2024年2月10日土曜日

ウンベルト・エーコ「薔薇の名前」(1980)

ウンベルト・エーコ「薔薇の名前」(1980)の河島英昭訳 東京創元社(1990)上下巻で読む。(自分が読んだものは2008年37刷。)
1986年のショーン・コネリー主演映画は観た。邦訳は1987年の日本公開から3年後に出たということになる。
Il Nome della Rosa by Umberto Eco 1980
1327年、教皇ヨハネス22世がアヴィニョンにいた時代の北イタリアが舞台。
フランシスコ会修道士バスカヴィルのウィリアムと見習修道士メルク青年アドソがその異様な塔が崖の上にそびえたつベネディクト会修道院を訪問。
この地では写字生の不審死が起こっていた。僧院長から聡明すぎるウィリアムに「助けて!」という訴え。

冒頭に著者がこの本が書かれた経緯が書かれている。メルクのアドソという老修道僧が14世紀末に青年期に起こったことを羊皮紙にラテン語書き綴ったもののフランス語写本をイタリア語に翻訳したと。
ここ読んで、え!?この話って実話なの?映画で見たあの老修道士と青年修道士見習いは実在した?!って思ってしまったw

読み進めていくと、14世紀の修道士が教義をめぐって問答しているように感じる。自分もタイムトリップして当時の人々の会話を傍らで聴いているかのよう。
だが、ウィリアムが現代的な合理的思考と知識を持っていて、いかにも名探偵登場…といった様子。とても14世紀に書かれた物とは思えない…。

ウィリアムがベネディクト修道院を訪問するまでの経緯と歴史的背景の説明がしっかり書かれている。この本が14世紀に書かれたものなら、こんなことは書くまでもない。やっとこれは作家ウンベルト・エーコが創出した小説だったとわかった!w

ロジャー・ベーコンを師と仰ぎ、オッカムのウィリアムを友人に持つという老修道士ウィリアムは、「バスカヴィルの」と名乗るイングランド人。そして助手は若く純情な学徒青年。これはやはりシャーロック・ホームズを意識したものらしい。

それにしてもこの物語を書くのに要した知識と知性に圧倒される。
映画とは登場人物がちょっと違う。やはり映像化するにあたって本をそのままというわけにはいかなかった。映画では割愛される登場人物もいる。
小説では神の愛やら異端やらをめぐる修道士の会話シーンが膨大。ぶっちゃけほとんどの日本人にはちんぷんかんぷん。

概ね映画は原作を適切に移植し娯楽作品として料理していた。アノー監督の手腕はさすがだったと気づいた。
ドルチーノ派異端修道士とその手下、魔女とされた村娘の3人の火あぶり処刑シーンは映画のために創り出された、原作にないシーンだった。
それに、異端審問官ベルナール・ギーのエグい死の場面もなかった。こういうの、映画と原作両方に目を通した者だけが知れること。

だが、人類の遺産ともいえる貴重な図書が炎上するシーンは、創作といえども、読んでいて「ああぁぁー」と嘆いてしまう。常に冷静沈着紳士ウィリアムも涙。

文化財を保護するためには日ごろの消火訓練が必要だなと感じた。知のエリートのはずの修道士たちが修道院火災になすすべなく右往左往。無能すぎ。
東寺食堂や法隆寺金堂、そして金閣寺(舎利殿)を消失させてしまった日本人がどうこう言えることでないのだが。

修道士ウィリアムと見習いアドソのふたりが魅力的。日本でも鎌倉室町期を舞台にした、こんな雰囲気のあるミステリー風味のある楽しい小説やドラマ映画がないものか。
この本、発売当時は上巻と下巻の売れ行きに大きな差があったと聞いた。たぶん上巻のほうが面白い。図書館迷宮探検とか。

おそらく、バブル期日本の読書人からしても14世紀欧州の情勢、フランシスコ修道会とアヴィニョン教皇庁の「清貧論争」、異端、神、悪魔などの論争会話についていけない人が多かったらしい。(古本屋では上下巻セットで売られてるのをよく見かける)
だが、夏目漱石や小栗虫太郎を読むよりは、だんぜんこちらのほうが読みやすい。訳者の河島英昭氏の仕事が見事。

2019年制作のイタリアテレビドラマ版も見たい。

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