2024年4月22日月曜日

松本清張「山中鹿之助」(1958)

松本清張「山中鹿之助」を読む。この作品は小学館発行の少年学習誌に1957年4月から1958年3月まで連載されたジュブナイル歴史小説。2015年5月に小学館P+D BOOKSとして刊行されるまで、一度も単行本化されていなかったという。(2016年8月に小学館文庫化)

戦国時代の山陰地方を治めた尼子氏には勇猛さと才知で優れた武将・山中鹿之助幸盛(1545?-1578?)がいた。(自分、この武将をこの本を見るまでまったく知らなかった。そもそも尼子氏すらもほとんど知らない。)

天文十四年に出雲富田に尼子の家臣の子に生れた鹿之助。父は若くして病死。
母と子で貧しい暮らし。そして16歳になると逞しい若武者に成長。晴久の子義久の月山城へ登城。

長子隆元を亡くした毛利元就は月山城の出城白鹿城を攻める。救援に駆け付けた鹿之助は初陣で敵将の首を挙げる殊勲。だが、白鹿城は毛利の手に落ちてやるせない。
元就の兵糧攻め持久戦にじっと我慢の尼子勢。だが唯一の補給路の弓ヶ浜も敵襲で死屍累々の大損害。元就は汚い手を使う。こうなれば元就討つべしの鹿之助の意見も通るはず!

鹿之助は善戦はするものの慎重に攻め寄せてくる毛利の大群になすすべがない。毛利は隆元の遺児が元服するのを見計らって月山城を攻めてくる。もう決戦しかない。
だが尼子勢の予想外の強さに元就はさらに慎重。小さな城は攻めるが天然の要害月山城は攻めない。
その間に鹿之助と小早川隆景の家臣の一騎打ちがあり鹿之助が勝つ。だが、6年の籠城の間に投降する兵も増え、食料も尽き、ついに開城。城主義久らは城を降りる。鹿之助らは義久に従う。
尼子の家臣は散り散り。鹿之介は他で仕官することもなく農民になるでもなく尼子の再興を誓いその時を待つ。

毛利元就の策略によって尼子晴久に討たれた新宮党の尼子国久の子は皆殺しに遭ったが、孫の1人は生き延びた。この子が後の尼子勝久。乳母によって脱出し東福寺で成長。
それを聞きつけた家臣たちは再び集結。
隠岐にはかつて尼子経久の助けで島を統一できた隠岐為清がいた。為清が尼子の再興のために力を貸してくれる。

尼子再興と出雲奪還のチャンスは毛利が大友を攻めるとき。忠山城を奇襲で奪還し勢いのままに秋山城も落とし、白鹿、末次、そして月山。
月山城を調略で落とそうとするのだが、秋宅庵之介の軍勢は老獪な城代・天野隆重の城を明け渡すと見せかけた罠にかかり全滅。
そして毛利輝元総大将と雪の布部合戦。

脚を負傷し生き残った鹿之助の望みは元就の死。果たして元就は老齢で死んだのだが、鹿之助は吉川元春に捕らえられる。勝久は隠岐へ脱出。

京都に逃げた鹿之助。あとは信長と秀吉の駒として使われ見捨てられる。戦国時代の倣いとは言え尼子は不運の連続。毛利の攻撃により上月城で尼子は滅ぶ。そして鹿之助の最期。哀れ。

この本はそんな戦国の山陰と中国地方で起こってたことを駆け足で教えてくれる。文庫198ページではあっという間に読み終わってしまう。
あと、尼子に使えていた亀井茲矩(これのり)という武将は豊臣に使えて生き残ったことを今日までまったく知らなかった。

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