Thomas Mann(1875-1955)を読むの、ほぼ初めて。この本を人に薦めるとたぶん迷惑w 正月に5日ぐらいかけて読もうかと思って読み始めたのだが、とても読み終わらなかった。読み終わるのに10日かかった。ひたすら長く感じた。
ハンス・カストルプくんは学生と見習い造船技師の間にいる。ハンブルクからスイスの山の中腹に建つ国際サナトリウム「ベルクホーフ」で治療滞在中のヨアヒムを訪ねた。
主人公ハンスくんはヨアヒムを見舞ったはずがほぼバカンス。だがやがてハンスくんも肺病病みであることが判明し、ずるずると滞在を伸ばす。技師として働くはずだったのに病気治療のために内定辞退?両親を幼いころに亡くしたけど祖父の遺産の利子と叔父のおかげで働く必要がない。
サナトリウムなので登場人物ほぼ全員が肺病。そのわりに元気で行動的だったりする。だがやっぱりサナトリウム内部の人々とハンスくんのやりとりが延々と続く。多くの上流階級の人々がいる。
その人々を細かく描く。会話を描く。ドイツ人以上に完璧なドイツ語を話す知的なイタリア人紳士との会話が多い。
主人公ハンスが24歳?らしい。ヨーロッパ各地から病人が集まるサロンのようになってる場所で、他にすることもないのでひたすら知的な会話。
ここを読んでもしや…と想った。ジブリアニメ「風立ちぬ」のサナトリウム風景が連想されたから。調べてみたら、やっぱり「風立ちぬ」は「魔の山」のこの箇所を参照したようだ。ということは宮崎駿は「魔の山」を読んでいたのか。
上巻は後半で当時の最新科学と医学と生命科学のような講釈が延々と続いて閉口。
ハンスくんはそこに滞在してるロシア人の夫人(なんとダゲスタンから来た)に恋。フランス語でのカタコト会話がカタカナで続いて閉口。
下巻はさらに閉口。ページをめくってもめくっても面白くはなってくれない。
夏目漱石の「吾輩は猫である」が明治の日本人が読めばいい小説だったように、「魔の山」も1920年代のドイツ青年が読めばそれでよい小説ではないのか?サナトリウムの人々のこまごまとした様子と会話がひたすらだらだらと、構成に統一感もなく、まとまりもなく、長々と続く。
人々の死の場面もあるのだが、大げさな愁嘆場は一切ない。淡々としてる。
終盤になってわりと大変な事件が起こる。ハンスくんが内心うざいなと感じてたセテムブリーニ氏とナフタ氏の決闘。
そして、ベルクホーフで惰眠をむさぼっていたハンス・カストルプくんはついに山を下りることになる。それは第一次世界大戦のために。
自分、この本を読みながらずっと時代背景のことを考えていたのだがずっと判断できなかった。第一次大戦前夜のことだとわかったのは下巻の後半。
あと、なんで?ってぐらいハンスくんのベルクホーフの最新型蓄音機で聴いてるレコードに関する細々とした記述が多い。ああ、ドビュッシー「牧神の午後への前奏曲」がまだ現代曲だった時代だったんだなあ。
この本を読んでるときは「早く終わってくれ!」と考えていた。だが、読み終わった後はそれなりに満足感があった。ドイツ帝国が崩壊した後のドイツ青年のために書かれた小説であることはわかった。現代日本の若者にこの本はあまりオススメできない。
読んでる最中、これは村上春樹に影響を与えているのかも…などと考えていたのだが、熱心な村上春樹読者にとってそれは常識だったようだ。
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