白石一郎「戦鬼たちの海 織田水軍の将・九鬼嘉隆」を読む。1991年1月20日号から12月29日号までサンデー毎日に連載されたもの。1992年3月に毎日新聞社より単行本化。今回、文春文庫版(1999年12刷)で読む。柴田錬三郎賞を受賞した作品とのこと。
白石一郎(1931-2004)を読むのはこれで3冊目。今回初めて長編を読む。507ページの長編時代小説。
まだ自分がほとんど知らない戦国武将・九鬼嘉隆(1542-1600)についての小説を読みたくてこの本を手に取った。この武将は司馬遼太郎「関ケ原」に1章のみ短く触れられていた。なにせ志摩一国のみの海賊大名。大河ドラマとかでも見た記憶がない。
熊野灘から遠州灘への分岐にある大王崎。ほら貝が吹かれ座礁した船が襲撃される。人は殺させ金品を奪う。
出自のはっきりしないよそ者の九鬼一は党志摩国の地頭たちの中で200年嫌われる。その中の若者九鬼右馬允嘉隆は既に父を亡くしている。祖父は隠居し洞穴で仏像を彫っている。九鬼の家督は長兄である浄隆が継いでいる。
座礁船から強奪してきた女(伊勢へ嫁ごうとしていた土佐一条家家臣の娘?)を強引に嫁にする。
田城砦をめぐる小競り合いから伊勢国司・北畠具教が介入。嘉隆はすでに珍しくなくなっていた鉄砲の威力を知る。尾張の織田信長が鉄砲隊を組織していることも知っている。鉄砲と船を集めて九鬼の勢力拡大に努める。
しかし、志摩の地頭たちはみんな敵。田城は奪われ労咳に侵されていた兄浄隆も戦死。嘉隆は波切へ逃亡。再起をかけるも海戦でも負ける。嘉隆は志摩を去る。
滝川一益に渡りをつけて織田信長に仕官してから嘉隆の運気は好転。九鬼海賊は織田水軍となり重要な仕事を任せられるようになる。信長に気に入られるぐらい嘉隆は頭も良かった。
鳥羽親子を調略し宿敵小浜景隆を追い落とし、北畠を討ち、嘉隆は信長家臣団の一員に迎え入れられる。
一時期の信長の勢いは停滞。長島の一向一揆に手こずり信長不機嫌。浅瀬と川の泥仕合。滝川一益も麾下の嘉隆もできることはない。比叡山の焼き討ちには日本中が驚き呆れる。
しかしこのころ、中国では毛利元就が、関東では北条氏康が相次いで亡くなる。そして上洛中の信玄の死。足利義昭の追放。一乗谷の朝倉義景、近江の浅井長政を次々討ち取る快進撃開始。やはり信長に付いて正解。
長島の一向宗門徒を水軍率いて攻略。ついに嘉隆は志摩国を与えられ大名となる。信長に倣って、側室に産ませた娘たちを地頭たちにつぎつぎと与え姻戚関係を結ぶ。
石山本願寺攻撃では、毛利水軍・村上海賊対策として、鉄板で装甲した安宅船6隻で出撃!
雑賀衆を海戦で蹴散らし、堺で信長に褒められ、毛利との海戦でも鉄板船は効果絶大の完勝。浪人として信長に仕官して13年の嘉隆は人生最良の時。
だがしかし、志摩に帰っている間に信長の急な死。秀吉が光秀を討ち、嘉隆がどうするべきかと動けない間に急転。上野に赴任中で清須会議に遅れた滝川一益は伊勢五郡のみに領地を減らしてしまっていた。もう一益はあてにならない。嘉隆は秀吉という人をよく知らない…。
明智光秀の姿が、九鬼本家で逞しく成長し人心を把握してる澄隆と重なる。自分もいつか討たれるかもしれない…。嘉隆は澄隆を討つ決心。ずっと快男児だったのに、ここだけ暗い一面。
秀吉は一益に冷たいのに嘉隆のことは大切にしてくれる。九鬼水軍はそれほど当てにされているのか。明国征討のために朝鮮にも水軍を出したのだが、李舜臣の船団には歯が立たない。加藤嘉明軍は壊走。
水軍の将として適切に戦ったのに、2回目の朝鮮役で九鬼水軍には秀吉からお呼びがかからない。嘉隆は秀吉の不興を買ってしまった。
関ケ原では「これからは家康の天下だろう」と息子の守隆に東軍をススメておいて、守隆が上杉征伐のため江戸に行っている間に、嘉隆は心変わりして西軍。真田家のように父子で東西に分かれて戦うことに。
しかし、九鬼父子はプロレス合戦。鉄砲を撃ち合っても弾が込められてない?!
関ケ原がたった1日で終わったことは想定外。家康が嘉隆を許してない?!父は軽挙妄動だったけど、首を要求されるほどのことなのか?守隆は父の助命嘆願に走る。
嘉隆は海をさ迷ったのちに答志島。なんだかコントのような最期。精悍な田舎青年が志を立て偏屈老人になるまで。命が軽い戦国時代とはいえ、もっと命は大切にしろ。
この本、とても面白かった。九鬼嘉隆という戦国武将の生涯を初めて知れた。
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