夏目漱石「彼岸過迄」(明治45年)を新潮文庫(平成22年93刷)で読む。
これ、漱石の小説ではあまり知られてない気がする。自分もつい最近までこの本だけは漱石の代表作との認識がなかった。
大病を患い休養し、ようやく新聞連載に復帰しようという最初の作品。タイトルは正月から連載を初めて彼岸過迄書く予定だからと付けたもの。
主人公田川敬太郎は大学を出たものの就職難でぶらぶらしてる。下宿で休養し午前中から湯屋へ行く。
同じ下宿に森本という30代の痩せた男と湯屋で会う。役所勤めしてるらしいけど休んでるらしい。学はないけど様々な職を転々としてる?かつて結婚してた?そのへんはあまり話さないのだが、北海道で測量をやってた話は現代の読者からすると興味深い。
この森本の姿が急に見えない。給仕に来る下女に聞いても知らない。実は家賃を滞納したまま姿をくらました。
後日手紙が来る。大連にいるらしい。自分に盆栽と洋杖を呉れるというけど、下宿の大家がもう大概処分してた。玄関にある杖を見ると複雑。
途中から今度は須永という友人の話になる。軍人の家に生れながら軍人が嫌いで法律を修めたのに官吏にもならず会社勤めもしていない。ま、実家がそれほどお金に不自由していない。
明治大正は今以上に就職は難しい。なんとか田口という人に斡旋をお願いすると、何やら探偵のような尾行を指示される。
停留所で女を尾行してるとやがて男。やらないでいい仕事を頑張って男を尾行。その件で田口に報告すると、あれ、なんか反応が微妙。
尾行を命じた田口は相手の男と女を知ってる様子。その松本という男も変っている。
そして敬太郎は田口の紹介状を持って松本宅を訪問するのだが、雨降ってる日は訪問者に会わないという謎の理由で追い返される。
そして幼いこどもの急死の現場風景。現代日本でもこどもは急に死んでしまうこともニュースでよくみるけど、明治日本社会はもっと多かったに違いない。
いつの間にか主人公が須永市蔵になっている。千代子という相思相愛なようで、須永にとってはそれほど好きでもない関係の女(従妹)がいるのだが、頭でっかちで引っ込み思案で内省的なぼんやり須永に対し、千代子は明るく愛想よくオープンで気が強く頭が良い。鎌倉へ避暑に出かけて東京に戻った二人の「貴方は卑怯だ」のくだりはほぼラブコメみたいで面白かった。
で、市蔵と千代子の話をしてたのが須永の叔父の松本…という最終章。市蔵は自分と似てしまってこうなった?!
実は市蔵は母の実の息子ではなく連れ子。松本や田口と血は繋がってない。
大学の試験が終わると市蔵は関西方面に旅に出る。旅先からの書簡形式。
これ、今まで読んだ夏目漱石の中で一番面白かったし青春小説として爽やか。「三四郎」よりも好き。
主人公は市蔵だが、なぜに田川啓太郎という話の聴き手を登場させたのか?なぜにこんな構造?
それはどうやら探偵敬太郎による「吾輩は猫である」スタイルなのか。
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