2023年10月27日金曜日

宮部みゆき「火車」(1992)

宮部みゆき「火車」(1992)を新潮文庫(平成28年80刷!)で読む。

実は自分、平成日本を代表する作家宮部みゆきを今まで一冊も読んだことなかった。今回やっとこの本を手に取った。面白いという人が多いらしいので。
第二外国語で中国語を選択した自分は「火車」を今までずっと「フオチュー」と読んでいた。「かしゃ」と読むのが正しいと知った。

脚の怪我で休職中の中年刑事本間は亡き妻の親戚和也(銀行勤め)から失踪した婚約者関根彰子の行方を捜すように依頼される。
この女性が突然失踪。勤務先もわけがわからない。だが、和也の話だと以前に信販会社の友人を通じてカードを作とうとなったとき、過去に自己破産していたことが判明。

自己破産を担当した老弁護士を訪ねる。日本におけるクレジットカード多重債務者の問題の現状について解説。交通事故が事故を起こしたドライバーだけの責任として追及するのは間違っているように、多重債務者は単に怠惰でだらしないというよりも、法の不備や社会のせいだという講釈。これが今もそのまま日本社会の諸問題に当てはまっている。
(SNS闇バイトとか、保育施設での不適切な保育とか、老人介護の現場とか、回転すしの動画炎上とか、これらの社会問題も様々な要因のすべてがそろわなければ起きえない問題)

そして最初の衝撃。彰子の勤務先で借りた履歴書写真が、弁護士によればまったくの別人。これはどういうことだ?
そこから先はもう本間の執念の捜査。警察官とはいえ休職中なので、関係者に話を聴くのにも一苦労。

失踪女性を捜すという事から判明する恐ろしい犯罪。たぶん宮部みゆきは「ゼロの焦点」「砂の器」といった松本清張作品から影響を受けているに違いない。「飢餓海峡」かもしれない。失踪した女性と、その女性が成りすました女性。このふたりの不幸な過去と半生。
とにかくずっと聴きこみ。その過程がやたらと細かくて、読んでて気が滅入る。

だが、そこまで緻密に人間ドラマを構成する必要が、この小説には必要。
本間が探し歩いたその女性が、ずっと証言だけにしか登場しないその女性が、最後の最後にその女性が姿を現した時は読者も興奮。
だが、その瞬間に読者は急にフッとその場に放置される。この辺の終り方もとても松本清張っぽい。

文庫裏面のあらすじで「山本周五郎賞に輝いたミステリー史に残る傑作」とある。確かにその通りだった。
読んでる最中は、人探しのための聴きこみ捜査にすぎないのでミステリーといえないのでは?地味な社会派リアリズムでは?と思ってた。
だがそれは、本間刑事の孤独な執念とカンとひらめきによる勝利。その過程はミステリー小説ならでは。読後はとても満足感。

0 件のコメント:

コメントを投稿