塩野七生「ルネサンスの女たち」(1969)という中公文庫(1973)がそこにあったので読み始めた。塩野七生の初期作。15世紀末から16世紀にかけての100年間、イタリアに生きた4人の女性を描く。
第1章 イザベッラ・デステ(1474-1539)
フェラーラ公国のエステ家から小国マントヴァの当主フランチェスコ・ゴンザーガに嫁いだイザベッラ・デステの生涯。
この人はレオナルド・ダ・ヴィンチがデッサン(ルーブル美術館蔵)を描いている。妹のベアトリーチェはミラノ公国のルドヴィーコ・スフォルツァと結婚しているのだが、小国マントヴァに対してミラノは金持ち国。イル・モーロと呼ばれたルドヴィーコにはチェチリア・ガッレラーニという愛人がいた。この婦人の肖像画をダ・ヴィンチは描いて残した。この絵画は人類の宝。
時代はイタリア戦争、そしてチェーザレ・ボルジア。夫のフランチェスコはヴェネツィアの捕虜となってイザベッラは身代金の支払いに苦労した。
第2章 ルクレツィア・ボルジア(1480-1519)
父がローマ教皇アレッサンドロ6世、兄がチェーザレ・ボルジア。このふたりはこの時代の欧州情勢で最重要人物だが、妹ルクレツィアは政略結婚の駒にすぎない。最初の夫とは離婚させられフェラーラ公アルフォンソ・デステと結婚。
第3章 カテリーナ・スフォルツァ(1463-1509)
残忍・勇気・度胸のイタリアの女傑。ミラノ公ガレアッツォ・マリーア・スフォルツァの娘。ローマ法王シスト(シクストゥス)4世の甥でフォルリとイーモラの領主ジローラモ・イラーリオ伯と結婚。夫(民から不人気)が暗殺されると以後12年間フォルリの女領主。
この人は「チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷」にもちょこっと出てた印象深い人物。この本の4話の中で第3話がいちばん面白い。
2番目の夫(愛人)が暗殺されると暗殺グループは一族郎党女も子どもも皆殺し。
イタリアの戦国時代も日本に負けてない残虐さ。織田信長の荒木村重一族への対処と似ている。日本史でいうと桃山ルネサンス人淀殿のようなキャラ。
3人目の夫ジョヴァンニ・デ・メディチとの間に子ジョヴァンニが生まれる。この子が初代トスカーナ大公コシモの父。
そしてチェーザレ・ボルジアとの対決。イーモラはカテリーナに反発が強くてすぐチェーザレに開城。そしてフォルリ城壁の上と下で、カテリーナとチェーザレが直接相対するシーンはイタリア史の名場面。
カテリーナは苛烈だった。塩野せんせいは現在のフォルリを「共産党の勢力が強い」「母が子を叱る時、カテリーナが来るよ!」と諭すと豆知識。
マキアヴェッリは君主論で「城塞を固めるより民衆の憎しみを買うな」と評した。
チェーザレの前に敗れると捕虜となり、法皇アレッサンドロ6世暗殺を企てたとしてサンタンジェロ城に幽閉。フランス王からの抗議で釈放されるとメディチ家のフィレンツェへ迎えられる。
享年46。ロレンツォ・ディ・クレディによる肖像画(フォルリ美術館蔵)を見る限り美人。
第4章 カテリーナ・コルネール(1454-1510)
ヴェネツィアの名家からキプロス国王へ嫁いだ姫。国王が1年ほどで亡くなるとヴェネツィアの傀儡女王となる。拡大するオスマントルコの脅威、ナポリ王国やエジプトの思惑と陰謀。その結果、ヴェネツィアは独立王国キプロスを併合。ヴェネツィアの操り人形にすぎなかったキプロス最後の女王の孤独人生。ほぼ「ラストエンペラー」という映画を想わせる。
ルクレツィアを除いた3作は、塩野七生でなければ日本の小説として描かれることもなかったであろうし、日本人に知られることもなかったであろう女性たち。
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