2023年10月10日火曜日

黄金のアデーレ 名画の帰還(2015)

「黄金のアデーレ 名画の帰還 Woman in Gold」(2015)を見る。これ、いつか見ようと想ってたやつ。
グスタフ・クリムト「アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I」(黄金のアデーレ)の所有権を巡る裁判の顛末を描いた映画。
主演はヘレン・ミレン。監督サイモン・カーティス。脚本はアレクシ・ケイ・キャンベル。制作はBBCフィルムズ。日本での配給はGAGA。

1998年ロサンゼルス、とあるユダヤ人老女の葬儀。亡くなったルイーゼの妹マリア・アルトマン(ヘレン・ミレン)が墓前スピーチ。
友人バーバラの息子ランディはパサデナで弁護士事務所に勤務。大学7年間の奨学金返済に追われてる。「弁護士が必要なの?」「姉の遺品に手紙があったので意見が聴きたい」

弁護士ランディ・ショーンバーグ(ライアン・レイノルズ)はアルトマン夫人を訪問。ふたりともオーストリアからの亡命者の子孫。
叔母アデーレをモデルにした肖像画「黄金のアデーレ」はナチスに収奪されたものなのでウィーン・ベルヴェデーレ宮から取り返したい。
大手事務所へ転職したばかりで余裕のないランディは乗り気でない。しかもアルトマン夫人はお金を持ってるわけでもない。返還専門の弁護士に依頼しようにも金がない。しかし、強引だが気品はある。

しかし、絵画の評価額が1億ドル以上と知ったランディ。カネの匂いを嗅ぎつけるのがアメリカの弁護士。ビジネスチャンスがあれば上司の許可も得て調査できる。ランディはウィーンへ。マリアも嫌な思い出しかないオーストリアへ嫌々ながら決意の飛行。
ウィーンの街をなつかしく眺めて歩く夫人に雑誌記者チェルニン(ダニエル・ブリュール)が話しかけてくる。「味方が必要では?」
この記者によれば美術品返還はオーストリアの国家としてのイメージアップPR。なので返還には高いハードル。担当する役人たちと面会するも表面的。

ランディとマリア、新聞記者はベルヴェデーレでアデーレの肖像画と再会。様々な思いが込みあがる。そこでガイドが見学者たちに「オーストリアの宝」と紹介。

若き日の回想。マリアはオペラ歌手フリッツと結婚。叔父フェルディナントからアデーレの首飾りを贈られる。ナチスはもうすぐそこ。オーストリアも狂っていく。
マリアと両親、夫フリッツもこれから起こることがよくイメージできてなかった。ユダヤ人の迫害が始まる。国外旅行もできなくなる。まるで貴族の屋敷のようなアパートメントにもナチス親衛隊。成金趣味は嫌悪の対象。

家族は監視の対象。マリアとフリッツ夫妻は薬局に行くふりして必死の逃避行。なんとか追跡を巻いてケルン行の航空機に乗り込む。

文書庫の中からアデーレの遺言を見つけ出す。アデーレは1925年に「夫の死後、美術品をベルヴェデーレ美術館へ寄贈する」という遺言を残して病死。
先にスイスに亡命したフェルディナントが死去したのは1945年だった。アデーレに絵の所有権はなかった。フェルディナントが姪姉妹にすべてを譲るという遺言を残した以上、絵はマリアのもの!

しかし、オーストリア政府はマリアの請求を却下。残された道は裁判のみ。だが、オーストリア国内で裁判をするには絵画評価額から算定した180万ドルの預託金が必要。それは無理ゲー。
オーストリア国民は戦争の反省なんてしてない。査問会でのスピーチ後に「もう忘れろ」と脅すようにささやく男(元ナチ?)もいる。

ホロコーストの記念碑を見てからランディが本気を出す。アメリカの書店でベルヴェデーレがクリムト画集を販売している。そのなかにアデーレの肖像画がある!ということはアメリカで訴訟ができる!
ええぇ~、アメリカってそんなことになってんの?
その件で上司を説得できないと見るや、ランディは大手弁護士事務所を退職。退路を断った。

最初の裁判でこの件がアメリカ国内で裁判できることを確認。
しかし裁判は長引くに違いない。ベルヴェデーレ代理人ドライマン博士「最高裁まで争ってやる!」
エスティ・ローダーの息子が支援したいと申し出。「若く頼りないランディでは裁判に勝てないだろう。」

最高裁でオーストリア側は外国主権免除法の除外を過去に遡って認めると、諸外国との関係が悪化する懸念を主張。しかし、ランディは1人の夫人が自分の物を取り戻す正義だと主張。どちらが勝つのかわからない様相だが、やっぱり敗訴。ランディはマリアから解雇通告。妻子を犠牲に借金漬けに頑張ったのに!

最終手段はウィーンでの調停。ウィーンにやってきたランディはその夜、祖父の作曲した「浄夜」のコンサートを聴いて涙を流す。

調停委員の討議の末の結論が出た。「黄金のアデーレ」を含む美術品がマリアに返還されることが発表さる。
マリアは勝ったが、両親を残して逃げ生き延びたことに苦しんでいた。父から「お前はアメリカ人になる」と言われたことを思い出し涙を流す。
かつて家族が暮らしてたアパルトマンを見学者として歩いて回る。楽しかった日々が蘇る。

これ、裁判の結末とその後の「黄金のアデーレ」とその他の絵画の行方を知ってる状態で見ると、この映画に感動できない。アデーレ・ブロッホバウアーは死後この作品がベルヴェデーレ宮に寄贈されることを望んでいたし、絵画の所有者である夫フェルディナントのそれに同意していた。
(それを主張するオーストリアの役人たちを悪人のように描いてる。アメリカ側視点の映画だからな。)

絵画に何も思い入れもこだわりも持たない強欲な老婆が伯父の遺言を奇貨としオーストリア国民の愛する名画を強奪していった話にも見える。
その辺の事情は山田五郎先生の公式YOUTUBEチャンネルでの解説に詳しい。
結局、一般的庶民は数億円の絵画を持ったところで手に余る。

しかし、家族を奪われたマリアからすれば、ナチスに媚びへつらって自分たち家族を悲惨な目に遭わせて罪悪感の見えないオーストリア国民への復讐だったのかもしれない。
(オーストリア国民にとっては悲憤だが、最終的にオーストリア国民の良心が返還を後押ししたことを描いて両者のバランスとってる。)

ランディとしても弱気のマリアの意見も聞かず、分からず屋上司に反抗して独自行動によって勝訴し、莫大な謝礼を受け取った。こちらも復讐できた。
(ホロコースト記念碑を見てから本気を出すくだりは映画としての創作?それとも事実?)

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