2023年8月20日日曜日

ドストエフスキー「地下室の記録」(1864)

ドストエフスキー「地下室の記録 Записки из подполья」を読む。2013年の亀山郁夫新訳(集英社)で読む。自分にとってこれがドストエフスキー3冊目。自分は今作を「地下室の手記」と記憶していた。

「記録」としたのはたぶん亀山先生のこだわり。2012年に「すばる」誌に3回に渡って掲載された亀山新訳。亀山先生の「まえがき」だけでも読む価値がある。
「地下室とは、言い換えるなら、青春時代を生きるだれもが一度はくぐりぬけなくてはならない戦場である」

逮捕投獄、シベリアから生還した後のドストエフスキーが書いた最初の作品が「地下室の手記」。1964年は日本では元治元年。アメリカでは南北戦争の激戦。

ねずみの出る暗い一室に自ら閉じこもってしまった、自尊心が高い元低級官吏の呪詛の言葉が延々と続く狂気。
狂気というのはそれほど正しくない。偏屈老人の妄想かもしれないけど、論理は一貫してて独白として読むのが苦痛じゃない。成熟した大人からの自虐を含む人間性に関する主張と訴え。

正直、これは自分が読むのに合っていた。退屈しなかった。読んでていろいろと納得できた。(むしろ「罪と罰」「カラマーゾフ」は退屈した。)

ドストエフスキーを読むとき毎回感心するのが一気呵成に喋って聴かせるところ。リガから来た娼婦リーザに原稿を読んでるわけでもないのによくスラスラ言葉が出てくる。厨二病ぶりがひどい。農奴解放から新しい時代を迎えるロシアで青年が考えるべきことはもっと他にあるだろう。こじらせすぎて、そりゃ偏屈にもなる。

だが、それは誰へ語り聞かせている?
帝政ロシア、ソ連、まだ尊敬できるインテリ知識人はいた。だが今のロシアはどうだ。プーチンを産みだしのさばらせているロシア人は全員同罪。

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