米倉迪夫「源頼朝像 沈黙の肖像画」(1995)を2006年平凡社ライブラリー版で読む。
教科書で誰もが見たあの源頼朝像はまったく源頼朝を描いた肖像画なんかではないという本。
著者の米倉迪夫(よねくら みちお 1945 - )氏は日本中世絵画史が専門。
自分もとっくの昔に頼朝じゃないって思ってた。京都神護寺に伝わるこの絹本彩色肖像画がとても12世紀末から13世紀初頭のものと思えなかったから。
京都国立博物館でも「伝源頼朝像」としている。藤原隆信の筆によるものかも怪しい。技術的に上手すぎる。
日本には鎌倉期以前に肖像画というものがなかった。死後に追善供養で似せ絵を飾ることはあっても、生前に高貴な人を似せた絵を描くということははばかられた。それは古来から日本には「呪詛」があったから。人を呪うことは当時は明確な犯罪。
だが、南宋から高僧の肖像画が伝わることで意識が変化。日本の肖像画の歴史は院政のころから始まる。後鳥羽上皇の「似せ絵」、藤原の貴族たちが歌会に集まった様子など、絵として残るようになる。
著者は装束、太刀、冠、といった美術史の方向から伝源頼朝像を検証。そして神護寺にゆかりのあるのが足利家。この肖像画は源頼朝じゃなくて足利直義じゃないのか?南北朝の時代に書かれたものではないのか?神護寺三像の残る2人は平重盛、藤原光能とも違う。たぶん足利尊氏、足利義詮の親子。
鼻の書き方、目の書き方、耳の書き方、髭の書き方。美術史家としての注目。この絵が描かれた時代は14世紀まで下る。かなり納得がいく。
もう完全にこの人は頼朝じゃない。頼朝はぜったいこんな顔してない。
かつて、足利尊氏を描いたものとされた騎馬武者姿や、武田信玄の肖像とされていたものが違うとされたとき強い反発があった。この頼朝が違うとなると、大きな混乱と反発が必至。実際、多くの反論があった。
しかし、この肖像画が源頼朝である論拠はもうかなり弱い。もうちゃんとした判断のできる人は頼朝と認めてない。あとは科学的な年代測定を待つだけ。
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