2024年4月16日火曜日

中公新書2442「海賊の世界史」(2017)

中公新書2442「海賊の世界史 古代ギリシアから大航海時代、現代ソマリアまで」桃井治郎(2017)を読む。
ヘロドトスが英雄視し、キケロが「人類の敵」と呼んだ「海賊」に焦点を当てた世界史。

ガレー船団でエーゲ海イオニア沿岸を征服していたポリュクラテス、キリキア海賊と戦ったカエサルとポンペイウス、ヴァンダル族のガイセリック王、イスラム海賊、ヴァイキング、ノルマンディー公国、十字軍、オスマントルコ、ウルージとハイルッディン、カール5世のチュニス遠征、プレヴェザ海戦、レパント海戦とセルバンテス、新大陸発見とスペインの略奪、といった世界史のおさらい。

スペイン帝国とオスマントルコの北アフリカでの衝突に、レスボス島出身のウルージとハイルッディンという「バルバロッサ兄弟」という大海賊がいたことはこの本を読むまで知らなかった。

古代史、中世史って人間の欲望が酷いのだが、新大陸発見後の人類の歴史もさらに酷い。
イングランド人ジョン・ホーキンズ、フランシス・ドレーク、ヘンリー・モーガンといった人々は、スペインが新大陸から本国に運ぶ巨万の富は奪ってもかまわないという思想と国是によって、殺戮と強奪で名をあげて英雄。(西側諸国はロシアに向かう船は襲っていいと思う)

エスパニョーラ島にフランスが進出するようになると、野生の牛と豚を燻製にして船に売る輩が現れた。燻製用網ブーカンから、フランス語でブーカニエ、英語でバッカニアと呼ばれるようになる。やがてスペイン船を襲撃するカリブ海の海賊をバッカニアと呼ぶようになる。NFLのタンパベイ・バッカニアーズってそういう英雄たちをニックネームにしているって初めて知った。

しかし、キャプテン・キッド(ウィリアム・キッド)は時代をやや過ぎてしまったが故の哀しい末路。縛り首になるまでの経緯が、海上ゆえの本国の情勢がわからず、行き違いと誤解と運名の歯車が狂ってしまった感。

18世紀、スペイン継承戦争では再びイギリスはフランスに対する私掠を開始。ウッズ・ロジャーズ私掠船長が活躍し英雄に。

そしてジョージ1世の時代になると海賊討伐を開始。チャールストン沖の英国船を襲う黒髭エドワード・ティーチに対してヴァージニアのロバート・メイナード大尉艦隊が砲撃し最後は肉弾戦。結果、黒髭の首が舳先に掲げられ、海賊たちは縛り首。

例外的に表れた2人の女海賊がいる。アン・ボニーメアリ・リード。英国と米国の人には馴染みがある名前かもだが、日本人は世界史で習わないので知らない名前。
カリブ海族黄金期の最後の大物がバーソロミュー・ロバーツ。なりゆきで海賊船に乗せられ海賊になってしまった人物。400隻を捕獲。最期は壮絶戦死。船員54人に死刑。カリブ海族の終焉。
これらはすべてチャールズ・ジョンソン「イギリス海賊史」(1724)によって今に伝えられている。

カリブ海の海賊問題が解決に向かう一方で、地中海は北アフリカ諸領(アルジェ、チュニス、トリポリなど)のガレー船「バルバリア海賊」に悩まされ続けてた。
アメリカは以前は英国船だったけど、独立後はアメリカ独自に海賊対策が必要になる。この対策が、厳しい財政から「貢納」を払うか、戦争か。
どちらもお金がかかる。第2代大統領アダムスと副大統領ジェファーソンの間で弱気の相談。少しずつ海軍を増強していくしかない。

1803年5月、ジェファーソンは交渉が決裂したトリポリにフリゲート艦フィラデルフィア号を派遣するのだが、座礁させて兵員も捕らえられる。なにやってんだ。

だが、翌年にスティーブン・ディケーター率いる小型艇イントレピッド号が商船を装ってトリポリに接近しフィラデルフィア号を焼き払うことに成功。
トリポリのイーフス・ベイに対して交渉しながら武力もちらつかせる。だが、軍事攻撃はあまり効果をあげられない。するとイーフス・ベイを失脚させ親米政権を樹立するクーデターを画策。そして交渉。これがアメリカの今日までの伝統か。実際に反乱に加担させた町をアメリカはあっさり見捨ててる。酷い。
(トリポリ戦争がアメリカ最初のの対テロ戦争?!)

てか、北アフリカ諸国って海賊による拿捕と人質を取って貢納を求めることが基幹産業だったのかよ。このころからアメリカは砲艦外交。しかしまだ圧倒的軍事力は持っていない。
アメリカのやり方を学んだヨーロッパでは、英国の海軍中将シドニー・スミスが各国の王侯貴族に対し、人道に反し商業活動を妨げるバルバリア海賊の根絶のために結束して戦うことを提案。

1816年、イギリス海軍提督エクスマス卿は艦隊を率いてアルジェでオマール・デイと交渉。キリスト教徒を奴隷にするな!これからは戦争捕虜として扱え!という要求を飲ませる。
しかし国内では主戦派がエクスマスを批判。やがて大艦隊がアルジェを砲撃。

1818年のアーヘン会議で初めてバルバリア海賊問題が議題となる。英仏露墺普の5か国が議定書に署名。オスマントルコにバルバリア海賊問題をなんとしないと直接行動に出る!

1830年6月、デュペレ提督率いる3万7000フランス軍がアルジェ近郊のシディ・フルージュ湾に上陸しアルジェに進軍。アルジェはフランスに降伏。以後、アルジェリア植民地支配へ。
さらに、チュニス側が一方的に義務を負う不平等条約を課した。これが古代から続いて来た地中海海賊の終焉。

1856年のパリ宣言で私掠行為が禁止され、1907年ハーグ会議で民間船が戦争行為に加わることが禁止され、1958年に公海に関する条約で海賊の定義と対処が規定、1982年の国連海洋法条約へとつながっていく。国家による暴力の独占が海上においても進んだ。
アウトローとしての海賊の存在がヨーロッパ諸国に協調を促し、国際社会の形成に寄与した。

そして21世紀、失敗国家ソマリア沖での海賊問題。主権国家体制としてのウェストファリア体制のほころびによって海賊問題ふたたび。

いや、この本面白かった。高校世界史でまったく海賊史は習っていない。アメリカ建国初期にバルバリア海賊問題があったことをほとんど意識してなかった。

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