講談社「日本の歴史」00巻、網野善彦「日本とは何か」(2000)第1刷がそこに220円で売られていたので連れ帰った。2023年の1月ごろ。ほとんど読まれた形跡のないピカピカ状態。月報も挟まってた。
自分、中世について何も詳しくないし、まだ1冊も網野善彦(1928-2004)せんせいの著作を読んだことがなかった。これがファースト網野善彦。いずれ「無縁・公外・楽」(1978)といいった代表作も読んでいきたい。
網野先生の長年にわたる膨大な研究成果がギュッとつまった一冊。ゆっくり時間をかけてめくっていった。
その内容をいちいちここで挙げていったりはできない。ただ、現代日本を生きる私が、従来抱いていた日本と日本人という概念がいつごろ、どのように、どの階層からできあがっていったのか?という問題に答えてくれる一冊と説明することしかできない。
網野先生は沖縄で講演会をするとき、「日本」という言葉を使うことに慎重になったそうだ。江戸時代まで沖縄は日本ではなかった。
フィールドワークでは青森、鹿児島、能登といった地域の古老たちの会話をほとんど理解できなかったと言っていた。それだけ日本は多様。
「日本」という言葉をきわめて高い頻度で書状の中で使った人物が日蓮。
日本と言う国号は鎌倉期以降、対外的に使われるようになった。
泰和六年(1206年)、対馬から高麗に渡った船の持参した文書が礼にかなっていないので、これを送還することを通知した「高麗国金州防禦使」の牒は「日本国対馬嶋」に充てられいた。対馬が日本国に帰属していることを、高麗側が認めていたことはこれによって明らかである。
ま、対馬の帰属が日韓で争われたことはないのだが、日本の一部であることが歴史的事実として網野先生から教えられた。
韓国政府も対馬が日韓どちらに帰属するのか問題視したことはない。地方議会で返還要求決議案が提出されたりしたことはあるようだが、韓国政府は無視してるようだ。でないと、根拠も道理もないことを要求する国と諸外国に思われてしまう。韓国にマイナスしかない。
「日本」という国号は、江戸後期から国家神道家たちから「唐人がつけた名前では?」という問題意識があったらしい。網野先生は1996年にNHK人間大学で「かつて一部の支配者が決めた国号は、われわれ国民の総意で変えることができる」と発言したところ、「日本が嫌いなら日本から出て行け」という警告と脅迫が来たそうだ。「ちょ、待てよ」「お前のようなやつがむしろそういう問題意識持つはずだろ」と憤り。SNSですぐにカッとなる人というのはその前後を何も読んでいないという証左だな。
あと、網野先生もサントリー社長の東北熊襲発言に東北人と同じように怒ってたw
「かつての征服者の流れをくむ関西人の発言であり、関東人、東北人、中南部九州人は口がさけてもこのようなことは言わないであろう。」
ちなみに、自分は最近になってサントリーの酒を飲むのは極力止めた。新浪社長が嫌いだから。「寿不動産の酒」と呼ぶようになった。
この本では被差別民についても書いている。網野先生は神奈川の短大で学生たちに「同和問題って知ってる?」と質問したところ、ほとんどの学生がポカンとしてたそうだ。それほど東日本、関東民はこの問題が馴染みがない。「童話問題ですか?」という女子学生もいたそうだ。
あと、瑞穂国日本という幻影も完全に否定し論破する。明治5年壬申戸籍が経済史の職業統計として使えないものであることを示してる。
愛媛の大学の研究室で網野先生は、石鉄県(松山県)管轄の壬申戸籍の草稿本を見せてもらったという。忽那諸島二神島が100%農民と記載されてて農業が盛んな島だと思いかけたけど、実際に島を訪れてみたらそんなことは絶対にないと確信。明らかに漁撈と海産物、山の幸の交易、商業・運輸で生計を立ててる島じゃん!
山梨県令が大久保利通卿に充てて具申した統計資料によると、山梨県は90%が農民?!そんなのぜったいにありえない!
日本は自給自足の農村ばかりじゃない。粟稗しか取れない村を貧村と決めつけるのは間違ってる。織物、工芸品で現金収入を得ていた。交易や商業をしてた。貧しいばかりじゃなかった。
網野先生は「昔はみんな農民だった」「百姓=農民」という従来のイメージを完全否定論破。そもそも「百姓」という言葉に「農民」という意味はない。それは中国韓国も同じ。
豪農とされてきた能登の時国家も実は、廻船業など手広く商売をしてた企業家だった。
輪島の名家の古文書を調べてたら、「餓死」という言葉が出てきて驚いて調べてみたら、元禄十三年と年紀を持つ帳面の一枚に「此三四年打続餓死及人民共難儀仕候」と書いてある。だがこの年に飢饉など起きていない。
これは村の上層部の子弟がいつかに備えて、手習として定型文を練習してたものだったらしい。古文書の訴状とか嘆願書を「事実」の歴史資料として使うのは慎重じゃないといけない。
TRICKの山田奈緒子の母(習字教室の先生)の生徒たちが「なんどめだナウシカ」と書いていたシーンを想い出したw
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