2024年3月24日日曜日

中川右介「国家と音楽家」(2022)

中川右介「国家と音楽家」(2022 集英社文庫)を読む。この著者の本は何を読んでも知らないことを教えてくれて面白いので読む。
「週刊金曜日」誌に2011年4月29日号から2013年4月5日号まで隔週連載され2013年10月に七つ森書館より刊行。第3章と第4章を書き下ろし加筆したもの。

国家と政治に利用されたクラシック演奏家たちがテーマの一冊。
自分の知るかぎり、クラシック音楽の名演奏家の演奏会プログラムとキャリアを詳細に見ていくことで、20世紀現代史を解説してくれる歴史読み物ライターは中川右介しかいない。
以前に読んだ「戦争交響楽」(2016 朝日新書)とだいぶかぶってる印象だったのだが、それでも知らないことを教えてくれる。

第1章「独裁者に愛された音楽」
ヒトラー、フルトヴェングラー、ワルター、カラヤン、バイロイト音楽祭を扱う。これはこの著者の本に何度も登場テーマなので、それほど新鮮味はなかった。

第2章「ファシズムと闘った指揮者」
トスカニーニとファシズムの戦い。これも以前読んだことがあって、ほぼ知ってる知識をなぞる読書。

第3章「沈黙したチェロ奏者」
パブロ・カザルスとフランコ政権がテーマ。カザルスは自分が思ってたよりも昔からスター演奏家だった。アルフォンゾ13世国王とは幼少時にいっしょに遊んだ間柄?!

第4章「占領下の音楽家たち」
ドイツに占領されたフランスでのアルフレッド・コルトーシャルル・ミュンシュ
スターピアニストのコルトーも、スター指揮者のミュンシュも自分はあまり聴くことがない演奏家なので、初めて知ったことばかり。

ストラスブールのドイツ系フランス人ミュンシュは第1次大戦ではドイツ軍兵士として出征。コルトーはスイス出身だがフランス軍に志願。よく第2次大戦後まで生き残った。
ミュンシュはライプチヒ・ゲヴァントハウスでコンサートマスターになり、首席指揮者フルトヴェングラー、ワルターの元で学ぶ。解放後のフランスで指揮者として活躍。
だが、ヴィシー政府の行政に積極的に関わったコルトーはドイツ協力者とみなされ戦後は演奏活動が妨害されたりもした。

第5章「大粛清をくぐり抜けた作曲家と指揮者」
ショスタコーヴィチスターリンを扱う。これはわりとよく知ってると思ってたけど、やはり知らないことも多かった。
トゥハチェフスキーと親しかったショスタコーヴィチ。トゥハチェフスキー逮捕後の取り調べが「後日」となったのだが、後日出頭すると尋問した係官が逮捕されててショスタコーヴィチは無罪放免になってたって知らなかった。よく大粛清時代を生き延びてくれた。

あと、取り扱いが危険視されたショスタコーヴィチの第5交響曲初演で名を挙げたムラヴィンスキー。父は弁護士(皇帝直属諮問機関)で母は貴族。
父方の叔母がマリインスキー劇場のプリマドンナ・ソプラノ歌手ジェニー・ムラヴィナ。もうひとりの叔母(父の異父妹)がレーニン時代の女革命戦士アレクサンドラ・コロンタイ?!それ、ウィキにも書いてない情報で初めて知ってびっくり。

第5、第7交響曲で復権できたショスタコーヴィチはハチャトゥリアンとソ連の新国歌を共作。最終選考に残るのだが、スターリンとの面談で手直しにかかる時間を聴かれ(これがショスタコーヴィチがスターリンと直接話をした最初の機会)、ショスタコーヴィチ「5時間はいただきたい」スターリン「国歌の仕事をそんな数時間でできる軽い仕事だと思ってるのか!」と怒られ落選。アレクサンドロフの曲が選ばれる。ハチャトゥリアン「なんで1か月かかると言わなかった!」そんなやりとりがあったのか。

そして、キューバ危機の最中にムラヴィンスキー(ロジェストヴェンスキーも同行)とレニングラード・フィルはアメリカツアー中だった!?
核戦争直前に回避されたその日の夜、ワシントンDCでコンサート。ショスタコーヴィチの第12番とチャイコフスキーの第5番を演奏。ジャクリーン・ケネディもご臨席。知らなかった。
あと、ムラヴィンスキーは60歳以後は当局から嫌がらせの数々を受けた。1981年の来日公演も妨害され流れた。それも初めて知った。

第6章「亡命ピアニストの系譜」
祖国ポーランドを想い続けたショパン、パデレフスキ、ルービンシュタインの3人の偉大なピアニストの生涯。
家族親類をナチに奪われたルービンシュタインは生涯ドイツを許さずドイツ国内で演奏をしなかった。
フルトヴェングラーがシカゴに客演するのも妨害。ルービンシュタインを私淑するバレンボイムがベルリンでフルトヴェングラー没後10年のコンサートをすることにいら立ち、バレンボイムを当惑させた。そんなことがあったのか。

第7章「プラハの春」
チェコスロバキア現代史。チェコ・フィルとターリヒ、アンチェル、クーベリック、ノイマン、4人の名指揮者。そして「プラハの春音楽祭」。

第8章「アメリカ大統領が最も恐れた男」
ジョン・F・ケネディとレナード・バーンスタインはジョンが1歳年上。ともにハーヴァードの同窓生。軍に入隊したジョンはソロモン諸島から奇跡の生還で時の人。バーンスタインは音楽家として有名。そんなふたりのキャリア年表とアメリカ現代史。これも「へえ」というエピソード満載。

アイゼンハワーのアメリカ文化外交で、南米ツアーに向かったニューヨーク・フィルの首席指揮者の2人。師ミトロプーロスと弟子バーンスタインのあまりの人気格差。
そしてソ連公演で親善を果たせず逆にソ連から敵認定されたバーンスタイン。

え、ジョン・レノンが銃撃されたとき、バーンスタインはダコタ・ハウスの自宅で夕食中だったの?!家政婦は銃声を聞いたらしい。それ、初めて知った。

終章「禁じられた音楽」
今もワーグナーを演奏すると拒絶と抵抗にあうイスラエル。タブーに挑戦し続けるユダヤ人指揮者バレンボイム。え、国内でCDが売られるのはかまわない?

文庫巻末解説を加藤登紀子さんが書いている。なんと、「ショスタコーヴィチについては、私にとって無条件に一番身近な音楽家だったので」と語っている。え、そうだったの?
「最大の汚点とされるスターリン讃歌」〈森の歌〉は「小学生のころ母が好きでレコードをいつもかけていて全部覚えてしまうぐらい好きな音楽」とのこと。それも知らなかった。

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