2023年7月31日月曜日

岩波文庫「チベット仏教王伝 ソンツェン・ガンポ物語」(2015)

岩波文庫「チベット仏教王伝 ソンツェン・ガンポ物語」今枝由郎監訳(2015)を読む。
高校世界史ではチベット史はトータルでせいぜい3ページぐらいだった気がする。自分はそのほとんどを覚えていない。自分の手には余るかもしれないけど、チベット人の民族アイデンティティーと歴史観になんとなく触れるために手に取ってしまったので読む。

14世紀サキャ派の学僧ソナム・ギェルツェン(1312?-1375?)によりに記された歴史物語「王統明鏡史」の序章から17章までを原典(北京民族出版社刊第2判を底本とし木版本ラサ版、デルゲ判その他を参照)から訳出した一冊。
日本語訳版の「出版に寄せて」として序文をダライ・ラマ14世が寄稿している。

宇宙の生成、インドの王統、中国・西夏、モンゴルの王統、そして観音菩薩の霊験によってチベットに人類が誕生し王統が始まる…というところから書き始め、ソンツェン・ガンポ王(581? - 649)の誕生から崩御に至るまでの事績を9章にわたって語る歴史書。
(チベットでは文字に書かれるものは仏教経典が主で、歴史は口述で語り継がれるものだったらしい。)

最初のほうは日本の古事記のような内容。チベット最初の王はニャティ・ツェンポ。数えて27代目で普賢菩薩の化身ラトトリ・ニェンシェル王のとき正法が始まった。

第9章「護法王ソンツェン・ガンポの誕生」からがこの本の主題。
そのころ観音菩薩は、有雪国チベットの衆生を教化する時が到来したことに気づき、身体から四条の光を放った。
そして、
この上なく神々しい王子がチャンパ・ミンギュルリン宮殿で誕生した。頭には阿弥陀仏がおわし、手足には法輪の相があり、髪の毛はインドラニーラのように青かった。ブッダたちが加持なさり、菩薩らが言祝ぎ、神々が花の雨を降らせ、大地は六方に揺れた。
という。ソンツェン・ガンポ王の誕生である。以下、この王を褒め称える内容が続く。

十善戒に基づいて王法を制定。文字を学ばせるためにトンミ大臣をインドに派遣留学させ、チベット文字を考案。
この王はどうやら日本で言ったら聖徳太子のような存在らしい。正法(仏教)と三宝によって王国が幸福になり、チベットの衆生が現世でも来世でも幸せになって、何もかもが上手くいくという思考。

ネパール王デーヴァ(正体不明)から王女を招請する話は荒唐無稽。金貨5枚と瑠璃の兜を贈るだけで、当然に王女をもらえると思ってる。ガル大臣が事前に王から授けられた文書で先回りしてネパール王の疑問に答えるとか、そんなのありえる?
しかも「王女を与えないというのであれば、この身の分身たる五万の兵士を派遣して汝を討ち、王女を奪い、都をすべて蹂躙するであろう」と恐喝してる。その文書を読んだネパール王が恐怖して王女をチベット王に与える決断をしている。今日の外交と考えてはいけないようだ。あまり合理的ではない。

さらにあり得ないのがの皇帝太宗にも皇女を与えるように招請。同じ文面で「くれないなら兵を送って蹂躙する」と脅してる。大唐の皇帝が内心恐れるとか、チベット側が知りようもないことが書かれてる。
唐の宮殿には他国(インド、タジク国、ケサル国、バタ・ホル国)からも使節団一行が来てるのだが、チベットはまだ未開の野蛮国だと思われてナメられてる。チベットだけが皇帝への謁見を許されない。

チベットに皇女を送りたくない皇帝は、チベット使節団に何度も何度も無理難題の試練を課す求婚難題譚。
通常ならこんな仕打ちを受けたら嫌われてると察して引き下がるはずだが、ガル大臣だけがすべて一番にできてるとか都合がよすぎる。
ここを読んでると、歴史書というよりは神話に近い。まんがチベット昔話。

唐の皇女(姪らしい)もチベットに嫁にやられることを嫌がる。鬼神が跳梁跋扈する羅刹の国チベットなんかに行きたくない。唐の人々もチベット人を野蛮人だと嫌ってる。
そんな姫をガルは説得。
中国側がチベットを見下して毛嫌いしてることを重々承知。チベットの大臣たちが文成公主に皮肉と嫌味で仕返ししてる。それは酷くね?チベットが民族主義的でプライドが高い。

こうやってソンツェン・ガンポ王はネパール妃ティツンを、中国妃文成公主を王妃にする。先に輿入れしてるネパール妃のほうが権勢をふるってる。
この二人がお互いに嫉妬深い。それぞれがラサに寺院を建立。ティツンはトゥルナン寺(大昭寺)、文成公主はラモチェ寺(小昭寺)をラサに建立。

ネパール妃、中国妃には王子が生まれなかった。そこでシャンシュン妃を娶ったが王子は生まれない。次にルヨン妃を、次にミニャク妃を娶った。やっぱり王子は生まれない。次にマン妃ティチャムを娶った。9か月と10日後に王子クンリ・クンツェンが誕生。
クンリ・クンツェンは13歳で王位につき、王子マンソン・マンツェンが生まれた。(クンリ・クンツェン王は父王よりも早く18歳で亡くなってる。)
その後、ソンツェン・ガンポ王が再び王位。マンソン・マンツェン王子に長々と仏法の真義を教えてる。

ソンツェン・ガンポ王は82歳で崩御。ネパール妃は白蓮と化し王の右肩に、中国妃は青蓮と化し王の左肩に溶け込んだ。王は自生十一面観音像の胸に溶け込んだ。

7世紀チベットの王の事績をたどる平易な口語訳。世界史で名前だけ活字として知ってた人物を初めてイメージできた。巻末の詳しい解説も大いに役立つ。

たぶん日本国内で出てるソンツェン・ガンポ王の物語はこれ一冊?集英社コバルト文庫に「風の王国」という小説があるらしい。唐皇帝の姪が吐蕃に嫁ぐ話らしい。

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