えるという人はいないのではないか。
2代目の王はヌマという。ローマが征服しローマに住まわせたサビーニ族の神官を、元老院が説得して王にした?ローマは建国当初から多民族国家だった?
この時代の王は選挙王政。今でいえば終身大統領みたいなもの。ローマ市民の意見のまとめ役。第2代王のときのローマは平和。
3代目王トゥルス・ホスティリウスはアルバを征服。やっぱり奴隷にするのでなくローマ市民として融合。(アルバ王は2頭の馬にそれぞれの脚を引き裂かれる極刑)
4代目はアンクス・マルキウス。テヴェレ河に初めて橋をかける。
5代目はタルクィニウス・プリスコ。ギリシャ人とエトルリア人の混血。自ら王になるべく選挙運動をした王らしい。エトルリア人の技術を使って都市建設を本格化。丘と丘の間の湿地帯を干拓。フォロ・ロマーノ、ユピテル神殿を建設。
6代目は先代王に拾われ育てられたセルヴィウス・トゥリウス。ローマの7つの丘を囲い込む城壁を建設。ディアナ神殿を建立。軍政を改革。このころになってローマは周辺の部族の中でも抜け出た存在。
7代目タルクィニウスは5代目の実の子。(セルヴィウス王を殺害)
前6世紀、7代244年で王政は終了し共和制へ。
共和制ローマの創始者(王政の打倒)はルキウス・ユニウス・ブルータス。2人の執政官を選ぶスタイル。以後、共和制ローマは500年続く。
日本古代史における弥生時代みたいなもの?ヤマトにクニが誕生し周辺国を平らげていく。
だがエトルリア人流出により国力低下。そして貴族と平民の争い。
当時のアテネとスパルタを視察。中高世界史で記憶の奥底にある古代ギリシャのおさらい。
ミケーネとかドーリア人とかダリウス1世とかクセルクセスとか、ペロポネソス同盟とかレオニダスとか、アテネのペリクレスとか、今日までほとんど思い出す事もなかった単語。
リキニウス法って名前しか覚えてなかった。貴族と平民の抗争にいちおう終止符。執政官、護民官、独裁官、みんな高校世界史以来思い出した単語。
前390年にケルト族が襲来。ローマは建国以来初めて異民族に攻略され炎上。ギリシャ視察で作られたものの市民を失望させた十二表法って、このとき消失?
以後、サムニウム族との戦い。ターラントとの戦い。エピロス王ピュロスとの戦い。このときローマ人は初めて象を見る。
ロムルスによる建国から500年、前270年をもってイタリア半島をほぼ手中。
高校生はこの本の1巻2巻を読めば、ほぼほぼ古代ギリシャ・ローマの受験知識は得られるのではないか?
巻末で塩野せんせいはローマ研究家が必ず読むべき一次資料としてリヴィウス「ローマ史」、ポリビウス「歴史」、プルタルコス「列伝」、ハリカルナッソスのディオニッソス「古ローマ史」を挙げている。
ローマ市民リヴィウスをのぞく3人はすべてギリシャ人。没落し始めたギリシャ人はローマ興隆に高い関心。
80年代にアメリカで日本関連書籍が、90年代以降の日本で中国関連書籍がたくさん出版されたのと同じようなことか。
塩野先生は日本人にとって、キリスト教とフランス革命史の影響を受けていない当時のギリシャ人目線のローマ史はしっくりくると語ってる。
え、リヴィウスのローマ史って全142巻のうち33巻しか現存してないの?!ディオニッソス「古ローマ史」は全20巻のうち9巻しか残ってない?!
ちなみに、ユリウス・カエサル暗殺以前に7月は「July」とは呼ばれていない。3月から数えて5番目の月ということで「Quintilius」。
さらに、アウグストクスにちなんでつけられた8月Augustも、共和制時代は3月から数えて第6月「Sextilis」と呼ばれていた。
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