「新青年」昭和9年4月から12月まで連載されたもの。
この版が連載当時と初版時の雰囲気を伝えている。序文を江戸川乱歩と甲賀三郎が書いている。挿絵は松野一夫による木版画?
巻末解説を澁澤龍彦が書いている。氏がこの本を要約してくれているので引用すると
カテリナ・ディ・メディチの隠し子と言われる(?)妖妃カペルロ・ビアンカと、天正遣欧使千々石清左衛門とのあいだに生れた不義の子を始祖とする、不吉な血の遺伝を持った降矢木家の十三代目の当主医学博士鯉吉(算哲)が、明治十八年、ヨーロッパで結婚したフランス人の妻テレーズを慰めるために、神奈川県高座郡葭刈の在に建造した、「ボスフォラス以東に唯一しかないと言われる」ケンルト・ルネサンス様式の城館(シャトー)が、小説の舞台になっている、いわゆる黒死館であって、そこで次々に展開される四つの殺人と一つの歴史的背景に、この妖気の漂う城館に満たされた数々の秘密と、これを建造せしめた故人の悪魔的な意思とが、二重写しに透けて見えるような仕掛けになっているのである。
とある。これを読むとなにやら面白そうなのだが……、
何の予備知識もなく読み始めた人は困惑するに違いない。
自分はこの本の存在を高校時代から知ってはいたのだが読む機会がなかった。やっと読んだのだが、聞きしに勝るペダントリーの洪水だった。おそらく多くの読者が現在地を見失う。
内容が泰西名著や犯罪心理学やらの名著の列挙羅列。西洋キリスト教のオカルティズム。
これ、おそらく大正昭和期の知識教養至上主義なディレッタント青年たちには刺さったらしい。この小説が好きだという知識人青年も多かったらしい。
だが、日本人に馴染みのない要素ばかり。よほど海外作品の翻訳抄訳などを読んでいた推理小説愛好家たちにも「ないわ…」と見られていたに違いない。
それは序文を書いてる乱歩「抽象理論の一大交響楽」や甲賀三郎「探偵小説を書くつもりで書いたのでないかもしれない」という箇所からも感じ取れる。
そこにあるトリックが現実的には不可能。トリックと謎解きという愉しみ要素がほとんどない。暗号解読や秘密の通路探検のようなものはあるのだが、そこに警察の捜査のようなものがほとんどない。
主人公探偵に相当する法水が支倉検事と熊城刑事に自分の考えを一方的に語って聴かせるのみ。法水が息を吐くように膨大な知識をひけらかす。いや、呆れた。
自分はこの本を5日間で読んだのだが、一向に面白くなってくれなかった。とにかくエラリーやファイロ・ヴァンスやラングドン教授どころでない、滝のようなペダントリー。
話の筋などどうでもよい装飾過多な文体で話す法水にウンザリ。読んでも読んでもそれ。
結果、最後まで読んでも驚くようなこともなく、連続殺人の犯人はこいつでした。死にました。という大時代的な作品。
古典ミステリーの有名作として読んだ人は期待を裏切られる。ただ、空中に楼閣を築くがごとき内容とその雰囲気は唯一無二で独特。まさに昭和の奇書。
ま、「俺は読んだ」と言いたいがために最後までページをめくった感じ。「それ、本当に合ってる?」「そんなバカな!」とつっこみまくりながら読んだ。
たぶん、これを映像化したとしても、たぶん面白いものにはならない。
自分は今作が小栗虫太郎を読んだ2冊目だった。今後、虫太郎を読むかどうかはわからない。
読むべき本があふれている現在、高校生大学生が小栗虫太郎を読むのは時間のムダかもしれない。
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