2023年7月5日水曜日

長澤まさみ「百花」(2022)

「百花」を見る。原作は川村元気。監督も川村元気。初監督長編映画。脚本は平瀬謙太朗。音楽は網守将平。主演は菅田将暉と原田美枝子。配給は東宝。

川村元気案件なのでそれほど見たいわけでもない。母親(母子家庭)が認知症になっていくドラマとか見たいわけがない。きっとつらいにきまってる。長澤まさみが出演しているので見た。

狭い一室でトロイメライを弾く原田美枝子。その部屋によくグランドピアノ入れられたな。(ピアノ教室をやってるらしい)
と思ってたら主観と客観が混乱し始める。平衡感覚を失わせる音階。
主人公青年の泉(菅田将暉)が帰ってくる。部屋がまったく片付いてない。夜中に徘徊してしまう母。「あ、ごめん」息子のことがわからない母の言い訳。不安と混沌。

テレビをつけると第9の演奏会。年末年始らしい。主人公には香織(長澤まさみ)という婚約者がいるらしい。母の様子がおかしいのに家には泊らず年始早々に「仕事だから」と嘘を言ってそそくさと出て行く。その事態を認識したくないのか。

泉と香織はAI歌手のプロデュースを仕事にしてる?それは意外な。そしてまさみのお腹に赤ちゃんというシーン。こういうのドラマであっってもちょっとショック。
どうやって母に報告しようか?

認知症が進行していく母のスーパーでの異常行動の繰り返しシーンが怖い。まるでシャイニング。知覚と認識が混乱するとこんなSFみたいなシーンになるのか。
万引き犯として家族に連絡引き渡し。こういうの「いいえ、違います」と受け取り拒否したらどうなるのか?

徘徊老人って世界をこう認識してるのか。家族が認知症になったらもう生活が崩壊。いやもう見てるだけで地獄な風景。こうなったら施設に預けるしか致し方ない。
菅田は暗い部屋でしょんぼりとため息。幼少時の母との記憶がフラッシュバック。繰り返される母を探す男児のシーン。
だからこそ長澤まさみが清涼剤のような存在。だが、この映画のまさみは妊娠出産する妻という以上の個性がまったくなかった。

この映画、キャストに北村有起哉、岡山天音、河合優実、長塚圭史、板谷由夏の名前があるけど、みんなチョイ役ワンシーン出演。
永瀬正敏は原田美枝子の回想シーンで重要な男性役なので出演シーンは長い。こいつの正体は何だったのか。
しかし、平均律クラヴィーア曲集第1巻第1番プレリュードはわざわざ習うほどの曲じゃないだろ。問題はフーガだろ。

こどもが嬌声をあげて走り回る様子が怖く感じられるようになる。
集合住宅で空き巣が出てる…というエピソードもなんか嫌で怖い。

阪神大震災の神戸のシーンがさらなる恐怖。崩壊した街が静かすぎる…と思ったけど、これも原田の心象風景か。
靴底の薄いスニーカーだと避難できないなと感じた。かといって登山靴をすぐ取り出して履けるかどうか。

物忘れ、人間違い、記憶の混乱、認知症ってこういうことか…という恐怖映画。やっぱり楽しくないし救いがないし面白くない。
母の言う「半分の花火」とは一体何なんだ?諏訪湖?いや、打ち上げたほうがキレイだろ。その答えはラストで明かされる。
フッといなくなる母を焦って探す菅田とその後のパニックが見ていて気の毒。こんなん誰だって泣く。
ああ、記憶を詰め込み過ぎたAIに忘れる機能も必要って、それはもはや人間だ。

表情すら失った母…というシーンが怖い。記憶の断片のみを残して人は死んでいく。認知症患者とその家族になにか救いはないのか。

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