自分、近年になるまで、松平容保と松平定敬の兄弟すら知らなかった。それぐらい日本史と幕末史に疎かった。
桑名中将・松平定敬(1847-1908)が慶応四年の1月6日夕刻、将軍徳川慶喜に呼び出され、極少人数で大阪城を抜け出し、開陽丸で江戸へ逃げ出す…という人生最悪な場面からスタート。
容保、定敬、慶喜、みんなまだ20代の若者たちなのに、歴史の重要な場面の主役になってしまっていた。
いくら粗暴な薩摩と長州が怖いからといって、たった2藩(土佐も)暴れ狂ったぐらいで、日本中の藩が徳川を裏切るとはどういうことか?
江戸へ逃げ帰り何もしない慶喜に、定敬は「早く薩長を迎え撃つ準備を!」と催促しても「しつこい!もう二度と顔を見せるな!」とか言われる。慶喜、酷すぎないか?
徳川慶喜は史上最悪なタイミングで無責任に将軍職を投げ出して、あとは知らん!と頭から布団かぶって引きこもった人。何も偉人じゃない。幼少から聡明だった少年がどうしてこうなった?
主人公の松平定敬は柏崎、会津、仙台、函館…という流転の日々。自分、新潟県柏崎が桑名藩の飛び地だと最近まで知らなかった。
長岡も会津も庄内も落ち、仙台も恭順するともうあとは榎本武揚の函館政府しか頼るところがない。恭順派の家老を粛清してしまった以上引き返すことができない。
実質日本の首相にあたる老中板倉勝静と小笠原長行と定敬がやっとのことでたどり着いた函館の応接所(山田屋)で夕餉の膳に出されたおかずがオットセイ?!
この本のもう一人の主人公が国許の桑名藩家老酒井孫八郎。「え、殿が江戸へ逃げた?!」
この時代、今のような情報収集ができない。みんなで情勢を推測し話し合うしかない。
一度はくじ引きで江戸の藩主に合流する「東下」と決まったのだが、やっぱり「恭順」しかないという結論。城を明け渡す。養子だった定敬は隠居させられ元国主になってしまう。
朝敵ナンバー1だった慶喜ですら、田安家から徳川宗家を継いだ家達の駿府で生かされてる。ここで定敬も投降すれば許されるのでは?
酒井孫八郎はやっとのことで函館の定敬と面会。投降を説得。「蝦夷地に行ったのは家中の者に担ぎ上げられたのだ」と説明して!と懇願。
20歳そこそこの若殿様と若家老のつらい決断。そして流転。みんな必死だった。
横浜で船を降りてから定敬が上海へ渡り、発見され連れ戻されるまでは作者の自由な創作か?
鳥羽伏見の戦い以後の松平定敬を知るのに手頃で適切な時代小説。自分は面白く読めた。なんならNHKあたりでドラマ化希望。
0 件のコメント:
コメントを投稿